満州 - みる会図書館


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1. 東京裁判 下

うにして冷気と灯光を避ける工夫をしていた。 それが禁止され、顔面、首すじ、肩まで火きさらされることになったのである。たちまち、東 条大将は翌六日、三十八度の熱をだして米陸軍第一一一六一野戦病院にはこばれ、九日に退院したが、 また同日、入院する始末となった。重光元外相、平沼元首相はじめ、次々にカゼ患者が発生し、 三月十八日には、軽い急性肺炎をおこした松井石根大将が、法廷控室で倒れた。 弁護側反証は、満州段階にはいり、 土肥原、岡両被告担任のフランクリン・ウォーレン、南被 告担任岡本敏男弁護人の冒頭陳述につづいて、書証の提出、証人の喚問がおこなわれた。 満州部門の反証は、次のような点を強調することを基本方針にした。 ①満州の歴史的背景、とくに日清、日露戦争により、日本が満州にたいして成文、不文の利益、 権利を取得していた。 ②九・一八柳条溝事件の背後には、張学良軍の態度、中村大尉事件、万宝山事件その他排日の 件 根深い事情があった。柳条溝事件は、まさしく自衛のための一撃であった。 事 殺③皇帝溥儀の登場、満州建国は、日本の謀略ではなく、満州民族積年の念願に日本が力をかし 京 たものである。 南 ④満州国はカイライ国家ではない。皇帝溥儀の証言はウソである。満州は各国の承認をうけ、 章 九 文明国としても発展した。 第 この満州部門の反証方式、とくに「自衛」と「利他」を強調する点は、ほかの支那事変、ソ連

2. 東京裁判 下

ラザーフッド」 ( 世界同胞主義 ) と訳され、同じく「皇道」は「治者と被治者が一心になること」、 つまりは「皇道とデモクラシーと、二つの思想の間に本質的な差異」はない。 また、日本の場合、内閣の誕生は重臣の合意の人選できまるから、特定の組織体による一定期 間の政権保持と特殊計画の実行は不可能である。現に被告たちは年齢、立場、境遇が相違し、か って一度も一堂に会したことがない。 満州事変、支那事変、太平洋戦争は原因も別なら、当事者も別である。それぞれが独立に発生 した事件であり、一貫した世界征服計画によるものでないことは、容易に証明される : 「満州」部門においては、清瀬弁護人は、満州については、一九一七年の石井日ランシング協定 で日本の特殊利益が認められ、ソ連にしても、一九四一年に満州の領土保全を不可侵条約で承認 している、と述べた。 「中国」部門では、蘆溝橋事件の事前の中国側の挑発行為の激しさ、また事件後の行動が事変拡 大をうながしたのであり、責任は中国側にある。また、日本は中国に経済侵略をおこなったこと もないし、かりにあったとしても「経済的侵略はそれ自体犯罪ではない」と、清瀬弁護人はいう。 「ソ連」部門で問題になる張鼓峰、ノモンハン事件は、 : しすれも「協定済」の事件であり、日本 にソ連侵略の企図はなかった。逆に、ソ連はまだ日ソ中立条約が有効である一九四五年一一月に、 ャルタで米英両国と対日参戦を約定している。明らかな「中立条約違反」ではないか。 「太平洋戦争」部門における日本の開戦は、まさに米国の経済圧迫、米国の蒋介石政権援助によ

