太平洋戦争 - みる会図書館


検索対象: 東京裁判 下
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1. 東京裁判 下

昨年の五月六日、当裁判所の法廷に於て大川以外の各被告人は総て起訴事実に対し、一斉に、 『無罪』とお答えをいたしております。被告等は右総ての公訴事実を否定する為の反証をあげる でありましよう : : : 」 ュニバーサル・プラザーフッド 清瀬弁護人は、淡々とした声で朗読していたが、次第にその声は熱し、右こぶしをあげ、ある いはトンと発言台をうち、とうとうと演説口調に変っていった。 清瀬弁論も、「一般問題ー「満州及び満州国に関する事項」「中華民国に関する事項」「ソ連に関 する事項」「太平洋戦争に関する事項」「個人ケース又は個人弁護」の六部門にわかれていた。 このうち、「一般問題」では、まず検事側が主張する「国家の行為に関して、一国家の機関であ ったがゆえに個人が個人的責任をおう」という法理は、古今東西に例をみない、とかねての弁護 撃団の主張を述べたあと、主に日本における対外思想の意味、共同謀議と侵略計画不存在を強調し の 団 護日本には、ドイツのごとき人種的優越感はなく、むしろ、「常にみずからいまだ及ばざること を認め」て向上をはかってきた。独立主権の確立、人種的差別の廃止、善隣友好こそ、明治いら 章 八 いの日本の思想である。 第 ーサル・プ 検事側が侵略思想とみなす「八紘一宇」は、太平洋戦争前の日米諒解案で「ユニ・、

2. 東京裁判 下

ラザーフッド」 ( 世界同胞主義 ) と訳され、同じく「皇道」は「治者と被治者が一心になること」、 つまりは「皇道とデモクラシーと、二つの思想の間に本質的な差異」はない。 また、日本の場合、内閣の誕生は重臣の合意の人選できまるから、特定の組織体による一定期 間の政権保持と特殊計画の実行は不可能である。現に被告たちは年齢、立場、境遇が相違し、か って一度も一堂に会したことがない。 満州事変、支那事変、太平洋戦争は原因も別なら、当事者も別である。それぞれが独立に発生 した事件であり、一貫した世界征服計画によるものでないことは、容易に証明される : 「満州」部門においては、清瀬弁護人は、満州については、一九一七年の石井日ランシング協定 で日本の特殊利益が認められ、ソ連にしても、一九四一年に満州の領土保全を不可侵条約で承認 している、と述べた。 「中国」部門では、蘆溝橋事件の事前の中国側の挑発行為の激しさ、また事件後の行動が事変拡 大をうながしたのであり、責任は中国側にある。また、日本は中国に経済侵略をおこなったこと もないし、かりにあったとしても「経済的侵略はそれ自体犯罪ではない」と、清瀬弁護人はいう。 「ソ連」部門で問題になる張鼓峰、ノモンハン事件は、 : しすれも「協定済」の事件であり、日本 にソ連侵略の企図はなかった。逆に、ソ連はまだ日ソ中立条約が有効である一九四五年一一月に、 ャルタで米英両国と対日参戦を約定している。明らかな「中立条約違反」ではないか。 「太平洋戦争」部門における日本の開戦は、まさに米国の経済圧迫、米国の蒋介石政権援助によ

3. 東京裁判 下

大詰にきた検事側立証 元旦のそうににありつく獄屋かな 昭和一一十一一年の新春をむかえた元外相重光葵の感慨である。 東京裁判は、太平洋戦争開幕の内情をとりあげたのち、戦時中の戦争法規違反、俘虜虐待にか んする検事側立証が十二月三十一日もつづき、なお終らぬままに新年を迎えた。 法廷は、元日は休むが、二日にはまた開く。 暮までの動きで目立ったことといえば、十二月二十八日、再びキーナン検事が帰米したことと、 大晦日に南次郎大将が名物視されていたヒゲを剃りおとしたことなどであろう。 キーナン検事の帰米は、やがて終える検事側立証にともない、その後の裁判の運営について国 第八章弁護団の反撃 2

