とが許されるだろうとわかっていたなら、私の国は東京裁判に参加することに同意しなかったと 確信いたします」 ウェップ裁判長は、よほど立腹したとみえ、その夜、第一生命ビルにマッカーサー元帥を訪ね、 不満を披露した。 「閣下、裁判は国際正義と公平の場であって、ゲーム場ではないはずです。然るに、被告側はそ の立場を忘れて、とかく法廷ならびに判事にたいする敬意を失う言動をしております。しかも、 貴軍の機関紙まで、この下品なゲームの仲間入りをしている事態は、真に遺憾と思います」 マッカーサー元帥は、むつつりとウェップ裁判長の話に耳をかたむけていたが、「法廷では、 貴下が ( 総司令官 ) だ、なんでもできるはずだ」と、述べた。 ウェップ裁判長は、のちに、このときの元帥の激励はじつに好ましかった、じつは場合によっ ては辞職さえ考えていた、と回想するが、マッカーサー元帥の言葉に、息を吹きかえした。 「イエス、サー。裁判は必ず年内に : : : 終えてごらんにいれます」とウェップ裁判長はひときわ 高く声はりあげ、マッカ 1 サー元帥に軽く手をふって、部屋を出て行った。 午後八時ごろ、 巣鴨では、夕食後のひととき、重光元外相はのびたツメをコンクリート 壁ですりへらし、松井 大将は慣例の観音経の読経にはげんでいた。梅雨のはしりらしく、窓外に細雨が流れ、大将のさ びた声も、しめって聞えた。
ほかの総司令部、検事団関係者も、死亡または居所不明者が多く、取材は範囲を限られざるを 得なかった。 しかし、オーストラリア・・フリスペーン市で裁判長サー・・・ウェップにインタビューす ることができ、さらに資料の提供をうけたことは、裁判の背景と当時の主務者の考えを理解する うえできわめて貴重であった。 ウェップ裁判長の取材は、軽いスリルを含んでいた。最初、東京で調べたときは、もはや生存 していまいという話が多く、ようやく存命とわかっても、居所が判明せず、メルポルンだ、シド ニーだ、はては西の砂漠の町だとか、いろいろな情報が流れこんだ。しかも、この砂漠の町とい う報せが意外に確度が高く、おかげで一時は真剣に砂漠横断のための服装、装備品の手配を考え たほどであった。 それだけに、はっきりと・フリスペーン市に隠退しているとわかり、しかもわが領事館からの求 めに応じて、ステッキをついて領事公邸に現われたウェップ裁判長に接したときは、見お・ほえが あるだけに、感銘が深かった。 また、オーストラリア、米国で快く取材に応じていただいた次の方がたによって、さらに裁判 の実相に近づくことができたのは、幸いであった。 ・プリムソル ( 極東委員会オーストラリア代表 ) 、 0 ・ケーディス ( 総司令部民政局次長 ) 、 o ・ウ イロビー ( 総司令部情報担当参謀副長 ) 、・ソープ ( 総司令部対敵情報部長 ) 、・シーポルト ( 対日理
のところに被告名、のところに刑を書きこんで読みあげればよい 「被告一凶一被告が有罪の判定を受けた起訴状中の訴因に基づいて、極東国際軍事裁判所は、被 告を一回一に処する」 ウェップ裁判長は、ケンワージー兵隊長を呼び、宣告がよどみなく朗読できるよう、次々に 間断なく被告を登場させよ、と指示した。 午後三時五十分ーー・判事団が入廷した。 予定の十五分間よりも休憩がのびたのは、パル・インド判事が自分の少数意見朗読について、 ウェップ裁判長の再考を求めたためだが、裁判長は拒否した。 法廷被告席のドアの背後には、荒木大将がモーニング姿で控えていた。通路には小さなハダカ 電灯が一個ともっているだけで、うす暗い。荒木大将が入廷すると、次の土肥原大将が控えると いう手筈である。 ウェップ裁判長が着席し、宣告文をタイ。フした三枚の紙を壇上に置くと同時に、被告席のドア が開き、荒木大将が立った。法廷内は、七十以上の大電球、映画用ライトに照らされている。急 な明るさに慣れないのか、荒木大将はイヤホーンをつけながら、まばたきしたー午後三時五十 五分である。 ウェッ・フ裁判長はせかせかと宣告文を読みあげた。「被告荒木貞夫 : : : 被告を終身の懲役刑に 処する」とたんに法廷内にどよめきがひろがり、静粛を命ずる槌の音がひびいた。荒木大将は一
