東方朔 作者金春禅鳳作と考えられる。『能本作者註文』『いろは作者註文』『歌諸 作者考』『二百拾番謡目録』等すべて金春禅鳳作とする。 主題寿命三千年を保つことができる西王母の桃実を皇帝に献上することに よって、この御代の長久をことほぐ。 ずきんそばつぎあついたくくりばかま 官人 官人頭巾・側次・厚板・括袴 人物アイ とうかんむりあわせかりぎぬしろおおくち ワキ 皇帝 」袷狩衣・白大口 ワキツレ大臣 ( 二人 ) 洞鳥帽子・袷狩衣・白大口 ひためんよれムずごろも 直面・縷水衣・白大口 こじようしけ シテ 老人 小尉・経水衣・白大口 はなひき アイ 仙人 ( 数人 ) 鼻引・末社頭巾・縷水衣・括袴 うそふき アイ 桃仁の精空吹・桃仁頭巾・側次・厚板・括袴 まんぎり あ′、じよう」りかぶル」 後シテ東方朔 悪尉・鳥兜・袷狩衣・半切 ぞう まいぎぬ 後ツレ 西王母 増・天冠・舞衣・白大口 備考太鼓あり。観世・金春・喜多の三流にある。 本曲の底本は、下掛系外組本の『刊年不明本』である。 〔楽〕をシテとツレとが相舞で舞うところからみると、どちらがシテであ ってもいい。主題からいうと、西王母が後シテとしてはふさわしいともい える。前シテとの対応で東方朔が後シテとなっているのであろう。 謡曲集 とら . ・はうさく かんにん とうにん 帝に桃の実を献上するためにあらわれた西王母。後方で腰をかけているのが東方朔で ある。
うんりんゐん 雲林院 作者『申楽談儀』に本曲の引用があり、また世阿弥自筆本が現存するので、 世阿弥当時に存した曲であるが、作者は不明である。ただし、『能本作者 註文』『歌謡作者考』『一一百拾番謡目録』では世阿弥の作とする。 ありわらのなりひら 主題在原業平の霊が『伊勢物語』について語り、昔を偲んで舞を舞う。 かけすおうしろおおくち きんみつ 掛素袍・白大口 公光 人物ワキ かみしも ワキツレ従者 ( 二人 ) 素袍上下 あこぶじようしけみずごろもこごうしあついた シテ 阿古父尉・経水衣・小格子厚板 老人 アイ 長上下 所の者 ういかんむりひとえかりぎぬさしぬき 中将・初冠・単狩衣・指貫 後シテ 業平 備考太鼓あり。観世・宝生・金剛・喜多の各流にある。 世阿弥自筆の「雲林院」は、前段は本曲とほとんど同じであるが、後段 にじようの ふじわらのもとつね はまったく異なっている。後シテは藤原基経の霊となり、ツレとして二条 きさき 后の霊も登場する。そして、アイは登場しなかったようである。シテのせ あやかしけい りふのなかに「形は悪鬼身は基経か」とあるから、怪士系の面をつける、 「錦木」「松虫」等の後シテのような姿であったと思われる。ところで、こ けしん の自筆本は、前シテの業平の化身と思われる老人のことばとして「ひと枝 の花の蔭に寝て、わが有様を見給はば」とあるのに、後シテが基経となっ 。しいがたい。あるいは、さらにそのもと ている点で首尾一貫しているとよ、 になった「雲林院」があったのかもしれない。 本曲の後段は、頭注にも記したように、いわゆる『伊勢物語』の「秘事」 すなわちその「古註」の記すような解釈に基づいて作られたものである。 前段は、雲林院に住んだ素性法師の歌を、その縁により引用している。 雲林院 しの 四四一 花を手折る公光を咎めてあらわれた老人。
