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検索対象: 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)
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1. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

九※ 九※車屋本は「出づればやがて日の ワキ〈上歌〉ふしぎや早く日も暮れて、 ( 立っ ) ふしぎや早く 暮れて」。繰返しも同じ。 かはき - り・ 一 0 ※ かげいほりともしび 一 0 ※車屋本は「立ちこむる」。 日も暮れて、河霧深く立ちこもる、蔭に庵の燈の、ほのか = ※下掛系は、このあとに「南無幽に見ゆるふしぎさよ、ほのかに見ゆるふしぎさよ ( 作リ物へ 霊出離生死頓証菩提」と入る。 数歩出て着座する ) 。 この〔一声〕は常の一声とは異なる 二声〕の囃子あって、シテは作リ物の内で謡い出す。シテと地 特殊な囃子である。 謡との掛合いの謡があって、ワキとの問答風の掛合いの謡とな ると、後見が静かに引回しを下ろす。シテの檜垣の女は作リ物 しようぎ の内で床几に腰をかけている。掛合いの謡の末尾でシテは立つ。 とむら シテ气あらありがたの弔ひやな、あらありがたの弔ひやな。 ^ 「 ( 賜び給へと ) 言ふ」と掛詞。 三※下掛系は「あらありがたの御弔 ひやな」。繰返しも同じ。 イふ へと ( ワキへ数歩出る ) 、夕まぐれして失せにけり、夕まぐれしない。老いかがんだ姿を『みつはぐむ』 と申すのである。その証拠をごらんなさ て失せにけり ( 作リ物の横へ下がり、杖を捨てて、作リ物へ中入する ) 。 ろうというのなら、あの白河のほとりで、 わたくしの亡き跡をお弔いくださいませ、 アイのこのあたりに住まいする者が出て常座に立ち、岩戸の観 と言って、夕暮れにまぎれてその姿は見 世音に参詣し、僧のもとにも立ち寄ると述べ、中央へ行き着座 えなくなった、夕暮れにまぎれてその姿 する。ワキの尋ねに応じ、アイは、檜垣の女について語り、老 は消えてしまったのであった。 女への供養を勧めて狂言座に退く。 ワキは着座のまませりふを述べ、続いて〈上歌〉を謡いつっ立 このあたりの者が出て、僧に対して檜垣 って、作リ物へ向いて数歩出て着座する。 の女について語り、この老女を弔うよう カり に勧める。 ワキ「さては古の檜垣の女仮にあらはれ、われに言葉を交はし 僧はふしぎに思って、庵を立ち出てゆく かわぎり ひとッタまッせきどく と、河霧の向こうに燈火が見える。 けるそゃ。一つは末世の奇特そと、思ひながらも尋ねゆけ 僧「さては昔の檜垣の女がかりにあらわれ て、わたくしとことばを交わしたのだ。 これもまた末世における奇跡であると、 思いながら尋ねてゆくと、 僧「ふしぎなことに早くも日が暮れて、ふ しぎにもはや日も暮れて、河霧が深く立 ちこめている、その奥に庵の燈火が、ほ のかに見えているのはふしぎなこと、ほ のかに見えているのはふしぎなことだ。 世の無常を観する、さきほどの女の声が 聞こえる。僧は問いかけ、檜垣の女は姿 をあらわす。女は、舞女であったがゆえ にその罪深く、地獄の業苦を受けている ということを衄る。 檜垣「ああ、ありがたいお弔いであること、 ああ、ありがたいお弔いであること。風 四〇九 いにしへ イふ

2. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 一「関」の縁語。 ニ山城国 ( 京都府 ) と近江国 ( 滋賀県 ) との境の逢坂山にあった関所。 「関の戸ざしも心して」で二ノ松へ 行く演出もある。 三「 ( 関の戸ざしも心して ) 開あけ」と 掛詞。 四参考「春がすみたつを見捨ててゆ く雁は花なき里に住みやならへる」 ( 古今・春上伊勢 ) 。 五北陸道。 二ノ松、または三ノ松で留拍子を 踏む演出もある。 三九〇 なごり であるが、それにしても都に名残がとど やがて、やすらふ逢坂の、関の戸ざしも心して ( 大小前から中央 まることだ、東国へ帰るとはいえ、都も 〈出る ) 、明け行く跡の山見えて ( 雲ノ扇をする ) 、花を見捨つる名残惜しく思われることである。 こしち かりがねすみ 雁の ( 角へ行き左へまわる ) 、それは越路われはまた ( 脇座前から あづま 常座へ行く ) 、東に帰る名残かな、東に帰る名残かな ( 常座で留 拍子を踏む ) 。 あふさか なごり

3. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

《大和舞》の場合は、作リ物の内に 中入する。 マワキ・ワキツレが正面先に向かい あって立って、〈上歌〉を謡う演出も ある。 一「苔」の序ともなる。 ニ仏法を聞く場。 三「 ( 筵の ) 床」と掛詞。永遠なる仏法 の妙味を説いて。 四「 ( 神心 ) 寄る」と掛詞。夜の勤行よう 五仏を礼拝するときのことば。一心 に仏に敬礼を捧げる、の意。 《大和舞》の場合は、後シテの天冠 に紅葉した葛をつける。 六仏・菩薩が民衆を救済するために その威光を和らげ、種々の姿になっ て人間界にあらわれること。 七最上の正覚。正覚は正しい悟り。 その悟りの心境を澄んだ月にたとえ ^ ※下掛系は「月にさまし」。この場 合は「五衰の眠り」に対応する。 九「法性」と「真如」とは同じ。万物に そなわる常住不変の相。これを宝に たとえた。 一 0 葛城山の異名。 = ※下掛系は「玉葛に」。 三※車屋本は「這ひまつはるる」。 謡曲集 ごんぎ 0 座で正面を向いた後、静かに中入する ) 。 アイの葛城山のふもとの者が出て常座に立ち、大雪だが用事に 出かけようと言って、角へ出てワキの山伏の姿を見つける。ア イは中央に着座して、ワキの尋ねに応じ、葛城山の岩橋のこと えんぎようじゃ カ持祈疇を や、役の行者が葛城の神を縛めたことなどを語り、ロ するようにと勧めて狂言座に退く。 ワキ・ワキツレ着座のまま〈上歌〉を謡う。 いははし こけころもそで ワキ ワキツレ气〈上歌〉岩橋の、苔の衣の袖添へて、苔の衣の袖添へ のりむしろ三 て、法の筵のとことはに、法味をなして夜もすがら、かの 四 かみ・こころよる 葛城の神心、夜の行ひ声澄みて。 ( ワキは正面先へ向き合掌して ) いッしんきゃうらい 一心敬礼。 仕事をせぬために成就せす、怒った役の 行者が葛城の神を蔦葛で縛めたことなど を物語る。 ごんぎよう 山伏たちは夜の勤行を始める。 山何の山「 ~ 石のそばで、法衣の袖をととの えて、法衣の姿に威儀を正して、説法の 場を設け、永遠の法である仏教の妙味を 説いて夜一夜、あの葛城の神の心の寄る ごんぎよう ようにと、夜の勤行を勤めるその声は夜 いっしんきようらい 空に澄み、『一心敬礼』。 葛城の神 ( 女体 ) があらわれ、縛められた たかま 姿を示した後、天上界の高天の原になぞ たかまやま らえて、ここ葛城の高間山で大和舞を舞 女神「わたくしは葛城山の夜に、光を和らげ 〔出端〕の囃子て、後シテの葛城明神が登場し、常座に立って謡 た姿となってあらわれ、五衰の苦しみを い出す。掛合いの謡があって、地謡となると、シテは舞台をま 離れて澄んだ月の光のような悟りの境地 しんによ わる。続いて〔序ノ舞〕を舞い、常座で留める。 に入り、真如の具現しているこの『宝の 山』に、仏教の妙味に引かれて来たので 〔出端〕 ある。よくよくお勤めなさってください わくわう シテわれ葛城の夜もすがら、和光の影に現はれて、五衰のませ。 山伏「ふしぎなこと、険阻な山の谷陰から、 ねむ むじゃうしゃうがく八※ ほッしゃうしんによ一 0 眠りを無上正覚の月に澄まし、法性真如の宝の山に、法味女体の神と思われる、玉のかんざし玉か きた ずらをつけ、なおその上に蔦葛をかけ添 おんころもは に引かれて来りたり ( ワキへ向く ) 、よくよく勤めおはしませ。 えて、それが御衣に這いまつわっている とかげ しん によたい ワキふしぎゃな峨々たる山の常陰より、女体の神とお・ほしお姿が見える。 ふどうみようおう 女神「これをごらんくださいませ、不動明王 ったかづら たまか・つら くて、玉のかんざし玉葛の、なほ懸け添へて蔦葛の、這ひの索がかかって、このようにからだを縛 ほふみ よひ」よ けんそ

4. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 一面目ない、きまりわるい、恥ずか しい、などの意の語を重ねた。 ニ朝になるの意と、あからさまにな るの意と、両意を含む。 三※下掛系は「岩戸の内にぞ入り給 , 《大和舞》の場合、シテは舞台で留 めず、地謡のうちに退場し、ワキが 幕へ向いて合掌して留める。 三五〇 の顔がたち ( 常座から中央〈出る ) 、面なや面はゆや、恥かしや目もないこときまりわるいこと、恥ずか しいことわれながらなさけないこと。朝 あさましゃ ( 扇で面を隠す ) 、あさまにもなりぬべし ( 角〈行く ) 、 になってあからさまにもなってしまうだ ろう、夜の明けぬうちに、夜が明けるよ 明けぬさきにと、葛城の ( 脇座前から常座〈行く ) 、明けぬさき り前に帰ろうと言って、葛城の神は夜の いわと にと、葛城の夜の ( 扇をかざして小さくまわる ) 、岩戸にそ入り給 岩戸に入られた、常に夜のように暗い岩 三※ 戸のお住まいの中に、お入りになったの ふ、岩戸の内に、入り給ふ ( 左袖を返して留拍子を踏む ) 。 。こっこ 0 よる おも おも

5. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 四二四 たはむ 一※下掛系は「月にめで」。 さらしなの、 シテ月に馴れ、花に戯るる秋草の、露の間に、 五 ニ「露」の序。 なに 地謡「姨捨山に照る月を見ても。照る月を 三ほんのわすかの間に。 地謡露の間に ( 正面へ数歩出る ) 、なかなか何しに、あらはれて、 四なまじっか。中途はんばに。 見ても涙がこ・ほれる。 こてふ 五どうして。「なかなか」と頭韻。 老女「月になれ親しみ、花と遊ぶこの秋のひ 胡蝶の遊び ( 目付柱へ数歩出る ) 、 六荘子が夢で胡蝶になったという故 ととき、 そで 事に基づく 地謡「このほんのつかのまに、中途はんば 七「舞の袖」と「昔の秋を」と前後に掛シテ气たはぶるる舞の袖 ( 左袖を巻きあげる ) 、 かる。 なことながら、どうしてまたここにあら こちょう ^ 「昔の秋を」を受ける。なお、下掛地謡返せや返せ ( まわ「て大小前へ行く ) 、 われて、はかなくも夢の中の胡蝶のよう 系は「思ひ出でたり」。 に舞い遊んだのであろう。 九迷いにとらわれた心。 シテ气昔の秋を、 一 0 「 ( 身に ) しみ」と掛詞。 老女「たわむれの舞の袖を、 まうシふ , 「恋しきは昔」でシオリをする演出地謡气思ひ出でたる、妄執の心、やるかたもなき ( 中央〈出る ) 、 」「返せや返せ。袖を返すとともに、 もある。 こよひあきかぜ 老女「昔の秋をも呼び返せ。 = この世。 三朝の意と、あからさまの意と、 今宵の秋風、身にしみじみと ( 幕のほうを望み見る ) 、恋しきは地謡「昔の秋を思い起こせば、思い出すの しの えんぶ 両意をもつ。 は迷いの心。これを晴らすこともできず、 昔 ( 深く面を伏せる ) 、偲ばしきは閻浮の、秋よ友よと、思ひを 一三わが姿も人に見えなくなり。亡 今宵の秋風は身にしみ、しみじみと恋し 者なので、朝になれば姿を消し、常 く思うのは昔、慕わしく思われるのはこ 人には見えなくなることを示した表れば、夜もすでにしらしらと ( 空を見あげる ) 、はやあさまに 現。 たびびと の世に生きていたとき。その昔の秋よ友 , 常座に立って、「独り捨てられて もなりぬれば、われも見えず、旅人も帰る跡に ( ワキ・ワキッ よと思い続けていると、夜もすでに白み、 老女が」と謡う演出もある。 もはや朝になってあらわにもなってしま 一四老女のわたくしの昔は、たしか レは立って退場する。シテはそれを見送る ) 、 に捨てられた身であったが、今もま ったので、わたくしの姿も人に見えなく た旅人に見捨てられてしまい、の意。シテ ( 中央に着座してシオリをしつつ ) 独り捨てられて老女が、 なり、旅人も帰ってゆく。そのあとに、 , 「残リ留ごである。↓「檜垣」 ( 四一 老女「ただひとり捨てられて、老女のわたく 地謡气昔こそあらめ今もまた、姨捨山とそなりにける、姨捨しは、 地謡「昔はたしかに捨てられた身であるが、 山となりにけり。 ( 謡が終わってからシテは立ち、常座へ行き留める ) ( 老女 ) 今もまた捨てられて、文字どおり姨捨山 となったのであった、今もまた姨捨山の 名のとおりになってしまったのであった。 一※な ム 四 ひと そで

6. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

二五四 さるさわみゆき一※ いたことは、そのとき天皇はかわいそう この猿沢に御幸なりて、 し力い えいらんナ にお思いになり、この猿沢においでにな シテ「采女が死骸を叡覧あれば、 女曽「采女の死骸をごらんになったところ、 ワキ气さしもさばかり美しかりし、 旅僧「あれほどにまでも美しかった、 ひすい せんげんびん ニ美しいつややかな髪を、かわせみシテ气翡翠のかんざし嬋娟の鬢、 女曽「かわせみの羽のようにつややかで長 の羽色にたとえていう語。 かつらまゆずみ い髪や、あでやかで美しい鬢の髪、 = あでやかで美しい鬢の髪。「嬋娟ワキ「桂の黛、 旅僧「三日月のような細い描き眉、 両鬢秋蝉翼、宛転双蛾遠山色」 ( 和漢 たんくわくちびる 朗詠集・妓女白楽天 ) 。 詼曽「赤い花のような唇、 シテ丹花の唇、 四三日月のような細い描き眉。桂は 旅僧「という、生前のやさしくやわらかな姿 月の異称。 とはすっかりちがって : ワキ「柔和の姿引きかへて、 もく・つみだ 五ロ語訳では、便宜上、以下をシテ 女曽「そうです、池の藻屑になって、とり乱 シテ 气池の藻屑に乱れ浮くを、君もあはれとおぼしめして、 の立場の表現とした。もとよりシワキ した状態で浮かんでいた、それを、天皇 テ・ワキ共通の表現であるが、次の わぎもこ もかわいそうにお思いになって、 地謡の末尾はシテの立場のものにな地謡气〈上歌〉吾妹子が、寝ぐたれ髪を猿沢の ( ワキ、着座 ) 、寝ぐ っている。 「わが愛するあの子の、寝乱れた髪を猿 たまも たれ髪を猿沢の ( 正面へ数足出る ) 、池の玉藻と、見るそ悲しき沢の、寝乱れ髪を猿沢の、池の水草と見 しも おんなさけ るのは悲しいことだと、歌を詠んでお心 と ( ワキ〈向きシオリ ) 、叡慮にかけし御情、かたじけなやな下におかけくださ 0 たそのお気持は、ほん しもじも とうにありがたいことであった。下々と , 流儀によっては「君を恨みし」でシ として、君を恨みしはかなさは、たとへば及びなき、水の オリをする。 して君を恨んだおろかさは、たとえば水 に映った月を取ろうとした猿と同じこと。 〈猿が水に映る月を取ろうとして溺月取る猿沢の ( 脇正面を見る ) 、生ける身とお・ほすかや、 ( ワキへ 死したように、身のほどを知らぬお このわたくしを生きている者とお思いで イうれし いけみ・つ そこ ろかな望みをもって失敗すること。 向き ) われは采女の幽霊とて、池水に入りにけり、池水の底すか。そうではなくわたくしは、そのと 『僧祇律』にみえる寓言。 七「 ( 水の月取る ) 猿」と掛詞。「池」と きの采女の幽霊であると言って、猿沢の に入りにけり ( 常座へ行き正面を向いた後、中入する ) 。 音の通ずる「生ける」の序。 池の水中に入ってしまった、池水の底に ^ ※下掛系は「お、ほすなよ」。 さんけい 入って見えなくなってしまった。 アイの春日の里の者が出て、常座に立ち、春日神社に参詣する と述べて、角へ出てワキの僧の姿を見つける。アイは中央に着 春日の里の者が旅僧を相手に采女の死の 座して、ワキの尋ねに応じ、采女の死の子細を語り、女の供 ことを語り、采女の供養を勧める。 謡曲集 一※現行観世流は「なっ , て」。 五 もくず

7. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

正面を向いた後、中入する ) 。 出たのである。ほんとうに昔のことを恋 しく思うのなら、この一枝の花の陰に寝 アイの北山辺の者が出て常座に立ち、雲林院へ花見に行こうと きんみつ て、わたくしの姿を夢でごらんなさい。 言って、角へ出てワキの公光の姿を見つける。ワキの尋ねに応 ありわらの そうなさるなら、そのときあなたの不審 じ、アイは中央に着座して、在原業平のことや、『伊勢物語』 を晴らそう、と言ったかと思うと、夕方 の作者についての諸説を語り、花の木陰で一夜を明かすよう勧 の空の薄くかかった霧の中に融け込んで、 めて狂言座に退く。後見が桜ノ立木をかたづける。 老人の姿ははっきりとはわからなくなっ ワキ・ワキツレは着座のまま〈上歌〉を謡う。 てしまった、はっきりとはわからない状 こかげ ワキ 气〈上歌〉いざさらば、木蔭の月に臥して見ん、木蔭の態になって消えてしまった。 ワキツレ きんみつ はなごろもそで 北山辺に住まいする者が公光を相手に業 = 「いざ今日は春の山べにまじりな月に臥して見ん、暮れなばなげの花衣、袖を片敷き臥しに 平のことや『伊勢物語』の作者について む暮れなばなげの花のかげかは」 ( 古 物語り、花の木陰で一夜を明かすように 今・春下素性法師 ) に基づく。歌意けり、袖を片敷き臥しにけり。 勧める。 は、さあ、今日は春の山べに分け入 ることになろう。日が暮れたら、そ 公光と従者とは、月影の漏れる雲林院の 〔一声〕の囃子で、後シテの在原業平が登場し、常座に立って こがかりそめの花の陰の宿りであろ 花の陰で仮寝の夢をむすぶ。 謡い出す。ワキは着座のまま謡い出し、シテのせりふがあって、 うか、いやりつばな花の陰の宿りな 掛合いの謡に続く。 のである。「なげ」は無気で、なさ 公さあ、それでは、木陰を漏れる月のも そうな、ないと同様、の意。 とで寝て夢を見よう、月のもと木陰に寝 て夢を見ることにしようと、『日が暮れ たら、それこそりつばな花の宿りだ』と 三『古今集』恋五、在原業平。歌意シテ月ゃあらぬ、春や昔の春ならぬ、わが身一つは、もと歌に詠まれた、雲林院の花の散りかかる は、月は昔のままの月であろうか、 衣の、片袖を敷いて寝たのであった、衣 春は昔のままの春であろうか。わがの身にして。 の片袖を敷いて寝たのであった。 身はたしかにもとのままの体なのだ 一三うへびとに えんれい てんじようびと 艷麗な殿上人のよそおいの業平の亡霊が ワキふしぎゃな雲の上人匂やかに、花に映ろひあらはれ給 一三清涼殿の殿上の間に昇殿を許さ 夢にあらわれて、『伊勢物語』の「秘事」 れた五位以上の者および六位の蔵人 。いかなる人にてましますそ。 をることになる。 の総称。殿上人。 むかしをとこいにしへ 一四艷麗なよそおいで。 きた業平「『月ゃあらぬ、春や昔の春ならぬ、わが シテ「今は何をかつつむべき、昔男の古を、語らんために来 身一つは、もとの身にして』。 うえびと . り・ . こ . り・ .0 公光「ふしぎなこと、雲の上人が艶麗な姿で、 四四七 雲林院 うつ

8. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

七※以下、アイとの応対のワキのせ りふは下掛宝生流による。 六※以下のアイのせりふは山本東本 による。 っているのを見つけ、中央へ行き着座してワキにその旨を述 べる。ワキとアイとの問答の後、アイは狂言座に退く。 六※ それがし アイ「 ( 常座で ) かやうに候ふ者は、和州三輪の里に住まひする者にて候。某このほど宿願の子細あって、 なぬか こんにツタまんさん 三輪の大明神へ七日の日参仕り候ふが、今日は満参にて候ふ間、急いで参らばやと存ずる。 ( 以下、歩 おんこと きながら ) まことにありがたき御事にて候ふそ。われらごときの賤しき者のロにて、神道の事を申すは 、はくらこけむしろ ざなぎいざなみみことあま いかがなれども、当社大明神と申すは、かたじけなくも伊弉諾伊弉冉の尊、天の岩倉の苔莚にて男女 ナぐわちじんびるこ の語らひをなし給ひ、一女三男を儲け給ふ。一女とは天照大神の御事、また三男は月神・蛭子・素盞 を 嗚の尊、その素盞嗚の御子に大己貴の神と申すは、すなはち当社大明神の御事なり。また大物主とも と おんやしろ おんがみごしやごはんでん 申し奉り候。さあるによって、余の御神は御社御拝殿などを結構に執り行ひ候へども、当社には御社 ごしんぼく ごしんたい あが もなく、ただ杉を御神木とも、また御神体とも崇め御申し候。 ( 角で ) いや独言を申すうちに、程なう じゃうじゅ 神前に参り着いて候。 ( 作リ物へ向かって着座し、拝礼する ) あらありがたや、七日の日参するすると成就 仕り、満足申して候。やがて下向申さう。 ( 立って、衣を見つけて ) あらふしぎや、御神木の一の枝に御 やまかげ げんびんそうづ 衣の掛りて候ふが、あれはまさしくこの山蔭にまします、玄賓僧都の御衣かと存じ候ふが、いかやう なる子細により、これには掛けて置かせられ候ふそ。あまりに不審に候ふ間、これより直に僧都へ参 、御衣の様体を尋ね申さばやと存ずる。 ( 中央へ行き、着座する ) アイ「この間はおこたり申して候。 セ※ のワキ「何とておこたられて候ふそ。 里 アイ「もっとも毎日参りたく候へども、某このほど宿願の る 告子細あって、当社大明神へ七日の日参仕り候ふが、今 を 日満参にて、すなはち神前にてするすると成就仕り、 と 満足申して候。さて神前より直に参る事余の儀にあら の 衣ず。御神木の一の枝に御衣の掛りて候ふが、あれはま 都さしく僧都の御衣かと存じ候ふが、いかやうなる子細 により、あれには掛けて置かせられ候ふそ、不審に存 四六七 ゃうだ、 にツさんつかまっ いちによさんなん / まう おほあなむぢ げかう わッう にち てんせうだいじん すみ ひとりごと しゆくぐわん しんたう よ すぐ おほものぬし なんによ すさの

9. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

六※下掛系は「御寿命は尽きまじき」。 七「御寿命」と「泉」と上下に掛かる。 ^ 玉のように清い水。「水上」の序。 九君主を源流に、民衆を末流にたと える。「君子ハ徳ヲ養フ、源清ケレ ノ則なチ流レ清ク、源濁レバ則チ流 レ濁ル」 ( 荀子 ) 。 シテは中央へ行き着座する。〈クリ〉以下があって、〈下歌〉で シテは立ち、水を汲む心で常座へ行く。〈ロンギ〉となり、泉 一 0 「 ( 尋ねても ) よもあらじ」と続く をのぞき込む型などあって、中央でワキへ向いて着座する。 文脈を「蓬が島」に転じた表現。秦の 始皇帝が徐福に命じて、東海の蓬 ためし よも」しま 莱島に不老不死の薬を求めさせた故地謡气〈クリ〉げにや尋ねても、蓬が島の遠き世に、今の例も 事を引く。 くすり = 「 ( 例も ) 生く」 ( 例が現存する ) と 生く薬、水また水はよも尽きじ。 掛詞。長生・不死の薬。参考「君が ため蓬が島もよりぬべし生く薬とる シテ气〈サシ〉それ行く川の流れは絶えずして、しかももとの 住吉の浦」 ( 壬一一集藤原家隆 ) 。 三「久しく」まで『方丈記』冒頭文。 水にはあらず。 ただし、「流れに浮ぶ」は、原文「よ どみに浮ぶ」。なお、下掛系は「よど みに浮ぶ」。 地謡流れに浮ぶうたかたは、 養老 勅使「千代に八千代に栄える佳例までも、 ワキ气千代に八千代の例までも、 老父「目前に見る思いのこの薬の水。 シテ气まのあたりなる薬の水、 勅使「まことに老を、 老父「養う水というべぎである。 ワキまことに老を、 地謡「老いたる人をも養うのならば、まし ( 老父 ) て年盛りの人の身には薬、これを持ち帰 シテ气養ふなり ( シテ・ワキ向かいあって一歩ずつ出る ) 。 り薬とされるならば、いつまでも君のご 地謡气〈上歌〉老をだに養はば、まして盛りの人の身に、薬と 寿命は尽きまい。この尽きることのない 六※ ごじゅみやう七 泉の水はめでたいことだ。まことに玉の かみ ならばいつまでも ( シテは数歩正面へ出る ) 、御寿命も尽きまじ ごとく清い水、そのように澄んだお上の たまみづすみ き、泉そめでたかりける。げにや玉水の ( 角へ行き左へまわる ) 、御代であるので、下々のわたくしどもま で、ゆたかな暮らしのできるうれしさ、 水上澄める御代そとて、流れの末のわれらまで、豊かに住 ゆたかに暮らすのはうれしいこと。 他の霊水の例を挙げつつ、なおもこの薬 めるうれしさよ、豊かに住めるうれしさよ ( 常座にもどり、ワ の水の徳をたたえる。 キへ向く ) 。 地謡「、やまったく、尋ねてもよもやある ( 老父 ) し よもぎ まい遠い昔の蓬が島の霊薬が、今ここに 実例として存在するこの不死の薬の水、 その水はこんこんと湧き出でて尽きるこ とはあるまい。 老父「流れ行く川の水は絶えす、それでいて その水はもとのままの水ではない。 地、謡「流れに浮かぶ泡は、消えたかと思え ば一方ではまた生じて浮かび、久しく澄 んだ色をとどめていることよ。 老父「とくにこの水は、まったく他に例も見 ない、夏の山の、 地謡「下を流れ行く水の薬となったもの。 ( 老父 ) みなかみ やちょ ためし かっ消えかっ結んで、久しく

10. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 こけした なが が暮れ、花の咲く木の下陰を今夜の と、气詠めし人はこの苔の下 ( 杖をつく ) 、いたはしやわれらので、一夜の宿をお貸しください。 やどりとするならば、この桜の花が 老人「なんとまあなさけないこと、この花の とむら 主人となってもてなしをしてくれる がやうなる海人だにも、常は立ち寄り弔ひ申すに、お僧た陰ほどのお宿がほかにありましようか。 ・こつ、つ 0 三※ とむらたま ぎやくえん 旅僧「まことにこれは『花の宿』であるが、 ちはなど逆縁ながら弔ひ給はぬ、おろかにまします人々か さていったい、だれを主人と定めようそ。 一※下掛系は「詠めし人もこの苔の 老人「『行き暮れて木の下蔭を宿とせば、花 な ( ワキへ一歩出る ) 。 あるじ ニ字義どおりの意味とともに、「墓 や今宵の主ならまし』。この歌のように、 こよひあるじ したかげ の下」の意に用いられることが多い。 ワキ「行き暮れて木の下蔭を宿とせば、花や今宵の主ならまし花が主人なのだ。いや、この歌を詠んだ , 「苔の下」で下を見るだけの演出も ある。 なが 人はこの木のもとの苔の下に埋められて 三※下掛系は「逆縁なりとも弔ひ給と、气詠めし人は薩摩守、 いる。いたわしいことだ、わたくしのよ はぬ」。 かせん うな海人の身でさえも、つねづね立ち寄 四ワキが「薩摩守」と言い出した、そシテ「忠度と申しし人は、この一の谷の合戦に討たれぬ。ゆか りお弔い申しているのに、お僧たちはど のあとを引き取って続けた。平忠度 は忠盛の末子で清盛の弟。左兵衛佐 うして、行きずりの縁とはいえお弔いな りの人の植ゑ置きたる、しるしの木にて候ふなり。 薩摩守。寿永三 ( 一一会 ) 年一の谷で戦 さらぬのか。うつかりしていらっしやる としなり 七※ 死。四十一歳。 ワキ气こはそもふしぎの値遇の縁、さしもさばかり俊成の、 方々であること。 五神戸市須磨区。須磨の浦の入口に 九 あたる要害の地。 旅僧「『行き暮れて木の下蔭を宿とせば、花 シテ和歌の友とて浅からぬ、 六縁故のある人。 や今宵の主ならまし』と詠んだ人は、た さつまのかみ 七※下掛系は「うたてやさしも俊成 しか薩摩守・ : ワキ宿は今宵の、 の、和歌の : ・」。 老人「そのとおり、その忠度と申した人は、 ^ めぐり合せ。出あい。 九以下、意味の上ではひと続きのもシテ气主の人、 この一の谷の合戦で源氏方に討たれた。 のを、シテ・ワキ両者で分けて謡っ 一ニうてな のり それでそのゆかりの人が、亡き跡のしる ている。最後の地謡の文句ではっき 地謡气名もただ法の声聞きて、花の台に座し給へ ( シテは中央へ しとして植えたのがこの木であります。 りするように、意味上はワキの立場 のことばである。 旅僧「これはなんとも、ふしぎなめぐり合わ 行き着座し、扇を手に持つ。ワキも着座する ) 。 一 0 ※下掛系は「馴れ馴れし」。 せ。あれほどまでに主人の俊成の、 = 「 ( 名も ) 忠度」と掛詞。 掛合いの謡があって、その末尾にシテは立ち、中入する。 老人「和歌の友人として深いっきあいのあ 三蓮の花を台に見たてたもの。 ( 旅僧 ) ぶッくわ ム 蓮台。この上にすわるのは、成仏し った忠度が、今は幽明境を異にして、 かくとぶらひの声聞きて、仏果 シテ气ありがたや今よりは、 た者である。 旅僧「今宵の宿の、 , 流儀によっては、「ありがたや」で 老人「主人であるとは。 を得んそうれしき。 ワキへ向き合掌する演出がある。 こ さつまのかみ 五 ( 旅僧 ) したかげ こけ こと