3. 東京裁判 下

米人弁護人からも異論が提出され、陳述草案は三回書き直された。弁護側冒頭陳述は、被告全 員の意思と意見を表明するのが建前だからである。 立場を異にする被告の全部を代表し、しかも米人弁護人の見解も尊重する必要があるというわ けで、清瀬弁護人の直弟子とみられる岡本尚一弁護人でさえ、数十カ所の修正を進言した、と伝 えられている。 おかげで、清瀬弁護人は、事前の記者会見で、「陳述はだいたいコンモン・センス ( 常識 ) の範 囲を出ていない」と、はじめの構想がだいぶ " 骨抜き〃になったことをにおわせたが、それでも、 国家弁護の主軸は変らず、そのため、平沼、重光、広田、土肥原四被告は、不参加を表明した。 もっとも、不参加の理由はさまざまであった。同じ外務省系でも、重光元外相は、満州事変い らいの戦争に反対であったのに、その戦争を正当化する陳述には加われない という考えであり、 広田元首相は、花井忠弁護人に、次のように語った。 撃「自分が責任ある地位にあったときの事態について責任を回避しようとは思わない。主張は、ゆ のえにあくまで自分自身の範囲内でおこないたい。戦争をすべて自衛戦だときめ、それをもって責 護任をまぬかれる気持には、なれぬ」 重光元外相の心境にくらべて、微妙なニアンスの相違がうかがえるが、ともかく弁護団の冒 章 八頭陳述は、予定どおり、二月二十四日の法廷で展開された。 法廷は久しぶりに、傍聴席、記者席ともに満員であった。八カ月にわたる検事側の克明、苛烈

4. 東京裁判 下

ちを楽しませた。 級未起訴組の四王天延孝は、検事の訊間をうけたさい、机上の花びんの一枝をもらい、監房 の鉄格子にさした。近隣の戦犯者たちは、思いがけぬ花見だ、といって、通りすがりに顔を寄せ 藤の花も咲きはじめた。やわらかい陽差しと花は、気分を明るくする。芝生の陽だまりにうず くまり、あるいは散歩する平沼元首相、東条大将らの顔も微笑を絶やさなかった。 ノをいったん この桜のシーズンに、法廷では八十一一歳の南次郎大将が証人台に立った。南大将よ、 、自己弁護は望まぬ、 証言すれば個人段階での証言は許されない、と注意をうけたが、それでいい と弁護人に主張して、補聴器の調子をたしかめながら、台上に坐った。 年末に剃り落した天神ヒゲは、再びのびて、大将のアゴを飾っていたが、大将の証言ぶりは、 その温和な風貌とは逆に、なかなかに " 戦意〃にあふれていた。 件南大将は満州事変当時の陸軍大臣である。訴追の焦点も、陸相としての満州事変開幕の責任に 殺おかれていた。当然、検事の質問はその責任の追及をめざしたが、南大将は「知らぬ」「聞かな 京い」「記憶ない」「なにをいっておるか」「言わない」 : : : と、ぶつきら棒に答えつづけた。 証言は四月十六日までつづいた。南大将は、満州事変の開始にも拡大にも反対であった。しか 章 という論旨で検事に反ばくした。 九し、陸相には直接の軍事行動をコントロールする権限はない、 担当検事は、皮肉な口調と俊敏な切りこみかたで名高くなっているコミンズ・カー英検事であ こ 0

5. 東京裁判 下

いや、そもそも " 無法の裁判〃だ、常識は通るまい。有罪なら死刑だろう : ・ と、にわかに被告たち、弁護団、さらに新聞記者たちの間にも、刑の宣告についての下馬評が 盛んになった。 ウェップ裁判長の朗読はよどみなく、満州、中国、ソ連段階へと進んでいった。その内容は、 冒頭に弁護側証言の無価値を言明しているだけに、ほとんど検事の論告そのままであった。 次々に指摘される被告たちの名前は、 : しすれも断罪のきびしさを予感させるように、強く責任 を問われている。週末の休廷日である十一月六日 ( 土曜日 ) 、武藤中将は、それまでに朗読された 判決文を分析してみた。とくに判決文に表われた判事の基本的な考え方を、次のように観察した。 ①大東亜戦争を支那事変の発展とみて、支那事変を侵略戦争と判定して、従って大東亜戦をも 侵略戦と推論せんとする狡猾な論法を採用している。 ②満州事変を陸軍の共同謀議とし、この発展途上、陸軍は政府を陸軍の意志に屈服せしめんと して、広田内閣において完全にその目的を達成して、昭和十一年八月十一日、世界征覇の国 決 策が策定せられた。これが大東亜戦争への共同謀議である、とみている。 判武藤中将は、かすかな予感をおぼえた。明らかに陸軍に焦点が置かれている。中将自身は、か 章りに陸軍が侵略の元凶と判定されても、佐藤賢了中将とならんで陸軍被告の中の最下級者である 十自分は「無罪を確信する」が、一方、東京裁判はポッダム宣言という政治命令にもとづく〃政治 裁判〃である。

