合法性を主な論点にしているが、初期の「異議」には全被告が足なみをそろえながら、「ディス・ 、、ス」には不参加者が出ている。 ひとしく戦争犯罪人とはいえ、過去において陸軍、海軍、外交官がそれぞれに立場を異にした 以上、裁判にのぞむ場合も、それら立場の相違にもとづく考え方と、対処の方針はちがうとみな されたからである。 いいかえれば、国家弁護の基本は是認しながらも、具体的には個人弁護を強調する傾向が濃く なり、それは弁護側の大方針闡明である冒頭陳述にも、反映することになった。 清瀬弁護人の国家弁護 清瀬弁護人の冒頭陳述は、一月はじめごろには早くも骨子が用意され、弁護人の間に回覧して 意見が求められた。 ところが、清瀬案は難航した。神崎弁護人によれば、「外務省系の弁護人を主とする方面から は、『戦争の責任は軍にあるのだ、それに清瀬冒頭陳述のような陸軍色で書かれたものの尻馬に は乗れない』と、はじめから反対の組があった」からである。 情熱家の林逸郎弁護人などは、打合せ会議のさい、「なにをいうか、お前たちのような者に国 家の大事が判るか」とどなり、鉄拳をふりあげて高柳賢三、戒能通孝両弁護人にせまる有様であ っこ 0
な論告にたいして、弁護団はなにを応えようとするのか それは、敗北した日本の抗弁にもなるはずである。 法廷は緊張に静まりかえって、清瀬弁論の開始を待ったが、ウ = ツ・フ裁判長は開廷宣言が終る や否や、せかせかと米軍機関紙『スターズ・アンド・ ストライ。フス』紙を非難しはじめた。 弁護側の冒頭陳述には、清瀬弁論のほかに、弁護人高柳賢三博士の法理論的陳述も用意されて いたが、その内容が同日朝刊の『スターズ・アンド・ストライプス』紙に掲載されていた。 これは法廷の機密保持に反し、また「本法廷を侮辱するものだ」と、ウ = ツブ裁判長は指摘し た。しかし、裁判長は「時間の空費を避けるため」、高柳博士から入手して報道した通信記 者アーノルド・・フラックマン、『スターズ・アンド・ストライ。フス』紙編集長チャールス・ティ ラー陸軍大尉に警告を与えると、午前十時十六分、清瀬弁護人を呼んだ。 「ドクタ 1 ・キョセ」 少しネコ背気味の清瀬弁護人が立ちあがり、発言台に歩いてきた。古ぼけた紺の背広は、裁判 開始のときのものと同じらしい。。ヒンと後方がはねあがった頭髪も、・ほさぼさとのびたアゴヒゲ も、白い 「裁判長並に裁判官各位 起訴状記載の公訴事実並に之を支持するために提出せられたる諸証拠に対し、被告より防御方 法を提出するの時期に到達いたしました :
をとり戻したように、ざわめきが広がった。清瀬弁護人の朗読中、一一階傍聴席から、ひと声「然 り」のかけ声がかかったが、それ以外は、ひたすら、あるいは高く、あるいは低く、うち寄せる 波のように説き進む清瀬弁護人の陳述に、息をつめていた。 ウェップ裁判長は、高柳博士が裁判所条例にたいして法的反ばくをおこないたい、と申し出た のにたいして、今後提出する証拠にかんする冒頭陳述以外の弁論は不要だ、と拒否して閉廷を宣
と、さっそく、徳富蘇峰の手紙が舞いこんだごとく、占領下によくそ思いのままをいってくれ た、という讃辞が寄せられるとともに、批判も少なくなかった。 「 ( 清瀬博士の主張は ) いうまでもなく、現在の日本人の主張ではないことを、ここに強調したい : 皇道即ちデモクラシーという立論の如き : : : もし真にデモクラシーの精神があったとするな らば、あのカーキ色の跳梁は一体どう解釈すべきであろうか」 と、翌二十五日付『毎日新聞』社説がいえば、米国紙『ニューヨーク・タイムス』紙も、まっ こうから批判した。 「もし一切の日本の行動が自衛であったとしたならば、それは盗賊がその儀牲者にたいしてなす 自衛にほかならないであろう。かって日本の戦争指導者どもが、その犯罪弁護にいいふらした古 くさい神話や宣伝が、東京裁判でロにされているが、これらの事は、ナチ党の戦犯者たちでさえ、 あえてしなかったほどの思いあがりである」 だが、裁判である以上、被告が戦争の敗者であっても、その主張は述べられねばならない。た だ恐縮せねばならぬとすれば、裁判は不要となる。 その意味では、清瀬弁護人は、所論の内容はともかく、弁護人としての義務と使命を顕示した わけであり、その気迫が法廷を鎮めたといえるが、それにしても、清瀬弁論とそれにたいする 『ニューヨーク・タイムス』紙の反論とは、いみじくも弁護段階の法廷の性格を象徴していた。 ーヨーク・タイムス』紙の論旨は、勝者対敗者の立場、とくに勝者の威光をあらわにした
