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検索対象: 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)
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1. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 アイは、ワキとともに登場する場 合と、〈上歌〉で登場する場合とある。 どちらも狂言座で着座している。 〔次第〕の囃子で旅僧の姿のワキ・ワキツレ登場。正面先に向か 東国方面より旅をして来た僧が、花の都 いあって〈次第〉を謡う。ワキは正面を向き〈名ノリ〉を述べ に着き、東北院の今が盛りの梅の名を門 る。ふたたび向かいあって〈上歌〉を謡う。〈上歌〉の末尾でワ 前の者に尋ね、和泉式部という名だと教 キは歩行の態を示した後、正面を向ぎ、〈着キゼリフ〉を述べる。 えられる。 ワキツレは地謡座前に着座する。ワキは常座〈行き、アイに声「年が改ま 0 てふたたび春となった、新 をかける。アイの東北院門前の者は一ノ松に立って、ワキの尋 たに年の始まるこの春、花の都に急いで ねに応じた後、狂言座に着座する。 行こう。 〔次第〕 旅僧「わたくしは東国方面より出て来た僧で とした あります。まだ都を見ておりませんので、 キ「〈次第〉年立ち返る春なれや、年立ち返る春なれや、 一「 ( 年 ) 立ち返る」と「立ち返る ( 春 ) 」ワキツレ この春思い立って都にの・ほります。 と上下に掛かる。 かすみ 三※ ニ「都」の美称。「花」は「春」の縁語。 旅臨「春になって霞も立っころ、霞の関を今 花の都に急がん。 三※下掛系は「のぼらん」。 朝通り過ぎ、霞の関を今朝越えて、果て 四近畿地方からみて東方の国々。 ワキ「〈名ノリ〉これは東国方より出でたる僧にて候。われいま はないといわれる広い武蔵野もやはり果 のぼ てがあって、野を分け日を暮らしてゆく だ都を見ず候ふほどに、 この春思ひ立ち都に上り候。 うちに跡遠くなり、すでに遠くなった山 かすみせきけさ 五東京都南多摩郡多摩町関戸のあたワキ 气〈上歌〉春立つや、霞の関を今朝越えて、霞の関を今また山の雲の中を通ってきて、都の空も りという。「霞」は「春」「立つ」の縁語。ワキツレ 近づいてくる。やがて都と思うと、春で むさしの 六果てがないと聞いていたが、やは り果てはあ。た、の意。「武蔵野や朝越えて、果はありけり武蔵野を、分け暮しつつ跡遠き、 はあり、つらい旅までものどかに感ずる 行けども秋の果ぞなきいかなる風か ことだ、つらいはずの旅までものどかに 末に吹くらん」 ( 新古今・秋上源通山また山の雲を経て、都の空も近づくや、旅までのどけか 思うことである。 光 ) に基づく。 旅僧「急ぎましたので都に着きました。この るらん、旅までのどけかるらん。 梅を見ますと、今を盛りと咲いているよ うに見えます。おそらく名のないという ワキ「〈着キゼリフ〉急ぎ候ふほどに、都に着きて候。またこれ ンめ ことはありますまい。このあたりの人に なる梅を見候〈ば、今を盛りと見えて候。いかさま名のな尋ねてみようと思います。 従僧「それがよかろうと存じます。 セ※このワキツレのせりふ、およびき事は候ふまじ。このあたりの人に尋ねばやと思ひ候。 アイとの応対の部分のワキのせりふ 旅僧「東北院の門前のお方はおいでですか。 七※ッ は、下掛宝生流による。 ワキツレ「もっともにて候 ( 地謡座前に着座する ) 。 門前の者「門前の者とお尋ねになるのは、ど は六 て へ 四 とうごくがた かへ むさしの

2. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

