しかし、プレア政権も、この間の調査をめぐって大きな痛手を受けました。は、イラ ク政権内の高官から、「イラクは命令から四五分以内に、大量破壊兵器を実戦配備できる」と いう情報を得ていましたが、 その情報を傍証する物証や、他の筋からの裏付け情報は得ていま せんでした。この重大情報を政府報告書に盛り込むかどうかにあたっては、英軍情報部の大量 破壊兵器専門家からも懸念や疑問が表明されていたのに、結果としてこうした疑義を押し切っ て、政府が報告書を公開していたことも明らかになりました。また「四五分情報」は、イラク 領土内で使用する戦術兵器に関する情報でしたが、報告書ではこの点をあいまいにし、あたか もキプロス駐留軍など英軍そのものを脅かす戦略兵器と誤解されるような表現をとっていまし これらの点を考え合わせると、政府はのいうように、「意図的に情報を誇張した」と まではいえないにしても、「情報を政治化」した疑いは大きい、といわざるを得ません。イラ ク攻撃を是認する国連安保理決議が採択されなかったため、プレア政権は、この大量破壊兵器 の脅威を強調することで、米国とともに先制攻撃に踏み切りました。周知のように、戦争後、 イラクから大量破壊兵器が見つからなかったために、米英は戦争の正当性をめぐって守勢に立 たされ、国際社会から「情報の政治化」を非難されることになりました。報道の細部には間違 いはあったものの、は報道の「独立性」を保った点で、本来の使命を全うした、といえ 148
ズ事件」です。これは、報告書作成に携わった人物がタイムズ紙のニール・シー ハン記者に報 告書を渡したことがきっかけでした。タイムズ紙は記者を総動員してホテルのフロアを借り切 りにし、警備員に守らせて報告書を読み解き、政権から訴追されるのを覚悟でスクープを掲載 します。いったんは裁判所に掲載差し止めを命じられますが、他紙が報告書の公表に動いたた め、世間にベトナム戦争での秘密工作が知られてしまいました。 そのスク 1 プを放ったシ 1 ハン氏に、インタビューをしたことがあります。告発者ダニエ ル・エルズバーグ氏は自分で名乗りをあげたため、世間周知のこととなりましたが、私がその 彼の名前を挙げて質問したところ、返ってきた答えは「取材源秘匿の原則がありますから」と いうものでした。かりに取材源が自ら名乗っても、その確認には応じないというのが記者の常 識です。 「ペンタゴン・ペー 1 ズ事件」の翌年、ニューヨーク・タイムズ紙に先行された対抗紙のワ シントン・ポストが「ウォーターゲート事件」報道でスクープを放ちます。ウッドワードとバ 1 ンスタインという二人の若手記者が足で稼ぎ、調査報道でニクソン大統領を辞任に追い詰め ていく過程は映画にもなりました。九〇年代初めに、そのバーンスタイン記者に話を聞きまし たが、もちろん取材源の「ディ 1 プ・スロート」については、「その人物が死んだときにしか 話せない」という原則を貫いていました。しかし〇五年五月、副長官だったマーク・フ 79 第一章情報をつかむ
実はなかった、と断定しました。当時調査にあたったアジズ・ ハマド氏は私の取材に対し、 「目撃者一人ひとりにあたったが、いすれも証言を翻した。解放後のクウェートで全病院の医 療関係者に尋ねたが、殺戮を確認した人はいなかった」と話しました。アムネステイも現地調 査の後、「殺戮には信頼に足る証拠はない」として、先の報告を取り消しています。 こうした宣伝の影響は大きく、九一年に五票差で米上院を通過した戦争授権決議では、六人 が「新生児殺戮」を賛成の理由にあげていました。 今となっては、だれが「偽」の証一言をさせたのかはわかりません。しかし、戦争にあたって は、こうした「残虐行為」に関する証言や検証できない噂、流言などが飛び交い、世論形成に 大きな影響力をもっことは心に銘記すべきことでしよう。報道にあたっては、扇情的な扱いは 避け、できるだけ傍証や裏づけを取るよう努めなくてはなりません。 戦争宣伝のレトリック 湾岸危機に際しては、米在住の元クウェート教育相らが中心となって「自由クウェートのた めの市民連合」が結成され、米国の大手広告代理店「ヒル・アンド・ノールトン」に反イラク のキャンペーンを依頼しました。市民連合を名乗りましたが、約一二〇〇万ドルの資金の大半 は、クウェート政府の拠出でした。この代理店は、侵攻の際の残虐行為を記した本を印刷して 170