これらの動議をおこなうことは、すでに裁判長控室で、ウェップ裁判長に、ローガン、清瀬両 弁護人から通告ずみであった。むろん、通知をうけた裁判長が、法廷でどのような態度を示すか は別間題であるが、裁判長はまず「不当審理動議」は、これまでの審理を破棄せよというにひと しいから、問題外だ、と却下した。 そして、つづいて「マッカーサー動議」にふれ、これもすでに清瀬弁護人がおこなった裁判管 轄権にかんする異議申立てと重複する、だから、「個々の被告を代表する動議」だけをしてほし と発言した。 動議は、必ずしも全被告が参加していなかった。たとえば「不当審理動議」には東条、鈴木、 賀屋、大島、土肥原、板垣、松井、星野、木村、岡、「マッカーサ 1 動議」には、東条、鈴木、 賀屋、大島、土肥原、板垣、松井、平沼、木村、岡とそれそれ十人の被告が反対し、「一般動議」 にも鈴木、賀屋、大島、板垣、松井、星野六被告は不参加であった。 撃 ウ = ツブ裁判長は、この点を考慮して被告全員が関係する「個人動議」をおこなえ、と指示し のたのだが、スミス弁護人は、承服しなかった。 護「一般動議」はたしかに管轄権問題を含んでいるが、それは清瀬議論のむし返しではない。「全 然論議されていない証拠不十分あるいは非常に広範囲の法律問題」をとりあげている、とスミス 八弁護人は指摘して、いった。 「本日被告席にいる被告の大部分も、この動議に参加している : : : 必要なら、われわれ弁護団は
る支那事変延引、米国の英、オランダ、中国と連結した日本包囲体制からまぬかれんとする自衛 のあがきにほかならなかった。しかも、米国は、日本の戦争発起を、暗号電報解読により予知し ていた。真珠湾攻撃をだまし討ちというが、野村吉三郎大使の最後通牒文手交は遅れたものの、 数時間前にルーズベルト大統領は解読文を読み、これは戦争を意味する、といっていたのである 清瀬弁護人は、最後に再び「裁判長閣下並に裁判官各位」と呼びかけ、次のように陳述を結ん ・ 4 」 0 「 : : : 我々がここに求めんとする真理は、一方の当事者が全然正しく、他方が絶対不正であると いうことではありませぬ : : : 我々は困難ではありますが、しかし公正に、近代戦争を生起しまし た一層深き原囚を探求せねばなりませぬ。 近代戦悲劇の原因は人種的偏見に由るのであろうか。資源の不平等分配により来るのであろう 撃か。関係政府の単なる誤解に出ずるのか。裕福なる人民、又は不幸なる民族の強欲または貪婪に の在るのであろうか。 護起訴状に依って示されたる期間中の戦争乃至事変の、真実にして奥深き原因を発見する事に依 り、被告の有罪、無罪が公正に決定せらるるのであります。これと同時に現在父は将来の世代の 章 八ために、恒久平和への方向と努力の方途を指示するでありましよう」 清瀬弁護人が「終りであります」といい、陳述文をまとめて発言台を離れると、法廷は、呼吸 どんらん
ていた。室内は暖房があるが、外の寒気はひとしおであろう。おまけに、不便な交通機関はさら にとだえがちになっているにちがいない。 総会は簡単にきりあげられ、弁護人たちは家路を急ぐことになったが、米人弁護人たちはどう したのだ、と、一一、三人が不審の声をあげた。退廷のさい、弁護人たちは、しばしば米人弁護人 のジー。フで駅まで送ってもらっていた。雪の日には、とりわけその便宜が望ましいのだが、約半 数の米人弁護人の姿が見えない。そういえば、総会がはじまる前から、いなかったようである。 清瀬弁護人も、 米人弁護人の活躍にすがる プルーエット、ロ 1 ーガン、。フルックス、ハリス、マクマナス、マタイス、ジョージ山岡、ファ ′ワードら米人弁護人は、その夜 ( 二十四日 ) 下目黒の料亭 1 ネス、スミス、マクダーモット、、 「花喜」にいた。 高松宮殿下を主賓に、清瀬一郎弁護人、小磯国昭被告担任の三文字正平弁護人、元海軍省軍務 局長保科善四郎中将が接待役をつとめた。招宴を計画したのは、三文字弁護人である。三文字弁 護人は、いう。 「キ 1 ナン検事の起訴の眼目は、昭和三年いらい日本はその侵略の国是にしたがって共同謀議、 実行してきたというにあったが、日本弁護団はそんな国是も事実もないと否定していたのにたい 6