^ ※この一句、下掛宝生流による。 九そのままで。 一 0 神仏に供えるもの。この場合は、 地主権現へのお供えの花。 = 清水寺の鎮守の神で、清水寺の 境内に社がある。下掛系は「地主の 桜の」。 四※下掛系は「出づる日の」。 五京都市東山区清水寺東方の山。 六清水寺の下にある音羽の滝。 おとわ 0 七法相宗の寺で、山号は音羽山さん 本尊は十一面千手千眼豊観音。坂上 田村麿の建立。開基は延鎮。 東国から出た旅の僧が、都へ出かけ、清 〔次第〕の囃子で旅僧の姿のワキ・ワキツレ登場。正面先に向か 水寺に到着する。 いあって〈次第〉を謡う。ワキは正面を向き〈名ノリ〉を述べ る。ふたたび向かいあって〈上歌〉を謡う。〈上歌〉の末尾で 旅碑地方の国々の都をあとに隔てて来て、 ワキは歩行の態を示した後、正面を向き、〈着キゼリフ〉を述 国府を次々にあとにして旅を続け、都の べ、一同脇座に着座する。 春に急いで行こう。 旅僧「わたくしは東国のほうから出て来た僧 〔次第〕 ひなみやこち であります。まだ都を見ておりませんの 一「鄙の都」は、国司の役所の所在地。ワキ 气〈次第〉鄙の都路隔て来て、鄙の都路隔て来て、九重 ワキツレ で、この春思い立ちました。 国府。 ニ帝都。京都。 旅「もはや季節も、春三月の半ば、三月半 の春に急がん。 三※下掛系は「出でうよ」。 ばの春の空は、日ざしものどかに移りゆ とう′こくがた おとわやま かす き、夕日影に霞むかなたは音羽山なのか、 ワキ「〈名ノリ〉これは東国方より出でたる僧にて候。われいま 滝の響きも静かに聞こえてくる、清水寺 この春思ひ立ちて候。 だ都を見ず候ふほどに、 に着いた、清水寺に到着したのであった。 ころはややよひなか 旅僧「急ぎましたので、早くも都に着き、こ ワキ气〈上歌〉頃も早、弥生半ばの春の空、弥生半ばの春の ワキツレ こは清水寺とか申すようです。ここの桜 かす おとはやま六 が今まっ盛りと見えます。人の来るのを 空、影ものどかにめぐる日の、霞むそなたや音羽山、滝の 待って、詳しく尋ねたいと思います。 きよみ・つでら 響きも静かなる、清水寺に着きにけり、清水寺に着きにけ従僧「それがよいと思います。 一人の童子が登場し、春たけなわの地主 権現の花をほめたたえる。 せいすいじ ワキ「〈着キゼリフ〉急ぎ候ふほどに、これは都清水寺とかや申童子「自然にそのまま春の手向けの花となっ ていることだ、この地主権現の花盛りの すげに候。これなる桜の盛りと見えて候。人を待ちて詳し 花は。 童子「そもそも花の名所は多いけれども、観 く尋ねばやと思ひ候。 音の大慈大悲の光が色を添えるためか、 ワキツレ「もっともにて候。 この清水寺の地主の桜以上のものはない。 はぎぼうき それたからであろう、観音の大慈悲心が 〔一声〕の囃子で童子の姿のシテ登場。右手に萩箒を持つ。常座 しゅじよう 罪深い衆生に及ぶのを、春の花があたり に立ち〈一セイ〉以下を謡う。 謡曲集 八※ッ 四※ ここのヘ ごんげん じしゅごんげん じしゅ

3. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一四※ 旅僧「思うかのように、 よ梅の花主るなしとて春を忘るな」ワキ气思ふかと、 ( 拾遺・雑春菅原道真 ) の縁で、「梅 としつき 地謡「年月を経て古くなった軒端に咲く梅の の花」に「主」を続けた。「梅の花地謡气〈上歌〉年月を、古き軒端の梅の花 ( ワキ、着座 ) 、古き軒端 花。古い軒端に咲くこの梅の花は、主人 それとも見えず久方のあまぎる雪の ンめ あるじ ひさかた あまぎ の心を知っているので、空一面かき曇ら なべて降れれば」 ( 古今・冬読人知 の梅の花、主を知れば久方の、天霧る雪のなべて世に ( 脇正 らず、拾遺・春柿本人丸 ) に基づく せて降る雪のように白く咲きほこり、広 なごり はなごころ 歌意は、梅の花は、どれであるとの 面へ出る ) 、聞えたる名残かや、和泉式部の花心 ( ワキへ向く ) 。 く世に知られた亡き主人を偲ぶよすがと 見分けがっかない、空を霧のように なっているのだろうか。この梅は和泉式 曇らせて雪が一面に降っているので。 入花のように浮きやかな心。 掛合いの謡に合わせてシテは舞台をまわり、地謡の末ごろワキ 部の花のように浮きやかな心そのもので 一九「月ゃあらぬ春やむかしの春なら に向いて数歩出た後、静かに中入する。 ある。 ぬわが身ひとつはもとの身にして」 ( 古今・恋五在原業平 ) に基づく 僧は昔を思い、和泉式部を偲ぶ。女性は 問わず語りに、この花に住む者と述べ、 ニ 0 ※下掛系は「わが身ひとっぞ心な地謡〈ロンギ〉げにや古を、聞くにつけても思ひ出の、春や き」。三「 ( いさ ) 知らず」と掛詞。 不審に思う僧の目には、花の陰に休んで 「降る」に音の通ずる「古言」の序。 昔の春ならぬ、わが身独りそ心なき。 