と質間すると、木戸内大臣は「いや、反対していない」と答えた。 キーナン検事の肚づもりとしても、たとえば、天皇の意思は明白たが、軍部の圧力で心ならず しま少し色をつけた答弁が欲しい。にべもない否定だけで も十分に実現させ得なかった、など、、 は、天皇にも平和意図がなかった、という結論になりかねないからである。 しかし、木戸内大臣には別の判断がある。木戸口供書は、木戸内大臣の克明な日記にもとづき、 昭和政治史における宮中、軍部、政府の最高首脳の動きを綿密かつあからさまに告げている。当 然、他の被告たち、とくに軍人被告たちにとっては、かくしたい過去をあばきたてられることに なる。とりわけ陸軍関係の被告には、それまでの立証を吹きとばし、あらためて論告をうけたに ひとしい この率直な木戸口供書の登場によって、被告たちの裁判にたいする態度は、「それなら、こち らもいおう」式の自己主張に大きく傾くことになるが、それだけに木戸内大臣にたいする反感も 任 責燃えあがった。 戦「東条はあんなに人に迷惑をかけるようなことはしませんよ」と、東条大将担任の清瀬弁護人が 皇記者団にいえば、陸軍被告の中で元気のよい佐藤賢了中将、武藤章中将、橋本欣五郎大佐らは、 まっこうから木戸内大臣を面罵した。 章 十 たとえば、 << 級未起訴組の笹川良一が証人訊問をうけるために被告たちと一緒に市ヶ谷に往復 第 したとき、・ハスの中で武藤、佐藤両中将は、はっしと木一尸内大臣を指さして、こもごも笹川良一
いや、そもそも " 無法の裁判〃だ、常識は通るまい。有罪なら死刑だろう : ・ と、にわかに被告たち、弁護団、さらに新聞記者たちの間にも、刑の宣告についての下馬評が 盛んになった。 ウェップ裁判長の朗読はよどみなく、満州、中国、ソ連段階へと進んでいった。その内容は、 冒頭に弁護側証言の無価値を言明しているだけに、ほとんど検事の論告そのままであった。 次々に指摘される被告たちの名前は、 : しすれも断罪のきびしさを予感させるように、強く責任 を問われている。週末の休廷日である十一月六日 ( 土曜日 ) 、武藤中将は、それまでに朗読された 判決文を分析してみた。とくに判決文に表われた判事の基本的な考え方を、次のように観察した。 ①大東亜戦争を支那事変の発展とみて、支那事変を侵略戦争と判定して、従って大東亜戦をも 侵略戦と推論せんとする狡猾な論法を採用している。 ②満州事変を陸軍の共同謀議とし、この発展途上、陸軍は政府を陸軍の意志に屈服せしめんと して、広田内閣において完全にその目的を達成して、昭和十一年八月十一日、世界征覇の国 決 策が策定せられた。これが大東亜戦争への共同謀議である、とみている。 判武藤中将は、かすかな予感をおぼえた。明らかに陸軍に焦点が置かれている。中将自身は、か 章りに陸軍が侵略の元凶と判定されても、佐藤賢了中将とならんで陸軍被告の中の最下級者である 十自分は「無罪を確信する」が、一方、東京裁判はポッダム宣言という政治命令にもとづく〃政治 裁判〃である。
