, 「残リ留ごである ( ↓四一四ハー ) 。 関寺小町 ももとせうば 年の姥と聞えしは筰。物〈入り正面を向く ) 、小町が果の名な屋〈帰「てい 0 た。『百年の姥』といわ れたのは、小町のなれの果ての名であっ た、小町の老い衰えた末の名なのであっ りけり ( 杖に両手をそえて着座する ) 、小町が果の名なりけり ( シオ リをする。謡が終わ 0 てからシテは立ち、作リ物より出て留める ) 。 四三七
ワキ 气〈上歌〉うれしきかなやいざさらば、うれしきかなや姿をあらわして、消え失せてしまった、 ワキツレ 神本来の姿をあらわして、見えなくなっ まっかげたびる うそむとら いざさらば、この松蔭に旅居して、風も嘯く寅の時、神の たのであった。 安楽寺門前の者が呼び出され、飛梅・追 告をも待ちてみん、神の告をも待ちてみん。 松のこと、道真が雷となって上洛したこ となど物語った後、しばらくの逗留を勧 〔出端〕の囃子で老体の神の姿の後シテ登場して、一ノ松に立 める。 ち、謡い出す。掛合いの謡の後、地謡に合わせて舞台へ入り、 梅津の何某は松陰に旅寝して、あらため 常座に立って、〔真ノ序ノ舞〕を舞い始める。常座で舞を留める。 《紅梅殿新》の場合は、後ツレの て神の告げを待つ。 紅梅殿が先に登場して常座に立ち、 〔出端〕 それに声をかけるように後シテは謡 梅津「かような奇瑞に恵まれてうれしいこ い出す。この演出のほうが本来のも こうばいどのこんやまれびと と、なんとうれしいことなのだろう。さ のであろう。この場合、後ツレが、 シテ气 ( 一ノ松にて舞台を見込み ) いかに紅梅殿、今夜の稀人をば、 あそれでは、この松陰に旅寝して、風も 〔真ノ序ノ舞〕か〔天女ノ舞〕を舞い シテは〔イロエ〕を舞う ( この演出を 吹きすさぶ寅の刻に、神のお告げもあろ 何とか慰め給ふべき。 《返留之伝》ともいう ) 。 うかと待ってみよう、神のお告げを待っ 三ツレ「紅梅殿」が舞台上にいるこ 地謡气げに珍らかに春も立ち ( 正面を向く ) 、 ていることにしよう。 とを前提としたような表現である。 老松の神が出現し、紅梅殿に呼びかけて、 一三ツレ「紅梅殿」が登場しているな シテ气梅も色添ひ、 ら、ツレが謡うにふさわしいことば。 梅津の何某をもてなし、舞を舞う。 次の「松とても」も同様。 老松「もうし紅梅殿よ、今夜のお客様をばど 一四「珍らか」は、「稀人」と「春」と両地謡松とても、 方の形容。 のようにおもてなしなさるおつもりか。 一五※下掛系は「梅も色めき」。 シテ气名こそ老木の若緑、 地謡「ほんとうに珍客のご光来、折しも気分 一六前句の「立ち」と縁語。 一新の春にもなって : ・ 一七「澄みわたる」は「空」と「神かぐ地謡气空澄みわたる神かぐら ( さしまわす ) 、 ら」と両方の形容。 老松「梅も、いよいよ色あざやか。 地謡「松だとても同じこと、 シテ气歌をうたひ、舞を舞ひ、 ぶがくそな みやでら 老松「老松の名のとおり老木ではあるが、葉 入「満つ」は「天満宮」の縁語。なお 地謡气舞楽を供ふる宮寺の、声も満ちたるありがたや ( 舞台へ入 下掛系は「満ちたつありがたや」。 色は若々しい緑色。 地謡「空は澄みわたり、神楽の澄んだ音色も る ) 。 一面にただよって、 老松「歌を歌い、舞を舞い 一〇三 一一『孝経』序の「虎嘯キテ風起ル」な どに基づき、「風も嘯く」を「寅」の序 に用いた。寅の刻は、午前四時ごろ。 「時」は「告げ」の縁語。 老松 一五※ ンめ 〔真ノ序ノ舞〕 とら かぐら
