一 0 ※以下、アイのせりふは山本東本 による。 = 十津川の上流。奈良県吉野郡天 川村にある白飯寺妙音院に弁才天 を祭る。 三大阪府箕面市にある滝安寺 ( 箕 面山吉祥院 ) に弁才天を祭る。 一三神奈川県藤沢市片瀬海岸に近い 小島で、弁才天を祭る。 一四参詣と下向 ( 寺社より家へ帰るこ と ) と。 一五当代の天皇。 一六ご挨拶申したい。 一七※以下、ワキのせりふは下掛宝生 流による。 入『近江国輿地志略』巻八十七に、 「或書に日く」として、この島に昔、 一一岐の竹が生じたので竹生島と名 づけたということを記す。 一九人知でははかり知れないふしぎ ・なこと。 ニ 0 高い岩から水中に飛ぶことであ るが、「神秘」である以上、飛んでも すぐ浮かびあがるはずのものであろ う。この社人の場合は、以下に見ら 。し力ないて れるように、手際よくよ、 ずぶずぶと沈んでしまったのである。 竹生島 , アイを末社の神とする演出もある。 に中入する ) 〔狂言来序〕の囃子で社人の姿のアイが登場し、常座に立って竹 生島のいわれを語り、中央へ出て、ワキに宝物を見せ、続いて 岩飛びの舞を謡いつつ舞い、水中に落ちた態に膝をついて、「く っさめ」と留めて退場する。 れいんナ てんによ 一 0 ※ アイ「 ( 常座で ) かやうに候ふ者は、江州竹生島の天女に仕へ申す者にて候。さるほどに国々に霊験あらた いつくしま一一てんかは ござさうらふ なる天女あまた御座候。なかにも隠れなきは、安芸の厳島、天の川、箕面江の島、この竹生島、いづれ あひだ たうしま も隠れなきとは申せども、とりわき当島の天女と申すは、隠れもなき霊験あらたなる御事にて候ふ間、 一五たうぎん しんがう 一四まるげかう くにぐにざいざいしよしょ 国々在々所々より信仰いたし、参り下向の人々はおびただしき御事にて候。それにつき、当今に仕へ 一六おんれい さんけ、 御申しある臣下殿、今日は当社へ御参識にて候ふ間、われらもまかり出で、御礼申さばやと存ずる。 たうしま ( ワキの前へ出てすわり ) いかに御礼申し候。これは当島の天女に仕へ申す者にて候ふが、ただいまの御 みたからもの おんかた 参詣めでたう候。さて当社へ初めて御参詣の御方へは、御宝物を拝ませ申し候ふが、さやうの御望み はござなく候ふか。 ワキ「げにげに承り及びたる御宝物にて候。拝ませて賜り候へ。 かしこまッ アイ「畏って候。 ( 立って ) やれやれ一段の御機嫌に申し上 み げた。急いで御宝物を拝ませ申さばやと存ずる。 ( 後見 より、腰桶の蓋に入れた宝物を受け取り、中央へ出て ) これ 社 みくら あさイふかんきん る は御蔵の鍵にて候。これは天女の朝夕看経なさるる御 せ じゅず 見数珠にて候。ちといただかせられい。 ( ワキツレに向か 一 ^ ふたまた かたがた …物って ) 方々もいただかせられい。さてまたこれは二股の たうしまいちみ 御竹と申して、当島一の御宝物にて候。よくよく御拝み たうしま一九じんび 候へ。まづ御宝物はこれまでにて候。さて当島の神秘 ニ 0 いはとび 廷において、岩飛と申す事の候ふが、これを御目にかけ 申さうずるか、ただし何とござあらうずるそ。 九三 こんにツタ 0 老人も水中に、入るかと見えたがまた立 うみあるじ ち帰り、わたくしはこの湖の主であると 言い捨てて、ふたたび波の中に、お入り になったのであった。 弁才天の社人が出て、廷臣に宝物を見せ いわとび た後、岩飛を演ずる。 一ニみりお一三 ナ
ゃうしゅん すというようなことはない。 椿葉ノ影再ビ改マル。尊 ( 囀南面、陽春の徳を備へて南枝花始めて開く。 松花ノ色十廻 2 かリ豈唯天意ノミナ けしき 地謡「四季が移りめぐっても変化すること ランヤ」 ( 本朝文粋九大江朝綱 ) に シテ气〈サシ〉しかれどもこの松は、その気色とこしなへにし なく、一千年来の緑は雪の折にとくに深 より、千年に一度咲く松の花が、十 九 くわえふ わ 度繰り返される万年の寿のことをい 深とした色を見せ、また松の花は千年に て花葉時を分かず、 。参考「松の花十廻り咲ける君が 一度開き、それを十度繰り返すともいわ よ 代に何を争ふ鶴のよはひぞ」 ( 新後 地謡气四つの時至りても、一千年の色雪のうちに深く、またれている。 撰・賀藤原基俊 ) 。一三『古今集』仮 しようくわ とかへ 名序の「やまと歌は人の心を種とし 老人「このようにめでたい機縁を待っている は松花の色十廻りとも言へり。 て、よろづの言の葉とぞなれりけ 松は、 る」に基づいて、この前後は縁語て まっえ 地謡「和歌の道での玉のようなことばとし 連ねる。「松が枝」には「待っ」を掛シテかかるたよりを松が枝の、 て、心をみがく材料となって、 け、「葉」は「草」、「草」は「露」「種」、 こと はぐさ 老人「およそ生きているものは何でも、 「露」は「玉」、「玉」は「みがく」の、そ地謡「言の葉草の露の玉、心をみがく種となりて、 れそれ縁語。一四生あるものすべて。 