キングだったのは、ひとつにはーー中上さんにまた「お前はアホか」とあきれられるか もしれないけれど・ーーーそのときの僕には、そんなことで人が人を差別するという事実が よく呑み込めなかったからだ。でもただそれだけではない。僕にとってそれよりももっ とショッキングだったのは、この世界では人は誰でも、無自覚のうちに誰かに対する無 意識の加害者になりうるのだという、残酷で冷厳な事実だった。僕は今でも一人の作家 たとして、そのことを深く深く法、んている。 ら でも、そのときにみんなで結東して、僕とひとことも口をきいてくれなかったクラス え ての女の子たちのことを思いだすと、今でも少し胸が熱くなる。それが僕のこの、あまり し 思い出したくない重苦しい話のポジテイプな側面である。まわりを見回すと、多くの人 けんお が僕らの世代のことを批判し、嫌悪する傾向にあるようだ。団塊の世代の通ったあとに 堂 は草も生えないと言われる。たしかにそ、ついう部分もあるだろう。それは認める。でも 上僕らの世代は もし仮に世の中に良い世代や悪い世代なんてものがあったとしても みんなが一言、つほど悪い世代じゃなかったと僕は思っている。 310 の おび
うさぎ んでしまうことになる。白い兎と黒い猿がジョニ ・テイロットソンの「キューティ ハイーを歌いながら春の野原を駆けめぐっているのどかな夢の世界へと のどかなんだかよくわからないけど いざなわれて、僕に会いたがっているという綺 麗な女の子とは無縁のままに終わってしまう。 しかしもし仮に水丸さんの一一一口、つことがほんと、つだとしても、誘われるがままにほいほ い女の子と会ったりしたら、これはきっとただでは済まないだろうなという気がしない れ ではない。 もうかれこれ十年くらい前のことだが、僕は水丸さんに、当時青山にあった え て訳のわからない無茶苦茶ワイルドなクラブに連れて行かれたことがある。そこには綺麗 にな元気のいいお姉さんたちがいつばいいて、みんなでお酒を飲んで、明日の朝には世界 が終わる「たいな感じで、わあわあと楽しく騒いでいた。「い 0 たい何なんだ、ここ 堂 は ? と田 5 っておそるおそるビールを飲んでいたら、女の子の一人が僕に「ねえダンス と回避していると、 上しましよ、」と言ったので、「いや、僕はそういうのちょっと : 水丸さんが厳しい顔で、「あのさ、村上くん、そういうのは気持ちよく踊ってあげるの こほんというので、 か礼儀と、うものなんだよ。女の子に恥をかかせちゃいけない。 そのころはまだ僕も若かったし、世間の布さというものをよく知らなかったし、「そう か、それが礼儀というものなのかーと思ってちょっとっきあったのだけれど、しばらく してから青山近辺で「村上はああ見えて、女の子と濃厚なチークダンスをするのが趣味
「裸で家事をする主婦は正しいか」「字宙人に 村上朝日堂は 村上春樹 囲年代の日本を 知られたくない一一一一口葉とは ? 安西水丸著 いかにして鍛えられたか綴 0 て川年。「村上朝日堂」最新作 /. 「今に見ちよれ」。薩摩の貧乏郷士、中村半次郎 は、西郷と運命的に出遇った。激動の時代を 池波正太郎著人斬り半次郎 ( 幕末編・賊将編 ) 己れの剣を頼りに駆け抜けた一快男児の半生。 ノーテンキ大国・ニッポンを見限って、世界 ビートたけし著私は世界で嫌われるに跳んだビートたけしと北野カントク。その 最 「振り子理論」を大公開 / シリーズ第四弾。 庫 欲望の街・新宿がこれほど熱く描かれたこと 。山本周五郎賞作家の、 文梁石日著夜の河を渡れがあ。ただろうかーー 手に汗握る暗黒長編エンターティンメント。 虚妄や禁忌は残らすブッとばし、微温的甘ち 福田和也著人でなし稼木やん世相を一刀両断ーー・。超過激毒舌辻説法、 文庫化にあたり全篇「人でなし。を大増量ツ。 これまで誰も書けなかった「天皇小説に、 見沢知廉著天白王」っこ右翼も左翼も呆然騒然。大反響を巻き起こし 新日本文学賞受賞た問題作が、大幅加筆を経てついに文庫化
