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検索対象: 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)
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1. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

二五四 さるさわみゆき一※ いたことは、そのとき天皇はかわいそう この猿沢に御幸なりて、 し力い えいらんナ にお思いになり、この猿沢においでにな シテ「采女が死骸を叡覧あれば、 女曽「采女の死骸をごらんになったところ、 ワキ气さしもさばかり美しかりし、 旅僧「あれほどにまでも美しかった、 ひすい せんげんびん ニ美しいつややかな髪を、かわせみシテ气翡翠のかんざし嬋娟の鬢、 女曽「かわせみの羽のようにつややかで長 の羽色にたとえていう語。 かつらまゆずみ い髪や、あでやかで美しい鬢の髪、 = あでやかで美しい鬢の髪。「嬋娟ワキ「桂の黛、 旅僧「三日月のような細い描き眉、 両鬢秋蝉翼、宛転双蛾遠山色」 ( 和漢 たんくわくちびる 朗詠集・妓女白楽天 ) 。 詼曽「赤い花のような唇、 シテ丹花の唇、 四三日月のような細い描き眉。桂は 旅僧「という、生前のやさしくやわらかな姿 月の異称。 とはすっかりちがって : ワキ「柔和の姿引きかへて、 もく・つみだ 五ロ語訳では、便宜上、以下をシテ 女曽「そうです、池の藻屑になって、とり乱 シテ 气池の藻屑に乱れ浮くを、君もあはれとおぼしめして、 の立場の表現とした。もとよりシワキ した状態で浮かんでいた、それを、天皇 テ・ワキ共通の表現であるが、次の わぎもこ もかわいそうにお思いになって、 地謡の末尾はシテの立場のものにな地謡气〈上歌〉吾妹子が、寝ぐたれ髪を猿沢の ( ワキ、着座 ) 、寝ぐ っている。 「わが愛するあの子の、寝乱れた髪を猿 たまも たれ髪を猿沢の ( 正面へ数足出る ) 、池の玉藻と、見るそ悲しき沢の、寝乱れ髪を猿沢の、池の水草と見 しも おんなさけ るのは悲しいことだと、歌を詠んでお心 と ( ワキ〈向きシオリ ) 、叡慮にかけし御情、かたじけなやな下におかけくださ 0 たそのお気持は、ほん しもじも とうにありがたいことであった。下々と , 流儀によっては「君を恨みし」でシ として、君を恨みしはかなさは、たとへば及びなき、水の オリをする。 して君を恨んだおろかさは、たとえば水 に映った月を取ろうとした猿と同じこと。 〈猿が水に映る月を取ろうとして溺月取る猿沢の ( 脇正面を見る ) 、生ける身とお・ほすかや、 ( ワキへ 死したように、身のほどを知らぬお このわたくしを生きている者とお思いで イうれし いけみ・つ そこ ろかな望みをもって失敗すること。 向き ) われは采女の幽霊とて、池水に入りにけり、池水の底すか。そうではなくわたくしは、そのと 『僧祇律』にみえる寓言。 七「 ( 水の月取る ) 猿」と掛詞。「池」と きの采女の幽霊であると言って、猿沢の に入りにけり ( 常座へ行き正面を向いた後、中入する ) 。 音の通ずる「生ける」の序。 池の水中に入ってしまった、池水の底に ^ ※下掛系は「お、ほすなよ」。 さんけい 入って見えなくなってしまった。 アイの春日の里の者が出て、常座に立ち、春日神社に参詣する と述べて、角へ出てワキの僧の姿を見つける。アイは中央に着 春日の里の者が旅僧を相手に采女の死の 座して、ワキの尋ねに応じ、采女の死の子細を語り、女の供 ことを語り、采女の供養を勧める。 謡曲集 一※現行観世流は「なっ , て」。 五 もくず

2. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

げッキうめぐ てもさらば、人間の御遊の形見の舞、月宮を廻らす舞曲あ天人「うれしいこと、それでは天に帰ること ができる。このお礼に、それではいっそ 一『丹後国風土記』逸文に「天女いひ り。ただいまここにて奏しつつ、世の憂き人に伝ふべしさ のこと、人間の世界に後々までわたくし しく、凡て天人の志は、信をもちて たま 本となす。何ぞ疑心多くして、衣裳 の記念の舞楽として残るように、月の宮 りながら、衣なくてはかなふまじ。さりとてはまづ返し給 を許さざると。老夫答へていひしく、 殿の周囲で演ずる舞曲を、今ここで舞っ 疑ひ多くして信なきは率土の常な てお見せして、世の悩み多い人々に伝え へ ( ワキへ一歩出る ) 。 り。かれ、この心をもちて、許さじ ることにしよう。しかしながらそれも、 とおもひしのみと」とある。 ワキ「いやこの衣を返しなば、舞曲をなさでそのままに、天に ニ※下掛系は「衣を返し与ふれば」。 衣がなくてはできないこと。どうそます , 〔物着〕の間、囃子は〔アシライ〕を 衣をお返しくださいませ。 奏する。 や上り給ふべき。 白龍「いや、この衣を返したなら、舞を舞わ 《床儿之物着》の場合、ワキは ずにそのまま、天にお上がりなさるので 松ノ立木に長絹を掛け、後見が長絹シテ「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを。 、、 0 をとって、中央で床儿に腰をかけた シテにつける。 ワキ气あら恥かしやさらばとて、羽衣を返し与ふれば ( ワキはシ 天人「いや、疑いということは人間にだけあ , 《盤渉之舞》の場合は、ワキは 松ノ立木に長絹を掛け、後見がこれ ること、天には偽りということはないの テヘ寄って衣を返し脇座に着座する ) 、 を取って、後見座で〔物着〕となる。 三唐楽鬱壱越調」。「玉樹後庭花ぎよく じゅこ 白龍「ああ恥ずかしいこと、それでは、と言 」の別名。唐の玄宗皇帝が道士 〔物着〕 ( シテは後見座で長絹をつける ) って羽衣を返し与えると、 羅公遠うに伴われて八月十五夜に ちゃく げいしゃううい 月宮殿へ行き、そこで見た仙女の舞 天人は羽衣を着る。 シテ气乙女は衣を着しつつ、霓裳羽衣の曲をなし、 あまおとめ げいしよううい をうっしたものという話が『唐逸史』 あま くわ 「天乙女は羽衣を着て、霓裳羽衣の曲 『楽府詩集』等にある。 ワキ气天の羽衣風に和し、 そのままに、 四もともと東国地方の舞曲で、宮廷 の楽として採り入れられたもの。全 白龍「その羽衣は風とともになびき、 体で六部から成り、そのなかに駿河シテ气雨に潤ふ花の袖、 天人「雨に濡れた花のようにしっとりとし 舞がある。参考「昔駿河国のうどは いッきよく力な た袖がひるがえり、 まに神女のあまくだりて舞しを野ワキ气一曲を奏で、 叟のまなびったへて舞を今はする 白「一曲を奏し、 が舞とて、あづまあそびにするはシテ气舞ふとかや。 天人「舞うのであった。 ( 地謡 ) 是也」 ( 袖中抄 ) 。「駿河ウド ( マニ、 するがま、 天人は、後世「駿河舞」として伝えられ 天人ノオリテマヘリシコトナー 地謡の〈次第〉の後、〈クリ〉で大小前へ行き、〈クセ〉を舞う。 アゾマアソビトテ、イマニアル ( コ るようになった舞を舞いはじめる。月の 大小前で舞い留める。 レナリ」 ( 続教訓抄巻十一 ) 。 世界の一員である天人の舞によって、こ 謡曲集 あが をとめ 一よイう そで ニ※ ぶきよく

3. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

わば無言の力がこの役に要求されているのである。 るけれども、これを軽く扱うことはできない。表面にはあらわれない、い 前にも触れたように、ワキは面をつけない。 したがって亡霊など異次元の存在にはならず、また、そのようなものに扮するシテと の間では正面から対立することがほとんどない。しかし、シテが同次元の人物である場合、すなわち現在能形式の能においては、ワ じねんこじ あたか キはシテと劇的対立をすることがある。「自然居士」や「安宅」などの場合がそれである。この種の能においてはワキも活躍すると どうじようじ すみだがわせったい いうべきであろう。また「隅田川」「摂待」「道成寺」などにおいては、ワキの〈語リ〉が重要な聞かせ場になっている。 しだいに役が固 当初は役としては別であっても役者としては分離せず、一人の役者がシテ・ワキの両方を勤めることもあったが、 定してきて、それそれ修行の力点が相違するようになると、ワキはワキ方の役者の専門となる。ワキは前述のように面をつけないの こそでそが で、女に扮することはできない。そのため、「小袖曾我」のように、戯曲上は曾我五郎・十郎の相手役であるその母の役をツレが勤 きよっね あわづのさぶろう め、ワキの役はないという曲も存する。「清経」はワキの淡津三郎が登場するけれども、シテの清経の亡霊の相手をするのは、ツレ わたなべのつな らしようもん の清経の妻である。またその反対に、「羅生門」のシテの鬼は一言も発せず、ワキの渡辺綱、ワキツレの源頼光その他によってこ いまぐまの たに第 : っ だんぶう の能は進行する。「檀風」「谷行」も前後を貫く戯曲上の主役をワキの帥の阿闍梨・今熊野の阿闍梨が演じている。「羅生門」以下は ならい ワキ方の重い習とされているが、これらの能のむしろ主役ともいうべき役をシテではなくワキが演じているのは、ワキ方の芸風が確 立して、その役がワキ方の演ずるのにふさわしい役とされた結果である。 たちもち ツレの役はシテ方から、ワキツレの役はワキ方から出て、それぞれシテ・ワキに随伴することが多い。太刀持の場合、トモと呼ぶ たちがしら たちしゅう こともある。また数人が一団となって登場するときは立衆と呼ばれる ( そのかしらを立頭という ) 。単独で登場するツレ・ワキツレもあ り、「大原御幸」の法皇はツレ、「隅田川」の旅人はワキツレというように、それそれの扮する役によってツレ・ワキツレの別を立て ている。なお、子方もツレの一種といえよう。シテ方から出るのが例で、子供が演する役である。もとより、その役の人物が子ども ふなべんけい はながたみ である場合が多いが、「花筐」の天皇、「安宅」「舟弁慶」の義経のように、大人の役に扮することもある。 解説 おはら 1 一こう そっあじゃり みなもとのらいこう 二九

4. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

ワキ方高安・福王・宝生 狂言方大蔵・和泉 笛方一噌・森田・藤田 小鼓方幸・幸清・大倉・観世 大鼓方葛野・高安・石井・大倉・宝生錬三郎 ( 派 ) 太鼓方観世・金春 ワキ方以下の各流は、一般に江戸時代においては、たとえばワキ方福王・小鼓方観世・太鼓方観世は観世座付、狂言方大蔵・小鼓 方幸・太鼓方金春は金春座付というような形で、それそれシテ方各流の家元を座長とする一座に分属していたものであったが、明治 以後、原則としてどの流儀も自由に組み合わせて上演されるようになった。したがって、シテが観世流、ワキが宝生流 ( 宝生座付のワキ 方なので、脇宝生とも、また金春座付であったワキ方春藤流〈廃絶〉の分かれなので、下掛宝生流とも呼ばれる ) 、太鼓が金春流というような組 合せでの上演もしばしば行なわれる。シテ方・ワキ方・狂言方は、それぞれの流儀によって詞章・謡い方・演技に多少の相違が存し、 囃子方の演奏法にも流儀によって若干の異同があるので、各役者は、互いにその相手役について意を用いねばならない。たとえば、 シテが観世流で、その本文に問いかけのことばがあるのに、ワキが下掛宝生流であって、その本文には応答のことばを欠いているよ かけあ うな場合もあれば、掛合いの所の分担が両者で食い違っていることもある。このような点の調整がなされた上で、能は上演されてい なお、シテ・ワキ・地謡・アイなどの能における役割については「諸役」の項で述べる。 能のシテ・ワキ ( ツレ・子方・ワキツレ・地謡を含む ) の詞章を総称して謡という。 ことばふし 話冖」は、 いくつかの異なる謡い方がある。まず詞と節とに分けられる。本書において〃「〃の記号を冠した部分が詞であり、 かどの いっそう こうせい おおくら つき

5. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

子であった。母親は渡し守と問答しなが がら念仏を申さうずるにて候。 ら、そのことを知り、悲嘆にくれる。渡 一三※ し守は、母親を墓に案内する。 ワキ「こなたより時節を申さうずるにて候。 一三※以下一一行、下掛宝生流による。 なお、念のため付言すれば、このよ 渡し守「もうし、そこにいる狂女、どうして ワキツレ「心得申し候。 うな箇所に下掛宝生流 ( ワキ方 ) の 舟から下りないのか、急いでお上がりな 本文を補入したのは、舞台上 ( また ワキはシテヘ問いかけて問答となる。問答がすむと、ワキはシ は戯曲上 ) の推移をともかくも示そ さい。ああ優しいことだ、今の物語を聞 テを立たせて、塚へ案内する。 うとするための、ひとえに便宜的な きまして、涙を流しておりますこと。も きゃうぢよなに 手段にすぎない。すなわち、本書の うし、急いで舟からお上がりなさい。 ワキ「いかにこれなる狂女、何とて舟よりは下りぬそ急いで上 底本としたシテ方の謡本のワキの部 らくるい 母「もうし舟人、今の物語はいつのことであ 分とこの補入部分とは、流派の相違 り候へ。あらやさしや、今の物語を聞き候ひて落涙し候ふ によって、ややしつくりゆかない点 りますか。 の生することを承知の上での処置で 渡し守「去年三月の今日の日のことでありま ある。この場合でも、補入部分のワ よ。なう急いで舟より上り候へ。 す。 キの「時節を申さうずるにて候」と、 ふなびと その前のワキツレの「念仏を申さうシテ「 ( 面をワキへ向けかけて ) なう舟人、今の物語はいつの事にて母「さて、その子の年は。 ずるにて候」とが、「申さうずるに 渡し守「十二歳。 て候」の重なるような表現となって候ふそ。 母「当人の名は。 いるが、後者は下掛宝生流によれば うめわかまる 「われらも念仏の人数に参り候ふべ 渡し守「梅若丸。 みようじ ワキ「去年三月今日の事にて候。 し」であって、したがってワキ方が 母「父親の名字は。 自らの詞章で一貫して演する能の上 渡し守「吉田のなにがし。 シテ「さてその児の年は。 演の際には、ワキ・ワキツレ両者の 母「さて、その後は親だって尋ねもしない せりふはびったりと合うのである。 ワキ「十二歳。 五〇四ハー・五一二ハーの場合などにも し 同様の点がある。 ぬし 渡し守「ええ、親類だって尋ねても来ない。 シテ「主の名は。 母「ましてや母親だって尋ねもしないこと ンめわかまる だろう。そうではないか。 ワキ「梅若丸。 渡し守「もとよりそれは思いも寄らぬこと。 シテ「父の名字は。 母「親類だって親だって、尋ねないのこそ当 ものぐるい 然なのだ。その幼い者こそは、この物狂 ワキ「吉田の某。 のわたくしが尋ねる子なのであります。 ああこれは夢なのか、なんとまあひどい シテ「さてその後は親とても尋ねず、 隅田 ねんぶット さんぐわちけふ ちご じせット お あが

6. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 ひったておおみや んにん 後見が一畳台を脇座前に置き、その上に引立大宮を立てる。官 玄宗皇帝に仕える官人が出て、御代を祝 マ流儀によっては、一畳台を大小前 みかど に置ッ \ 。 人の姿のアイが登場し、常座に立って、月宮殿行幸のことを触 福し、帝が月宮殿に行幸なさることを皆 マ一曲がアイのせりふによって始ま れて退場する。 皆に触れる。 る形式を「狂言ロ開」という。 もろこしニげんそうくわうてい くわんにん 官人「ここにおりますわたくしは、唐の玄宗 一※アイのせりふは山本東本による。 アイ「かやうに候ふ者は、唐土玄宗皇帝に仕へ申す官人にて候。 けん / う たみと 皇帝にお仕え申す官人であります。この ニ唐第六代の皇帝。在位四十五年。 この君賢王にてましますにより、吹く風枝を鳴らさず民戸ざ 十この曲の帝王を唐の玄宗と定めて 帝は賢王でいらっしやるので、吹く風は いるのはアイのせりふであり、謡曲 しせず、まことにめでたき御代にて候。さるほどに四季の節枝を鳴らさず、民は戸を閉めることをせ ゑおんまつりごとおこたたま 本文には述べられていない。したが 会の御政怠り給はず、おびただしき御事なり。すなはち当ず、まことにめでたい御代であります。 って、極言すれば、この曲のシテは はるぶがく ばんい五りよくもう せんねん四たんちゃう 賢王であればだれでもよく、アイの そのような次第で四季折々の公式の宴会 春も舞楽を奏し、千年丹頂の鶴、万歳緑毛の亀までも、 せりふ次第である ( 和泉流では「禹帝 への出御も欠かされることなく、たいへ 舞ひ遊び、まことにめでたき御政にて候。それにつき今日は、 王澀い」 ) 。ただ、月の都に赴き「霓裳 六げッキうでん あひだ んなご盛事である。すなわちこの春も舞 羽衣よの曲」を下界に伝えたとい 君月宮殿へ行幸あるべきとの御事にて候ふ間、皆々この殿 さんだい 楽を奏して、千年の齢を保つ丹頂の鶴や、 う伝説をもっ玄宗は、他の帝王より へ参内申され候へ、その分心得候へ、心得候へ。 は本曲のシテにふさわしい 万年の命のある緑の毛を持っ亀までもが 三宮廷で節句の日などに群臣を集め 〔真ノ来序〕の囃子で、皇帝の姿のシテと大臣の姿のワキ・ワキ 舞い遊ぶという有様で、ほんとうにめで て催される式宴。四頭の上部の赤 ツレとが登場。シテは一畳台に上がり着座する。ワキ・ワキッ たいご治世であります。それにつき今日 い鶴。五甲に緑の毛の生えている レは地謡座前に着座する。シテは右手に唐団扇を持つ。シテが 亀。きわめて珍しいものとされてい は、帝が月宮殿へ行幸なさるはずとのこ 謡い出し、ワキとの掛合いの謡があって、地謡となる。地謡の た。六皇帝の宮殿を月世界の宮殿 とでありますので、皆々この御殿へご参 になぞらえて名づけられた。 途中で、鶴 ( 女姿 ) ・亀 ( 男姿 ) の二人のツレが登場し、地謡の末 すみ 内なさいませ、そのことをご承知くださ 十この曲のシテ皇帝は、「東方朔」の 尾に角へ行き、シテに向かって着座する。 心得ておいてください。 例などから考えれば、ワキの役とし てもよいはすのものだが ( その場合 〔真ノ来序〕 皇帝が大臣たちを従えて登場し、日月を は、鶴・亀がシテと考えられる ) 、 せいやう 拝すると、万民は帝をたたえて拝礼する。 〔楽〕を舞うのでシテとなっている。 シテ气〈サシ〉それ青陽の春になれば、四季の節会の事始め、 帝の宮殿のすばらしさが述べられ、鶴・ , 現行観世流では、この掛合いのワ じちげつ えいらん ワキ八 キ・ワキツレの謡を地謡が謡う。 亀も御殿に参上する。 ワキツレ「不老門にて日月の、光を天子の叡覧にて、 七春の異称。多く初春にいう。 九※ ひやッくわんけいしゃう そで くびす 皇帝「そもそも年の初めの春になると、四季 ^ 洛陽城の門の一。「長生殿ノ裏りニ せちえ シテ气百官卿相に至るまで、袖を並べ踵をつぎて、 ハ春秋富メリ、不老門ノ前ニハ日月 の節会のまず第一として元日の節会、 かず一 0 ※ 遅シ」 ( 和漢朗詠集・祝慶滋保胤 ) にワキ 大臣「不老門において日月の光を、天子がご 基づく。〈※上掛系は「袖をつらねワキツレその数一億百万余人、 らんになるというので、 踵をついで」。現行金春流は「袖をつ まんこ らね踵をつぎて」の句なし。 シテ「拝を勧むる万戸の声、 皇帝「多くの役人は大臣公卿に至るまで、袖 にん とううちわ こんにツタ ん 三せち たう しゆっぎよ よわい そで

7. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

三五四 謡曲集 まッせ洋 - どくとど るというと、さてはあなたは天人であら , シテは一ノ松に立ってワキと問答さもあらば末世の奇特に留め置き、国の宝となすべきなり。 し、地謡の〈上歌〉で舞台へ入る演出 れるのですか。そうであるのなら、この もある。 衣を返す事あるまじ。 ような末世にはまことに珍しい奇跡とし てんじゃう ひぎゃう て、地上にとどめ置いて国の宝とすべき シテ「悲しゃな羽衣なくては飛行の道も絶え、天上に帰らん事 である。衣を返さないことにしよう。 たたま 天人「悲しいこと、羽衣がなくては空を飛ぶ もかなふまじ。さりとては返し賜び給へ ( 常座に立ちワキへ一 こともできず、天上に帰ることもできな 歩出る ) 。 くなる。どうそお返しくださいませ。 白龍「このおことばを聞くと、いよいよ白龍 一※車屋本は、「もとより : ・取り隠ワキ气この御言葉を聞くよりも、いよいよ白龍力を得、「もと は気が強くなって、もともと自分は心な し」までなし。 い漁師の身、天の羽衣をうしろに隠して、 ニ※以下の掛合いの謡は、流儀によ よりこの身は心なき、天の羽衣取り隠し、气かなふましと りシテ・ワキの分担がいろいろであ 返すまいと言って立ち去ろうとしたので、 る。例えば車屋本 ( 金剛・喜多両流て立ち退けば ( ワキは正面を向く ) 、 天人「今は天人も、まるで羽のない鳥のよ も同じ ) は、 うな状態で、天に上がろうとしても、羽 シテ气今はさながら : シテ今はさながら天人も、羽なき鳥のごとくにて、上らん ワキ气上らんとすれば : 衣がなくて上がれない。 シテ气地にまた住めば : 白龍「といって、また、地上に住むとすれ とすれば衣なし、 ワキ气とやあらん、 ば、これは下界であって天人の住む所で げかい シテ气かくやあらん : ・ ( 以下は底本 キよ、 0 ワキ气地にまた住めば下界なり、 と同じ ) 。 天人「どうしたらよいだろうかと、あれこれ 三※下掛系は「悲しめども」。 シテ气とやあらんかくやあらんと悲しめど ( ワキへ向く ) 、 考えて悲しむけれど、 四「 ( せん方も ) 無し」と掛詞。「涙の 白龍「白龍が羽衣を返さないので、 露」「露の玉」「玉鬘」と重ねた。「玉ワキ气白龍衣を返さねば ( ワキはシテヘ向く ) 、 鬘」は玉を緒に通して頭にかけて飾 ( 地謡 ) 「カも及ばず、 りとしたもの。「かざし」の序。 白龍「どうしようもなくて、 シテ气カ及ばず ( ワキへ一歩出る ) 、 ( 地謡 ) 五天人が死ぬときにあらわれる衰弱 地謡「天人の涙は、露の玉のごとくこぼれ、 の様子。参考「一には頭の上の花鬘 ワキ气せん方も、 玉の髪かざりにつけた花もしおれて、し 忽ちに萎れみ、二には天衣、塵垢 に著され、三には腋の下より汗出 地謡气涙の露の玉鬘、かざしの花もしをしをと、天人の五衰啼しおとした姿は、話に聞く『天人の五 で、四には両の目しばしば胸鸞き、 衰』を眼前に見る有様、まことにあさま め 五には本居 3 んを楽しまざるなり」 ( 往 しいことだ。 も、目の前に見えてあさましゃ ( 面を伏せる ) 。 生要集上 ) 。 ニ※ おん 三※ あが あま

8. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一奈良県吉野郡吉野町。 吉野の勝手神社の神職が、正月七日の神 〔名ノリ笛〕とともに神主の姿のワキと従者の姿のアイとが登 ニ勝手明神。吉野山中の小社。木守 事に若菜を供えるために菜摘川へ遣わし 場。アイは右手に太刀を持つ。ワキは常座に立ち〈名 / リ〉を 明神と対にして語られることが多い。 た女どもに対して、早く帰るように伝え 述べた後、アイに触れを命じ、脇座に着座する。アイは触れを ↓一〇八ハー注九。 する。 よと従者に命する。 三吉野川が吉野町字菜摘付近を流れ る間の名。 神職「わたくしは吉野の勝手明神にお仕え申 〔名ノリ笛〕 四正月の初の子ねの日 ( のちに七日と す者であります。さて、当社においてご 一よしのかって ご・せん 定まる ) に若い女に若菜を摘ませ、 ワキ「〈名ノリ〉これはみ吉野勝手の御前に仕へ申す者にて候。 神事がいろいろとございますがその中で 神前に供える行事があった。 ごじんじ しゃうぐわちなぬ ワキの〈名ノリ〉の間、アイはワキ も、正月七日には菜摘川から若菜を摘ま さても当社におき御神事さまざま御座候中にも、正月七 のうしろ、後座に膝をついている。 せて、神前にお供え申します。今日はち 五※底本には、これに続いて「とうと なつみがは ようどその日に当たりますので、女ども う女どもに菜摘川へ出でよと申し候日は菜摘川より若菜を摘ませ、神前に供へ申し候。今日に に申しつけて菜摘川へ菜摘みに行かせて へ」というワキのせりふがある。以 あひあた 天※ 下に補ったワキとアイとの応対のせ相当りて候ふほどに、女どもに申し付け菜摘川へ遣はし候。おります。 りふと合わないのでこれを省いた。 神職「だれかいるか。 六※ なお、下掛系ではワキが「若菜を摘 ワキ「 ( 中央へ出て ) いかに誰かある。 従者「お前におります。 ませ候ふがいまだ帰らず候」と言っ セ※おんまへ ているので、以下のワキ・アイの問 アイ「 ( ワキの前に膝をついて ) 御前に候。 神職「菜摘みの女に早く帰れと申しなさい。 答と相応する。 従者「かしこまりました。 ワキ「菜摘みの女にとうとう帰れと申し候へ。 アイを登場させず、〈名ノリ〉の後、 従者「菜摘みの女よ、どうして今日は帰りが ワキが直接揚幕へ向かって声をかけ アイ「畏って候。 ( ワキは脇座へ行ぎ着座する ) 遅いのですか。早く帰りなさい。 る演出が現在では一般的である。 アイ「 ( 後見座の前で揚幕に向かって ) いかに菜摘みの女、今日は何 六※アイとの応対のせりふは、下掛 菜摘女は、吉野山の春まだ浅いころ、若 宝生流による。 とて遅く候ふそ。とうとう罷り帰り候へや。 ( 退場する ) 菜を摘んでいる。 七※アイのせりふは山本東本による。 《立出之一声の》の場合は、菜 〔一声〕の囃子でツレの菜摘女登場。左手に青葉を入れた手籠菜摘女「見渡すと、吉野山のあたりは松の葉 摘女がシテとなり、静御前がツレと を持つ。常座に立って〈一セイ〉以下を謡う。〈上歌〉の末尾 が雪で白くなっているが、あれはどれほ なる。そして、〈クセ〉〔序ノ舞〕は で中央へ行きかかる。 ど多くの世にわたって積もった雪なのだ シテが一人で舞い、その間ツレは一 ろう。 ノ松で床几に腰をかける。 みやま , ツレが一ノ松で謡い出す演出もあ 菜摘女「深山では、まだ松の雪さえ消えない る。 ツレ气〈一セイ〉見渡せば、松の葉白き吉野山、幾代積りし雪のに、都では、今はもう野辺の若菜を摘 ^ 「見渡せば松の葉白き吉野山幾世 むころになってしまったのだろう。その つもれる雪にかあるらむ」 ( 拾遺・冬 平兼盛 ) に基づく。 様子を想像するだけでも、ほんとうに心 二人静 ならん。 四 たち こんにち てか 1 一 なつみがわっか

9. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一四※以下、ワキ・ワキツレのせりふ は下掛宝生流による。 づ行きて ( 居立 3 、あれにて待ち申さんと ( 扇で住吉のほうをさ代に住みたいと思うのだ。まずわたくし は住吉に行って、あちらでお待ち申そう、 をぶね イふなみみぎは し示す ) 、タ波の汀なる ( 立 3 、あまの小舟にうち乗りて ( 足拍子 と老人は言って、タ波の寄せる浜辺にあ おひか・せ る、漁りの舟に乗って、追風に舟をまか を踏む ) 、追風にまかせつつ ( 両袖を広げ帆をはる型をして、足早に せて、沖のほうに出ていった、沖のほう 一三※かた に出ていってしまったのだった。 一三※下掛系は「沖の方へ出でにけり常座へ行く ) 、沖の方に出でにけりや、沖の方に出でにけり。 や」。繰返しも同じ。 ( 中入する。続いてツレも入る ) 高砂の浦の者が呼び出され、神主に対し て相生の松のことなどを語り、神主から 事の子細を告げられて、自分の新造の船 、つける。ワキ ワキはワキツレにアイの所の者を呼ぶようにいし に乗って住吉に行くことを勧める。 ツレは常座へ行きアイを呼び出す。アイは中央に着座して、ワ キの尋ねに応じ、高砂住吉の松のいわれ、高砂の明神と住吉の 明神とが一体分身であることを語り、住吉参詣を勧め、新造の 舟の乗り初めを頼んで狂言座に退く。 たれ ワキ「いかに誰かある。 ワキツレ「 ( ワキに向かい ) 御前に候。 たううら ワキ「当浦の者を呼びて来り候へ。 かしこまッ ワキツレ「畏って候。 ( 立って常座のあたりへ行き ) 当浦の人のわたり候ふか。 アイ「 ( 狂言座で立ち、一の松で ) 当浦の者とお尋ねある。まかり出で御用を承らばやと存ずる。 ( ワキツレに 向かって ) 当浦の者とお尋ねよ、、、 冫し力やうなる御用にて候ふそ。 きたツ ワキツレ「ちと物を尋ねたきよし仰せ候。近う来って賜り候へ。 アイ「畏って候 ( アイはワキツレに従って舞台に入る ) 。 ワキツレ「 ( ワキの前で ) 当浦の者を召して参りて候。 アイ「 ( 中央で座し、ワキに向かって ) 当浦の者御前に候。 かんぬしともなり キうシうひご あそ ワキ「これは九州肥後の国、阿蘇の宮の神主友成にて候。当浦初めて一見の事にて候。この所において高 砂の松の講れ、語って聞かされ候へ。 一五※以下のアイのせりふは山本東本 による。 三「 ( 待ち申さんと ) 言ふ」と掛詞。 高砂 一四※ おんまへ いッけん

10. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

九※以下一一行、下掛宝生流による。 ワキは右肩をぬぐ。ワキのせりふがあった後、シテは、笠を取 はなかなか危険な場所であります。気を り、舟に乗った態で脇座前に着座する。ワキツレもシテのうし つけて静かにしておいでなさい。 さお ろに着座する。ワキは地謡座前で棹を持って立ち、〈語リ〉とな 渡し守「さきほどの人も舟にお乗りなさい。 る。〈語リ〉の後、ワキ・ワキツレの問答があり、ワキツレは 旅人「承知いたしました。 脇座に着座する。 旅人「もうし、あの向こう岸の柳の木の下で、 人が多く集まっておりますのは、何事で ありますか。 ワキ「かかるやさしき狂女こそ候はね。急いで舟に乗り候へ。 渡し守「そのことでありますが、あれは大念 この渡りは大事の渡りにて候。かまへて静かに召され候へ。 仏であります。それについてあわれな物 語があります。この舟が向こう岸へ着き ワキ「最前の人舟に召され候へ。 ますまでの間、語ってお聞かせ申すこと ワキツレ「心得申し候。 にしましよう。 ワキツレ「なうあの向ひの柳のもとに、人の多く集まりて候ふ渡し守「さても去年一二月十五日、時も時、ち ようど今日に当たっております。人商人 は何事にて候ふそ。 が都から、十二三歳くらいの年ごろの幼 もの ざうらふ だいねんぶつ い者を買い取って、奥州へくだりました ワキ「さん候あれは大念仏にて候。それにつきてあはれなる物 が、この幼い者は、まだなれない旅の疲 語の候。この舟の向ひへ着き候はんほどに、語って聞かせれからか、たいへんにわずらって、今は 一足も歩けないといって、この川岸に倒 申さうずるにて候。 れ伏しました。それなのに、世間にはな ワキ「〈語リ〉さても去年三月十五日、しかも今日に相当りて候。んという不人情な者がおりますことか、 この幼い者をそのまま路傍に捨ておいて、 をさな ひとあぎびと 人商人の都より、年の程十二三ばかりなる幼き者を買ひ取商人は奥州へくだったのであります。そ おく れでこのあたりの人々が、この幼い者の 一 0 奥州。東北地方一帯。 って、奥へ下り候ふが、この幼き者いまだ習はぬ旅の疲れ 様子を見ましたところ、由緒ある者のよ = わずらって。病気になって。 ひとあし ほかゐれい うに見えましたため、いろいろと看病し 三この一句は、插入句のような形にや、以ての外に違例し、今は一足も引かれすとて、この で、話し手の気持を表わしたもの。 ましたけれども、前世からの宿命でもあ なさけ かはぎし 「なんぼう」は、なんという、の意。 川岸にひれ伏し候ふを、なん・ほう世には情なき者の候ふそ、ったのでありましよう、ただもう弱りに 五〇九 隅田 九※ びと ほど おうしゅう