かけて「中国包囲網」を敷いた布陣は、一定の効果をあげた。 4 しかし、もし中国が拒否権を使えば、「国連の一体性」は崩壊し、そもそも日本が目指 す北朝鮮への国際圧力は失敗に終わる。中国も、「伝家の宝刀」としての拒否権を使えば、 それは国際的な孤立、外交上の失敗を意味する。その意味では、日本、中国双方にとって、 「拒否権を使わない」ことを共通目標にするという暗黙の前提があった。 5 こうした点を加味すれば、今回の国連決議は一方の勝利、他方の敗北という結果ではな 、双方が勝利し、双方が譲歩するという「」の結果であったと仮定す ることができる。さらに情報を分析するには、双方が何を獲得し、何を妥協したのかをさ らに精査する必要があるだろう。 む よ 以上のようなことを頭の中で考え、私はすぐに外報、政治部の同僚にこの意見を話し、その を 報 後も分析を続けていただくようお願いしました。 情 もちろん、私の「仮説」が間違っていることも多く、同僚が反対意見を主張するのがふつう 章 です。しかし、そうした議論を経て、「独りディベ 1 ト」は本当の「ディベート」となって深第 まるのですから、そのたたき台としての「。」と「。」は一定の役割を果たした、と い、つべきでしよ、つ。
外壁を塗り替えるためにハシゴを立てかけ、バケツをもってハシゴ段に足をかけた。ここまで は、少女の行動もペンキ屋さんの行動も、それぞれの因果関係の中で説明できるでしよう。し かし少女の自転車とペンキ屋さんがぶつかり、ペンキ屋さんが白ペンキを頭からかぶるという 結果は、孤立したそれぞれの因果関係の延長では説明できません。そこでは異なる因果関係系 が衝突し、「事件」が発生しているからです。 論理は、孤立した因果関係系のうちでは、きわめて有効にはたらきます。しかし、異なる因 果関係系がぶつかる将来の「事件」を予測するには不都合で、それだけではほとんど役に立た ない、といってもよいでしよ、つ。 しかし、論理がまったく無益であるはすはありません。「すでに起きたこと」については、 きわめて有効な分析手段です。たとえば少女の行動とペンキ屋さんの行動についても、それぞ む よ れの因果関係系を >< とに置き換えれば、一見無縁な >< との間には、「が不注意なまま坂 を を下ったため、その途中で作業しているにぶつかり、が白ペンキまみれになった」という報 因果関係が成立します。 章 実際の出来事は、こうした無数の因果関係系が複雑に絡み、ぶつかり合い、互いにさまざま 第 な作用と反作用を与え合って進展していきます。「すでに起きたこと」を、もつれた糸をほぐ すように一つ一つ筋道を立てて分析し、理解するうえでは、論理はきわめて重要な手段になり
「情勢分析や予測にあたっては、明確な結論や断定は避ける」。どうやらこれが、世の中の多く の人の「常識」であり、「知恵」であるようです。自分が得ている情報には限りがあり、情勢 分析はつねに誤る可能性があります。結果を断定して予断をもっと、引き返しができない誤っ た方向に突っ走る恐れもあるでしよう。つねに事態の変化に敏感であるためには、結果の予測 は慎重であらねばならないでしよう。 その反面、こうした分析態度は、「あとで結果責任を問われないための保身」という側面が あることも、また否定できません。 私がそのことに気づいたのは、何度かご紹介した軍事評論家の田岡俊次さんから、「分析の 精度をあげるには、ともかく結論を出せ」と教えられたからです。田岡さんは、ある情勢を分 析する際、最終的に、黒白の結論を出すことを自分に課しているといいます。 む これは、たとえば旧ソ連によるアフガニスタン侵攻にあたって、現地の地勢や派遣兵力、士よ 気、兵站能力などの要素を分析し、その結果、「旧ソ連軍はいすれ撤退せざるを得ない」とす報 るか、「当面は首都制圧を維持する」とするか、自分で明快な結論を出してみる、ということ 章 です。その分析結果を、他人や上司、公に発表するかどうかは、また別の問題です。 第 「日本人の情勢分析は、後で責任を問われないよう、どうしてもあいまいで、どう転んでもい い結果しか出さない傾向がある。しかしそれでは、どこで情報評価を誤ったのか、自分でもわ