梅と松とのことを述べ、天満天神の加護 人が笠を縫うときの様子に似ている 〔真ノ一声〕の難子で若い男の姿のツレと老翁の姿のシテとが として詠んだ「青柳を片糸によりて をたたえつつ、花盛りの梅に垣を作る。 登場し、ツレは一ノ松、シテは三ノ松に立ち、向かいあって すぎうきかた はながさ 鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠」 ( 古今・ 〈一セイ〉を謡う。シテは右肩に杉箒を担げる。続いて〔アシ 姥人「梅の花開く春にもなり、これを花笠と 神あそびの歌 ) に基づく。「笠」「来 うぐいす ライ〕の囃子で、ツレは中央、シテは常座に行き、〈サシ〉以 すみ ( 着 ) 」、「縫ふ」は縁語。三松は、 見るなら、それを縫うという鳥の鶯が、 こずえ 下を謡う。〈上歌〉の終りに、シテは中央へ、ツレは角へ謡い 千年目に花が開くとされる。それを 梢に飛び交うことだ。 ながら行く。 十度繰り返す長さ、すなわち万年の 男「松の葉も時を得て色あざやか、 寿。↓五九ハー注三。 とかえ ー ) よら・か 〔真ノ一声〕 一三「吹を逐ウテ潜 2 そニ開ク、芳菲ノ 男人「『松花の色十廻り』といわれているよ よわい 候ヲ待タズ。春ヲ迎へテ乍チ変ズ、 こずゑ ンめはながさ うに、万年の齢をもっ深い緑であること 将】 = 雨露ノ恩ヲ希ントス」 ( 和漢 ~ 冖气〈一セイ〉梅の花笠春も来て、縫ふてふ鳥の、梢かな。 よ。 朗詠集・立春紀淑望 ) を二句に分け 老人「春立っ風の跡を追って、春になるとす て引いた。上句は、梅の花が春のた ツレ气松の葉色も時めきて、 けなわになるのを待たすに、春風の ぐ、他の花にさきがけてひそやかに梅は か′」まっ とかへ 立つに従ってひそかに開く意。下句シテ 咲き、年ごとに葉守の神となる松を門松 气十廻り深ぎ、緑かな。〔アシライ〕三人は舞台に入る ) は、冬枯れの状態から春を迎えてた としている門に、 一四はもり ちまちに色を変えて、雨露の恵みを 受けようとするの意。 シテ气〈サシ〉風を逐ってひそかに開く、年の葉守の松の戸に、老人「春を迎えては、たちまちに四方の草木 くさき うるほ 一四「年の端」 ( 毎年 ) と「葉守の松」 ( 松 まで雨露の恵みに浴し、万物が神徳にな シテ ( 向かいあ。て ) 春を迎へてたちまちに、潤ふ四方の草木ま を樹木の守護神である「葉守の神」に びくかと思われるように、一面に春らし 見たてた ) と「松の戸」 ( 門松を飾って ある門 ) とを重ねた。 くなってきたことだ。 で、神の恵みに靡くかと、春めきわたる盛りかな。 みやでら 一五※下掛系は「靡くやと」。一六神仏 みやでら 老人「お参りするこの宮寺の、光は隠れなく、 混淆の寺社。安楽寺は太宰府天満宮シテ气〈下歌〉歩みを運ぶ宮寺の、光のどけき春の日に、 折しも今は光のどかな春の日。 と一体であった。一七「敷く」の縁語 こけむしろ として、「敷島」の序。入和歌の道。シテ 男人「松の根が岩の間に延び、あたり一面は こけむしろ ノレ气〈上歌〉松が根の、岩間を伝ふ苔筵、岩間を伝ふ苔筵、 天満天神 ( 菅原道真 ) は人丸・赤人と 苔の筵、岩間に敷かれた苔筵が続くばか 一九 しきしま すゑ あまぎ ふるえ ともに和歌一二神の一。 