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検索対象: 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)
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1. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

ごせいぐわん一四 願にも偽りはなく、の意。 地謡气われ世の中に、あらん限りはの御誓願、濁らじものをのただよう春で、天までも花に酔ってい 一五緑の芽も吹く。 きよみづ あをやぎ るかのよう。なんとも面白い春のけしき、 実「万の仏の願よりも、千手の清水の、緑もさすや青柳の、げにも枯れたる木なりとも、 ああ面白い春であること。 誓ひぞ頼もしき、枯れたる草木もた さくら - ちまちに、花咲き実なると説とい給 旅の僧から名を尋ねられても、童子は明 花桜木のよそほひ ( 左手を頭へやって月を仰ぎ見る ) 、 いづくの春 ふ」 ( 梁塵秘抄 ) とあるように、枯木 白には答えす、そのまま田村堂の中に入 ありあけ に花を咲かせることは千手観音の仏 ってしまう。 もおしなべて、のどけき影は有明の、天も花に酔へりや、 力と信ぜられていた。 一七「 ( 花 ) 咲く」と掛詞。 地謡「いやまことに、様子を見ているだけ 面白の春べや、あら面白の春べや ( 中央に着座する ) 。 入「 ( 影は ) あり」と掛詞。 でも、ただのお人ではないことが伺われ . かた 一九「春ノ暮月、月ノ三朝、天花ニ酔 るが、あなたはどういうお方かしら。 ヘリ、桃李ノ盛いかナレバ也。 : ・」 ( 和 〈ロンギ〉の掛合いの謡があって、地謡となると、シテは立ち、 漢朗詠集・三月三日付桃菅原道真 ) 童子「だれかと言われても、さあその名も知 扇で田村堂の戸を開ける型をして、中入する。 による。 られぬ者。ただわたくしのことに関心を 一一 0 「 ( その名も ) 知らず」と掛詞。「跡」 もたれるのなら、この寺に帰る方向をご の序。 地謡气〈ロンギ〉げにや気色を見るからに、ただびとならぬよ らんなさい。 三※下掛系は「見給へ」。 ニニ※下掛系は「いづこ蘆垣の」。 「いったいどこへ帰るのだろう、近い そほひの、その名いかなる人やらん。 ニ三「間近き」の枕詞。蘆で作った垣 所か、または遠い所か。 しらゆき の編み目が密だからである。 シテ气いかにとも、いさやその名も白雪の、跡を惜しまばこ女 ) 「気がかりにお思いなさるのなら、わ ニ四「遠ごすなわち遠い所の意をあら わした後、「遠近のたづきも知らぬ たくしの行く先を見なさい、と言って、 山中におぼっかなくも呼子鳥かな」 の寺に、帰る方を御覧ぜよ。 童子は地主権現のお前よりくだるかと見 ( 古今・春上読人知らす ) の歌を引 あしがき まちかほどをちこち えたが、くだりはしないで坂の上に登り、 き、「おぼっかなくも」を導き出して地謡气帰るやいづく蘆垣の、間近き程か遠近の、 田村堂の軒先を漏れる月影が、まだらに いる。したがって「山中に」までは やまなか さしている扉を押し開けて、その中にお 「おぼっかなくも」の序で、意味をもシテ气たづきも知らぬ山中に、 たない。そのためロ語訳では、シテ 入りになった、田村堂の奥へとお入りに たま ゆかた の一句を省いた。 地謡气お・ほっかなくも、思ひ給はば、わが行く方を見よやと なったのであった。 ニ五坂の上にある。坂上田村麿の「坂 おんまへ の上」を含ませ、次の句へ続く 清水寺門前の者が僧の問いに応じて清水 て ( 居立ち、ワキを見る ) 、地主権現の御前より ( 立っ ) 、下るか ニ六清水寺の境内にあり、田村麿お 寺の縁起を語り、田村丸のための仏事を のきも よび行叡・延鎮の像が安置してある。 勧める。 ド一、よ′ と見えしが、下りはせで坂の上の、田村堂の軒洩るや ( 頭 ニ七軒先から漏れた月の光がまだら 僧は夜どおし桜の木陰で読経する。 にさしている扉。「むら戸」は未詳。 編戸のことか。 へ手をやって見あげる ) 、月のむら戸を押し開けて ( 扇を開いて戸を旅譱「夜の間ずっと、花の散る桜の木陰に寝 田村 かたニ一※ ゑ

2. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 らかな水が尽きるということはよもやあ 一天下泰平の象徴。↓五八ハー注五。 も晴れぬべし、千本の山桜 ( 左の手で作リ物をさす ) 、のどけき ニ「 ( すでに ) 暮れん」と掛詞。「節よ」 るまい くれたけ と音の通ずる「夜」の序。 嵐の山風は、吹くとも枝は鳴らさじ。この日もすでに呉竹 老人夫婦 ( 木守・勝手の神 ) は、再会を約 「この日もすでに呉竹の」でシテの 望み見る方向は流儀によって異なる。 たま 束しつつ、雲に乗って吉野のほうへ行ぎ、 三「 ( 明日も ) 見ん」と掛詞。 の ( 地謡座のほうを望む ) 、夜の間を待たせ給ふべし ( ワキへ一歩出 見えなくなってしまう。 四嵐山を含む、京都の西方の山々。 あす三 地謡「さあ花を守ろう、さあ花を守るこ 五南は吉野の方向である。 る ) 、明日もみ吉野の山桜 ( 正面先へ出る ) 、立ち来る雲にうち ( 老人・姥 ) , 「南の方に」で正面を向くことなく、 とにしよう。 せきゃう にしやま まっすぐ退場する演出もある。 乗りて ( 右〈まわり、常座に向かう ) 、タ陽残る西山や、南の方に地 3 「春の風は空一面に満ちていて、春 , アイの特殊演出《猿聟》の場合は、 風が空いつばいに吹いて、庭の木々の枝 猿が大勢登場してにぎやかに酒宴を 行きにけり ( 正面を向く ) 、南の方に行きにけり ( 常座で正面を向 開き、舞を舞って、吉野の聟猿が嵐 を吹き折ることがあるとしても、神風に 山の舅猿のもとへ聟入する様子をあ よって吹き返すなら、妄想の雲を神が吹 いて留める ) 。〔中入来序〕 ( 静かに中入する。続いてツレも入る ) らわす。 き払うように、もとどおり晴れやかな状 〔下リ端〕の囃子で、ツレ二人とも ざおうごんげん 態になるにきまっている。ここ千本の山 アイの蔵王権現に仕える末社の神が登場して常座に立ち、前場 まっすぐ大小前へ出る演出もある。 また、女神が常座に立ち、男神が橋 の様子を語り、続いて一曲奏でてワキを慰めようと言って、〔三 桜は咲きほこり、のどかに吹く嵐山の山 がかりに立っ演出もある。 段ノ舞〕を舞った後、退場する。 風は、たとえ吹いても枝を鳴らすことも , 木守の神を男神とし、勝手の神を 〔下リ端〕の難子で、ツレの木守の神 ( 女神 ) と勝手の神 ( 男神 ) しないだろう、世の中はまことにおだや 女神とする流儀もある。 とが、右手に桜の枝を持って登場。木守の神は一ノ松に、勝手 , ツレを子方が演ずる場合もある。 かである。いや、今日の日もすでに暮れ の神は三ノ松に立つ。「囃せ囃せ」で舞台へ入り、〔天女 / 舞〕を そのときは直面である。 方となった。夜になるのをお待ちなさい 相舞で舞う。大小前で舞を留めて、以下地謡に合わせて舞い 六下句と頭韻。名所の嵐山での、神 ませ。明日もお目にかかろうと、吉野の 神のあらたかな神楽はめでたいこと 地謡座前に着座する。 山桜の花の雲のような姿の雲が、こちら 七「この」は囃子詞 3 煢の語感をもつ。 へ向かって来たのに乗って、神々は夕日 〔下リ端〕 流儀によっては、「いろいろの」で のまだ残る都の西山より、南のほうに行 舞台へ入る演出もある。 地謡气み吉野の、み吉野の、千本の花の種植ゑて、嵐山あら ってしまった、南の吉野の方向へと去っ 〈白雪は桜花の形容。「籠り」に音の かみあそ て行ったのであった。 通ずる「木守」の序ともなる。 たなる、神遊びそめでたき、この神遊びそめでたき。いろ ざおうごんげん 九「 ( 松の色 ) 青き」と掛詞。吉野山の 蔵王権現の末社の神があらわれ、勅使一 まじしらゆき こもりかって 東嶺。笙の岩屋に近い金峯山ぶの 行に対して舞を舞ってもてなす。 いろの、いろいろの、花こそ交れ白雪の、木守勝手の、恵 続き。 木守・勝手の二神が、神の姿であらわれ、 一 0 吉野の青根が峯がここ嵐山の地 にあるかのように、よく似た小倉山、みなれや松の色、 ちもと ちもと かって ちもと

3. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

も、もう肩を越すほど伸びてしまつあやしや名のりおはしませ。 た、この髪を結いあげて妻にしてく こひごろも ださる方は、あなたでなくてほかにシテ气まことはわれは恋衣、紀の有常が娘とも、いさ白波の だれがありましよう。当時女子は成 まぎ きた 人の儀式として「髪上げ」を行なった。 龍田山、夜半に紛れて来りたり。 女が男の求婚に対して承諾の意志を 表示したもの。一 = 「古りにし物語」地謡气ふしぎやさては龍田山、色にそ出づるもみち葉の、 のことと、この女の有様と両方に掛 かる。一六「着」と音の通する「紀」の シテ紀の有常が娘とも、 序。一七「 ( いさ ) 知らず」と掛詞。前 出「風吹けば」の歌から「夜半に」と続 けた。入龍田山が紅葉の名所なの地謡气または井筒の女とも、 で、次句の序となる。一九「黄」と音 の通ずる「紀」の序。ニ 0 「 ( われなりシテ恥かしながらわれなりと、 と ) 言ふ」と掛詞。「注連繩の」と続け しめなは て、「長ぎ」の序とする。三「 ( 契り地謡气結ふや注連繩の長き世を ( 立「て常座へ行く ) 、契りし年は し年は ) つづ」と掛詞。「つづ」は、 「十」のことであるが、「十九」に誤用筒井筒 ( 正面〈少し出る ) 、井筒の蔭に隠れけり ( 常座〈下がり面を された。ここでは「十九」の意。 「隠れけり」と膝をついて留めた後、 伏せる ) 、井筒の蔭に隠れけり ( 静かに中入する ) 。 立って静かに中入する演出もある。 いちのもと , 《物着》の場合は、シテは後見座で アイの和州櫟本の者が出て常座に立ち、在原寺へ日参している 装束を取り替え、アイの〈語リ〉とワ ことを述べて、角へ行き、ワキの僧の姿を見つける。アイは中 キの〈上歌〉は省略される ( したがっ 央に着座して、ワキの尋ねに応じ、業平と紀の有常の娘とのこ てアイは登場しない ) 。《物着》の場 合、大小前で膝をついて留め、その とを語り、この場で弔うことを勧めて狂言座に退く。 ままそこで装束を替えることもある。 ワキは着座のまま〈上歌〉を謡う。 一 = 一今は、奈良県天理市の一部。 ありワらでら = = 昔を今に返して、思う人に会おワキ气〈上歌〉更けゆくや、在原寺の夜の月、在原寺の夜の月、 うと、衣の袖を裏返しにして、の意。 ニ四※ ころもで かりまくらこけむしろふ 参考「いとせめて恋しき時はうば玉 昔を返す衣手に、夢待ち添へて仮枕、苔の筵に臥しにけり、 の夜の衣を返してぞ着る」 ( 古今・恋 一一小野小町 ) 。「衣手」は袖。 苔の筵に臥しにけり。 ニ四※下掛系は「旅枕」。 苔を敷物に見たてた。旅寝する こ A 」を一い、つ。 〔一声〕の囃子で、業平の形見の衣を着た後シテの井筒の女 ( 紀 井筒 しらなみ とによってであろう、『筒井筒の女』と もいわれたのであるが、それは有常の娘 の昔の名なのであろう。 僧が名を尋ねると、紀の有常の娘とも井 筒の女ともいわれたのは実はわたくしで あると告げ、女性は井筒の陰に姿を消す。 地謡「いやまことに、古い昔の物語は、聞 けば美しい一一人の恋物語であった。それ につけて、あなたもふつうのお方ではな い様子、どうそお名をおっしゃいませ。 女「実はわたくしは、その恋をした、紀の 有常の娘かどうかも、さあどうだかわか らないが、夜にまぎれてあらわれて来た のである。 地謡「ふしぎなことだ、それではあなたは、 今のおことばによって、すでにそれと察 せられるように : 女「そうです、紀の有常の娘とも、 地い「または井筒の女ともいわれたのは、 女「恥ずかしいことながら、わたくしであ ると、 地謡「言うやいなや、彼女が末長く夫婦の契 りを結んだのは十九の年、その十九に縁 のある筒井筒の陰に隠れてしまった、井 筒の陰に姿を消してしまった。 いちのもと 在原寺へ日参している櫟本の者が、旅の 僧に対して業平と有常の娘とのことを物 語った後、弔いを勧める。 二七七

4. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

イふぐれ に」。一四月に青衣の天子十五人と白シテ「夢とはなどやタ暮に、あらはれ出でし老の姿、恥かしな老女「どうして夢だなどと言われるのか、タ 衣の天子十五人がいて、その天子が きた 暮れにあらわれた者が、恥ずかしいこと 月宮殿に入ったり出たりすることに がら来りたり。 ながら老女の姿で出て来たのである。 よって月の満ち欠けが起こるという 都の者「何をお隠しになることがあろう、も 伝説に基づき、「白衣の女人」とした。ワキ气何をかつつみ給ふらん、もとより所も姨捨の、 一五「 ( などや ) 言ふ」と掛詞。一六※下 とよりここは姨捨という所 : らうぢよすみどころ 掛系は「昔の姿」。一七※下掛系は、こ シテ气山は老女が住所の、 老女「そうです、この山は老女の住む所で、 の次に以下のワキ・シテの謡が入る。 一九※ ワキ气さてはうつつの夕暮に、あり 都の者「その昔の秋の夜を偲びつつ、 つる人にてましまさば、かほど隈ワキ气日に帰る秋の夜の、 老女「月のもとで友人たちがまるく輪になっ なぎ月の夜遊の、友人とならせ給 とも・ひと へとよ。 シテ月の友人まどゐして、 シテ气げにや夜遊の月とともに、オ 都の者「草の上にすわり、 ほ執心は残れども、老の姿は恥かワキ气草を敷き、 老女「花の上で起き臥しして袖が露に濡れ、 しゃ。 老女 都の者「さも親しげにいろいろの夜遊の人々 入※下掛系は「つつませ給ふらん」。 シテ气花に起き臥す袖の露の、 と過ごすとは、 しったいいつなじみ初め 一九※下掛系はこのワキの一句なし。 そして「月の友人・ : 」がワキの謡となシテ たのか、まるで夢であるかのよう。 气 ( 向かいあって ) さもいろいろの夜遊の人に、 り、以下も順次謡い手が変わる。なワキ 地謡「もはや盛りを過ぎた女郎花のような うつつ お、現行観世流は「まとゐして」。 て現なや。 この身、盛りを過ぎた老女の身の、草で ニ 0 「置き」に音が通じ、「露」の縁語。 さか 一 = 「露」は狩衣などの袖のくくりの ちよらうくわ 模様を摺った衣はなえしおれて、その昔 緒のたれた部分、という意味がある 地謡气〈上歌〉盛りふけたる女郎花の、盛りふけたる女郎花の、 でさえ捨てられたほどの老体の身をもか ので、「袖の露」と連語になる。ただ くさ・ころ、も えりみず、またもこの姨捨山にあらわれ さらしな し、ここでは袖が露に濡れて、の意。草衣しほたれて、昔だに捨てられし程の身を知らで ( 脇正面 出でて、面をさらし、ここ更科の月光の 一 = 一「色」と「露」とは縁語。ニ三老女 おもてニ六 自身をたとえていう。ニ四おみなえ もと、人に姿を見せるというのも恥ずか へ出る ) 、また姨捨の山に出でて、面を更科の ( ワキへ向く ) 、 し。秋の七草の一。 ニ五草で模様を しいこと。いいやまあ、何事も夢の世の 摺った衣。「女郎花」の縁語。 月に見ゆるも恥かしゃ ( 正面〈向いて面を伏せる ) 。よしゃ何事中のことなので、何も言うまい何も思う ニ六「 ( 面を ) さらす」と掛詞。 ニセ「 ( 夢の世の ) 中」と掛詞。 まい、そのほうがかえってよかろう。た も夢の世の ( まわ 0 て常座へ行く ) 、なかなか言はじ思はじゃ、 ニ ^ 「思はじゃ」と連韻。おみなえし だわたくしは花々をほめたたえ、月にむ ニ ^ ぐさ そ ニ九※ の異名。老女自身、の意を含ませる。 を寄せて遊び楽しむことにしよう。 ニ九※下掛系は「明かさん」。 思ひ草花にめで、月に染みて遊ばん ( 常座に立 3 。 , 〈クリ〉で中央へ行き床儿に腰をか 老女は、姨捨山の月を賞美し、さらに阿 みだによらい . わきじ ける演出もある。この場合は「花の 〈クリ〉でシテは大小前へ行き、〈サシ〉あって、〈クセ〉となる 弥陀如来のこと、その脇侍の、月の本地 やイう れ 初そ め て、 ( 老女 ) おもて そで

5. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

三〇八 謡曲集 みちしば トカたり・ れたような、心の弱られた状態で、包み 一「 ( 通ふ ) 道」と掛詞。「露」の序。 ふ道芝の、露の世語よしそなき。 ニ「露の世」「世語」と重ねた。「世語」 隠された契りがあらわとなって、そのた は、世間のうわさと恋の話との両意シテ气〈サシ〉今は玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば、 めまた縁遠い仲となり、 を含む。「よしぞなき」と頭韻。 はなずすき六 女「そのもの思いのつらさに比べれば、昔は = 『新古今集』恋一の式子内親王の歌。地謡气忍ぶる事の弱るなる、心の秋の花薄、穂に出で初めし 末句「弱りもそする」。 もの思いとはいえないほどのこととて、 四「秋」が「飽き」に通じ、ある心の状 地謡「逢い見て後の心の苦しさは、限り知ら 契りとて、またかれがれの仲となりて、 態を保てないことに用いる。 れぬことであった。 五「穂」の序。 。シテ昔はものを思はざりし、 六隠していることがあらわれること 地謡「この内親王のあわれさを知ってほしい ( 女 ) 七「離かれ離がれ」の意。「枯れ枯れ」に 年ごとの霜により朽ち古びてしまった山 音が通じ、「穂」の縁語。 地謡气後の心そ果しもなき。 一。藍のように、涙で山藍染めの袖を朽ちさ ^ 「逢ひみての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり」 ( 拾遺・恋地謡气〈クセ〉あはれ知れ、霜より霜に朽ち果てて、世々に古せたお身の上のいたわしさを。その昔は、 一一藤原敦忠 ) に基づく。 つらい恋などはすまいと、みそぎをして やまあゐ そで こひ みそぎ 九「山藍の袖」まで、『拾遺愚草』にあ りにし山藍の、袖の涙の身の昔、憂き恋せじと禊せし、賀貧茂の斎完にまでもおなりになった御身 る定家の歌を用いた。ただし第四句 は「世々にふりぬる」。 であったけれども、神はその祈りをお聞 茂の斎の宮にしも、そなはり給ふ身なれども、神や受けす 一 0 「降り」に音が通じ「霜」の、「振 きいれなさらなかったのだろうか、定家 り」に音が通じ「袖」の縁語。 = 山藍 ( 日かげの土地に産する多年もなりにけん、人の契りの、色に出でけるそ悲しき。包む卿との契りが顔色にまで出てしま 0 たこ とは悲しいこと。包み隠そうとしたがむ 草 ) で染めた衣の袖。 とすれどあだし世の、あだなる仲の名は漏れて、よその聞 三「衣」の縁語として、「袖」の縁語 だで、はかない世におけるこのはかない となる。 仲のことはよそに漏れ、世間のうわさは 一三「恋せじと御手洗川にせし禊 えは大方の、そらおそろしき日の光、雲の通ひ路絶え果て 広がり、なんとなくおそろしい思いで日 神はうけずぞなりにけらしも」 ( 古 と′」 をとめ 今・恋一読人知らず ) に基づく を過ごし、二人の間の通い路はなくなっ て、少女の姿留め得ぬ、心そっらきもろともに、 一四「忍ぶれど色に出でにけりわが恋 てしまって、定家卿は内親王と逢うこと なげ は物や思ふと人のとふまで」 ( 拾遺・シテ气げにや歎くとも、恋ふとも逢はん道やなき、 ができなくなって、ともどもにつらい思 恋一平兼盛 ) に基づく。 かづらぎ いをしたのであった。 一五「 ( 包むとすれど ) あだ」と掛詞。 地謡气君葛城の峰の雲と、詠じけん心まで、思へばかかる執 一六「あだし世」と頭韻。 女「まことに、『歎くとも、恋ふとも逢はん しん おんナと 一七「 ( 聞えは ) 多し」と掛詞。「空」の 心の、定家葛と身はなりて、この御跡にいっとなく、離れ道やなき、 序。 地謡「君城の峰の白雲』と定家卿が詠んだ おどろ 一 ^ 「そら」「日」「雲」は縁語。 ったもみち ニ三※ 心持まで思いやられ、よくよく思えばこ 一九「あまっかぜ雲のかよひち吹きと もやらで蔦紅葉の、色焦がれまとはり、荊の髪もむすぼほ おほかた いっき はて よ シふ なげ

6. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 もみち はあるのだから、仏の力といし 、また神 と掛詞。三五瀬田川にかけられた橋が枝の、花も紅葉も色めきて、猛き心はあらかねの、土も で、大津市瀬田から石山に通する。 の力といい、数多くの力が加わっている。 おほきみしんこく 三六※下掛系は「進むらん」。 木もわが大君の神国に、もとより観音の御誓ひ、仏力とい このような勇ましい人々が待っていると 三七先駆けをしようと、すでに勝っ しんりき かずかず四 は知らないでいる鈴鹿の逆賊は、まさに たような状態で、の意。 ひ神力も、なほ数々にますらをが、待っとは知らでさを鹿 , 《長胡床あ》の場合は、〈クセ〉で 猟師にねらわれた鹿のようなはかない運 」しみ、第ノ 七※ すずか シテは立たす、〔カケリ〕も舞わない 命。かって斎宮が鈴鹿川でみそぎをなさ の、鈴鹿のみそぎせし世々までも、思へば佳例なるべし。 で、終り近くまで床儿のままである。 ったこともまた、思えば悪魔を払うとい きじん さんか 三 ^ 梅の花が他にさきがけて咲くこ 地謡气さるほどに山河を動かす鬼神の声 ( 正面先へ出る ) 、天に響 う点でよい前例となるものだろう。 とから、上句に続けられた。 八※ ばんばくせいざんどうえう 地謡「そうこうしているうちに、山や河 一「梅が枝の」を受けたための文飾。 き地に満ちて ( 上下を見る ) 、万木青山動揺せり ( 常座へ行く ) 。 を動かすような鬼神の声が、天に響き地 はなやかに活気づいて、というよう な感じで「色めきて」に続く。 に満ち広がって、あらゆる木々や山々が 〔カケリ〕 ニ「 ( 猛き心は ) あらん」と掛詞。「土」 揺れ動いた。 脇正面へ向いて謡い出す。以下地謡に合わせて鬼神を減、ほすさ の枕詞。三「草も木も我大君の国な 田村丸は〔カケリ〕を舞う。 まを舞い、常座で留める。 ればいづくか鬼の栖みなるべき」 せんじゅかんのん ためし ちかた ( 太平記巻十六紀朝雄の歌 ) による。 千手観音が田村丸に助勢して、敵はすべ いかに鬼神もたしかに聞け。昔もさる例あり。千方とい なお謡曲では、初句を「土も木も」と て減びてしまったことが述べられ、これ して用いることが多い。↓六〇ハー注 げきしん てんばっ はまさに観音の仏力であると結ぶ。 一 0 。四「 ( 数々に ) 増す」と掛詞。次ひし逆臣に仕へし鬼も、王位を背く天罰により、千方を捨 田村丸「おい鬼神よ、おまえもよく聞け。昔 の「待っ」と頭韻。五牡鹿。「さ」は 接頭語。鈴鹿の逆賊をさす。「鈴鹿」 つればたちまち亡び失せしそかし。气ましてや間近き鈴鹿にもこのような例がある。千方という賊 の序ともなる。六昔斎宮が鈴鹿川 臣に仕えた鬼も、王に反抗した天罰によ でみそぎをされたこと。これも悪魔山、 って、千方を斬り捨てたらたちまちに減 を払う意味があったと解している。 んでしまったのだ。ましてここは都に近 ※下掛系は「なりけり」。 ^ ※下掛地謡气ふりさけ見れば伊勢の海 ( 足拍子を踏む ) 、ふりさけ見れば 系は「万木千草」。現行観世流は「満 い鈴鹿山であるから、天罰は当然のこと。 あの きたツ ぎじんナ こくうんてッくわ 目青山」とあてる。九天智天皇の 伊勢の海、安濃の松原むらだち来って、鬼神は、黒雲鉄火地謡「ふり向いて遠くを見れば伊勢の海、ふ 時代、藤原千方が反逆を企て、金 すせんぎ りかえって見れば遠くに伊勢の海があり、 鬼・風鬼・水鬼・隠形ぎ鬼の四つ を降らしつつ ( 上を見る ) 、数千騎に身を変して、山の ( 雲ノ扇 の鬼を使っていたが、紀朝雄の「草 安濃の松原のあたりから群がってこちら も木も」の歌 ( ↓注三 ) によって四散し、 にやって来た鬼神は、黒い雲を出しまっ をする ) 、ごとくに見えたるところに、 そのため千方は減びたという ( 太平 かに焼けた鉄を降らして、数千騎の軍勢 記巻十六・日本朝敵の事 ) 。なお、こ の謡曲の叙述はそれとやや違ってい シテ气あれを見よふしぎゃな、 の姿になって、あたかも山のようなかた シテ「 ほろう たけ まちか ぶッりき 五 しか

7. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一「 ( 姫小松の ) 緑」と掛詞。「丹頂のし、姫小松の、緑の亀も、舞ひ遊べば、丹頂の鶴も、一千千代まで栄えるめでたいしるしとしての 鶴」と対する。 多くのもののなかから、何を例に引こう ていしゃう や」。現行金春流は「君もゑ「ぼ」入年の、を君に、授け奉り ( 鶴・亀は , 〈拝礼する ) 、庭上にそ。それは子の日 ( 根延び ) の姫小松がふ みかど三 さわしい。松の緑の毛を持っ亀も舞い遊 らせ給ひ」。 ぶし、丹頂の鶴もまた一千年の寿命を帝 = 「ゑ「ぼ ( 笑壷 ) に入る」は、意にか参向、申しければ ( 鶴・亀はワキの上に着座 ) 、帝もゑつぼに、入 なって大いに喜ぶこと。 にお授け申しあげるため、庭前に参入、 0 。現行観世流は「舞楽を奏して、舞らせ給ひ、舞楽の数をそ、奏しける ( シテはタ ' 。 ( イをする ) 。 伺候申したので、帝もたいへんお喜びに ひ給ふ」。 なって、数々の舞楽を演奏したのである。 五月の宮殿には白衣の天人十五人、 〔楽〕 ( シテは台上で立って舞い始め、やがて台より下 黒衣の天人十五人がいたという伝説 帝は〔楽〕を舞う。 りて舞う ) 。 に基づく。↓三五七ハー注九。 その舞の美しさが述べられ、やがて帝は シテは地謡に合わせて舞い、常座で留める。 六※現行諸流は「白衣の袂の」。 長生殿にお帰りになる。 六※ たもと はくえ 七上に「花の袖」とあるので「羽袖」を げッキうでん 地謡「月の都の宮殿における白衣の天人の衣 「葉袖」に言い掛けた。 地謡气月宮殿の、白衣の袂、月宮殿の、白衣の袂も、いろい ^ 美しい舞の形容として回雪と言 もみちはそで の、月の宮殿における白衣の天人の舞 そで しぐれ いならわしているので、このような ろ妙なる、花の袖、秋は時雨の、紅葉の葉袖、冬は冴え行 もいろいろで、あるいは春の花のような 表現をとった。 美しい袖を返し、あるいは秋の時雨に色 九「 ( 衣も ) 薄し」と掛詞。「紫の雲」 く ( 角へ行く ) 、雪の袂を ( 左袖をかずく ) 、翻す衣も ( 中央へ行き、袖 づく紅葉の葉のような袖をかざし、また 「雲の上人」と重ねた。 しゃううい うへびと 一 0 ※上掛系は「舞楽の声々に」。 は冬の冴えかえる雪のような袂をひるが を下ろす ) 、薄紫の、雲の上人の、舞楽の数々、霓裳羽衣の、 = 「霓」は虹のこと、「霓裳」は天人 えす。それさながらに地上の月宮殿にお さう・もッ てんじよう や仙人の着物をたとえていうことば。 いて、淡い紫色の薄い衣を着て舞う殿上 「霓裳羽衣の曲」は唐の楽曲の名。玄曲をなせば ( 足拍子を踏む ) 、山河草木 ( 正面〈出る ) 、国土豊かに、 くわんにんかよちゃう ちょよろづよ 宗皇帝が八月十五夜に道士に伴われ 人の舞楽の数々、なかでも月世界の舞に げいしようう て月宮に上り、月界の仙女の演奏す千代万代と ( ウケン扇 ) 、祝ひ給へば、官人駕輿丁 ( 橋がかりの 基づく霓裳羽友の曲を演ずると、帝は、 る舞曲を見聞し、下界にもどって作 よはひ みこし 山河草木に至るまで国土はゆたかに、千 ったのがこれであるという伝説が ほうを見わたす ) 、御輿を早め、君の齢も ( 両袖を巻きあげ、常座へ 『唐逸史』などにみえる。 年万年栄えることだと、お祝いなさる。 くわんぎよ ちゃうせいでん 三※現行金春流は「祝ひ奉り」。現行 行く ) 、長生殿に ( 両袖を下ろす ) 、君の齢も、長生殿に、還御すると役人や輿かきは御輿の進行を早め、 観世流は「舞ひ給へば」。 君のご寿命もいよいよ長久であろうと名 一三御輿をかつぐ者。 なるこそ、めでたけれ ( 留拍子を踏む ) 。 一四「 ( 君の齢も ) 長生」と掛詞。唐の宮 づけられた長生殿に、君の長命を文字で 殿の名。↓一二四ハー注〈。 そのまま示している長生殿に、ご帰還な , 一畳台に上がり、床儿に腰をかけ さるのはまことにめでたいことだ。 て留める演出もある。 謡曲集 ねん さんかう たへ 四※ ぶがく かみ よはひ ひるがヘ さ いッせん しぐれ

8. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 は′、れ・よ・ノ 漁夫白龍と随行の漁夫が三保の松原に行 , 《和合之舞詩じ《彩色之伝》の 場合は、松ノ立木の作リ物を用いす、 く。春の朝、沖には釣舟が見える。 一ノ松の勾欄に長絹をかける。 絈龍「風の早く吹いている三保の浦、波の上 一「風早の三穂の浦廻 2 らを漕ぐ舟の を漕いでいる舟の中で、人々が何かがや 舟人さわぐ波立つらしも」 ( 万葉一一三〈 がやと音を立てていることだ。 読人知らず ) に基づく。原歌の「三 白龍「わたくしは三保の松原に住む、白龍と 穂」は和歌山県日高郡美浜町三尾で 申す漁夫であります。 あるが、ここでは静岡県清水市の三 保に転用している。 物龍「『はるかかなたの、姿の美しい山に雲 ニ「千里ノ好山ニ雲乍ニ歛リ、一 かざはや うらびと が急に起こっているが、このあたりは明 楼ノ明月ニ雨初メテ晴ル」 ( 詩人玉屑 キ气〈一セイ〉風早の、三保の浦曲を漕ぐ舟の、浦人ぐ ワキツレ 月が高楼を照らし、雨後のさわやかなけ 巻四陳文恵 ) に基づく。原詩の「歛 なみち しきである』という古人の詩があるが、 り」を「起り」と変えたのは意図あっ波路かな。 てのこととは思われない。おそらく ここも同じこと、まことにのどかな時で ま / 、りよう・ まつばら ぎよふ 作者の記憶違いによるのであろう。 ワキ气〈サシ〉これは三保の松原に、印龍と申す漁夫にて候。 ある。春になるのを待っていた松原がっ 三「 ( 春の気色 ) 待っ」と掛詞。 あさがすみ ばんり かうざん いちろうめいげつ らなり、波が立って打ち寄せ、朝霞がそ 四「 ( 松原の ) 並み」の意を含む。 ワキ气万里の好山に雲たちまちに起り、一楼の明月に雨初 五「 ( 波 ) 立つ」と「立ちつづく ( 朝霞 ) 」ワキツレ のあたりに立ちこめ、残月も空に残って けしき三 と上下に掛かる。 いる。およそ風流心のないわたくしの目 めて晴れり。げにのどかなる時しもや、春の気色松原の、 六及ばない、すなわち、身分の低い にも、うっとりとするような眺めである。 あさがすみ 至って風流心のない者、の意。「天の 原」の縁語。 波立ちつづく朝霞、月も残りの天の原、及びなき身の眺め舶『忘れてよいだろうか、山道を歩いて きよみがた 七※下掛系は「心にも、眺め殊」なる けしき 来て清見潟に出、はるかに三保の松原を 気色かな」。 にも、心そらなる気色かな。 眺めたとぎのことを』という意味の歌が ^ 「わすれめや山路うちいでてきょ やまち ぎよみがた あるが、その三保の松原に、さあ連れだ みがたはるかにみほのうらの松原」ワキ 气〈下歌〉忘れめや、山路を分けて清見潟、はるかに三 ワキツレ ( 夫木和歌抄・浦藤原隆祐 ) に基づ って行こうではないか、さあ連れだって オ 出かけて行くことにしよう。 保の松原に、立ち連れいざや通はん、立ち連れいざや通は 九「 ( 山路を分けて ) 来」と掛詞。静岡 絈龍「風のために動く浮雲を波が立つのかと 県清水市興津周辺の海浜。 ん。 一 0 「 ( はるかに ) 見」と掛詞。 思って、雲が動くのを波が立つのかと見 かぜ うきなみ 一一『謡曲拾葉抄』に「是は瀟湘しの ワキ气〈上歌〉風向ふ、雲の浮波立っと見て、雲の浮波立つまちがえて、釣をしないで人々が帰るの 八景の内、遠浦帰帆の歌也。下句はワキツレ だろうか。しばらく待て、今は春、それ 釣せぬさきに帰る舟人と有。凡弩 つり 此八景の歌は皆冷泉中納言為相卿 と見て、釣せで人や帰るらん、待てしばし春ならば、吹く なら吹くのものどかな朝風のはず、常緑 後見が松 / 立木を正面先に置き、松に長絹を掛ける。〔一声〕の 囃子で漁夫の姿のワキ・ワキツレ登場。一同釣竿を右肩に担げ る。正面先に向かいあって〈一セイ〉を謡う。ワキは正面を 向き〈サシ〉となる。「万里の好山」以下ふたたび一同向かいあ って謡う。〈上歌〉の末尾でワキは歩行の態を示す。ワキツレは 脇座に着座し、ワキは後見座へ行き、釣竿を置く。 っ うらわ あまはら六 ちょうけん こ セ※ なが

9. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

ニ「 ( 末代に ) あり」と掛詞。 三※下掛系は「修羅の業ご。 四「 ( ここに ) 来き」と掛詞。 五※下掛系は「たくみしに」。 六※下掛系は「今もあり」。 七※下掛系は「手塚の太郎光盛が」。 謡曲集 一中国浙江省紹興県にある山。 ばいしんナ たもとくわいけいざんひるがヘ 買臣は、錦の袂を、会稽山に翻し ( 中央へ行き、左袖を返して足拍生まれた土地の北国にあげて、まことに ほッこくちまた 有名なこの武士の、名は末代まで残った 子一「踏む ) 、今の実盛は、名を北国の巷にあげ ( 角〈行く ) 、隠のである。有明の月の照らす夜、夜どお ありあけ し懺悔の物語を申すことにしよう。 れなかりし弓取の、名は末代に有明の ( 大小前へ行ぎ、扇を左肩 修羅の時がめぐってきて、この世におい さんげものがたり に当てて月を見る ) 、月の夜すがら、懺悔物語申さん ( ワキへ向い ての戦いと同じく、手塚の太郎と組んで ついに討死した模様を見せ、この篠原の て留めて、常座へ行く ) 。 土となった身の弔いを願って、実盛の亡 霊は消え失せる。 〈ロンギ〉で、地謡と掛合いつつ舞い、続いて地謡に合わせて舞 地一謡「いやまことに懺悔の物語をりつばに って、常座で留める。 なさったことだ。どうか心の底を清らか さんげ にし、この世への妄執という濁りをお残 地謡气〈。ンギ〉げにや懺悔の物語、心の水の底清く、濁りをしなさいますな。 実盛「その執心による修羅の苦しみの世界が、 残し給ふなよ。 今またここにめぐりめぐってきたのだ。 シふしん三※ シテその執心の修羅の道、めぐりめぐりてまたここに ( 正面へ木曾と組もうと計画したのに、手塚のや 四 五※ つに間に入られてしまった無念さ。その 少し出る ) 、木曾と組まんとたくみしを ( 足拍子を踏む ) 、手塚め くやしかった思いは今においても消えて むねんナ六※ に隔てられし ( 扇を前〈押し出す ) 、無念は今にあり ( = ウ , , 扇 ) 、地謡「次から次〈と続いてくる武士が、誰 つはものたれたれ なか 地謡气続く兵誰々と ( 脇座前〈行く ) 、名のる中にもまづ進むと名のる、その中でも先に進んで来た のは、 ( 目付柱を見る ) 、 実盛「手塚の太郎光盛。 七※ みつもり 地謡「その従者は主人を討たすまいと思っ シテ气手塚の太郎光盛 ( 角へ行きかかる ) 、 て、 らうどうシう 実盛「馬を走らせて実盛との間に入り、 地謡「郎等は主を討たせじと ( 笛座のほうへまわる ) 、 地謡「馬を並べて組んでくるところを、 シテ「駆け隔たりて実盛と、 実盛「ああ、おまえは日本一の勇士と、組も しのわら

10. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

^ ※下掛系は「かまへてよくよくお 届けあれと」。現行観世流は「かまへ てよくよく届け給へと」。 九「 ( 届け給へと ) 言ふ」と掛詞。 一 0 「浮き」に音が通じ、「雲」の縁語。 一一「 ( 憂き ) 身」と掛詞。「筆の跡」ま でが「かき消す」の序。 ツレ「あらおそろしの事を仰せ候ふや。言伝をば申すべしさりお名をだれと申したらよいのでしようか。 女「まず、このことをおっしゃいまして、そ たれ ながら、御名をば誰と申すべきそ。 のうえでもしも疑う人があるなら、その ときはわたくしがあなたにのり移って、 シテ「まづまづこのよし仰せ候ひて、もしも疑ふ人あらば、そ 詳しく名を名のることにしよう。必ずよ く気をつけて言伝てをしてください、と、 の時わらはおことに憑きて、しく名をば名のるべし。 ( ゅ 地謡「言って、タ風に定めなく動く、はかな つくりと歩いて来て、ここで一ノ松に立っ ) 气かまひてよくよく届 い浮雲のような憂き身は、跡かたもなく 消えてしまった、跡もなくすっかり姿を け給へと、 消してしまった。 ぐも 一 0 みづぐぎ イふかぜ 菜摘女が勝手神社にもどり、このことを 地謡气タ風迷ふあだ雲の、憂き水茎の筆の跡、かき消すやう けしき 神職に告げるが、そのうちに気色が変わ に失せにけり ( 三ノ松へ行く ) 、かき消すやうに失せにけり ( 三ノ る。驚いた神職はだれが憑いたのかを問 ほうがんどの う。女は判官殿に仕えた者と述べて、静 松で正面を向いた後、静かに中入する ) 。 御前であることを暗示する。 菜摘女「このようなおそろしいことはありま ツレは独白の後、舞台中央に着座し、ワキへ声をかけて問答と 中央に着座して言うツレのせりふ せん。急いで帰ってこのことを申したい をワキは立って受け、立ったままで なる。問答の途中より、ツレに憑いた静御前のことばとなる。 問答を続ける演出もある。 と思います。 , 常座に立っツレと脇座に立っワキ 菜摘女「もうし、申しあげます。ただいま帰 とで問答をする演出もある。この場ツレ「 ( 常座で ) かかるおそろしき事こそ候はね、急ぎ帰りこのよ りました。 合は、「つつましながら」でツレが中 神職「どうして帰るのが遅かったのだ。 央へ行き、ツレ・ワキともに着座すし申さばやと思ひ候。 る。 菜摘女「ふしぎなことがありまして、帰るの ツレ「 ( 中央へ行き、ワキに向いて着座 ) が遅くなりました。 神職「さてそれはどのようなことか。 て候。 菜摘女「菜摘川のあたりでどこからともなく なに 女が来まして、『あまりにもわたくしの ワキ「何とて遅く帰りたるそ。 罪業が悲しいことでありますので、一日 経を書いて跡を弔ってくださいませと、 ツレ「ふしぎなる事の候ひて遅く帰りて候。 二人静 おんな っ いかに申し候。ただいま帰り 八※