ウェップの天皇責任問題発言 法廷は、ソ連部門、三国同盟部門を終えたあと、六月一一十日から八月三日まで、六週間の休廷 こま、つこ 0 任 というウェップ裁判長の意向にたいして、それには、む 責 なんとしても年内に審理を終えたい、 戦しろ休廷して十分な準備をしたほうが有効である、との弁護団の主張が容認されたからである。 皇ウ = ップ裁判長は、六月二十五日、とくに全検事、全弁護人を市ヶ谷法廷に集め、くり返し、 審理の年内終了と、「公正なる裁判をうけるという被告の権利をそこなわない限度で、できるだ け今後の審理を簡略化する」よう要請した。 おかけで、被告たちは毎週火曜日、金曜日の両日、午前十時から正午まで市ヶ谷にいき、弁護 第十章天皇の戦争責任
戦争がおいやなのです」 「しかし、陛下の努力をもってしても、これを回避することができなかったわけですか」 「そのとおりです」 被告席の重光元外相は顔をあげた。キーナン検事は、明らかに、天皇に戦争責任はないという 結論をひきだそうとしている。 「ちょっと、主席検事、ただいまの質問と本裁判との関連性が理解できないが」 ウェップ裁判長が口をはさんだ。天皇は訴追されていない。被告以外の者にかんする証明は裁 判に関係なかろう、との意味だが、この発言にはさらに含意がある。キーナン検事がうなずいて 質問をひっこめれば、天皇にたいする訴追は留保されたという効果を生むからである。 キーナン検事は、関連性は大いにある、これら被告は「共同謀議によって日本国民をあざむき、 宜戦の大詔を発することによって、天皇が戦争を支持したと日本国民に信じさせたのだ」と、主 張した。 それはおかしい、この長い裁判でそういうことを聞いたのははじめてだ、「今まで提出された 検事側の証拠に反するものだ」と、ウェップ裁判長は今度は意中を露呈しながら反ばくしたが、 キーナン検事はきつばりと答えた。 「主席検事として法廷の注意を喚起したいが、現在被告席にいる者が本裁判の被告である。われ われは、戦争に責任があるのは彼らだと信じている。ほかにいるなら、その者もこの席に並んで
告たちは「罪を負わねばならぬ」と結語したが、検事の表現は、それまでの検事側の罵言的被告 評とは異質である。なにか、被告たちにたいする理解がうかがわれたからである。 タベナー検事の答論ですべての審理は完了する。検事の発言は、法廷の心情に訴える最後の作 戦ともとれるし、あるいは結審にさいしてはじめて検事側が示した同情ともうけとれる。被告た ちの眼がふとなごみかけたが、タベナー検事の声の余韻を味わうひまもなく、ウェップ裁判長の 乾いた休廷宣言が、ひびいた。 「法廷はその判決を留保し、追って発表するまで休廷ー しめる前の肉づけ 雨が降っていた。開廷いらい三度目の花を開いていた市ヶ谷台の桜も、散っていた。 ウェップ裁判長が休廷を宣言したのは、午後五時十一一分ーー控室でケンワ ] ジー憲兵隊長のあ いさつをうけたのち、被告スは、フルスビードで法廷の坂を下り、まっくらな夜の街を巣鴨に むかった。 判決はいっか、内容は ? と、被告たちが胸奥でかみしめる想いは共通していたが、巣鴨 に帰ると、被告たちはしばらくは、深刻な思案にふける余裕を発見できぬほどに、環境の変化に 眼をみはった。 ・ハスは、これまでのように正面玄関ではなく、横の入口に被告たちをおろすと、車庫にしまわ 巧 2
ターフ = ランス ) にかんして異議を留保いたします」 通信の報道によれば、とたんにウェップ裁判長の「顔は紫色になり、指をスミス弁護人に つきだし」て、叫んだ。 「ミスター・スミス、法廷では丁重な言葉を使用されたい。不当なる干渉というような言葉を使 ってはならぬ。さもなければ、貴下は法廷を退出せねばならぬ。謝罪されたい」 「私は一一十年間弁護士をつづけており、この言葉はしばしば使っております」 ウェップ裁判長は、スミス弁護人にみなまでいわせず、陳謝せよ、でなければ弁護人の資格を 取り消す、といった。スミス弁護人は冷静な表情をくずさず、自分には法廷を侮辱する意思はな い、と答えた。 