田中少将の証言は、訊問書よりは語調が緩和されている。たとえば、訊問書には次のような間 答がみられる。 被告東条ガ陸軍大臣デアッタ時、誰ガ彼ノ腹心ノ人デシタカ。 答武藤デアリマス。彼ガ軍務局長トシテ在職中ノ時デアリマス。武藤ハ東条ノ腹心以上ノ人 物デ彼ハ東条ノ頭脳デアリマシタ。東条ハ実ニ蓄音機ノ「レコード」ノ如キモノデ、武藤ガ 蓄音機ヲ扱ッタノデアリマシタ。 たしかに、武藤中将は陸軍部内の有数の秀才であり、とくに軍政面での手腕は高く評価された。 裁判終了後、キーナン検事も、「被告の中で最も頭が良いのは武藤だ。彼が実業家を志せば一流 大会社の社長になったろう」と、秘書山崎晴一にもらした。 田中少将の証言は、だから、あながち虚構とばかりはいえず、武藤中将の実力については被告 たちのほとんどが思い知っていた。 しかし、田中証言は、それが武藤中将にとって致命的打撃と認められるだけに、評判は悪かっ た。田中少将が武藤中将にたいする劣等意識から、しきりに中将を批判していた過去は、知られ ている。証言は、私怨の表われとうけとられるからである。 神崎弁護人も、あらためて田中少将の人格に疑問を提供された想いで、眉をしかめたが、その ころ、神崎弁護人はじめ弁護団には、あまり田中少将に注意をはらう余裕はなくなろうとしてい こ 0
をすることになるが、当時はただ、田中少将の利用を思いついただけであった。 田中少将は、一月二十一日、二十二日にも証人台に登場した。それまで、法廷は、フィリ。ヒソ、 仏印での俘虜虐待問題を経て、検事側立証の最終段階である被告各個人にたいする補足証拠提出 に。いっていた。田中少将は、きわめて明確に軍務局長武藤章中将にたいする不利な証言をおこ よっこ 0 田中少将は、昭和十六年十一月二十九日、武藤局長がその四日前に通告された ( ル米国務長官 の〃最後通牒〃にかんして、「受諾すれば日本はじり貧になって減びてしまう、どうしても戦わ なければなるまい、といった」と述べた。 また、開戦の十二月八日、東条首相兼陸相の訓示を聞くために集ったさい、武藤局長は「これ で東条陸相は英雄になった」と笑ったといい 、翌九日の局長会同では、武藤局長は「来栖三郎大 使および客船竜田丸の米国派遣は戦争開始までのカムフラ 1 ジ = であった」と発言した、と証言 撃した。 のそして、いかに武藤軍務局長が実力者であったかについて、東条大将も、軍務局が持っていた 護「ドイツのヨーロツ。 ( 進出と呼応してアジアに共栄圏を作ろうという軍務局の一貫した方針」に おどらされていた、といし 、三国同盟問題で米内内閣が崩壊したとき、陸相だった畑俊六大将は、 章 八「武藤にしてやられた。飼犬に手をかまれたんだ、 ( 米内内閣打倒は ) 自分の本旨ではない」と述懐 した、と述べた。
▽ディヴィッド・スミス日広田弘毅 ▽ジョージ・ウィリアムス日星野直樹 ▽ウィリアム・ローガンⅡ木戸幸一 ワード ▽ジョセフ・ Ⅱ木村兵太郎 アルフレッド・・フルックスⅡ南次郎、小磯国昭、大川周明 ▽ロジャー ・コール日武藤章 ママイケル・レビンⅡ賀屋興宣、鈴木貞一 フロイド・マタイスⅡ松井石根、板垣征四郎 ▽オーウエン・カニンガム日大島浩 ▽ジェームス・フリ 1 マンⅡ佐藤賢了 ▽ジョージ・ファーネスⅡ重光葵 撃▽エドワード・マクダーモットⅡ嶋田繁太郎 の▽チャールス・コードル日白鳥敏夫 護▽ジョージ山岡 ( ペンプルース・プレイクニー ) = 東郷茂徳 ▽べン・フルース・プレイクニ 1 Ⅱ梅津美治郎 章 「個人動議」の提出は、一月二十九日午前十一時すぎまでつづき、そのあと、スミス弁護人が、 法律的反ばくを主体とする「一般動議」の朗読を求めた。