三九八 ごくじゅうあくにん きのふ むな ときはよもやあるまい。『極重悪人は他 シテ气〈サシ〉昨日も過ぎ今日も空しく暮れなんとす、 とな の方便無し、ただ弥陀を称えて極楽に生 おんノもかげ せんてい シテ 一※現行観世流では、以下もシテ一 局气明日をも知らぬこの身ながら、ただ先帝の御面影、忘 まるることを得ん』。おそれ多いことで 人の謡。 ひま ごくヂうあくにんむたはうべん あるが亡き安徳天皇をはじめとして、二 ニぎわめて重い罪人である末世の衆 どの るる隙はよもあらじ。 ( シテ、合掌して ) 極重悪人無他方便、 生は、他の方便では救われない。た 修殿以下平家一門の成仏を祈念する。南 むあみだぶ じゃう にるどの ゆいしようみだとくしゃうごくらくしゅしゃう だ、阿弥陀仏の御名をとなえること 唯称弥陀得生極楽。主上を始め奉り、二位殿一門の人々成無阿弥陀仏。 によってのみ極楽に生まれることが とうしゃうがくなむあみだぶ できる、の意。『往生要集』にみえる。 女院「や、庵室のあたりに人音が聞こえます。 三迷いを去って悟りを開くこと。成等正覚、南無阿弥陀仏。 局「しばらくここでお休みなさいませ。 によういん 仏。なお、『平家物語』灌頂巻「大原 あんじっ ひとおと 内侍は女院のお帰りを法皇に告げ、女院 入」に「『天子聖霊成等正覚、頓証菩シテ「 ( 舞台を見込み ) や、庵室のあたりに人音の聞え候。 のところに行って、法皇のおいでになっ 提』といのり申させ給ふにつけても、 おんやす たことを伝える。女院は昔のことを回想 先帝の御面影ひしと御身にそひて、局「しばらくこれに御休み候へ。 ( シテは床几に腰をかけ、局は着座 いかならん世にかおぼしめしわすれ し涙を流す。第三者のことばの形で、御 ゆき させ給ふべき」とある。 幸のありがたさが述べられる。 がけ 内侍「ただいま、あの崖づたいを女院がお帰 一同着座のまま、内侍は法皇へシテの帰ったことを伝えた後、 一ノ松へ行き、膝をついて、法皇の御幸の由を伝える。シテの りになっておいででございます。 だいなごんっぽね 謡があって、地謡になると、内侍はシテより手籠を受けとり、 法皇「さて、どちらが女院か。大納言の局は 作リ物の内に置いて、笛座前に着座する。地謡の末尾で、シテ どちらであるか。 は立って一ノ松へ行く 内侍「花籠を臂におかけになっているのは女 たきぎわらび 四 そワづた にようるんおん 院であらせられます。薪に蕨を折り取っ 内侍「ただいまこそあの岨伝ひを女院の御帰りにて候へ。 て添え持っているのは大納言の局。 だいなごんつぼね 内侍「 ( 女院の前へ行き ) もうし、法皇のおいで 法皇「さていづれが女院、大納言の局はいづれそ。 でございます。 はながたみひぢ 内侍气 ( シテのほうを見て ) 花筐臂にかけさせ給ふは、女院にてわ女院「法皇にお目にかかるとかえって、ただ でさえ忘れられぬこの世を、いよいよ心 つまぎわらび たらせ給ふ。爪木に蕨折り添へたるは、大納言の局なり。 の迷いによる執着のために忘れることも できなくなり、入水したのを助けられて ( 立って、橋がかりへ行く ) しまったつらい評判の上にさらに、法皇 うわさ 内侍「 ( シテに向いて ) にお目にかかったという噂をも世に漏ら いかに法皇の御幸にて候。 四山の険しい所。がけ。 五心の迷いから物事に執着すること。 六人間界。この世。 七入水したのを助けられてしまった 恥の上にさらに、法皇にお目にかか ったという噂をもまた世に漏らすと 思うと、涙が出る、の意。 ^ 「色」と「袖」、「袖」と「包む」に音の 通ずる「つつまし」とは縁語。 九仏門に帰依した人。法皇をさす。 一 0 同じ仏の道。 謡曲集 する ) ・こかう はなかごひじ じゅすい みだ
