元首相 - みる会図書館


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1. 東京裁判 下

私には責任があるのです , ーーというのが、広田元首相の主張である。畑被告担任の神崎弁護人 は、広田元首相にたいする検事側の追及が深刻であることを憂慮し、一案を思いついたことがあ る。広田元首相が問われる責任のひとつに、広田内閣当時、五相会議で決定した対支 ( 那 ) 三原 則がある。この三原則こそ太平洋戦争へのべースであり、ゆえに広田こそ侵略主義の元凶だ、と 検事側はいう。そこで、神崎弁護人は当時の陸相寺内寿一元帥がすでに死亡しているので、実際 の立案者は寺内元帥ではないか、と法廷控室で問い 、暗に肯定をすすめた。ところが、広田元首 相は神崎弁護人をにらみ、厳然と答えた。 「とんでもない。私は総理大臣です。寺内がやったのではない。神崎さん、それはいかぬ。私が やらしたので、寺内がやったのではない」 広田元首相は、証言台に立たぬ理由を佐藤賢了被告に間われ、「自分はこれまで自分で計らわ ずに来た。首相になったのも、外相になったのも、やむを得ずなった。この期に及んで今さら自 ら計らう気はない」と答えたとのことだが、自己弁明の拒否だけはけっして譲ることはなかった。 証人有田八郎元外相のロ供書の中に、板垣征四郎被告に不利な個所があり、板垣被告は広田元 首相に、その部分の削除を有田元外相に頼んでほしいと要求した。広田元首相の補助弁護人守島 伍郎公使は、軍人との妥協を排して事実を述ぶべしと反対したが、広田元首相は板垣被告の申入 れを承知した。守島公使は弁護人を辞任した。 広田元首相の弁護陣は手うすとなった。スミス弁護人辞任にともない、ジョージ山岡弁護人が ー 02

2. 東京裁判 下

代行したが、経過にうとく、ほとんど花井弁護人一人の活躍にゆだねる形となった。 裁判において有能な弁護人の存在は不可欠である。証拠の整備、反対訊問、適切な異議の申立 ての如何など、 : ( すれも被告の命運を左右するキーポイントであるが、とくに被告側証人にたい する訓練の成否が大事である。証言内容をあらかじめチェックし、打ち合せておかないと、思わ ぬ不利を招きかねないからである。 その意味で、最も重要な個人段階で、スミス、守島両弁護人を欠いた広田元首相の立場は不利 であった。花井弁護人だけでは手がまわりかねる。 証人は、堀内謙介元駐米大使、有田八郎元外相その他十人が用意されたが、重光元外相によれ ば、堀内元大使は結局、五相会議決定を確認させられ、陸軍が主張した支那事変解決に広田外相 が不熱心たったかのごとき印象を与え、南京残虐事件についても、石射猪太郎元大使はその報告 を広田外相がうけていたことを証言した。いずれも広田元首相に「致命的の打撃」となる、と重 責光元外相は暗然とした。 戦広田元首相の個人反証は十月三日に終った。市ヶ谷台上に秋の気配は濃くなり、鈴木元企画院 皇総裁が、被告席の片隅にコオロギの鳴き声を聞いたのも、このころである。 猿芝居あざけり笑うこおろぎの鳴く声しげし床の下 十その一週間後、十月十日の『ニッポン・タイムス』紙は、「天皇および日本の実業家は戦争犯 罪人として裁かれることはないであろう。この両者にたいする訴追には正当な理由を見出せな