6. 東京裁判 下

昨年の五月六日、当裁判所の法廷に於て大川以外の各被告人は総て起訴事実に対し、一斉に、 『無罪』とお答えをいたしております。被告等は右総ての公訴事実を否定する為の反証をあげる でありましよう : : : 」 ュニバーサル・プラザーフッド 清瀬弁護人は、淡々とした声で朗読していたが、次第にその声は熱し、右こぶしをあげ、ある いはトンと発言台をうち、とうとうと演説口調に変っていった。 清瀬弁論も、「一般問題ー「満州及び満州国に関する事項」「中華民国に関する事項」「ソ連に関 する事項」「太平洋戦争に関する事項」「個人ケース又は個人弁護」の六部門にわかれていた。 このうち、「一般問題」では、まず検事側が主張する「国家の行為に関して、一国家の機関であ ったがゆえに個人が個人的責任をおう」という法理は、古今東西に例をみない、とかねての弁護 撃団の主張を述べたあと、主に日本における対外思想の意味、共同謀議と侵略計画不存在を強調し の 団 護日本には、ドイツのごとき人種的優越感はなく、むしろ、「常にみずからいまだ及ばざること を認め」て向上をはかってきた。独立主権の確立、人種的差別の廃止、善隣友好こそ、明治いら 章 八 いの日本の思想である。 第 ーサル・プ 検事側が侵略思想とみなす「八紘一宇」は、太平洋戦争前の日米諒解案で「ユニ・、

7. 東京裁判 下

一月の法廷は、前述のごとく、し 、わば〃補足段階〃であり、審議そのものも活気が少なかった。 田中少将の二度にわたる登場が、唯一の色彩といえたが、同時に田中少将の姿は検事側立証の終 りを告けてもいた。 検事団の立証終る 一月二十四日午後四時十分。 コミンズ・カー検事が、梅津被告にかんする書証、一九三八年 ( 昭和十三年 ) 当時の第一軍所在 地記録を提出し終ると、 0 ・ヒギンス検事が発言台に進み、ウェップ裁判長にいった。 「これをもって検察側の立証段階を完全に終了いたします」 ウェッ・フ裁判長は、ただ、月曜日 ( 一月二十七日 ) 午前九時半まで休廷する旨の宣言で、ヒギン ス検事に答えたが、むろん、その月曜日からは、弁護団側の反証段階にはいるわけである。 撃 この日は、第百五十九回目の法廷であったが、それにしても、百五十九回にわたる検事団の立 の証は、めざましかった。検事側が登場させた証人は、延べ百四人。提出した書証は一一千二百八十 護二点にのぼった。そして、一般、満州、支那、ソ連、太平洋と五段階にわけて展開された立証は、 そのまま日本の昭和史であり、しかも日本国民にとっては、ほとんどがはじめて耳にする秘史、 八裏面史であった。 張作霖爆殺事件にはじまる満州国建国のいきさつ、支那事変を起した蘆溝橋事件のナゾ、ソ連

8. 東京裁判 下

送船で帰国したが、前日、別れのあいさつを告けた花井忠弁護人には、ただ「手紙を下さい」と いっただけであった。 最終弁論は、おそらく、スミス弁護人がのった船が東京湾外に去り、日本も視界を離れたころ、 午後三時すぎからはじまった。 弁論は「一般弁論」 ( 鵜沢聡明弁護団長 ) 、「検事側の国際法論に対する弁護側の反駁」 ( 高柳賢三弁 護人 ) 、「起訴状論」 ( ジョージ山岡弁護人 ) 、「適用条約の解釈論」・・フレイクニー弁護人 ) 、「共同 謀議論」 ( —・プラナン弁護人 ) 、「満州段階」 ( ・プルックス、岡本敏男弁護人 ) 、「中国段階」 ()< ・ ラザラス、神崎正義弁護人 ) 、「日独伊三国関係ー ( 0 ・カニンガム弁護人 ) 、「陸軍の戦争準備」 (e ・プ ルーエット弁護人 ) 、「海軍の戦争準備」 @o ・ロ・、 ーツ弁護人 ) 、「自衛戦論 ( 太平洋戦争関係 ) 」・ロ ゴ・フリーマン弁護人 ) ーガン弁護人 ) 、「俘虜部ド」 ( 「個別弁論」と、ほぼ検事論告に応える形 式ですすめられた。 そして、検事論告が、満州事変いらいの日本の国家行動を侵略行為とみなし、被告たちを一様 に侵略主義者ときめつける " 強引な論理みで一貫しているのにたいして、弁護側の論述は多様で あった。 鵜沢団長は、東洋哲学とくに周易、老子の研究者として名高いが、その弁論も東洋の哲理を基 調にしていた。 「主席検察官は 『門戸を閉鎖する』段階に到達したと述べられたが、我々は理性及び法律の

