るほどです。 第三は、自分の希望的観測を、情勢分析に投影しないようにすることです。分析官にとって も、「こうなれば望ましい」という主観的な偏りはつねにあります。対立する陣営が衝突して ほしくはない。何とか衝突は回避してほしい。 そう個人的に望むことと、現実に衝突を回避で きるのかという可能性との間には、残念なことに、深い断絶がしばしばあります。「衝突は避 けられない」と判断することと、分析官の個人的な信条は、あくまで分けて考えねばなりませ ん。逆にいえば、「衝突は避けられない」という情勢分析をしたからといって、分析官個人の 信条や心情の反映だと疑ってはいけないことになるでしよう。こう書けば当たり前のことのよ うに思えますが、分析官個人と、分析の結果とを切り離して見ることは、当の分析官にとって も、その分析結果を受け取る側にとっても、かなり難しいことがしばしばあります。 む よ 第四は、情報分析の結果は、つねにクロス・チェックしなくてはなりません。情報そのもの を の精度ばかりでなく、その評価をめぐっても、二重、三重の再評価が必要です。情報は、つね に「情報源秘匿」の原則を伴いますから、その根拠をめぐって、他人に簡単にソースを明かし 章 たり、その詳細を明らかにしたりできないことが多く起きるでしよう。しかし、その情報を客第 観的に証明したり、傍証できる副次情報がなければ、その情報を「客観的事実」として扱って はなりません。分析官は、いわば情報の「ゴール・キ ーパー」であり、事実かどうかを判定す
も「反論の場」を保証できないときは、最低でも、「報道の中に、検証可能な客観的事実が根 拠として示されている」ことが欠かせません。それが示されない場合は、報道そのものをあき らめるしかありません。 ③「事実」を確認すること 外部に報道する内容は、「確認された事実」でなければなりません。聞き間違いや、見誤り、 といった初歩的なミスを防ぐだけでは十分ではなく、取材源や情報源が提供する情報を客観的 に検証し、他の資料で確認する作業を怠らないことが大事といえます。 人名は、時に筆名や通称名、偽名もありますので表札や運転免許証、郵便物、住宅明細地図 など、具体的な資料で再確認します。組織や機構の名称も、時には略称や通称が多く使われま すから、看板や名刺などで正式名称を確かめる必要があります。地名も、地元でしか使われな い名称もありますから、看板などの標識、地図、役所や警察署で正式名を確かめます。 報道機関の「校閲」部門には、基礎的なデータを確かめるために、「定番」ともいえる資料 が常備されています。一般的な言葉の定義や用法では『広辞苑』、事項説明では平凡社の『大 百科事典』、英語では研究社の『新英和中辞典』がその代表例でしよう。 外国の地名や著名人の人名については、共同通信社が毎年刊行している『世界年鑑』が各社 198
かを押さえることができるでしよ、つ。 月並みな表現を避け、記述は具体的に もう一つ、「情」についても気をつけるべきことがあります。新聞記者には、「私という主語 は避けろ」という鉄則があります。記者はあくまで観察者であって、当事者ではない。主観は 避け、できるだけ現場や状況をして語らしむようにしろ、という教えです。たとえば次のよう な文章があるとします。 隅田川沿いを歩いていて、路地に朝顔の花が咲いているのを見かけた。住民が丹精をこ めて育てたその可憐な花を見ていると、ふと、幼い頃に私が育った下町の人情のこまやか さを思い出した。 もし記者がこんな記事を書いたとしたら、デスクが何もいわすに原稿を屑かごに捨てても文 句はいえないでしよう。書き手が作家や有名人なら、こうした文章でも構いません。読者はす でに書き手の予備知識を持ち、その個人的な思い出にも関心があるからです。しかし読者は記 者のことを知らす、記者の個人的な経験や思い出にも興味はありません。例文で語っている情 206