一九安楽寺の りか、和歌の道までも末長く続くのは、 敷島の道までも、げに末ありやこの山の、天霧る雪の古枝 山号を天原山という。それで、「天 天満天神の加護があるからもっともなこ 霧る」へ続く。参考「梅の花それとも たを 見えず久方のあまぎる雪のなべて降をも、なほ惜しまるる花盛り、手折りやすると守る梅の、 と。したがってこの山の梅は、空一面を れれば」 ( 古今・冬、この歌「ある人の ーなカき 曇らせて降る雪のころの古枝の花さえも いはく、柿本人麿が歌なり」と左註花垣いざや囲はん、梅の花垣を囲はん。 惜しまれ、ましてこの花盛りの枝を、だ あり。拾遺・春、に柿本人丸として れかが折り取るかも知れぬと、この梅を ワキは脇座に立ち、シテ・ツレに問いかけて問答となる。地謡 重出 ) 。ニ 0 「 ( 雪の ) 降る」と掛詞。 なお、下掛系は「古枝も」。 となると、ツレは地謡座前へ行き着座する。ワキも着座する。 守るために、さあ花を囲う垣を作ろう、 老松 九九 一五※ なび ンめ ンめ は
たれびと 九「よしや」と頭韶。「花」の序。 江口の君「なに、だれの舟かですって。恥ず 謡、色めきあへる人影は、そも誰人の舟やらん。 一 0 「花」「雪」は、この世における風 かしいことながら、昔の江口の君が、月 雅なものとして並べ、「雪」の縁でシテ「何この舟を誰が舟とは、恥かしながら古の、江口の君の夜に川遊びをしている舟と ) 」らんくだ 「雲」「波」を続けた。 かはぜうえう = 「 ( 花も・ : 波も ) 泡」と掛詞。花も の川逍遙の、月の夜舟を御覧ぜよ。 雪も雲も波も、いすれも泡のような 旅僧「これはどうしたこと、江口の遊女と言 ものである、それにしても、ああ、 われるが、それは遠い昔のことだが : ・ ワキ气そもや江口の遊女とは、それは去りにし古の、 の意。三「あはれ」と頭韻。 江口の君「いや、昔ですって、そんなことは 一三※下掛系は「色めき見えたる人影 シテ「いや古とは御覧ぜよ、月は昔に変らめや。 は」。一四※下掛系は「江口の遊女の ないはず。ごらんなさい、月は昔のまま、 川逍遙の」。 いにしへびと 今と変わっているのかしら。 一五川遊び。一六「月ゃあらぬ春やむツレ气われらもかやうに見え来るを、古人とは現なや。 遊女たち「わたくしどももこのように、姿を かしの春ならぬ我身ひとつはもとの のたま 見せて出てきているのに、それを昔の人 身にして」 ( 古今・恋五在原業平、シテ「よしよし何かと宣ふとも、 伊勢物語四 ) に基づく。 だとは、どうかしておいでですね。 ※下掛系は「何かと問ひ給ふとも」。ツレ气言はじゃ聞かじ、 江口の君「よいよい、何のかのとおっしやっ 入「秋ノ水漲リ来ッテハ船ノ去ルコ ても、 ト速ャカナリ、夜ノ雲収マリ尽キテ シテ气むつかしゃ。 ( 月ノ行クコト遅シ」 ( 和漢朗詠集・ 遊女たち「何も言うま、 し聞 ~ 、こともす・まい みなぎ 月郢展 ) に基づく 江口の君「わずらわしいこと。 シテ气秋の水、漲り落ちて、去る舟の、 一九「影」と「棹」との上下に掛かる。 江口の君 遊女たち「秋の川水が勢よく流れ落ち、水に ニ 0 以下「遊ばん」まで、『閑吟集』に 採られている。「うたかたの」は「歌シテ气月も影さす ( 月を見あげ、下の水面を見る ) 、棹の歌、 乗って遠ざかり行く舟に、 へ」と頭韻。「泡」の意を含む「あは 江口の君「月の光もさし、その舟の上で棹さ れ」の序。 