フィリビン ラモス対カトリック ラモス大統領は独裁体制を敷こうと している。これを阻止してくれとカト ソク教会から強い要請があったこと から、上院出馬を決意した 九五年五月行われたフィリピン上下 両院選挙で上位当選を果たし、九八年 の次期大統領選出馬が確実視されてい るミリアム・サンチャゴ元農地改革相 の言葉である。 フィリピン・カトリック教会の全面 的な支援を取り付けているサンチャゴ 氏の存在は、フィリピン経済の建て直 しに奔走する現実政治家、ラモス大統 領にとって、文字通り目の上のたんこ ぶだ。なぜなら同大統領は、フィリピ ンでは少数派のプロテスタントだから
である。 もっとも、フィリピン・カトリッ ク教会の大御所、ハイメ・シン枢機卿が、九二年大統領 選でラモス批判を繰り広げながらも、裏ではちゃっかりとラモス氏に投票していたことがそ の後判明しており、今後の情勢は、いかにもフィリピンらしい宗教的おおらかさで動いてい くのは確実だが : が、それはともかく、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が、「アジアのバチカンーと呼ぶフ 図ィリピンかカトリッ クの一大拠点であることは間違いない。 地 七一〇九の島々から成るフィリピンの総人口は、九五年推計で六七五〇万人。このうちカ 界 世トリックが八五 % を占める。プロテスタントは三 % 、イスラム教徒が四 % だ。比率からいっ 教 クの国といえる。アジア全体を見ても、カトリック信者総数約九〇 ても、圧倒的なカトリッ 〇〇万人のうちの実に半数以上が、フィリピン国民で占められている勘定となる。十 , ハ世紀 から十七世紀にかけて、当時の宣教師たちは、マニラをアジア伝道の拠点として、中国、日 本などへ進出していった。日本の隠れキリシタン訳の新約聖書では、べツレヘムはルソン島 であり、キリスト、マリア、ヨゼフはフィリピン人となっているほどだ。また、フィリピン じゅんきようしゃ の最初の殉教者ロレンソ・ルイスが八一年福者に列せられた時、ヨハネ・パウロ二世は、こ の列福式のため、自らフィリピンを訪れている。フィリピンがバチカンにとっていかに重要 168 す・つきけい
400 台湾 ルソン海飜 中国香港 フィリビン 海南島 太平洋 ナ 目キリスト教が多い地域 ミイスラム教が多い地域 ノヾラワン島 ネグロス島 オ ′スールー諸島 -- - / インドネッア プルネイ マレーシアす多島 フィリピン初の「プロテスタン トの大統領」となったラモス大統 領は、家族計画の奨励だけでなく、 クにはできなかった政策 を打ち出している。その一つが死 ノク教会が 刑制度の復活。カトリ " 反対しているため、アキノ政権下 では憲法で禁じていた。しかし、 凶悪犯罪を根絶するためにラモス 大統領は死刑を復活させたい意向 だという。実際、就任後にも、イ スラム教徒によるテロや、カトリ ゅうかい ソクの修道女の誘拐などが起こっ ている。カトリッ ク教会はそれで も反対するのかどうか
170 であり、また同国が「アジアのバチカンーと称される証左でもあろう。 カトリックが圧倒的多数派であるところから、フィリピンの歴代大統領はアキノ前大統領 まですべてカトリック。マルコス大統領が唯一例外的に「フィリピン独立教会 ( アグリバヤ ン ) 、の信者だった。アグリバヤンは、一八九八年のスペインからの独立の際、「宗教的にも と主張する青年グループによって設立された教会。 独立しなければ真の独立とは言えない もっとも、マルコス大統領も、イメルダ夫人と結婚するに当たって改宗しており、大統領に 図就任した時はカトリックだった。 地 なにしろ立候補者が届け出に行く時も、必ずミサを受けて教会から出かけるというスタイ 界 ク教会は、社会的な部分だけでなく、フィリピンの政治や 世ルをとるお国柄である。カトリッ 教 釜斉こまで深く浸透している。実際、八六年一一月のマルコス政権崩壊、アキノ政権誕生の際 宗辛、 ~ ー とりで 、も、 , 刀 1 「冂 , ッ ク教会が「民主勢力の砦」となり、「ピープルズ・パワ 1 、を引き出した。 ところが、九二年の大統領選は奇妙な事態となった。アキノ前大統領が後継指名したラモ ス氏が宗教的には少数派のプロテスタントだったからだ。この選挙は最終的に七人が立候補 ク。その ラモス氏ともう一人を除いて、残りは全員かカトリッ するという乱戦になったが、 中にサンチャゴ氏も入っていた。 しかし、結局フタを開けてみると、確かにハイメ・シン枢機卿に推された有力候補者ミト
