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検索対象: 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)
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1. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 野上豊一郎観阿弥清次 林屋辰三郎中世文化の基調 林屋辰三郎歌舞伎以前 ( 岩波新書 ) 折ロ信夫日本芸能史ノート 後藤淑中世的芸能の展開 林屋辰三郎中世芸能史の研究 小西甚一能楽論研究 西尾実中世的なものとその展開 香西精世阿弥新考 一尸井田道三能ー神と乞食の芸術ー 西尾実道元と世阿弥 西一祥世阿弥研究 ・マッキンノン 中村保雄能 ( 日本の伝統 ) 横道萬里雄編黒川能 古川久明治能楽史序説 金井清光能の研究 一尸井田道一一一観阿弥と世阿弥 ( 岩波新書 ) 四四 昭妬わんや書店 昭要書房香西精続世阿弥新考 昭妬赤尾照文堂 昭東大出版会伊藤正義金春禅竹の研究 江島伊兵衛 昭恥有秀堂 図説光悦謡本 ( 解説とも一一冊 ) 昭四岩波書店表章 昭中央公論社 昭中央公論社増田正造能の表現 ( 中公新書 ) 召 6 日本放送 昭明善堂真壁仁黒川能 日 4 出版協会 昭東京堂 昭肪岩波書店森末義彰中世芸能史論考 北川忠彦世阿弥 ( 中公新書 ) 昭貯中央公論社 昭塙書房 香西精能謡新考ー世阿弥に照らすー 昭貯檜書店 ( 修訂再版昭 ) その他 ( 文庫本を含む ) 昭岩波書店 野上豊一郎校訂風姿花伝 ( 岩波文庫 ) 昭岩波書店 昭わんや書店西尾実 小山弘志編謡曲・狂言・花伝書 ( 日本古典鑑賞講座 ) 昭角川書店 昭毎日新聞社 表章校注申楽談儀 ( 岩波文庫 ) 昭肪岩波書店 ( 増補再版昭貯せりか書房 ) 昭社会思想社 昭如岩波書店古川久能の世界 ( 教養文庫 ) 川瀬一馬校注花伝書 ( 講談社文庫 ) 昭講談社 昭さるびあ出版 昭貯平凡社 昭淡交社横道萬里雄編対談能と狂言の世界 ー五人の人間国宝にきくー 昭平凡社 吉越立雄能 ( 写真集 ) 昭貯筑摩書房 昭わんや書店 皀ー鑑賞のためにー 昭保育社 昭桜楓社 丸岡二 吉越雄ム月 ( カラーブックスデラックス版 ) 昭岩波書店

2. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

たんざく め、短冊に母を思う歌をしたためて宗盛 シオリつつ行き、〔中ノ舞〕を舞い始める。にわかの雨にあっ にさしだす。 た態に、常座で舞を留め、問答あって、シテは扇で散る桜の花 おとわやまあらしやま を受けつつ中央へ行ぎ着座する。続いて〔イロエ〕で、シテは 熊野「花で名高い山の名は音羽山と嵐山、そ 短冊に和歌を記し、ワキに渡す。 の音羽の花は音もなく雪と散るが、 おとはあらし 地謡「そのように花の散るのを見るにつけ 一「音羽 ( 山 ) 」と掛詞。音羽山、嵐山シテ气山の名の、音羽嵐の花の雪 ( 中央へ行く ) 、 ても、思うのは母の命のこと。このわた と花の名所を並べ、「花の雪」に続け なさけ くしの母を思う深い心を、いったいだれ た。「音はあらじ」の意をも含ませる。地謡气深き情を人や知る ( 常座〈行き、扇で酒を汲む ) 。 ニ母を思う深い気持。「深き」は「雪」 が知ろうそ。 しやく の縁語。 シテ「わらはお酌に参り候ふべし ( ワキの前へ行き膝をつく ) 。 熊野「わたくしがお酌に参りましよう。 三※下掛系は、この一句なし。 ひと 宗盛「熊野よ、一つお舞いなさい。 脇座前から〔中ノ舞〕となる演出も ワキ「いかに熊野一さし舞ひ候へ。 ある。 ( 熊野 ) 「わたくしの深い思いを、いっこ : こ 《村雨留じの場合は、〔中ノ舞〕 れが知ろうそ。 地謡气深き情を人や知る ( 立って、シオリをしつつ二ノ松へ行く ) 。 の途中で舞を留める。 熊野は〔中ノ舞〕を舞う。 熊野「おや、急に村雨が降ってきて、花が散 〔中ノ舞〕 四 るではありませんか。 むらさめ 四ひとしきり降ってはやみ、また降シテ「 ( 常座で右へ向いて ) なうなう俄かに村雨のして、花の散り候宗盛「なるほど、村雨が降ってきて花が散り りだす雨。