沈んでいる。奇妙なことだ。工場の機械や製品の方が、それをつくる人間よりも、防水完備で 貴重品のように扱われている : : : かに見える。これは、どういうことなのか」。 こうして疋田さんは、幹部と平社員の住宅地の間、山の手の団地と木造平屋建ての市営住宅 の間に、大きな被害の差があることを淡々と報告し、「ふだんは気がっかない世の中の矛盾や、 非情さ」が、今回の名古屋市では強調され、むき出しになっている、と報告します。五〇〇〇 人以上の死者を出した大災害に貧富や社会的な地位の差が如実にあらわれることを指摘した、 最初の災害報道記事だった、といってよいでしよう。 この記事がどれほど大きな意味を持ったのか、災害当時に三重県庁を担当する記者だった藪 下彰治朗編集委員が、一九八八年の社内報に書いた「抜かれた記事の痛み」という文章をご紹 介しましよう。藪下さんは「知らないで抜かれたニュ 1 スの記憶は、実のところ、あんまり痛む っ みを残さない」と書き出します。「だが、いわゆるク面前のスク 1 プクの痛さは骨身にこたえ を て残る。少なくはないそんな記憶の中に、年を経るほど、抜かれた理由の重さがわかってくる報 特大の例がある」として、疋田さんのルポ記事に触れます。「国も自治体も臨海大工場も、鎌 章 倉時代以来とかの天災で不可抗力だといった。災害の規模とすさまじさは、その何よりの裏付第 け、と見えた」。藪下さんは、続いてこう書いています。「何を書いても大きく載る。悲惨な光 景や挿話は無数にある。未曽有のク天災の恐ろしさと、それに巻き込まれた人たちのク運
われ、そこそこに仕事ができるというイメージの「ストライク・ゾ 1 ン」が抜きがたく存在す るのです。多くの場合、東京にいるデスクはそのゾーンを指示し、要領のいい特派員 ( 投手 ) は、その圏内にポールを投げます。直球であれ変化球であれ、その圏内でなければ勝負できな いことを本能的に直感するからです。 しかし、そのストライク・ゾーンは、既存のイメージでつくられた仮想の空間にすぎません。 実際には、日本人の既存のイメージの圏外で起きる事件や事故がほとんどなのです。東京のデ スクはふつう、や日本の通信社の速報、ロイタ 1 など外国通信社の報道をチェックし、 現地の情勢に「あたり」をつけながら仕事をしています。現地に入った特派員の取材範囲は限 られていますから、他社の情報が一致して自社特派員だけが違う情報を送る場合には、どうし ても多勢に無勢、他社情報を重んじがちです。そうした時には、「他社がこう報じているから、 その情報を確認しろ」という指示が飛んでくるでしよう。もちろん、確認作業をするのは当然 です。しかし、その情報が確認できない場合は、決して他社情報に合わせた報告をしてはなり ません。東京で得られる他社情報は、ある意味では「仮想空間」の変種にすぎず、自分の目で 確かめた情報ではないからです。 湾岸戦争の教訓 102
「オプション」とは何か こうした「」と「」の考え方を、過去の情勢分析にではなく、将来の政策決定 の場に持ち込むとしたらどうでしよう。それが米公文書に頻繁に登場する「選択肢 ( オプショ ン ) 」という手法です。 米国では、ある政策を決定するにあたっては、決定権者に対し、複数の選択肢 ( オプショ ン ) を提一小し、どの政策をとれば、どのようなメリットやデメリットがあるのかを予測してお くのが、ごくふつうの手順です。 具体例で説明しましよう。たとえば米国のニクソン大統領は就任後間もない一九六九年一月、 対日関係と沖縄返還に関する検討に入るよう指示し、関係省庁が三カ月後に報告書をまとめま した。大きな論点は一一つ。一つは七〇年に期限が切れる日米安全保障条約を継続するかどうか。 もう一つは、沖縄返還をすべきか。もしするとしたら、その時期はいつがよいのか。返還は米 軍の行動にどのような影響をもたらすのか、といったことでした。詳細は省きますが、後に公 開された報告書の最終案は、「選択肢 ( オプション ) 」の形で提示されていますから、一つの典 型例として、その結果部分だけを引用してみましよう。 124
った。研究所は今後も犯罪発生率と治安意識の関係を調べる。 前者では、「中規模都市」の治安悪化の意識の高さを強調し、後者では「規模によって治安 意識が異なる」点を前面に押し出すため、大中小の結果を並べました。いずれの場合でも、 〇文章の要約を冒頭に書く。 〇文章は複文を少なくし、センテンスはできるだけ短くする。 〇文章の中に多くの数字を詰め込まない。数字はできるだけ文章で説明する。必要な数字は 図表化するなどして文章外に押しだし、簡略化する。 〇結論は、冒頭の要約と合致する内容にする。 といった工夫が必要です。例文のような短い文章であっても、数百ページに及ぶ報告書であ報 っても、原則は同じです。欧米の報告書では、分厚い本文とは別に、「エグゼクテイプ・ペー パー」と呼ばれる一、二ページ程度の要約版や、「ファクト・シート」と呼ばれる「基本情報第 一覧」をつけるのが一般的です。読者は要約版を読んで概要を頭に入れ、必要な箇所を本文で じっくり読むことができます。また、「基本情報一覧」があれば、何が「ファクト」であるの
