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検索対象: 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)
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1. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 四二四 たはむ 一※下掛系は「月にめで」。 さらしなの、 シテ月に馴れ、花に戯るる秋草の、露の間に、 五 ニ「露」の序。 なに 地謡「姨捨山に照る月を見ても。照る月を 三ほんのわすかの間に。 地謡露の間に ( 正面へ数歩出る ) 、なかなか何しに、あらはれて、 四なまじっか。中途はんばに。 見ても涙がこ・ほれる。 こてふ 五どうして。「なかなか」と頭韻。 老女「月になれ親しみ、花と遊ぶこの秋のひ 胡蝶の遊び ( 目付柱へ数歩出る ) 、 六荘子が夢で胡蝶になったという故 ととき、 そで 事に基づく 地謡「このほんのつかのまに、中途はんば 七「舞の袖」と「昔の秋を」と前後に掛シテ气たはぶるる舞の袖 ( 左袖を巻きあげる ) 、 かる。 なことながら、どうしてまたここにあら こちょう ^ 「昔の秋を」を受ける。なお、下掛地謡返せや返せ ( まわ「て大小前へ行く ) 、 われて、はかなくも夢の中の胡蝶のよう 系は「思ひ出でたり」。 に舞い遊んだのであろう。 九迷いにとらわれた心。 シテ气昔の秋を、 一 0 「 ( 身に ) しみ」と掛詞。 老女「たわむれの舞の袖を、 まうシふ , 「恋しきは昔」でシオリをする演出地謡气思ひ出でたる、妄執の心、やるかたもなき ( 中央〈出る ) 、 」「返せや返せ。袖を返すとともに、 もある。 こよひあきかぜ 老女「昔の秋をも呼び返せ。 = この世。 三朝の意と、あからさまの意と、 今宵の秋風、身にしみじみと ( 幕のほうを望み見る ) 、恋しきは地謡「昔の秋を思い起こせば、思い出すの しの えんぶ 両意をもつ。 は迷いの心。これを晴らすこともできず、 昔 ( 深く面を伏せる ) 、偲ばしきは閻浮の、秋よ友よと、思ひを 一三わが姿も人に見えなくなり。亡 今宵の秋風は身にしみ、しみじみと恋し 者なので、朝になれば姿を消し、常 く思うのは昔、慕わしく思われるのはこ 人には見えなくなることを示した表れば、夜もすでにしらしらと ( 空を見あげる ) 、はやあさまに 現。 たびびと の世に生きていたとき。その昔の秋よ友 , 常座に立って、「独り捨てられて もなりぬれば、われも見えず、旅人も帰る跡に ( ワキ・ワキッ よと思い続けていると、夜もすでに白み、 老女が」と謡う演出もある。 もはや朝になってあらわにもなってしま 一四老女のわたくしの昔は、たしか レは立って退場する。シテはそれを見送る ) 、 に捨てられた身であったが、今もま ったので、わたくしの姿も人に見えなく た旅人に見捨てられてしまい、の意。シテ ( 中央に着座してシオリをしつつ ) 独り捨てられて老女が、 なり、旅人も帰ってゆく。そのあとに、 , 「残リ留ごである。↓「檜垣」 ( 四一 老女「ただひとり捨てられて、老女のわたく 地謡气昔こそあらめ今もまた、姨捨山とそなりにける、姨捨しは、 地謡「昔はたしかに捨てられた身であるが、 山となりにけり。 ( 謡が終わってからシテは立ち、常座へ行き留める ) ( 老女 ) 今もまた捨てられて、文字どおり姨捨山 となったのであった、今もまた姨捨山の 名のとおりになってしまったのであった。 一※な ム 四 ひと そで

2. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

二七四 いたゐむす る女性、庭の板井を掬び上げ花水とし、これなる塚に回向澄ませていると、たいそう優美な女の方 けしき が、庭の井戸より汲みあげた水を花とと の気色見え給ふは、 いかなる人にてましますそ。 もに供え、この塚にお弔いをなさってい 四 ほんぐわんありワらなり るご様子が見える。どういうお方でいら シテ「これはこのあたりに住む者なり。この寺の本願在原の業 っしゃいますか。 ひら 平は、世に名を留めし人なり。さればその跡のしるしもこ女「わたくしはこのあたりに住む者である。 ありわらなりひら かげ この寺の願主である在原の業平は、世に れなる塚の蔭やらん、わらはも詳しくは知らず候へども、 名を残した人なので、その墓じるしもこ たむおんナととむら の塚の陰なのかしら、わたくしも詳しい 花水を手向け御跡を弔ひ参らせ候。 ことは存じませんが、花や水を手向け、 おんこと 業平のお跡をお弔い申しあげております。 ワキ「げにげに業平の御事は、世に名を留めし人なりさりなが 旅僧「まことにおっしやるとおり、業平は世 むかしがたり ら、今ははるかに遠き世の、昔語の跡なるを、しかも女性 に名を残した人である。しかしながら、 それはもはやはるか遠い時代のこと、そ の御身として、かやうに弔ひ給ふ事、その在原の業平に、 の昔物語の古跡であるのに、しかも女の ゅゑ 御身で、このようにお弔いなさるという 气いかさま故ある御身やらん。 のは、その在原の業平に、さてはゆかり むかし 七『伊勢物語』の各段が「昔男ありけシテ「故ある身かと問はせ給ふ、その業平はその時だにも、昔 のあるお方かしら。 り」という句で始まり、その主人公は をとこ 女「ゆかりある身かとお尋ねなさる、その 業平であると解されていたので、業 男といはれし身の、ましてや今は遠き世に、故もゆかりも 平を「昔男」と呼んでいたように言い 業平はその当時でさえも、昔男といわれ なしたもの。 た人、ましてやその昔から遠く隔たった あるべからず。 今において、このわたくしがゆかりも何 キうせき ^ ※現行観世流は、この一句をシテ もあるはずはない。 の謡とし、「あとは残りて : ・」がワキ、 旅僧「なるほどおっしやることはごもっとも 次がシテと、順送りに謡手がかわる。 現行下掛三流も同じ。なお、車屋本 であるが、ここは昔の古跡であって、そ は底本と同様である。 の主人公の業平こそ遠い昔の人となって 九「 ( 遠く ) なり」と掛詞。 しまったが : ・ 一 0 「あとは残りて」と「聞えは朽ち ぬ」の上下に掛かる。 女「その跡はさすがにいまだ残っており、 謡曲集 一板で囲った井戸。 ニ花とともに仏前に供える水。 三読経して死者の霊を弔うこと。 四寺院建立の願主。 五墓じるし。 六わたくし。女性が自身の謙称に用 おほ ワキ气もっとも仰せはさる事なれども、ここは昔の旧跡にて、 ぬし シテ气あとは残りてさすがにいまだ、 よがたり ワキ「聞えは朽ちぬ世語を、 主こそ遠く業平の、 おんみ によしゃう 九 一 0 はなみづ ゑかう がんしゅ こせを -

3. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

くら 「世の人が死後に暗い道を行かないた 終わった女のことをいう。一四このシテ暗きに行かぬ有明の ( 足拍子を踏む ) 、 一句、解しにくいカ、いちおうロ語 めにと、わたくしは有明の月のように、 訳のように解しておく。 一 = 「ゆく地謡气光あまねき月ゃあらぬ ( 正面先〈出る ) 、春や昔の春ならぬ、地 3 「あまねく照らしているのである。『月 螢雲のうへまでいぬべくは秋風ふく ほんがくしんによ ゃあらぬ春や昔の春ならぬ、わが身一つ と雁につげこせ」 ( 伊勢物語四十五、 わが身一つは、もとの身にして、本覚真如の身を分け ( 扇を 後撰・秋上在原業平 ) に基づく。 はもとの身にして』と、かって詠んだが、 いんやう 「雁」を「仮」に転じてあとへ続けた。 左手に持ち両手を合わせ、また大きくひろげる ) 、陰陽の神といはれわたくしの本体は仏の身、その仏体の分 「秋風吹くと」までが「仮」の序のよう 身として、陰陽の神といわれたことのあ なりひら な形になっている。なお、下掛系は 、ただ業平の事そかし。かやうに申す物語 るのもやはりこの業平のことなのだ。こ 「雲の上までゆくべくは」。一〈「知しも ( 常座へ行く ) るや否や」と「暗きに行かぬ」と、上 たびびと のようにお物語り申したことをお疑いな 下に掛かる。 ( 左手の扇をはねあげつつワキへ出かかる ) 、疑はせ給ふな旅人 ( 小さ さるな旅人よ。はるばるとやって来た身、 からころも 一七「知るや君我に馴れぬる世の人の かな 暗きに行かぬ便りありとは」 ( 伊勢物 くまわる ) 、はるばる来ぬる唐衣、着つつや舞を奏づらん ( 大唐衣を着て舞を奏することである。 語難儀抄 ) に基づく。入『伊勢物語』 ふたたび杜若の精の立場となり、舞を舞 四段にある歌。『古今集』恋五にも業 小前で留める ) 。 やがて夜のしらむとともに、草木と 平の作としてみえる。↓二七八ハー注 いえども成仏することを喜びつつ、消え 九。ここでは、言外にいう相手のこ 正面を向いて「花前に蝶舞ふ」と謡い、地謡になると常座へ行 失せる。 とを含ませずに、表面の意味だけに き、〔序ノ舞〕を舞う。常座で留めて〈ワカ〉を謡い、掛合い 使い、「もとの身」を、本地 ( 菩薩の 杜若「花の前で蝶は舞う、雪のちらちらと降 の謡・地謡に合わせて舞い、常座で留める。 本来の姿 ) の意にして、下へ続けた。 るように。 くわぜんてふま ふんぶん 一九「本覚真如」は本来備わっている 清浄な覚性。「本覚真如の身」とは仏シテ气花前に蝶舞ふ、紛々たる雪、 地」「柳の木のあたりを鶯が飛ぶ、金のか のこと。ニ 0 男女の仲をとりもっ神。 リうしゃううぐひす へん・ヘん けらが動くように。 「インニョオ」と発音する。 地謡气柳上に鶯飛ぶ、片々たる金。 杜若の精は〔序ノ舞〕を舞う。 三このように、〈次第〉の文句を〈ク セ〉の末尾で繰り返すのは、曲舞 杜若「かって植えておいた、昔の宿の、杜若、 〔序ノ舞〕 の原型を濃厚にとどめている姿であ 地謡「その美しい色だけは、昔のままであ ( 杜若 ) る。このような場合は、〈クセ〉の途シテ气〈ワカ〉植ゑ置きし、昔の宿の、杜若 ( 上ゲ扇をする ) 、 る、宿の主はいないが、その美しい色だ 中でシテの謡が一一回あるのが常であ けは、昔のまま残っている、その美しい る ( 〈二段グセ〉という ) 。ニニ「花前 地謡气色ばかりこそ、昔なりけれ、色ばかりこそ、昔なりけ 蝶舞紛々雪、柳上鶯飛片々金」 ( 百聯 色だけは。 むかしおとこ 抄解 ) 。なお、以下は、杜若の精の 杜若「昔男業平の名前だけは後に残されて はなたちばな 立場にもどった形である。ニ三前出れ、色ばかりこそ。 いて、花橘の香が昔を思い起こさせてく の「植ゑ置ぎし」の歌の第五句の「形 むかしをとこ ニ五※ 見なりけれ」を変えて用いた。 シテ气昔男の名をとめて ( 角へ行く ) 、花橘の ( 大小前へまわり正面れる、その橘の香りの移っているような、 杜若 三三九 ぎん はなたちばな あるじ ちょう うぐいす

4. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一七※下掛系は「あはれなり」。 , 《合掌留よ》の場合、〔破ノ舞〕を 鳥居に合掌して留める。 一 ^ 「伊勢」の枕詞。 野宮 けしき し昔を今に返すような様子である。 三舞の袖をひるがえす意と、昔を地謡月にと返す、気色かな。 今に返す、の意とを兼ねる。 御息所は〔序ノ舞〕を舞う。 〔序ノ舞〕 御息所「野宮に今照る月も、昔を偲ぶのであ ろう。 シテ「〈ワカ〉野の宮の、月も昔や、思ふらん ( 上ゲ扇をする ) 。 地、謡「月影がさびしくも漏れて映る、森 一 = 「 ( 影さびしくも ) 洩り」と掛詞。地謡气影さびしくも、森の下露、森の下露 ( 左右をして出る ) 。 の下露、森の下露。 御息所「はかないわが身の置き所であったこ 一四「露」の縁語。 シテ气身の置き所も、あはれ昔の、 の野宮も、ああ、昔のままで、 地言庭の様子も、 地謡气庭のたたずまひ ( 正面へ出る ) 、 御息所「よそとは違う、 シテ气よそにそ変る ( 見まわす ) 、 地、謡「有様。ほんのかりそめに作った、 けしぎかり 御息所「小柴垣の、 地謡気色も仮なる、 地息 3 「その露をはらって訪われたわたく こしばがき しも、お詼ねくださったその方も、みな シテ气小柴垣 ( 作リ物へ近寄る ) 、 昔の夢と時は過ぎゅき、空しい跡をとど めているだけなのに、だれを待つのか、 地謡气露うち払ひ ( 扇で露を払う ) 、訪はれしわれも ( 少し下がる ) 、 たれ松虫はりんりんと鳴き、風は広々とした その人も、ただ夢の世と ( 角〈行く ) 、古りゆく跡なるに、誰野にざわざわと音をたてて吹く。こうし 松虫の音は ( 扇をかざして下を見る ) 、りんりんとして ( 大小前〈行た野宮の夜の趣は、なんともなっかしい こと。 ばう・はう く ) 、風茫々たる ( 招キ扇をして正面へ出る ) 、野の宮の夜すがら 御息所は〔破ノ舞〕を舞う。 御息所は、依然として浮かび得ない身は ( 鳥居の内を見つめる ) 、なっかしゃ ( シオリをしつつ下がる ) 。 神の意にも添わぬことと述懐し、やがて 車に乗って火宅の門を出て行く。 〔破ノ舞〕 地謡「ここ野宮はもとより、かたじけな ( 御息所 ) くも伊勢の神を祭る社、その鳥居の内外 地謡に合わせて舞い、常座で留める。 を出入りする姿は、生死の道に迷うかと 地謡气ここはもとより ( 鳥居へ近寄る ) 、かたしけなくも、神風や見えるので、神はご納受なさるまいと、 一五源氏の君。 一六「 ( 誰 ) 待っ」と掛詞。 一四どころ やしろ

5. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 ありわらでら 一『伊勢物語』十七段の歌 ( 古今・春上 旅の僧は在原寺で、夢の出会いを期待し こけむしろ 読人知らず ) 。歌意は、桜の花は実 て、苔の筵に寝る。 がなくて散りやすいものだというこ 旅僧「夜も史けてゆき、在原寺には月が照ら とになっているが、一年のうちにま れにしか来ないあなたをも、このと している。その夜の在原寺の月のもとで、 さくらばな おり待っているのである。わたくし まれ 昔を今に返して思う人に会おうと、衣の そで はあなたより誠実であるようだ。 シテあだなりと名にこそ立てれ桜花、年に稀なる人も待ち 袖を裏返しにして、夢の出会いに期待し ニこの歌の作者の異名。なお、この 歌の作者を紀有常の娘とする解釈が けり。かやうに詠みしもわれなれば、人待っ女とも言はれつつ、苔の筵に仮寝した。苔の筵に寝た 『伊勢物語』の古註『和歌知顕集』にみ つつゐ・つつ のであった。 まゆみつぎゅみ える。 しなり。われ筒井筒の昔より、真弓槻弓年を経て、今は亡 井筒の女が、業平の形見の直衣を身につ 四 三「槻弓」の「槻」が「月」と通するので、 けた姿であらわれ、業平にのり移った形 「年」の序となる。「梓弓真弓槻弓年き世に業平の、形見の直衣身に触れて ( 左袖を見つめる ) 、恥、 を経てわがせしがごとうるはしみ で舞を舞う。 せよ」 ( 伊勢物語一一十四 ) 。 井筒の女「『あだなりと名にこそ立てれ桜花、 しや、昔男に移り舞、 まれ 四平安時代以後の貴族の平服。 年に稀なる人も待ちけり』。このように 「形見の直衣」と左袖を見、「身に 地謡气雪を廻らす、花の袖。 触れて」と右袖を見る演出もある。 詠んだのもわたくしなので、人待っ女と 五※下掛系は「なっかしや」。 も言われたのである。わたくしの十九の 〔序ノ舞〕 六 ( ある人に ) 乗り移った状態になっ 年、『筒井筒』の歌を詠みかわした昔から、 て舞を舞うこと。 常座で〈ワカ〉を謡い、以下掛合いの謡に合わせて舞い、常座 七風が雪を吹きまわすような美しい 長い年月なれ親しんだ業平は、今はこの で留める。 舞のさまをいう。「廻雪」の訓読。 世を去ってしまった。その業平の形見の ^ ※下掛系は「昔を返す在原の」。 ありワら 直衣を身につけて、恥ずかしいことなが , 「月ぞさやけき」で井筒をのぞき込シテ气〈ワカ〉ここに来て、昔そ返す在原の ( 上ゲ扇をする ) 、 む演出もある。 ら、昔男業平にのり移って、舞を舞うこ とにしよう。 〈「月ゃあらぬ春や昔の春ならぬわ地謡气寺井に澄める、月そさやけき、月そさやけき。 が身ひとつはもとの身にして」 ( 伊勢 地謡「はなやかな袖を、風が雪を吹きまわす 物語四、古今・恋五在原業平 ) の歌。シテ气月ゃあらぬ、春や昔と詠めしも ( 角〈出て左〈まわる ) 、 ようにひるがえす、その美しい舞姿。 歌意は、月は去年のままではないの か、春は去年の春ではないのか。そ 井筒の女は〔序ノ舞〕を舞う。 つの頃そゃ。筒井筒 ( 大小前から中央へ出て扇をつまんで持っ ) 、 のように言うわたくしだけはもとの 井筒の女は井戸に影を映し、その姿が業 ままの体なのだが ( あの人との去年 平そのままであるとなっかしく思う。や 地謡筒井筒、井筒にかけし、 の生活はもはや帰らない : ・ ) 。 一 0 ※下掛系は「いつのこころぞ」。 がて夜明けとともにその姿は消え、僧の たけ 《彩色 (±ろ ) 》の場合は「いつの頃シテ气まろが丈、 夢は覚めたのであった。 ころ なりひら の有常の娘 ) が登場し、常座に立って謡い出す。続いて〔序ノ 舞〕を舞う。常座で舞を留める。 そで 一 0 ※ こ・つも

6. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

たれびと 九「よしや」と頭韶。「花」の序。 江口の君「なに、だれの舟かですって。恥ず 謡、色めきあへる人影は、そも誰人の舟やらん。 一 0 「花」「雪」は、この世における風 かしいことながら、昔の江口の君が、月 雅なものとして並べ、「雪」の縁でシテ「何この舟を誰が舟とは、恥かしながら古の、江口の君の夜に川遊びをしている舟と ) 」らんくだ 「雲」「波」を続けた。 かはぜうえう = 「 ( 花も・ : 波も ) 泡」と掛詞。花も の川逍遙の、月の夜舟を御覧ぜよ。 雪も雲も波も、いすれも泡のような 旅僧「これはどうしたこと、江口の遊女と言 ものである、それにしても、ああ、 われるが、それは遠い昔のことだが : ・ ワキ气そもや江口の遊女とは、それは去りにし古の、 の意。三「あはれ」と頭韻。 江口の君「いや、昔ですって、そんなことは 一三※下掛系は「色めき見えたる人影 シテ「いや古とは御覧ぜよ、月は昔に変らめや。 は」。一四※下掛系は「江口の遊女の ないはず。ごらんなさい、月は昔のまま、 川逍遙の」。 いにしへびと 今と変わっているのかしら。 一五川遊び。一六「月ゃあらぬ春やむツレ气われらもかやうに見え来るを、古人とは現なや。 遊女たち「わたくしどももこのように、姿を かしの春ならぬ我身ひとつはもとの のたま 見せて出てきているのに、それを昔の人 身にして」 ( 古今・恋五在原業平、シテ「よしよし何かと宣ふとも、 伊勢物語四 ) に基づく。 だとは、どうかしておいでですね。 ※下掛系は「何かと問ひ給ふとも」。ツレ气言はじゃ聞かじ、 江口の君「よいよい、何のかのとおっしやっ 入「秋ノ水漲リ来ッテハ船ノ去ルコ ても、 ト速ャカナリ、夜ノ雲収マリ尽キテ シテ气むつかしゃ。 ( 月ノ行クコト遅シ」 ( 和漢朗詠集・ 遊女たち「何も言うま、 し聞 ~ 、こともす・まい みなぎ 月郢展 ) に基づく 江口の君「わずらわしいこと。 シテ气秋の水、漲り落ちて、去る舟の、 一九「影」と「棹」との上下に掛かる。 江口の君 遊女たち「秋の川水が勢よく流れ落ち、水に ニ 0 以下「遊ばん」まで、『閑吟集』に 採られている。「うたかたの」は「歌シテ气月も影さす ( 月を見あげ、下の水面を見る ) 、棹の歌、 乗って遠ざかり行く舟に、 へ」と頭韻。「泡」の意を含む「あは 江口の君「月の光もさし、その舟の上で棹さ れ」の序。 地謡气歌へや歌へうたかたの ( シテ・ツレ向かい合う ) 、あはれ昔の して歌う舟歌。 三「 ( 今も ) 言ふ」と掛詞。 イうちょ ひとふし 地 3 「歌えよ歌え、恋しい昔のことを。 一 = 一「節こと音が通するので「一節」の恋しさを、今も遊女の舟遊び、世を渡る一節を、歌ひてい 縁語。「渡る」は「舟」の縁語。 ああ、今も昔を思っての遊女の舟遊び、 ひとふし ニ三三世 ( 前世・現世・来世 ) の迷い ざや遊ばん ( 一同舟より下りる ) 。 憂き世を渡るための歌を一節歌って、さ の因果を、無明・行・識・名色・六 あ舟遊びをしようではないか。 処・触・受・愛・取・有・生・老死 ざいごう の十一一項に分け、衆生輪廻のさま 遊女の身と生まれた罪業を嘆き、この世 後見が舟の作リ物をかたづける。〈クセ〉となると、シテは立っ を説くもの。 の無常を述べる。 て地謡に合わせて舞う。 しゅじよう 一西「流転無窮、如車廻庭、昇沈不定、 地謡「そもそもわれら衆生が十一一因縁 ( 江口の君 ) 似鳥遊林矣」 ( 六道講式 ) に基づく ジふにいんネんるてんナくるまにはニ五※ るてん ニ五※下掛系は「めぐるがごとく」。 地謡气〈クリ〉それ十二因縁の流転は車の庭にめぐるがごとし。を流転するというのは、車が庭をめぐる 江 ロ うたひ一三※ イうちょ よぶね きた さを いにしへ うつつ いにしへ 一四※ いんねん

7. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

シテ气語れば今も、 旅僧「その話はまだ依然としてほろびもせず、 世上の物語として伝えられていて、その ワキ昔男の ( ワキへ一歩出る ) 、 物語を、 ありワらでら 女「今も語っているのだから、 = 「 ( 名ばかりは ) あり」と掛詞。参地謡〈上歌〉名ばかりは、在原寺の跡古りて、在原寺の跡古 旅僧 考「かたばかりその名残とて在原の ( 女 ) 「昔男の名だけは今に残っているのだ。 昔の跡を見るもなっかし」 ( 玉葉集・ りて、松も老いたる塚の草、これこそそれよ亡き跡の ( 正面地言名ばかりは残されている在原寺、その 雑五藤原為子 ) 。 ひとむらずすき一三 跡も古くなって、在原寺の跡も古くなっ 三「生ひたる」の意をも含み、「塚の へ少し出る ) 、一叢薄の穂に出づるは ( 作リ物へ向き薄を見あげる ) 、 草」に続く。 て荒れ果て、老松のもとにある塚に、草 くさ、はうばら′ っゅしんしん 一三「秀はに出づ ( 外にあらわれる ) 」の も生え茂っている。これこそ業平の墓じ いつの名残なるらん ( 面を伏せる ) 。草茫々として、露深々と 意をも含む。 るしであるが、その亡き跡の塚の一むら 一四「草茫々タリ、土蒼々タリ、蒼々 のすすきが穂を出して、人目につくよう 茫々何レノ処 = カ在ル、驪山いざノ脚古塚の ( あたりを見まわす ) 、まことなるかな古の、跡なっかし 下秦皇ノ墓 : ・」 ( 白氏文集 ) 。 けしき にしているのは、いつの世よりの名残で 一五「 ( 露深々と ) 降る」と掛詞。 ぎ気色かな、跡なっかしき気色かな ( 常座にもどり正面を向く ) 。 あろうか。草は茫々として、露は深々と 降るこの古塚、まことに昔を偲ばせる古 ワキのせりふがあり、シテは中央へ行き着座し、〈クリ〉となる。 中央へ出て床儿に腰をかける演出 跡で、なっかしい気持がする、昔なっか おんことくは おんものがた もある。 しい心持がするのである。 ワキ「なほなほ業平の御事詳しく御物語り候へ。 一六※下掛系は、このワキのせりふな し。 ありワらチうじゃうへ 僧の頼みに応じて、女性は、業平と紀の 一七業平は左近衛中将であった。 地謡气 ( シテ、中央へ出て着座 ) 〈クリ〉昔在原の中将、年経てここ 有常の娘とのこと、すなわち、「風吹け 入「 ( ここに ) 居」と掛詞。「石上」は いそのかみふ ば」の歌のことや、「筒井筒」の歌を詠み 在原寺のある地名の意とともに、 に石上、古りにし里も花の春、月の秋とて住み給ひしに、 かわした幼少のときのことを語る。 「古り」の枕詞。以下の文は、「日の ころき ありつね 光やぶし別 " かねば石の上ふりにしシテ气〈サシ〉その頃は紀の有常が娘と契り、妹背の心浅から旅僧「なおなお続けて、業平の御事を詳しく 里に花も咲きけり」 ( 古今・雑上布 お物語りください。 留今道 : い ) に基づく。 ざりしに、 地 3 「昔在原の中将は、長年の間ここ石上と 一九大阪府八尾市の高安山のふもと かはち たかやす ふたみち のあたりをいう。 いう古びた里にいて、春は花、秋は月と 地謡气また河内の国高安の里に、知る人ありて二道に、忍び ニ 0 愛する人。 風雅に住んでおられたが、 三有常の娘と、河内国高安の里の 女「そのころは紀の有常の娘と契りを結び、 て通ひ給ひしに、 女との両方を掛けて、の意。 夫婦の情愛は深かったのであるが、 ニニ前に記したように、『伊勢物語』 二十三段にある。↓二七二ハー注ハ。 地謡「また呼の国高安の里に愛する人がい 井筒 二七五 たったやま シテ气風吹けば沖っ白波龍田山、 ふるつか なごり ちぎ いにしへ いもせ うぼう

8. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一俗人であった昔。在俗の昔。 ニ※下掛系は「友なれば」。繰返しも 三憂き世を離れた世界。俗世間を離 れた別世界。 四※下掛系は「いづくなるらん」。 ワキ 五大阪市天王寺区元町にある四天王ワキツレ 寺。聖徳太子の創建。 ほか四※ 六京都市伏見区淀町。昔の河港で、 京都から西への旅はここから舟でく だるのが常であった。 七大阪府高槻市にある。古来、篳篥 の舌にする蘆の産地として名高い ^ 「 ( 蘆の ) 穂」と掛詞。「蘆」と「松」と 上下に掛かる。 九上下に掛かる。「松の煙」は霞んで 見える松、「煙の波」はもやのように 煙ってみえる波、の意。 一 0 大阪市東淀川区。神崎川が淀川 の本流から分かれる所。昔の河港で、 宿駅として繁盛した。 = ※以下四行およびそれに続くアイ との応対のせりふは下掛宝生流によ る。 三江口の長者。江口の宿場の女主 人。ここでは特定の個人をさす。す ぐ次に出てくる「江口の君」も同じ人 物である。 江 ロ 〔次第〕の囃子で旅僧の姿のワキ・ワキツレ登場。正面先に向か 旅の僧が従僧を伴って江口の里に着ぎ、 いあって〈次第〉を謡う。ワキは正面を向き〈名ノリ〉を述べる。 この所の者に尋ねて江口の君の古跡を知 さいぎようほうし ふたたび向かいあって〈上歌〉を謡う。〈上歌〉の末尾でワキ り、ここで西行法師の詠んだ歌を思い起 は歩行の態を示した後、正面を向き、〈着キゼリフ〉を述べる。 こして、感慨にふける。 ワキツレは地謡座前に着座する。ワキは常座へ行き、アイを呼 感「世を捨てた今の身の友である月、その び出す。アイの江口の里の者、狂言座より立って一ノ松へ出、 月が俗世のときからの友であるとすれば、 ワキと応対の後、狂言座に退く。ワキは中央で正面を向いて、 月が在俗の昔からの友であるのなら、俗 〈サシ〉を謡った後、脇座のほうへ行きかかる。 を離れた世界とはどこであろうぞ。依然 として自分は俗世に関係をもっているこ とになる。 〔次第〕 旅僧「わたくしは諸国をめぐり歩く僧であり 气〈次第〉月は昔の友ならば、月は昔の友ならば、世のます。まだ津の国の天王寺に参りません ので、このたび思い立って天王寺に参ろ 外いづくならまし。 うと思います。 旅僧「都をまだ夜の深いうちに旅立って、ま ワキ「〈名ノリ〉これは諸国一見の僧にて候。われいまだ津の国従僧 だ夜明けに間のあるころに旅立ちをして、 てんノうじ うどの 天王寺に参らす候ふほどに、 このたび思ひ立ち天王寺に参淀よりの川舟の行く先は、鵜殿のあたり で夜も明け初めて、蘆の穂がほのかに見 かす らばやと思ひ候。 え、霞んでうっすらと見える松に、もや よふか ワキ 气〈上歌〉都をば、まだ夜深きに旅立ちて、まだ夜深きのように煙った波の寄せている、江口の ワキツレ 里に着いた、江口の里に到着した。 よどかはぶねゆくすゑ うどのあし八 に旅立ちて、淀の川舟行末は、鵜殿の蘆のほの見えし、松旅僧「急ぎましたので、もはや江口の里に着 きました。この所で江口の長の古跡を尋 の煙の波寄する、江口の里に着きにけり、江口の里に着き ねようと思います。 従僧「それがよいだろうと存じます。 にけ・り。 旅僧「この所の人がおいででありますか。 ワキ「〈着キゼリフ〉急ぎ候ふほどに、これははや江口の里に着き所の者「この所の者とお尋ねになるのは、ど ちゃうキうせき て候。この所にて江口の長の旧跡を尋ねうずるにて候。 のようなご用でありますか。 けむり ニ※ いッけん たびだ っ てんのうじ ちょう

9. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

正面を向いた後、中入する ) 。 出たのである。ほんとうに昔のことを恋 しく思うのなら、この一枝の花の陰に寝 アイの北山辺の者が出て常座に立ち、雲林院へ花見に行こうと きんみつ て、わたくしの姿を夢でごらんなさい。 言って、角へ出てワキの公光の姿を見つける。ワキの尋ねに応 ありわらの そうなさるなら、そのときあなたの不審 じ、アイは中央に着座して、在原業平のことや、『伊勢物語』 を晴らそう、と言ったかと思うと、夕方 の作者についての諸説を語り、花の木陰で一夜を明かすよう勧 の空の薄くかかった霧の中に融け込んで、 めて狂言座に退く。後見が桜ノ立木をかたづける。 老人の姿ははっきりとはわからなくなっ ワキ・ワキツレは着座のまま〈上歌〉を謡う。 てしまった、はっきりとはわからない状 こかげ ワキ 气〈上歌〉いざさらば、木蔭の月に臥して見ん、木蔭の態になって消えてしまった。 ワキツレ きんみつ はなごろもそで 北山辺に住まいする者が公光を相手に業 = 「いざ今日は春の山べにまじりな月に臥して見ん、暮れなばなげの花衣、袖を片敷き臥しに 平のことや『伊勢物語』の作者について む暮れなばなげの花のかげかは」 ( 古 物語り、花の木陰で一夜を明かすように 今・春下素性法師 ) に基づく。歌意けり、袖を片敷き臥しにけり。 勧める。 は、さあ、今日は春の山べに分け入 ることになろう。日が暮れたら、そ 公光と従者とは、月影の漏れる雲林院の 〔一声〕の囃子で、後シテの在原業平が登場し、常座に立って こがかりそめの花の陰の宿りであろ 花の陰で仮寝の夢をむすぶ。 謡い出す。ワキは着座のまま謡い出し、シテのせりふがあって、 うか、いやりつばな花の陰の宿りな 掛合いの謡に続く。 のである。「なげ」は無気で、なさ 公さあ、それでは、木陰を漏れる月のも そうな、ないと同様、の意。 とで寝て夢を見よう、月のもと木陰に寝 て夢を見ることにしようと、『日が暮れ たら、それこそりつばな花の宿りだ』と 三『古今集』恋五、在原業平。歌意シテ月ゃあらぬ、春や昔の春ならぬ、わが身一つは、もと歌に詠まれた、雲林院の花の散りかかる は、月は昔のままの月であろうか、 衣の、片袖を敷いて寝たのであった、衣 春は昔のままの春であろうか。わがの身にして。 の片袖を敷いて寝たのであった。 身はたしかにもとのままの体なのだ 一三うへびとに えんれい てんじようびと 艷麗な殿上人のよそおいの業平の亡霊が ワキふしぎゃな雲の上人匂やかに、花に映ろひあらはれ給 一三清涼殿の殿上の間に昇殿を許さ 夢にあらわれて、『伊勢物語』の「秘事」 れた五位以上の者および六位の蔵人 。いかなる人にてましますそ。 をることになる。 の総称。殿上人。 むかしをとこいにしへ 一四艷麗なよそおいで。 きた業平「『月ゃあらぬ、春や昔の春ならぬ、わが シテ「今は何をかつつむべき、昔男の古を、語らんために来 身一つは、もとの身にして』。 うえびと . り・ . こ . り・ .0 公光「ふしぎなこと、雲の上人が艶麗な姿で、 四四七 雲林院 うつ

10. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

女「一河の流れを汲むということ。その道理 き世に残る跡ながら、 をよく推察して、 ふること 一「 ( 人は ) あだなり」と「あだなる ( 古シテ气人はあだなる古言を、語れば今も仮の世に、 僧「その意味を知れとばかりに、 言 ) 」と上下に掛かる。 たしゃう 女「ちょうど、 ニ以下、「一樹の蔭に宿り、一河の流 ワキ气他生の縁は朽ちもせぬ、これそ一樹の蔭の宿り、 れを汲むも、皆これ他生の縁」とい 地謡「今降っているのも宿は昔の時雨の亭で うような形で慣用されていた成句に あるから、昔の時雨と同様であって、昔 基つく。この世において、一樹の陰シテ气一河の流れを汲みてだに、 の時雨と同じことで、澄んだ心でここに に宿り合い、同じ流れの水を汲むと いうような間柄も、前世からの因縁ワキ气心を知れと、 住んでいた定家卿の、風雅な生活を知る による、と考えられていた。 ことができる。それにしてもこの世は夢 三※下掛系は「一河の流れ汲みてだシテ折からに ( ワキへ一歩出る ) 、 の世、まことに定めないこと。定家卿の 0 「一河の流れを汲む」の意から、「汲地謡气〈上歌〉今降るも、宿は昔の時雨にて、宿は昔の時雨に住んだこの亭の軒端に、夕方降る時雨に みてだに ( よくよく推察して ) 心を知 つけて、思いは昔に帰り、涙することだ。 かきね れ」と続けた。 ここの庭も垣根も、そのさまとも見えず て、心すみにしその人の、あはれを知るも夢の世の、げに 五「 ( 心 ) 澄み」と「住み ( にし ) 」との掛 のきば さだいへ イふしぐれ 荒れる一方で、霜置く草むらも枯れ、こ 詞。 定めなや定家の、軒端のタ時雨 ( 正面へ数足出る ) 、古きに帰る 六「定めなや」と頭韻。「定家の」「家 の宿には人の訪れもめったになく、おそ 八 まがき くさむら の軒端」と重ねた。「定家の家」は「時 ろしいまでにさびしいタ方である、荒涼 涙かな。庭も籬もそれとなく ( 右へ向く ) 、荒れのみまさる叢 雨の亭」のことをさす。 たるタ方のけしきである。 七「 ( タ時雨 ) 降る」と掛詞。 しよくしないしんのう ^ 参考「里はあれて人はふりにし宿の ( あたりを見まわす ) 、露の宿りもかれがれに、ものすごきタ 女性は僧を式子内親王の墓に案内し、墓 かずら てい小かずら なれや庭もまがきも秋の野らなる」 石に這いまつわっている葛を、「定家葛」 ( 古今・秋上僧正遍照 ) 。 なりけり ( 常座へ下がる ) 、ものすごきタなりけり ( ワキへ向く ) 。 であると言って、問われるままに、定家 九「枯れ枯れ」と「離カれ離がれ ( 人の訪 と式子内親王との交情について物語り、 しよくしないしんのう れが遠のくこと ) 」とを兼ねる。 もうしゅう シテはワキを式子内親王の墓へ案内し、続いて中央に着座して その妄執を救ってくれるようにと頼む。 〈クリ〉〈サシ〉〈クセ〉となる。 女「今日は供養をする日でありますので、お けふこころざ むしょ 墓へ参ります。お参りなさいませ。 シテ「今日は志す日にて候ふほどに、墓所へ参り候御参り候へ 旅僧「それこそ出家の身にとって望むところ であります。ではお伴して参りましよう。 かし。 女「もうし、ここにある石塔をごらんなさい しゅッけ ワキ「それこそ出家の望みにて候へ。やがて参らうずるにて候。ませ。 謡曲集 三※ いちが ナく 九 イふ・ヘ いちじゅかげ イふべ いちが