にわか雨。 ますね。 、こ ( ワキへ向く ) 。 ふはいカ冫 熊野「なんと心ない村雨であること。いやい や、春雨の、 ワキ「げにげに村雨のして花の散り候ふよ。 地謡「降るのは花を惜しんでの涙であろう 五※ 五※下掛系では、シテのせりふで、 シテ气あら心なの村雨やな。雨の ( 角〈行き扇をかざして空を見か、花を惜しんでの涙かと思われる。だ れしも花の散るのを惜しまぬ人はいない 「今までは盛りと見えつる花を散ら る ) 、 すは」と入って、「あら心なの : この のだから。 謡になる。 熊野は短冊をとりだして、歌を書き、 〈「春さめのふるは涙かさくら花ち地謡气降るは涙か ( 面を伏せて左〈まわる ) 、降るは涙か桜花 ( 常座で 宗盛にさしだす。 るを惜しまぬ人しなければ」 ( 古今・ 春ド大伴黒主 ) による。 熊野のさしだした歌を読んで宗盛は感動 扇を左手で水平に持ち ) 、散るを惜まぬ人やある ( 散る桜の花を扇で 七※下掛系は「春雨の、降るは涙か」。 して、暇を与える。熊野は喜んで、観音 受けつつ、中央へ出て着座する ) 。 のおかげと拝み、そのまま東国へと旅立 謡曲集 三※ 七※

3. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 うち たま ないちん たま 一神社の本殿や寺院の本堂で、神体開ける型をする ) 、内に入らせ給ひけり、内陣に入らせ給ひて、花の散る桜の木陰で旅寝し、花もま または本尊を安置してある所。 ことに美しいこの仏事の場において、迷 , 笛方が一噌流の場合、常座で留めけり ( 静かに中入する ) 。 いをもたぬ月の光のもと、このありがた て中入するときは〔送り笛〕を吹くが、 い」′、じゅ ほけきよう さんけ、 い法華経を読誦することだ、この法華経 三 / 松で留めるときは吹かない。 アイの清水寺門前の者が出て常座に立ち、観音に参するとて みようもん , 橋がかりへ行き、三ノ松で留めて の妙文を声立てて読むことである。 角へ出て、ワキの僧のいるのを見つける。アイは中央に着座し 中入する演出もある。流儀によって て、ワキの尋ねに応じ、田村丸による清水寺創建の子細を語り、 さぎほどの童子が田村丸の姿で登場し、 は、三ノ松で舞台を望み、そのまま 田村丸への供養を勧めて狂言座に退く。 天皇の命によって鈴鹿の賊を討伐に赴い うしろ向ぎに入る場合もある。 ワキ・ワキツレは着座のまま〈上歌〉を謡う。 ニ※下掛系および現行観世流は「ゐ たことを語る。 て」。繰返しも同じ。三妙法花の文 田村丸「ああありがたいお経であること。清 ワキ气〈上歌〉夜もすがら、散るや桜の蔭に寝て、散るや桜 字を含めて、読誦するお経が『法華ワキツレ 水寺の音羽の滝波は、まことに『一河の 経』であることを示す。四※下掛系 は「法の道」。五※下掛系は「かの・ : 」。 の蔭に寝て、花も妙なる法の場、迷はぬ月の夜とともに、 流れを汲むのも世生の縁』といわれてい ただし繰返しは「この : ・」。 五※おんきゃうどくじゅ るとおり、旅のお僧にことばをかわす機 ど物」よら・ マ流儀によっては、一ノ松で謡い出 この御経を読誦する、この御経を読誦する。 縁となった。この夜の読経の声は、とり す演出もある。 六※下掛系は「面白の折からやな」。 もなおさず大慈大悲の観世音の、衆生を 〔一声〕の囃子で武将の姿の後シテが登場し、常座に立って謡い しようぎ 七※下掛系は「地主権現の花盛り」の お守りくださることに深くつながってい 出す。地謡となると、シテは中央へ出て床儿に腰をかける。〈ク 一句が入る。 ^ 次の「一河の流れ」 ることなのだ。 セ〉となり、一句を謡ってから立ち、以下地謡に合わせて舞う。 が、この場合は「清水寺の滝っ波」で 続いて、合戦の様子を表わす〔カケリ〕を力強く舞う。常座で 旅僧「ふしぎなこと、花の光に輝いて、男の ある。九同じ川の流れを汲むとい かた 留める。 うようなわすかな触れ合いも、前世 方が姿をお見せになった。あなたはどな からの因縁によるものである、その たでいらっしゃいますか。 ような旅人に、という意。