地謡气歌へや歌へうたかたの ( シテ・ツレ向かい合う ) 、あはれ昔の して歌う舟歌。 三「 ( 今も ) 言ふ」と掛詞。 イうちょ ひとふし 地 3 「歌えよ歌え、恋しい昔のことを。 一 = 一「節こと音が通するので「一節」の恋しさを、今も遊女の舟遊び、世を渡る一節を、歌ひてい 縁語。「渡る」は「舟」の縁語。 ああ、今も昔を思っての遊女の舟遊び、 ひとふし ニ三三世 ( 前世・現世・来世 ) の迷い ざや遊ばん ( 一同舟より下りる ) 。 憂き世を渡るための歌を一節歌って、さ の因果を、無明・行・識・名色・六 あ舟遊びをしようではないか。 処・触・受・愛・取・有・生・老死 ざいごう の十一一項に分け、衆生輪廻のさま 遊女の身と生まれた罪業を嘆き、この世 後見が舟の作リ物をかたづける。〈クセ〉となると、シテは立っ を説くもの。 の無常を述べる。 て地謡に合わせて舞う。 しゅじよう 一西「流転無窮、如車廻庭、昇沈不定、 地謡「そもそもわれら衆生が十一一因縁 ( 江口の君 ) 似鳥遊林矣」 ( 六道講式 ) に基づく ジふにいんネんるてんナくるまにはニ五※ るてん ニ五※下掛系は「めぐるがごとく」。 地謡气〈クリ〉それ十二因縁の流転は車の庭にめぐるがごとし。を流転するというのは、車が庭をめぐる 江 ロ うたひ一三※ イうちょ よぶね きた さを いにしへ うつつ いにしへ 一四※ いんねん
謡曲集 地謡の役はシテ方から出る。能の脚本の上での地謡の役割について略述しておこう。前述のように、これは会話に対する地の文の 役割を果たすところから出た名称である。能は物語の舞台化という面をもっている。物語の中の人物がシテ・ワキなどとして登場し、 独白し対話するとみたとき、語り手の立場で地の文の内容を述べるのが地謡である。したがって第三者の立場で情景を説明し、感想 を述べたりする。名称の示しているように、これが地謡の大きな任務であるが、地謡はまたかなりしばしば、登場人物の言うべき内 容のことばを代わって謡っている。〈ロンギ〉などではワキに代わってシテに問いかけるし、シテのことばの継続を地謡が謡う場合 も多い。また、シテを中心に作られている能においては、それはシテの立場に傾きがちであり、その心境を述べたり動作を説明した こ合わせてシテは舞うことになるのである ) 。 りしている ( それゆえに地謡 地謡のこのようなはたらきは、シテ・ワキの謡う部分とも関連する。シテ自身の口から、「あらはれ出でし神松の」とか、「その時 はうぐわん 何とかしたりけん、判官弓を取り落し、波にゆられて流れしに」のような、いわば地の文の内容のことばが述べられるのは能の通例 である。すなわち、登場人物は劇中人物としてのことばとともに地の文のような内容をも述べ、一方地謡は地の文としての表現とと もに登場人物に代わってそのことばをも謡う。役の謡と地謡とはその担当部分を互いに兼ね合っている。それゆえ、地謡は役のこと イふべ たま ことづて ばの代弁から地の文へと簡単に移行することができる。「タの花の蔭に寝て、夢の告をも待ち給へ、都へ言伝申さんとて、花の蔭に 宿り木の、行く方知らずなりにけり」の「申さん」までがシテのことば、「とて」以後が地の文である。 しよどう 能において、初めて地謡の謡われる部分 ( 初同と呼ばれる ) は、シテ・ワキの問答、両者の掛合いの謡、そして地謡と続く場合が多い。 