る関門の守り手であるべきです。怪しげな球や、際どい球をはねのけなかったら、守護神とし ての能力を問われるのは必至です。 こうした基本原則が「情報のプロ」たちの気概を支えているといってもよいでしよう。 致命的な情報の「政治化」 以上の要諦のうち、最も注意すべきなのは「情報の政治化」です。これは、情報の受け取り 手 ( 顧客 ) がすでに方針を決めていて、その裏付けや補強となる情報だけを意図的に集め、不 利になる情報は否定したり無視したりすることを指します。これは一国の政府ばかりでなく、 身近な例では、会社の社長の経営方針に沿ったデ 1 タばかりを集め、不利になる情報を部下が 過小評価する、といった場合にも起こり得ることでしよう。あるいは地方空港を新設しようと する自治体が、民間のシンクタンクに依頼して乗客の利用数の推計をしてもらう際に、シンク タンク側が顧客 ( 自治体 ) に有利な数値をあげる、といった場合にも起きることです。情報分 析をする機関が民間であれば、どうしても顧客の要望に合わせた結果を出しがちになるのは避 けられません。 これは政府も同じことで、情報機関が政治化して、指導者の意向に合わせた情報だけを集め、 不利益な情報を封殺するようになったら、その政体は独裁化の傾向を強め、最終的には自壊す 144
化」は、より深いところで「情報のさばき方」に本質的な変化をもたらした、ともいえます。 物理的な制約を突破 一見、パソコンで打たれ、流通する電子文字は、活字に似ています。電子文字がそのまま新 に印刷されるのですから、従来の活字と区別することは困難です。「デジタル化」をめぐる 混乱や誤解の多くは、実は、この「電子文字と活字の近似性」に根ざしているのではないか、 と私は思います。裏を返していえば、電子文字と活字には、大きな違いがあるのです。その筆 頭は、「物質性」でしよう。 活版印刷は、同一の内容を大量に複製することで時間と空間の壁を乗り越え、出版や新聞に よって人々は同じ情報に接しました。国民国家に必要な「世論」は、活版技術の浸透で初めて 形成されるようになりました。活版印刷は、その記録性、可搬性、流通性によって、「知の大 衆化」を実現したといえるでしよう。しかし、よく考えてみると、時間と空間の壁を越えたの は「活字」ではなく、本や新聞という物質でした。活字はモノに帰属することで、初めて流通 し、後世に引き継がれ、国境を越えたのです。 これに対し電子文字は、モノの属性を失い、モノから離れた純粋な「情報」となることで社 会に衝撃を与えました。つまり一切の物理的な制約を突破したことが、活字と違、つ「デジタル 234
いないが、 x x という事情を考慮すると、そう考えるに至る一定の根拠はある」 といった書き方です。具体的には、 「付近の住人に聞いたところ、犯人は周辺の地理に詳しい人物ではないかという声が出ている。 事実かどうかは確認されていないが、犯人が目撃された場所は、最近まで立ち入り禁止になっ ており、出入りが自由になったことを知っていたのは地元住民に限られていたからだという」 といった表現が考えられます。 情報源を明示できない第二のケースは、取材源が組織内部にいるため、身元がわかれば、そ の人物に危険や不利益が及ぶ可能性がある場合です。こうしたときに、「取材源秘匿」がどれ ほど重要であるかは、すでに述べました。ただし、こうした場合に、報道機関が「事実」とし て報じる場合には、書類など不正が行われているという客観的証拠や、告発者とは独立してそる え 一ム の事実を確認する第三者の証言などが欠かせません。その際に、書類の保管者を特定されるな を ど、取材源の身元が割り出されないよう細心の注意を払うのは当然のことです。要は、情報源 を明示できない場合は、情報それ自体が確かなものであることを保証する客観的な証拠や傍証 章 が必要になる、ということです。 第 第三のケースは、自分が直接、情報源から話を聞いてはいても、本人が匿名を条件に語るな ど、取材先との約東から情報源を明かせない場合です。政治家や役所の「高官」はよく、こう