す。 ものごとが起きる場合、その理由や背景は複雑で理解しがたいものであっても、結果は単純 明白であることが多いものです。次の米大統領選挙でブッシュ候補が勝っか、ケリー候補が勝 つか。サッカーの杯決勝戦でイタリアが勝っか、フランスが勝っか。結論は二つに一つです。 もちろん、事前には予想のつかない不測の事態が起きますから、結果を正しく見通すのは至難 の業です。決勝戦でフランスのジダン選手が頭突きで退場を命じられることなど、だれが予想 できたでしよう。 かりにそうであっても、「田岡方式」は、分析力を高めるにはなお、有効でしよう。結果が 予想と反対であれば、すぐに自分の分析の誤りはわかります。結果がたまたま一致していても、 まぐれ当たりにすぎないこともあるでしよう。判断のプロセスを記録しておけば、その場合に も、分析力を高めるヒントになるでしよう。 133 第二章情報をよむ
そんな調査結果がまとまった。 調査したのは「社団法人犯罪心理学研究所」 ( < 所長 ) 。先月、全国から月間犯罪発生率 が「人口一万人あたり一〇〇件」という自治体を大中小の規模別に三つすっ選び、住民の ( 五〇〇〇 治安意識を比較した。「治安が悪化した」と答えた人が、大 ( 一〇万人以上 ) 、 人ー一二万人未満 ) では三人に一人。これに対し中 ( 三万人ー一〇万人未満 ) では二人に一人。 「とりわけ中規模都市では、治安の悪化を感じる人が多い」 ( < 所長 ) 結果になった。 2 犯罪発生率が同じでも、都市の規模によって「治安の悪化」を感じる人の割合は異なる。 そんな調査結果が先月まとまった。 調査したのは「社団法人犯罪心理学研究所」 ( < 所長 ) 。毎月の犯罪発生率が「人口一万 人あたり一〇〇件」という自治体を大中小三つずつ選び、治安意識を比較した。それぞれ 「治安が悪化した」と答えた人の平均は、 五〇〇〇人ー三万人未満三人に一人 三万人ー一〇万人未満二人に一人 三人に一人 一〇万人以上 となり、「とりわけ中規模都市では、治安の悪化を感じる人が多い」 ( < 所長 ) 結果にな 204
るほどです。 第三は、自分の希望的観測を、情勢分析に投影しないようにすることです。分析官にとって も、「こうなれば望ましい」という主観的な偏りはつねにあります。対立する陣営が衝突して ほしくはない。何とか衝突は回避してほしい。 そう個人的に望むことと、現実に衝突を回避で きるのかという可能性との間には、残念なことに、深い断絶がしばしばあります。「衝突は避 けられない」と判断することと、分析官の個人的な信条は、あくまで分けて考えねばなりませ ん。逆にいえば、「衝突は避けられない」という情勢分析をしたからといって、分析官個人の 信条や心情の反映だと疑ってはいけないことになるでしよう。こう書けば当たり前のことのよ うに思えますが、分析官個人と、分析の結果とを切り離して見ることは、当の分析官にとって も、その分析結果を受け取る側にとっても、かなり難しいことがしばしばあります。 む よ 第四は、情報分析の結果は、つねにクロス・チェックしなくてはなりません。情報そのもの を の精度ばかりでなく、その評価をめぐっても、二重、三重の再評価が必要です。情報は、つね に「情報源秘匿」の原則を伴いますから、その根拠をめぐって、他人に簡単にソースを明かし 章 たり、その詳細を明らかにしたりできないことが多く起きるでしよう。しかし、その情報を客第 観的に証明したり、傍証できる副次情報がなければ、その情報を「客観的事実」として扱って はなりません。分析官は、いわば情報の「ゴール・キ ーパー」であり、事実かどうかを判定す