9. 東京裁判 下

十九歳の中将は「膀胱嘴腫及癌変性乳嘴腫」、つまり " 膀胱ガン〃のため、「膀胱痛、膀胱出血、 尿失禁、尿意頻数、頑固ナル軽熱、濃尿」を起し、出廷は不可能たったので、異例の出張訊問と なったのである。 石原中将は、酒田市郊外の吹浦駅から約一一十分の山形県飽海郡高瀬村の吹浦海岸に夫人と一一人 で閑居していた。松林の中の小さな一軒家であった。中将は四月三十日午後、リャカーで松林を ぬけ、さらに自動車で酒田ホテルに移り、五月一日、二日の両日、酒田市商工会議所の特設法廷 でダニガン検事の反対訊問をうけた。 ところが、検事の質問にたいして、石原中将は、満州事変は陰謀ではなく、本庄関東軍司令官 の承認と意思にもとづいた自衛権の発動だ、と主張してゆずらず、しかも、その返答ぶりは、明 らかに検事をからかっているとしか思えなかったのである。 たとえば、。 タニガン検事が、当時の日本は「大海軍国」であると同時に「大陸軍国」であった ろう、というと、石原中将は、とくに許されてヒザ横においた火鉢で手をあぶりながら、 「いや、〃中陸軍国みでしような」 それでは関東軍がわずか一万で満州の支那軍十万を撃破したのは、じつはもっと準備をととの えていたのではないか、とダニガン検事が質問すると、 「どんな少ないものでも訓練よく団結よく作戦よろしければ、必ずしも数を恐れることはありま せぬ。たとえば、今次太平洋戦争において、日本の戦力はアメリカにたいして非常に劣勢であっ 6

10. 東京裁判 下

止されることになった。 「 : : : よって日支事変の勃発に最も関係多ぎ共産党 ( 蘇聯を背景とする ) の策謀が我判資料より除 外されることとなった」と、重光元外相が遺憾の文字を日誌につらねると、畑俊六元帥も、のち に、次のように回想した。 「裁判終了後、中国代表の梅汝敖判事は中共に移っている。 ( 裁判当時を ) ふりかえってみて、お かしな気がする」 五月三日、 土曜日なので法廷は休みであった。宮城前は新憲法発布の記念式典でにぎわい、巣鴨でも、被 告たちは新憲法と〃新日本〃の前途に想い想いの感慨をかみしめていたが、そのころ、山形県酒 田市の酒田ホテルで、検事・ダニガンは極度の渋面のまま、むつつりしていた。 ダニガン検事は、ニュージーランド代表判事エリマ・ノースクロフトを長とする石原莞爾中将 件にたいする特別出張訊問団の主任検事である。一行は、弁護側から・ウォーレン ( 土肥原、岡 殺被告 ) 、・マタイス ( 松井、板垣被告 ) 、・レビン ( 鈴木被告 ) 、岡本敏男 ( 南被告 ) 、板埜照吉 ( 板 京垣被告補助 ) 、笹川知治 ( 板垣被告補助 ) 、金内良輔 ( 大川被告補助 ) 弁護人も加わり、総員五十六人 で特別列車を仕立て、四月一一十五日、上野駅を出発した。 章 九石原中将は、満州事変のさいの関東軍作戦参謀であり、また昭和の陸軍きっての逸材と認めら れている。満州事変段階では、事変の内幕を知る最重要証人として出廷を期待されていたが、五