いると見えたが、やがて「自分はこの梅 ニニ「たづぬべき草の原さへ霜枯れて しらゆきふること たれ みちしば の主人である」と言って、見えなくなっ 誰に問はまし道芝の露」 ( 狭衣物語巻 シテ独りともいさ白雪の古言を、誰に問はまし道芝の、露 てしまった。 一 l) に基づく。「道芝の」は「露の世」 の序。ニ三「難波津にさくやこの花冬 地謡「、やまことに、昔のことを聞くにつ ( 旅僧 ) し の世になけれども、この花に住むものを ( ワキへ向く ) 。 ごもり今ははるべとさくやこの花」 けても、思い出されるのは昔の優雅な人 とぶさ ( 古今・仮名序 ) の歌により、梅の異 称の意をももつ。ニ四木の梢。「花」地謡气そもこの花に住むそとは ( 角へ出る ) 、鳥総に散るか花鳥の春、そしてここはその時の春のままな の縁語。また「飛ぶ」に音が通するの のに、わたくし一人は風流の心のないこ で「鳥」の縁語。ニ五「根に帰り古巣の、 とだ。 をいそぐ花鳥のおなじ道にや春も行 女「さあ、あなた一人なのかどうかわからな くらむ」 ( 新千載・春下一一条為定 ) に シテ气同じ道にと帰るさの ( 左へまわって常座へ行く ) 、 基づく。 いが、古い言い伝えをだれに問おうぞ。 さきだ わたくしはこのはかない世にはいないけ = 【「 ( 梅の主よと ) 言ふ」と掛詞。「タ地謡气先立っ跡か、 暮」に「紅」を重ねて、夕方の紅色に れど、『この花』には住んでいるのだ : かげ 映える空、の意。参考「入日さすタ 地謡 シテ花の蔭に、 紅の色はえて山した照らす岩つつじ この花に住むというのは、 ( 旅僧 ) 「いったい、 ンめあるじ かな」 ( 金葉・春摂政左大臣家参川 梢に散る花そのものか、または梢に飛び ) 。なお、ここでは、「花」にも続地謡气やすらふと見えしままに ( 脇正面へ出る ) 、われこそ梅の主 ニ六 交う鳥なのか。 けられて、「紅梅」の意をも含む。 イふぐれなる かげ よと ( ワキへ向いて数歩出る ) 、タ紅の花の蔭に、木隠れて見女「その鳥と同じくすみかへと帰る途中の、 東 ニ 0 ※ いにしへ ひと すみ ンめ で はなとり 一九 ( 女 )

4. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

梅と松とのことを述べ、天満天神の加護 人が笠を縫うときの様子に似ている 〔真ノ一声〕の難子で若い男の姿のツレと老翁の姿のシテとが として詠んだ「青柳を片糸によりて をたたえつつ、花盛りの梅に垣を作る。 登場し、ツレは一ノ松、シテは三ノ松に立ち、向かいあって すぎうきかた はながさ 鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠」 ( 古今・ 〈一セイ〉を謡う。シテは右肩に杉箒を担げる。続いて〔アシ 姥人「梅の花開く春にもなり、これを花笠と 神あそびの歌 ) に基づく。「笠」「来 うぐいす ライ〕の囃子で、ツレは中央、シテは常座に行き、〈サシ〉以 すみ ( 着 ) 」、「縫ふ」は縁語。三松は、 見るなら、それを縫うという鳥の鶯が、 こずえ 下を謡う。〈上歌〉の終りに、シテは中央へ、ツレは角へ謡い 千年目に花が開くとされる。それを 梢に飛び交うことだ。 ながら行く。 十度繰り返す長さ、すなわち万年の 男「松の葉も時を得て色あざやか、 寿。↓五九ハー注三。 とかえ ー ) よら・か 〔真ノ一声〕 一三「吹を逐ウテ潜 2 そニ開ク、芳菲ノ 男人「『松花の色十廻り』といわれているよ よわい 候ヲ待タズ。春ヲ迎へテ乍チ変ズ、 こずゑ ンめはながさ うに、万年の齢をもっ深い緑であること 将】 = 雨露ノ恩ヲ希ントス」 ( 和漢 ~ 冖气〈一セイ〉梅の花笠春も来て、縫ふてふ鳥の、梢かな。 よ。 朗詠集・立春紀淑望 ) を二句に分け 老人「春立っ風の跡を追って、春になるとす て引いた。上句は、梅の花が春のた ツレ气松の葉色も時めきて、 けなわになるのを待たすに、春風の ぐ、他の花にさきがけてひそやかに梅は か′」まっ とかへ 立つに従ってひそかに開く意。下句シテ 咲き、年ごとに葉守の神となる松を門松 气十廻り深ぎ、緑かな。〔アシライ〕三人は舞台に入る ) は、冬枯れの状態から春を迎えてた としている門に、 一四はもり ちまちに色を変えて、雨露の恵みを 受けようとするの意。 