板垣 - みる会図書館


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1. 東京裁判 下

東条大将は、細心な性格を表わすように、夫人勝子に細かく死後の注意を与えたのち、三浦 ( 義一 ) 先生に伝言を頼む、といった。夫人は、用意のノートを広げ、鉛筆をにぎった。 「第一、裁判の結果、皇室に大きなご迷惑をかけずにすんだことを感謝していると伝えてくれ。 第二、私は大和民族の血を信じているから、前途には明るい見通しをもって死んで行くと伝えて くれ : : : 」 筆記する夫人の手もとを眺めていた東条大将は、夫人が鉛筆をとめるのをみると、「もはや、 しい残すことは何もない」と、夫人の顔を眼鏡ごしに注視しながら微笑して、立ちあがった。 広田元首相は、板垣大将とならんで、令息、令嬢と話した。相変らず、なんの屈託もない様子 z で、中国の情勢を解説して、「シナはきっと共産党の国になるな」といったりしていたが、チラ z と隣に視線を走らせて、 「まア、こんなことになったのも、この軍人の・ハカどものおかげだなア」 冗談である。板垣大将については、前回の面会のとき、「板垣というャツはさつばりしたヤッ だ。私の所にきて、あなたのような人をひつばりこんで、まことにすまん、と頭を下げていた よ [ と、語っていた。親愛感の表明の一種かもしれない。しかし、それにしても、板垣大将の家 章族もいることた。次男正雄は、あわてて、 ハと呼びかけようとしたが、広田元首相は、いたず 十らげに眼で笑うと、話題を変えた。 その板垣大将も、夫人、令息、令嬢たちを前にニコニコしていた。前夜は、入浴を命じられ、 205

2. 東京裁判 下

もっとも、招待は日本側だけではなく、十月十七日、キーナン検事は、小石川・音羽の宿舎 「三井ハウス」に、岡田啓介、若槻礼次郎、米内光政、宇垣一成四氏を招いた。若槻元首相は伊 東市から上京して参加したが、キーナン検事のほか、タベナ 1 検事夫妻、ホルウィッツ、ワイリ ー検事その他も出席して一同をもてなした。 カクテル。、 ーティーだが、若槻元首相の描写によると、「カクテルのコップが減れば、あとか らあとから注いでくれる。料理も前に沢山並べてあって給仕の人が取ってくれる。減ればまた取 ってくれる」といった調子で、結構であった。 キーナン検事は、「日本における真の平和愛好者はあなた方四人であるー「その努力をアメリカ に知らせたい」「近い将来、ぜひアメリカに来ていただきたい」とあいさっした。裁判には一言 もふれない。若槻元首相らはおかげで「非常に愉快に : : : かなり酔って」、宇垣大将は軽い脳貧 血を起したほどであった。 責このキーナン検事の招待は特別の意味を持ったのではなく、三文字弁護人も感じた対日〃雪解 戦け〃感情の披瀝であったが、キーナン検事の胸中には、そのころ、ある種のあせりが芽ばえはじ 皇めていた。 十軍人の木戸内大臣攻撃 法廷では、広田元首相につづいて星野直樹元満州国総務長官、板垣征四郎大将、賀屋興宣元蔵 95

3. 東京裁判 下

▽武藤中将ⅱ午前零時十一分 ▽松井大将午前零時十三分 〔午前零時八分〕ーー・板垣大将、広田元首相、木村大将がが仏間〃に到着した。東条大将ら四人 と同じように、三人は花山教誨師の読経を聞き、焼香をすませ、・フドウ酒をのんだ。花山教誨師 が、なにかご家族にお伝えすることがありますか、とたずねると、広田元首相は、答えた。 「ご覧のとおり身体は別に異状はない。ただ健康で黙々として死についていったという事実を、 どうかお伝え願いたい」 そして、そのあと、ふと眼を輝かすと、他の二人を眺めて、いった。 「そうだ、前の連中はマンザイをやっていたな、われわれもやろう」 「マンザイ あ、・ハンザイですか」 「そう、マンザイだよ」 けげんそうに問う花山教誨師に、広田元首相はうなずくと、「あんた、やんなさい」と板垣大 将に音頭をとらせた。板垣大将の大音声がひびき、介添えの米兵は眼をむいて肩をすくめた。 〔午前零時十九分〕ーー三人は処刑場にはいり形どおりの点呼ののち、処刑台に進んだ。途中、 板垣、木村両大将は正面を直視したままだったが、広田元首相は、レセプション会場に到着した 客が出迎える主人に目礼するように、シーポルト代表たちの顔を見つめて過ぎた。 シーポルト代表は、その広田元首相の眼差しを、「同情と理解とを訴えている」とうけとった。 2

