反対 - みる会図書館


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1. 東京裁判 下

十二月三十一日ーー前日のロ供書朗読終了とともに訊問に立った木戸被告担任ローガン弁護人 が、さらに木戸内大臣にかんする質問をつづけるうち、キ 1 ナン検事はあやうく絶息するほどに 仰天した。 午前九時三十三分に開廷されて、ものの十分間もたたないころ、ローガン弁護人は、天皇の平 和にたいする希望に反した行動を木戸内大臣がとったことがあるか、とたずねると、東条大将は 即座に答えた。 「そういう事例は、もちろんありません。私の知る限りにおいては、ありません。のみならず、 日本国の臣民が、陛下のご意思に反してかれこれするということは、あり得ぬことであります。 いわんや、日本の高官においておや」 東条大将は、アゴをひき、独特の発声で粛然と述べた。大将の信念の披瀝でもあったわけだが、 これは失言である。もし日本国民の行為がすべて天皇の意思に従ったものなら、戦争も残虐行為 任 責も天皇の意思ということになるからである。 戦まずい、とキ 1 ナン検事が奥歯をかみしめるのと、ウェッ・フ裁判長の声がひびいたのは、同時 皇であった。 「ただいまの回答がどのようなことを示唆しているかは、よく理解できるはずであります」 章 十キーナン検事は、嶋田被告担任のプラナン弁護人の訊問が終るのを待ちかねて、反対訊問を開 始した。

2. 東京裁判 下

合法性を主な論点にしているが、初期の「異議」には全被告が足なみをそろえながら、「ディス・ 、、ス」には不参加者が出ている。 ひとしく戦争犯罪人とはいえ、過去において陸軍、海軍、外交官がそれぞれに立場を異にした 以上、裁判にのぞむ場合も、それら立場の相違にもとづく考え方と、対処の方針はちがうとみな されたからである。 いいかえれば、国家弁護の基本は是認しながらも、具体的には個人弁護を強調する傾向が濃く なり、それは弁護側の大方針闡明である冒頭陳述にも、反映することになった。 清瀬弁護人の国家弁護 清瀬弁護人の冒頭陳述は、一月はじめごろには早くも骨子が用意され、弁護人の間に回覧して 意見が求められた。 ところが、清瀬案は難航した。神崎弁護人によれば、「外務省系の弁護人を主とする方面から は、『戦争の責任は軍にあるのだ、それに清瀬冒頭陳述のような陸軍色で書かれたものの尻馬に は乗れない』と、はじめから反対の組があった」からである。 情熱家の林逸郎弁護人などは、打合せ会議のさい、「なにをいうか、お前たちのような者に国 家の大事が判るか」とどなり、鉄拳をふりあげて高柳賢三、戒能通孝両弁護人にせまる有様であ っこ 0

3. 東京裁判 下

るように、白人世界にたいする反抗は許さぬという表意なのか。それとも、軍人、文官を間わず、 いささかも戦争を考えてはならぬとの戒めなのか。 しかし、七人の〃死刑組〃がいずれも残虐行為、すなわち既存の国際法の違反に問われて死刑 を宣告されていることを思えば、裁判は、戦争の目的よりは、たんに戦争の手段をテーマにして いるようにもうけとれる。では、七人は指導者なるがゆえに、そしてそれだけの理由で処罰され るのか。 国民は、あらためて東京裁判の「意義」に対座する想いで、当惑した。 「私が死刑に反対したのは、わが国に死刑がないからだけではない。旧日本の組織上、天皇に政 Ⅸ治責任がないとはいいきれないのに、天皇が免責になったうえは、トウジョウ将軍たちを処刑す るのは、いわば最高責任者のために次級責任者が、あるいは君主のために臣下が死ぬという点だ けが強調され、組織ならびにそれを支える責任感の追及は無視される危険性を、痛感したから つまりは、「殉教者をつくっては意味がない」と思ったと、ウェッ・フ裁判長は回想するが、当 時の日本国民に、そこまでの配慮をする者は少なかった。 章 十判決どおり、刑の執行 東京・数寄屋橋上には、裁判終結の翌日、十一月十三日から連日、広田元首相の令嬢の知人で 195