「一樹の 田村丸「今は何をつつみ隠そうぞ、五十一代 陰に宿り、一河の流れを汲むも、皆 おんきゃうセ※きよみづでら 平城天皇の御代に生きていた坂の上の田 これ他生の縁」のような表現は中世シテ〈サシ〉あらありがたの御経ゃな、清水寺の滝っ波、ま においてしばしば用いられている。 九 村丸である。自分が東国の逆賊を平らげ いちが たしゃう一 0 ※ たびびと 一 0 ※下掛系および現行観世流は「縁 こと一河の流れを汲んで、他生の縁となる旅人に、言葉を悪魔を押さえつけ、天下泰平の御代にす あナる旅人に」。 = 衆生の祈願に応じ よごゑ だ、じだいひ くわんノんおうご るため忠勤をはげんだのも、わたくしの て、観音がこれを守ること。三仏 かはす夜声の読誦、これそすなはち大慈大悲の、観音擁護 法と縁を結ぶこと。なお下掛系は 力ではなく実はこの寺の観音のお力なの けちえん 「直道なる」。現行観世流は「結縁た の結縁なる。 り」。一三※下掛系は「うつろひて」。 地謡「さて、それというのは以下のよう 一四※下掛系は「そのさま気高纓き男 ワキ气ふしぎゃな花の光にかかやきて、男体の人の見え給ふな次第である。天皇がご命令なさるには、 六※ たへ り※ は なんたい しゅじよう

4. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

^ ※下掛系は「かまへてよくよくお 届けあれと」。現行観世流は「かまへ てよくよく届け給へと」。 九「 ( 届け給へと ) 言ふ」と掛詞。 一 0 「浮き」に音が通じ、「雲」の縁語。 一一「 ( 憂き ) 身」と掛詞。「筆の跡」ま でが「かき消す」の序。 ツレ「あらおそろしの事を仰せ候ふや。言伝をば申すべしさりお名をだれと申したらよいのでしようか。 女「まず、このことをおっしゃいまして、そ たれ ながら、御名をば誰と申すべきそ。 のうえでもしも疑う人があるなら、その ときはわたくしがあなたにのり移って、 シテ「まづまづこのよし仰せ候ひて、もしも疑ふ人あらば、そ 詳しく名を名のることにしよう。必ずよ く気をつけて言伝てをしてください、と、 の時わらはおことに憑きて、しく名をば名のるべし。 ( ゅ 地謡「言って、タ風に定めなく動く、はかな つくりと歩いて来て、ここで一ノ松に立っ ) 气かまひてよくよく届 い浮雲のような憂き身は、跡かたもなく 消えてしまった、跡もなくすっかり姿を け給へと、 消してしまった。 ぐも 一 0 みづぐぎ イふかぜ 菜摘女が勝手神社にもどり、このことを 地謡气タ風迷ふあだ雲の、憂き水茎の筆の跡、かき消すやう けしき 神職に告げるが、そのうちに気色が変わ に失せにけり ( 三ノ松へ行く ) 、かき消すやうに失せにけり ( 三ノ る。驚いた神職はだれが憑いたのかを問 ほうがんどの う。女は判官殿に仕えた者と述べて、静 松で正面を向いた後、静かに中入する ) 。 御前であることを暗示する。 菜摘女「このようなおそろしいことはありま ツレは独白の後、舞台中央に着座し、ワキへ声をかけて問答と 中央に着座して言うツレのせりふ せん。急いで帰ってこのことを申したい をワキは立って受け、立ったままで なる。問答の途中より、ツレに憑いた静御前のことばとなる。 問答を続ける演出もある。 と思います。 , 常座に立っツレと脇座に立っワキ 菜摘女「もうし、申しあげます。ただいま帰 とで問答をする演出もある。この場ツレ「 ( 常座で ) かかるおそろしき事こそ候はね、急ぎ帰りこのよ りました。 合は、「つつましながら」でツレが中 神職「どうして帰るのが遅かったのだ。 央へ行き、ツレ・ワキともに着座すし申さばやと思ひ候。 る。 菜摘女「ふしぎなことがありまして、帰るの ツレ「 ( 中央へ行き、ワキに向いて着座 ) が遅くなりました。 神職「さてそれはどのようなことか。 て候。 菜摘女「菜摘川のあたりでどこからともなく なに 女が来まして、『あまりにもわたくしの ワキ「何とて遅く帰りたるそ。 罪業が悲しいことでありますので、一日 経を書いて跡を弔ってくださいませと、 ツレ「ふしぎなる事の候ひて遅く帰りて候。 二人静 おんな っ いかに申し候。ただいま帰り 八※

5. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

たれ ざしは西に移り、水に日影は映ってはい 水の滝ではなく、比叡山の音羽の地謡气誰も知れ老いらくの、暮るるも同じ程なさ。今日の日 滝。「比叡の山なる音羽の滝を見て るが、しかしその水は濁りなく澄んでい うつつ たも よめる」と詞書した「落ちたぎつ滝の も夢の現そと、うつろふ影はありながら ( 作リ物の前へ出る ) 、 る。この水を汲んで、万物を造り給うた 水上年つもり老いにけらしな黒き筋 むす 神の御心に従うことにしよう、神の御心 なし」 ( 古今・雑上壬生忠岑 ) に基づ 濁りなくそ水掬ぶの、神の心汲まうよ ( 膝をついて合掌 ) 、神の き、「受けて頭の雪とのみ」と続けた。 を思いやることにしよう。 一三「戴く」は「雪」 ( 白髪 ) 」と「桶」と両おんこころ あまりに詳しく物語るので、神職がその 御心汲まうよ ( 中央に着座する ) 。 方に掛かる。 名を問うと、女性は名は明かさないが高 五「 ( 老いらくの ) 来る」と掛詞。 貴な神だと答えて消え失せる。 シテ・ワキの応対あって、地謡になると、シテは立ち、〔中入 一五夕日が西に移る意と水に影が映 る意とを含む。 来序〕の囃子で中入する。続いてツレも入る。後見は作リ物を 神職「いやまことにありがたいことである。 一六※下掛系は「濁りなくも水掬ぶの」。 かたづける。 それにつけても、このように詳しくお語 一七「 ( 水 ) 掬ぶ」と「産霊の神 ( 万物 おんこと りなさる、あなたはどのような方なのか を産み出す霊妙な神 ) 」とを掛ける。 ワキ「げにありがたぎ御事かな。かやうに詳しく語り給ふ、御 しら。 み いまさら愚かなこ 女「だれであるかとは、 身はいかなる人やらん。 とを言うものだ、おまえは知らないのか。 シテ「誰とは今はおろかなり、气汝知らずや神慮におもむき、 神の御心に従って神の出現をお迎えなさ おおきみ るならば、大君を守るこの賀茂のご神徳 迎へ給はば君を守りの、この神徳を告げ知らしめんと、あ を告げ知らせようと、あらわれ出て来た のであるが、 らはれ出でて、 地謡「恥ずかしいことこのわが姿、このわが 地謡恥かしやわが姿、恥かしやわが姿の ( 立 3 、まことを、 姿はなんとまあ恥ずかしいこと。わたく ニ 0 あらわなことと朝になることと しのほんとうの姿を明らかにするなら興 を兼ねる。 あらはさばあさましゃな、あさまにゃなりなん。よし名ば 三「 ( 名ばかりは ) 知らせずとも」と ざめなことで、あらわなことになってし しらまゆみ 掛詞。「や ( 矢 ) ごとなき」の序。 まうだろう。いやもうすぐ朝になるだろ かりは白真弓の、やごとなき神そかしと ( 中央でワキを見込む ) 、 一 = 一はなはだ尊い。 うから姿を消すが、よしよし名前だけは ニ三「 ( 神ぞかしと ) 言ふ」と掛詞。木 イふしで かみが ~ 、 綿 ~ で作った幣鰓前出の「白木綿」と木綿四手に立ちまぎれて ( 常座へ行く ) 、神隠れになりにけり知らせないけれども、ともかく高貴な神 ぬさ 同義。 なのであると言って、白い幣の陰にまぎ 一西※下掛系は「かぎまぎれて」。 や、神隠れになりにけり。〔中入来序〕 ( 常座で正面を向いた後、 れて見えなくなり、神隠れなさった、神 《素働」》の場合、三ノ松で留め て中入する演出もある。 静かに中入する。続いてツレも入る ) の姿は隠れて見えなくなったのである。 賀茂 入神のお、ほしめしに従い。なお下 掛系は「神路阯んにおもむき」。 一九※下掛系は「迎へ給ふも」。 なんち しんとく しんりよ おん

6. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一四※以下、ワキ・ワキツレのせりふ は下掛宝生流による。 づ行きて ( 居立 3 、あれにて待ち申さんと ( 扇で住吉のほうをさ代に住みたいと思うのだ。まずわたくし は住吉に行って、あちらでお待ち申そう、 をぶね イふなみみぎは し示す ) 、タ波の汀なる ( 立 3 、あまの小舟にうち乗りて ( 足拍子 と老人は言って、タ波の寄せる浜辺にあ おひか・せ る、漁りの舟に乗って、追風に舟をまか を踏む ) 、追風にまかせつつ ( 両袖を広げ帆をはる型をして、足早に せて、沖のほうに出ていった、沖のほう 一三※かた に出ていってしまったのだった。 一三※下掛系は「沖の方へ出でにけり常座へ行く ) 、沖の方に出でにけりや、沖の方に出でにけり。 や」。繰返しも同じ。 ( 中入する。続いてツレも入る ) 高砂の浦の者が呼び出され、神主に対し て相生の松のことなどを語り、神主から 事の子細を告げられて、自分の新造の船 、つける。ワキ ワキはワキツレにアイの所の者を呼ぶようにいし に乗って住吉に行くことを勧める。 ツレは常座へ行きアイを呼び出す。アイは中央に着座して、ワ キの尋ねに応じ、高砂住吉の松のいわれ、高砂の明神と住吉の 明神とが一体分身であることを語り、住吉参詣を勧め、新造の 舟の乗り初めを頼んで狂言座に退く。 たれ ワキ「いかに誰かある。 ワキツレ「 ( ワキに向かい ) 御前に候。 たううら ワキ「当浦の者を呼びて来り候へ。 かしこまッ ワキツレ「畏って候。 ( 立って常座のあたりへ行き ) 当浦の人のわたり候ふか。 アイ「 ( 狂言座で立ち、一の松で ) 当浦の者とお尋ねある。まかり出で御用を承らばやと存ずる。 ( ワキツレに 向かって ) 当浦の者とお尋ねよ、、、 冫し力やうなる御用にて候ふそ。 きたツ ワキツレ「ちと物を尋ねたきよし仰せ候。近う来って賜り候へ。 アイ「畏って候 ( アイはワキツレに従って舞台に入る ) 。 ワキツレ「 ( ワキの前で ) 当浦の者を召して参りて候。 アイ「 ( 中央で座し、ワキに向かって ) 当浦の者御前に候。 かんぬしともなり キうシうひご あそ ワキ「これは九州肥後の国、阿蘇の宮の神主友成にて候。当浦初めて一見の事にて候。この所において高 砂の松の講れ、語って聞かされ候へ。 一五※以下のアイのせりふは山本東本 による。 三「 ( 待ち申さんと ) 言ふ」と掛詞。 高砂 一四※ おんまへ いッけん

7. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

しらゆき 九『伊勢物語』九段の「時知らぬ山は山々の春なれや、花はさながら白雪の、降るか残るか時知時の区別なく頂が花の雪の山は、さすが 富士の嶺いっとてかかのこまだらに 『都の富士』の名をもっ比叡山だからだ 雪の降るらむ」 ( 新古今・雑中在原らぬ、山は都の富士なれや、なほ冴えかへる春の日に、比ろう。いまだに余寒の冴えきっている春 業平 ) に基づく。ただしこの場合は、 らね の日に、比良の山おろしの風が吹くが、 時知らす降っているのは「花の雪」で 良の嶺おろし吹くとても、沖漕ぐ舟はよも尽きじ。旅のな ある。 それにしても春だから、沖漕ぐ舟はなく ′」ろも 一 0 比叡山をさす。 なることがあるまい。旅のならいとして らひの思はずも、雲居のよそに見し人も、同じ舟に馴れ衣 みやこびと = 琵琶湖岸、真野のさらに北方に 思いがけずも、およそ縁のなかった都人 ある山地。 ( ワキを見る ) 、浦を隔てて行くほどに、竹生島も見えたりや。にも、同じ舟に乗ってなれ親しみ、湖岸 三はるか遠く離れた、何の縁故も ない人。 りよくじゅかげしづ を離れて進みゆくうちに、竹生島も見え 一三「 ( 同じ舟に ) 馴れ」と掛詞。浦シテ緑樹影沈んで、 てきたではないか。 ( 裏 ) の序。 うをき けしき 一 0 『謡曲拾葉抄』は、建長寺の僧自地謡气魚木にの・ほる気色あり ( 正面を見あげる ) 、月靃上に浮んで老人「木々の緑の影が湖面に映り、湖底に沈 休蔵主が竹生島に詣でたときの詩の うさぎ けしき 一節「緑樹影沈魚上」木、清波月落は、兎も波を走るか、面白の島の気色や ( 棹に右手をそえる ) 。 地謡「水中に泳ぐ魚はあたかもその木々に ( 老人 ) 兎奔レ浪」に基づくとするが、『三国 登るかのよう。月が湖上に影を映すと、 伝説』巻十の十二話・曲舞「島廻 舟が着いて、一同は舟を下り、ワキは脇座に立ち、ツレは地謡 め」などにも類似の叙景文があり、 月の中の兎も波の上を走るのかと思われ 典拠は明らかでない。 座前に立つ。後見が舟の作リ物をかたづけると、シテは作リ物 る。