シテ气〈サシ〉風を逐ってひそかに開く、年の葉守の松の戸に、老人「春を迎えては、たちまちに四方の草木 くさき うるほ 一四「年の端」 ( 毎年 ) と「葉守の松」 ( 松 まで雨露の恵みに浴し、万物が神徳にな シテ ( 向かいあ。て ) 春を迎へてたちまちに、潤ふ四方の草木ま を樹木の守護神である「葉守の神」に びくかと思われるように、一面に春らし 見たてた ) と「松の戸」 ( 門松を飾って ある門 ) とを重ねた。 くなってきたことだ。 で、神の恵みに靡くかと、春めきわたる盛りかな。 みやでら 一五※下掛系は「靡くやと」。一六神仏 みやでら 老人「お参りするこの宮寺の、光は隠れなく、 混淆の寺社。安楽寺は太宰府天満宮シテ气〈下歌〉歩みを運ぶ宮寺の、光のどけき春の日に、 折しも今は光のどかな春の日。 と一体であった。一七「敷く」の縁語 こけむしろ として、「敷島」の序。入和歌の道。シテ 男人「松の根が岩の間に延び、あたり一面は こけむしろ ノレ气〈上歌〉松が根の、岩間を伝ふ苔筵、岩間を伝ふ苔筵、 天満天神 ( 菅原道真 ) は人丸・赤人と 苔の筵、岩間に敷かれた苔筵が続くばか 一九 しきしま すゑ あまぎ ふるえ ともに和歌一二神の一。 一九安楽寺の りか、和歌の道までも末長く続くのは、 敷島の道までも、げに末ありやこの山の、天霧る雪の古枝 山号を天原山という。それで、「天 天満天神の加護があるからもっともなこ 霧る」へ続く。参考「梅の花それとも たを 見えず久方のあまぎる雪のなべて降をも、なほ惜しまるる花盛り、手折りやすると守る梅の、 と。したがってこの山の梅は、空一面を れれば」 ( 古今・冬、この歌「ある人の ーなカき 曇らせて降る雪のころの古枝の花さえも いはく、柿本人麿が歌なり」と左註花垣いざや囲はん、梅の花垣を囲はん。 惜しまれ、ましてこの花盛りの枝を、だ あり。拾遺・春、に柿本人丸として れかが折り取るかも知れぬと、この梅を ワキは脇座に立ち、シテ・ツレに問いかけて問答となる。地謡 重出 ) 。ニ 0 「 ( 雪の ) 降る」と掛詞。 なお、下掛系は「古枝も」。 となると、ツレは地謡座前へ行き着座する。ワキも着座する。 守るために、さあ花を囲う垣を作ろう、 老松 九九 一五※ なび ンめ ンめ は

5. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 みやま 一「み山には松の雪だに消えなくにツレ气〈サシ〉深山には松の雪だに消えなくに、都は野辺の若ひかれる思いがする。 都は野辺の若菜つみけり」 ( 古今・春 菜摘女「木の芽が萌え出て春になり春雨の降 上読人知らず ) に基づく。この〈サ菜摘む、頃にも今やなりぬらん、思ひやるこそゆかしけれ。 るころになっても、木の芽のふくらむ春 シ〉は謡曲「求塚」の前段の〈サシ〉の めはるさめ 冒頭と同文。なお下掛系では、この 雨が降っても、まだ雪の消えにくいこの ツレ气〈上歌〉木の芽春雨降るとても、木の芽春雨降るとても、 〈サシ〉が「所から春たっ空のあした 野辺の、雪の下に埋もれている若菜を、 の原、いっしかとのみうちかすむ、 もう幾日経てば摘むことができるのだろ なほ消えがたきこの野辺の、雪の下なる若菜をば、今幾日 松も若菜の色そへて、水も緑のなっ う。それでも、春になったというだけで、 み川、名にしおひける若菜かな」と なっている。 ありて摘ままし。春立っといふばかりにやみ吉野の、山も吉野の山も霞が立ちこめ、白雪が消えて、 ニ以下、「道となれ」まで『閑吟集』に かす しらゆき その消えた跡が道になる、雪の消えた跡 採られている。参考「霞立ち木の芽霞みて白雪の、消えし跡こそ道となれ、消えし跡こそ道と が道となっていることだ。 春雨ふるさとの吉野の花もいまや咲 くらむ」 ( 続後撰・春中後鳥羽院 ) 、 なれ ( 舞台中央へ行く ) 。 一人の女があらわれ、吉野へ帰ったら神 いちにちきよう 「霞立ち木の芽春雨昨日までふる野 職の人などに頼んで一日経を書いて自分 の若菜けさは摘みてむ」 ( 新後撰・春 の跡を弔うように伝言してもらいたい、 里の女の姿のシテがツレに呼びかけて登場。問答の後、地謡が 上藤原定家 ) 。 と頼んで消え失せる。 三「 ( 木の芽 ) 張る」と掛詞。 あって、シテは中入する。 四「春日野の飛ぶ火の野守いでて見 女「もうし、そこにおいでの方にお話し申さ よ今いく日かありて若菜つみてむ」 シテ「 ( 橋がかりに姿をあらわしてツレに向かい ) なうなうあれなる人にねばならないことがあります。 ( 古今・春上読人知らす ) に基づく 五「春立っといふばかりにやみ吉野 菜摘女「あなたはどなたでありますか。 ことづ の山も霞みてけさはみゆらん」 ( 拾申すべき事の候。 女「吉野へお帰りになるのなら、言伝てを申 遺・春壬生忠岑 ) による。 しましよう。 ツレ「 ( シテヘ向いて ) いかなる人にて候ふそ。 業摘女「どういうことでありますか。 おんかへ こと・つて 女「吉野において、神職の人やそのほかの人 シテ「み吉野へ御帰り候はば言伝申し候はん。 人にも伝言をお願い申します。『あまり ツレ「何事にて候ふそ。 にもわたくしの罪業が悲しいことであり ますので、一日経を書いてわたくしの跡 六神職の家筋の人。 シテ「み吉野にては社家の人、その外の人々にも言伝申し候。 を弔ってくださいませ』と、よくよくお いちにちきゃう っしやってくださいませ。 大勢で一部の経を一日で写してしあまりにわらはが罪業のほど悲しく候へば、一日経書いて 菜摘女「ああおそろしいことをおっしゃいま まうこと。『法華経』を写すことが多 たま わが跡弔ひて賜び給へと、よくよく仰せ候へ。 すこと。お言伝ては申しましよう。でも、 ころ こ しやけ ざいごふ ほか おほ し・ま、 / 、カ イ」いご・ノ

6. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 一「背」燭共憐深夜月、踏」花同惜少地謡气夢は覚めにけり。嵐も雪も散り敷くや、花を踏んではその花を踏んでは夢の中での夜遊を惜し 年春」 ( 和漢朗詠集・春夜白楽天 ) に むのだが、この春の夜は明けてしまった せうねん 基づく。ここでは「少年の」は意味を ( 扇をつまみ持 3 、同しく惜しむ少年の、春の夜は明けにけ ことだ。老人はもの静かに消えて跡かた もたない。 おきな もない、『夢中の翁』の姿はひっそりと ニ「翁さぶ」は老人らしくなるの意。 りや ( 常座へ行く ) 、翁さびて跡もなし、翁さびて跡もなし ( 左 消えていって、何の跡も残していない。 ここは、やや無理ではあるが、「翁 の跡もなし」という文に「さぶ」 ( もの 袖を返して留拍子を踏む ) 。 静かでおもむきがある、の意 ) を插 入したものであろう。 , 《脇留》の場合は、「春の夜は」と シテは一ノ松で舞台を望んだ後、幕 へ入り、ワキが常座へ出て見送り、 留拍子を踏む。

7. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一面によい香りをただよわせるのにたと 三衆生の苦しみを救う仏の心。次 の「大慈大悲」と同じ。なお、下掛系 え、観音が三十三種に姿を変えて濁った たむけ は「大悲の光・ : 故か」なし。 シテ气〈一セイ〉おのづから、春の手向となりにけり、地主権この世の衆生を導くのを、秋の月が水に 一三以下〈サシ〉の終りまで、同文が げん 清らかな影を映すのにたとえているのだ。 「花月」にもみえる。当時の慣用句で 現の、花盛り。 あろう。観音の衆生を救う大慈悲心 童子「この神の境内は、花が雪かと見まがう だいひひかりいろそ などころ を、春の花、秋の月にたとえたもの。 。は、かり , 0 かすみ シテ〈サシ〉それ花の名所多しといへども、大悲の光色添ふ 一四身・ロ・意の三業による十種 童子「まっ白に、雲も霞も花にうずもれて、 の罪悪をいう。殺生・偸盗鑄う・邪ゅゑ 淫・妄語・綺語・悪口・両舌・ 故か、この寺の地主の桜にしくはなし。さればにや大慈大雲も霞も花にうずまって、どれが桜の梢 貪欲・瞋恚純ん・邪見。 さんジふさんじん ともわからず、見わたすと八重の花一重 ジふあく 一五観音が衆生を救うために三十一一一悲の春の花、十悪の里に香ばしく、三十三身の秋の月、五 の花、なるほど九重の都の春の空である。 種の身に変化すること。 ちよく 四方の山々が本外の春の景をなして、今 一六劫濁 ( 天災・疫病などの起こる 濁の水に影清し。 こと ) ・見濁 ( 衆生が悪い見解を起こ が盛りと見える様子、まさに春の盛りと 一セワ すこと ) ・命濁 ( 衆生の寿命の短く 思われるけしきである。 