粛然、というよりも、寂然とした心境で朝を迎えたのは、 " 死刑組〃七人であった。 前夜は、ほとんど安眠できなかった。収容された第一棟は、かっての居住区であったが、床板 を張りかえたあとはまだ畳もはいらず、ホコリがたまっていた。武藤中将は、クッ下を雑巾代り にして床をふき、ほうりこまれてあったふとんを敷いた。 ーをまるめて枕代りに眠ったが、ウトウトしたと思うと、看守兵に起された。看守兵は 十人以上も廊下にたむろしている。毛布がアゴまでかかっている、「ノドが見えるように下げろ」 という。二度、三度と同じ注意で起され、朝を迎えたときは、睡眠不足でマ・フタが重かった。 おそらく、他の六人も同じような環境であったろう、と武藤中将は、・ほんやりとふとんをたた みはじめたが、なんとなくものたりない想いにおそわれた。それはなにか、と自問し、そうだ、 ウェーの声が聞えないことだ」と気づいた瞬間、別の想いが頭をかすめた。 「俺は死刑囚だ」 とたんに「心臓がドキッと打った」と、武藤中将は書き遺しているが、たぶん、その想念が死 にたいする意識を強めたのであろう。武藤中将は、隣の東条大将を訪ねると、話しこんだ。 「私はスマトラの師団長時代から、急に母の恋しさがわいてきまして、その後苦戦の場合も : ・ 巣鴨に来てからも、何かにつけ母を思うのです。私は宗教的に霊魂問題をどうのこうのいうので はありません。私は私の死の瞬間に母のフトコロに入る気がします。私は、小学校にかようころ まで、母の乳房を吸っていました : : : 」 「鈴木さんのウェー
平沼騏一郎Ⅱ① 3 ⑨① 3 広田弘毅①の① 星野直樹Ⅱ①の 3 ⑨① 板垣征四郎Ⅱ①の 3 ⑨① 9 ①朝 賀屋興宣Ⅱ① 3 ⑨① 木戸孝一Ⅱ① 3 ⑨① 木村兵太郎Ⅱ① 3 ⑩①朝① 小磯国昭Ⅱ①の 3 ⑩①① 松井石根Ⅱ① 南次郎日① 武藤章Ⅱ① 3 ⑨①朝① 岡敬純Ⅱ① 3 ⑩ 9 大島浩Ⅱ① 佐藤賢了Ⅱ① 3 ① 重光葵Ⅱの 3 ⑨ 嶋田繁太郎Ⅱ① 3 ⑩ 白鳥敏夫Ⅱ① 鈴木貞一ⅱ① 3 ⑨① 東郷茂徳日①の 3 ⑩① 東条英機Ⅱ①の 3 ⑨ 9 朝 梅津美治郎Ⅱ① 3 ⑨① ウェップ裁判長は読み終ると、午後三時三十分、インド代表判事の反対意見、フランス、オラ 決ンダ代表判事の一部反対意見、フィリビン代表判事の賛成意見、また裁判長自身の意見が提出さ 判れているが、朗読しない、と述べて、十五分後に刑の宣告をおこなう、と立ちあがった。 章十五分間の休憩中に、被告控室から法廷被告席に通ずる通廊の両側は遮断され、法廷の弁護人 十席と被告席の間に五人の武装が立った。ほかに三十一一人のが配置された。 小野寺正たち通訳は、次のような空白入り宣告文案を用意した。形式はきまっているので、 3
しかし、ローガン弁護人は明らかに〃勝利〃を確信し、キーナン検事も敗北を認めざるを得な っこ 0 反対訊間を終えたとき、キーナン検事は、ふと、後ろをふりむいた。東条被告が、なにを面白 がったのか、ニコニコしていた。視線が合い、キーナン検事も破顔した。被告席で眺めていた重 光元外相は、「之が解顔と云うことである、裁判もスポーツ気分になって然るべきである」とう なずいたが、キーナン検事が東条被告を見て一笑したのは、次の目標を確認したからであり、そ つ。ほく語った。 の夜、キーナン検事は、秘書山崎晴一ににが 「キドは頭がいし よすぎる。