いないが、 x x という事情を考慮すると、そう考えるに至る一定の根拠はある」 といった書き方です。具体的には、 「付近の住人に聞いたところ、犯人は周辺の地理に詳しい人物ではないかという声が出ている。 事実かどうかは確認されていないが、犯人が目撃された場所は、最近まで立ち入り禁止になっ ており、出入りが自由になったことを知っていたのは地元住民に限られていたからだという」 といった表現が考えられます。 情報源を明示できない第二のケースは、取材源が組織内部にいるため、身元がわかれば、そ の人物に危険や不利益が及ぶ可能性がある場合です。こうしたときに、「取材源秘匿」がどれ ほど重要であるかは、すでに述べました。ただし、こうした場合に、報道機関が「事実」とし て報じる場合には、書類など不正が行われているという客観的証拠や、告発者とは独立してそる え 一ム の事実を確認する第三者の証言などが欠かせません。その際に、書類の保管者を特定されるな を ど、取材源の身元が割り出されないよう細心の注意を払うのは当然のことです。要は、情報源 を明示できない場合は、情報それ自体が確かなものであることを保証する客観的な証拠や傍証 章 が必要になる、ということです。 第 第三のケースは、自分が直接、情報源から話を聞いてはいても、本人が匿名を条件に語るな ど、取材先との約東から情報源を明かせない場合です。政治家や役所の「高官」はよく、こう
実」として発信されるのではなく、多くの場合は誰かに向け、一定の狙いをこめて流されるこ とが多いのです。最近は、どの国でも首脳の周辺に世論誘導に長けた側近が控え、支持率を維 持するためにさまざまな仕掛けをしたり、人気取りの即興の発一言をさせたりすることが多くな りました。英国のプレア首相の周辺にも、こうした「スピン・ドクター」と呼ばれるマス・メ ディア出身の側近がいて、タブロイド紙に特ダネを漏洩するなど、巧みに世論を誘導すること で首相は高い人気を保っていました。 米国では、一九九〇年代から、テレビを意識した「サウンド・バイト」と呼ばれる発言の手 法が目立つようになりました。わすか数秒間、政治家はカメラに向かって印象的なコメントを 口にします。論理的な整合性や、論拠の提示、説得などとは無縁の「パフォーマンス」といっ ていいでしよ、つ。 ところがこうした短い発言は、限られた時間でニュ 1 スを報じるテレビ制作現場の需要と合 致し、たちまち大はやりになったものです。報道番組では、同じ発言が繰り返し報じられ、 つの間にかその印象が、「既成事実」として独り歩きしてしまいます。政治家は、正面切って 自分の意見を主張するより、気のきいたフレ 1 ズを口にして視聴者を煙に巻く方が、人気が出 るという困ったことになりました。考えてみれば、テレビのワイドショーなどでも、同じよ、つ な発言が幅をきかせています。わずか数秒間のコメントで、いかにインパクトのある印象を残 158
なべて野心家である登山家の名誉心ではないのか。 こうして疋田さんの筆は、遭難を美化しがちな「山男」たちのミエや思い上がりを容赦なく えぐり、「山と下界と、その中間のどこかに一線を引いて」下界からの批判を許さない登山家 の仲間意識が、軽はすみな遭難を招いているのではないか、と弾劾します。 「英雄扱い、お門違い」、「準備不十分の事故死」、「原因の追及もあいまい」という見出しがっ いたこの記事には、当時東大をはじめとする大学山岳部から非難囂々の嵐が巻き起こったとい います。しかし一時期は「山男のロマン」という甘美な幻想のもとに見逃されてきた無謀な登 山に警鐘を鳴らしたという意味では、価値ある報道であったといわざるをえません。 想像するに、疋田さんは初めは山男への追悼の思いを胸に現地に入ったことでしよう。しか し、「ふつう、岩登りで遭難すると、見るも無残なことになる。全身骨折でぐにやぐにや、手 足はちぎれ、顔はつぶれ、脳みそが飛び散って空つほになっていたりする、という話を私はき いていた」。それが、現地に入って「みんな死に顔がきれいだった」という話を聞き、どうも おかしいという、い証に変わっていく 。「仮説」と「現場」の落差から、糸を手繰り寄せるよう に次第に次の「仮説」に向かっていくプロセスは、先の伊勢湾台風ルボと共通しています。遭 難ルボの場合、流麗な筆致で上高地の情景を描く文章から始まるだけに、切り返して「山男」 の甘さを指弾する筆勢の鋭さは、よけいに当事者の胸に食い込んだことでしよう。晩年の疋田 100