4. 東京裁判 下

が諜報活動の成果である日本側極秘文書で証明しようとするノモンハン、張鼓峰事件、ただ一人 の証人も現われなかったが多くの秘密文書で明らかにされた日独伊三国同盟成立の裏面、太平洋 戦争開幕に至る最高首脳会議の内容、精密をきわめた真珠湾攻撃計画・ : さらに南京虐殺事件をはじめ、東南アジア全域でおこなわれたという数々の俘虜、住民にたい する虐殺、虐待事件・ : 検事側が有力な資料として提出した書証には、うかがい知ることがなかった宮廷、重臣の動き を克明に記述した木戸幸一内大臣の日記、陸海軍、外務省の金庫の奥深くに秘匿されていた極秘 記録も含まれていた。これら書証の一ページがめくられ、また内外の証人の一言が叫ばれるたび に、閉ざされていた歴史の扉が開かれ、法廷を眺める者の眼には、被告席に坐るのは、かっての 高位者だけではなく、さながら日本国家そのものの感を与えた。 まことに壮大なドラマというべく、しかも、そのドラマはようやく第一幕を終え、さらに第一一 幕のカーテンをあげようとしている。 一一十四日の法廷は、閑散としていた。この日に検事側の立証が終ること、とくに波乱も期待さ れぬこと、注目すべき証人の出廷もないことなどがわかっていたからである。だが、弁護団は全 員が顔をそろえ、閉廷後、直ちに控室に集った。すでに、弁護団側の " 作戦方針〃はきまってい こ 0 反証は、検事側に呼応して、一般、満州、支那、ソ連、三国同盟、太平洋戦争の六段階にわけ、

5. 東京裁判 下

けで「犯罪人」とみなすのでは、そもそも軍隊という存在が否定されねばならない。恣意的な戦 AJ い、つ 争法規違反者のほかは、軍務と " 政治的犯罪〃とを混同することがあってはならない のである。 ベルナール・フランス判事は、。、ル、ローリング両判事と同様、法廷が裁判所条例にたいする 検討を回避したことに遺憾の意を表明するとともに、東京裁判における責任の意義について、次 のように言明している。 「この裁判で審理をうけている者の責任は、『直接の遂行者』の責任とはまったく異なった性質 のものであり、予想されている刑の宣告の重大さは、この責任の性質が明確にされない限り、決 Ⅸ定することができないというのが、真実である これを明確にするには、自分の作為または不 z 作為の必然的結果以外のことに対して、誰も責任を負わされることはありえないことを、思い起 す必要がある」 その意味では、被告は〃不当な責任〃を追及された、とベルナール判事はみなす。なぜなら、 訂東京裁判には予審もなく、起訴、不起訴の権利は検事側に一方的ににぎられ、裁判所には、起訴 を公正に指導する立場と機会が与えられなかった。 章その顕著な " 不平等な結果は、「天皇ヒロヒトに関して特に明白であり遣憾」であった、と 十ベルナール判事はいう。 「太平洋戦争の宣戦は、本官の意見では、平和に対して犯された行為のうちで最も重大なものだ 189

6. 東京裁判 下

に腹はた 「笹川クン、こんなウソつき野郎はいないよ。われわれ軍人が悪くいわれることは、」 たんが、『戦時中、国民の戦意を破砕することに努力してきました』とは、なんということを言 う奴だ。この大・ハカ野郎が」 橋本大佐も、有名な大きな鼻をびくつかせて、怒声をはりあげた。 「本来なら、こんな奴は絞めあげてくれるんだが、今はそれもできんでね」 木戸内大臣としては、こういった軍人の攻撃は覚悟のうえである。木戸内大臣が日記を検事に 提出し、赤裸々にロ供書を書いたのは、なによりもわが眼にうつった真実を「隠すところなく、 恐るるところなく」語ること、内大臣としての立場を明らかにすること、その上で責任を問われ るなら喜んで処刑されよう、という決意からである。 非難も批判も、むしろ、予想どおりだが、同時に答弁は正確で直截でなければならない。なま じ政治的配慮や微妙なニュアンスを加えては、かえって曲解されかねないからである。 木戸内大臣がすでにこのような心底では、それこそキーナン検事のニュアンスに富んだ意図は 通じがたい。キーナン検事は、満州事変、支那事変、三国同盟、太平洋戦争開幕の事情と順をお って木戸内大臣の責任を追及した。形としては、軍国主義者と闘ったといいながら、じつは気脈 を通じていたのではないか、実権はないといいながらじつは背後で大きな政治力をふるっていた のではないか、と内大臣の " 実力者〃ぶりを摘出しようとしながら、キーナン検事は、望む引込