4. 東京裁判 下

相の弁護段階を経て、木戸幸一元内大臣が証人席についていた。 木戸内大臣は、十月十四日登壇したが、そのロ供書は日本文三百七十二ページにおよぶ厖大なー もので、朗読は十六日午後一一時四十七分までかかった。反対訊問はキーナン検事が担当した。だ から、十月十七日夜、若槻元首相らを迎えたとき、キーナン検事はやっと反対訊問第一日を終え ただけであった。 キーナン検事が、木戸内大臣の反対訊問に立ったについては、思惑があった。予定ではコミン ズ・カー英検事があたることになっていた。キーナン検事は、ワシントンで国務省、さらに東京 でマッカーサー元帥から、対日政策の必要上、天皇の戦犯問題、 いいかえれば法廷で二度と天皇 を容疑者扱いにするふんい気を消去するよう、指示された。 帰日してからのキーナン検事の一連の天皇免責にかんする言動は、この指示に従った結果だが、 それらは検事側の意向表明にとどまる。法廷としてのなっとくを得るには、被告、それも〃大 物〃 ( ビッグ・ネーム ) が「天皇に責任なし、我にあり」と明言してくれねばならない。 " 大物 , 被告といえば、まず木戸内大臣、東条大将の二人たが、キーナン検事は木戸内大臣を選 んだ。木戸内大臣は天皇の側近第一人者である。天皇の意思を誰よりもよく知っている。ゆえに、 こちらの意図も理解して適切な証言をしてくれるものと期待したのである。 ところが、第一日の十七日、キーナン検事が、昭和五年ごろから終戦まで日本には暴力行為が 存在していた、天皇がその防止に実際的手段をとろうとした場合、貴下は反対したのではないか、

5. 東京裁判 下

と質間すると、木戸内大臣は「いや、反対していない」と答えた。 キーナン検事の肚づもりとしても、たとえば、天皇の意思は明白たが、軍部の圧力で心ならず しま少し色をつけた答弁が欲しい。にべもない否定だけで も十分に実現させ得なかった、など、、 は、天皇にも平和意図がなかった、という結論になりかねないからである。 しかし、木戸内大臣には別の判断がある。木戸口供書は、木戸内大臣の克明な日記にもとづき、 昭和政治史における宮中、軍部、政府の最高首脳の動きを綿密かつあからさまに告げている。当 然、他の被告たち、とくに軍人被告たちにとっては、かくしたい過去をあばきたてられることに なる。とりわけ陸軍関係の被告には、それまでの立証を吹きとばし、あらためて論告をうけたに ひとしい この率直な木戸口供書の登場によって、被告たちの裁判にたいする態度は、「それなら、こち らもいおう」式の自己主張に大きく傾くことになるが、それだけに木戸内大臣にたいする反感も 任 責燃えあがった。 戦「東条はあんなに人に迷惑をかけるようなことはしませんよ」と、東条大将担任の清瀬弁護人が 皇記者団にいえば、陸軍被告の中で元気のよい佐藤賢了中将、武藤章中将、橋本欣五郎大佐らは、 まっこうから木戸内大臣を面罵した。 章 十 たとえば、 << 級未起訴組の笹川良一が証人訊問をうけるために被告たちと一緒に市ヶ谷に往復 第 したとき、・ハスの中で武藤、佐藤両中将は、はっしと木一尸内大臣を指さして、こもごも笹川良一