よ、はじめはシテ・ワキそれそれのせりふに当たるような内容をもち、終りはひと続きの内容を両者で分けて謡う形をと 掛合いの謡。 り、地謡へと移行する。内容の面では、シテ・ワキの対立から、ワキがシテに同調しての合意に達し、そのシテ中心に統一されたも のを地謡が述べるのであり、音曲の面ではことばから謡へのなめらかな接続がはかられている。登場人物の独白・対話を含みつつ一 よ肝要な位置を占めるものである。 連の謡い物として成立し、またシテ中心に構成されている能の詞章において、地謡。
養老 作者『申楽談儀』に「養老世子作」とあるので、世阿弥作と考えられる。 主題孝行の徳によって霊泉が湧き出し、親の長命をもたらしたのを、聖代 であるから起こった奇跡として、平和な御代の長久をことほぐ。 あわせかりぎぬしろおおくち 大臣鳥帽子・袷狩衣・白大口 人物ワキ 勅使 ワキツレ従臣 ( 二人 ) 大臣鳥帽子・袷狩衣・白大口 ひためんよれみずごろも 直面・縷水衣・白大口 こじようしけ シテ 老父 小尉・経水衣・白大口 かけすおうくくりばかま アイ 掛素袍・括袴 所の者 かんたんおとこすきかんむり 山神 後シテ 邯鄲男・透冠・袷狩衣・白大口 備考太鼓あり。五流にある。 『十訓抄』『古今著聞集』に養老の滝の説話がみられる。 前シテ・ツレは現実の親子であって化身ではないが、同じ演者が後シテ を演じ、また前シテの化身が後段で本体をあらわすという脇能の典型との 相似から、舞台上では、前シテは化身と同様の役割を果たしている形にな っている。ただし、前段の末尾の〈上歌〉 ( 七三。ヘージ ) の詞章からすると、 前シテは中入せず、アイの場面もなくて、びき続き別の役者が山神として 登場するのが、原形かもしれない。 すいはのでん 《水波之伝》では、前場にひき続き後ツレが出て、〔天女 / 舞〕を舞うの で、アイがなくてもシテは装東を変える時間をもっことができる。ただし この場合も、前シテとは別の役者が後シテの山神を演するのが原形かもし れない。 謡曲集 ゃう らう 霊泉をたたえ、御代を祝福する山神。《水波之伝》であるために、後ツレの天女が登 場して笛座前に着座している。
わば無言の力がこの役に要求されているのである。 るけれども、これを軽く扱うことはできない。表面にはあらわれない、い 前にも触れたように、ワキは面をつけない。 したがって亡霊など異次元の存在にはならず、また、そのようなものに扮するシテと の間では正面から対立することがほとんどない。しかし、シテが同次元の人物である場合、すなわち現在能形式の能においては、ワ じねんこじ あたか キはシテと劇的対立をすることがある。「自然居士」や「安宅」などの場合がそれである。この種の能においてはワキも活躍すると どうじようじ すみだがわせったい いうべきであろう。また「隅田川」「摂待」「道成寺」などにおいては、ワキの〈語リ〉が重要な聞かせ場になっている。 しだいに役が固 当初は役としては別であっても役者としては分離せず、一人の役者がシテ・ワキの両方を勤めることもあったが、 定してきて、それそれ修行の力点が相違するようになると、ワキはワキ方の役者の専門となる。ワキは前述のように面をつけないの こそでそが で、女に扮することはできない。そのため、「小袖曾我」のように、戯曲上は曾我五郎・十郎の相手役であるその母の役をツレが勤 きよっね あわづのさぶろう め、ワキの役はないという曲も存する。