常座へ、ツレは地謡座前へ行く ) 。 蓮生は草刈男たちにことばをかけ、笛を 吹くとはいやしい身に似合わぬやさしさ しようかぼくてき ワキは着座のままシテ・ツレヘ問いかけて問答となる。掛合い と言うと、彼らは「樵歌牧笛」ということ の謡があって、地謡となると、シテは舞台をまわる。ツレは切 どく・ち ばがあるから、べつにふしぎはないと答 戸口より退場する。 える。 蓮生「もうし、そこにいる草刈たちにお尋ね ワキ「いかにこれなる草刈たちに尋ね申すべき事の候。 申さねばならぬことがあります。 草刈男「わたくしどものことでありますか、 シテ「こなたの事にて候ふか何事にて候ふそ。 かたがたなか 何事でありますそ。 ワキ「ただいまの笛は、方々の中に吹き経ひて候ふか。 蓮生「いまの笛は、あなたがたのなかでお吹 ざうらふ きになったのでありますか。 シテ「さん候われらが中に吹きて候。 草刈男「そうです、わたくしどもで吹きまし わざ ワキ「あらやさしやその身にも応ぜぬ業、ちかごろやさしうこ 蓮生「ああやさしいこと、そのいやしい身に そ候へ。 もそぐわないふるまい、たいそう優雅な ことであります。 一当時行なわれていたことわざ。謡シテ「その身にも応ぜぬ業と承れども、それ勝るをも羨まざれ、 曲「志賀」にもみえる。 草刈男「いやしい身にもそぐわないこととお いや ニ※現行観世流はシテのせりふ。 っしゃいますが、『自分よりまさってい 劣るをも賤しむなとこそ見えて候へ。 せうかばくてき る者をもうらやむな、自分より劣ってい 三木こりの歌牧童の笛。「山路 = 日ツレ气その上樵歌牧笛とて、 る者をもいやしむな』とことわざにも 暮レヌ、耳ニ満テル者ハ樵歌牧笛ノ 善、こり みえております。 声」 ( 和漢朗詠集・山家紀斉名 ) 。 シテ气草刈の笛木樵の歌は、 四※現行観世流は「草刈の」からシ 同行者「その上、樵歌牧笛といって、 シテ テ・ツレの謡。 ノレ「歌人の詠にも作り置かれて、世に聞えたる笛竹の、不草刈男「草刈男の笛や木樵の歌というのは、 五※下掛系は「詠み置かれて」。 草刈男「歌人が歌にも作っていて、まことに 六笛のこと。「世 ( 節よ ) 」「聞え」の縁 審はなさせ給ひそとよ。 語。「節ヒに音の通する「不審」の序。 有名なこと。その笛ですから、ふしぎな セ※ ことわり ことだなどとお思いなさいますな。 ※下掛系は「これはわれながら、おワキ气げにげにこれは理なり、さてさて樵歌牧笛とは、 ろかなりける言ひ事かな」。 蓮生「まことにこれはもっともなことである。 〈※下掛系は「身の業は」。 シテ草刈の笛、 それでは樵歌牧笛というのは : ・ , ワキが立って問答となる演出もあ る。 謡曲集 ナ 四※ えい 天※ まさ ふえたけ うらや ぎり
朝長 作者世阿弥作という確証はないが、『能本作者註文』『いろは作者註文』『歌 謡作者考』『自家伝抄』『一一百拾番謡目録』等すべて世阿弥の作とする。 主題青墓の宿の長が偶然接した朝長の死について語る前半と、朝長自身が 登場して自らの死に至る道を示す後半とより成る。 すみぼうし しけみずごろも 角帽子・経水衣・無地熨斗目 旅僧 人物ワキ よれ ワキツレ従僧 ( 二人 ) 角帽子・縷水衣・無地熨斗目 かみしも 狂言上下 アイ 所の者 いろなしからおり シテ ・無紅唐織 長者 こおもて 小面・唐織 侍女 ひためんすおう トモ 直面・素袍上下 従者 ひとえはっぴしろおおくら なしうちえぼし 中将・梨打鳥帽子・単法被・白大口 後シテ朝長 備考太鼓あり。五流にある。 前シテと後シテとがまったく別の人物であるのは、修羅物のなかでは本 曲のみである。 《懺法》の演出では、明らかに朝長は太鼓の音に引き出されるようにし て登場する。「清経」の《音取》の場合の笛と同様である。太鼓の入る曲 の場合に、後シテの登場の際に最も多く演奏される登場楽は〔出端〕であ り、これは太鼓が主となった囃子である。この場合、後シテは太鼓の音に のって登場してくるといえるのだから、《懺法》は、能における太鼓の役 割を象徴的に示す演出であるといえよう。 せんばう 朝長 とも なが 二〇九 朝長の最期の有様を涙ながらに物語る青墓の長者。