6. 東京裁判 下

年四月十八日 ) したドウリットル飛行隊員の処刑の責任、②陸相として米内内閣を倒し東条内閣 成立の誘因をつくった責任、③三国同盟締結の責任にある。 ①については処刑の次官通牒があり、③は畑元帥は責任者ではなかったので、いずれも立証は 容易であった。②が問題だが、神崎弁護人は、むしろ、当時の首相米内光政海軍大将に証言して もらうのが、得策と考えた。 そして、神崎弁護人は、検事側の反対訊問を恐れたといわれないように、他の被告、弁護人に ぎりぎりの時間まで畑元帥証言放棄は告けず、キーナン検事にも、「どうせ死刑でしようか ら存分に話させます」といっておいた。おかげで、あとで弁護人仲間、キーナン検事から非難さ れたが、検事側の追及を避けることができた。ただし、米内大将には気の毒をした。 米内大将は、日本海軍が生んた英才の一人であり、貴公子を思わせる美丈夫でもあったが、見 かけに似ぬ " 口下手 , であった。そこで部下や側近者は「変な傷がついては : : : 」と証言台に立 っことに反対した。しかし、米内大将は「これだけは止めないでほしい。辞職の申入れは畑の意 思ではない」といって、証人喚間に応じた。 米内内閣が倒れたのは、その三国同盟反対に不満をもっ陸軍の強硬論者、とくに軍務局長武藤 章少将らが参謀総長閑院宮に働きかけ、閑院宮から畑陸相に辞職して倒閣するよう指示してもら ったためである。畑陸相は他の陸軍首脳も同意見なのを確かめて、辞表を出した。 米内大将はその事情を知っていたので証言を承知したのだが、法廷では閑院宮云々は公表でき

7. 東京裁判 下

太平洋戦争段階の高橋弁護人の冒頭陳述についても、朗読が終った直後に、小磯被告担任のプ ルックス弁護人から異議が出た。陳述文第七章の「被告人のある者は開戦に反対し」という文句 を、高橋弁護人と一群の弁護人が相談した結果、事前に「被告人たちは開戦に反対」と直して朗 読した。もとどおりに訂正してほしい、というのである。 また、外交部門の最後に、東条被告が証人台に坐る予定があったが、一部の被告の強い反対意 見で中止された事情も、伝えられた。 いずれも、裁判の進行に直接大きな影響を与える事件ではなかったが、明らかに潮流は国家弁 護から個人弁護に、弁明主義から真実主義に変っていることがうかがわれ、個人反証段階では、 むしろ、被告同士の対決に発展する気配さえ感じさせた。 その個人反証段階は、九月十日、荒木貞夫大からアルファベット順に開始されたが、同日の 『朝日新聞』に、東条被告の戒名が用意されたという記事が掲載されていた。 任 責東条家に縁故があるという小倉市西鍛冶町の萬福寺住職、徳永哲雄和尚が、東条夫人の依頼で をし力にもやゆ的で 戦「英照院釈慈光明朗居士」なる戒名を考えた、というのだが、記事の調子よ、、、 皇あり、被告たちの評判は悪かった。 この記事が、被告たちの眉をひそめさせたとすれば、逆に眉をあげ、意外さに眼をみはらせた 章 十のは、荒木大将のロ供内容であった。 「荒木の過去は興奮者達に対する彼の悲壮なる闘争の記録であります : : : 」という、菅原裕弁護