「清経」はワキの淡津三郎が登場するけれども、シテの清経の亡霊の相手をするのは、ツレ わたなべのつな らしようもん の清経の妻である。またその反対に、「羅生門」のシテの鬼は一言も発せず、ワキの渡辺綱、ワキツレの源頼光その他によってこ いまぐまの たに第 : っ だんぶう の能は進行する。「檀風」「谷行」も前後を貫く戯曲上の主役をワキの帥の阿闍梨・今熊野の阿闍梨が演じている。「羅生門」以下は ならい ワキ方の重い習とされているが、これらの能のむしろ主役ともいうべき役をシテではなくワキが演じているのは、ワキ方の芸風が確 立して、その役がワキ方の演ずるのにふさわしい役とされた結果である。 たちもち ツレの役はシテ方から、ワキツレの役はワキ方から出て、それぞれシテ・ワキに随伴することが多い。太刀持の場合、トモと呼ぶ たちがしら たちしゅう こともある。また数人が一団となって登場するときは立衆と呼ばれる ( そのかしらを立頭という ) 。単独で登場するツレ・ワキツレもあ り、「大原御幸」の法皇はツレ、「隅田川」の旅人はワキツレというように、それそれの扮する役によってツレ・ワキツレの別を立て ている。なお、子方もツレの一種といえよう。シテ方から出るのが例で、子供が演する役である。もとより、その役の人物が子ども ふなべんけい はながたみ である場合が多いが、「花筐」の天皇、「安宅」「舟弁慶」の義経のように、大人の役に扮することもある。 解説 おはら 1 一こう そっあじゃり みなもとのらいこう 二九
謡曲集 たちちいさがたななイなたしやく とううちわ 作リ物に対して、調製されていて常備されているものを小道具という。笠・唐団扇・太刀・小刀・長刀・勿・ かつらおけ じゅずしようごみすおけ 桶数珠・鉦鼓・水桶などである。小道具として特殊なものに、葛桶 ( 腰桶ともいう ) と扇とがある。葛桶は、本来は鬘 しようき を人れるための円筒形の入れ物であるが、それを、能の場合は床几として用いている。扇には、先が開いている しずめおう ちゅうけい 中啓と先が閉じている鎮扇 ( 常ノ扇ともいう ) とがある。地謡方・後見・囃子方・狂言方は鎮扇を持ち、シテ方・ すおうかみしも ワキ方は中啓を持つ。なお、シテ方・ワキ方であっても素袍上下をつける男の場合は鎮扇を持つ。 能はシテを中心として構成されている。ワキは文字どおり脇役であり、アイはその主たる任務が前後 諸役 よ、数人の者が一同で定められた部分を謡う 二場の間を勤めることから生じた役名である。また地謡。 のであって、地とは、会話に対して地の文という、その地と同義である。ワキ・アイ・地謡と囃子の役とは、シテの演技を盛り立て けんさん るような役であって、もとよりそれらの役者の巧拙は能一曲の成功に大きく響く。各役者のそれそれの専門への研鑽と、それらの融 和された総合とによって、能は成り立っている シテの役は原則として面をつけ舞を舞う。能の中心をなす人物として、観客によって終始注視されるような役である。地謡の間、 これに合わせて舞うことも多く、ワキとの応対においてもゆっくり重々しく発言して、その存在を強く印象づけるように演ぜられる。 世阿弥は「よき言葉・名句などをば、為手の言ふ事に書くべし」 ( 『三道しと述べており、ふつうの演劇の主役と呼ばれるものよりも格 段の扱いをされている。 