松 - みる会図書館


検索対象: 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)
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1. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 三七四 一『古今集』離別の在原行平の歌。歌地謡气立ち別れ。 村雨「このお歌は、なんとまあ煩もしい 意は、わたくしはお別れして因幡の 松風「お歌であること。 国へ行きますが、待っていると聞い 〔中ノ舞〕 松風は舞を舞った後、松が行平であるか たならすぐにでも帰ってきましよう。 のように、そのそばに寄り添う。 , 一ノ松から〔中ノ舞〕を舞う演出も シテ气〈ワカ〉因幡の山の峰に生ふる、待っとし聞かば、今帰 ある。三ノ松からの場合もある。 謡「立ち別れて : ・ マ《戯之舞銈れ》の場合、〔中ノ舞〕の り来ん ( 上ゲ扇をする ) 。 松風は〔中ノ舞〕を舞う。 終りに松ノ立木に寄って、短冊を手 に取り、「立ち別れ、因幡の山の」と とほやままっ 松風「『立ち別れ、因幡の山の峰に生ふる、 謡う。〔破ノ舞〕は省かれる。 シテ气それは因幡の、遠山松、 待っとし聞かば今帰り来ん』と詠まれた、 ニ「往なば」と掛詞。今の鳥取県東部。 松風「それは遠い因幡の山の松のこと。 三「松」と掛詞。 地謡これはなっかし、君ここに ( 松ノ立木へ寄る ) 、須磨の浦曲 四「 ( 君ここに ) 住む」と掛詞。 地謡「これはなっかしい、君がここに住ま ゆきひら こかげ ( 松風 ) = 「待っ」の意を含む。「雪」に音が通の、松の行平 ( あたりを見まわす ) 、立ち帰り来ば、われも木蔭れた須磨の浦の松、わたくしの待つ行平 する「行平」の序ともなる。 が帰ってくるのなら、わたくしもこの木 六風で枝のなびいた磯辺の松。松に 象徴される行平になれ親しむ意を含 に ( まわ 0 て大小前に行く ) 、いざ立ち寄りて ( 松ノ立木〈寄る ) 、磯陰に立ち寄「て、なれ親しむことにしょ む。参考「須磨の浦や渚にたてる磯なれまっ う、この松のなっかしいこと。 馴松の ( 松を抱く ) 、なっかしゃ ( 大小前へ下がってシオリをする ) 。 馴松しづ枝は波の打たぬ日ぞなき」 ( 続後拾遺・物名源俊頼 ) 。 松風は〔破ノ舞〕を舞う。 ・んこう・ 〔破ノ舞〕 「磯馴松の」と左袖を返して松ノ立 松風と村雨とはあらためて僧に回向を頼 木に見入る演出もある。 み、姿を消したが、これらのことは実は , 《見留》の場合は、一ノ松で扇を 地謡に合わせて舞い、ワキに別れを告げ、常座で留める。 かざして松ノ立木を望み見て〔破ノ 僧の夢の中のことであった。島の鳴く音 きゃう 舞〕を留める。 とともに夜が明けてみれば、松に音を立 地謡气松に吹き来る、風も狂じて ( 招キ扇をして中央へ出る ) 、須磨 七原義は、あなたを見、またあなた てて風が吹いていた。 まうシふ に見られゑの意であるが、姿を見の高波、激しき夜すがら ( 見まわす ) 、妄執の夢に、見見ゆる せるという程度の意味で用いられて 謡「松に吹き来る風も狂おしく、須磨の たま なり ( 右まわりにまわ「てワキ〈向く ) 、わが跡弔ひて、賜び給へ高波も激しく音を立てる夜一夜、妄執の ^ 「 ( 暇申して ) 帰る」と「帰る波」とを いとま おと 掛けた。 ために夢の中で姿を見せたのである、ど ( 膝をついてワキへ合掌 ) 、暇申して ( 立 3 、帰る波の音の ( 足拍子 九「 ( 波の音の ) する」と掛詞。 うかわたくしの跡を弔ってくださいませ、 うしろ 一 0 「おはしますうしろの山に、柴と お暇申して帰ります、と言ったあとは、 を踏む ) 、須磨の浦かけて ( 脇正面へ行く ) 、吹くや後の山おろし いふ物ふすぶるなりけり」 ( 源氏・須 波の音がして、須磨の浦一帯にうしろの せきぢ こゑごゑ = 鶏の異称。須磨には関所があっ ( 月ノ扇をして笛柱のほうを見あげる ) 、関路の鳥も ~ 尸々に ( 大小前へ 山から山おろしが吹き、関のあたりの鳥 こ はげ お 四 うらわ

2. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

かすみ ツレは一ノ松、シテは三ノ松に立ち、向かいあって〈一セイ〉 姥「寄せる波は磯辺の霞に隠れ、 すぎうき さらえ みちひ を謡う。ツレは右肩に杉箒、シテは右肩に竹杷 ( 熊手 ) を担げる。 老人「波の音が潮の満干を知らせてくれるこ 続いて〔アシライ〕の囃子で、ツレは中央、シテは常座に行き、 とだ。 〈サシ〉以下を謡う。〈上歌〉の終りに、シテは中央へ、ツレは すみ 九「高砂の松」「高砂の尾上の鐘」は 老人「いったいだれを知り人としようそ。こ 角へ謡いながら行く。 ともに高砂の景物。↓注一一・五九ハー の年を経た高砂の松も、わたくしにとっ 注一一 0 。「春風」「暮れて」で、季節・ て昔からの友ではないのであって、 〔真ノ一声〕 時刻を示す。「尾」は山の頂きの稜線 老人「過ぎてきた年月はもはやわからぬくら の意。 ノテ气〈一セイ〉高砂の、松の春風吹き暮れて、尾上の鐘も、 一 0 「波」「磯」で海辺を示し、春の霞ツレ い久しく積み重なり、頭には雪のような のたちこめた中に波の音のみ断続し 白いものが積もり積もって老人となり、 ありあけ て聞こえる光景を描き出す。 響くなり。 老鶴のねぐらに残る暁方、空には有明の = 「誰をかも知る人にせん高砂の松 一 0 かすみいそ 月の残る春の霜夜に起きたときにも、松 も昔の友ならなくに」 ( 古今・雑上藤ツレ波は霞の磯がくれ、 原興風 ) を引用して、自らの長寿の おと しほ 吹く風をのみ聞きなれる境遇。ほかに話 シテ 述懐とする。 ~ \ 音こそ潮の、満干なれ。〔アシライ〕 ( シテは竹杷を肩より下 相手もなく、わが心を友として、思いを 三「 ( 世々は ) 知らす」と掛詞。「白 述べるばかりである。 雪」を白髪のたとえとして、次に続 ろし右手に持っ ) ける。 老人「訪れるものは、松に吹いて音立てる浦 たれ 一三上句を「老」で受ける。「鶴」は シテ〈サシ〉誰をかも知る人にせん高砂の、松も昔の友なら風ばかり。松の落葉のふりかかる衣の袖 「白」と連想が通う。参考「高砂の松 ほうぎ のねぐらや折れぬらん雪の夜鶴の浦 を添えて箒を持ち、木陰の塵を掻こうよ、 に鳴くなる」 ( 壬二集藤原家隆 ) 。 木陰の松の落葉を掃こうよ。 一四「 ( ねぐらに ) 残る」「残る ( 有明の 老人「ここは高砂、ここ高砂の尾上の松も年 月 ) 」と上下に掛かる。 ( 向かいあって ) 過ぎ来し世々は白雪の、積り積りて老の鶴姥 を経て、老木となったことだ。この老松 一五「 ( 心を友と ) す」と掛詞。「延ぶ しもよ まっか・せ 一四ありあけ を」の縁語で、「述ぶる」の序となる。 の下陰の落葉を掻くわれらも寄る年波、 の、ねぐらに残る有明の、春の霜夜の起居にも、松風をの 「菅筵」自体は意味をもたない。前後 このようになるまで命ながらえて、これ すがむしろ の句をなめらかにつなぐためのもの。 み聞き馴れて、心を友と菅筵の、思ひを述ぶるばかりなり。 からさきいつまで生きることだろうか。 一六「待っ」を掛けていると考えられ - 」し」と おちばごろもそで そういえば『生きの松』というのも、こ る。待っていても、訪れるものは松シテ レ〈下歌〉おとづれは、松に言問ふ浦風の、落葉衣の袖添 吹く風ばかり、の意。 の高砂の松同様、年久しい名所である、 こかげちり 一七風によって松葉が落ち、衣にふ これまた古くから名高い松である。 へて、木蔭の塵を掻かうよ、木蔭の塵を掻かうよ。 りかかる、その松葉のふりかかった 神主が問いかけて問答になり、相生の松 とし 袖を箒の柄にさし添えて、の意。 のいわれが述べられ、御代をことほぐこ 入「高砂の松」の木陰。 冖〈上歌〉所は高砂の、所は高砂の、尾上の松も年ふりて、 五五 砂 シテ で、 ちひ こ しらゆ、 おきゐ の をのヘ あかつぎがた そで

3. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

あかっき 地謡「明け方にかけて霜は置くけれども、 地謡气暁かけて ( 立っ ) 、霜は置けども松が枝の、葉色は同じ ( 老人 ) おちば 松の葉色は変わらず深緑。朝夕木陰に立 ふかみどり っこう 深緑 ( 正面〈出る ) 、立ち寄る蔭の朝夕に、掻けども落葉の尽ち寄り、落葉を掻くけれども、 に落葉の尽きないのは、いやまことに、 一「松の葉の散り失せすして、真折きせぬは ( 落葉を掻き寄せて見入る ) 、まことなり松の葉の、散 のかづら長く伝はり」 ( 古今・仮名 古今の序にいうように、『松の葉の散り 三※ かづら 序 ) を引く。 り失せずして色はなほ、まさきの葛永き世の、たとへなり失せず、色はなおまさる』として、まさ かずら ニ「 ( 色はなほ ) 増さる」と掛詞。「永 きの葛とともに、永き世のたとえとされ ときわぎ き」の序。 ける常物木の、なかにも名は高砂の、末代の例にも、相 た常磐木だから当然のこと。その松の中 三※下掛系は「たとへなりけり」。 セ※ 四「 ( 名は高 ) し」と掛詞。 でも名高い高砂の松、末代までの佳例と の松そめでたき ( 中央でワキへ向いて着座する ) 。 五「 ( 高砂の ) 松」と掛詞。 もされる相生の松はめでたいことだ。 さらえ 六「 ( 例にも ) 逢ひ」と掛詞。 後見が出て、シテの水衣の肩を下ろし、竹杷をかたづける。シ 七※下掛系は「蔭ぞ久しき」。 神主の問いに答えて老人夫婦は、実は高 テは扇を持つ。〈ロンギ〉となり、やがてシテは立ち、舟に乗っ ^ ※下掛系は「名にし負ふ松が枝の」。 砂住の江の相生の松の精であることをあ 繰返しも同じ。 て住吉へ行く態で常座へ行き、中入する。続いてツレも入る。 かし、住吉で待とうと言って消え失せる。 九※下掛系は「神ここに相生の」。 八※ 一 0 『太平記』巻十六紀朝雄の歌「草 地謡气〈ロンギ〉げに名を得たる松が枝の、げに名を得たる松地「いやまことに名木の名を得た松、ま も木もわが大君の国なればいづくか 鬼のすみかなるべき」に基づく。な ことに名高いこの松、その老いたる松同 お、他の謡曲における引用でも、初が枝の、老木の昔あらはして、その名を名のり給へや。 様に年を経たあなたがたの本体をあらわ 句は「土も木も」となっている場合が 多い / テ气今は何をかつつむべき。これは高砂住の江の、相生のして、その名をお名のりなさいませ。 老人「今は何を隠そうぞ。わたくしどもは高 = 「 ( 君が代に ) 住み良し」と掛詞。 きた 松の精、夫婦と現じ来りたり。 砂住の江の相生の松の精、夫婦の姿であ きどく などころ らわれ来たのである。 地謡 地謡气ふしぎやさては名所の、松の奇特をあらはして、 ( 神主 ) 「ふしぎなこと、さては名所の松の精 さうもく が奇瑞を示して出現したのか。 ' 冖气草木心なけれども、 全 老人「そのとおり、草木は無心だけれども、 大 地謡「ありがたい御代なので、 嘆地謡かしこき代とて、 ( 老人・姥 ) 楽 老人 姥「土も木も、 舞シテ レ气土も木も、 地謡「すべてわが大君の国の中のもの ( 老人・姥 ) おほきみ だから、いつまでもこの住みよい君の御 地謡气わが大君の国なれば、いつまでも君が代に、住吉にま 謡曲集 松ノ立木 ふうふ よ あさイふ 五 はいろ 九※ おおきみ

4. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 したかげ 一年をとって顔による皺おことを老の波も寄り来るや、木の下蔭の落葉かく、なるまで命な たとえていう。「も」の語で、「浦の 神主「里人を待っていたところ、老人夫婦が 四※ めいしょ 波ばかりでなく」の余意を含ませて がらへて、なほいつまでか生きの松、それも久しき名所かやって来た。 ( 老人に向か 0 て ) もうし、そ いる。なお、直接には松についての すみ ことだが、以下の叙述と合わせ考え こにおいでのご老人に尋ねなければなら な、それも久しき名所かな ( ツレは常座で杉箒を後見に渡して角へ れば、わが身の老をも示す表現にな ないことがあります。 っている。 行く ) 老人「わたくしのことですか、何事でありま 十風物によそえて、それと一体にな すそ。 った形で感懐を述べるのは、謡曲の ワキは脇座に立ち、シテ・ツレに問いかけて問答となる。掛合 得意とするところである。 神主「高砂の松とはどの木を申しますか。 いの謡があって、地謡となると、ツレは地謡座前へ行き着座す ニ「 ( 落葉 ) 掻く」と「かくなるまで」と 老人「ただいまわたくしが木陰を清めており 掛司。 る。ワキも着座する。シテは地謡に合わせて舞台をまわる。 三「 ( なほいつまでか ) 生きん」と掛詞。 ますのが、すなわち高砂の松であります。 さとびとあひま らうじん きた 福岡市姪ノ浜の西から博多湾岸に沿ワキ「里人を相待っところに、老人夫婦来れり。 ( シテヘ向き ) い 神主「高砂住の江の松に、『相生の松』と すみよし うて連なる。 う名がある。ここ高砂と住吉とは国を隔 四※下掛系は「久しきためしかな」。 かにこれなる老人に尋ぬべき事の候。 繰返しも同じ。 てた土地であるのに、どうして『相生の 脇能の前ツレが何かを持って登場 松』と申すのでありますか。 シテ「こなたの事にて候ふか、何事にて候ふぞ。 した場合、〈上歌〉の終りで角へ行く 老人「おっしやるとおり、古今集の序に、『高 ときに常座で後見に渡し、扇を持っ ワキ「高砂の松とはいづれの木を申し候ふそ。 砂住の江の松も相生のやうに覚え』とあ のが一般的演出である。 五「いかに」は呼びかけの言葉。「こ る。それはともかく、この老人はあの津 れなる : ・」は、目前にいる者に向か シテ「ただいま木蔭を清め候ふこそ高砂の松にて候へ。 の国住吉の者、ここにいるが当地の人 っていう言い方。 すみえ あひおひ たうしょすみよし である。 ( 姥に向かって ) 知っていることが 六大阪府住吉区のあたりにあった入ワキ「高砂住の江の松に相生の名あり。当所と住吉とは国を隔 あるなら、申しあげなさい。 江。「住の江」「住吉」は同義に用い 神主「ふしぎなこと、見るとこの老人夫婦は られているようであるが、平安時代てたるに、何とて相生の松とは申し候ふそ。 における用いられ方は、前者は、住 おほ 一所にいるのに、遠く浦や山や国を隔て 吉の浜のあたりにあ 0 た入江の意、シテ「仰せのごとく古今の序に、高砂住の江の松も、相生の て、住の江と高砂とに住んでいるという。 後者は、より広い地帯をさす地名で、 九 じよう 「住吉の」は社・浜・岸・里に冠せら これはいったいどういうことかしら。 ゃうに覚えとありさりながら、この尉はあの津の国住吉の れる。 姥「なさけないことをおっしゃいますこと。 さんせんばんり 七高砂をさす。 〈ここでは、それほど強い意味をも者、 ( ツレ〈向き ) これなる姥こそ当所の人なれ。知ることあ山川万里を隔てて住むけれども、夫婦と たない。それはともかく。 一一たま して互いに通う心づかいがあって、妹背 九老人の意。 らば申さ給へ。 の道は決して遠くはないのだ。 0 なに こ すみえ いもせ

5. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

謡曲集 アイ「これは思ひも寄らぬ事を御諚候ふものかな。われらも当浦に住まひ仕り候へども、さやうの事は上 ごさた っ方に御沙汰ある御事なれば詳しくは存ぜず候さりながら、当浦の者と召し出だされ、存ぜぬと申す もいかがに候へば、およそ承り及びたる通り、物語り申上げうずるにて候。 ワキ「やがて語られ候へ。 アイ「 ( 正面を向く ) 〈語リ〉まづ当浦において高砂の松と申すは、とりわけこれなる松を申しならはし候。 こきんシふ また相生と申す子細は、古今集の序に、高砂住の江の松も、相生のやうにおぼえと記し置かれたると とぎはぎ 申す。諸木多き中に、松は常磐木にて、栄え久しきものなれば、和歌の道栄ゆる事も、この高砂住の みやうじん 江の、松の葉のごとくなるべき事を、たとへ置かれたると申す。また一説冫。 こよ、当社と住吉の明神と ′」やう・から・ は、夫婦の御神にてござあると申す。さあるによって当社明神、住吉へ御影向の御時は、これなる松 にて神がたらひをなさるると申す。また住吉の明神、当社へ御影向の御時も、これなる松にて神がた あ らひをなされ、昔より今に至るまで、幾久しく逢ひ来り給ふにより、相生の松と、これはこの所にお いッたいふん いて、われらごときの者の申しならはしたる事にてござありげに候。総じて当社と住吉とは、一体分 1 ) しんとく 身の御神にて、和歌の道栄ゆく事も、また男女夫婦の末栄えめでたき事も、ひとへに両社の御神徳な いさ 1 」 ちり ると申す。和歌の言葉にも、砂長じてとなり、塵積りて山となる、浜の真砂は尽くるとも、詠む言 の葉は尽きまじいなどと、このごとく承りては候へども、真実の相生と申す事は存ぜず候。松のめで たきと申す子細は、一寸延ぶれば色とこしなへにして、定千年万年の齢を保ち、松に上こしめでたき りゃうしん ごジふろく ものはあるまじいとて、両神もろとも植ゑ給ふにより、相植の松とも申し候。わがこの所をば五十六 億、七千万歳までも、守り給はうずるとの御事と、承り及びて候。 アイ「 ( ワキに向かう ) まづわれらの承りたるはかくのごとくにて候ふが、たたいまのお尋ね不審に存じ 0 ワキ「ねんごろに語られ候ふものかな。方々以前に老人夫婦来られ候ふほどに、高砂の松の子細尋ねて候 みぎは せうせん へば、ただいまのごとくねんごろに語り、住吉にて待たうずるよし申され、汀なる小船にとり乗り、 沖をさして出で給ふと見て姿を見失うて候ふよ。 ごんごだうだんきどく アイ「これは言語道断奇特なる事を御諚候ふものかな。さては某ただいま物語り申したるごとく、住吉の あひおひ かみ しょぼく まんざい おんがみ おんこと なか いッすん さか ごぢゃう なんによ ぢゃう あひうゑ それドし よはひ いッせつ

6. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一 0 この世。 = ※下掛系は「狂乱を」。 三※下掛系は「御立ちもさむらはぬ ものを」。 の歌をさす。 一五※下掛系は「忘れてさむらふぞ」。 一六「 ( 忘れす ) 待っ」と掛詞。 一七「松風」の縁語。 一 ^ 「村雨」の縁語。 まうシふ 娑婆にての妄執をなほ忘れ給はぬそや ( シテ・ツレは大小前に下松風「途への道の三瀬川には、涙の絶えな おんニ いつらい瀬もあり、また恋の思いの乱れ がる ) 。あれは松にてこそ候へ、行平は御入りもさぶらはぬ る淵もあるのだ。 松風「あらうれしいこと、あそこに行平がお ものを。 立ちになっていて、松風とお召しになっ ておりますこと。さあ参ろう。 一三※下掛系は「おろかの人の言ひ事シテ「うたての人の言ひ事や ( ツレヘ向く ) 、あの松こそは行平よ 村由「あさましいこと、そのようなお心だか ( 松ノ立木を見る ) 、气たとひしばしは別るるとも、待っとし聞 らこそ、この世への執着のための罪にも 一四三七四ハー一行目の、「立ち別れ」 つら お沈みなさるのである。この世でのいた かば帰り来んと、連ね給ひし言の葉はいかに ( ツレヘ向く ) 。 ずらな執着心をまだお忘れにならないの 一五※ ですね。あれは松であります、行平はい ツレげになう忘れてさぶらふそや、たとひしばしは別るる らっしやってもおりませんのに。 松風「なさけないことを言うね、あの松がす なわち行平よ。たといしばらくは別れて も、待っていると聞いたら帰ってこよう と、お詠みになったおことばをいったい どう思うの。 村雨「まことに忘れておりました。たといし ばらくは別れても、待っているなら帰っ て来ようとのおことばを、 松風「こちら松風は忘れないで、待っている、 帰って来ようというおたよりを。 村雨「そのおたよりをいよいよというときに は聞けるというのなら、村雨の袖がしば らくは濡れるにしても、待っていること にしましよう。 松風「待っているなら、心変りせずに帰って くる、というのなら、 松よ 風 松ノ立木 ( 舞楽蘂葉大全 ) シテこなたは忘れす松風の、立ち帰り来ん御おとづれ。 ツレつひにも聞かば村雨の、袖しばしこそ濡るるとも、 シテ待つに変らで帰り来ば、 ツレ气あら頼もしの、 シテ御歌や ( シテ・ツレはシオリをする ) 。 地謡のうちに、ツレはシオリをしながら地謡座前に行き着座す る。シテはツレと入れ違いに、同じくシオリをしながら橋がか りへ行き、一ノ松から舞台にもどって、〔中ノ舞〕を舞う。舞い 終わって常座で〈ワカ〉を謡い、上ゲ扇をし、地謡に合わせて 舞い、松ノ立木を抱く。続いて短い〔破ノ舞〕を舞い、大小前 で留める。〔破ノ舞〕の中で、シテは松ノ立木をまわる。 一 0 しやば ことは とも、待たば来んとの言の葉を、 おんヌた ・こと こ こ おんノ ム ふち みっせわ そで

7. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

三「越どと音が通ずるので、「関」の 縁語。 一三※下掛系は「村雨と聞きしを今朝 見れば」。 一四※下掛系は、この繰返しなし。 《見留》の場合は、「須磨の浦かけ て」で一ノ松へ行き、左袖を返して 松ノ立木を望み見て、「夜も明けて」 とシテは退場し、ワキが常座へ出て 留拍子を踏む。 松風 行く ) 、夢も跡なく夜も明けて ( 雲 / 扇をする ) 、村雨と聞きしも鳴きだし、夢はあとかたもなく消えて けさ 夜も明け、村雨の音かと聞いたのも、今 も今朝見れば ( 常座へ行ぎ正面を向く ) 、松風ばかりや残るらん、 朝になってみると松吹く風の音。松風の 一四※ 音ばかりが残ったのである、松吹く風の 松風ばかりや残るらん ( 左袖を返して留拍子を踏む ) 。 音ばかりがあとに残ったことであった。 一三※ 三七五

8. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

ふうふいッしょ ワキ气不思議や見れば老人の、夫婦一所にありながら、遠き老人「まず考えてもごらんなさい。 うらやまくに 人「高砂住の江の松は非情のもの、それで 住の江高砂の、浦山国を隔てて住むと、言ふはいかなる事さえも『相生』といわれているではない か。ましてこちらは生き身の人間であっ やらん。 て、長い年月生きてきて、住吉よりここ ざうら 高砂の姥のもとへ通いなれた老人。久し ツレうたての仰せ候ふや、山川万里を隔つれども、互ひに いもせ くなれ親しんでいるわたくしどもは、松 三夫婦の仲。「道」「遠からず」は、 通ふ心づかひの、妹背の道は遠からず。 とともにこの年まで、ともに生きともに いすれも「通ふ」の縁語。 老いて夫婦となっている。それになんの 一三喜怒哀楽の情をもつ人間 シテ「まづ案じても御覧ぜよ。 一四「相老」の意を含む。 ふしぎがあろうそ。 一 = 。下掛系は「松の物語、所に聞きシテ气 ( 向かいあ 0 て ) 高砂住の江の、松は非情の物だにも、相生神主「理由を聞くとなるほど面白いことだ。 置く謂れはなきか」。 さてさてさきほどお尋ねした『相生の しゃう 一六譬喩 2 の意。下掛系は「たとへな の名はあるそかし、ましてや生ある人として、年久しくも り」。 松』のこと、何かこの土地に言い伝えた じようンば 一七『毘沙門堂本古今集注』に、「実ハ 物語はないか。 高砂ト ( 上代也。聖武・平城等ノ代住吉より、通ひ馴れたる尉と姥は、松もろともにこの年ま 老人「昔の人の申したのは、これはめでたい ニ万葉集ヲ撰ラル、ヲ云也。スミノ 世のしるしであるということ。 、今世ニスミヲ ( スル延喜御で、相生の夫婦となるものを。 時、古今ヲ撰スル事、万葉ヲ撰スル 姥「すなわち、高砂というのは上代の、万 さき 時ニ相同シト云也。其ヲ相ヲヒトハ ワキ「謂れを聞けば面白や、さてさて先に聞えつる、相生の葉集の時代である昔のこと、 云也」とある。なお、『万葉集』は、 一五※ 老人「住吉と申すのは、今この御代を治めて えんぎ 「マンニョオシウ」と発音する。 松の物語を、所に言ひ置く謂れはなきか。 いらっしやる延喜の帝の時代のこと、 入延喜の帝の時代のこと。延喜は ためし 姥「松というのは永久に尽きぬ和歌の道の 醍醐天皇時代の年号で、醍醐天皇をシテ「昔の人の申ししは、これはめでたき世の例なり。 延喜の帝という。『古今集』は延喜五 意味で、 じゃうだい まんえふシふ ( 九〇五 ) 年に撰進された。 ツレ「高砂といふは上代の、万葉集のいにしへの義、 老人「その繁栄は昔の万葉集も今の古今集も 一九松というのは歌の言の葉が尽き えんぎ 同じであると、 ないという意味で。『古今集』仮名序 シテ「住吉と申すは、今この御代に住み給ふ延喜の御事、 に「松の葉の散り失せずして」とある 老人「よき御代をほめたたえるたとえなので のを引く。 ことは ある。 ツレ气松とは尽きぬ言の葉の、 ニ 0 和歌の道の繁栄は、万葉の昔も 神主「よくよく聞くとまことにありがたいこ 古今集の今も変りがないのだ。なお ここんあひおな 下掛系は「コキン」と発音する。 シテ「栄えは古今相同じと、 とだ。今こそ疑問がすっかりとけた。折 高砂 五七 一 0 摂津。今の大阪府のあたり。 = 「申させ給へ」の略。 さんせんばんり おんこと

9. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

梅と松とのことを述べ、天満天神の加護 人が笠を縫うときの様子に似ている 〔真ノ一声〕の難子で若い男の姿のツレと老翁の姿のシテとが として詠んだ「青柳を片糸によりて をたたえつつ、花盛りの梅に垣を作る。 登場し、ツレは一ノ松、シテは三ノ松に立ち、向かいあって すぎうきかた はながさ 鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠」 ( 古今・ 〈一セイ〉を謡う。シテは右肩に杉箒を担げる。続いて〔アシ 姥人「梅の花開く春にもなり、これを花笠と 神あそびの歌 ) に基づく。「笠」「来 うぐいす ライ〕の囃子で、ツレは中央、シテは常座に行き、〈サシ〉以 すみ ( 着 ) 」、「縫ふ」は縁語。三松は、 見るなら、それを縫うという鳥の鶯が、 こずえ 下を謡う。〈上歌〉の終りに、シテは中央へ、ツレは角へ謡い 千年目に花が開くとされる。それを 梢に飛び交うことだ。 ながら行く。 十度繰り返す長さ、すなわち万年の 男「松の葉も時を得て色あざやか、 寿。↓五九ハー注三。 とかえ ー ) よら・か 〔真ノ一声〕 一三「吹を逐ウテ潜 2 そニ開ク、芳菲ノ 男人「『松花の色十廻り』といわれているよ よわい 候ヲ待タズ。春ヲ迎へテ乍チ変ズ、 こずゑ ンめはながさ うに、万年の齢をもっ深い緑であること 将】 = 雨露ノ恩ヲ希ントス」 ( 和漢 ~ 冖气〈一セイ〉梅の花笠春も来て、縫ふてふ鳥の、梢かな。 よ。 朗詠集・立春紀淑望 ) を二句に分け 老人「春立っ風の跡を追って、春になるとす て引いた。上句は、梅の花が春のた ツレ气松の葉色も時めきて、 けなわになるのを待たすに、春風の ぐ、他の花にさきがけてひそやかに梅は か′」まっ とかへ 立つに従ってひそかに開く意。下句シテ 咲き、年ごとに葉守の神となる松を門松 气十廻り深ぎ、緑かな。〔アシライ〕三人は舞台に入る ) は、冬枯れの状態から春を迎えてた としている門に、 一四はもり ちまちに色を変えて、雨露の恵みを 受けようとするの意。 シテ气〈サシ〉風を逐ってひそかに開く、年の葉守の松の戸に、老人「春を迎えては、たちまちに四方の草木 くさき うるほ 一四「年の端」 ( 毎年 ) と「葉守の松」 ( 松 まで雨露の恵みに浴し、万物が神徳にな シテ ( 向かいあ。て ) 春を迎へてたちまちに、潤ふ四方の草木ま を樹木の守護神である「葉守の神」に びくかと思われるように、一面に春らし 見たてた ) と「松の戸」 ( 門松を飾って ある門 ) とを重ねた。 くなってきたことだ。 で、神の恵みに靡くかと、春めきわたる盛りかな。 みやでら 一五※下掛系は「靡くやと」。一六神仏 みやでら 老人「お参りするこの宮寺の、光は隠れなく、 混淆の寺社。安楽寺は太宰府天満宮シテ气〈下歌〉歩みを運ぶ宮寺の、光のどけき春の日に、 折しも今は光のどかな春の日。 と一体であった。一七「敷く」の縁語 こけむしろ として、「敷島」の序。入和歌の道。シテ 男人「松の根が岩の間に延び、あたり一面は こけむしろ ノレ气〈上歌〉松が根の、岩間を伝ふ苔筵、岩間を伝ふ苔筵、 天満天神 ( 菅原道真 ) は人丸・赤人と 苔の筵、岩間に敷かれた苔筵が続くばか 一九 しきしま すゑ あまぎ ふるえ ともに和歌一二神の一。 一九安楽寺の りか、和歌の道までも末長く続くのは、 敷島の道までも、げに末ありやこの山の、天霧る雪の古枝 山号を天原山という。それで、「天 天満天神の加護があるからもっともなこ 霧る」へ続く。参考「梅の花それとも たを 見えず久方のあまぎる雪のなべて降をも、なほ惜しまるる花盛り、手折りやすると守る梅の、 と。したがってこの山の梅は、空一面を れれば」 ( 古今・冬、この歌「ある人の ーなカき 曇らせて降る雪のころの古枝の花さえも いはく、柿本人麿が歌なり」と左註花垣いざや囲はん、梅の花垣を囲はん。 惜しまれ、ましてこの花盛りの枝を、だ あり。拾遺・春、に柿本人丸として れかが折り取るかも知れぬと、この梅を ワキは脇座に立ち、シテ・ツレに問いかけて問答となる。地謡 重出 ) 。ニ 0 「 ( 雪の ) 降る」と掛詞。 なお、下掛系は「古枝も」。 となると、ツレは地謡座前へ行き着座する。ワキも着座する。 守るために、さあ花を囲う垣を作ろう、 老松 九九 一五※ なび ンめ ンめ は