8. 東京裁判 下

た米大統領親電を役に立たぬといった、と述べている。また、海軍についてはー・・・・・海軍側は対米 開戦で無通告攻撃を主張したが、「余は烈しく戦った後、海軍側の要求を食止めることに成功し た : : : ( 自分の証言が他人と食い違っているだろうが ) 余は余の責任を些かも回避せんとするものに 非ざると同時に、他の人々が共の責任を余に押しつけんとしても、之に服そうとするものではな そして、ロ供書は終戦時の努力にもふれたあと、次のような言葉で結ばれている。 「一九四一年に戦争を阻止し得なかったことは余の生涯に於ける大なる痛恨事であったが、一九 四五年之を終結に導き人類の苦悩を軽減することに寄与し得たことは、以て聊か慰めと為す次第 であるー このロ供書は、木戸口供書とならんで軍人被告たちの反感を呼んだ。いや、文官被告たちの間 でも、あまりに自分の立場だけを主張している、と不評を招いた。陸軍中将でもある鈴木元企画 責院総裁は「自己ノ責任ヲ他人ニ転化スルノ心事、実ニ劣等ナリ。彼ハ元来、朝鮮人ノ帰化人ノ種 戦トテ : ・ : 」と、いささか人身攻撃的口調の論評を日誌に記述した。 皇検事側の反対訊問のまえに、木戸被告担任ローガン弁護人、嶋田被告担任・フラナン弁護人が質 問を浴びせたが、東郷元外相は、プラナン弁護人が海軍が無警告攻撃を望んだ証拠があるのか、 十とたずねると、「巣鴨の実例ーを話す、と興奮していった。 「まず ( 昨年 ) 五月半ばと思うが、市ヶ谷にきて昼食後、嶋田と永野が、海軍が奇襲を欲してい いささ ロ 3

9. 東京裁判 下

線に木戸内大臣を誘導しようとした。だが、木戸内大臣の答えは慎重であった。 たとえば、開戦の詔勅について 検事 ( 詔勅は ) 日本国民をして戦争は天皇の真意であり、戦争は日本のためであると思わせる ためではなかったか。 木戸政府は自存自衛上起ちあがらざるを得ないという説明であり、そこでこれは避けられな い立場と思いました。詔勅を出すということは、戦争が決意されれば、これは自然に起って くる問題です。 検事それは天皇の意見か、あなたの意見か。 木戸私の当時観察したことです。 検事それでは、あなたは戦争をする方の味方ではなかったか。 木戸政府が決定した以上、個人の意見がどうあろうとも反対する権限を私は持っておりませ 責 ん。 戦まずは完璧に近い答弁であり、キーナン検事は十月二十三日午後、ルーズベルト大統領の親電 皇間題を最後に、反対訊間をうちきった。 木戸内大臣担任のローガン弁護人は、そのあと数人のロ供書提出をおこなったが、翌日、二十 四日朝、「今後の証人提出をやめて反証を終了する」と述べた。岡田啓介元首相ら十九人の証人 8 第 が用意されていたので、この突然の中止は法廷をおどろかせた。

10. 東京裁判 下

平沼騏一郎Ⅱ① 3 ⑨① 3 広田弘毅①の① 星野直樹Ⅱ①の 3 ⑨① 板垣征四郎Ⅱ①の 3 ⑨① 9 ①朝 賀屋興宣Ⅱ① 3 ⑨① 木戸孝一Ⅱ① 3 ⑨① 木村兵太郎Ⅱ① 3 ⑩①朝① 小磯国昭Ⅱ①の 3 ⑩①① 松井石根Ⅱ① 南次郎日① 武藤章Ⅱ① 3 ⑨①朝① 岡敬純Ⅱ① 3 ⑩ 9 大島浩Ⅱ① 佐藤賢了Ⅱ① 3 ① 重光葵Ⅱの 3 ⑨ 嶋田繁太郎Ⅱ① 3 ⑩ 白鳥敏夫Ⅱ① 鈴木貞一ⅱ① 3 ⑨① 東郷茂徳日①の 3 ⑩① 東条英機Ⅱ①の 3 ⑨ 9 朝 梅津美治郎Ⅱ① 3 ⑨① ウェップ裁判長は読み終ると、午後三時三十分、インド代表判事の反対意見、フランス、オラ 決ンダ代表判事の一部反対意見、フィリビン代表判事の賛成意見、また裁判長自身の意見が提出さ 判れているが、朗読しない、と述べて、十五分後に刑の宣告をおこなう、と立ちあがった。 章十五分間の休憩中に、被告控室から法廷被告席に通ずる通廊の両側は遮断され、法廷の弁護人 十席と被告席の間に五人の武装が立った。ほかに三十一一人のが配置された。 小野寺正たち通訳は、次のような空白入り宣告文案を用意した。形式はきまっているので、 3