地」「これによ 0 て和歌の道に心を寄せる 「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞シテ气生きとし生けるものごとに、 ようになるとかい、つことだ。 けば、生ぎとし生けるものいづれか 地謡「ところで長能の言を引けば、『有情 歌を詠まざりける」 ( 古今・仮名序 ) に地謡「敷島の蔭に寄るとかや。 よる。一五藤原氏。平安中期の歌人。 のもの非情のものいずれもの声は、皆歌 ちゃうのう うじゃうひじゃう 以下の詞章に関連するものとして、 に含まれるものである。草木や土砂、風 地謡气〈クセ〉しかるに長能が言葉にも、有情非情のその声、 『拾玉得花』には、「長能云、春林東 みな の声水の音までも、それぞれ心があって 風動、秋虫北露泣、皆是和歌体也云 さうもくどしゃふうせいすいおん 云。然者、有情非情声、皆是詩歌ヲ皆歌に漏るる事なし。草木土沙、風声水音まで、万物のこ万物がこもっている。春、林が東風によ 吟詠、序破急成就之瑞感也。草木雨 とうふう ほくろ って動き、秋、虫が北側の草葉の露のも 露得、花実時至、序破急也。風声・ もる心あり。春の林の、東風に動き、秋の虫の、北露に鳴 とで鳴くのも、皆和歌の姿ではないか』 水音有レ是」とある。一六※下掛系は ばんぼく 「万物をこむる心あり」。一七松の折 くも、皆和歌の姿ならずや。なかにもこの松は、万木にすと。まったくそのとおり。なかでもこの 字 ( 分解すると「十八公」となる ) 。 松は、万木にすぐれて、十八公というに シふはツこう せんシう 入※宝生・金剛・喜多の各流では「見 ぐれて、十八公のよそほひ、千秋の緑をなして、古今の色ふさわしい貴人の姿、千年の緑をたたえ す」と謡う。一九秦の始皇帝から爵 しこうて たゆ しくわうおんしやく て、古今不変の色である。始皇帝より大 位をいただいたほどの木。↓一〇二 を見す、始皇の御爵に、あづかるほどの木なりとて、異国 ハー注一「ニ 0 「高砂の尾上の鐘の音す 夫の爵位をいただくほどの木であるとて、 ほんてう しゃうくわん なり暁かけて霜や置くらん」 ( 千載・ 異国でもわが国でも、人こそってこれを 冬大江匡房 ) を引く。 にも、本朝にも、万民これを賞翫す。 ほめたたえるのだ。 おと シテ气高砂の、尾上の鐘の音すなり、 老人「高砂の尾上の鐘のがする。 五九 高 砂 をのヘ なんしはな いッせんねん たね 一六※ ばんぶつ ここん おのえ ちょうのう
謡曲集 一広く知れわたっている。なお、正 しくは「聞ゆる」であるが、この時代、 しばしば誤用されて、ハ行下一一段活 用として用いられた。「栄ふ」など も同様である。ニ那須氏は藤原道兼 の子孫で、下野国 ( 栃木県 ) 那須郡に 住した。三射あてることを勝負とし て賭けて、鳥を射ること。やや後に は、空飛ぶ鳥を射るところから、「翔 鳥」とも書くようになった。四褐いち は濃い藍色。このところ、いささか 不文であるので、次に掲げる『平家 物語』の文章を参照して解すれば、 褐の色の布に、一部分赤地の布のつ けられている直垂、の意か。「かちに、 赤地の錦をもって大領品 ( おくみ、 のこと ) 端袖 ( 袖先にさらに一幅だ けつけ加えた袖 ) いろへたる直垂に」 ( 平家巻十一・那須与一 ) 。五鎧の前 胴の上部についている紐。六この ような類のもの。七必す。 ^ 仰せ つけられるべきでもありましようか。 仰せつけられたらよいのではありま せんか。九かれこれと異議をとな える人々。一 0 「候へ」のロ語とし て略体となった「そへ」がさらに転じ たもの。 = しかるべき処置を申す ぞ。三ふたしか。一三毛色の黒い 馬で、やや体が小さいために名づけ られたのであろう。一四植物のほや ( やどり木 ) の形をまるく図案化した もの。一五うるしに貝をはめこんで 磨き出した。一六鞍などのヘりを金 または金色の金属で覆い飾ること。 一七矢を射る際の適当な距離。入だ いたい、午後六時ごろ。一九「南無」 一五〇 たれ ござさうらふなか しもつけ 誰かある。 ( 座を変え、実基の立場で ) さん候御味方に、聞ふる射手あまた御座候中にも、下野の国の ギうにんニなす すけたか よいちむねたか こひやう てじゃうず 住人、那須の太郎資高が子に、与一宗高とて小兵には候へども、手上手にて賭鳥などを仕るに三つに まうぐわん 二つは、必ず射おほせ候と申し上ぐる。 ( 座を変え、判官の立場で ) 判官、さあらばその与一を召せとて召 をのこ 四かちん ころ はたち されしに、 ( そのまま語り手の立場で ) その頃与一一一十ばかりなる男なるが、褐に赤地の直垂を着、兜を脱 たかひも おんまへ いで高紐にかけ、 ( 座を変えて、客席に背を向けて、判官の前に平伏する形で ) 判官の御前に出でてかしこまる。 かれ ( 座を変えて、判官の立場で ) 判官御覧じて、ははあ与一とは彼が事か。ゃあいかに与一、あの傾城の立てた まんなか けんぶッ ごぢゃう る扇の真中射て、平家に見物させいえい。 ( 座を変えて、与一の立場で ) 与一御諚承り、さん候いまだかや 七いちちゃう レ」もが・つ うの分の物を、仕ったる事も候はず。一定仕らんずる輩に、仰せ付けらるべうもや候ふらんと申し上 こんど ぐる。 ( 座を変え、判官の立場で ) 判官大きにって、今度鎌倉を立ってこの陣に供したらんずる侍ども、 一・も・から 一 0 ごにち 義経が命を背くべからず。それに子細を存ぜぬ輩は、急ぎ引いて、本国へお帰りそい。後日に鎌倉に て、沙汰し申さんと怒り経ふ。 ( 座を変え、与一の立場で ) 与一、辞し申さばあしかりなんとや思ひけん、 一ニふぢゃう おんまへ 一定仕らんずる事不定には候へども、仕ってこそ見候はめとて、判官の御前をまかり立つ。 ( 立って、 一三をぐろ 一五すッ 一六きんぶくりんくら 正面に座を変え、与一の立場で ) その頃那須の小黒とて聞ふる名馬に、まる・ほや摺ったる金覆輪の鞍置か かろ おんまへ せ、わが身軽げにゆらりと乗り、磯へ向いてそ歩ませける ( たづなをとり、むちで打っ型をする ) 。御前に ありし人々も、 ( 見送るような形をして ) ははああの若者こそ、一定仕らんずる者と存じ候と申し上ぐる。 ( 判官の立場で、開いた扇を顔の前にあて、その上から目で見送って ) 判官も、幀もしげにて見給ふ。 ( そのまま、 与一の立場で ) かくて矢頃少し遠かりければ、馬を海へさっと打ち入れ、馬の太腹、ひたすほどにそ見え さんぐわちジふはちにち一八とり にける。頃は三月十八日、酉の一点の事なるに、をりふし北風はげしう吹き、舟は小さし、波は高し、 浮きぬ、沈みぬ見えければ ( 静かに目を上下に動かす ) 、扇も定かならず。その時与一目をふさぎ、 ( 合掌 一九なむきみやうニ 0 ニ一あいぜんだいみやうじん しんヂう する ) 南無帰命八幡那須愛染大明神、この矢外させ給ふなと心中に祈念し、目をどんぐり目に開いて見 こひやうニ四イ れば、風も少しは吹き弱り、扇も射よげに見えにけり。与一、 ( 扇で床をたたき ) 小兵といふでう十一一束 三つ伏せ、 ( 肩衣の左袖を脱ぎ、弓の形に左手で閉じた扇を立ててにぎり、右手で矢を引きしぼって射る形をして ) ニ六ッび かなめもと よっ引いてひょうと放つ。 ( 以下、扇の海に入るさまや、源平の人々の様子を身ぶりで示す ) 過たず扇の要元 ニ七かぶら 一寸ばかり上を、ひっふっと射ちぎり、鏑は海に入れば、扇は空に上がり、春風に、一もみ一一もみも 五 ぶん つかまっッ 一七やごろ ざうらふおん はづ て ふとばら 三かけとり とも ひたたれき あやま ひと ざうらふ つかまっ さむらひ かぶとぬ
一三※ 七吉野の桜は数が多く、見渡す限り 花守の老人ととが嵐山の花の美しさを ワキ「〈着キゼリフ〉急ぎ候ふほどに、これははや嵐山に着きて のその眺望を世に「一目千本」と 述べ、久しい御代をたたえる。 候。心静かに花を眺めうずるにて候。 、「上の千本」「下の千本」など と称する。それで、「千本賃の桜」は、 人「われら花守の住む嵐山の山桜は、手入 ワキツレ「しかるべう候。 「吉野の桜」の同義語。 れがゆきとどくためか、花の雲もこの上 こずえ ^ 「 ( 都にはげにも ) あらじ」と掛詞。 なく美しく、天に届くほどの梢の花であ 〔真ノ一声〕の囃子で、姥の姿のツレと老翁の姿のシテとが登場 九「 ( 今ぞ ) 見ん」と掛詞。 る。 一 0 「春のあした、吉野の山の桜は人 し、ツレは一ノ松、シテは三ノ松に立ち、向かいあって〈一セ 麻呂が心には雲かとのみなむおぼえ 姥「吉野の千本の桜をもとにしたからか、 イ〉を謡う。シテは萩箒を右手に持つ。〔アシライ〕の囃子で、 ける」 ( 古今・仮名序 ) に基づく ツレは中央、シテは常座に行き、〈サシ〉以下を謡う。〈上歌〉 老人「春もまた千代までも久しく栄えると思 = 柿本人麻呂をさす。 の終りに、シテは中央へ、ツレは角へ謡いながら行く。 われる、めでたい眺めである。 三まだ到着せす、遠くから眺める と、の意。 老人「わたくしどもはこの嵐山の花を守る、 〔真ノ一声〕 一三※以下三行、下掛宝生流による。 夫婦の者なのであります。そもそも吉野 ツレが杉箒を担げて登場する演出 はなもり こすゑ の山は、京都からかなり外であるので、 もある。シテ・ツレがともに杉箒をシテ かど レ气〈一セイ〉花守の、住むや嵐の山桜、雲も上なき梢かな。 担げて登場する演出もある。 帝は花見にお出かけなされぬため、有名 ちもと 一四「雲」は花の雲と考えられ、全山 な吉野の山桜の、千本の花の種を持って ツレ「千本に咲ける種なれや、 の桜が梢高く咲きそろって天に届か 来て、この嵐山に値えおかれ、後の世ま んばかりの美しさをいうのであろう。 シテ レ气春も久しき眺めかな。〔アシライ〕 ( 一一人は舞台に入る ) 一五※観世流は「けしきかな」。 でも残された。これは後世の人々にまで、 一六※諸本は、「夫婦の者にて候ふな 佳例として伝えられることであろう。こ り」まで、シテのみの謡とする。