7. 東京裁判 下

日本にはすでに陸軍はないからである。この三日ま 「被告東条、私は貴下を大将とは呼ばない。 たは四日間、貴下が述べたこのロ供書の目的は、自分の無罪を主張しようとしたのか、それとも 日本国民にたいして、かっての日本の帝国主義、軍国主義の宣伝をなお継続しようとしているの カー 質問というよりは雑言に近い発言であり、このキーナン検事の第一間は、たちまちブルーエッ ト弁護人の異議申立てで却下された。 明らかにキーーナン検事は平静さを失っていた。年末でもあるので、法廷は正午に休廷となった が、キーナン検事は「三井ハウス」に帰ると、秘書山崎晴一に、田中隆吉少将を呼べ、すぐ呼べ、 とわめきたてた。 まさに非常事態である。おそらく、東条大将は、太平洋戦争の開戦決定事情に注意を集中して いて、ほかの問題でも天皇責任問題にひっかかるとは思わなかったのだろうが、ウェップ裁判長 が指摘したように、今後、よほど明確な形で前言訂正をおこなわないかぎり天皇の法廷喚問の可 能性は強まったとみなければならない。 いや、現に、法廷が終るや否や、ゴルンスキー・ソ連検事は、「天皇を訴追する十分な根拠が 発見できた」とキーナン検事に進言している。 田中少将は山中湖畔の家にいて、電報をみて「三井ハウス」にきたのは、すでに除夜の鐘の音 が近い深夜だった。しかし、一刻の猶予もできぬ思いにかりたてられて、三人は頭をしぼった。 ー 22

8. 東京裁判 下

その主務者を次のようにきめていた。 ▽「一般」ⅱ鵜沢聡明、ウィリアム・ローガン ▽「満州」Ⅱ岡本敏男、フランクリン・ウォーレン ▽「支那」ⅱ神崎正義、アリステイディス・ラザラス ▽「ソ連」Ⅱ花井忠、・ヘン・フルース・・フレイクニー ▽「三国同盟」 = オーウエン・カニンガム ▽「太平洋戦争ーⅱ清瀬一郎、ジョージ・・フルーエット ミス ) はディヴィッド・スミス弁護人、検事側 一月二十七日におこなう公訴棄却動議 ( ディス・ しせんとして、弁護団は費 の冒頭陳述にあたる弁護側の冒頭弁論は、清瀬一郎弁護人があたる。、・ 用難、人手難、資料難その他、準備不足に悩んでいた。 ウォーレン弁護人は一月二十日、とくに発言を求めて、弁護団側には「謄写版がたりず、動議 撃などの文書の印刷にこと欠いている。検事側の言語部からの援助を期待し、彼らも約束したのに の援助してくれない」と、ウェッ・フ裁判長に申し立てた。 護 しかし、いまは困難な事情を眺めている段階ではない。控室で開かれた弁護団総会では、これ 弁 までの曲折にも増してさらに曲折が予想されるが、弁護団は団結してことにあたりたい、 と鵜沢 八団長が述べ、一同は、ぬるい茶をすすって全力をつくすことを誓いあった。 二十四日は、前夜半から降りだした雪が大雪となり、法廷が位置する市ヶ谷も白色におおわれ

9. 東京裁判 下

転房した元帥の部屋の小窓が大破していて、元帥は修繕を要請したが、未修理のままになって いた。吹きこむ朝晩の寒風が、六十六歳の元帥の肺の活力を奪ったものであろう。元帥は、新聞 記者たちから " 諦観派 , とみなされていた。出身は高知。その特産 ( ? ) の土佐大にも似て、底 深さを感じさせる風貌を動かさず、茫と被告席に坐っていた。元帥の居眠りは、昔から名高く、 重要会議でもしばしば舟をこいだ。法廷でも、たいていメモをとるか、でなければ双眼をとじた 居眠り状態を示した。 しかし、元帥は武人としての自負と誇りは、その一片も捨てることはなかった。前年十一月十 四日、太平洋戦争段階で開戦責任に論議が集中したとき、検事側は海軍の真珠湾攻撃の責任者を 永野元帥、故山本五十六連合艦隊司令長官と見定め、元帥の訊問調書を証拠に提出した。 その中で、元帥は次のように明確な問答をおこなっている。 間ソレデ閣下ハ真珠湾攻撃計画ニ賛成シタノデスネ。 答ソウデス。 問ソノ間ノ事情ヲ解釈スルニ、閣下ノ此ノ賛成ガ真珠湾攻撃ノ決定要因ダッタノデアリマス ネ、ソウデハ有リマセンカ。 答ソウデス。 問ソレデ私ノ考エデハ、閣下ハ事実ニ徴シ之ニ対シ喜ンデ責任ヲ負ウモノト考エマスガ、如 何デショウ力。 6

10. 東京裁判 下

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