の悪さ。それらを強調して生々しく書く。それが事態の真相、重大さを忠実に読者に伝えるこ とだ、などとわたしは考えていた」。 藪下さんはそうした中で疋田ルポを読み、衝撃を受けます。同じ光景を見ていたはずなのに、 疋田さんが見たものが、自分にはまったく見えていなかった、と。密集住宅地の住民の多くは、 自分が水面下に住んでいることを水没した日まで知らなかった。大企業や港湾・公営住宅を建 設・管理していた自治体はそのことを知っていたはすだ。なぜそれが一般に周知されなかった のか。「この種の取材は、災害が起きた後では極めて困難になる。政治的、道義的、ときには 刑事的な責任問題とからんで、役所や企業の責任者のロは、カキと化す。だからこそ、日ごろ の勉強が重要なのだが、災害後では核心となる情報は容易には得られない」。だが、まったく 手がかりがないわけではない。「周辺のデータを書くことで、知りたいがデ 1 タのない部分を、 シルエットのように描き出すこともできる」。藪下さんは、疋田ルポがまさにこの災害の「シ ルエット」であった、と述懐します。 ルボとはこのように、ナマのデータや数字では精緻に構築できない全体像を、見たまま聞い たままを配置することでシルエット ( 影絵 ) のように浮かび上がらせ、全体の構造を見せたり、 問題の所在を絞り込んでいく手法を指します。これなども、疋田さんがいうように「仮説の抽 出ー現場取材による驚きや疑問点の発見ー新たな仮説の提一小」という往還作業の中でしか生
誰に何を伝えるか 第一報はなせ大切か / 会社の広報も同じ役割 / 「事実」を見きわめる三 つの基準 / 「事」「理」「情」のバランス / 要約を冒頭に、結論はわかり やすく / 月並みな表現を避け、記述は具体的に / わかりやすさ、正確さ、 美しさ / メディアごとに「文体」が違う 2 書くためのヒント まず文章の設計図を / 設計図の作り方 / さまざまなタイプの職人たち / ノンフィクションとフィクションの境目 / 「三角測量」が可能にする克 明描写 / 「一一一点保持」によるスクリーニング 3 社会と情報 急速に進むデジタル化 / 物理的な制約を突破 / 「デジタル原住民」は社 会を変えるか / 構想力と分析力が問われる おわりに 241
てから、そのイメ 1 ジは一変しました。外国の報道記者は、現職の 0—< 職員に接触すること を禁じられ、 ージニア州ラングレーの本部にも立ち入ることはできません。けれど、おおら かといえばいえるのでしようが、退職後の 0—< 職員に取材するのは、比較的簡単です。彼ら 自身、元 0—< 職員や高官の肩書で本や論文を執筆し、寄稿することもあるくらいですから。 ただし彼らも退職時には、現職中の個別の作戦に関する証言や情報提供をしないことを文書で 誓約させられ、論文などの公表にあたっても、当局の検閲が課せられます。 海外で勤務する 0—< 職員は、他の国と同じく、多くは大使館で外交官の肩書をもってステ ーション ( 支局 ) を運営したり、特派員や会社員などの偽装のもとに活動しています。自らが 情報収集活動にあたることは少なく、公開情報を定期的に本部に送る以外は、国内に協力者を 養成して、間接的に情報を入手するのが一般的といわれます。 一般に秘密作戦や謀略を行うのは工作本部ですが、そのスタッフは 0—< 全体一一万一一〇〇〇 人のうち、約四〇〇〇人にすぎません。残りの大半は情報分析、科学技術に関する収集や支援、 行政部門などです。このうち最も充実しているのがスラブ・ユーラシア、欧州、東アジアなど の地域別、科学・武器、資源・通商などジャンル別に区分された情報本部です。私が取材した 0*< 元職員の多くはこの分析部門の出身者で、その実態は、地域の一一一口語や歴史などに詳しい 研究者や、科学技術などに明るい研究者などの専門家集団でした。大学や研究所に籍を置いて 140
7 わが被害は小さく、敵被害は甚大 8 知識人も正義の戦いを支持している 9 わが大義は神聖 正義を疑問視する者は裏切り者 ここに見られるレトリックは、人々を「敵」と「味方」という抽象的集団に二分し、「敵は 殺せ」という命令法に向けて憎しみを駆動する心理回路をつくる方法だといってもよいでしょ う。ここでは懐疑精神がまず犠牲にされ、「われわれ」の絶対的正当性と、「敵」の類い稀れな 悪辣さとが、光と影のように対置されています。「敵」の側も、まったく裏返しのレトリック によって人々を戦争に動員することが多いのですから、これはイデオロギーや思想を問わす、 共通して使われる宣伝の手法だといってもよいでしよう。危機にあたって私たちは、こうした レトリックの轍にはまらぬよう、つねに批判と疑いの精神を保ち続けなければならないと思い ます。 湾岸戦争での報道統制 世論を誘導するもう一つの「からくり」は「検閲」の手法です。 172