親か子どもに自分と同じでいるよう求める 親が子どもを、自分とは別の独立した存在として見ることができないというのは、つまり子 どもの境界を認めないということになります。親と同じものを好み、同じような服装をし、同 じよ、つに感じろとい、つわけです これは特に十代の子どもにとってはつらいことです。その年代には、自分自身を見つけるた めの手段として、親とは別の行動をとろうとするものですから。けれどこれを思春期にはよく あることだと理解できずに、親の生き方や価値観への面と向かっての侮辱や挑戦と受けとる親 がいるのです。そんなとき、子どもがどんな形であれ親と違った考え方や行動をとると、あえ て親に拒絶される危険をおかすことになるのです。 親か子どもを自分の延長とみなす 親が子どもに対して、自分が果たせなかった夢をかなえてほしいと望むことは、子ども自身 の境界を認めず、子どもを自分の人生の延長とみなすことです。 かって行きたかったけれど行かれなかったからという理由で親が決めた学校に通った人は、 どれぐらいいるでしよう ? 親が選んだ職業についた人は、どれぐらいいるでしよう ? 親の 望む相手と、親が望む時期に結婚した人はどれぐらいいるでしよう ?
1 章過去の痛みの正体を知る 私は決して、親の期待や要望や要求にそった行動が間違っていると言っているわけではあり ません。ただ、それがまったく私たち自身の選択ではないことがいかに多いかを指摘している のです。結果はともかく、間違っているのは決め方なのです。 一方、親の望みとは逆のことをする人もたくさんいます。たとえば母親が憧れている大学に だけは行かなかったり、単に大学に行かないことを選ぶ人もいます。親が絶対好きになりそう にない相手と結婚する人もいます。その場合もやはり、結果ではなく決め方が問題です。自分 の自山な選択ではなく、親に対する怒りによって決めているかもしれないからです。 あなたか子ども時代に体験した、境界の混乱を害き出してみましよう。 境界があるかどうかて体験の意味が違う 親が子どもの境界を尊重せす、境界に侵入するとき、子どもには一人の人間としての価値が ないとい、つメッセ 1 ジを与えていることになります。親が子どもの境界を認めないとい、つこと は、「あなたは親である私のニーズを満たすためにここにいる」「あなたより親の私が優先だ」
しむ人もいます。過去を思い出すことが「いやな話を蒸し返す」ように感じられるとしたら、 その体験にはます間違いなく未解決の痛みがともなっていて、今もあなたに影響を及ばしてい るのです。はっきりさせておきますが、過去について語る目的は、それをきちんと過去のもの にするためです。 それは親を責めるという意味ではありません。実際、過去に立ち戻って調べてみてわかった ことを親とは共有しないという選択もできるのです。どちらにするかは、あなた自身や家族の 犬况にもよるでしよ、つ 人が過去を探るのは、それを誰かのせいにするためではなく、真実を発見し、認めるためで す。非常に多くの人がおとなになってもまだ、子ども時代に形作られた信念によって動いてい ます。過去に起きた特定の出来事を振り返ることは、物事の見方を大きく転換させるきっかけ になります。たとえば、もし親が怒って私たちを叩いたとしたら、子どもの見方からすれば自 分が何か悪いことをやったか、あるいはどこか至らなかったために、親を怒らせたんだと思う でしよう。おとなの目で見直してみれば、親は自分自身に腹を立てていたのかもしれないし、 生活上の何か、たとえば失業したことで頭にきていたのかもしれないと考えることができます。 子どもはか弱くて矛先を向けやすいからぶたれてしまっただけで、ぶたれた理山は私たちが思 いこんでいたものとはまったく違うかもしれないのです。