かいこうにん シテ中心主義の能において、ワキは、相手役といっても、舞台上の動きはきわめて少ないのが例である。冒頭に開口人として登場 し、シテと問答した後は脇座にすわり、時に問いかけのことばを発するほかはもつばら舞台をシテにまかせてしまう場合が多い。し かし、空白の舞台に初めに登場して場面を設定することは、能一曲において重要である。また、特殊な例外を除き舞は舞わず、〔祈 リ〕や〔舞働〕などにおいてシテに対応して動作をするような場合のほかは、これといって目立った動きもしない地味な存在であ まいばたらき カみ、 かつら
^ 困ったことだ。 さう・もく うろ ふば ること、母上はどうしておいででありま 五「草樹 ( 皆雨露ノ恩プ告グ」 ( 本朝シテ气〈サシ〉草木は雨露の恵み、養ひ得ては花の父母たり、 文粋巻十一・三月尽日五覚院ニ遊ビ セ※ おんこころ おんニ 1 レよ、つ . 、か 0 テ、同ジク紫藤花落チテ鳥関関タリ いはんや人間においてをや。あら御心もとなや何とか御入朝顔「池田の宿より朝顔が参りました。 トイフヲ賦ス源順 ) 。 熊野「なに朝顔と申すか、ああ珍しいこと。 六「養ヒ得テハ自誌ラ花ノ父母タリ、 り候ふらん。 洗ヒ来ッテハ寧薬ノ君臣ヲ弁ヘン さて、母上のご病気はどのようなご容態 しゆく ヤ」 ( 和漢朗詠集・雨紀長谷雄 ) によ であるか。 ツレ「池田の宿より朝顔が参りて候。 る。 朝顔「たいへんにお悪うございます。ここに 七※下掛系は「まして人間においてを よまご シテ「なに朝顔と申すかあら珍しや、さて御労りは何と御入り ゃ。あら御心もとなや候齲」。 母御よりのお手紙があります。ごらんく 十シテの「草木は雨露の恵み : この謡 ださいませ は、ツレに呼び出されての謡ではなあるそ。 熊野「あらうれしいこと、まずお手紙を見る 、私宅における述懐の形である。 もッ ことにしましよう。ああ困ったこと、こ したがって、あらためてツレのせりツレ「以ての外に御入り候。これに御文の候御覧候へ ( ツレはシテ ふがあって、二人の問答となる。 のお手紙の様子でも望み少ないように見 に文を渡す ) 。 えます。 朝顔「そのようなご様子であります。 シテ「あらうれしやまづまづ御文を見うずるにて候。 ( 文を見て ) 熊野「この上は朝顔をも連れて参り、またこ せうし ゃう ずくな の手紙をもお目にかけて、お暇をお願い あら笑止や、この御文の様も頼み少う見えて候。 申すことにしよう、こちらへおいでなさ おんニ ツレ「さやうに御入り候。 熊野は朝顔を連れて宗盛の所へ行く。そ シテ「この上は朝顔をも連れて参り、またこの文をも御目にか してその前で老母の手紙を読みあげるこ おんニとま とになる。 けて、御暇を申さうずるにてあるそ ( ツレヘ向く ) 。こなたへ 熊野「どなたかおいででありますか。 来り候へ。 ( シテ常座へ入り立つ。ツレはシテのうしろに立っ ) 従者「や、熊野のおいでであります。 熊野「わたくしが参りましたと申しあげてく どさし 従者「心得申しました。 従者「申しあげます。熊野のおいででありま す。 三七九 熊野 シテは声をかけ、ワキツレは地謡座前に立ってそれを受け、ワ キに取り次ぐ。続いてシテは中央、ツレは常座に着座し、シテ はワキへ文を見せ、続いて文を読む。地謡になると、ツレはシ テのうしろに行き着座する。 ほかおんニ おんふみ み おんニたは ごらん おんめ おんニ