4. 東京裁判 下

これらの動議をおこなうことは、すでに裁判長控室で、ウェップ裁判長に、ローガン、清瀬両 弁護人から通告ずみであった。むろん、通知をうけた裁判長が、法廷でどのような態度を示すか は別間題であるが、裁判長はまず「不当審理動議」は、これまでの審理を破棄せよというにひと しいから、問題外だ、と却下した。 そして、つづいて「マッカーサー動議」にふれ、これもすでに清瀬弁護人がおこなった裁判管 轄権にかんする異議申立てと重複する、だから、「個々の被告を代表する動議」だけをしてほし と発言した。 動議は、必ずしも全被告が参加していなかった。たとえば「不当審理動議」には東条、鈴木、 賀屋、大島、土肥原、板垣、松井、星野、木村、岡、「マッカーサ 1 動議」には、東条、鈴木、 賀屋、大島、土肥原、板垣、松井、平沼、木村、岡とそれそれ十人の被告が反対し、「一般動議」 にも鈴木、賀屋、大島、板垣、松井、星野六被告は不参加であった。 撃 ウ = ツブ裁判長は、この点を考慮して被告全員が関係する「個人動議」をおこなえ、と指示し のたのだが、スミス弁護人は、承服しなかった。 護「一般動議」はたしかに管轄権問題を含んでいるが、それは清瀬議論のむし返しではない。「全 然論議されていない証拠不十分あるいは非常に広範囲の法律問題」をとりあげている、とスミス 八弁護人は指摘して、いった。 「本日被告席にいる被告の大部分も、この動議に参加している : : : 必要なら、われわれ弁護団は

5. 東京裁判 下

私には責任があるのです , ーーというのが、広田元首相の主張である。畑被告担任の神崎弁護人 は、広田元首相にたいする検事側の追及が深刻であることを憂慮し、一案を思いついたことがあ る。広田元首相が問われる責任のひとつに、広田内閣当時、五相会議で決定した対支 ( 那 ) 三原 則がある。この三原則こそ太平洋戦争へのべースであり、ゆえに広田こそ侵略主義の元凶だ、と 検事側はいう。そこで、神崎弁護人は当時の陸相寺内寿一元帥がすでに死亡しているので、実際 の立案者は寺内元帥ではないか、と法廷控室で問い 、暗に肯定をすすめた。ところが、広田元首 相は神崎弁護人をにらみ、厳然と答えた。 「とんでもない。私は総理大臣です。寺内がやったのではない。神崎さん、それはいかぬ。私が やらしたので、寺内がやったのではない」 広田元首相は、証言台に立たぬ理由を佐藤賢了被告に間われ、「自分はこれまで自分で計らわ ずに来た。首相になったのも、外相になったのも、やむを得ずなった。この期に及んで今さら自 ら計らう気はない」と答えたとのことだが、自己弁明の拒否だけはけっして譲ることはなかった。 証人有田八郎元外相のロ供書の中に、板垣征四郎被告に不利な個所があり、板垣被告は広田元 首相に、その部分の削除を有田元外相に頼んでほしいと要求した。広田元首相の補助弁護人守島 伍郎公使は、軍人との妥協を排して事実を述ぶべしと反対したが、広田元首相は板垣被告の申入 れを承知した。守島公使は弁護人を辞任した。 広田元首相の弁護陣は手うすとなった。スミス弁護人辞任にともない、ジョージ山岡弁護人が ー 02