て先入観を醸成したりする方法です。もう一つは、報道機関に「検閲」を課し、自分に不利な 情報が流れないように制限する方法といえるでしよう。 民主主義国家では前者が、独裁国家では後者が使われがちですが、ときには体制のいかんを 問わす、両方がセットで使われる場合もあります。典型的な例は、戦争でしよう。 一九九〇年の湾岸危機から翌年の湾岸戦争にかけての時期には、米国・クウェート、イラク の双方が、これらの手法を駆使し、「情報戦争」とでもいうべき心理作戦を展開しました。イ ラクがクウェートに侵攻した後の九〇年一〇月一〇日、米下院人権幹部会では、クウェートの 病院から脱出したという女性が、「イラク兵は病院に来て、保育器に入っていた乳児を取り出 して放置し、殺害した」と証言したことがあります。しかし湾岸戦争をめぐる宣伝工作を調査 したハー 1 ズ・マガジン発行人のジョン・マッカーサー氏は九二年、著書『第二の戦線』 む ( 未訳 ) などで、涙ながらにその証一言をした女性「ナイ 1 ラ」が、駐米クウェート大使の娘でよ 報 あったことを暴露しました。 情 新生児殺戮をめぐっては、九〇年一一月の国連安保理公聴会でも、クウェートの外科医が、 章 「私は、保育器を外されて死んだ四〇人の幼児を埋葬した」と証言し、アムネスティ・インタ 第 ーナショナルも一二月、三〇〇人以上の新生児が殺されたという報告をしています。しかしそ の後追跡調査をしたニューヨークの人権団体「ヒュ 1 マン・ライツ・ウォッチ」は、殺戮の事
ここに出てくる「位置情報」というのは、自分が立っている「いま、ここ」という位置に関 する情報をいいます。「いま、ここ」に自分がいることは当たり前ですし、それが重要とは思 えないでしよう。しかし、たとえば自分がまったく行ったことのない町、経験したことのない 場面に遭遇した時、あなたにとって最も重要な情報とは何かを想像してみてください。それが、 「いま、ここ」という位置情報です。 一九九五年一月、私は阪神大震災の初日に現地入りをし、神戸で一年近く取材をしました。 震災から一週間ほどたって、神戸支局の同僚と話して意外に思ったことがありました。何人か の支局員が、早朝の揺れで目覚め、周囲を見渡した時、同じような感想を持ったといいます。 「目の前でこれだけの被害が出ているのだから、東京は壊滅したのではないか」。異ロ同音に語 ったのは、そうした感想でした。実は、神戸がこれほどの被害に見舞われているという事実は 初期段階では放送でも速報されておらず、警察・消防も自分たちが被害にあったため、 本部に報告をあげるのが遅れてしまいました。こうした場合には、受け身で報告を待つのでは なく、偵察を含む「積極的な情報収集」をするのが常道ですが、ここではその点に深入りしま せん。 大切なことは、情報を得る人が、全体の文脈のなかで、自分がいま、どのような場所にいる のかを明確に認識しておくことです。これは、自分が得た情報の正確さや意味、客観性を測る
情報の「幹」と「枝葉」 前の章では、どのように情報を収集するかについて書いてきました。この章では、入手した 情報をどのように分析し、管理していくかについて、私なりの経験をもとにいくつかのヒント を述べさせていただこうと思います。情報分析といえば堅苦しく響きますが、実は私たちが 日々、日常で行っている作業にすぎません。たとえば学生であれば、講義の前後に書くレポー ト、勤め人であれば、日々の業務について書く報告書や情勢分析がその例です。文書の形でま とめない方でも、毎日記録しているメモや家計簿などを前に、自分の日常を振り返り、これか らどうしたらよいかを思案するというのは、ごくありふれたことでしよう。ここでいう情報の 分析と管理は、無意識のうちに日々行っているそうした作業を少しだけ抽象化し、距離を置い て眺めてみる方法論のヒントだとお考えください。 さて新聞記者の場合、情報分析には二つの段階があります。一つは、さまざまな形で収集し 分析に役立っ基本技 112