ホメイニ師 - みる会図書館


検索対象: 宗教世界地図
167件見つかりました。

1. 宗教世界地図

問題は、「ガイバ、の最中、だれが信徒を導くかだ。宗教上は、フアキーフ ( 宗教法学者 ) 「イマムの代理人」として、その意図を信徒に伝えることができる。そして、これ を「神の声を聞け」とばかりに最大限利用したのが、肥イマム派の最高位、アヤトラオズマ ( 大アヤトラ ) の地位にあったホメイニ師だった。さらにホメイニ師は、。、 ーレビ王制打倒闘 っちか 争で培った「イマムの代理人、に関する分析を、「べラヤティ・フアキーフ ( 宗教法学者の統 治 ) 。という政治理念に体系化した。だがホメイニ師亡きあと、この「べラヤティ・フアキ 図 ーフ」をめぐり、穏健派と急進派 ( 強硬派 ) との間で、解釈をめぐって大きな対立が生じる 地 界ようになった。「べラヤティ・フアキーフ」の厳格な適用を求め、かって繰り返された「イ 世スラム革命の輸出」にも依然熱意を示すのが急進派である。 宗ただ、その後、九二年春の選挙では、この「イスラム革命の急進派」はほぼ壊滅した。イ スラム教に基づいた統制経済には限界があるし、国民は経済の好転を望んだのだ。ラフサン ジャニ政権もあくまで革命体制内の政権ではあるが、同大統領は「革命の果実を守るために も西側との友好的関係維持が欠かせなし、 ! : 斉復興を図る上では西側資本の導入は不可避」 との判断がある。国民はそうしたラフサンジャニの現実路線を最後の切り札として支持した のである。 しかし、ことはそううまくは運ばない。九二年の夏頃からこの「現実路線」での経済改革

2. 宗教世界地図

イラン・ホメイニ革命の 「遺産」 イランの最高指導者ホメイニ師が死 去してこの六月四日 ( 一九九七年 ) で、 まる八年になる。絶対的な権力を誇っ た同師亡きあとのイランは今、宗教で は最高指導者ハメネイ師、政治ではラ フサンジャニ大統領という「二頭立て 馬車体制」の下で、新たな内外諸政策 の模索に懸命だ。 このうち最も急務とされているもの の一つが、イラン・イラク戦争で疲弊 した経済の建て直しである。 穏健派で現実路線を志向するラフサ ンジャニ大統領は、種々の経済再建計 画を進めることで、市場経済化と西側 への接近を図ってきた。だが、そうし た試みもあまりはかどっていない。

3. 宗教世界地図

「イスラムへの回帰」を唱え革命を実現し、イスラム原理主義を高揚させたホメイニ師の残 あしかせ した「遺産」が、現実路線を進める上で、いまなお大きな足枷となっているのである。 現在九億人以上といわれる全世界のイスラム教徒のうち、八〇 % 以上はスンニ派だ。だが、 総人口 , ハ七二八万人の九九 % をイスラム教徒が占めるイランでは、実にイスラム教徒の八 〇 % 以上が、国教であるシーア派肥イマム派の信徒。ベルシャ湾をはさんだバーレーン、イ 齢ラクでも、シーア派がそれぞれ人口の五〇 % 、六〇 % と多数派だ。シーア派過激組織の暗躍 していたレバノンでは、総人口三七〇万人のうち、一〇〇万人以上がシーア派 ( このうち直 の 接イランの影響下にあるのは三 0 % ) 。歴史的にみて、シーア派の中の主要三派である肥イマム イ派、ザイド派、イスマイル派のうちで、肥イマム派は教義的には穏健派に属する。だが、こ メ れを根本から変えたのがホメイニ師だった。 じよ・つしゅ ン ラ 一九七九年二月、強大なパーレビ王制を打倒し、世界で初めてイスラム革命を成就させた ィー ホメイニ師の理想は、 2 1 イマム派の説く「正義ーをこの世に実現することにあった。同派の 教義は、預言者ムハンマド ( マホメット ) のいとこ・アリーを初代イマム ( 最高宗教指導者 ) と認め、第十二代ムハンマドまでの各イマムを神聖不可侵とする。第十二代は西暦八七四年 に「ガイハ ( お隠れ ) ーの状態となり、これが世の終末に「時の王」として再臨し、唯一神ア ラーの教えに沿った日々を送ることを保証する「正義」をもたらしてくれるというものだ。