前を退出する。王母はふたたび斑龍に乗 や ( 二人はタッパイをする ) 。 って天上界へ帰ったのである。 , 〔楽〕の途中で、ツレが舞をやめて 〔楽〕 地謡「舞楽の演奏も次第に時刻移り、舞楽の 笛座前で床儿に腰をかける演出もあ る。 シテ・ツレは地謡に合わせて舞う。シテは常座で留める。 演奏のうちにだんだんと時も過ぎて、タ 日も西に傾いたので、東方朔も西王母も、 一※観世流は「やうやう」。繰返しも地謡气舞楽もやうやく、時過ぎて、舞楽もやうやく、時過ぎ 帝にお暇乞いをして帰ろうとしたところ、 せきゃう て、タ陽も西に、かたぶきければ ( シテ・ツレは地謡座のほうを帝は名残を惜しみなさって、またふたた び参内申しなさいとのおことばがあり、 おんニとま 望む ) 、おのおの君に、御暇申し ( シテ・ツレはワキへ両手をついて このおことばを承って、二人はいっしょ なごり に退出したが、王母は斑龍にゆらりと乗 一礼 ) 、帰らんとせしに ( 立って右へまわる ) 、帝王名残を、惜し って、はるか上方の雲路にのぼってゆき、 さんだい はるかに上のほうの雲の道へとのぼって、 み給ひ、重ねて参内 ( ふたたびワキの前にすわる ) 、申すべしと、 また天上の世界に帰っていったのであっ せんじ ににんナ かうむ 宣旨を蒙り ( ワキへ一 礼 ) 、二人は伴ひ ( シテ・ツレ立 3 、出でけた。 はんリ - っ るが、王母は斑龍に、ゆらりとうち乗り ( ツレは脇正面へ行ぎ左 くもち のぼ 袖を返して、橋がかりへ行く ) 、はるかの雲路に、攀ち上り ( シテは のぼッ 中央で両袖を巻ぎあげる ) 、はるかの雲路に、攀ち上って ( 常座へ てんじゃう 行き、両袖を下ろす ) 、また天上にそ、帰りける ( シテは左袖を返し て留拍子を踏む ) 。 謡曲集
する。地獄での責苦を訴える前者が凄惨な場面を見せるのに対し、後者は合戦の有様を演じてみせたり、美しいよそおいで静かに優 たま 美な舞を舞ったりする。「わが跡弔ひて賜び給へ」などといっても、切実に成仏を願っているともみえない場合があるくらいである。 概して言えば、唱導などによる宗教色の名残をとどめている前者から、それを脱して見て楽しむものへと進んできたのが後者である ざいしようさんげ と考えてよいであろう。ただ後者における過去の再現も、罪障懺悔のための物語という面を底にもっているのであって、それが、た だ美しいというだけではない一種の深みをわれわれに感じさせるのだと思う。なお、後者の諸作品の前の場が単に後の場の準備にと どまらず、「敦盛」においては草刈男の風情、「忠度」においては若木の桜の描出、「野宮」においては晩秋の野宮の風物の描写、と いうように、後シテの人物にふさわしく造形されていることを付言する。 シテが現に生きている人物として描かれている場合、夢幻能に対して現在能とよぶ。この形式においてはシテはワキと同 現在能 ーかっとう 次元のものであり、両者の対立が起こり得る。ふつうの劇の形態に近く、登場人物の間での葛藤が中心に置かれることも 可能である。ただ、地謡の存在はあり、やはりシテの舞を重点にするような配慮がされているので、夢幻能と共通の面ももっことに なる。現在能には、夢幻能にかなり近いものもあれば遠いものもあり、さまざまである。 はんじよ はながたみ ものぐるい ひやくまんみ 物狂の女性の登場する能がある。「百万」「三井寺」などは母が子を尋ね、「班女」「花筐」などは妻が夫を尋ね、物狂の状態でさす うつつ らう。これらはもとより現在能であるが、物狂は常人と異なる状態で現ない。しかもその舞い狂うところに重点が置かれ、再会によ って正気となれば終曲となるので、子の保護者であったり、夫またはその従者であったりするワキは、とりたててシテと対立するこ あしかり よろばし とはなく、まったくシテ中心の能である。「蘆刈」「弱法師」などのシテも物狂に準ずるものであり、「花月」などのようにシテの芸 づくしになっている曲もある。 せきでらこまち そとばこまち かげきょ あくしちびようえ 「卒都婆小町」「関寺小町」の小野小町や「景清」の悪七兵衛景清は老人の姿で登場する。往時の美女英雄の衰残の姿は、それだけ でも人々に感慨をもよおさせる。小町が過去を追懐して「恋しの昔や」と面を伏せれば、現在能であるのに夢幻能の後の場に似た感 解説 なごり でら かげつ