れなのに問題を抱えた家族では、子どもはこうした支えが得られなかったり、感情を表わすこ とを禁じられたりするのです。泣くのはダメ、「子どもみたいに」ふるまってはいけないと言い 聞かされることだってあります。また、きようだいの死といった喪失体験の場合、親の側には 遺された子どもを支える余裕がない場合がほとんどです。また、親の行動が喪失をつくりだす こともあります。たとえば子どもがかわいがっている猫を捨ててしまい、もう片方の親はそれ を見ないふりしたり、あるいは全くなかったことにしたりするのです。 子どもが自然な喪失を経験し、親からのサポートがもらえたときは、悲しいけれど同時に、 愛されて、安全であることを感じます。サポートが得られないとき、子どもは悲しみを感じる と同時に、愛されていないと感じ、見捨てられていると感じるのです。つまり、不必要な喪失 を生み出す体験は「見捨てられ体験と言い換えることもできます。 子どもが「見捨てられるーということ 子どもというのは「権利の目録を手にしてこの世に生まれてきます。それは次のような権 利です。
6 章新しい関係をつくる うした場に出ることは、あなたが大切な人との関係を維持する方法のひとつです。表面的なも のだとしても、つながっていることには違いないのです。あなたはたぶん、関係を完全に切っ てしまうよりは、この程度の関係でも保つことを選ぶ ( 忘れないでください、選ぶのはあなた です ) のではないでしようか なぜ家族と関わろうとするのかを考えてみるとよいでしよう。 忠誠心、義務感、楽しいから、愛しているから ? あるいは、今でも家族に自分を認めてほ しい、評価してほしいと必死に願っているからでしようか ? 何歳であろうと、人はみな、親 に自分の価値を認めてほしいのです。子ども時代に親からの確認を得られなかったとしたら、 その思いはよけいに強くなるはずです。たとえ自分では打ち消していても。けれど残念なこと に、病んでいる親や不健康な親が、子どもに確認や評価を与えることはまずありません。子ど も時代と同じように、今でもたぶんそれは無理なのです。むしろよくあるのは、いまや親のほ うが私たちの評価を必死に求めているということです。 それでも、今も家族を愛しているという人は多いし、家族の中の誰かと楽しく過ごす時間を 持っことができる人もいます。 アニーは、家族の中で一人だけ回復を始めています。アニーと母親とは、時々週末を一緒に 過ごしています。小旅行に出かけることもあるし、お互いの家を訪問して近所の噂話やテレビ
もを自分の同盟相手とみなすということは、親子の境界が存在しないということです。そして 子どもの年齢にふさわしくないことまで知らせてしまうのです。 不適切な情報を与えられた子どもは重荷に感じ、罪悪感さえ味わうこともあります。これは フェアではありません。十歳の娘にあなたのお父さんは浮気したのよと話すことは、子どもの 安全を損ないます。母親はそのことを誰かに話す必要があるかもしれませんが、その相手はお となとしての能力があって適切なサポートや助言ができる人であるべきです。八歳の息子に職 場でのポストを失う不安について話すことは、親は弱すぎて子どもの自分を守れないと思わせ るだけです。 親が子どもに責任を負わせようとする 親が自分の感情や考えや行動に責任を持たす、子どもにその責任を負わせようとすることが あります。これは親子の境界がねじれた状態です。 たとえば、結婚がダメになったのは子どもが悪い子だったせいだと言ったり、子どものせい でストレスがたまるから酒やドラッグが必要なんだと一言うのは、子どもの責任ではないことを 子どもに負わせ、不可能なことをやらせようとすることです。 実際こうした親は、子どもが実際に持っている以上の力を持っているかのように言い聞かせ、
インナーアダルトを育てていくことで、あなたは子ども時代のル 1 ルや役割を手放し、別の 選択肢を手にすることができます。人間関係はかって経験したことのない自由なものになるで しよう。そのためにこの章では、行き詰まっていた過去の関係を整理し、現在の人間関係を見 直して、親密な関係を育てる方法を学んでいきます。 人との関係は、友人であれ、家族であれ、同僚であれ、片方が寄りかかったり、あるいは頑 固に自力でがんばろうとするものではありません。それに、これからは「一人が得をすればも 、つ一人が損をする」というしくみで人生を考える必要もありません。健康な関係とは、相互に 支え合い分かち合うものです。 親やきようだいとの関係 自分が回復を始めると、そのプロセスを親やきようだいと分かち合おうと熱心になることが よくあります。けれどたいていの場合、家族はそのような話を聞くと内心で動揺したり否認し たりして、無表情になるか、断固として反論するものです。「いったい何の話をしているの ? 」 「誰の親の話をしてるんだか知らないけど、少なくとも僕の親じゃないね ! ー「なんであんたが 194