底ツレ シテ气 ( 向かいあ 0 て ) 〈サシ〉これはこの嵐の山の花を守る、夫 のことももとより帝のご恩恵である。 本にその表記がないので、二人の謡 ふ ゑんまんジふり とした。 み老人「まことに幀もしいことだ君のご恩沢は。 婦の者にて候ふなり。それ円満十里の外なれば、花見の御姥 一七※観世流は「嵐山の花を守る」。 よく治まったこの御代の春、空もたいへ ゆき お ちもと 一八※現行金春流は「例かや」。 ん美しい 幸なきままに、名に負ふ吉野の山桜、千本の花の種取りて、 一九※上掛系は「かな」。 ためし 老人「この空の下で、なんともいえずみごと ニ 0 君の恵みを山にたとえたことば。 この嵐山に植ゑ置かれ、後の世までの例とかや。これとて 三意味の上では、前句「春の空」に なのはこの都の、なんともすばらしいの 一九※ も続く。 はこの都の、内から外へと行き通う花見 も君の恵みなり。 一 = 一※上掛系は「なれや九重の」。繰返 車。その轅も西の方嵐山に向かうが、日 しも同じ。 みかげやま も西に傾き、日ざしをさえぎって雲が行 一一三都。「空」の縁語。 ' 一冖气〈下歌〉げに頼もしゃ御影山、治まる御代の春の空。 となせ ニ四※「九重の」まで、現行金春流はツ ここのヘ くここ嵐山は、戸無瀬の急斜面を流れ落 レの謡。 」气〈上歌〉さも妙なりや九重の、さも妙なりや九重の、内ちる白波も、あたかも花が散るかと見え 嵐山 一〇七 シテ うち ながえ
梅と松とのことを述べ、天満天神の加護 人が笠を縫うときの様子に似ている 〔真ノ一声〕の難子で若い男の姿のツレと老翁の姿のシテとが として詠んだ「青柳を片糸によりて をたたえつつ、花盛りの梅に垣を作る。 登場し、ツレは一ノ松、シテは三ノ松に立ち、向かいあって すぎうきかた はながさ 鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠」 ( 古今・ 〈一セイ〉を謡う。シテは右肩に杉箒を担げる。続いて〔アシ 姥人「梅の花開く春にもなり、これを花笠と 神あそびの歌 ) に基づく。「笠」「来 うぐいす ライ〕の囃子で、ツレは中央、シテは常座に行き、〈サシ〉以 すみ ( 着 ) 」、「縫ふ」は縁語。三松は、 見るなら、それを縫うという鳥の鶯が、 こずえ 下を謡う。〈上歌〉の終りに、シテは中央へ、ツレは角へ謡い 千年目に花が開くとされる。それを 梢に飛び交うことだ。 ながら行く。 十度繰り返す長さ、すなわち万年の 男「松の葉も時を得て色あざやか、 寿。↓五九ハー注三。 とかえ ー ) よら・か 〔真ノ一声〕 一三「吹を逐ウテ潜 2 そニ開ク、芳菲ノ 男人「『松花の色十廻り』といわれているよ よわい 候ヲ待タズ。春ヲ迎へテ乍チ変ズ、 こずゑ ンめはながさ うに、万年の齢をもっ深い緑であること 将】 = 雨露ノ恩ヲ希ントス」 ( 和漢 ~ 冖气〈一セイ〉梅の花笠春も来て、縫ふてふ鳥の、梢かな。 よ。 朗詠集・立春紀淑望 ) を二句に分け 老人「春立っ風の跡を追って、春になるとす て引いた。上句は、梅の花が春のた ツレ气松の葉色も時めきて、 けなわになるのを待たすに、春風の ぐ、他の花にさきがけてひそやかに梅は か′」まっ とかへ 立つに従ってひそかに開く意。下句シテ 咲き、年ごとに葉守の神となる松を門松 气十廻り深ぎ、緑かな。〔アシライ〕三人は舞台に入る ) は、冬枯れの状態から春を迎えてた としている門に、 一四はもり ちまちに色を変えて、雨露の恵みを 受けようとするの意。 シテ气〈サシ〉風を逐ってひそかに開く、年の葉守の松の戸に、老人「春を迎えては、たちまちに四方の草木 くさき うるほ 一四「年の端」 ( 毎年 ) と「葉守の松」 ( 松 まで雨露の恵みに浴し、万物が神徳にな シテ ( 向かいあ。て ) 春を迎へてたちまちに、潤ふ四方の草木ま を樹木の守護神である「葉守の神」に びくかと思われるように、一面に春らし 見たてた ) と「松の戸」 ( 門松を飾って ある門 ) とを重ねた。 くなってきたことだ。 で、神の恵みに靡くかと、春めきわたる盛りかな。 みやでら 一五※下掛系は「靡くやと」。一六神仏 みやでら 老人「お参りするこの宮寺の、光は隠れなく、 混淆の寺社。安楽寺は太宰府天満宮シテ气〈下歌〉歩みを運ぶ宮寺の、光のどけき春の日に、 折しも今は光のどかな春の日。 と一体であった。一七「敷く」の縁語 こけむしろ として、「敷島」の序。入和歌の道。シテ 男人「松の根が岩の間に延び、あたり一面は こけむしろ ノレ气〈上歌〉松が根の、岩間を伝ふ苔筵、岩間を伝ふ苔筵、 天満天神 ( 菅原道真 ) は人丸・赤人と 苔の筵、岩間に敷かれた苔筵が続くばか 一九 しきしま すゑ あまぎ ふるえ ともに和歌一二神の一。 一九安楽寺の りか、和歌の道までも末長く続くのは、 敷島の道までも、げに末ありやこの山の、天霧る雪の古枝 山号を天原山という。それで、「天 天満天神の加護があるからもっともなこ 霧る」へ続く。参考「梅の花それとも たを 見えず久方のあまぎる雪のなべて降をも、なほ惜しまるる花盛り、手折りやすると守る梅の、 と。したがってこの山の梅は、空一面を れれば」 ( 古今・冬、この歌「ある人の ーなカき 曇らせて降る雪のころの古枝の花さえも いはく、柿本人麿が歌なり」と左註花垣いざや囲はん、梅の花垣を囲はん。 惜しまれ、ましてこの花盛りの枝を、だ あり。拾遺・春、に柿本人丸として れかが折り取るかも知れぬと、この梅を ワキは脇座に立ち、シテ・ツレに問いかけて問答となる。地謡 重出 ) 。ニ 0 「 ( 雪の ) 降る」と掛詞。 なお、下掛系は「古枝も」。 となると、ツレは地謡座前へ行き着座する。ワキも着座する。 守るために、さあ花を囲う垣を作ろう、 老松 九九 一五※ なび ンめ ンめ は