「いや、ミスター・スミス、不当なる干渉という侮辱的な前言を取り消してもらいたい」 「お断りします、閣下」 十五分間の休廷を宣言したウェッ・フ裁判長は、二十三分後、一枚の紙片を持って現われ、読み あげた。判事団の協議の結果、スミス弁護人が、法廷を侮辱した全発言を取り消し、かっ陳謝す るまで、同弁護人を審理から除外する、というのである。 「裁判所にたいする最大の敬意をもって、私は、私の立場を変更する意思もなく、理由も見出せ ないことを申しあげる。ゆえに、私は広田被告の弁護担当から永久に除外されたものと理解し、 同被告に代って裁判の決定にたいする異議を留保する。これが私の最後の異議宿保であります」
をとり戻したように、ざわめきが広がった。清瀬弁護人の朗読中、一一階傍聴席から、ひと声「然 り」のかけ声がかかったが、それ以外は、ひたすら、あるいは高く、あるいは低く、うち寄せる 波のように説き進む清瀬弁護人の陳述に、息をつめていた。 ウェップ裁判長は、高柳博士が裁判所条例にたいして法的反ばくをおこないたい、と申し出た のにたいして、今後提出する証拠にかんする冒頭陳述以外の弁論は不要だ、と拒否して閉廷を宣
私は、裁判はあくまで裁判だという立場を維持するために努力した。 連合国対日本の裁判である以上、連合国内に対立があってはならず、被告側が政治的情勢を利 用して法廷をやゆするようでも、まずいではないか」 ウェップ裁判長としては、裁判の純粋性と判事団の権威を保持することを心がけた、という。 その意味で、既述のごとく、とかく米国民を自負するキーナン検事や弁護人の態度は不快であり、 が政治戦〃のあおりとはいえ、裁く側の国を攻撃するかのごとき弁護作戦も意にそわなかったの かもしれない。 もっとも、こういった裁判長の見解自体も、法律的というよりは政治的と判定すべきであろう が、いずれにせよ、ウェップ裁判長はそのころ、被告側が「次第に高姿勢になってきた」と感じ ていた。 支那事変段階には、事変開始当時の旅団長河辺正三少将、華北駐屯軍参謀長橋本群少将、支那 件一一九軍顧問桜井徳太郎少佐、駐屯軍高級参謀和知鷹一一中佐、また中央にいた田中新一中佐、河辺 殺虎四郎中佐、柴山兼四郎中佐その他の証人が現われ、書証が提出されたが、検事側はそのほとん 京どに異議を申し立て、裁判長は異議のほとんどを容認した。とりわけ、中国共産党関係の証人、 書証について、異議は激しかった。 氿弁護側は四月二十九日、中国共産党の研究者波多野幹一を法廷に召喚した。たびたび協力を求 めたが供述書作成も不十分であり、調書に署名も得られないので、あえて裁判所から召喚命令を 6
したがって、十一カ国の判事のうち、死刑の投票をしたのは、残る七カ国または六カ国となる。 七人の″死刑組のうち、広田元首相を除く六人の票決は七対四。その七カ国は自明である。広 田元首相の場合も、無罪を主張するローリング・オランダ判事が死刑反対票を投じたことは疑い がなく、これまたその内訳の推定は容易である ( 別表参照 ) 。 そのほか、大島元駐独大使の場合は、「カナダ代表 ( 判事 ) は私の弁護人力ニンガムと極めて親 しかった」こともあって、カナダ判事の死刑反対票で終身刑になったといわれるが、ほかの一票 差で′助かった〃三人の票決も推理できた。ただし投票の根拠は、明らかにされていない。 次に、少数意見が生起させた反響は、 " 天皇退位論〃であった。 対日理事会代表ウィリアム・シーポルトによれば、東京裁判にからんで天皇退位の噂が流れは じめたのは、法廷審理が終った直後からであったが、ウェッ。フ裁判長の個人意見発表は、この噂 を強化した。 「東京の英国消息筋の見解によれば、天皇ヒロヒトの生涯の友人であり、助言者である木戸侯爵 の終身刑と、ウェップ裁判長の個別意見により、退位問題は前面におしだされた」 「占領軍当局はウェップ裁判長の個別意見について論評を拒否したが、総司令部民政局の高級将 校の一人は、 " 私自身としては、もしヒロヒトの息子がもう十歳年長であれば、ウェッ・フ裁判長 の見解に同意する〃と語った」 「有力なる日本政府当局者は、ヒロヒト天皇は、彼の最も親密な部下にたいする判決の苛酷さと、 192