だから日本の運命を誤らせたともいえる : : : こんどはトウジョウ だが、よほど慎重にやる必要がある : : : 」 「東条、鈴木、嶋田」 木戸内大臣のあと、小磯国昭元首相、松井石根大将、南次郎大将、武藤章中将、岡敬純海軍中 将、大島浩元駐独大使、佐藤賢了中将、重光葵元外相、嶋田繁太郎海軍大将、白鳥敏夫元駐伊大 使、鈴木貞一元企画院総裁、東郷茂徳元外相と個人反証がつづいた。 この間、十一月六日、新たに伍堂卓雄、四王天延孝、太田正孝、池崎忠孝、横山雄偉の級未 起訴組五人が巣鴨拘置所から釈放された。 秋は深まり、市ヶ谷にも菊花が美しく咲き、被告たちの眼を楽しませていた。
小磯国昭元首相Ⅱ終身刑。イヤホーンをつけたまま一礼した。 松井石根大将絞首刑。たった一つの訴因で死刑である。一一、三度、軽くうなずいた。 南次郎大将Ⅱ終身刑。宣告が終っても胸をはって立っていた。ケンワージー憲兵隊長が手をの ばしてイヤホ 1 ンをはずすと、もう終りか、というふうに隊長を見て退出した。 武藤章中将Ⅱ絞首刑。やはりそうか、という感じでうなずき、微笑して、軽く目礼した。 岡敬純中将Ⅱ終身刑。黙然と無表情のままで背をむけた。 大島浩元駐独大使Ⅱ終身刑。大またで歩いて行った。 佐藤賢了中将終身刑。大きな頭をさげると、外人傍聴席から笑声が起った。 重光葵元外相Ⅱ禁固七年。通訳の日本語を聞かずに退廷した。 嶋田繁太郎大将ⅱ終身刑。きちんとした一礼を残して去る。 鈴木貞一元企画院総裁Ⅱ終身刑。頭髪がポサポサだった。むつつりと唇をひきしめ、ぎろりと 眼をむいた。 東郷茂徳元外相Ⅱ禁固一一十年。不機嫌そうにうつむいた。 東条英機大将 = 絞首刑。両手を背にくみ、ゆったりと現われた。わかった、わかっとる、とい いたげにうなずいた。 賀屋興宣元蔵相、白鳥敏夫元駐伊大使、梅津美治郎大将については、欠席のままいずれも終身 刑を言い渡し、ウェッ・フ裁判長は午後四時十一一分、宣言した。 ー 76
夕食Ⅱソーセージ、トマト、スウィートボテト、キャベッ、白パン、トウモロコシ、コーヒ と、鈴木元企画院総裁は、「カカルゴ馳走ヲ頂キ国民ニ申シ訳ナシ」と述懐しつつも、感銘を こめて連日の献立をせっせと日誌に記録した。 満腹は、ゆったりした気分をさそう。自殺防止のための警戒措置はきびしく、鉄片やクギ、石 さえもひろわせぬように、第二棟と第三棟の間の中庭にわざわざ約三十坪の板張りの散歩場を新 設するほどだったが、被告たちは、あるいは互いに訪問して談笑し、碁、将棋、トランプ、マー ジャンなどに興じて、日をすごした。 ーク ( 上野公園 ) 武藤章中将は、石守兵をからかって楽しんだ。看守兵が中将に、ウェノ・パ にある銅像はお前か、とたずねた。なんのことかと首をひねっていると、大をつれている銅像だ、 という。西郷隆盛像と気づいた武藤中将は、そこで、答えた。 「イエス。ィット・イズ・マイ・グランドファーザー」 ( さよう。私のお祖父さんである ) 「わかった。で、汝のお祖父さんはどんな人物か ? 」 ・イズ・ア・ ハンター」 ( 猟師である ) 「偉大なる猟師か ? 」 「イエス、イエス。ア・グレイト・ ハンター」 ( そう、そう。大猟師である ) 豊富な食事と気楽な生活のおかげか、被告たちの血色はよくなり、肥りだした。小磯元首相に 巧 4