シテ〈下歌〉ちはやぶる、神のお庭の雪なれや、 なること ) ・煩悩濁 ( 衆生の煩悩の盛 一九※ ニ 0 かすみ しろたへ 童子は旅の僧の問いに応じて、清水寺の んになること ) ・衆生濁 ( 衆生の果報 シテ气〈上歌〉白妙に、雲も霞もうづもれて、雲も霞もうづも の衰えること ) の五つの汚濁。 由来を物語り、観音のありがたさを述べ 一七神の枕詞。 こずゑ やヘひとへ る。 入※下掛系は「お前の雪なれや」。 れて、いづれ桜の梢そと、見わたせば八重一重、げに九重 旅僧「もうし、そこにおいでの方にお尋ね申 一九※下掛系は「白妙の」。 けしき ニ 0 参考「けふみれば雲もさくらにう さねばならぬことがあります。 の春の空、四方の山なみおのづから、時そと見ゆる気色か づもれてかすみかねたるみよしのの 童子「わたくしのことでありますか、何事で やま」 ( 新勅撰・春上藤原家隆 ) 。 な、時そと見ゆる気色かな。 ありますか。 三八重 ( 桜 ) と一重 ( 桜 ) と、合わせ て「九重」なので、「げに」と用いた。 旅僧「お見受けしたところ、美しい箒を持っ ワキは脇座に立ち、シテに問いかけて問答となる。ワキの求め ことばのあやである。 て花の木陰を掃き清めておいでであるが、 に応じてシテの〈語リ〉があり、地謡となると、シテは舞台を ニニ四方に連なる山々。 もしかして花守の方でいらっしゃいます まわる。萩箒を後見に渡し、扇を持つ。 ニ三そのもの本来の姿で、の意。なお 下掛系は「のどかなる」。 ワキ「いかにこれなる人に尋ね申すべき事の候。 ニ四今が春の盛りの時とはっきりわ 童子「そうです、わたくしはこの地主権現に かるけしぎである。なお下掛系は、 お仕え申す者である。いつも花のころに シテ「こなたの事にて候ふか何事にて候ふそ。 「春のけしきは面白や」 ( 繰返しも同 は木陰を掃き清めておりますので、花守 たまばワき かげ たま ニ五箒の美称。 ワキ「見申せば美しき玉箒を持ち、花の蔭を清め給ふは、もしと申しましようか、または宮守と申しま 田村 ちしゅごん ここのえ はうき ひとえ

8. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

しもぎゃうへん 五上京に対する語で、京都の南部、立頭「〈名ノリ〉かやうに候ふ者は、下京辺に住まひ仕る者にてした。今日はまた、西山の西行の庵室の 三条・四条から東洞院を中心に、賀 花が盛りであると聞き及んでおりますの 茂川と桂川とに囲まれたあたり一帯。候。さてもわれ春になり候へば、ここかしこの花を眺め、 で、花見の人々を連れて、ただいま西山 七 なお、下掛系は「上京辺に住まひす 大 さんや いッけん きのふひがしやまちしゅ の西行の庵室へと急ぐところであります。 る者」となっている。 さながら山野に日を送り候。昨日は東山地主の桜を一見仕 六京都東方 ( 東山区 ) の丘陵地帯。 八 九 都の堵「多くの小鳥の、囀る春は何もかもが、 にしやまさいぎゃうあんじっ 七清水寺の境内にある地主権現の桜。 小鳥の囀る春はすべての物が、一新され りて候。今日はまた西山西行の庵室の花、盛りなるよし承 ^ 京都西方 ( 右京区 ) 一帯の山地。 てゆくのであるが、その日々も経過して、 九平安末・鎌倉初期の歌僧。建久元 ( 一一九 0 ) 年没。七十三歳。その家集 り及び候ふほどに、花見の人々を伴ひ、ただいま西山西行今は春もたけなわの弥生の空。『ゃあ、友 『山家集』の詞書によって、小倉山の よ、足を留めてともに花を眺めよう』な の庵室へと急ぎ候。 ふもとに庵のあったことが知られる。 どと、知る者も知らぬ者も皆、だれもが 大原野 ( 右京区 ) の勝持寺 ( 花の寺 ) が ももちどりさへづ 花やいだ心であることだ、だれの心も花 その遺跡であるとも伝えられている。立頭气〈上歌〉百千鳥、囀る春は物ごとに、囀る春は物ごとに、 立衆 一 0 「百千鳥さへづる春は物ごとにあ のように浮き浮きしていることである。 ころやよひ 一一とど らたまれども我ぞふり行く」 ( 古今・あらたまりゆく日数経て、頃も弥生の空なれや、やよ留ま都の者「急ぎましたので、はやくも西行の庵 春上読人知らす ) に基づく。「百千 一三※ 室に着きました。しばらく皆さんはお待 鳥」は多くの小鳥の意。 りて花の友、知るも知らぬももろともに、誰も花なる心か = 呼びかけのことば。「弥生」と重 ちになってください。わたくしが案内を 韻。 乞うことにいたします。 