大量に頒布し、世界の報道機関にビデオ映像を送るなど頻繁に情報を流しました。 こうした大手広告代理店の介在は、その後の紛争でも続いています。九〇年代前半には、旧 ューゴから離脱した小国ボスニアが米大手広告代理店のル 1 ダー・フィン社を雇い、セルビア を相手に世論形成を図りました。同社が政府声明の下書きを作ったり、代表団に加わって国際 会議に乗り込み、外交まで差配するにいたった経過は、ディレクター高木徹氏の優れた ノンフィクション『ドキュメント戦争広告代理店』 ( 講談社 ) に活写されています。 プリュッセル自由大学の歴史学の教授アンヌ・モレリ氏は、その著書『戦争プロバガンダ川 の法則』 ( 永田千奈氏訳、草思社 ) で、英国の平和主義者ポンソンビーが第一次世界大戦で分析 した戦争宣伝の川のレトリックを紹介しています。以下に引用してみましよう。 1 われわれは戦争をしたくはない 2 しかし、敵側が一方的に戦争を望んだ 3 敵の指導者は悪魔のような人間だ 4 われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う 5 敵は残虐行為に及んでいる 6 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている 171 第二章情報をよむ
実はなかった、と断定しました。当時調査にあたったアジズ・ ハマド氏は私の取材に対し、 「目撃者一人ひとりにあたったが、いすれも証言を翻した。解放後のクウェートで全病院の医 療関係者に尋ねたが、殺戮を確認した人はいなかった」と話しました。アムネステイも現地調 査の後、「殺戮には信頼に足る証拠はない」として、先の報告を取り消しています。 こうした宣伝の影響は大きく、九一年に五票差で米上院を通過した戦争授権決議では、六人 が「新生児殺戮」を賛成の理由にあげていました。 今となっては、だれが「偽」の証一言をさせたのかはわかりません。しかし、戦争にあたって は、こうした「残虐行為」に関する証言や検証できない噂、流言などが飛び交い、世論形成に 大きな影響力をもっことは心に銘記すべきことでしよう。報道にあたっては、扇情的な扱いは 避け、できるだけ傍証や裏づけを取るよう努めなくてはなりません。 戦争宣伝のレトリック 湾岸危機に際しては、米在住の元クウェート教育相らが中心となって「自由クウェートのた めの市民連合」が結成され、米国の大手広告代理店「ヒル・アンド・ノールトン」に反イラク のキャンペーンを依頼しました。市民連合を名乗りましたが、約一二〇〇万ドルの資金の大半 は、クウェート政府の拠出でした。この代理店は、侵攻の際の残虐行為を記した本を印刷して 170
を決めておいて、その決定に有利な情報だけをつまみ食いしたり、情報にわざと強弱をつけて、 政策を決める理由を補強したりしてはならない。そう彼らは主張します。情報はあくまで、政 策とは独立して扱われるべきだ。そうでなければ、正確な情報提供などできはしないし、情報 を収集・分析する意味すら失われてしまう。正確な情報とは、自動車運転や飛行機操縦に必要 な計器のようなものです。順調に運行しているのかどうか、進路は正しいのかどうか、計器そ のものが恣意的に操作されてしまえば、運行そのものの異常をチェックできなくなってしまい ます。 その第一一は、為政者や情報の提供先に有利な情報だけを流すのではなく、あえて不利な情報 も流す、ということです。権力者は往々にして、耳目に心地よい言葉を求めがちです。さすが に今は、不利な情報を直言する使者を、「不吉」だからといって切り捨てる愚かな支配者はい ないでしようが、諌言や批判よりも、甘言やおべつかを受け入れやすいのは、独裁者に限らず、 世の人の習いでしよう。 一般に、ある組織で高位になるほど、あからさまに批判する下からの声は届きにくくなるも のです。一つには、高位になるほど、批判をそれ以前よりも多く浴びやすいという事情がある のでしようが、かっては謙虚に批判に耳を傾けていた人が、ひとたびある地位を得ると、急速 に自己防衛の壁を厚くし、批判に対し驚くほど鈍感になっていく様は、見ていても痛々しくな 142