その主務者を次のようにきめていた。 ▽「一般」ⅱ鵜沢聡明、ウィリアム・ローガン ▽「満州」Ⅱ岡本敏男、フランクリン・ウォーレン ▽「支那」ⅱ神崎正義、アリステイディス・ラザラス ▽「ソ連」Ⅱ花井忠、・ヘン・フルース・・フレイクニー ▽「三国同盟」 = オーウエン・カニンガム ▽「太平洋戦争ーⅱ清瀬一郎、ジョージ・・フルーエット ミス ) はディヴィッド・スミス弁護人、検事側 一月二十七日におこなう公訴棄却動議 ( ディス・ しせんとして、弁護団は費 の冒頭陳述にあたる弁護側の冒頭弁論は、清瀬一郎弁護人があたる。、・ 用難、人手難、資料難その他、準備不足に悩んでいた。 ウォーレン弁護人は一月二十日、とくに発言を求めて、弁護団側には「謄写版がたりず、動議 撃などの文書の印刷にこと欠いている。検事側の言語部からの援助を期待し、彼らも約束したのに の援助してくれない」と、ウェッ・フ裁判長に申し立てた。 護 しかし、いまは困難な事情を眺めている段階ではない。控室で開かれた弁護団総会では、これ 弁 までの曲折にも増してさらに曲折が予想されるが、弁護団は団結してことにあたりたい、 と鵜沢 八団長が述べ、一同は、ぬるい茶をすすって全力をつくすことを誓いあった。 二十四日は、前夜半から降りだした雪が大雪となり、法廷が位置する市ヶ谷も白色におおわれ
は記者団の = 、ース送稿を打ち合せる会話でなければ、外人傍聴者のささやきにとどまった。梅 津被告担任の・フレイク = ー弁護人は、涙をふいていた。日本人傍聴者と日本人弁護人、そして日 本人記者の多くは、唇をかみしめたまま、再び姿が現われるはずのない被告出入口のドア、無人 の被告席をふり返りながら、退出の歩を早めた。 畑被告担任の弁護人神崎正義は、こみあげる怒りを荒々しい足どりに表わしていた。 「私は恥辱を感じた。ラザラス弁護人の愛国心論争にも表現されているように、法廷は愛国心を 頭からしりぞけた。愛国心と国際公法とは矛盾するものではないのに、法廷は愛国心を有罪とみ なした。愛国者を処罰する国際法があっては、たまらないではないか」 松井被告担任のマタイス弁護人は、しきりに清瀬一郎弁護人に、ささやいた。 「米国は日本との友好を念願している。たぶん、死刑は言い渡しても、おそらく執行はしないと 思いますな」 清瀬弁護人は、・ せひそう希望する、と答えたが、宣告の意外さにとまどいさえおぼえた。とり わけ、広田元首相の死刑は文字どおりに夢想外であった。広田内閣が誕生したとき、世間では、 「ヒロッタ内閣」と称した。岡田内閣が一一・一一六事件で倒れ、近衛文麿公爵が後継首班を辞退し たため、予期のほかに首相の座をだ拾った′とみられたからである。 「その広田内閣でつくった国策基準要綱にしても、裁判でいうような侵略政策ではないし、南京 事件にたいしても、外相だった広田に死刑になるほどの重大責任はあり得ない」
昨年の五月六日、当裁判所の法廷に於て大川以外の各被告人は総て起訴事実に対し、一斉に、 『無罪』とお答えをいたしております。被告等は右総ての公訴事実を否定する為の反証をあげる でありましよう : : : 」 ュニバーサル・プラザーフッド 清瀬弁護人は、淡々とした声で朗読していたが、次第にその声は熱し、右こぶしをあげ、ある いはトンと発言台をうち、とうとうと演説口調に変っていった。 清瀬弁論も、「一般問題ー「満州及び満州国に関する事項」「中華民国に関する事項」「ソ連に関 する事項」「太平洋戦争に関する事項」「個人ケース又は個人弁護」の六部門にわかれていた。 このうち、「一般問題」では、まず検事側が主張する「国家の行為に関して、一国家の機関であ ったがゆえに個人が個人的責任をおう」という法理は、古今東西に例をみない、とかねての弁護 撃団の主張を述べたあと、主に日本における対外思想の意味、共同謀議と侵略計画不存在を強調し の 団 護日本には、ドイツのごとき人種的優越感はなく、むしろ、「常にみずからいまだ及ばざること を認め」て向上をはかってきた。独立主権の確立、人種的差別の廃止、善隣友好こそ、明治いら 章 八 いの日本の思想である。 第 ーサル・プ 検事側が侵略思想とみなす「八紘一宇」は、太平洋戦争前の日米諒解案で「ユニ・、