判事 - みる会図書館


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1. 東京裁判 下

は、対日理事会代表四人の立会いを求める、執行日の前日に立会い要求の書簡を届けると告げた。 東京の六日は、ワシントンの五日である。米最高裁の決定は、ワシントン時間の六日におこな われる。もし、最高裁判所が訴願を受理して被告に有利な決定をしたら、とシ 1 ポルト代表は質 問しかけたが、すぐ口をつぐんでうなずいた。まさか、米国の権威の擁護者である最高裁判所が、 日本における米国の権威の象徴であるマッカーサー元帥の足をすくう決定をするはずがない。 「元帥はそれを確信しているのか、ワシントンの形勢については一言もふれず、私が死刑の立会 いと聞いて憂うっそうな様子をみせたので、いやな仕事だ、自分でも気がすすまぬだろうよ、と 慰めてくれた」 爪翌日、七日ーーー・九人の判事で構成するワシントンの米最高裁判所は、五対四の票決で、訴願を 受理することをきめた。二つにわれた判事団の意見を方向づける一票を投じたのは、ロく ジャクソン判事であった。判事は、ニュールンベルク裁判で主席検事をつとめたので、第一回投 票には参加しなかったが、票決が均衡したため、決定票を加えたのである。ジャクソン判事はい 「四対四の効果は好ましくない。決定を下せないとなれば、当局は既定の判決を執行することに 章なるが、同時に最高裁判所の半数が審査の必要を認めていると発表することにもなる。私が受理 十に賛成したのは、もっと議論をつくし、聴取をおこなえば、意見の対立している判事が一人でも 一一人でも、どっちかに傾くこともあると思うからである」

2. 東京裁判 下

武藤中将は、なにかを告白するように語り、東条大将は、その一言一言にうなずきながら、じ つくりと聞きいっていた。 裁く者の手も汚れている ところで、 二十五人のかっての顕官たちが、七人と十八人にわかれ、画然と明暗に区分けされた生活を静 かに送りはじめたころ、巣鴨の外界、とくにジャーナリズムの世界は、騒然としていた。 判決にたいする五人の判事の少数意見が複雑な波絞をつくりだしていたからである。 Z 判決が判事団の多数意見によるものであることは、ウェッ・フ裁判長も明らかにしていた。そし 。、ル、オランダ代表判事・ハーナ z て、ウェッ・フ裁判長自身およびインド代表判事ラダ・ビノ 1 ド・ ベルナール、フィリ。ヒン代表判事デルフィン・ハ ード・ローリング、フランス代表判事アンリ・ ラニーヨが、少数意見をもっていることを明らかにして、法廷では朗読しなかったが、弁護団に は提示した。 その内容は、後述するごとく、判事団内部にきわめて重大な意見の対立があったことを告げて 章いた。ということは、判決とくに刑の宣告についても、判事間に対立があった事情をほのめかし 十ている。 すでに閉廷直後、広田元首相の死刑判決は、六対五の一票差できまったとの情報が流れていた。

3. 東京裁判 下

ではいれないと知ると、立ち去った。 木村大将夫人も門前まで来たが、なんとなく群がっている市民にまじって当惑していた。「傍 聴禁止」と大書した紙がはってある。賀屋元蔵相夫人としばらく立っていたが、賀屋夫人宅でラ ジオを聞くことにした。 法廷控室では、昼食をすませたあと、被告たちはふだんと変りなく、トランプ、碁、将棋を楽 しんでいた。 武藤中将だけは、いち早く極刑を察知して、ケンワージー憲兵隊長に、やはりその日も傍聴席 に来ていた夫人初子と令嬢千代子との面会を依頼した。 午前中の判決文で、中将は北部スマトラおよびフィリ。ヒンでの残虐行為の責任者と判定された っこ 0 . し / からである。中将は、夫人と令嬢に会うと、 「私は絞首刑にきまった。二人とも勇気を失わずに暮しなさい。千代子は早晩結婚しなければな らぬが : : : できるならお母さんを大事にしてくれる人情のある男だと結構だと思う。たとえば検 決事だとか、判事だとかは避けるがよい。今度の経験で彼らは人間の屑だということが判った」 判夫人と令嬢は泣ぎ伏した。「お父さんが残虐だなど、まるでウソだ。弁護士さんたちもそのほ 章うは安全だといっていたのに : : 」と、泣きじゃくりつづけた。 十二世通訳の小野寺正は、同僚の林秀一に刑の宣告の通訳の順番を変えてくれ、と頼まれた。 「じつは、オレ、広田さんと同郷なんだ。順番からいえば、オレは東条をやることになっている