ふること 九※下掛系は「慰めよかしとて」。 んとぞ思ふ』。これは、小町の歌であり り ( ワキへ向く ) 。气忘れて年を経しものを、聞けば涙の古言 一 0 今までつつみ隠していたのが、 一四※ ますね。 ここで、「われを誘ひしほどに」と小 これあきら の、また思はるる悲しさよ ( 正面を向き、シオリをする ) 。 小町「この歌は、大江の惟章が心変りをした 町であることをあらわしてしまって ので、世の中が厭わしくなっていたとこ ワキ「ふしぎゃなわびぬればの歌は、わが詠みたりしと承る、 やすひでみかわのかみ = ※下掛系は「詠みたりし歌なり」。 ろ、そのとき、文屋の康秀が三河守とし 三謡曲にしばしば用いられる表現 ( ワキ、正面先へ向き ) また衣通姫の流と聞えつるも小町なり。 て任国へくだることになって、『田舎で で、「江口」「融」等にもみえる。 ねんげット 一三「 ( 涙の ) 降る」と掛詞。 心を慰めるがいい』と、わたくしを誘っ 一四※下掛系は「あらはるる悲しさげに年月を考ふるに ( ワキ、面を伏せて考える ) 、老女は百に及 た、それでわたくしが詠んだ歌である。 そのようなことはすっかり忘れて年月を 一五※下掛系は、次に、 ぶといへば、たとひ小町のながらふるとも、いまだこの世 送っていたのに、今聞けば涙が出て、昔 ワキ「これは小町が歌にては候はぬ カ のことどもがまた思い出されて悲しいこ にあるべきなれば、今は疑ふところもなく、御身は小町の シテ「げに忘れて候。小町が歌候ふ と。 はて 果そとよ ( ワキ、シテヘ向く ) 、气さのみなつつみ給ひそとよ。 住僧「ふしぎなことだ、『わびぬれば : : : 』 の問答が入る。 一六※下掛系は「争ひ給ひそとよ」。 の歌は自分が詠んだ歌だといわれる。ま シテいや小町とは恥かしゃ ( ワキへ向く ) 、色見えでとこそ詠 一七※車屋本は「恥かしや小町とは」。 た衣通姫の流れを汲む者として知られて 一 ^ 「色見えで移ろふものは世の中の いるのも小町である。なるほど年月を考 人の心の花にぞありける」 ( 古今・恋みしものを。 えてみると、老女は百歳にもなるという 五小野小町 ) 。歌意は、色がない けれども色あせてゆくもの、それは地謡气〈上歌〉移ろふものは世の中の ( 正面を向く ) 、人の心の花ことであるし、かりに小町が生きながら 世の中の人の心という花なのであっ えているとすると、まだこの世に生きて や見ゆる、恥かしやわびぬれば、身を浮草の根を絶えて ( 面 いるはずだから、してみると疑いもなく、 一九※車屋本は「移ろふものか世の中 あなたは小町の衰え果てた姿ということ の」。そしてこの句を繰り返す。現を伏せる ) 、誘ふ水あらば今も ( 面のみワキ〈向ける ) 、往なんと 行下掛三流は、底本と同じであるが、 になる。そのようにつつみ隠しなさいま 繰返しがある。 そ思ふ恥かしゃ。 ( 面を正面へ直す。ワキ・子方立ち、脇座へもどり着すな。 小町「いや、小町といわれては恥ずかしいこ 座する ) 。 と。だからこそ、わたくしは『色見えで : 』と詠んだのに。 地謡「『色見えで移ろふものは世の中の、 一同着座のまま〈クリ〉〈サシ〉〈クセ〉と続く。〈クセ〉の後半 ( 小町 ) たんざく 人の心の花にそありける』。人の目には で、シテは短冊を取り、書きつける。 関寺小町 一九※ へ おおえ ふんや
ろうてう きがんナ しの 一 0 「籠鳥雲を恋ふる思ひ、遙かに千シテス〈サシ〉それ籠鳥は雲を恋ひ、帰雁は友を忍ぶ、人間も帰る雁は今までなじんでいた友との別れ 里の南海に浮び、帰雁友を失ふ心、 こじんうと ひんか しんち を悲しむもの。人間の場合もまたこれと さだめて九重黐ちの中途に通ぜん またこれ同じ、貧家には親知少く、賤しきには故人疎し、 同じこと。家が貧しければ親しい知人が か」 ( 平家巻十・八嶋院宣 ) にづくか。 らうすい かたち ろめいきは さうえふ 少なく、賤しい者には昔からの友人も疎 類句が「敦盛」にもある。↓二三一ハ 老悴衰へ形もなく、露命窮まって霜葉に似たり。 注一九。 遠になる。かくしてわたくしは老いやっ ことわり一セ 一一「家貧親知少、身賤故人疎」 ( 本朝 れて見るかげもなく、かろうじて生きて シテ气〈下歌〉流るる水のあはれ世の、その理を汲みて知る。 