3. 東京裁判 下

が早い。市ヶ谷は夜の闇につつまれかかっていた。坂を下り、正門にさしかかると、薄闇の中に 白い花のようにひらめくものが見えた。重光元外相が眠をこらすと、広田元首相の次男正雄と二 人の令嬢が立ち、ハンカチをふっている。広田元首相も気づいた。 ( おお ) と、声にならぬ叫び をあげるように、はっと口をあけた広田元首相は、席を立っと向い側の荒木被告の前に立ち、そ の肩ごしにのりだして窓をつかみ、必死に帽子をふった。その様子は、静かなる広田君の平常か らは想像できぬほど、「気も狂わんばかり」であった 十一月十二日朝、 晴天であった。市ヶ谷台の菊は満開となり、冷たいが澄んだ大気をとおして、遠く白い富士の 峰が望見できた。 法廷は、午前八時からざわめきはじめた。記者席には映画カメラ、マイク、ライトが並び、ス ピグラを構えて調子をためす米人力メラマンもいた。が数人、法廷内の隅々を覗きこんで歩 いた。椅子の下、テー・フルの裏、記者席も傍聴席も、判事席も、そして証言台もチェックした。 巣鴨は、変りのない朝を迎えた。相変らず、目覚し時計の代りのように、鈴木元企画院総裁の 「ウェー、 ウェ 1 」というかけ声がひびき、松井大将の渋い観音経読誦が廊下を渡りすぎた。被 告たちは、全員が極刑にたいする覚悟を定めているようであった。八十一一歳の平沼元首相は、深 夜、しばしばうなされて悲鳴をあげていたが、前夜はなにごともなく、平静な表情で・ハスにのり こんだ。 と重光元外相は記述する。

4. 東京裁判 下

ある四人の姉妹が、のぼりを立てて、広田元首相減刑署名運動をおこなっていた。あるいは、電 車の中で、声高に判決の不当を叫ぶ市民もふえ、国民は裁判の非合理性に眼をひらくとともに、 その心情は七人の死刑戦犯にたいする同情の色を濃くし、はたして七人の処刑が実行されるかど うかに、関心を強めていった。 判決は、マッカーサー元帥の承認を得て確定し、執行されることになっていた。元帥は、十一 月二十二日に、裁判に参加した十一カ国代表の意見を聞き、決定すると発表し、減刑の訴願は十 九日までに提出するよう、指示していた。 判決後、弁護団は各被告についての訴願準備をはじめたが、畑元帥担任神崎弁護人が、ローリ ング・オランダ判事の畑被告無罪論に応じて、無罪要求の訴願をするなど、一部の被告は減刑を 求めたが、東条大将をはじめ多くは、判決中の事実の誤りの訂正または主張の申立てをおこなっ こ 0 広田元首相の場合、次男正雄は、柳井恒夫、・ファーネス両弁護人に、「これは判決後のオ ヤジのいいつけですが、絶対に嘆願書は出してはいかんと申しております。オヤジはなにもいわ ずに、判決どおりの刑の執行をうける気持ですから、どうそそうさして下さい」と、頼んだ。 柳井、ファーネス両弁護人は、重光元外相担任だが、「自分のことよりも広田さんのために努 力してくれ」という重光元外相の依頼で、広田元首相の訴願をすることになっていた。二人は、 広田元首相の覚悟に感銘するとともに、なおさらだ、とうなずきあって、訴願書を書いた。

5. 東京裁判 下

いるはずである」 重光元外相は肩の力をぬいた。天皇の訴追または出廷間題は、なにぶんにも裁「が十一カ国の 連合裁判であるだけに、一国の主張で左右される保証はなく、なお不安定であるとりわけ、ウ ェップ裁判長の態度は気にかかる。が、ともかく、この明確な言明で、キーナン検事に天皇訴追 の意向がないことは、はっきりした。ひと安心であろうか : 平沼元首相につづく広田弘毅元首相も証言を拒否したが、その理由は、独自のものであった。 「私には責任がありますー 広田元首相は、巣鴨でも市ヶ谷でも端然とすごしていた。やや頭髪の白色が増したが、温和さ を感じさせる表情は変りなく、おだやかな眼光にゆるみはなかった。二人の令嬢と二人の令息は、 ときに令息は欠けても、法廷に令嬢たちを見ぬことはなく、二人は鳩のように肩を寄せあい、傍 責聴席を見上げる父と静かに微笑を交しあっていた。なにか、愛情の大気をつめた透明の球の中に 戦しっとりとひたっている : : : そんな感じの広田父娘の姿に、法廷関係者は一様に感動と同情の視 皇線をそそいでいた。 広田元首相は、罪状認否のときに有罪を申し立てようとして花井忠弁護人をてこずらせたよう 十に、証人として立っことも最初から拒否していた。花井弁護人だけでなく、スミス弁護人もすす めたが、広田元首相は首を横にふった。