ポ記事でした。私はキキが独り、地下鉄モンパルナス駅を降りる場面から物語を始めました。 「当時、地下鉄はモンパルナスを通っていましたつけ」 疋田さんの第一の質問は、冒頭一行目のその情景に関するものでした。しどろもどろになっ た私は、思わず冷や汗を拭いました。地下鉄の歴史は一応調べたものの、一一〇世紀初めの当時、 モンパルナスを通っていたかどうかは未確認だったからです。 別の記者は、やはりパリを舞台にした記事を書き、「見上げると飛行機雲が : : : 」と原稿を 結びましたが、たちまち疋田さんに「確かパリの上空は飛行禁止のはずでしたが」と指摘され、 内心動揺したという話を後に聞きました。このように、疋田さんは文章の綾や表現の襞よりも、 全精力を費やして事実関係の細部の確認にこだわる方でした。 若いころは記者の間で文章家として名を馳せた疋田さんは、後年、「巧みな文章よりも、正む 確に伝えることに大事を置いた無味無臭の文章」を心掛けていたといいます。 社内報に話した「『巧み』よりも『誠』を心に置いて」という聞き書きの中で、疋田さんは、報 報道にとって最も大事なのは「文章の正確さ」だとしたうえで、それは数字や資料の引用の間 違いや不注意のミスをなくすことにとどまらない、と、 しいます。何より大切なのは、「相手の第 いったことを正確に記事にする」ことです。続けて疋田さんはこういいます。「不正確になっ てしまう原因はいろいろありますが、いちばん大きなことのひとつは記者の思い込み、先入観、
国際ニュースの早さと正確さにおいて、比肩できるサイトはありません。 日本の新聞では自分が所属する朝日新聞と、日経新聞だけを熟読しました。一般紙は記事の 配列も内容もほば似ているため、一紙を読めば十分です。週刊誌は、新聞に出ている広告を読 むだけでほば内容の察しはっきます。テレビも、ワイドショーの内容は、新聞テレビ欄の説明 を読めば事足りるでしよう。以前はの定時のニュ 1 スが気になったものですが、今は放 送局もサイトを持ち、時間に縛られてテレビの前で待ちかまえる必要はありません。 他に仕事上、英国紙五紙とヨーロッパ ・ヘラルド・トリビューン。後者はパリに本拠を置き、 米国のニュースと欧州全域のニュースを過不足なく掲載しているため、ニュースの価値を判断 するのに役立ちます。英国紙は国内ニュースを過大に扱いますが、外国ニュ】スには冷淡なこ ともあり、英国紙だけを読んでいると記事のプロポーション ( 釣り合い ) が歪んでしまいがちむ です。そのほかには、米国に本拠を置くニュ 1 ョ 1 ク・タイムズ紙、 ozz のニュース・サイ トも常にチェックしていました。 こうしていくつものメディアをクロス・チェックすると、思いがけない視点がひらけてきま す。日本では大きく取り扱われがちな日米会談やサミットが、外国メディアではごく小さ な扱いしかされなかったり、逆に日本では脇に追いやられがちなイスラエル・パレスチナ紛争 やアフリカ問題が、英国では連日のようにトップ級の扱いをされていることに気づきます。も