4. 宗教世界地図

る。保守派のハメネイ師には、このところ「他の国のイスラム教徒支援」の発言が目立って おり、それがいっそうこの国を見る目を警戒させている。 ーレビ王制下の矛盾を克服するために行なわれたイスラム革命だが、現実の経済の前で でかせ この革命政権も迷走を余儀なくされている。イランからの出稼ぎ労働者が日本で急増してい るのも、そのことを物語っていよう。ホメイニ師は臨終の際、「もっと光を」とつぶやいた 産という。しかし、イランにとっての「光ーはまだまだ先のよ、つである。 の 革 ン

5. 宗教世界地図

・ CONTENTS ・ 序混沌のニ十一世紀の キーワードーー宗教 9 中東諸国に吹き荒れる 「イスラム原理主義」の嵐 27 「無理解」が引き起こした ロシアのチェチェン介入 32 韓国キリスト教パワー 37 イラン・ホメイニ革命の「遺産」 ドイツ統一で変わった キリスト教のバランス 48 ソ連解体で浮上した 中央アジア・イスラム教国 53 42 ール「神」と「神々」の戦い 59

6. 宗教世界地図

凵に広かり、クルド族スンニ派はクルディスタンと呼ばれる北立ロシーア派は南部一帯に大多 数が住んでいる。イラクは、宗教的にはスンニ派、シーア派に二分され、民族的にはクルド 族 ( 一五 % ) 、アラブ人 ( 七五 % ) に大別されることになる。 「統一、自由、社会主義ーを旗印とするバース党と軍部が、一九六八年七月、クーデターで イラクの実権を掌握して以来、当時のバクル大統領、また後継者のフセイン大統領は、この 「モザイク国家」を維持していくため、当初は「脱宗教主義 , で臨んだ。北部ではクルド族 図が既に独立闘争を開始していたが、クルド族ゲリラを支援していたイランのパーレビ元国王 地 ( 故人 ) と七五年にアルジェ協定を結び、クルド族の独立闘争を粉砕する。 界 世しかし七九年のイラン革命が、イラクを取り巻く環境を一変させる。シーア派革命の「輸 教 出」を夢見る最高指導者ホメイニ師 ( 故人 ) 指導下のイランを極度に警戒したフセイン政権 ばっ は、八〇年九月、イランに先制攻撃を加え、ここに八年間に及んだイラン・イラク戦争が勃 発する。革命イランの台頭を恐れる米国など西側諸国、サウジアラビアなど湾岸諸国はこぞ ってイラクに軍事的、財政的支援を与え、イラクは強大な軍事国家となるに至る。国内に多 数派のシーア派を抱えるフセイン政権は、イラクをまとめ上げるため、声高に「イラク民族 主義」を叫ぶ。 「脱宗教主義ーから「イラク民族主義」へと大きく方向転換したフセイン政権は、九〇年八

7. 宗教世界地図

宗教天国・ニッホン オウムで揺らぐ ! ちょうど百年前に日本を訪ねたプロ テスタントのある宣教師は、日本の宗 教事情についてこう記している。 「日本には神道と仏教という二つの宗 教がある。 ・ : 神道と仏教は歴史の長 し間お互いに多様に内的に影響しあっ てきた。民衆の意識のなかでは両者と も大変近しいので、彼らは仏教の偶像 『ホトケ』にも神道の『カミ』にも祈 るし、仏教の『オテラ』にも神道の 『オミャ』にも行くのである」 ( ・ム ンチンガー「ドイツ宣教師の見た明治社 会』 ) この種の指摘は、日本人の宗教観を 亠咄じる際に、これまでも、つ幾度となく 繰り返されてきた。もちろんいまも基