なんとまあ面白いこの島の景色であ へ向いてワキに社殿を教え、中央へ行き着座する。ワキ・ツレ みずごろも ること。 も着座する。問答・〈上歌〉とあって、後見はシテの水衣の肩 竹生島に上陸し、弁才天に案内された廷 を下ろす。〈クセ〉となり、その末尾で、ツレは立って作リ物へ 臣は、若い女がいるのに不審の念をもっ 中入する。シテは〔中入来序〕の難子で静かに中入する。 が、弁才天は女性の神であるから女人を おんナ じようおんみち 分け隔てしないと聞かされる。やがて二 シテ「舟が着いて候。御上がり候へ。この尉が御道しるべ申さ 人の者は、実は人間でないと言って、若 うみ い女は社殿の中に入り、老人はこの湖の うずるにて候。 ( 作リ物へ向いて ) これこそ弁才天にて候へ。よ 主であると言って水中に入ってしまう。 ごきねん くよく御祈念候へ ( 一同着座 ) 。 老人「舟が着きました。お上がりください。 わたくしがご案内申しましよう。これが ワキ「承り及びたるよりもいやまさりてありがたう候 ( ワキ両手 一五すなわち弁才天であります。よくよくお によ をついて社殿へ一礼する ) 。ふしぎゃなこの所は、 ( ツレヘ向き ) 女祈りなさいませ。 , 問答の間、一同立っていて、〈上 歌〉の末尾でシテが中央へ行ぎ、ワ キ・ツレと一緒に着座する演出もあ る。 一五女人禁制。結界石を立てて標示 としたのでいう。 竹生島 一 0 さお かいしゃう ひ うさぎ ひえいざん

8. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 一※山本東本には、次に、「さん候齲、 アイ「 ( ふたたび脇座前へ出て ) いかに最前の人のわたり候ふか。そそのことを奏上いたしましたところ、お あれに見えたる御殿の内に君の御座 のよし奏聞申して候へば、庭上〈参内あれとの御事にて候。庭まで参内せよとのことであります。 せいおうぼ 候ふ間、急ぎ参内申され候へ」の一 老人は大臣の前に出て、西王母が桃の実 句があるが、これに対応するシテの ( アイは切戸口より退場。シテは大小前へ行く ) を献上したいと言っていることを申しあ 問いかけの句がないので、これを本 げる。 文に表記しなかった。 ワキツレが立っとシテは大小前でワキツレヘ語りかける。ワキ , シテがはじめから中央へ着座して、 ツレはシテのことばを聞いて、ワキへ両手をついて伝え、ふた 老人「さきごろ青い鳥が御殿の上を飛び回っ ワキに対して青き鳥について語る演 たび立ってシテヘ声をかける。シテは中央へ出て着座する。 ております。これは崑崙の仙人の西王母 出もある。 ちょうあ、 こんろん きんチう めぐ と申す者の寵愛している鳥である。この あひだ ニ中国古代の伝説・神話によって、 西方にあると想像されている高山。シテ「この間青き鳥の禁中を飛び廻り候。これは崑崙の仙人西西王母は三千年に一度花が咲いて実がな みかど 三中国上代に信仰された仙女の一。 さんぜんねんひとたび ちょうあい わうぽ る桃を持っているが、この桃の実を帝に 「西王母 ( 即チ亀台金母ナリ。姓ハ 王母と申す者寵愛の鳥なり。かの西王母三千年に一度花咲 献上申そうということで、あの鳥が王母 猴、諱いみ ( 回、字 ( 婉始、一ノ字 たうじット みな ( 太虚。漢ノ元封元年、武帝ノ殿ニ の先触れとして飛んで来ているのである。 き実生る桃を持つ。かの桃実を君に捧げ申さんとの御事に 降リ、蟠桃七枚ヲ帝ニ進メ、自ラハ なんとめでたいことではありませんか。 其ノ三ヲ食ス。帝核ヲ留メントス。 より、かの鳥さへぎって飛来す。なん・ほうめでたき御事に大臣「このことを奏上いたしたところ、帝は 母日ク、此ノ桃世界ノ所有ニ非ズ、 」 ( 列仙伝 ) 。 たいへんにお喜びになった。なおなお仙 三千年ニ一ッ実ルノミト 0 「さ〈ぎる」は「さぎきる ( 先切る ) て候ふそ。 人のめでたい理由を申しあげなさい。 ぎよかん ↓さいぎる↓さえぎる」と転じた語 。老人「念を入れてお話し申しあげましよう。 で、先いがけて来るという意味ももワキツレ气このよし奏聞申しければ、「御感のあまり限りなし つ。この場合はその意味。 老人は、仙人の中でもとりわけ西王母が なほなほ仙人のめでたき謂れを申し上げ候へ。 