文粋・秋夜感懐橘在列 ) による。 いる命も終りに近づいて、霜のために朽 一八しらかは 三老いやつれること。 シテ气〈上歌〉ここは所も白河の、ここは所も白河の、水さへ ちてゆく木の葉に似た有様である。 一三露のようにはかない命。 一四霜のために朽ちてゆく木の葉。 ちぐう ニ 0 ※ あしびき すてびと 老女「流れる水のように早く過ぎゅくのは無 「露命」と縁語。 深きその罪を、浮びやすると捨人に、値遇を運ぶ足引の 常のこの世、という道理を水を汲みつつ 五時の早く過ぎゅくのを流水にた とえる。 ( 歩み出す ) 、山下庵に着きにけり、山下庵に着きにけり ( シテ推しはか 0 て知ることができる。 一六「泡」の音を含む、「あはれ」の序 老女「ここは所も白河であって、ここは『世 の形となる。 常座に立っ ) 。 の道理』を知るよすがのある白河であっ 一七推しはかって知る。「水」の縁語。 て、その水までも深いが、わたくしの深 入「所も」といったのは、「白河」に シテはワキへことばをかけながら中央へ行き着座し、問答とな い罪を、もしかして減・ほすことができる 「知る」の意が掛詞として含まれ得る よすてびと る。掛合いの謡があって、地謡となると、シテは立って藁屋の からである。 かと、世捨人にお目にかかって仏縁を得 横へ行き、杖を捨てて作リ物の内へ中入する。 一九「 ( 水さへ ) 深き」と「深き ( 罪 ) 」と るために足を運び、山の下の庵に着いた、 上下に掛かる。 ニ 0 ※車屋本は「この罪を」。 シテ「いつものごとく今日もまた御水あげて参りて候 ( 中央〈行山の下の庵に着いたのであ 0 た。 三「水」の縁語。 僧に名を尋ねられて、老女は、その昔太 ニニ値遇 ( めぐりあうこと ) を求めて しらびようし き着座する。水桶を前に置く ) 。 宰府に檜垣をめぐらして住んだ白拍子が 足を運ぶ、の意。 おぎのり あゆかへがヘ 通りかかった藤原の興範に対して歌を詠 着座するとすぐ杖を下に置く場合ワキ「毎日の老女の歩み返す返すもいたはしうこそ候へ。 と、しばらく杖を肩にあてそれにす んだということを語り、自分がその檜垣 のが わらや の女であることをほのめかして藁屋の内 が 0 ている演出とある。後者の場合シテ气せめてはかやうの事にてこそ、少しの罪をも遁るべけ は、「これは思ひもよらぬ」あたりで に消え失せる。 とむらたま 杖を置く れ。亡からん跡を弔ひ給ひ候へ。「明けばまた参り候ふべ 老女「いつものように今日もまた、お水を汲 おんニとま みあげて参りました。 し、御暇申さうずるにて候。 僧「毎日の老女のおいで、なんともおいた ざうらふおんみ ワキ「しばらく候。御身の名を名のり給へ。 わしいことであります。 四〇七 ニ三閼伽 2 の水。 檜垣 ナと
はやと、も つくし ふ」 ( 平家巻十一・能登殿最期 ) 。 早柄とやらんにて、筑紫へ一先落ち行くべきと一門申し合女院「そのときの様子を申しあげるにつけて、 = 土佐の国 ( 高知県 ) 安芸郷の武士。 おと さつまがた をがたさむらう 恨めしい気持がおこることであります。 源氏側。三平清盛の第四子。「新ひしに、緒方の三郎心変りせしほどに、薩摩潟〈や落さん長門の国早柄とかいう所で、筑紫〈ひと 中納言『見るべき程の事は見つ。 をりふしのぼしほさ まず落ちて行こうと一門の者が相談いた まは自害せん』とて、めのと子の伊 と申しし折節、上り汐に障へられ、今はかうよと見えしに、 賀平内左衛門家長をめして、『いか しましたのに、緒方の三郎が心変りした さつま のと あき さうわきはさ に、約束はたがふまじきか』とのた ま〈ば、『子細にや及び候』と、中納能登の守教経は、安芸の太郎兄弟を左右の脇に挾み、最期ので、それをとりやめて薩摩のほうへ落 ちょうと申していたが、折からの上げ汐 かいチ - っ しん・チうなごんとももり 言に鎧一一領きせ奉り、我が身も鎧一一 の供せよとて海中に飛んで入る。气新中納言知盛は、「沖 領きて、手をとりくんで海へぞ入に に妨げられてかなわず、今はこれまでと ける」 ( 平家巻十一・内侍所都入 ) 。謡 かぶと 思われたのである。それで能登の守教経 あぎ 曲「碇潜ごにも、知盛が碇を戴い なる舟の碇を引き上げ、甲とやらんに戴き ( 左手で頭をさす ) 、 は、敵の安芸の太郎兄弟を両脇にはさみ、 て入水したことを記すが、『平家物 めのとご 『おまえたちは最期の旅の供をせよ』と 語』巻十一「能登殿最期」では、教盛・ 乳母子の家長が、弓と弓とを取りかはし、そのまま海に入 経盛兄弟が碇を負うて入水している。 言って海の中に飛んで入る。新中納言知 ねりばかまそば にるどのにぶいろ一四ぎぬ かぶと 一三薄墨色。昔、喪服にはこの色を りにけり。气その時二位殿鈍色の二つ衣に、練袴の稜高くは、沖にある舟のを引きあげて、甲 用いた。