田村 作者世阿弥作という確証はないが、『能本作者註文』『いろは作者註文』 『歌謡作者考』『自家伝抄』『二百拾番謡目録』等すべて世阿弥の作とする。 りやく 主題清水寺の縁起を中心に、観音の利益をたたえ、また、田村丸の武勇を 示す。 のしめ すみばうし しけみずごろも 角帽子・経水衣・無地熨斗目 人物ワキ 旅僧 よれ ワキツレ従僧 ( 二人 ) 角帽子・縷水衣・無地熨斗目 いろいりぬいまく シテ 童子 童子・黒頭・経水衣・紅入縫 かみしも アイ 所の者 狂言上下 なしうちえぼし 後シテ 田村丸 平太・梨打鳥帽子・法被・半切 備考太鼓なし。五流にある。 シテが源平の武将でなく、また前シテが老翁ではなくて童子であるのは、 他の修羅物と異なる点である。 前場は春たけなわの都清水寺、堂守の童子によって清水の観音の縁起が 語られる。後場は坂上田村麿の勇壮な逆賊征伐の物語であり、鬼神の亡ん だのもひとえに観音の仏力であると結ばれる。前後を通じていささかのか げりもなく、およそ修羅の苦しみなどには触れていない。他の修羅物と趣 を異にしている。 こしまきもぎどう かっしぎ 、ろいりぬいはく かえしようそく 《替装束》の場合、前シテは喝食の面をつけ、紅入縫箔の腰巻裳着胴の てんじん とうかんむり けん 姿、後シテは天神の面をつけ、黒頭に唐冠をいただき、剣を背負う、とい う姿になる。この後の姿は、人間というより神体のいでたちである。 多くの作者付は世阿弥作としているが、世阿弥の伝書中には本曲につい ての記述が見られない。ただ、本曲と何らかの関係があると考えられる くせまい 「水寺の曲舞」について、『申楽談儀』別本「聞書」に言及されている。 田村 むら はっぴ はんぎり 萩箒を持った地主権現の花守の童子。修羅物の前シテがこのような童子の姿で登場す るのは本曲のみである。
しづをだまき = 「苧環」までは「繰返し」の序。 ノテ气〈ワカ〉賤や賤、賤の苧環、繰返し ( 上ゲ扇をする ) 、 「いにしへのしづのをだまき繰りか へし昔を今になすよしもがな」 ( 伊勢地謡气昔を今に、なすよしもがな。 物語三十一 l) の初句を変えたもの。歌 いにしへ 意は、時をふたたび昔に返して、義シテ 思ひ返せば、古も ( シテはツレヘ近寄って左手をツレの肩へのせ 経の盛時を今に取りもどす方法があツレ ればよいのだが。『義経記』によると、 静は頼朝の前で、この歌と「吉野山 嶺の白雪踏み分けて入りにし人の 跡ぞ恋しき」とを謡っている。 三「衣」の縁語「裏身 ( ごろ ) 」に音が 通じ、「衣」の序。 一三「衣」の縁語。 一四義経をさす。 一五「武士の」と頭韻。 一六「 ( 物ごとに ) 憂し」と掛詞。 一七※下掛系は「思ひ返せば山桜」。 入「松風」の縁語。 ツレが二ノ松へ行って留める演出 もある。 流儀によっては、シテは中央、ツ レは常座に立って留める。 二人静 ~ 冖气武士の、 地謡气物ごとに憂き世のならひなればと ( シテ・ツレ、立っ ) 、思 ふばかりそ山桜 ( シテは常座、ツレは一ノ松へ行く ) 、雪に吹きな す花の松風 ( 扇をかざしてまわる ) 、静が跡を弔ひ給へ ( シテ・ツレ、 ワキへ合掌 ) 、静が跡を弔ひ給へ ( 左袖を返して留拍子を踏む ) 。 けが、今も恨みに思われる。その恨めし ころもがわ いこととは、義経が衣川に身を沈めたこ と。