るような報道をしてから、後に釈明や反論の機会を与えるようでは、取り返しのつかない結果 になりかねません。名指ししての批判には、本人の釈明や反論の場が、本来欠かせない記事の 一部を構成しています。このときに問題になるのは、批判される人物が死去していたり、反論 できない立場 ( たとえば拘留中や、受刑中、あるいは入院中など ) にいる場合です。こうした際 には、人物を匿名にして過大な信用失墜を防いだり、その人物を擁護する立場にいる人 ( 弁護 士や親族など ) に取材することも欠かせないでしよう。名指しした相手が個人であっても、そ の所属する政党や組織、団体などの釈明や弁明が必要です。かりに個人の責任においてやった 行為にせよ、その人物の任用・監督責任が問われたり、結果として所属団体の信用失墜を招く こともあるからです。 もし取材源が公権力であったとしても、その報道の責任をすべて公権力に帰すことはできま せん。たとえば警察や検察の担当者が、ある参考人について、疑惑を語ったとしましよう。結 果としてその指摘が間違いだった場合、「公権力がそういったから」という言い訳は、誤報を 免責する釈明にはなりません。法的には「真実と信じるに足る相当の理由」があれば「名誉棄 損罪」にはなりませんが、報道する道義的・職業的責任からいえば、大きな過ちを犯したこと になるからです。取材源から独立して責任を取るためには、徹底してある情報の「ウラ」を取 る努力が欠かせない。それが第三の理由です。 106
例になっています。 その慣例を破る前代未聞の事件が、私が英国に滞在していた〇三年夏に起きました。その春 に米英軍が強行した対イラク戦争をめぐり、 ngao が同年五月末、「英政府は、イラクの大量 破壊兵器に関する情報を誇張していた」という疑惑を報道し、プレア政権と真っ向から対立し た事件です。この事件をめぐっては、報道の取材源だったケリ 1 博士が自殺したため波 紋が広がり、その死の責任をめぐって、ハットン卿を長とする独立調査委員会が発足し、 0 幹部や記者、政府高官ら関係者をすべて呼んで証言させるという異例の展開となりました。 この委員会は、ふだんはヴェールに包まれている対外諜報機関の長官まで呼んで証言さ せ、政府関係者の間で交わされた文書やメールまでが即時にインターネット上で公開されま した。政府と情報機関のやりとりや情報評価・公開のプロセスが、文字通り白日のもとにさら む よ されたことになります。 を ここでは詳細を省きます力ノ ゞ、、ツトン委員会で焦点になったのは、まさにここで問題にして報 きた「情報の政治化」でした。結果からいえば、放送で疑惑を報じたギリガン記者は、 章 ケリー博士から聞いた事実から逸脱する表現を使っていたことがわかり、は報道に欠陥第 があったことを認めざるを得ない立場に追い込まれました。その結果、は、報道内容を めぐって会長、経営委員長の両トップが辞任するという手痛い打撃を被りました。
ニスタンに潜行していると報じており、米軍当局者もその報道を否定していないことがわかり ました。特殊部隊が現地入りしているという情報は、すでに作戦が始まっていることを意味し ており、当然その情報は、アフガニスタンの当局者にも察知されているでしよう。結果として、 新聞で攻撃準備を報じても、取材源に危険が及ぶ可能性は低いと判断し、掲載に踏み切ること にしました。 178
基本原則四情報は現場や現物にあたり、判断にあたっては常に現場におろして考える。 という原則にも重なっています。新聞記者は、一定の期間で次の場所に転勤しますから、最 初に情報の中枢に張り付いて居心地がよくなってしまえば、自分の任地すべてを回れないまま 離任の日を迎えてしまいます。その間、記者は現場のカンによって役所や警察の発表をチェッ クすることが本当にできたでしようか。さんの生き方は、そんな自戒をしてきた結果なのだ という気がします。こうした「現場主義」は、新聞記者に限らす、組織の中枢にいる人、将来 そうした立場を目指そうとする人には、特に心していただきたいことだと思います。 莅置情報」の基本は地理と歴史 私の社会部、雑誌アエラ編集部当時の先輩に田岡俊次さんがいます。定年後もテレビなどで 軍事評論家として活躍しておられますから、ご存じの方も多いでしよう。若いころから軍事専 門記者として辣腕をふるった田岡さんに、ある時、「軍事を学ぶ要諦は何でしようか」と伺っ たことがありました。 「それは、地理と歴史です」