4. 東京裁判 下

はっきりした態度をとるべきだ、というわけだが、最高裁判所がやがて下す決定については、 この段階で推測できたはずである。 訴願受理のニ = ースに、ローリング・オランダ判事は、「国際裁判の判決を一国が再審査でき るとは、ふしぎな話である」と、つこ・、、・ しナカシャクソン判事の見解によれば、極東国際軍事裁判所 は、米大統領によって設置されたものである。 たとえば、ニ、ールンベルク裁判はドイツ管理にあたる米英仏ソ四カ国が対等の立場で合意し て開設したものだが、東京裁判のほうは、米軍総司令官としての大統領が設置をきめ、関係連合 国に参加を要請したのである。ジャクソン判事は、そこで、次のように指摘した。「東京裁判の 真の法的性格がどうであろうと、われわれの側としては、それは大統領が持っ戦時の大権と外交 問題処理権のもとにおこなった国際的な仕事という外観をおびている。 ( ゆえに ) われわれの直 面する問題は、じつに大きな問題である。われわれが決定するのは、軍の外国における行為や大 統領の外交問題処理権を、最高裁判所が審査する力を持っていることを確認するか否かにあるか らである」 したがって、六日に最高裁が決定したのは、まず訴願に応じて、このような審査をする権限が あるかどうか、十二月十六日から訴願者の主張を聴取する、ということだが、回答は、むしろ、 容易に「ノー」が予想される。もし「イエス」であれば、マッカーサー元帥の対日占領政策のほ とんども再検討の対象になり、複雑かっ混乱した事態が予見されるからである。

5. 東京裁判 下

いや、そもそも " 無法の裁判〃だ、常識は通るまい。有罪なら死刑だろう : ・ と、にわかに被告たち、弁護団、さらに新聞記者たちの間にも、刑の宣告についての下馬評が 盛んになった。 ウェップ裁判長の朗読はよどみなく、満州、中国、ソ連段階へと進んでいった。その内容は、 冒頭に弁護側証言の無価値を言明しているだけに、ほとんど検事の論告そのままであった。 次々に指摘される被告たちの名前は、 : しすれも断罪のきびしさを予感させるように、強く責任 を問われている。週末の休廷日である十一月六日 ( 土曜日 ) 、武藤中将は、それまでに朗読された 判決文を分析してみた。とくに判決文に表われた判事の基本的な考え方を、次のように観察した。 ①大東亜戦争を支那事変の発展とみて、支那事変を侵略戦争と判定して、従って大東亜戦をも 侵略戦と推論せんとする狡猾な論法を採用している。 ②満州事変を陸軍の共同謀議とし、この発展途上、陸軍は政府を陸軍の意志に屈服せしめんと して、広田内閣において完全にその目的を達成して、昭和十一年八月十一日、世界征覇の国 決 策が策定せられた。これが大東亜戦争への共同謀議である、とみている。 判武藤中将は、かすかな予感をおぼえた。明らかに陸軍に焦点が置かれている。中将自身は、か 章りに陸軍が侵略の元凶と判定されても、佐藤賢了中将とならんで陸軍被告の中の最下級者である 十自分は「無罪を確信する」が、一方、東京裁判はポッダム宣言という政治命令にもとづく〃政治 裁判〃である。