無限の寿命をもつもので、その桃の実が 長寿の薬であることを述べ、自らが東方 シテ「ねんごろに申し上げ候ふべし ( シテは中央に着座する ) 。 朔であることを名のり、西王母とともに ふたたび参内しようと言って消え失せる。 一同着座のまま〈クリ〉〈サシ〉〈クセ〉となる。〈クセ〉の末尾 五仙人の住む土地。 地謡「そもそも仙郷というのは、そこに住 でシテは立ち中入する。 ( 老人 ) 六神通力。 む者は人間とは交渉をもたず、松の葉を まじは せんきゃう 七釈尊の出家以前、浄飯王罅の太 子のときの名。十九の年にあらゆる地謡气〈クリ〉それ仙郷といつば人間に交らず、松の葉を好き好んで食し苔を身につけ、長い年月が過 ひぎゃう 俗界の所有物を捨て、檀特山に入り こけ ぎるけれどもいっこうに楽しみの尽きる 仙人に仕えて難行したと伝えられる。 苔を身に着て、年は経れども楽しみ尽きず、飛行自在の ことなく、どこへでも自由に飛んで行く ( 檀特山に入ったことは仏典にはみ 通力を得ているのである。 を得る。 えない ) 。 ッ ふ ッ ささ す う さんだい こんろん

9. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 一「 ( 何の故とか ) 言ふ」と掛詞。「声」シテ「何の故とかタ波の、声をカに来りたり。十念授けおはしあなたの念仏の声をたよりにして、やっ の序。 て来たのである。十念をお授けください ニ念仏の声をカとして、の意。 ませ ( ワキへ一歩出る ) 。 ませ。 「声をカに来りたり」で中央へ出て やす ジふねん / 蓮生「たやすいこと、十念をお授け申そう。 着座する演出もある。 ワキ「易き事十念をば授け申すべし。それにつけてもおことは 三南無阿弥陀仏を十度となえること。 それにしてもそなたはだれか。 それによって極楽往生できると浄土 草刈男「実はわたくしは、敦盛の縁故の者な 誰そ。 宗では説く。 のであります。 四そなた。主として目下の者に、親 シテ「まことはわれは敦盛の、ゆかりの者にて候ふなり。 しみをこめて用いられる対称代名詞。 蓮生「敦盛の縁故の者と聞けばなっかしいこ なむあみだぶ 五※ 五※下掛系は「掌を合せ」。 たなごころ と、と手を合わせて、南無阿弥陀仏、 ねんぶっしゅじようせっしゅふ 六※下掛系は、シテ「南無阿弥陀仏」ワキ气ゆかりと聞けばなっかしやと ( 中央へ行き着座 ) 、掌を合 昔一・刄 . 田刀にやくがじようぶつじつばうせかい 大※ 蓮生「若我成仏十方世界、念仏衆生摂取不 の一句が入る。 なむあみだぶ しゃ ロ 0 七『観無量寿経』の「光明遍照十方世せて南無阿弥陀仏 ( シテ・ワキ向かいあって合掌 ) 。 界 : ・」の初めの四字を、「若我成仏」 にやくがじゃうぶつじッばうせかいねんぶッしゅじゃうせッしゅふしゃ 地リ謡「わたくしをお見捨てなさいますな。 ( 善導の『往生礼讚』にみえる ) に言い ノテ气若我成仏十方世界、念仏衆生摂取不捨。 一声だけでも十分であるはずなのに、毎 替えたもの。もしわたくし ( 阿弥陀ワキ 八 日毎夜のわたくしへのお弔いは、あああ 如来 ) が成仏したなら、あらゆる世地謡捨てさせ給ふなよ、一声だにも足りぬべきに、毎日毎 界の仏を念ずる衆生をすべて極楽へ りがたいこと。わたくしの名は申さなく 迎え入れよう、の意。なお、車屋本や てもあきらか。朝にタにあなたがお弔い 夜のおとぶらひ、あらありがたやわが名をば ( 面を伏せる ) 、 は「光明遍照 : ・」。 九 なさっている、その名の者がわたくしで あけくれ ゑかう ^ 南無阿弥陀仏を一度となえただけ でも十分であるのに。参考「ひとた申さずとても明暮に ( 立っ ) 、向ひて回向し給へる、その名は ある、と言い捨てて、姿を隠して見えな びも南無阿弥陀仏といふ人の蓮の くなった、姿も見えなくなってしまった 上にのぼらぬはなし」 ( 拾遺・哀傷 われと言ひ捨てて ( ワキへ向く ) 、姿も見えす失せにけり、姿 のである。 空也上人 ) 。 れんせい 須磨の浦の者が出て、蓮生に乞われるま 九「 ( 申さずとても ) 明らか」の意を掛も見えず失せにけり ( 常座で正面を向いた後、静かに中入する ) 。 