6. 東京裁判 下

人に忠告した。 「どうだ、喜久雄さんの具合は : : : 」 板垣大将の第一声は、この日も山口少佐の病状だったが、喜久子夫人は顔を伏せた。落ちつい たようだ、と低い声で答えた。大将は、そうか、信仰をもって気長に養生するよう伝えてほしい という。夫人は、あわてて、大将に頭を下げた。 「あなたの一生を申しわけのない一生にしてしまいましたけど、どうぞお許しになって下さい」 すべてを含めての詫びのつもりであったが、板垣大将は、おだやかに夫人を見つめて、言った。 「とんでもない : : 詫びたいのはわたしのほうじゃないか」 いつの間にか金網をにぎりしめていた喜久子夫人の手が、ゆれた。同じように万感をこめてす がりつく家族たちの、無意識の動きに金網がふるえるのであろう。 木村夫人可縫は、遅れて部屋にはいったおかげで、金網の前がいつばいなのに気づいて当惑し た。肩ごしに木村大将の姿を探すと、大将ものびあがって夫人を求めていた。視線が合うと、大 決将はあたりを見まわし、急いで金網の端のほうに急いだ。空いている場所があるらしい。 判可縫夫人もその方角に家族たちをかきわけて進むと、端にいたのは東条大将夫人勝子であった。 章可縫夫人は、その横顔に注いだ眼をそらせなくなった。東条大将の極刑は、〃常識みとして語ら 十れている。 可縫夫人の胸に、東条夫人にたいする同情がこみあげた。木村大将については、弁護人も新聞 165

7. 東京裁判 下

どうぞ : : いえ、お先に」と腰をかがめてしまった。 面会は、金網をへだて、互いに立ったまま話しあう。二十二人の被告が一列に並ぶと、もう肩 と肩をおしつけあう形である。こちら側の家族は、夫人だけでなく、中には子供、孫、兄弟もい るので、ごった返しという形容そのままの様子だった。 小磯元首相には、嫁二人が会いにきた。四、五十人がいっせいに話しあうので、なかなか聞き とりにくい。まして身内の内輪話なので、他人の耳を気にしたくなる。小磯元首相も、気がつく と、金網にびたりと耳をおしつけていた。 「おトウさん、世間の評判では、おトウさんの刑は三年か五年だといっていますよ。三年だとい いですねェッ」 一心に語りかける二人に、ト / 磯元首相はうなずいて笑いかけた。 「そうかい。しかし、そんななまやさしいものじゃないようだよ」 武藤中将夫人初子は、あれこれと話しているうちに、ふと、翌日の刑の宣告日にも法廷にきた と思って、武藤中将にいうと、中将は、丸い眼鏡の奥に眼を光らせて、首をふった。 「なにもかもきまっているようなものだ。傍聴する必要もあるまい 板垣大将夫人喜久子は、胸が重かった。その前日、長女喜代子の夫・山口喜久雄軍医少佐が国 立第一病院で死亡した。板垣大将は、かねて山口少佐の病気を心配して、面会のたびに質問して と喜久子夫 いた。山田半蔵弁護人は、しかし、そのことを大将に告げるのは控えたほうがいい、

8. 東京裁判 下

おまけに「キャ。フテンが髪を刈ってくれた」ので、いよいよか、と思ったという。夫人が、米最 高裁判所のことを話すと、「はア、そうかね」ーー・と、大将は、いとも気軽な反応を示したたけ であった。 円満というか、春日のようなというか、板垣大将の顔には微笑以外にはなにもなく、夫人たち も笑声をあけつづけた。 悲しみは、そのあとでわいてきた。面会時間が終ると、板垣大将はドアにかくれ、家族たちは の先導で退出したが、廊下に出ると、は一同を制止した。 少し先のドアから七人が、同じく面会があったらしい他の被告たちと一緒に、背をみせて監房 に帰って行く姿がみえた。誰も気づかない。家族たちは、息をつめ、ただ静々と遠ざかる父、夫 の背を凝視した。 面会は月一回と定められている。七人の家族は、ひとしく、次の面会日での再会を願っていた が、同時に、その願いは明日にもくだかれる不安につつまれてもいた。その不安と緊張が声帯を こわばらせたのか、誰も声をかけぬうちに、懐しい肩は消え、足音は消えた。 米最高裁判所には、二日、木戸、岡、嶋田、佐藤、東郷被告が、ローガン弁護人を通じて、東 京裁判の無効宣言を要請する訴願を提出した。 : 、 カ一般の予想は、消極的であった。ワシントン から伝えられる外電は、一致して、最高裁判所が却下するものと観測していた。 十二月六日、マッカーサー元帥は対日理事会代表シーポルトを招き、東条大将ら七人の処刑に