なお、以下の叙述は『平家物 かたぎ とかいう物の上にのせ、乳母子の家長の 語』巻十一「先帝身投」、灌頂巻「六道 挾んで、わが身は女人なりとても、敵の手には渡るまじ、 之沙汰」に書かれていることにほぼ 弓と自分の弓とを互いに取りかわして、 しゅしゃうおんとも あんとく ふなばた 同じ。一四一一枚同じ色の衣を重ねて そのまま海に入ってしまった。そのとき いどの さねころも 主上の御供申さんと、安徳天皇の御手を取り舟端に臨む。 着ること。一五練絹 ( 練って柔らか 位殿は薄墨色の一一枚襲の衣を着て、練 にした絹 ) で作った袴。一六袴の股 ちよくぢゃう げぎしんノほ ぎぬはかまももだ いづくへ行くそと勅諚ありしに、この国と申すに逆臣多く、絹の袴の股立ちを高く持ちあげて紐には 立ち。一七皇室の祖神。日の神と仰 がれたことから、東方に拝す。 さんで、『わたくしは女の身であるが、 天南無阿弥陀仏の名号を十度とな かくあさましき所なり、極楽世界と申して、めでたき所のそれにしても敵の手にはかかるまい、主 えること。一九西方極楽浄土。なお、 みゆき 上のお供申そう』と言って、安徳天皇の 車屋本・現行諸流は、「西に向はせ この波の下にさぶらふなれば、御幸なし奉らんと、泣く泣 おはしまし」。ニ 0 『平家物語』の延 お手を取って舟ばたに立つ。『どこへ行 ひがし 慶本・長門本や『源平盛衰記』に、入 くのか』と仰せられたので、『この国と く奏し給へば、さては心得たりとて、東に向はせ給ひて、 水のときの二位殿の歌としてみえる。 申すところは賊臣が多く、このようにあ ただし第四句「波の下にも」。長門本あまてるおほんがみおん = とま 天照大神に御暇申させ給ひて、 は第三句「御流れ」。歌意は、今にな さましい所である。極楽世界と申してめ ジふねんおんため一九 って初めてわかった、天照大神のご でたい所がこの波の下にあるということ 子孫である天子には、波の底にも都地謡气また十念の御為に西へ向はせおはしまし、 でありますので、そこへお供申しまし があるということを。 シテ气今そ知る、 よう』と、泣く泣く奏上なさる。すると 大原御幸 四〇三 かみのりつね しカり・ いへなが ム によにん ひとまづ おんて おがた めのとご かみのりつね ひも いえなが ねり
一三他人の塩屋についてはかかわり をもたず、自分の塩屋を他人には勝 手に立ち入らせないという規則、と いうような意。一四うそをおっしゃ 一五どう るのか。妄語は五戒の一。 せ語ってくださるのなら、いっその こと。一六四行あとの「仕方にまな うで」と同義。身ぶりを交えて語っ て見せてください。「まなぶ」はまね をすること。一七それぞれの人によ 入それはたいへんありがたい ことです。「ちかごろ」は、当時のロ 語として、「たいそう」の意の副詞の 用法がある。「近頃めずらしい」と いうような意から、それが省略され て慣用化したことばであろう。 一九※以下が《那須》の〈語リ〉で、この 部分だけが単独に演ぜられることも ある。なお、内容は『平家物語』巻十 一「那須与一」に基づき、同じ用語、 同じ言いまわしが多い。ニ 0 なかな かりつばに。一 = 美人。美しい女。 ニニ表は白、裏は青の襲の色目。 ニ三表衣の下は袿いちを五枚重ねた もの。五つ衣と同じ。ニ四血の色の。 ニ五足で袴の裾を踏むくらいに、た つぶりと裾長にはいて。 ニ六全面が真紅んの色で、中央に金 色の日輪の描かれている扇。ニ七舟 の両舷に渡した板。舟棚。 ll< こ れを的として射なさい。「あそば す」は「する」「行なう」の敬語。 ニ九義経の家臣。後藤氏は藤原秀郷 の子孫。三 0 おことば。ご質問 三一矢の飛んでくる正面。三ニ手の きく者。熟練者。「てだり」ともいう。 島 八 ひ申さでもすむ事なれども、人まかせに致せば、何事もむさむさと致すによっての事にて候。 ( 角で脇 座のほうを見て ) ゃあ、あらふしぎや、塩屋の戸が開いてある。見れば人の出入りしたる跡もあり、 ( ワ キを見て ) いや、これなるお僧は、何とて人の塩屋へ案内なしにはいりては御座候ふそ。 一一※あるじ ワキ「これは主に借りて候。 たいほふ アイ「いやいや、さやうにては候ふまじ。主はそれがしにて候。総じてこの所の大法にて、人の塩屋をわ が存ぜず、わが塩屋を人に知らせぬ大法にて候ふが、われらはいまだ貸し申さぬに、さてはお僧は妄 語ばし仰せ候ふか。 ワキ「いやいや妄語は申さず候。それにつき尋ねたき事の候。まづ近う御入り候へ。 。いかやうなる御用にて候 アイ「心得申して候。 ( 舞台中央でワキに向いて着座する ) さてお尋ねありたきとよ、 ふぞ。 り・やら・か かせんちまた ワキ「思ひも寄らぬ申し事にて候へども、この浦は源平両家の合戦の巻と承り及びて候。なかにも那須の おんみ 与一扇の的を射られたるところを、とてもの事にまなうで御見せ候へ。 アイ「これは思ひも寄らぬ事をお尋ね候ふものかな。総じて合戦物語などは、その場にて戦ひたる人の物 一七ひとひと 語さへ、人々により違ひ候。いはんやわれらごときの者は詳しくは存ぜず候さりながら、お僧のお尋 こきゃう ねも、故郷への物語になされたくおぼしめすと見えたほどに、詳しく語って聞かせ申さうずるにて候。 