ける。 まに敦盛の最期のことを物語り、相手が 一 0 ※現行下掛三流は「その名を御覧 直実であることを知って驚き、供養する 候へとて」 ( 金春流は「て」なし ) 。た アイの須磨の浦の者が出て常座に立ち、海辺へ行き心を慰めよ ように勧めた後、退く だし、車屋本は「位牌を御覧候へと うと言って、角へ出てワキの姿を見つける。アイは中央に着座 蓮生は法事を始める。 して、ワキの尋ねに応じ、敦盛の最期について語る。ワキは自 一一※現行下掛三流は「かき消すやう 蓮生「このようなふしぎなことに逢うにつけ 分が熊谷次郎直実であることを明かす。アイは供養を勧めて狂 に失せにけり」。ただし、車屋本は ても、このようなことに出逢うにつけて 言座に退く。 「行方も知らず失せにけり」。ともに もと、弔いの法事をして夜一夜、念仏を ワキは着座のまま〈上歌〉を謡う。 繰返しも同じ。 なに イふなみ すみ きた ジふねん 一 0 ※

10. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

〈肯定の応答語。さようであります。 九様子。 一 0 「抜群」は、ここでは、副詞。た いへんに、の意。 = まことにありがたいことであり ます、の意。 三埼玉県大里郡妻沼町のあたり。 一三源頼朝が伊豆で兵を挙げ、大庭 景親に敗れた戦。石橋山は小田原市 の西南にある。 六※以下のアイのせりふは山本東本 による。 七※以下、アイとの応対のワキのせ りふは下掛宝生流による。 実盛 りて失せにけり、幻となりて失せにけり ( 常座へ行き正面を向 行くかと見れば、篠原の池のほとりで、 姿は幻となって消えてしまった、幻のよ た後、静かに中入する ) 。 うに消えて見えなくなったのであった。 篠原の者が上人に尋ねられて実盛の話を 最前のアイがふたたび常座に出て、上人に尋ねるよしを述べ、 した後、上人から実盛の亡霊のことを聞 中央へ行き、着座して、問答となる。続いてアイは〈語リ〉を き、さらに弔うように勧める。上人が踊 する。その後、問答あって、アイは立ち、常座へ行き、踊念仏 念仏で弔うというので、命ぜられてその のことを触れて狂言座に退く。 ことを皆々に触れる。 六※ しゃうにんナけふ ふしん / アイ「何とお上人は今日も独言を仰せられたると申すか。さあらば参り不審を致さう。 アイ「 ( 中央に着座し ) 今日はおそなはり申して候。 七なに※ ワキ「何とておこたられて候ふそ。 さうさう アイ「もっとも早々参りたくは候へども、かなはざる用の事候ひておこたり申して候。さてお上人へ不審 にツチう 申したき事の候。日中の前後に独言を仰せられ候ふを、篠の面々ふしぎなりとの事にて候。 しようみやう ぐそう ワキ「何と日中の称名の折ふし、愚僧が独言を申すと、篠原の面々不審と候ふや。 アイ「なかなかの事。 かせん ワキ「それにつき尋ねたき事の候。思ひも寄らぬ申し事にて候へども、古この篠原の合戦に、長井の点藤 べッたうさねもり たま 九ゃうだ 別当実盛の果て給ひたる様体、御存知においては語って御聞かせ候へ。 アイ「これは思ひも寄らぬ事を仰せ候ふものかな。この篠原の御合戦は、二百年には抜群余りたる事にて あひだ 候ふ間、詳しくは存ぜず候さりながら、およそ承り及びたる通り物語り申さうずるにて候。 ワキ「ちかごろにて候。 アイ「まづ実盛は、北国方の人にて候ひしが、源氏へ御参りあり、武蔵の国長井の庄を賜って、それより 一三いしばしやま ごかせん 長井の斎藤別当実盛と名のり給ひしが、石橋山の御合戦より、都へ上り、平家宗盛公に仕へ御申しあ うちじに 1 一そしよう り、このたび北国の御合戦に、ぜひとも討死あらうずるとて、宗盛公へ御訴訟あり、御所望の事もか おんくだ なひ、夜を日についで御下り候ふが、この篠原の御合戦にも、平家方討ち御負けなされ、皆引き返し きそどのがた 給ふなかにも実盛は、よき相手もがな、討死せんと取って返し戦ひ給ふところに、木曾殿方よりも つはもの げんざん 兵進み出で、耳の裏よりごそりと首を掻き落したると申す。さてその首を、木曾殿の見参に入れけ 一八九 ほッこく ほッこくた こんにツタ ひとりごと 一ニむさし ざうら 一 0 ばッくんナま