6. 東京裁判 下

仰天させるほどに肥った木戸、星野両被告も、また痩せていった。心身のパランスのくずれを告 げる徴候でもあろうか : その意味で、十一月四日、なじみの ' ハスにゆられ、なじみの坂をの・ほり、咲きみだれる菊花を 横に眺めながら、法廷玄関に着いた被告たちの表情には、生活のリズムをとり戻したような和や かさがみえた。 ーー・午前九時半、 法廷に再びウェッ・フ裁判長以下十一人の判事が現われ、裁判長は開廷宣言につづいて、さっそ く判決の朗読を開始した。 判決は、第一章「本裁判所の設立及び審理」にはじまり、第一一章「法」、第三章「要約」、同じ く第三章「日本の負担した義務及び取得した権利」、第四章「軍部による日本の支配と戦争準備」、 第五章「日本の中国に対する侵略」、第六章「ソヴィエト連邦に対する日本の侵略」、第七章「太 平洋戦争」、第八章「通例の戦争犯罪 ( 残虐行為 ) 」、第九章「起訴状の訴因についての認定」、第 十章「判定」という構成になっていて、第十章のあとに「刑の宣告」が言い渡される。 判決の朗読は、論告や弁論とちがって、裁判長一人がおこなう。ウェップ裁判長は十分間に約 七ページ半の速度の早ロで読みはじめたが、週末の休廷 ( 六、七日 ) も含めて、朗読には約一週 間もかかるものとみこまれた。 判決は、まず第一章で、裁判が迅速に進まなかったのは、無駄な証言が多かったためだが、と

7. 東京裁判 下

持」政策をとる西洋諸国によって、挑発されたためである、と弁護側の論調をほぼ全面的に支持 、、レ・ノートのようなものをうけとれば、日本のみならず「モナ 日本の対米開戦についても / ノ コ王国やルクセンブルク大公国でさえも、米国にたいして戈をとって立ちあがったろう」といし 非戦闘員の生命と、財産の無差別破壊が違法というなら、原子爆弾投下の決定こそ、「第一次大 戦におけるドイツ皇帝の指令、第二次大戦におけるナチス指導者の指令に近似した唯一のもの」 だ、と述べた。 要するに、「裁く者の手も汚れている」というのが、パル判事の見解であり、判事は全被告の Ⅸ全起訴事実にたいする無罪を勧告した。 ローリング・オランダ判事は、連合国最高司令官が減刑の権限を持っているので、それにたい する勧告のために少数意見を書いた、と述べた。被告二十五人のうち、多数判決が死刑を宣告し た軍人六人のほかに、岡、佐藤、嶋田三被告も死刑を科すべきだが、畑、広田、木戸、重光、東 郷五被告は無罪、残りの被告は全員終身刑が適当だ、と指摘したあと、いずれの場合でも、刑は 軽減され得る、と強調した。 章 ローリング判事はまた、パル・インド判事と同様、十一カ国を代表する十一人の判事によって 十構成される裁判所が、「最高司令官に使われる道具」であってよいはずはない、最高司令官が定 めた裁判所条例の適法性を審査する権限を持つべきである、と いい、多数派判事の「侵略戦への

8. 東京裁判 下

が、その責任の問題は依然として答えられていない : : : 否定することができないのは、そこに一 人の主要な " 発起人〃 ( オ 1 サ 1 ) があり、その者が一切の訴追を免れていることで、本件の被告 は、その『共犯者』としてしか考えられることはできない」 ・ヘルナール判事は、他の判事とは別に、法廷の内情についてきびしい批判をおこなった。判事 は、被告側の弁護に必要な「保証が実際には与えられなかった」と明言し、また判事国は " 多数 派〃と " 少数派〃に区別され、判決文の起草にさいしても、主導権は " 多数派〃がにぎり、十一 人の全判事が合議したことは一度もなかった、と指摘したうえ、事実の認定と法律論について、 「裁判官以外の者の協力」があり、証拠以外のものが「考慮にいれられた」ことをにおわす発言 をしている。 ウェップ裁判長の個人意見は、次の三点を支柱にしていた。 ①裁判所には、 " 純粋な共同謀議〃を犯罪にする権限はない。「それをするのは裁判官による立 法にひとしい」 ②日本の被告に、より凶悪なナチス・ドイツ被告より重罰を科すべきではない。「どの日本被 告も、侵略戦争を謀議、計画、準備、開始、遂行したことについて、死刑を宣告されるべきでは ( ウ = ップ裁判長は、刑は「みせしめ」のためにおこなうものであるから、「絞首台の上や銃殺隊の前です早 く命を絶っよりも」、日本国内または国外に流刑にしたほうがよい、と述べた ) 8