1 章過去の痛みの正体を知る るような人間関係や活動に出会えるかどうか ・喪失が積み重なることによる影響。たとえば、親が依存症でしかも子どもを殴る場合、 どちらかひとつのときに比べてトラウマは深刻になる。 ここまで読んできて、たぶんあなたは「確かにそうだけれど、でも : : : 」とつぶやき始めて いるのではないでしようか。「でも、父は悪いところばかりじゃなかった。親として、 ころだってあった」「でも、母が教えてくれたことだってあるし : : : 」というぐあいに 成長の時期にどんな喪失や痛みを経験していても、同時に親から与えられたものだってある でしよう。それは大切にすべき贈り物です。 また、子ども時代の生活の中で次に何が起きるかを少しでも予測しようとし、痛みから身を 守ろうとしてきたことで、私たちは物事に対処していく術をみがき、それは豊かな資質にもな ってきたのです。人生に痛みをもたらす出来事が起こったからといって、私たちが親から与え られた贈り物や、自分自身で身につけてきた強さは少しも損なわれることはありません。 とはいえ、自分の強さを強調しようとするあまり、痛みを大したものではないように扱って 「話すな」のル 1 ルをよみがえらせることがないよう、注意が必要です。自分の中の喪失を認 め、痛みとまっすぐ向き合うことをしない限り、それが引き起こす感情は、しばしば水面下で、
自己否定感を体験し、それを心に焼きつけたのです。 子どもはもともと、親が間違っているとか、親の行動は正しくないといったようには考えな いものです。子どもは、自分にとってどうしても必要な存在である親を拒否することはできな いのです。その代わり子どもは、自分が間違っていて、悪いんだという重荷を背負いこみます。 そうすることで、親の誤った行動をなかったことにし、少しでも安全を感じようとするのです。 その奥で本当は何が起こっているかといえば、外側の安全と引き換えに、心を危険にさらして いるのです。 自分の価値を育てていくはずの時期に、見捨てられ体験にさらされ、しかもその子が自分の 中に境界を確立するチャンスがなければ、見捨てられたことがすなわち「自分に価値がない と言い聞かされることと同じになるのです。それは自己否定感と、怖れをつくり出します。こ 知の事実は、何度も確認しておく必要があります。なぜならそれが私たちの痛みの根っことなっ を 体ているからです。 の 私たちが今、知っておかなければならないのは、見捨てられ体験も境界の侵害も、決して私 み 痛 の たちの欠点が原因ではないし私たちが無価値だからでもないということです。そうではなく、 去 過 私たちを傷つけた人の間違った考え方や、誤った信念、不健康な行動がそこに現われているの 章 です。それでも、その傷は子どもの心と思考に深く刻まれて、私たちは今もその痛みを感じて
・あなたが何かを要求することは、わがままだとみなされる。 ・子どもの言い分を親が信じなかったり、とりあおうとしない。 ・成功を認めてもらえない。何かを達成しても気づいてもらえなかったり、大したことで ないとみなされたり、からかいのタネにされることさえある ・年齢にふさわしくないレベルの要求を突きつけられる。たとえば八歳の子どもに歯医者 の予約を忘れないようにしなさいとか、十二歳の子どもに一日中赤ん坊の面倒をみなさ いと一一口、つなど。 ・子どもは具体的な行動に関して叱られるというよりも、存在そのものを否定されたり存 在意義を否定される。たとえば宿題をやらなかったときに「おまえなんかクズだ」と言 われてしまう。 喪失は必すしも、実際に起きたことが原因ではありません。起こらなかったことからきてい る喪失もあります。 たとえば必要なときにかまってもらえなかったこと。親から「愛している」「あなたは何よ り大切」と言ってもらえなかったこと。さらに、親がまるでこっちを向いてくれないために話せ なかったこと、一緒に遊べなかったことも、見捨てられによる喪失を引き起こします。言葉を