注意すべき点を述べましよう。 一つは、多くの場合、オプションには「現状維持」という項目が含まれる、ということです。 政策決定といえば、何らかの政策変更を連想しがちですが、「現状を選び直す」という「現状 維持」の道も、つねに念頭に置かねばならない選択肢の一つです。 第二は、こうした選択肢の手法は、「想定される限りの可能性を網羅した一覧表」であると いうことです。政策は、思いっきや、行き当たりばったりの状況対応的な弥縫策ではなく、あ らゆる可能性を考え尽くした末の最良の選択でなければならない、という米国流の考え方が、 その基本にあるといえるでしよう。 第三は、政策決定は一連のオプションの連鎖であるということです。先の例でいえば、日米 安保条約の扱いがまず第一のオプションとして提示され、そのうえで在日米軍全体をどうする のか、沖縄返還のタイミングをいつにするかという決定を迫ります。この順序は、政策決定に おける優先順位を示しており、ある決定の先に、次々に道が枝分かれをするという構造になっ ています。ある政策を逆にたどっていけば、政策決定権者が、なぜ、どのようにこうした政策 を決めたのか、論理のプロセスが一目でわかる仕組みです。その政策が結果として間違ってい れば、どの枝分かれで誤ったかが点検できるという意味では、政策の設計図、あるいは配電盤 のような役割を果たすといってよいでしよう。 128
・「 OOC 」 1 中国は、当初から「第七章」という文言に難色を示し、ロシアを巻き込んで反対の論陣 を張った。中国にとっての最大の外交目標は「第七章」の引用で安保理が強制行動のプロ セスに入り、「制裁」に踏み切ることを回避することにあった。結果として「第七章」の 文言は外され、「制裁」の色彩も薄らいで骨抜きにされた。 容を強めたが、他の理事国の賛同を得られなかった。中国はやむなく口シアと共同で対抗 決議案を準備し、日米が「憲章第七章を引用しない」という妥協案を示したために、これ をのまざるをえなかった。五度にわたる妥協をしながら拒否権を行使できなかったのは、 窮地に追い詰められた中国の外交上の敗北を意味している。 3 決議案採択にあたって中国代表は、「大きな危機ではあるが、慎重かっ建設的な対応を するべき。過剰反応は地域の安定を損なう可能性がある。今回の危機では初めからいくっ かの国の過剰反応があった」と、暗黙のうちに日本を批判した。これに対し日本代表は、 「今回の危機は日本と地域における重大な懸念である。とりわけ日本は最も大きな危機に さらされている。国土が大きく、核保有している中国とは立場が違う」という趣旨の反撃 をし、一歩も引き下がらなかった。 119 第二章情報をよむ
米国流分析の技術、「」と「 ooc 」 かって戦後の日米関係の歴史を調べるために、米国立公文書館で機密を解除された膨大な公 文書を読んだことがありました。 米政府には、公式の報告書や電信、会議の議事録、会談記録ばかりでなく、電話の交信内容 やメモに至るまで、あらゆる文書を保管し、一定の審査を経て三〇年後に公開する伝統があり ます。強大な権力の集中を、時間を経て透明化することによってチェックし、政策決定の是非 の判断を後世の人々に委ねようとする姿勢といえるでしよう。 ところで、そうした文書を読むうちに、米国の公文書にはいくつかの特徴があることに気づ きました。ここでは大きく、二つの点を指摘しておきましよう。 第一は、「」と「」です。見慣れない単語だと思った方も多いでしよう。私も、 公文書に頻出するこの用語に、最初は戸惑って辞書を引きました。「」はラテン語でよ 報 「〇〇のために」という一一一一口葉に由来し、「賛成」を意味します。「。」はラテン語の「。 情 」に由来する言葉で、「反対」を意味しているそうです。 章 米国務省や米国防総省は、公文書で情勢分析をする際に、この「。」と「。」をよ第 く使います。ある出来事を分析する際に、その見方を支持する事実を「。」の項目に掲げ、 否定する事実を「。」の項目に分類するというのが、代表的な用例でしよう。
運の尽きでした。二人はその年の総選挙の公選法違反容疑の第一号として現行犯逮捕され、所 轄署に送られました。 すぐに一一人は隔離され、徹夜で取り調べを受けました。氏名、本籍、生年月日から始まり、 克明に当夜の行動を取り調べられ、いわゆる弁解録取書を取られたわけです。初めは当直の巡 査部長、次に課長らしき人物が登場し、最後には肩章にモ 1 ルがついた警察官が厳めしい顔を して目の前に座りました。 警察の御用になるのは初めてでしたから、こちらには何の準備もありません。自分たちは酒 を飲んでたまたま路上に引きちぎられたポスターを見つけ、家に飾ろうと持ち歩いていただけ だ、と正直に話しました。こちらは含むところがないので、ただ虚飾を交えずに実際の行動を 告げただけです。 夜が明けて、実費でカッ丼を取って食べ、解放されて警察署を出たところで友人と会い 人で大笑いしました。もともと公職選挙法に違反するつもりもなく、ただ酔った勢いで、面白 半分に破れたポスターを拾っただけだったのですから。ただ、その後友人と取り調べの内容を 話し合ううちに、さすがの極楽トンボの私でも、冷や汗が流れるのを感じないわけにはいきま せんでした。いわば尋問の初歩的なテクニックを、思い知らされてヒャリとしたわけです。 原則の第一は、問題となる人物 ( この場合は私と友人 ) を隔離することです。それぞれが示 108
