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検索対象: 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)
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1. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一 0 ※以下、アイのせりふは山本東本 による。 = 十津川の上流。奈良県吉野郡天 川村にある白飯寺妙音院に弁才天 を祭る。 三大阪府箕面市にある滝安寺 ( 箕 面山吉祥院 ) に弁才天を祭る。 一三神奈川県藤沢市片瀬海岸に近い 小島で、弁才天を祭る。 一四参詣と下向 ( 寺社より家へ帰るこ と ) と。 一五当代の天皇。 一六ご挨拶申したい。 一七※以下、ワキのせりふは下掛宝生 流による。 入『近江国輿地志略』巻八十七に、 「或書に日く」として、この島に昔、 一一岐の竹が生じたので竹生島と名 づけたということを記す。 一九人知でははかり知れないふしぎ ・なこと。 ニ 0 高い岩から水中に飛ぶことであ るが、「神秘」である以上、飛んでも すぐ浮かびあがるはずのものであろ う。この社人の場合は、以下に見ら 。し力ないて れるように、手際よくよ、 ずぶずぶと沈んでしまったのである。 竹生島 , アイを末社の神とする演出もある。 に中入する ) 〔狂言来序〕の囃子で社人の姿のアイが登場し、常座に立って竹 生島のいわれを語り、中央へ出て、ワキに宝物を見せ、続いて 岩飛びの舞を謡いつつ舞い、水中に落ちた態に膝をついて、「く っさめ」と留めて退場する。 れいんナ てんによ 一 0 ※ アイ「 ( 常座で ) かやうに候ふ者は、江州竹生島の天女に仕へ申す者にて候。さるほどに国々に霊験あらた いつくしま一一てんかは ござさうらふ なる天女あまた御座候。なかにも隠れなきは、安芸の厳島、天の川、箕面江の島、この竹生島、いづれ あひだ たうしま も隠れなきとは申せども、とりわき当島の天女と申すは、隠れもなき霊験あらたなる御事にて候ふ間、 一五たうぎん しんがう 一四まるげかう くにぐにざいざいしよしょ 国々在々所々より信仰いたし、参り下向の人々はおびただしき御事にて候。それにつき、当今に仕へ 一六おんれい さんけ、 御申しある臣下殿、今日は当社へ御参識にて候ふ間、われらもまかり出で、御礼申さばやと存ずる。 たうしま ( ワキの前へ出てすわり ) いかに御礼申し候。これは当島の天女に仕へ申す者にて候ふが、ただいまの御 みたからもの おんかた 参詣めでたう候。さて当社へ初めて御参詣の御方へは、御宝物を拝ませ申し候ふが、さやうの御望み はござなく候ふか。 ワキ「げにげに承り及びたる御宝物にて候。拝ませて賜り候へ。 かしこまッ アイ「畏って候。 ( 立って ) やれやれ一段の御機嫌に申し上 み げた。急いで御宝物を拝ませ申さばやと存ずる。 ( 後見 より、腰桶の蓋に入れた宝物を受け取り、中央へ出て ) これ 社 みくら あさイふかんきん る は御蔵の鍵にて候。これは天女の朝夕看経なさるる御 せ じゅず 見数珠にて候。ちといただかせられい。 ( ワキツレに向か 一 ^ ふたまた かたがた …物って ) 方々もいただかせられい。さてまたこれは二股の たうしまいちみ 御竹と申して、当島一の御宝物にて候。よくよく御拝み たうしま一九じんび 候へ。まづ御宝物はこれまでにて候。さて当島の神秘 ニ 0 いはとび 廷において、岩飛と申す事の候ふが、これを御目にかけ 申さうずるか、ただし何とござあらうずるそ。 九三 こんにツタ 0 老人も水中に、入るかと見えたがまた立 うみあるじ ち帰り、わたくしはこの湖の主であると 言い捨てて、ふたたび波の中に、お入り になったのであった。 弁才天の社人が出て、廷臣に宝物を見せ いわとび た後、岩飛を演ずる。 一ニみりお一三 ナ

2. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

ゃうしゅん すというようなことはない。 椿葉ノ影再ビ改マル。尊 ( 囀南面、陽春の徳を備へて南枝花始めて開く。 松花ノ色十廻 2 かリ豈唯天意ノミナ けしき 地謡「四季が移りめぐっても変化すること ランヤ」 ( 本朝文粋九大江朝綱 ) に シテ气〈サシ〉しかれどもこの松は、その気色とこしなへにし なく、一千年来の緑は雪の折にとくに深 より、千年に一度咲く松の花が、十 九 くわえふ わ 度繰り返される万年の寿のことをい 深とした色を見せ、また松の花は千年に て花葉時を分かず、 。参考「松の花十廻り咲ける君が 一度開き、それを十度繰り返すともいわ よ 代に何を争ふ鶴のよはひぞ」 ( 新後 地謡气四つの時至りても、一千年の色雪のうちに深く、またれている。 撰・賀藤原基俊 ) 。一三『古今集』仮 しようくわ とかへ 名序の「やまと歌は人の心を種とし 老人「このようにめでたい機縁を待っている は松花の色十廻りとも言へり。 て、よろづの言の葉とぞなれりけ 松は、 る」に基づいて、この前後は縁語て まっえ 地謡「和歌の道での玉のようなことばとし 連ねる。「松が枝」には「待っ」を掛シテかかるたよりを松が枝の、 て、心をみがく材料となって、 け、「葉」は「草」、「草」は「露」「種」、 こと はぐさ 老人「およそ生きているものは何でも、 「露」は「玉」、「玉」は「みがく」の、そ地謡「言の葉草の露の玉、心をみがく種となりて、 れそれ縁語。一四生あるものすべて。 地」「これによ 0 て和歌の道に心を寄せる 「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞シテ气生きとし生けるものごとに、 ようになるとかい、つことだ。 けば、生ぎとし生けるものいづれか 地謡「ところで長能の言を引けば、『有情 歌を詠まざりける」 ( 古今・仮名序 ) に地謡「敷島の蔭に寄るとかや。 よる。一五藤原氏。平安中期の歌人。 のもの非情のものいずれもの声は、皆歌 ちゃうのう うじゃうひじゃう 以下の詞章に関連するものとして、 に含まれるものである。草木や土砂、風 地謡气〈クセ〉しかるに長能が言葉にも、有情非情のその声、 『拾玉得花』には、「長能云、春林東 みな の声水の音までも、それぞれ心があって 風動、秋虫北露泣、皆是和歌体也云 さうもくどしゃふうせいすいおん 云。然者、有情非情声、皆是詩歌ヲ皆歌に漏るる事なし。草木土沙、風声水音まで、万物のこ万物がこもっている。春、林が東風によ 吟詠、序破急成就之瑞感也。草木雨 とうふう ほくろ って動き、秋、虫が北側の草葉の露のも 露得、花実時至、序破急也。風声・ もる心あり。春の林の、東風に動き、秋の虫の、北露に鳴 とで鳴くのも、皆和歌の姿ではないか』 水音有レ是」とある。一六※下掛系は ばんぼく 「万物をこむる心あり」。一七松の折 くも、皆和歌の姿ならずや。なかにもこの松は、万木にすと。まったくそのとおり。なかでもこの 字 ( 分解すると「十八公」となる ) 。 松は、万木にすぐれて、十八公というに シふはツこう せんシう 入※宝生・金剛・喜多の各流では「見 ぐれて、十八公のよそほひ、千秋の緑をなして、古今の色ふさわしい貴人の姿、千年の緑をたたえ す」と謡う。一九秦の始皇帝から爵 しこうて たゆ しくわうおんしやく て、古今不変の色である。始皇帝より大 位をいただいたほどの木。↓一〇二 を見す、始皇の御爵に、あづかるほどの木なりとて、異国 ハー注一「ニ 0 「高砂の尾上の鐘の音す 夫の爵位をいただくほどの木であるとて、 ほんてう しゃうくわん なり暁かけて霜や置くらん」 ( 千載・ 異国でもわが国でも、人こそってこれを 冬大江匡房 ) を引く。 にも、本朝にも、万民これを賞翫す。 ほめたたえるのだ。 おと シテ气高砂の、尾上の鐘の音すなり、 老人「高砂の尾上の鐘のがする。 五九 高 砂 をのヘ なんしはな いッせんねん たね 一六※ ばんぶつ ここん おのえ ちょうのう

3. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 一広く知れわたっている。なお、正 しくは「聞ゆる」であるが、この時代、 しばしば誤用されて、ハ行下一一段活 用として用いられた。「栄ふ」など も同様である。ニ那須氏は藤原道兼 の子孫で、下野国 ( 栃木県 ) 那須郡に 住した。三射あてることを勝負とし て賭けて、鳥を射ること。やや後に は、空飛ぶ鳥を射るところから、「翔 鳥」とも書くようになった。四褐いち は濃い藍色。このところ、いささか 不文であるので、次に掲げる『平家 物語』の文章を参照して解すれば、 褐の色の布に、一部分赤地の布のつ けられている直垂、の意か。「かちに、 赤地の錦をもって大領品 ( おくみ、 のこと ) 端袖 ( 袖先にさらに一幅だ けつけ加えた袖 ) いろへたる直垂に」 ( 平家巻十一・那須与一 ) 。五鎧の前 胴の上部についている紐。六この ような類のもの。七必す。 ^ 仰せ つけられるべきでもありましようか。 仰せつけられたらよいのではありま せんか。九かれこれと異議をとな える人々。一 0 「候へ」のロ語とし て略体となった「そへ」がさらに転じ たもの。 = しかるべき処置を申す ぞ。三ふたしか。一三毛色の黒い 馬で、やや体が小さいために名づけ られたのであろう。一四植物のほや ( やどり木 ) の形をまるく図案化した もの。一五うるしに貝をはめこんで 磨き出した。一六鞍などのヘりを金 または金色の金属で覆い飾ること。 一七矢を射る際の適当な距離。入だ いたい、午後六時ごろ。一九「南無」 一五〇 たれ ござさうらふなか しもつけ 誰かある。 ( 座を変え、実基の立場で ) さん候御味方に、聞ふる射手あまた御座候中にも、下野の国の ギうにんニなす すけたか よいちむねたか こひやう てじゃうず 住人、那須の太郎資高が子に、与一宗高とて小兵には候へども、手上手にて賭鳥などを仕るに三つに まうぐわん 二つは、必ず射おほせ候と申し上ぐる。 ( 座を変え、判官の立場で ) 判官、さあらばその与一を召せとて召 をのこ 四かちん ころ はたち されしに、 ( そのまま語り手の立場で ) その頃与一一一十ばかりなる男なるが、褐に赤地の直垂を着、兜を脱 たかひも おんまへ いで高紐にかけ、 ( 座を変えて、客席に背を向けて、判官の前に平伏する形で ) 判官の御前に出でてかしこまる。 かれ ( 座を変えて、判官の立場で ) 判官御覧じて、ははあ与一とは彼が事か。ゃあいかに与一、あの傾城の立てた まんなか けんぶッ ごぢゃう る扇の真中射て、平家に見物させいえい。 ( 座を変えて、与一の立場で ) 与一御諚承り、さん候いまだかや 七いちちゃう レ」もが・つ うの分の物を、仕ったる事も候はず。一定仕らんずる輩に、仰せ付けらるべうもや候ふらんと申し上 こんど ぐる。 ( 座を変え、判官の立場で ) 判官大きにって、今度鎌倉を立ってこの陣に供したらんずる侍ども、 一・も・から 一 0 ごにち 義経が命を背くべからず。それに子細を存ぜぬ輩は、急ぎ引いて、本国へお帰りそい。後日に鎌倉に て、沙汰し申さんと怒り経ふ。 ( 座を変え、与一の立場で ) 与一、辞し申さばあしかりなんとや思ひけん、 一ニふぢゃう おんまへ 一定仕らんずる事不定には候へども、仕ってこそ見候はめとて、判官の御前をまかり立つ。 ( 立って、 一三をぐろ 一五すッ 一六きんぶくりんくら 正面に座を変え、与一の立場で ) その頃那須の小黒とて聞ふる名馬に、まる・ほや摺ったる金覆輪の鞍置か かろ おんまへ せ、わが身軽げにゆらりと乗り、磯へ向いてそ歩ませける ( たづなをとり、むちで打っ型をする ) 。御前に ありし人々も、 ( 見送るような形をして ) ははああの若者こそ、一定仕らんずる者と存じ候と申し上ぐる。 ( 判官の立場で、開いた扇を顔の前にあて、その上から目で見送って ) 判官も、幀もしげにて見給ふ。 ( そのまま、 与一の立場で ) かくて矢頃少し遠かりければ、馬を海へさっと打ち入れ、馬の太腹、ひたすほどにそ見え さんぐわちジふはちにち一八とり にける。頃は三月十八日、酉の一点の事なるに、をりふし北風はげしう吹き、舟は小さし、波は高し、 浮きぬ、沈みぬ見えければ ( 静かに目を上下に動かす ) 、扇も定かならず。その時与一目をふさぎ、 ( 合掌 一九なむきみやうニ 0 ニ一あいぜんだいみやうじん しんヂう する ) 南無帰命八幡那須愛染大明神、この矢外させ給ふなと心中に祈念し、目をどんぐり目に開いて見 こひやうニ四イ れば、風も少しは吹き弱り、扇も射よげに見えにけり。与一、 ( 扇で床をたたき ) 小兵といふでう十一一束 三つ伏せ、 ( 肩衣の左袖を脱ぎ、弓の形に左手で閉じた扇を立ててにぎり、右手で矢を引きしぼって射る形をして ) ニ六ッび かなめもと よっ引いてひょうと放つ。 ( 以下、扇の海に入るさまや、源平の人々の様子を身ぶりで示す ) 過たず扇の要元 ニ七かぶら 一寸ばかり上を、ひっふっと射ちぎり、鏑は海に入れば、扇は空に上がり、春風に、一もみ一一もみも 五 ぶん つかまっッ 一七やごろ ざうらふおん はづ て ふとばら 三かけとり とも ひたたれき あやま ひと ざうらふ つかまっ さむらひ かぶとぬ

4. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一三※ 七吉野の桜は数が多く、見渡す限り 花守の老人ととが嵐山の花の美しさを ワキ「〈着キゼリフ〉急ぎ候ふほどに、これははや嵐山に着きて のその眺望を世に「一目千本」と 述べ、久しい御代をたたえる。 候。心静かに花を眺めうずるにて候。 、「上の千本」「下の千本」など と称する。それで、「千本賃の桜」は、 人「われら花守の住む嵐山の山桜は、手入 ワキツレ「しかるべう候。 「吉野の桜」の同義語。 れがゆきとどくためか、花の雲もこの上 こずえ ^ 「 ( 都にはげにも ) あらじ」と掛詞。 なく美しく、天に届くほどの梢の花であ 〔真ノ一声〕の囃子で、姥の姿のツレと老翁の姿のシテとが登場 九「 ( 今ぞ ) 見ん」と掛詞。 る。 一 0 「春のあした、吉野の山の桜は人 し、ツレは一ノ松、シテは三ノ松に立ち、向かいあって〈一セ 麻呂が心には雲かとのみなむおぼえ 姥「吉野の千本の桜をもとにしたからか、 イ〉を謡う。シテは萩箒を右手に持つ。〔アシライ〕の囃子で、 ける」 ( 古今・仮名序 ) に基づく ツレは中央、シテは常座に行き、〈サシ〉以下を謡う。〈上歌〉 老人「春もまた千代までも久しく栄えると思 = 柿本人麻呂をさす。 の終りに、シテは中央へ、ツレは角へ謡いながら行く。 われる、めでたい眺めである。 三まだ到着せす、遠くから眺める と、の意。 老人「わたくしどもはこの嵐山の花を守る、 〔真ノ一声〕 一三※以下三行、下掛宝生流による。 夫婦の者なのであります。そもそも吉野 ツレが杉箒を担げて登場する演出 はなもり こすゑ の山は、京都からかなり外であるので、 もある。シテ・ツレがともに杉箒をシテ かど レ气〈一セイ〉花守の、住むや嵐の山桜、雲も上なき梢かな。 担げて登場する演出もある。 帝は花見にお出かけなされぬため、有名 ちもと 一四「雲」は花の雲と考えられ、全山 な吉野の山桜の、千本の花の種を持って ツレ「千本に咲ける種なれや、 の桜が梢高く咲きそろって天に届か 来て、この嵐山に値えおかれ、後の世ま んばかりの美しさをいうのであろう。 シテ レ气春も久しき眺めかな。〔アシライ〕 ( 一一人は舞台に入る ) 一五※観世流は「けしきかな」。 でも残された。これは後世の人々にまで、 一六※諸本は、「夫婦の者にて候ふな 佳例として伝えられることであろう。こ り」まで、シテのみの謡とする。底ツレ シテ气 ( 向かいあ 0 て ) 〈サシ〉これはこの嵐の山の花を守る、夫 のことももとより帝のご恩恵である。 本にその表記がないので、二人の謡 ふ ゑんまんジふり とした。 み老人「まことに幀もしいことだ君のご恩沢は。 婦の者にて候ふなり。それ円満十里の外なれば、花見の御姥 一七※観世流は「嵐山の花を守る」。 よく治まったこの御代の春、空もたいへ ゆき お ちもと 一八※現行金春流は「例かや」。 ん美しい 幸なきままに、名に負ふ吉野の山桜、千本の花の種取りて、 一九※上掛系は「かな」。 ためし 老人「この空の下で、なんともいえずみごと ニ 0 君の恵みを山にたとえたことば。 この嵐山に植ゑ置かれ、後の世までの例とかや。これとて 三意味の上では、前句「春の空」に なのはこの都の、なんともすばらしいの 一九※ も続く。 はこの都の、内から外へと行き通う花見 も君の恵みなり。 一 = 一※上掛系は「なれや九重の」。繰返 車。その轅も西の方嵐山に向かうが、日 しも同じ。 みかげやま も西に傾き、日ざしをさえぎって雲が行 一一三都。「空」の縁語。 ' 一冖气〈下歌〉げに頼もしゃ御影山、治まる御代の春の空。 となせ ニ四※「九重の」まで、現行金春流はツ ここのヘ くここ嵐山は、戸無瀬の急斜面を流れ落 レの謡。 」气〈上歌〉さも妙なりや九重の、さも妙なりや九重の、内ちる白波も、あたかも花が散るかと見え 嵐山 一〇七 シテ うち ながえ

5. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

梅と松とのことを述べ、天満天神の加護 人が笠を縫うときの様子に似ている 〔真ノ一声〕の難子で若い男の姿のツレと老翁の姿のシテとが として詠んだ「青柳を片糸によりて をたたえつつ、花盛りの梅に垣を作る。 登場し、ツレは一ノ松、シテは三ノ松に立ち、向かいあって すぎうきかた はながさ 鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠」 ( 古今・ 〈一セイ〉を謡う。シテは右肩に杉箒を担げる。続いて〔アシ 姥人「梅の花開く春にもなり、これを花笠と 神あそびの歌 ) に基づく。「笠」「来 うぐいす ライ〕の囃子で、ツレは中央、シテは常座に行き、〈サシ〉以 すみ ( 着 ) 」、「縫ふ」は縁語。三松は、 見るなら、それを縫うという鳥の鶯が、 こずえ 下を謡う。〈上歌〉の終りに、シテは中央へ、ツレは角へ謡い 千年目に花が開くとされる。それを 梢に飛び交うことだ。 ながら行く。 十度繰り返す長さ、すなわち万年の 男「松の葉も時を得て色あざやか、 寿。↓五九ハー注三。 とかえ ー ) よら・か 〔真ノ一声〕 一三「吹を逐ウテ潜 2 そニ開ク、芳菲ノ 男人「『松花の色十廻り』といわれているよ よわい 候ヲ待タズ。春ヲ迎へテ乍チ変ズ、 こずゑ ンめはながさ うに、万年の齢をもっ深い緑であること 将】 = 雨露ノ恩ヲ希ントス」 ( 和漢 ~ 冖气〈一セイ〉梅の花笠春も来て、縫ふてふ鳥の、梢かな。 よ。 朗詠集・立春紀淑望 ) を二句に分け 老人「春立っ風の跡を追って、春になるとす て引いた。上句は、梅の花が春のた ツレ气松の葉色も時めきて、 けなわになるのを待たすに、春風の ぐ、他の花にさきがけてひそやかに梅は か′」まっ とかへ 立つに従ってひそかに開く意。下句シテ 咲き、年ごとに葉守の神となる松を門松 气十廻り深ぎ、緑かな。〔アシライ〕三人は舞台に入る ) は、冬枯れの状態から春を迎えてた としている門に、 一四はもり ちまちに色を変えて、雨露の恵みを 受けようとするの意。 シテ气〈サシ〉風を逐ってひそかに開く、年の葉守の松の戸に、老人「春を迎えては、たちまちに四方の草木 くさき うるほ 一四「年の端」 ( 毎年 ) と「葉守の松」 ( 松 まで雨露の恵みに浴し、万物が神徳にな シテ ( 向かいあ。て ) 春を迎へてたちまちに、潤ふ四方の草木ま を樹木の守護神である「葉守の神」に びくかと思われるように、一面に春らし 見たてた ) と「松の戸」 ( 門松を飾って ある門 ) とを重ねた。 くなってきたことだ。 で、神の恵みに靡くかと、春めきわたる盛りかな。 みやでら 一五※下掛系は「靡くやと」。一六神仏 みやでら 老人「お参りするこの宮寺の、光は隠れなく、 混淆の寺社。安楽寺は太宰府天満宮シテ气〈下歌〉歩みを運ぶ宮寺の、光のどけき春の日に、 折しも今は光のどかな春の日。 と一体であった。一七「敷く」の縁語 こけむしろ として、「敷島」の序。入和歌の道。シテ 男人「松の根が岩の間に延び、あたり一面は こけむしろ ノレ气〈上歌〉松が根の、岩間を伝ふ苔筵、岩間を伝ふ苔筵、 天満天神 ( 菅原道真 ) は人丸・赤人と 苔の筵、岩間に敷かれた苔筵が続くばか 一九 しきしま すゑ あまぎ ふるえ ともに和歌一二神の一。 一九安楽寺の りか、和歌の道までも末長く続くのは、 敷島の道までも、げに末ありやこの山の、天霧る雪の古枝 山号を天原山という。それで、「天 天満天神の加護があるからもっともなこ 霧る」へ続く。参考「梅の花それとも たを 見えず久方のあまぎる雪のなべて降をも、なほ惜しまるる花盛り、手折りやすると守る梅の、 と。したがってこの山の梅は、空一面を れれば」 ( 古今・冬、この歌「ある人の ーなカき 曇らせて降る雪のころの古枝の花さえも いはく、柿本人麿が歌なり」と左註花垣いざや囲はん、梅の花垣を囲はん。 惜しまれ、ましてこの花盛りの枝を、だ あり。拾遺・春、に柿本人丸として れかが折り取るかも知れぬと、この梅を ワキは脇座に立ち、シテ・ツレに問いかけて問答となる。地謡 重出 ) 。ニ 0 「 ( 雪の ) 降る」と掛詞。 なお、下掛系は「古枝も」。 となると、ツレは地謡座前へ行き着座する。ワキも着座する。 守るために、さあ花を囲う垣を作ろう、 老松 九九 一五※ なび ンめ ンめ は

6. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

ふること 九※下掛系は「慰めよかしとて」。 んとぞ思ふ』。これは、小町の歌であり り ( ワキへ向く ) 。气忘れて年を経しものを、聞けば涙の古言 一 0 今までつつみ隠していたのが、 一四※ ますね。 ここで、「われを誘ひしほどに」と小 これあきら の、また思はるる悲しさよ ( 正面を向き、シオリをする ) 。 小町「この歌は、大江の惟章が心変りをした 町であることをあらわしてしまって ので、世の中が厭わしくなっていたとこ ワキ「ふしぎゃなわびぬればの歌は、わが詠みたりしと承る、 やすひでみかわのかみ = ※下掛系は「詠みたりし歌なり」。 ろ、そのとき、文屋の康秀が三河守とし 三謡曲にしばしば用いられる表現 ( ワキ、正面先へ向き ) また衣通姫の流と聞えつるも小町なり。 て任国へくだることになって、『田舎で で、「江口」「融」等にもみえる。 ねんげット 一三「 ( 涙の ) 降る」と掛詞。 心を慰めるがいい』と、わたくしを誘っ 一四※下掛系は「あらはるる悲しさげに年月を考ふるに ( ワキ、面を伏せて考える ) 、老女は百に及 た、それでわたくしが詠んだ歌である。 そのようなことはすっかり忘れて年月を 一五※下掛系は、次に、 ぶといへば、たとひ小町のながらふるとも、いまだこの世 送っていたのに、今聞けば涙が出て、昔 ワキ「これは小町が歌にては候はぬ カ のことどもがまた思い出されて悲しいこ にあるべきなれば、今は疑ふところもなく、御身は小町の シテ「げに忘れて候。小町が歌候ふ と。 はて 果そとよ ( ワキ、シテヘ向く ) 、气さのみなつつみ給ひそとよ。 住僧「ふしぎなことだ、『わびぬれば : : : 』 の問答が入る。 一六※下掛系は「争ひ給ひそとよ」。 の歌は自分が詠んだ歌だといわれる。ま シテいや小町とは恥かしゃ ( ワキへ向く ) 、色見えでとこそ詠 一七※車屋本は「恥かしや小町とは」。 た衣通姫の流れを汲む者として知られて 一 ^ 「色見えで移ろふものは世の中の いるのも小町である。なるほど年月を考 人の心の花にぞありける」 ( 古今・恋みしものを。 えてみると、老女は百歳にもなるという 五小野小町 ) 。歌意は、色がない けれども色あせてゆくもの、それは地謡气〈上歌〉移ろふものは世の中の ( 正面を向く ) 、人の心の花ことであるし、かりに小町が生きながら 世の中の人の心という花なのであっ えているとすると、まだこの世に生きて や見ゆる、恥かしやわびぬれば、身を浮草の根を絶えて ( 面 いるはずだから、してみると疑いもなく、 一九※車屋本は「移ろふものか世の中 あなたは小町の衰え果てた姿ということ の」。そしてこの句を繰り返す。現を伏せる ) 、誘ふ水あらば今も ( 面のみワキ〈向ける ) 、往なんと 行下掛三流は、底本と同じであるが、 になる。そのようにつつみ隠しなさいま 繰返しがある。 そ思ふ恥かしゃ。 ( 面を正面へ直す。ワキ・子方立ち、脇座へもどり着すな。 小町「いや、小町といわれては恥ずかしいこ 座する ) 。 と。だからこそ、わたくしは『色見えで : 』と詠んだのに。 地謡「『色見えで移ろふものは世の中の、 一同着座のまま〈クリ〉〈サシ〉〈クセ〉と続く。〈クセ〉の後半 ( 小町 ) たんざく 人の心の花にそありける』。人の目には で、シテは短冊を取り、書きつける。 関寺小町 一九※ へ おおえ ふんや

7. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

ろうてう きがんナ しの 一 0 「籠鳥雲を恋ふる思ひ、遙かに千シテス〈サシ〉それ籠鳥は雲を恋ひ、帰雁は友を忍ぶ、人間も帰る雁は今までなじんでいた友との別れ 里の南海に浮び、帰雁友を失ふ心、 こじんうと ひんか しんち を悲しむもの。人間の場合もまたこれと さだめて九重黐ちの中途に通ぜん またこれ同じ、貧家には親知少く、賤しきには故人疎し、 同じこと。家が貧しければ親しい知人が か」 ( 平家巻十・八嶋院宣 ) にづくか。 らうすい かたち ろめいきは さうえふ 少なく、賤しい者には昔からの友人も疎 類句が「敦盛」にもある。↓二三一ハ 老悴衰へ形もなく、露命窮まって霜葉に似たり。 注一九。 遠になる。かくしてわたくしは老いやっ ことわり一セ 一一「家貧親知少、身賤故人疎」 ( 本朝 れて見るかげもなく、かろうじて生きて シテ气〈下歌〉流るる水のあはれ世の、その理を汲みて知る。 文粋・秋夜感懐橘在列 ) による。 いる命も終りに近づいて、霜のために朽 一八しらかは 三老いやつれること。 シテ气〈上歌〉ここは所も白河の、ここは所も白河の、水さへ ちてゆく木の葉に似た有様である。 一三露のようにはかない命。 一四霜のために朽ちてゆく木の葉。 ちぐう ニ 0 ※ あしびき すてびと 老女「流れる水のように早く過ぎゅくのは無 「露命」と縁語。 深きその罪を、浮びやすると捨人に、値遇を運ぶ足引の 常のこの世、という道理を水を汲みつつ 五時の早く過ぎゅくのを流水にた とえる。 ( 歩み出す ) 、山下庵に着きにけり、山下庵に着きにけり ( シテ推しはか 0 て知ることができる。 一六「泡」の音を含む、「あはれ」の序 老女「ここは所も白河であって、ここは『世 の形となる。 常座に立っ ) 。 の道理』を知るよすがのある白河であっ 一七推しはかって知る。「水」の縁語。 て、その水までも深いが、わたくしの深 入「所も」といったのは、「白河」に シテはワキへことばをかけながら中央へ行き着座し、問答とな い罪を、もしかして減・ほすことができる 「知る」の意が掛詞として含まれ得る よすてびと る。掛合いの謡があって、地謡となると、シテは立って藁屋の からである。 かと、世捨人にお目にかかって仏縁を得 横へ行き、杖を捨てて作リ物の内へ中入する。 一九「 ( 水さへ ) 深き」と「深き ( 罪 ) 」と るために足を運び、山の下の庵に着いた、 上下に掛かる。 ニ 0 ※車屋本は「この罪を」。 シテ「いつものごとく今日もまた御水あげて参りて候 ( 中央〈行山の下の庵に着いたのであ 0 た。 三「水」の縁語。 僧に名を尋ねられて、老女は、その昔太 ニニ値遇 ( めぐりあうこと ) を求めて しらびようし き着座する。水桶を前に置く ) 。 宰府に檜垣をめぐらして住んだ白拍子が 足を運ぶ、の意。 おぎのり あゆかへがヘ 通りかかった藤原の興範に対して歌を詠 着座するとすぐ杖を下に置く場合ワキ「毎日の老女の歩み返す返すもいたはしうこそ候へ。 と、しばらく杖を肩にあてそれにす んだということを語り、自分がその檜垣 のが わらや の女であることをほのめかして藁屋の内 が 0 ている演出とある。後者の場合シテ气せめてはかやうの事にてこそ、少しの罪をも遁るべけ は、「これは思ひもよらぬ」あたりで に消え失せる。 とむらたま 杖を置く れ。亡からん跡を弔ひ給ひ候へ。「明けばまた参り候ふべ 老女「いつものように今日もまた、お水を汲 おんニとま みあげて参りました。 し、御暇申さうずるにて候。 僧「毎日の老女のおいで、なんともおいた ざうらふおんみ ワキ「しばらく候。御身の名を名のり給へ。 わしいことであります。 四〇七 ニ三閼伽 2 の水。 檜垣 ナと

8. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

はやと、も つくし ふ」 ( 平家巻十一・能登殿最期 ) 。 早柄とやらんにて、筑紫へ一先落ち行くべきと一門申し合女院「そのときの様子を申しあげるにつけて、 = 土佐の国 ( 高知県 ) 安芸郷の武士。 おと さつまがた をがたさむらう 恨めしい気持がおこることであります。 源氏側。三平清盛の第四子。「新ひしに、緒方の三郎心変りせしほどに、薩摩潟〈や落さん長門の国早柄とかいう所で、筑紫〈ひと 中納言『見るべき程の事は見つ。 をりふしのぼしほさ まず落ちて行こうと一門の者が相談いた まは自害せん』とて、めのと子の伊 と申しし折節、上り汐に障へられ、今はかうよと見えしに、 賀平内左衛門家長をめして、『いか しましたのに、緒方の三郎が心変りした さつま のと あき さうわきはさ に、約束はたがふまじきか』とのた ま〈ば、『子細にや及び候』と、中納能登の守教経は、安芸の太郎兄弟を左右の脇に挾み、最期ので、それをとりやめて薩摩のほうへ落 ちょうと申していたが、折からの上げ汐 かいチ - っ しん・チうなごんとももり 言に鎧一一領きせ奉り、我が身も鎧一一 の供せよとて海中に飛んで入る。气新中納言知盛は、「沖 領きて、手をとりくんで海へぞ入に に妨げられてかなわず、今はこれまでと ける」 ( 平家巻十一・内侍所都入 ) 。謡 かぶと 思われたのである。それで能登の守教経 あぎ 曲「碇潜ごにも、知盛が碇を戴い なる舟の碇を引き上げ、甲とやらんに戴き ( 左手で頭をさす ) 、 は、敵の安芸の太郎兄弟を両脇にはさみ、 て入水したことを記すが、『平家物 めのとご 『おまえたちは最期の旅の供をせよ』と 語』巻十一「能登殿最期」では、教盛・ 乳母子の家長が、弓と弓とを取りかはし、そのまま海に入 経盛兄弟が碇を負うて入水している。 言って海の中に飛んで入る。新中納言知 ねりばかまそば にるどのにぶいろ一四ぎぬ かぶと 一三薄墨色。昔、喪服にはこの色を りにけり。气その時二位殿鈍色の二つ衣に、練袴の稜高くは、沖にある舟のを引きあげて、甲 用いた。なお、以下の叙述は『平家物 かたぎ とかいう物の上にのせ、乳母子の家長の 語』巻十一「先帝身投」、灌頂巻「六道 挾んで、わが身は女人なりとても、敵の手には渡るまじ、 之沙汰」に書かれていることにほぼ 弓と自分の弓とを互いに取りかわして、 しゅしゃうおんとも あんとく ふなばた 同じ。一四一一枚同じ色の衣を重ねて そのまま海に入ってしまった。そのとき いどの さねころも 主上の御供申さんと、安徳天皇の御手を取り舟端に臨む。 着ること。一五練絹 ( 練って柔らか 位殿は薄墨色の一一枚襲の衣を着て、練 にした絹 ) で作った袴。一六袴の股 ちよくぢゃう げぎしんノほ ぎぬはかまももだ いづくへ行くそと勅諚ありしに、この国と申すに逆臣多く、絹の袴の股立ちを高く持ちあげて紐には 立ち。一七皇室の祖神。日の神と仰 がれたことから、東方に拝す。 さんで、『わたくしは女の身であるが、 天南無阿弥陀仏の名号を十度とな かくあさましき所なり、極楽世界と申して、めでたき所のそれにしても敵の手にはかかるまい、主 えること。一九西方極楽浄土。なお、 みゆき 上のお供申そう』と言って、安徳天皇の 車屋本・現行諸流は、「西に向はせ この波の下にさぶらふなれば、御幸なし奉らんと、泣く泣 おはしまし」。ニ 0 『平家物語』の延 お手を取って舟ばたに立つ。『どこへ行 ひがし 慶本・長門本や『源平盛衰記』に、入 くのか』と仰せられたので、『この国と く奏し給へば、さては心得たりとて、東に向はせ給ひて、 水のときの二位殿の歌としてみえる。 申すところは賊臣が多く、このようにあ ただし第四句「波の下にも」。長門本あまてるおほんがみおん = とま 天照大神に御暇申させ給ひて、 は第三句「御流れ」。歌意は、今にな さましい所である。極楽世界と申してめ ジふねんおんため一九 って初めてわかった、天照大神のご でたい所がこの波の下にあるということ 子孫である天子には、波の底にも都地謡气また十念の御為に西へ向はせおはしまし、 でありますので、そこへお供申しまし があるということを。 シテ气今そ知る、 よう』と、泣く泣く奏上なさる。すると 大原御幸 四〇三 かみのりつね しカり・ いへなが ム によにん ひとまづ おんて おがた めのとご かみのりつね ひも いえなが ねり

9. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一三他人の塩屋についてはかかわり をもたず、自分の塩屋を他人には勝 手に立ち入らせないという規則、と いうような意。一四うそをおっしゃ 一五どう るのか。妄語は五戒の一。 せ語ってくださるのなら、いっその こと。一六四行あとの「仕方にまな うで」と同義。身ぶりを交えて語っ て見せてください。「まなぶ」はまね をすること。一七それぞれの人によ 入それはたいへんありがたい ことです。「ちかごろ」は、当時のロ 語として、「たいそう」の意の副詞の 用法がある。「近頃めずらしい」と いうような意から、それが省略され て慣用化したことばであろう。 一九※以下が《那須》の〈語リ〉で、この 部分だけが単独に演ぜられることも ある。なお、内容は『平家物語』巻十 一「那須与一」に基づき、同じ用語、 同じ言いまわしが多い。ニ 0 なかな かりつばに。一 = 美人。美しい女。 ニニ表は白、裏は青の襲の色目。 ニ三表衣の下は袿いちを五枚重ねた もの。五つ衣と同じ。ニ四血の色の。 ニ五足で袴の裾を踏むくらいに、た つぶりと裾長にはいて。 ニ六全面が真紅んの色で、中央に金 色の日輪の描かれている扇。ニ七舟 の両舷に渡した板。舟棚。 ll< こ れを的として射なさい。「あそば す」は「する」「行なう」の敬語。 ニ九義経の家臣。後藤氏は藤原秀郷 の子孫。三 0 おことば。ご質問 三一矢の飛んでくる正面。三ニ手の きく者。熟練者。「てだり」ともいう。 島 八 ひ申さでもすむ事なれども、人まかせに致せば、何事もむさむさと致すによっての事にて候。 ( 角で脇 座のほうを見て ) ゃあ、あらふしぎや、塩屋の戸が開いてある。見れば人の出入りしたる跡もあり、 ( ワ キを見て ) いや、これなるお僧は、何とて人の塩屋へ案内なしにはいりては御座候ふそ。 一一※あるじ ワキ「これは主に借りて候。 たいほふ アイ「いやいや、さやうにては候ふまじ。主はそれがしにて候。総じてこの所の大法にて、人の塩屋をわ が存ぜず、わが塩屋を人に知らせぬ大法にて候ふが、われらはいまだ貸し申さぬに、さてはお僧は妄 語ばし仰せ候ふか。 ワキ「いやいや妄語は申さず候。それにつき尋ねたき事の候。まづ近う御入り候へ。 。いかやうなる御用にて候 アイ「心得申して候。 ( 舞台中央でワキに向いて着座する ) さてお尋ねありたきとよ、 ふぞ。 り・やら・か かせんちまた ワキ「思ひも寄らぬ申し事にて候へども、この浦は源平両家の合戦の巻と承り及びて候。なかにも那須の おんみ 与一扇の的を射られたるところを、とてもの事にまなうで御見せ候へ。 アイ「これは思ひも寄らぬ事をお尋ね候ふものかな。総じて合戦物語などは、その場にて戦ひたる人の物 一七ひとひと 語さへ、人々により違ひ候。いはんやわれらごときの者は詳しくは存ぜず候さりながら、お僧のお尋 こきゃう ねも、故郷への物語になされたくおぼしめすと見えたほどに、詳しく語って聞かせ申さうずるにて候。 とてもの事に、仕方にまなうで御目にかけ申さうずるにて候。 ワキ「ちかごろにて候。 一九※ アイ「 ( 正面を向いて、語り手の立場で語り出す ) さても八島の合戦、今日は日暮れぬ、明日の戦と定め引き退 こぶね くところに、沖よりも尋常に飾ったる小舟に、十七八の傾城柳の五つ亜ねに、紅の血汐の袴踏みく くみ、皆の扇の日したるを、舟のせがいにんでさし上げ、これあそばせとそ招きける。 ( 判 三 0 ごちゃう ニ九ごとうびやうゑさねもと 官の立場で ) 判官御覧じて、後藤兵衛実基を召され、あれはいかにと御諚ある。実基御諚承り、 ( この間 に座を変えて、客席に背を向けて判官に対して平伏する形を示し、実基の立場で ) さん候あれは、射よとの事に たいしゃうぐん三一やおもて てもや候ふらんさりながら、大将軍矢面に進み、傾城を御覧ぜんところを、手足ねらうて射落し申さ はかりこ AJ んとの、謀にてもや候ふらんと申し上ぐる。判官、 ( 座を変え、判官の立場で ) さて味方に射つべぎ者は 一四九 あふぎ あんない 一 0 で ざうらふ 三ニてだれ くれなるニ四ヂじははかまニ五 一四まう しりぞ

10. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

あ・つまあそびするがまひ の地上の世界はあたかも極楽世界になっ 《彩色之伝》の場合、〈クリ〉〈サシ〉地謡气〈次第〉東遊の駿河舞、東遊の駿河舞、この時や初めな 〈クセ〉が省略される。 たかのようである。 五「天」の枕詞。 あずまあそび るらん。 六伊弉諾・伊弉冉の一一神。 地謡「東遊の駿河舞、東遊の駿河舞という 東西南北・四隅 ( 西北・西南・東地謡气〈クリ〉それ久方の天といつば、一一神出世の古、十ガ世のは、このときにはじま「たのだろうか。 ・東南 ) ・上下。 地謡 ( 天人 ) 「そもそも『久方の天』というのは、 ^ 月にあるといわれる宮殿。 界を定めしに、空は限りもなければとて、久方の空とは名伊弉諾・伊弉冉の一一神の世に出られたそ 九『謡曲拾葉抄』に「恵心 / 三界義日、 月宮殿内ニ三十ノ天子アリ、十五人 の昔、全宇宙の名を定めたそのときに、 ( 青衣ノ天子、十五人 ( 白衣ノ天子づけたり ( 大小前へ行く ) 。 空は限りもないものだからとて、『久方 ナリ。月ノ内ニ常ニ有ニ十五ノ天子一 げッキうでん ぎよくふしゆり の空』と名づけたのである。 従 = 月ノ一具白衣ノ天子一人入 = 月シテ气〈サシ〉しかるに月宮殿の有様、玉斧の修理とこしなへ 宮殿一青衣ノ天子出ニ宮殿ノ外「如レ 天人「ところでその空にある月の宮殿の様子 是次第ニシテ十五日ニハ唯十五ノ白 にして、 は、永久に続くようにと美しい斧で建造 衣天子在ニ月宮ノ中一故ニ月円満 びやくえこくえ いちげつやや されており、 ナリ。従 = 十六日一至 = 三十具毎日地謡气白衣黒衣の天人の、数を三五に分って、一月夜々の天地謡「そこには白衣の天人黒衣の天人がそ をとめ ほうじ やく 一人入ニ月宮「故ニ月輪漸欠減スル れそれ十五人、ひと月の毎夜毎夜、役を 乙女、奉仕を定め役をなす。 ナリト」とある。 定めて奉仕している。 一 0 月の中に高い桂の木が生えてい 天人「わたくしもその人数の中のひとりで、 るという伝説があ「た。参考「月中シテ气われも数ある天乙女、 地謡「月世界に住む身を、かりに下界の東 有レ桂「有ニ蟾蜍 1 故異書言、月桂 ( 天人 ) 高五百丈」 ( 酉陽雑俎・天咫 ) 。 地謡气月の桂の身を分けて、仮に東の駿河舞、世に伝へたる国駿河にくだり、舞を舞うのである。こ 一一「実」に音が通じ「桂」の縁語。 れが後世に伝えられた東遊の駿河舞であ 三「東国の駿河での舞」と「東遊の駿曲とかや ( ュウケン扇をする ) 。 るとかいうことだ。 河舞」と両方の意を含む。 はるがすみ 地謡「時は春、たなびいている。月の 一三「春霞たなびきにけり久方の月の地謡气〈クセ〉春霞、たなびきにけり久方の、月の桂の花や咲 ( 天人 ) かつら 桂も花やさくらむ」 ( 後撰・春上紀貫 世界では桂の花が咲いていることたろう。 はなか・つら 之 ) に基づく。 く、げに花鬘、色めくは春のしるしかや ( 足拍子を踏む ) 、面まことに、わたくしの髪かざりの花が色 あま かよひち はえているのは春であるしるしだろうか。 一四「天っ風雲の通ひ路吹きとちょを 白や天ならで、ここも妙なり天っ風、雲の通路吹き閉ちょ とめの姿しばしとどめむ」 ( 古今・雑 面白いこと、天上界ではないここ地上の 上良岑宗貞 ) に基づく ( 正面〈出る ) 、乙女の姿、しばし留まりて、この松原の ( 見ま世界もまたすばらしい。空吹く風よ、天 一五「 ( 春の色を ) 見ん」と掛詞。 上への雲の中の道を吹き閉じておくれ、 一六「 ( 月 ) 清き」と掛詞。 きよみがた 一七「月」の縁語。 わす ) 、春の色を三保が崎 ( 角へ行く ) 、月清見潟富士の雪 ( 左へ 乙女のわたくしはしばらくここ地上にと 三五七 羽衣 一 0 かつら一一 あめ たへ かりあづま さん・こ とど わかッ おとめ ざなみ おの