10. 日本古典文学全集(33)-謡曲集(1)

一〇四 みやでら 常座に立って〈ワカ〉を謡い、続いて地謡と掛合いつつ舞い 地謡「神に舞楽を奉納しているこの宮寺、そ 常座で留める。 の歌声も境内に満ち満ちている。なんと も言えずありがたいこと。 えだ 一若木の空にさし出ている枝。舞のシテ气〈ワカ〉さす枝の ( 上ゲ扇をする ) 、 老松の神は〔真ノ序ノ舞〕を舞う。 さす手 ( 前へさし出す手 ) の意を含む。 そで こずゑわかき 松も梅も天満天神の神託を伝えて、君の ニ梅をさす。「紅梅殿」が舞えば、「花地謡气さす枝の、梢は若木の、花の袖。 長命を祝い、御代の永遠をことほぐ。 の袖」がふさわしい表現となる。 かみまっ 老松「舞のさす手のように空にさし出ている 三「若木」に対する。 シテ气これは老木の、神松の、 四「わが君は千代に八千代にさざれ 枝の、 、地謡「さし出ている枝の、梢は若木。その若 石の巌となりて苔のむすまで」 ( 古地謡气これは老木の、神松の、千代に八千代に、さざれ石の 今・賀読人知らず。和漢朗詠集・ 若しい梅の木は、花のような袖をひるが こけ 祝にも採られている ) に基づく。 巌となりて ( 雲ノ扇をしながら、右膝をついて見あげる ) 、苔のむすえして舞うのである。 老松「こちらは老木の神松。 まで ( 立っ ) 、 地謡「こちらは老木の神松、その松の緑は千 五いずれも長寿のたとえに引かれる まったけつるかめ もの。 年。千代に八千代にさざれ石の、巌とな シテ气苔のむすまで松竹、鶴亀の、 六天満天神の神託。 りて苔のむすまで、 松も梅も ( 主として松によ 0 てな地謡气齢を授くる、この君の ( 正面先〈出て、両袖を巻きあげる ) 、行老松「苔のむすまでの、とことわの寿命。松 されているが ) 、本社の神の神託を しんたく まっかぜンめ 竹や鶴亀の、 梅津の何某に知らせている、という 意に解される。 末守れと、わが神託の、告を知らする、松風も梅も、久し地謡「その永遠の齢を君にお授けし、この君 ^ 「松風」の「風」にはあまり意味がな の行末を、長くお守り申せとはわが神天 。「神松も梅も」でもよいところでき春こそ、めでたけれ ( 常座へまわって、左袖を返して留拍子を踏む ) 。 満天神のお告げであると、松吹く風によ ある。しいて言えば、松吹く風にこ とよせての意をも示そうとしたので せてお告げを知らせて、松も梅もともに、 あろう。 久しい春をことほぐ、この永遠の春はま ことにめでたいことである。 謡曲集 いはほ 六 こけ こずえ いわお