な、誰も花なる心かな。 三「留まり」と頭韻。 同行者「それがよいと思います。 一三※下掛系は「おしなめて」。 立頭「〈着キゼリフ〉急ぎ候ふほどに、これははや西行の庵室に 庵室に着いた都の者は、案内を乞い、「花 あんない 見禁制」と聞かされるが、能力のことば 着きて候。しばらく皆々御待ち候へ。それがし案内を申さ に従ってしばらく待っことにする。 都の者「もうし、ご案内申します。 うするにて候。 能力「どなたでいらっしゃいますか。 立衆ノ一「もっともにて候。 ( 一同橋がかりへ行く ) 都の者「はい、わたくしは都方の者でありま すが、このご庵室の花が盛りであると聞 立頭はアイを呼び出し、問答の後、一同、橋がかりでうしろを き及びまして、はるばるやって参りまし 向いて膝をつく。アイも後見座で同じくうしろを向いて膝をつ た。ちょっとお見せください。 能力「たやすいことでありますが、今年は花 立頭「 ( 一ノ松で ) 見禁止であります。しかしながら、はる いかに案内申し候。 四五三 る。 一四※このせりふは下掛宝生流によ 西行桜 ひかずへ おんま つかまっ さえず みやこがた

9. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 二五〇 かすがししよみようじん の葉を持つ。常座に立ち、鏡板へ向いて〈次第〉 , を謡う。続い マ《美奈保之伝じの場合は、シテ 女「夜が更け静まって、春日四所明神の神前 の〈次第〉から地謡の〈上歌〉の「浄土 て、正面を向いて〈サシ〉以下を謡う。〈上歌〉の終りに、数足 にある、あかあかとともされた燈火も、 の春に劣らめや」までが省かれる。 正面へ出て、膝をついて木の葉を下へ置き、常座にもどる。 この世から離れた別世界の光かと思われ、 一社へ参る道の正しく真直である意 その光とともに、賞美するに足る深夜の と、神の垂迹じの由緒の正しい意 〔次第〕 とを兼ねる。 月光が、お・ほろおぼろと杉の木の間を漏 みこころ みやちただ ニ興福寺をさす。春日神社と興福寺 シテ气〈次第〉宮路正しき春日野の、宮路正しき春日野の、寺れてくるので、この光景は神の御心にも、 とは、藤原氏の氏神氏寺で、一体の これ以上のものはないとお思いになるこ ような面をもつ。 にもいざや参らん。 三「更闌ケ夜静カニシテ」 ( 和漢朗詠 とであろう。 四 ししよみやうじんほうぜん 集・恋張文成の第一句 ) 。 女「月光のもとに散る花、その花の陰を通っ 四春日神社は四柱の神を祭る。鹿島シテ气〈サシ〉更闌け夜静かにして、四所明神の宝前に、耿々 ての宮めぐり。 たけみ、香取の斎主命 の武甕槌命ちの ともしび そむ あはれしんや あめのこや、 ねのみこと 、河内枚岡の天児屋根命 たる燈も、世を背けたる影かとて、共に憐む深夜の月、お女「歩みを運び重ねるその数よりも、何べん 伊勢大神宮の比売神翳。 となく歩みを運んだがその数よりも、さ おんこころ 五神前と同意。 ・ほろおぼろと杉の木の間を漏り来れば、神の御心にもしく らにさらに散り積もっている落花の庭、 くれない 六「耿耿タル残ンノ燈 / 壁ニ背ケル その淡い紅にまた色添えている紫の、花 影」 ( 和漢朗詠集・秋夜白楽天の第 ものなくやおぼすらん。 三句 ) と「燈ヲ背ケテハ共ニ憐レム深 房を垂らしている藤の花、藤原氏の氏神 かげゅ 夜ノ月」 ( 和漢朗詠集・春夜白楽天 春日の神前の、夜の明け方の春げしき、 シテ气〈下歌〉月に散る、花の蔭行く宮めぐり。 の第一句 ) とによる。 夜も明けて春らしいけしきである。 あゆ かす 七この俗の世を離れた、との意。 シテ气〈上歌〉運ぶ歩みの数よりも、運ぶ歩みの数よりも、積 ^ 「照りもせず曇りもはてぬ春の夜 僧はことばをかけ、女性より春日の神の の朧月夜にしくものぞなき」 ( 新古 由来、木を植えることの理由が述べられ 今・春上大江千里 ) に基づく表現。 る桜の雪の庭、また色添へて紫の ( 数足出て木の葉を下に置く ) 、 る。折しも藤の盛りで、春日明神のご本 しやかによらい りようじゅせん 九落花の散り敷く庭。 けしぎ 体である釈迦如来の説法の場、霊鷲山の マ流儀によ「ては、木の葉を置いて花を垂れたる藤の既、明くるを春の気色かな、明くるを春 浄土の春にも劣らぬ有様である。 合掌する演出もある。 一 0 藤の花房は下に垂れるので、こ の気色かな ( 常座にもどる ) 。 