漁夫「『老いた漁夫が夜舟を西岸に寄せて宿 〔一声〕の囃子で若い漁夫の姿のツレと漁翁の姿のシテとが登 場。ツレは一 / 松、シテは三ノ松に立ち、〈サシ〉を謡い出す。 つりざおかた シテとツレとは右肩に釣竿を担げる。続いて〔アシライ〕の囃翁「『明け方に湘江の水を汲んで楚竹を焚 子でツレは中央、シテは常座に行ぎ、〈サシ〉以下を謡う。シテ しようぎ く』という詩も、今のわが身には理解で のせりふの後、シテは大小前へ行き床儿に腰をかける。ツレは きること、蘆を焚く火の影がほのかに見 大妓の前に着座する。後見が釣竿をかたづける。 え初めているのは、この詩そのままの光 景で、なんともいえず心に深く触れてく ることだ。 翁「月の出とともに潮が満ち、沖に波が立 シテ气 ( 正面を向き ) 〈サシ〉面白や月海上に浮んでは波濤夜火に漁夫 っている、 漁夫「その霞んだ中を小舟が陸を慕うかのよ 似たり。 うに漕ぎ寄せられて来て、その舟の中の しゆく ぎよをうよるせいがんそ 一「漁翁夜傍 = 西岸一宿、暁汲 = 清湘一ツレ气漁翁夜西岸に傍うて宿す、 わたくしどもには、 焼一楚竹己 ( 古文真宝前集柳宗元 ) そちく あかっきしゃうすいく 漁翁「浜辺で漁師たちの呼びかわす声から、 を引用。詩意は、老漁夫が夜は西のシテ气 ( 向かいあ。て ) 暁湘水を汲んで楚竹を焼くも、今に知ら 岸辺に泊まり、夜が明けると湘水をツレ 四※ 焦た「人里の近いことがわかるのだ。 そ ものすご あしび 汲んで、楚地のしの竹でこれを沸か 漁翁「一枚の木の葉にもたとえられるほどの れて蘆火の影、ほの見え初むる、物凄さよ。 す。湘は洞庭湖にそそぐ川、楚はそ 小舟で万里を行くというのが舟の境涯、 でじほ の付近の地名。 ~ 冖气〈一セイ〉月の出汐の沖っ波、 それはただ一枚の帆に吹く風まかせとい ニ干した蘆を焼く火。 三「穂」に音が通じ、「蘆」の縁語。 かすみをぶね七 う頼りなさ。 四※下掛系は「面白さよ」。 ツレ气 ( 正面を向き ) 霞の小舟こがれ来て、 漁夫「タベの空の、波のつらなっているよう 五月の出とともに満ちてくる潮。 こゑ な雲は、 六沖に霞んで見える小舟。 シテ气海人の呼び声、 化「漕がれ」と「焦がれ」の両意をもつ。 翁「月の移りゆくにつれて立ち消え、遠く かすみ ^ 漁師が岸で呼び合う声。 シテ气 ( 向かいあ 0 て ) 里近し。〔アシライ〕 の、霞に浮かぶ松原の影は、海の緑と映 いちえふばんり り合って、どこが岸辺ともわからぬ有様。 九一そうの小舟。舟を木の葉にたとシテ气 ( 正面を向き ) 〈サシ〉一葉万里の舟の道、ただ一帆の風に この海は筑紫の海にまで続いているのだ えるのは、貨狄いてが、蜘蛛が木の葉 まか ろうか。 に乗って陸に着いたところから舟を任す。 考案したという中国の故事による。 「ここは八島の海岸で、岸辺に沿うて漁 イふ ツレ气タベの空の雲の波、 師の家も数々ある。 謡曲集 シテ・ツレ登場して謡い出す場合、 連吟の部分は向かいあって謡うのが 定形である。〔アシライ〕の囃子にの って舞台へ入ってからも同様である。 , 一般に、肩に何かを担げて登場し た場合、〔アシライ〕の囃子にのって 舞台へ入るとき、シテは肩より下ろ し手に持つが、ツレはそのままであ る。 シテ・ツレともに腰蓑を用いない 場合もあり、また、ツレのみが用い ない演出もある。 五 かいしゃう いッばん はたうやくわ