ところで入社研修の際に、ある先輩記者は「複数の取材先からウラを取れ」といった後、続 けて私たち新人に、次のような教訓を垂れました。「複数の証言が一致したからといって安心 するな。複数が異ロ同音に同じ情報を語ったら、今度はロ裏を合わせている可能性を疑え。同 じ出来事を目撃しても、見る角度が異なれば、証言は違うはすだ」。 まことに、新聞記者というのは困った人種です。どんな証言が得られても、「さらにその先 を疑え」、と身構えてしまうのですから。懐疑心といえば聞こえはいいのですが、それが猜疑 心になってしまうと、今度は胸襟を開いて付き合おうという人を、友にできないことになって しまいます。猜疑心を懐疑心に引き上げる精神的な努力を怠れば、情報は得られても友人のい ない寂しい人生を送ることになってしまうでしよう。 む っ 矛盾を衝く を 学生時代の、恥ずかしい思い出をお話ししましよう。一九七〇年代前半のことです。友人と報 酒を酌み交わし、酔余の勢いで表に出て散歩しているうちに、当時話題となっていた田中角栄 章 氏の選挙ポスターが引きちぎられて路上に散乱しているのを見つけました。これを持ち帰って第 アパートの壁に貼ろう。酔っ払った二人はなぜかそう意気投合し、大事に紙片を抱えて家路に 就きました。間の悪いことにアパートへの方角を見失い、交番に道順を聞きに立ち寄ったのが
報を統括する < 市医療課長か部長に聞くのが最も近道でしよう。 しかし、こうした考え方には意外な落とし穴があるものです。多くの情報は、現場から中間 段階に向かい、次第に分析・加工されながら、最終的には組織の上層に吸い上げられます。現 場や中間段階から個別に情報を得るよりも、各地の情報を集約した中枢の情報を取る方が、よ り大きな全体像をつかめます。 かりに >< 村では診療所とは名ばかりで、医師が複数いる総合病院なのに対し、村では医師 が一人で細々と営む診療所であったなら、それらを同じ分類で比較することにはどれだけの意 味があるでしよう。また、もし村では実力者の村長がすべてを牛耳り、不祥事などが表面化 されない雰囲気であることを知っていたなら、 >* 村だけが目立って好成績というデータが発表 む されても、その結果を鵜呑みにしてはならない、という警戒心が働くことでしよう。こうした っ ことは、すべて現場に行かなければわからないことです。 を 報 つまり情報力とは、あがってきた情報の信頼性や正確度、意味合いを全体の文脈において判 情 断する力であり、情報を土地勘 ( 土地鑑 ) においてチックする力です。現場に行ったことが章 なければ、本当の意味では情報を精査することはできません。新聞記者が、「ともかく、一刻第 も早く現場へ行け」というのは、伝聞で誰かから聞くよりも、現場ではより正確で、豊かな情 報が無数に転がっているからなのです。これは、
とつに、「すでに読者が知っていることを七割書け。ニュース部分は三割でいい」という一一一一口葉 がありました。記者は取材を進めるうちに、その分野での基本知識を身につけ、いつの間にか 普通の人よりも「通」になっていきます。しかし、その分野での真の情報のプロではなく、 「半可通」になっているにすぎません。いつばしの専門家を気取って記事を書けば、普通の読 者には理解が難しく、真の専門家にとっては物足りない読み物になってしまいがちです。すで に知っていることを書けば、読者は「ああ、あのことを書いているのか」と気楽に読み進み、 三割の部分のニュース性を自然に理解できる。それが疋田氏の教えでした。 編集長としての私の役割は、読者の立場にたって、個々の記者に質問することです。 「その意味がよくわかりません」 「もっと丁寧に説明してください」 「本当にそのニュースは確かですか。裏付けは何ですか。あなたの個人的な見立てに偏って、 本筋を見失ってはいませんか」 こう問い続けることで、個々の記者は再度情報のプロたちにあたって正確度を高め、読者に 理解しやすいかたちで記事を磨きあげることができると信じているからです。 そのためには、編集長はむしろ、生半可な専門知識をもっていないほうがいい。半ばは不勉 強な自分に都合のよい言い訳と感じながらも、そう思いながら仕事をしています。 23 第一章情報をつかむ