6. 東京裁判 下

しかし、また、裁判というからには法にのっとらねばならない。はたして「いかに法をごまか して政治に従う」か、あるいは「政治を拒否して法を守る」かー・・・・武藤中将は、判決の今後に興 味がある、と思った。 平沼元首相、荒木大将、広田元首相も重光元外相の房室を訪ねてこもごも語りあったが、「お そらく全員有罪か」と予想は悲観的であった。翌日曜日、板張り運動場を歩くとき、重光元外相 とならんだ東条大将は、空をあおいで、いった。 「この青空を見るのは、これが見おさめかなア」 東条大将の声は屈託なげに明るかった。その声にふりかえった大島元駐独大使に、東条大将は 微笑したが、大使は後方に広田元首相の静かな姿を認めると、カニンガム弁護人の情報を思いだ して、眉をひそめた。 大島元駐独大使担任の 0 ・カニンガム弁護人は、終始、裁判の違法性を指摘する強硬論者の一 人で、「三国同盟」部門を担当した最終弁論でも、「一団の国が、敗戦国の指導者を裁くことがで きると考えるのは、途方もないうぬ・ほれである」と主張していた。判決待ちの休廷中に帰米した さいも、シアトルのアメリカ弁護士協会全国大会で、東京裁判の目的は「復讐と弁解と宣伝にす ぎない」と演説し、十月十六日、ウェッ・フ裁判長に解任された。 しかし、その直後、解任問題で判事たちと接触した産物らしい、次のような情報を大島元駐独 大使にもたらしていたのである。 2

7. 東京裁判 下

れた。判決が宣告される日まで不用だからである。 被告たちは廊下でハダカにされ、レントゲン撮影や肛門検査を経て第一棟二階に移監された。 もつばら級被告用で、一階、三階は空室のままであった。階段に近い第一号室に重光元外相、 次に平沼元首相、南大将、佐藤、岡中将とつづき、中央に東条大将を中心に東郷、木戸、嶋田、 松井、板垣、鈴木といった " 大物〃視される被告がならび、畑、小磯、土肥原、広田被告が奥に わりあてられた。 「審理中はアルファベット順に監房がならんでいた。そこで、さてはまん中にねらいをつけた者 をならべた、これは、やられるな、という気がしたね」 とっさに木戸元内大臣が感得した印象であり、むろん、他の被告たちも同種の感想にひたりか けたが、被告たちは、待っていたようにはこばれたタ食に関心をうばわれた。スープ、ステーキ、 果物までついている。 「立派な洋食で、絶えて久しき対面」だ、と重光元外相が眼を輝かせれば、小磯元首相も「シャ 決モをしめるまえによく肉をつけるようなものか」と苦笑しながらも、満足の舌つづみをうった。 判日本食は日本人コックに調理されるので、万一にも刃物、毒物が輸入されることを恐れ、自殺防 章止のために米軍兵食にきりかえたのだが、とにかく、うまい食事は結構である。 ←「朝食日ジ = ース、半熟卵一一ヶ、メンチ肉、パター付白パオレジ一ヶ、 = ーヒ 1 。昼食ⅱ 豚カッ二ケ、じゃが芋、『セロリ、 オレンジ、リンゴ、サクランボウ』のサラダ、白パン、紅茶。 巧 3