レジで二万円からお預かりします , と言われるのも耳障りで、文法的にでたらめで、 不愉央だからやめてほしいという投書もいくつかあった。そう言われてみると、そうい う言い方をする人も少なからず世間にいる。たしかに耳障りだ。 また、たとえば飲食店で肉じゃがを注文して、ウェイトレスが肉じゃがを持ってきて、 「お待たせしました。肉じゃがになります」と一言うのもやめろという人もいた。そんな ことを言われると、「じゃあ、お前肉じゃがになってみろよ」と思わすつつこみたくな 五ロ 一『るのだそうだ。その気持ちは非常によくわかる。 ンでもほんと、つにウェイトレスがそのまますっと肉じゃがになってしまったりしたら、 て これはまさにカフカかュアグローの世界だな。情景的にはすごく面白そうだけれど、し そ かしそれを「いただきます、といって食べられるかというと、ちょっと気分的に食べら 五ロ ( 巻末に後日付記がついています ) れないですね。 305 ( ・噂の心臓ォズモンズの古いクリスマス・アルバムのピアノは、ドン・ランデ イだったんですね。すいぶんマイナーな話題ですが。
で、一カ月に一度くらい、ご主人が出張なさったときなんか、家を閉め切って全裸にな って家事やらなにやらをしてると、すっとリフレッシュするんだそうです。またひょっ としてお隣の二階から誰かがこっそりのぞいているんじゃないかしらと思うと、ぞくぞ くした央感を体に感じるんだそ、つです。でもね、これはちょっとアブナイんじゃないで すかね。べつに個人の自由だから、アブナクたっていいんだけどさ、わんわん。 それからニッポン放送の「玉置宏の笑顔でこんにちは」という番組でやはり数年前に れ 裸で家事をする問題が取り上げられて、多数の全裸家事主婦が世間にひそかに存在する てことが明らかになったという情報を、新宿区の荒井さんが寄せてくださいました。あり がとうございます。しかしなんだかまるで隠れキリシタンみたいですね。僕は知らず知 らす、おそろしい世界に足を踏み入れてしまったのかもしれない。 堂 ところで全国全裸家事主婦の共通の敵は「カンコーン . と突然やってくる宅配便でし 上た。そうですね、すぐに服は着られないものね。
ではあるまいか。「あ、うちのお父さんがこんなところに / 」なんてことになったので はあるまいか。週刊誌の記者にはたとえ世間話とはいえ、うかつなことをしゃべっては いけないのだと、僕はそのときに身をもって学んだ。 とはい 0 ても、今度もし久宏にそ 0 くりのホームレスおじさんを大磯の海岸で見か けたりしたら、また「ねえねえ、知ってますか、実はですね : と担当者に電話をか たけちゃいそうな気がしないでもない。でも久米宏にそっくりのホームレスよりは、やっ らばり筑紫哲也にそっくりのホームレスの方がずっとリアリティーがあるような気がする てな、べつにどうでもいいようなことだけれど ( ぶつぶつ ) 。 連載をしていた十年前のことで、あと今でもよく覚えているのは、家を建てようと思 堂 って、ある大手都市銀行に住宅ローンを借りにいったらすげなく断られたことである。 ードホイルド・ワ 上たしかそれは『羊をめぐる冒険』を出版したあと、『世界の終りとハ ンダーランド』を書き上げる前のことだったと記憶している。まあ名前も少し出てきた し、定期収入もそこそこあったし、そんなに高額のローンでもなかったし、問題なく借 りられるだろうと予想していたので、担当者にあっさりと冷たく断られてびつくりして しまった。それで「いったいどうして駄目なんですか ? 」と理由を訊いてみた。すると 担当者は打ち明けるように、「あのですね、このあいだ * * * ( 某テレビ番組 ) を見て おおいそ
僕はなるべく世間の ( あるいは特定の ) 女性の怒りをかわないようにと、それだけを 心がけて、スナネズミのようにおずおずと小心に暮らしている人間なので、「だから女 性の方が男性より頻繁に他人の悪口を一一一一口うみたいだ」というような安易な差別的結論は 死んでも口にしない。男だって、人によってはよく他人の悪口を言う。そうですね ? でも一般的に言って、男の場合は「悪口」というよりはむしろ「愚痴」みたいなのが多 いや、いや、やはり一般 たいような気がする。