8. 宗教世界地図

にも綻びが目立ち始め、国民の苛立ちをバックにして、ラフサンジャニ批判が高まり出した。 ここでがぜん力を得てきたのが、「経済改革はめざすが、宗教的規範も守る」という保守派 かっ 勢力。保守派はハメネイ師を担ぎだし、次第にラフサンジャニ大統領とハメネイ師の対立と いう形で、この路線争いが表面化してくる。九三年の大統領選では保守派の候補者が健闘し、 現職だったラフサンジャニ大統領は思わぬ苦戦を強いられた。 このような状況下、九 , ハ年三月、第五回イラン総選挙が行われ、保守、穏健両派が激突。 図第一回投票では決着がっかず、同年四月の決選投票にもち込まれた。その結果、保守の「闘 地 う聖職者協会」と穏健派の「建設の奉仕者」の両系議員の議席数が伯仲することになった。 界 世議会運営では若干楽になったかに見えるラフサンジャニ大統領だが、依然として綱渡り的要 宗素が多く残っている点は否定できないだけに、九七年夏の次期大統領選の行方が大いに【冫 される。 こうした国内の混乱にもかかわらず、国際的にはイランの地位は高まるばかり。岸戦争 で中立を守ったことで、西側との関係改善は強化され、湾岸での発一言権も増した。しかも、 ソ連の解体で中央アジアが中東を向き始め、さらにアフガニスタンもイスラム勢力の支配下 に入り、イランとの結びつきが強まっている。また、スーダンも八九年、バシル政権になっ て急速にイランと接近している。このため国際的には「イラン脅威論」がまた急浮上してい ほ一一ろ

9. 宗教世界地図

る。実際、ローマ帝国は「キリスト教国家」へと変質し、やがて教会そのものが政治的なカ せんべい を持ち、国家を動かすようになる。近代においても、植民地経営の尖兵となったのは宣教師 たちだった。もちろん彼らは、「世界の人々を救済する」と考えたのであろうが、キリスト 教社会を広げようというのは、極めて政治的な動きである。 イスラム教は、部族対立が激しく、統一のない当時のアラブ社会で、「唯一神の前の平等」 を実現すべく生まれた。それが、商業的利権や政治権力と結び付いて幾多の王朝が交代した 序のは歴史が示す通りである。あれほど急速に広がったのは、イスラム教が「社会変革の力。 図を持っと思われていたからだ。インドでは、ムガール帝国の時代に、下層カーストの人々を 界 中心に、イスラム教への改宗が進んだという。「唯一神の前の平等」を説くイスラム教は、 世 現実の世界でも新鮮なものに映ったのだ。 仏教も、インドのカースト制への批判から生まれた。万人か等しく吾りを開き、その意味 で平等な社会の実現を指向していた。やがて、中国や日本に伝わる過程では、仏教は明らか に「新しい思想」としてとらえられた。聖徳太子は、この新思想に精通した人物として敬わ れたし、日本でも仏教が国教として国を動かす力となった時代があったのである。 この三つの宗教は歴史が古いため、その後、様々に分化し、しかも自らが実現した社会を 守るために、今度は「保守勢力ーとなる局面も多々あった。しかし、そもそもの本質は、社

10. 宗教世界地図

函館の刑務所で看守を務める私の前に現れた 辻仁成著ト毋峡の光受刑者一名。少年の日、私を残酷に苦しめた、 。海峡に揺らめく、人生の暗流。 芥川賞受賞あいつだ : ・ たびかさなる不幸で不安に陥った妻の心を癒 遠藤周作著夫ョ市の一日すために、夫はどう行動したか。生身の人間 だけが持ちうる愛の感情をあざやかに描く。 黙々と土を揉む焼物師。その正体は、ひとた 北方謙三著降 ~ 麓の . び刀をとれば鬼神と化す剣法者・日向景一郎 最 ーズ第二弾。 妖刀・来国行が閃く、シリ 庫 ューロスターや * O といった超特急、そし 文宮脇俊三著ヨーロッパ失道己一丁てローカル線。欧州大陸を縦横無尽に移動し、 汽車旅の楽しさを央に語る紀行ェッセイ。 朝 この地球に、人々が咲かせた色とりどりの花、 、ロンドンからマラケシュまで、この 兼高かおる著私の好きな世界の街街。。、 年世界を隈なく旅した著者の愛する都市。 当代最強の東京マニア、に跨る / 車 泉麻人著 ~ 果 ~ - 目一車日コル輪の向くままふら 0 と巡り、急速に姿を変え ていく町の一瞬を映した「平成東京風土記」。