旅僧「もうし、そこにおいでの女の方にお尋 ね申さねばならないことがあります。 = 「 ( 花を垂れたる ) 藤」と掛詞。藤 ワキは脇座に立ち、シテに問いかけて問答となる。シテの〈語 原一門をさすが、ここではその氏神 女「わたくしのことでありますか、何事です リ〉があって、地謡となる。〈上歌〉となると、シテは舞台をま 春日神社の意。 、刀 わる。 三夜が明ける意。「門」の縁語。な 旅僧「拝見すると、こんなにも茂っている森 お、下掛系は「明くるも」。繰返しも によしゃう ワキ「いかにこれなる女性に尋ね申すべき事の候。 林に、なおも木を植えていらっしやる、 かすがの か六 う う 、 0

10. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

から、花自身はものを申さなくても、 だ、の意。「乞ひ」の意も含まれるかワキ气花も惜しきと、 もしれない。なお、下掛系は「恋衣 公光「花も散るのを惜しんでいると、 一ニ※ッ シテ气言っつべし ( ワキへ一歩出る ) 。 老人「言うべきである。 三※現行観世流は「言ひつべし」。た だし車屋本は底本と同じく「言 0 ら地謡气〈上歌〉げに枝を惜しむはまた春のため ( 脇正面〈出る ) 、手 ( 老を「まことに、枝の手折られるのを惜し べし」。 むのは、まためぐりくる春に美しい花を なさけ 〈上歌〉でシテは角まで行かず、 折るは見ぬ人のため ( ワキ〈向く ) 、惜しむも乞ふも情あり ( 魲見ようがため、また、花を手折るのは花 「惜しむも乞ふも」以下で常座へ行く を見られない人に見せようとするため。 にしき ま なぎさくら 演出もある。 へ行く ) 、 二つの色の争ひ、柳桜をこき交・せて、都そ春の錦 花を惜しむのも花を所望するのも、とも 一三「見わたせば柳桜をこきまぜて都 ぞ春の錦なりける」 ( 古今・春上素性 に風流の心があるからこそで、この両者 なる、都そ春の錦なる ( 左へまわって常座にもどる ) 。 法師 ) に基づく。 の争いは柳と桜との色の優劣を争うよう なもの。その柳と桜とを織りまぜて、都 ふたたび向かいあっての問答となり、掛合いの謡があって、地 はまさに錦のような春げしきである、都 謡となると、シテは舞台をまわり、常座へ行き、中入する。 の春は、まるで錦のように美しい きた たびびとおんみ あらためて老人は公光にどこから来たか 一四紅花で染めた緋の袴。女性の朝 シテ「 ( ワキへ向いて ) いかに旅人、御身はいづかたより来り給ふ 服 ( 正装 ) 。 を尋ね、公光の『伊勢物語』についての なりひら 一五朝廷の公事以に着用する正しい礼 熱愛が述べられた後、老人は自らが業平 ゅうがすみ そ。 ( 正面を向く ) 装をおつけになっている男。「そく であることを暗示してタ霞の中に消えて きんみつ たひ」は「東帯」を動詞化した「そく ゆく。 ワキ「これは津の国蘆屋の里に、公光と申す者にて候ふが、わ たふ」の連用形。 一六根源。本体。『伊勢物語』を業平 てな いとけな 老人「もうし旅の人、あなたはどちらからお の自伝であるとする説に基づいてこれ幼かりし頃よりも、伊勢物語を手馴れ候ふところに、 いでになったのか。 のよ、つにい、つ。 かげ くれなゐはかま 公光「わたくしは摂津の国蘆屋の里に住む公 一七阿保親王の第五子。在原姓を賜ある夜の夢に、とある花の蔭よりも、紅の袴召されたる女 わり近衛中将であったことから、在 光と申す者でありますが、幼かったころ さうし をのこ 五中将・在中将の称がある。六歌仙 から伊勢物語に親しんでおりましたとこ 性、そくたひ給へる男、伊勢物語の草子を持ちたたずみ給 おきな ろ、ある夜の夢で、とある花の木陰から、 一 ^ 藤原高子。藤原長良の女で、清 ふを、あたりにありつる翁に問へば、あれこそ伊勢物語の 和天皇の女御。入内前に業平と交 紅の袴をおつけになった女の方と、束 一九 性 0 多くは彼女であ。たと考えられ根本、在中将業平、女性は二条の后、所は都山蔭、紫野を着用なさ 0 た男の方とがあらわれて、 伊勢物語の冊子を持ってお立ちどまりな ていた。 くもはやし 雲の林と語ると見て夢覚めぬ。あまりにあらたなる事にてさっておいでなので、そのあたりにいた 一九「北山」と「山蔭」とを重ねる。 四四五 雲林院 しゃう一五 ころ あしゃ くれない にしき せつつ たお