9. 東京裁判 下

止されることになった。 「 : : : よって日支事変の勃発に最も関係多ぎ共産党 ( 蘇聯を背景とする ) の策謀が我判資料より除 外されることとなった」と、重光元外相が遺憾の文字を日誌につらねると、畑俊六元帥も、のち に、次のように回想した。 「裁判終了後、中国代表の梅汝敖判事は中共に移っている。 ( 裁判当時を ) ふりかえってみて、お かしな気がする」 五月三日、 土曜日なので法廷は休みであった。宮城前は新憲法発布の記念式典でにぎわい、巣鴨でも、被 告たちは新憲法と〃新日本〃の前途に想い想いの感慨をかみしめていたが、そのころ、山形県酒 田市の酒田ホテルで、検事・ダニガンは極度の渋面のまま、むつつりしていた。 ダニガン検事は、ニュージーランド代表判事エリマ・ノースクロフトを長とする石原莞爾中将 件にたいする特別出張訊問団の主任検事である。一行は、弁護側から・ウォーレン ( 土肥原、岡 殺被告 ) 、・マタイス ( 松井、板垣被告 ) 、・レビン ( 鈴木被告 ) 、岡本敏男 ( 南被告 ) 、板埜照吉 ( 板 京垣被告補助 ) 、笹川知治 ( 板垣被告補助 ) 、金内良輔 ( 大川被告補助 ) 弁護人も加わり、総員五十六人 で特別列車を仕立て、四月一一十五日、上野駅を出発した。 章 九石原中将は、満州事変のさいの関東軍作戦参謀であり、また昭和の陸軍きっての逸材と認めら れている。満州事変段階では、事変の内幕を知る最重要証人として出廷を期待されていたが、五

10. 東京裁判 下

立証は、「原田日記」の被告に有利な部分の引用を含めて、ほとんどが宣誓供述書でなされ、 奐間された証人は、板垣被告担任マタイス弁護人による宇垣一成元外相、東郷被告担任・フレイク ニー弁護人による法眼晋作外務事務官、木戸被告担任ローガン弁護人による鈴木九萬元外務省在 敵国居留民関係事務室長の三人であった。そのほか、立証にあたった弁護人と採用された宣誓供 述書は、次のとおりである ( カッコ内は関係問題 ) 。 ▽ラザラス弁護人 ( 畑 ) Ⅱ第十三軍参謀岡田隆平 ( ドウリットル隊飛行士処刑 ) ▽ローガン弁護人 ( 木戸 ) 日医学博士佐々廉平 ( 原田男爵の健康状態 ) ▽ブルックス弁護人 ( 南 ) Ⅱ安保清種元海相 ( 「原田日記」がいう南被告の国際連盟軽視 ) ▽コール弁護人 ( 武藤 ) ⅱ石渡荘太郎元宮相、中村雅郎元陸軍軍務局長 ( 米内内閣倒閣、太平洋戦争 開戦 ) ▽島之内弁護人 ( 大島 ) Ⅱ橋本群元参謀本部第一部員、河辺虎四郎元駐独大使館付武官、山本熊一 元外務次官、斎藤良衛元外務省顧問、宇佐美珍彦元駐独大使館参事官、前田稔元軍令部第三課長、 決松島鹿夫元欧州特派大使 ( 大島の枢軸外交 ) 判▽ブルックス弁護人 ( 小磯 ) Ⅱ石渡元宮相 ( 「原田日記」がいう小磯拓相の中国法幣にかんする放言 ) 章▽ブルーエット弁護人 ( 東条 ) Ⅱ山県有光、嬉野通軌元参謀本部部員 ( ペテルスドルフ証言、俘虜輸 送間題 ) 第 ▽ファーネス弁護人 ( 重光 ) Ⅱ田中隆吉少将、矢野光一一元特務機関員、横井忠道元ハイラル特務機 133