9. 東京裁判 下

主要な指導者であった被告が、死刑に値する」という考え方にも反対する、と述べた。 侵略戦争といえども、法的には、「犯罪」とされていないからであり、たとえば広田元首相の 場合、「広田内閣があのような政策 ( 国策基準要綱 ) を決定したのでは、戦争もやむをえないとい うことはわかる。しかし、これが致命的なものであっても、それは罪の概念に当るものではな い」からである、とローリング判事は説いた。 その意味では、木戸元内大臣も無罪であろう。ローリング判事は、もし天皇の立憲君主として の権能が制限されたものであったとすれば、その側近の内大臣の権限も限られていたはずである。 木戸内大臣が「日本の政策を侵略戦争の方向にむけた一派の一人」であったとは、結論できぬ、 と判定した。 ローリング判事は、さらに、軍人の立場について、率直に〃同情〃する見解を述べた。 「単に政府の政策を実行した軍人を、平和に対する罪で、有罪とみなしてはならぬ。軍隊の義務 は、忠誠であることである。平和に対する罪に関して軍人の責任を考慮するに当っては、きわめ て慎重でなければならない。 名誉ある兵馬の職が国家間の交際上必要なものである限り、この職業は〃政治に関与〃するこ とを強要されぬよう、保護されねばならない。また、それが自己の本分内にとどまっている限り、 戦争が敗北に終ったのちに、それに対して提起される訴追に対して保護されねばならない」 軍人は、国家のために戦う職務を与えられている。それを、その職務に忠実であったというだ 8

10. 東京裁判 下

したがって、十一カ国の判事のうち、死刑の投票をしたのは、残る七カ国または六カ国となる。 七人の″死刑組のうち、広田元首相を除く六人の票決は七対四。その七カ国は自明である。広 田元首相の場合も、無罪を主張するローリング・オランダ判事が死刑反対票を投じたことは疑い がなく、これまたその内訳の推定は容易である ( 別表参照 ) 。 そのほか、大島元駐独大使の場合は、「カナダ代表 ( 判事 ) は私の弁護人力ニンガムと極めて親 しかった」こともあって、カナダ判事の死刑反対票で終身刑になったといわれるが、ほかの一票 差で′助かった〃三人の票決も推理できた。ただし投票の根拠は、明らかにされていない。 次に、少数意見が生起させた反響は、 " 天皇退位論〃であった。 対日理事会代表ウィリアム・シーポルトによれば、東京裁判にからんで天皇退位の噂が流れは じめたのは、法廷審理が終った直後からであったが、ウェッ。フ裁判長の個人意見発表は、この噂 を強化した。 「東京の英国消息筋の見解によれば、天皇ヒロヒトの生涯の友人であり、助言者である木戸侯爵 の終身刑と、ウェップ裁判長の個別意見により、退位問題は前面におしだされた」 「占領軍当局はウェップ裁判長の個別意見について論評を拒否したが、総司令部民政局の高級将 校の一人は、 " 私自身としては、もしヒロヒトの息子がもう十歳年長であれば、ウェッ・フ裁判長 の見解に同意する〃と語った」 「有力なる日本政府当局者は、ヒロヒト天皇は、彼の最も親密な部下にたいする判決の苛酷さと、 192