てから、そのイメ 1 ジは一変しました。外国の報道記者は、現職の 0—< 職員に接触すること を禁じられ、 ージニア州ラングレーの本部にも立ち入ることはできません。けれど、おおら かといえばいえるのでしようが、退職後の 0—< 職員に取材するのは、比較的簡単です。彼ら 自身、元 0—< 職員や高官の肩書で本や論文を執筆し、寄稿することもあるくらいですから。 ただし彼らも退職時には、現職中の個別の作戦に関する証言や情報提供をしないことを文書で 誓約させられ、論文などの公表にあたっても、当局の検閲が課せられます。 海外で勤務する 0—< 職員は、他の国と同じく、多くは大使館で外交官の肩書をもってステ ーション ( 支局 ) を運営したり、特派員や会社員などの偽装のもとに活動しています。自らが 情報収集活動にあたることは少なく、公開情報を定期的に本部に送る以外は、国内に協力者を 養成して、間接的に情報を入手するのが一般的といわれます。 一般に秘密作戦や謀略を行うのは工作本部ですが、そのスタッフは 0—< 全体一一万一一〇〇〇 人のうち、約四〇〇〇人にすぎません。残りの大半は情報分析、科学技術に関する収集や支援、 行政部門などです。このうち最も充実しているのがスラブ・ユーラシア、欧州、東アジアなど の地域別、科学・武器、資源・通商などジャンル別に区分された情報本部です。私が取材した 0*< 元職員の多くはこの分析部門の出身者で、その実態は、地域の一一一口語や歴史などに詳しい 研究者や、科学技術などに明るい研究者などの専門家集団でした。大学や研究所に籍を置いて 140
ありませんでした。最も問題になったのは、「この記事が掲載された場合、米軍の部隊を危険 にさらす可能性がないか」という問題でした。アフガニスタン攻撃に際して、米軍はもちろん 「自軍」ではなく、第三者の関係です。しかし、取材源にとっては、「利敵行為」として後で当 局者に責められる余地がまったくないとはいえません。そのときには、取材源を危険にさらす 恐れがあります。しかし、取材源に確認したところ、当時 ozz は、特殊部隊がすでにアフガ 6 旅客機競争、わき役の日本 3 肉骨粉の流通禁止を検討 ; ! : ネの 野客機メーカーは、米】なぜ情まれる一米の自間で 4 「 炊の 2 強が中・第機ドあき 帋り、小当、はカナてラ 3 「次世代携帯、あす実用に ッロンやもデ 筆 ラジルの新勢力が歩を第町田の 4 人焼死は放火か アテ , ′ンを く・大争時代に、「い航 療はお姦のま。柔道 - 金あ猪熊叨氏死去 え 「長ーンをさふ ~ 地英メディアは、すで ~ る - 一とルじている ' 米ーディアン ( きは一な心理・療報載の強を ~ りかけるをられ ( に国の物がアフ村はそれを物辷してい一な内の一 ~ 定的な ~ し始めを 云 偵察米兵を 最初の第定攻物は、タリ 、 0 「 0 逮補の報道 ~ 「ー日 う物を小していを ~ イロ】言小を保 第は今回の国際贏】カタールの物獗テ用月 - テロ製とのいを一多〔」局アみジャジーっが幻一 元 ~ 行 ~ 置つけ ( 報じたと 0 ろ」よる隹一 目標は軍事拠点 ており、は第硬家 " 上、興物の望一み ~ 事い動には損勢を見 ( らり擘 ~ みアフお 撃年 せてい二無物 = 三タンのリハ ! 報機外名国権によって翹されを 対アフガン救援物資投下も 第め付けなど。入は国の市民物、ノ 0 の語動を総 0 的つア 2 ~ ン人 2 亠ととも 日新承ⅱ、外 ( 加ら物 ~ 徽によると、米滝は一沖にアツをタ・一の重事点を第設物す′黻阜第え ガ聞 都い、パキスタン・シ 第最刊ジリ . イ大の ~ ・すな蘇にみ切る響合には第第 0 民を 2 電ける一方、ア三試ヌン国 フ新 アフガンへ物資 ) らルから、アフをス ( 2 ・ 3 ・ 4 ・ 6 ・駅・局保記事 ) 出えはロ ( で、ン多イ第ーア日 米から外 - い : ラディン崢の事一がある・ ~ ドそいな逆に - これはにあ ~ ~ 二 一ドに立け当発したⅡ写 の朝 聞 ~ 「第は、素哢在 0 ドたものに望 ( ルや戦臨物機や使 ~ ~ 」地には、食料な」ける報を明確にしてテ 木村 3 測ル繖从金 ~ 日物境の険し餮道 ( がな ( - いの主響 ( っていをリバー、あ ~ 設撃を見られるが、湾ヂ第する物をしつつあ製の立化を図る ~ ( ュニセ ? の支物竇一では、茎の三朝 新物さ定したすサマ・事第 2 含まれる可能 ( 6 上う ~ 夜模第を 々ャ組磁をかくまう を積んたトうツツ物台が一する、 米事 2001 年は成 13 第一 9 月 30 日 E 曜 9 米、限定攻撃の準備完ア 紙面から 一三ロ 177 第二章情報をよむ