とてもの事に、仕方にまなうで御目にかけ申さうずるにて候。 ワキ「ちかごろにて候。 一九※ アイ「 ( 正面を向いて、語り手の立場で語り出す ) さても八島の合戦、今日は日暮れぬ、明日の戦と定め引き退 こぶね くところに、沖よりも尋常に飾ったる小舟に、十七八の傾城柳の五つ亜ねに、紅の血汐の袴踏みく くみ、皆の扇の日したるを、舟のせがいにんでさし上げ、これあそばせとそ招きける。 ( 判 三 0 ごちゃう ニ九ごとうびやうゑさねもと 官の立場で ) 判官御覧じて、後藤兵衛実基を召され、あれはいかにと御諚ある。実基御諚承り、 ( この間 に座を変えて、客席に背を向けて判官に対して平伏する形を示し、実基の立場で ) さん候あれは、射よとの事に たいしゃうぐん三一やおもて てもや候ふらんさりながら、大将軍矢面に進み、傾城を御覧ぜんところを、手足ねらうて射落し申さ はかりこ AJ んとの、謀にてもや候ふらんと申し上ぐる。判官、 ( 座を変え、判官の立場で ) さて味方に射つべぎ者は 一四九 あふぎ あんない 一 0 で ざうらふ 三ニてだれ くれなるニ四ヂじははかまニ五 一四まう しりぞ
あ・つまあそびするがまひ の地上の世界はあたかも極楽世界になっ 《彩色之伝》の場合、〈クリ〉〈サシ〉地謡气〈次第〉東遊の駿河舞、東遊の駿河舞、この時や初めな 〈クセ〉が省略される。 たかのようである。 五「天」の枕詞。 あずまあそび るらん。 六伊弉諾・伊弉冉の一一神。 地謡「東遊の駿河舞、東遊の駿河舞という 東西南北・四隅 ( 西北・西南・東地謡气〈クリ〉それ久方の天といつば、一一神出世の古、十ガ世のは、このときにはじま「たのだろうか。 ・東南 ) ・上下。 地謡 ( 天人 ) 「そもそも『久方の天』というのは、 ^ 月にあるといわれる宮殿。 界を定めしに、空は限りもなければとて、久方の空とは名伊弉諾・伊弉冉の一一神の世に出られたそ 九『謡曲拾葉抄』に「恵心 / 三界義日、 月宮殿内ニ三十ノ天子アリ、十五人 の昔、全宇宙の名を定めたそのときに、 ( 青衣ノ天子、十五人 ( 白衣ノ天子づけたり ( 大小前へ行く ) 。 空は限りもないものだからとて、『久方 ナリ。月ノ内ニ常ニ有ニ十五ノ天子一 げッキうでん ぎよくふしゆり の空』と名づけたのである。 従 = 月ノ一具白衣ノ天子一人入 = 月シテ气〈サシ〉しかるに月宮殿の有様、玉斧の修理とこしなへ 宮殿一青衣ノ天子出ニ宮殿ノ外「如レ 天人「ところでその空にある月の宮殿の様子 是次第ニシテ十五日ニハ唯十五ノ白 にして、 は、永久に続くようにと美しい斧で建造 衣天子在ニ月宮ノ中一故ニ月円満 びやくえこくえ いちげつやや されており、 ナリ。従 = 十六日一至 = 三十具毎日地謡气白衣黒衣の天人の、数を三五に分って、一月夜々の天地謡「そこには白衣の天人黒衣の天人がそ をとめ ほうじ やく 一人入ニ月宮「故ニ月輪漸欠減スル れそれ十五人、ひと月の毎夜毎夜、役を 乙女、奉仕を定め役をなす。 ナリト」とある。 定めて奉仕している。 一 0 月の中に高い桂の木が生えてい 天人「わたくしもその人数の中のひとりで、 るという伝説があ「た。参考「月中シテ气われも数ある天乙女、 地謡「月世界に住む身を、かりに下界の東 有レ桂「有ニ蟾蜍 1 故異書言、月桂 ( 天人 ) 高五百丈」 ( 酉陽雑俎・天咫 ) 。 地謡气月の桂の身を分けて、仮に東の駿河舞、世に伝へたる国駿河にくだり、舞を舞うのである。こ 一一「実」に音が通じ「桂」の縁語。 れが後世に伝えられた東遊の駿河舞であ 三「東国の駿河での舞」と「東遊の駿曲とかや ( ュウケン扇をする ) 。 るとかいうことだ。 河舞」と両方の意を含む。 はるがすみ 地謡「時は春、たなびいている。月の 一三「春霞たなびきにけり久方の月の地謡气〈クセ〉春霞、たなびきにけり久方の、月の桂の花や咲 ( 天人 ) かつら 桂も花やさくらむ」 ( 後撰・春上紀貫 世界では桂の花が咲いていることたろう。 はなか・つら 之 ) に基づく。 く、げに花鬘、色めくは春のしるしかや ( 足拍子を踏む ) 、面まことに、わたくしの髪かざりの花が色 あま かよひち はえているのは春であるしるしだろうか。 一四「天っ風雲の通ひ路吹きとちょを 白や天ならで、ここも妙なり天っ風、雲の通路吹き閉ちょ とめの姿しばしとどめむ」 ( 古今・雑 面白いこと、天上界ではないここ地上の 上良岑宗貞 ) に基づく ( 正面〈出る ) 、乙女の姿、しばし留まりて、この松原の ( 見ま世界もまたすばらしい。空吹く風よ、天 一五「 ( 春の色を ) 見ん」と掛詞。 上への雲の中の道を吹き閉じておくれ、 一六「 ( 月 ) 清き」と掛詞。 きよみがた 一七「月」の縁語。 わす ) 、春の色を三保が崎 ( 角へ行く ) 、月清見潟富士の雪 ( 左へ 乙女のわたくしはしばらくここ地上にと 三五七 羽衣 一 0 かつら一一 あめ たへ かりあづま さん・こ とど わかッ おとめ ざなみ おの