しかし、その身はたしかに沈めたけ れど、その武名を沈めはせず、 静御前「彼はりつばな武将として名を残した る ) 、 のだった。 地「いや、何かにつけて憂いの多いの 地謡气思ひ返せば、古も、恋しくもなし ( 足拍子を踏む ) 、憂き事はこの世の習い、だからしかたのないこ ころもがは とと思うばかりなのだ、ちょうど山の桜 の、今も恨みの ( 正面へ出る ) 、衣川 ( 下がる ) 、身こそは沈め、 が、松風によって花の雪と吹き散らされ るように。どうぞ静御前の亡き跡をお弔 名をば忱めぬ ( シテ・ツレは膝をつき、向かいあう ) 、 いになってくたさい、静御前の亡き跡を お弔いくださいませ。 もののふ しづ
三五四 謡曲集 まッせ洋 - どくとど るというと、さてはあなたは天人であら , シテは一ノ松に立ってワキと問答さもあらば末世の奇特に留め置き、国の宝となすべきなり。 し、地謡の〈上歌〉で舞台へ入る演出 れるのですか。そうであるのなら、この もある。 衣を返す事あるまじ。 ような末世にはまことに珍しい奇跡とし てんじゃう ひぎゃう て、地上にとどめ置いて国の宝とすべき シテ「悲しゃな羽衣なくては飛行の道も絶え、天上に帰らん事 である。衣を返さないことにしよう。 たたま 天人「悲しいこと、羽衣がなくては空を飛ぶ もかなふまじ。さりとては返し賜び給へ ( 常座に立ちワキへ一 こともできず、天上に帰ることもできな 歩出る ) 。 くなる。どうそお返しくださいませ。 白龍「このおことばを聞くと、いよいよ白龍 一※車屋本は、「もとより : ・取り隠ワキ气この御言葉を聞くよりも、いよいよ白龍力を得、「もと は気が強くなって、もともと自分は心な し」までなし。 い漁師の身、天の羽衣をうしろに隠して、 ニ※以下の掛合いの謡は、流儀によ よりこの身は心なき、天の羽衣取り隠し、气かなふましと りシテ・ワキの分担がいろいろであ 返すまいと言って立ち去ろうとしたので、 る。例えば車屋本 ( 金剛・喜多両流て立ち退けば ( ワキは正面を向く ) 、 天人「今は天人も、まるで羽のない鳥のよ も同じ ) は、 うな状態で、天に上がろうとしても、羽 シテ气今はさながら : シテ今はさながら天人も、羽なき鳥のごとくにて、上らん ワキ气上らんとすれば : 衣がなくて上がれない。 シテ气地にまた住めば : 白龍「といって、また、地上に住むとすれ とすれば衣なし、 ワキ气とやあらん、 ば、これは下界であって天人の住む所で げかい シテ气かくやあらん : ・ ( 以下は底本 キよ、 0 ワキ气地にまた住めば下界なり、 と同じ ) 。 天人「どうしたらよいだろうかと、あれこれ 三※下掛系は「悲しめども」。 シテ气とやあらんかくやあらんと悲しめど ( ワキへ向く ) 、 考えて悲しむけれど、 四「 ( せん方も ) 無し」と掛詞。「涙の 白龍「白龍が羽衣を返さないので、 露」「露の玉」「玉鬘」と重ねた。「玉ワキ气白龍衣を返さねば ( ワキはシテヘ向く ) 、 鬘」は玉を緒に通して頭にかけて飾 ( 地謡 ) 「カも及ばず、 りとしたもの。「かざし」の序。 白龍「どうしようもなくて、 シテ气カ及ばず ( ワキへ一歩出る ) 、 ( 地謡 ) 五天人が死ぬときにあらわれる衰弱 地謡「天人の涙は、露の玉のごとくこぼれ、 の様子。参考「一には頭の上の花鬘 ワキ气せん方も、 玉の髪かざりにつけた花もしおれて、し 忽ちに萎れみ、二には天衣、塵垢 に著され、三には腋の下より汗出 地謡气涙の露の玉鬘、かざしの花もしをしをと、天人の五衰啼しおとした姿は、話に聞く『天人の五 で、四には両の目しばしば胸鸞き、 衰』を眼前に見る有様、まことにあさま め 五には本居 3 んを楽しまざるなり」 ( 往 しいことだ。 も、目の前に見えてあさましゃ ( 面を伏せる ) 。 生要集上 ) 。 ニ※ おん 三※ あが あま