がなくとも、銀座の書店や神田の古書店、国会図書館に行けば、その日のうちに手に入りまし た。このため、私は蔵書は持たず、読み終えた本はすぐに人に差し上げるか、廃棄することに していました。後述するように、毎日膨大な資料が入ってきますから、それでも机の上は取材 ノートや書類の山で、とても蔵書をもっ贅沢は許されなかったのです。入社後、自分で何冊か の本を書く機会に恵まれましたが、さすがにその執筆には本棚ひとつほどの参考書を手元に置 く必要がありました。しかし、本を書き終えてしまえば、すぐに参考書は処分してきました。 それらの本で私が必要とした関心のエキスは、自分でまとめた本に凝縮されていると考えたか らです。 余談ですが、蔵書を持たなくなったのは大学卒業以来です。実は私は学生時代、無類の本好 きで、古書店主が経営する安アパートに下宿したほどです。本を読み終えると表通りの古書店 に持ち込み、別の本を買う。土木作業のアルバイトをしては全集を買い、飲食代を節約しては 文庫本を手に入れる、といった具合でした。蔵書は数千冊を下らなかったでしよう。新聞社へ の入社が決まり、私は蔵書を郷里に送ろうと、知人に駅までトラック搬送を頼みました。とこ ろがその夜、路上に放置してあったトラックの荷台から、数十箱の段ボ 1 ル箱が消えてしまっ たのです。文字通り汗水流してようやく買ったニ 1 チェ全集や、数カ月節約した末に古書店か ら手に入れたシュールレアリスムの絵入り原書など、背表紙に思い出を刻んだ本ばかりです。
「備忘録」と「日記」の分離 「情報を読む」の章の最後に、私なりの日々の情報管理についてご紹介をさせていただこうと 思います。 先に書きましたように、日々の仕事の上で、私はできるだけ書籍や書類を処分し、「インデ ックス情報」だけを残すようにしてきました。書籍は人に差し上げ、必要になれば図書館や書 店で入手する。新聞は読んだら捨てて、必要があればデータ・べースで確認する。書類も処分よ し、細部を確かめたければその作成者や担当者に聞く。取材メモはの紙にワープロで打ち 直し、「短縮版」だけを残すようにする。一言でいうと、自分の手持ちの情報在庫は最小限に 章 し、物としての情報はできるだけ捨てる、というやり方です。 第 こうした日々の仕事とは別に、私生活を含め、毎日の出来事を何らかの形で記録し、残して おきたい、ということがあるでしよう。数年前に会った人の名前を確かめたいということもあ 4 プライベート情報は ?
わかりやすさ、正確さ、美しさ 文章にはさまざまな種類があります。詩歌などの韻文もあれば、随想や小説などの散文もあ ノソコンや電気製品などの使用説明書もあ ります。ファスト・フードのマニュアルもあれば、。、 るでしよ、つ。 では、こうした文章の中で、「情報を伝える」文章はどこに位置づけられ、他の文章とどこ が違うのでしようか。こうしたことを考えるために、私は以前、文章の三つの要素を頂点とす る正三角形の図式を書いてみたことがあります。 三要素とはこの場合、あらゆる文章に共通する「事」「理」「情」ではなく、文章のジャンル る によって異なるそれぞれの特徴のようなものだとお考えください。 え 云 それは「わかりやすさ」、「美しさ」、そして「正確さ」です。新聞記事など、「情報を伝える を 文章」は、この正三角形の三頂点のどこに位置づけられるとお考えですか。「正確さ」か、「わ報 かりやすさ」とお考えの方が多いのではないでしようか。 第 私が出した答えは、「わかりやすさ」です。「新聞記事は正確さを目指しているのではなかっ たのか」と疑問に思う方もおられるでしよう。もちろん、記事に含まれるデータや事実は正確 でなければなりません。しかし文章の「正確さ」とは、それとは違って、「一義的にしか解釈