この「穏和性」「多様性」という一一点は、東南アジアの豊かな自然という生活環境とも合 わせ、同地域のイスラムを考えるうえでは、非常に重要な要素となっている。緑したたる地 かれつ においては、草木の一本もはえない苛烈な自然環境の下で誕生した一神教イスラムも、大い に変化を遂げざるを得なかったといえる。マレーシアなどで見られるアニミズム的な精霊崇 拝との妥協、アジア特有の土着慣習とのなれ合いは、しばしば中東のイスラム原理主義者か らは「イスラムからの逸脱」と攻撃されている。だが、①もともと仏教などの土台がある② 図過酷な戒律によって生活を律さなくても生きていけるーーーなどの諸点から、イスラム自体が 地 界変容していったとい、つことだろう。 世 フィリピンからのミンダナオ島 もっとも、イスラムの戦闘性が皆無というわけではない 宗の分離独立を唱えるイスラム教徒モロ族は過去、約三百年にわたるスペインの植民地支配、 しつよう 四十年に及んだ米国統治に対して、執拗な抵抗運動を続けてきた。戦後のフィリピン独立後 も、七〇年に結成されたイスラム過激派、モロ民族解放戦線 ( z ) 、モロ・イスラム解 放戦線 (ä—=æ) が、マルコス政権、アキノ政権に対し、激しい武力闘争を展開した。九六 年九月になってようやく、は自治権獲得と引き換えにラモス政権との間で和平合意 : = = 、ミスアリ議長かミンダナオ自治区の知事選に当選、就任した。だが、 への不信感をあらわにするキリスト教徒も多く、今後のミンダナオ情勢は、決して平穏
エジプトを陰で支えたコプト教の役割 「宗教の博物館」アメリカ合衆国 「欧州統一の尖兵に」 ローマ法王庁の大攻勢 146 「未開」とキリスト教 151 ラマ教の「求心力」 156 イスラムでも統一できない アフガニスタン 161 フィリピンラモス対カトリック イスラム教徒から民族へ ボスニア紛争の原点 172 地球サミットの陰で キリスト教界の「論争」 178 141 167 総選挙で脚光イスラエル「宗教政党」 宗教天国・ニッポンオウムで揺らぐ ! あとがき 193 136 183 188
東南アシアのイスラム を、 しやくねっ イスラム教の聖地メッカ。この灼熱 の地にある聖モスクのカーバ神殿 ( 聖 なる黒石がある ) には、毎年、 ( 巡礼 ) の季節になると、全世界から 膨大な数のイスラム教徒かネ才に言れ る。あまりの礼拝者数のため、 には常に傷病死、混乱など「惨事」が つきものだが、 一九九〇年七月二日の それは、死者推計一四〇〇人という大 惨事となった。メッカの地下トンネル で、巡礼者が折り重なって倒れたため たか、この中にはインドネシア人五 , 二人、フィリピン人三六人、マレーシ ・ア人一九人が含まれていた。この事実 は、イスラムが決して中東、北アフリ 力、西アジアのものだけでなく、東南
営利活動に従事している。 また、中南米以外のフィリピンや韓国などのカトリックにも、「解放の神学」は広がって いる。「連帯」を支援したポーランドの教会にも影響が見られるという。 こうした動きに対して、ローマ法王庁の評価は複雑だ。ローマ法王庁は八四年と八六年に 「解放の神学」に対しそれぞれ「批判」「容認」と受け取られる文書を出し混乱を招いたが、 八八年にローマ法王庁教理省は「自由の自覚ーーーキリスト者の自由と解放に関する指針」を 図発表、「解放の神学」に一定の地位を与えた。 地 界中南米諸国では現実に今も狂乱インフレ、社会不安が続いているが、そんななかでも、急 世進的な「解放の神学」の評価が固まるのはまだまだ先の話である。果たして「魂、とともに 0 「生活」も救えるのか :
ラ氏と大接戦だったとはいえ、ラモス氏の勝利に終わった。これは好意的に解釈すれば、カ ト丿ノクを後ろ盾とした「政教一致」ではなく、宗教とは別次元での「民主主義ーがフィリ きざ ピンにも定着し始めた兆しともみることができる。 ラモス大統領は、就任後、カトリッ クの大統領にはできなかった試みに挑戦している。そ の最大のものが「産児制限キャンペーンー、いわゆる家族計画の奨励である。カトリックは ク 器具や薬品を使った避妊を禁止している。だが、ラモス大統領には、貧困からの脱却のため には人口抑制か必要との判断がある。大統領はまた、エイズ流行を阻止するためにも、コン カ ドームの使用を奨励。当然ながら、こうした動きに教会は猛反発している。 モ ラ九八年の次期大統領選の際には、フィリピンでは再選が禁止されているため、ラモス氏は 。ン後継者として、人口抑制策を推進したフラビエル前保健相を推すと観測され、サンチャゴ氏 との一騎打ちとなる可能性がある。 フ 171
宗教名 分布する主な国 教ローマ・カトリック南欧、東欧、ワロアチア、リトア一ラ、アイルフンド、フィリピン、中南米 スフロテスタントドイツ北部、イギリス、北欧、北米、オーストラリア三ュージーランド キギリシャ正教旧ソ連諸国、プルガリア、ルーマ二ア、新ユーゴ連邦、ギリシャ、エチオピア ニ派中東諸国、旧ソ連中央アジア諸国、アフ々一スタン、パキスタンバン 2 フデシュ、インドネシア、マレーシアスニア 乙スン 序スン ア派イラン、イフワ南部、アゼルハイジャン、イエメン 図 大乗仏教日本、韓国、その他東アジア地域 地 南伝仏教スリランカ、ミャンマー、タイ、カンホジア、ラオス、その他東南アジア地域 教仏 ラ 教中国のチベット地モンゴル ユダヤ教イスラエル ヒンズ 教インド、ネハール 儒教・道教等中国系中国、台湾 その他の創唱宗教インド ( シーワ教、ジャイナ教等 ) 、イラン ( バハイ教 ) 、アメリカ ( モルモン教 ) 等 その他の民族固有の宗教アフリカ、オセア一一ア、南米、ロシア北部等 マ 人口 ( 億 ) 1 2 2 7 0.2 0.3 1.3 1.7 1 8 1.6 4 9