それに比べて女の人の場合は総じて : ら咄はやめよ、つ て その話を聞いたときに僕ははっと思ったのだけれど、もし文壇 ( あるいは文芸ジャー ナリズム関連世界 ) に褒められるべき点があるとすれば、それは「そこでは人々は男女 堂 の区別なく悪口を一一一一口う」ということですね。そういう意味では、あそこには性差別みた というか、要するにそのも 社いなのはまったくない。平等である。偉い、素晴らしい のまるごとが女性用更衣室みたいな感じなだけなんだけどさ。 僕が昔経営していた酒場には、どういうわけか文学関係の客が多くて、作家とか編集 者とか評論家とか、いろんな人が来た。それで僕がそのときにまず最初に思ったのは、 「この業界の人々は本当によくひとの悪口を一言うなあーということだった。この業界に いるから亜口を一言、つよ、つになるのか、あるいはもともと悪口を一一一口、つのが好きなひとがこ 292
場所次第でころころ発一言内容を変えた。またその悪口が辛辣で、具体的で、とにかくし 」い。だからいわゆる文壇バ ーには夜が更けてきても「帰るに帰れない」という人が ーししる。帰っちゃうとそのあと何を言われるかわからないからだ。「これはす ) 」 い世界なんだな」とそのときつくづく感心した。そんな世界に将来自分が入っていくこ とになるなんて想像もしなかった。 さ でもふとしたきっかけでその後小説を書くようになり、やがて店をやめて職業的作家 下 で になった。それからもう十五年くらいになるが、今思えばカウンターの中から世界を眺 わめていた七年間の体験は、作家としての僕にとって、何ものにもかえられない貴重な財 を 産になった。僕はそこからいろんな教訓を頭ではなく、体でみっちりと学びとることに なった。「下手に褒められるよりは、悪口を言われているくらいがちょうどいいんだ」 人 馳というのがその教訓のひとつである。批判されたり悪口を言われたりするのはもちろん あざむ 室 面白いことではない。でも少なくとも、欺かれてはいない。 衣 ) . 噂の心臓それはそうと文庫本についている「エール交換」風の解説って、最 近ちょっと、つるさいと思いませんか ? 295 しんらっ
こ一丁って、そ どこか世界の果てにあるはずの、文科系の国の、文科系の町だか村だかー彳 こで男子用生殖器をひとそろいもったまま、なおかっ静かな暮らしを送りたいものだと 思う。それが僕のささやかな夢である。 ( 作者註 ) といいながらも、村上朝日堂はこのあとホームページを開設し、どんどん電脳化して いど、ことになります・。原理はよくわからないけど、けっこ、つ使、んちゃ、つとい、つのかイン 系 科ターネットの良さであり、不気味さですね。 ただ僕は思うのだけれど、これからの世界は①他人がプログラムしたソフトを自由に 系 駆使して仕事をしたり遊んだりする人と、②そのプログラムをせっせとやらされる人、 文 という二種類に分類されていくのではないだろうか ? これはかなり暗い近未来像だけ れど。 169 ) ・噂の心臓村上は昔タイの人に「あなたタイ人でしよう。隠してもわかります よ」と言われたけど、隠してないったら、ほんとに。
結局僕はその本を書かなかった。その悲惨な事故のあとでは、走ることについて何も 書きたくなくなってしまったからだ。かわりに毎日黙って外苑を走っていた。それから しばらくは、たとえ台風が来ても休まずに、雨風の中を走っていた。鹿みたいだけれ ど、なんとなく気持ちとしてそうせずにはいられなかった。 今年もオリンピックの男女マラソンで、日本中が盛り上がった。僕もやはりテレビで うれ 見た。もちろん日本の選手が勝ってくれれば嬉しいし、負ければ残念に思う。でもメダ れ らルがどうこうというのは、正直に言って僕にはそれほど興味がない。結果としてのかた でちはもちろんとても大事なものだけれど、我々が生きていくことをほんとうに助けてく れるのは、何かもっとべつのものだ。そう思う。だって永遠に勝ち続けることのできる 人間なんて、この世界に一人もいないのだから。 堂 アトランタの道沿いで景気良く日の丸の旗が打ち振られるのを見ながら、僕の心はふ 社とテレビの画面を離れ、そこには決して映し出されることのない、果たされなかったも のたちの世界の方へとうつろって行く。 240