8. 東京裁判 下

賀屋元蔵相は、松井大将ら四人についても「きな臭い」感じをうけたが、とくに意外に思えた のは広田元首相についてである。 「あまり気がついた者はおらなかったようだが、ボクはおかしいと思ったね。どうしてあんな強 い表現をしなけりゃならんのか、もしやしたら、うつかり肚の中をさらけだしたんじゃないのか、 とね」 偶然かもしれぬが、予想は判決にびたりと具体化し、賀屋元蔵相はあらためてこの日を想起す ることになる。・、、 カこのときは、ただ「眼前をかすめる電光」に気づくように、ふと感得した印 象にすぎず、賀屋元蔵相は視線の端に泰然とした広田元首相をとらえると、すぐ忘れてしまった。 「巣鴨は狂宿なり」 土曜日、日曜日の休廷日が過ぎ、月曜日、二月三日の法廷で「ディス・ ミス」にたいする裁決 撃がおこなわれたが、予想どおり、ウェップ裁判長は動議の全部を却下すると述べ、弁護団の準備 ののため、三週間休廷を許可すると、退廷した。開廷時間わずか十分間であった。 護もうひとつ、休廷中に弁護団との打合せを促進すべく、被告たちは火曜日、金曜日には巣鴨か ら法廷にかようことが、きめられた。この決定は外気をしたう被告たちには勧迎されたが、巣鴨 章 八の処遇はなおも苛酷なものであった。 自殺を恐れての警戒は、重光元外相に「巣鴨は狂宿なり」と嘆かせるほどのきびしさである。

9. 東京裁判 下

が、結果は、一致した〃死刑〃の予想であった。 木戸弁護人はその様子を伝え、木戸元内大臣は「覚悟している」と答えたが、木戸弁護人の隣 では、広田正雄が父広田元首相と話しあっていた。木戸弁護人は、一緒に部屋を出て法廷にむか っこ 0 . し子ー いながら、広田正雄に、、 「ボクのところは、もう覚悟しましたよ。あなたのところはいいですねェ」 午前九時半ーー開廷した法廷で、ウェッ・フ裁判長は、前日の残りの「残虐行為」部門の朗読を つづけた。被告席には、 : しせんとして入院中の賀屋、白鳥、梅津三被告を除く一一十二人が並んで 被告たちの表情にも、変化はみられなかった。嶋田大将は端正にアゴをひき、鈴木元企画院総 裁は左右を眺め、重光元外相は顔を伏せて得意のスケッチ画に鉛筆を走らせ、広田元首相は軽く 眼をとじている : 記者たちは、その被告と判事席を交互に見くらべながら、ときどきアイモをむけて鳴らしたり、 カメラを覗きこんだりしたが、関心はひたすら断罪の " 時みの訪れに集中していた。ウェップ裁 判長の朗読に耳をすます者は一人もなく、次第に落ちつかないふんい気をただよわせはじめた。 午前十一時ーーウェッ。フ裁判長は「残虐行為」部門の朗読を終え、午後一時半までの休廷を宣 言した。 東条夫人勝子は、そのころ、三女幸枝とともに、法廷横の駐車場付近にいたが、傍聴席が満員

10. 東京裁判 下

荒木大将段階で、ウェッ・フ裁判長は被告の人格証言は関連性がないと裁定し、この種の証人を 用意していた弁護側を困惑させた。 荒木大将の次は、土肥原賢二大将であるが、土肥原大将は証言台に立たなかった。かえって不 利になる、という弁護人太田金次郎の判断により、もつばら証人の証言に頼る " 作戦〃を採用し た。ただ、少しでも有利な地歩を得ようとして、担任のウォーレン弁護人は、法廷が希望するな ら土肥原大将を証言台に立たせてもよい と申し出た。 土肥原大将自身の証言が有利になるか不利になるかは証言してみなくてはわからない。ウォー レン弁護人はその不測要素の決定を法廷にゆだね、判決にその点の考慮をはらわせようとしたの だが、ウェッ・フ裁判長は、被告が証言台に立つか立たないかは、被告と弁護人の問題だと突っぱ ねた。 被告のうち、証言台に立たなかったのは、土肥原大将のほかに畑俊六元帥、平沼騏一郎元首相、 責広田弘毅元首相、星野直樹元満州国総務長官、木村兵太郎大将、佐藤賢了中将、重光葵元外相が ・戦いるが、その判断の根拠は多様であり、また各担任弁護人が最も慎重に検討かっ熟慮したところ 皇であった。 土肥原大将につづいて橋本欣五郎大佐が登場したが、その次の畑元帥が証言台に立たなかった 章 十のは、その必要がない、と弁護人神崎正義が判断したからであった。 畑元帥にたいする訴追の重点は、①支那各地における残虐行為、とくに東京を空襲 ( 昭和十七