重光 - みる会図書館


検索対象: 東京裁判 下
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1. 東京裁判 下

よれば、「殊に木戸、星野両名の肥り方は尋常一様でなく、寧ろ脳溢血にでもならねばよいがと 思われる程」であった、という。しかし、しよせんは獄舎の中での安逸にとどまる。初夏を過ぎ、 梅雨を経て盛夏を迎えるころには、鈴木元企画院総裁の日誌にもメニューの記録は失われ、被告 たちはようやく判決を待っ深層の心理的緊張に疲労を感じはじめた。 七月一一十一日、重光元外相は巣鴨を訪ねたケンワージー憲兵隊長から、「判決は十月二十日頃 の見込みだ」と聞かされた。すでに五月説、七月説など、判決日の噂は流れては消え、ささやか れてはまた消えていた。 「 ( 隊長の言葉は ) 永久の如く思われた。今後の三カ月は : : : 健康維持に付て新エ夫を要する。体 は痩せはせぬが心身の消磨で、体はただ機械的に動いているにすぎぬ」 重光元外相は、むしろ、判決が早いことを願う想いにおそわれたが、東条大将の胸中もよりい っそうの切実さにあふれていたようである。東条大将の場合、看守兵の風あたりはとくに強く、 なにかといえば掃除を命じたり、手錠をかけようとした、卑俗な優越感の対象にする傾向があっ 決 - こ 0 判「恥辱に晒されるよりは、早く首を絞めてもらいたい」ーー・・と、東条大将が重光元外相にもらし 章たのも、このころである。重光元外相は、ケンワージー情報を伝え、いましばらくの辛抱ならん、 + と述べた。 さら 巧 5

2. 東京裁判 下

米人弁護人からも異論が提出され、陳述草案は三回書き直された。弁護側冒頭陳述は、被告全 員の意思と意見を表明するのが建前だからである。 立場を異にする被告の全部を代表し、しかも米人弁護人の見解も尊重する必要があるというわ けで、清瀬弁護人の直弟子とみられる岡本尚一弁護人でさえ、数十カ所の修正を進言した、と伝 えられている。 おかげで、清瀬弁護人は、事前の記者会見で、「陳述はだいたいコンモン・センス ( 常識 ) の範 囲を出ていない」と、はじめの構想がだいぶ " 骨抜き〃になったことをにおわせたが、それでも、 国家弁護の主軸は変らず、そのため、平沼、重光、広田、土肥原四被告は、不参加を表明した。 もっとも、不参加の理由はさまざまであった。同じ外務省系でも、重光元外相は、満州事変い らいの戦争に反対であったのに、その戦争を正当化する陳述には加われない という考えであり、 広田元首相は、花井忠弁護人に、次のように語った。 撃「自分が責任ある地位にあったときの事態について責任を回避しようとは思わない。主張は、ゆ のえにあくまで自分自身の範囲内でおこないたい。戦争をすべて自衛戦だときめ、それをもって責 護任をまぬかれる気持には、なれぬ」 重光元外相の心境にくらべて、微妙なニアンスの相違がうかがえるが、ともかく弁護団の冒 章 八頭陳述は、予定どおり、二月二十四日の法廷で展開された。 法廷は久しぶりに、傍聴席、記者席ともに満員であった。八カ月にわたる検事側の克明、苛烈

3. 東京裁判 下

人と打合せをすることになった。法廷から帰ると、頭髪、脇下、股間、耳、鼻、陰茎、肛門など、 毛のはえた部分とすべての穴を、指または機械で入念に、かつ手荒に検査される屈辱的処遇をう けるが、被告たちは、週二回の法廷通いを喜んだ。 梅雨が終り、夏がくると、その暑気は格別に激しかった。市ヶ谷に行くのは、巣鴨での暑熱を 逃れ、冷房の涼気にひと息つけることも意味したが、なによりも法廷での緊張もなく、ただ弁護 たと 人との協議のうえに、家族との面会も許されるのだから、「仮令極刑を叫ばれる市ヶ谷でも楽し みの一日であった」と重光元外相は記述する。 おかげで、恒例の鈴木元企画院総裁の朝のトキの声、松井大将の観音経読経、夕食後の大島元 駐独大使の詩吟など、なんとなく張りを加えて聞えていた。 もっとも、被告たちの心境にも、かげりはあった。たとえば、重光元外相の場合、ときに訪れ る夫人が伝える家計の窮迫には、居たたまれぬ焦慮をお・ほえ、苦悩した。 当時、いわゆる " 売り食い〃は日本社会に共通の現象であったが、戦犯容疑者の家庭ともなれ ば、一家の主人が不在であるだけに、財物を売るのが唯一の収入の途である。しかも、その収入 は家族の生計をまかなうほかに、主人の裁判の弁護費用にもあてねばならない。 「人生は切り抜けねばならぬ。未だ片脚は残っている。漸く満六十 ( 歳 ) となる自分は健康も宜 だけ しい。どれ丈やれるかやって見る」と、重光元外相は日誌にわれとわが身を鞭撻する決意の文字 を書きつらねたが、夫人が「綿々と訴え」る窮状には、売れる物は売れ、借金できればしなさい、 4

4. 東京裁判 下

「内容に不可思議と感ぜらるもの多し」ーーとは、重光元外相の個人弁論にたいする感想だが、 おそらく、その意味は、最後の弁護機会とみて、弁護人たちがあまりに ( ? ) 被告の〃平和主義 者ぶり〃を強調した点にある ( 表Ⅱ参照 ) 。戦前の被告たちの言動を知る重光元外相にとっては、 奇異の印象をまぬかれなかったのであろう。 たとえば、弁護の〃激しさ″を感じさせられた一例に、個人弁論の先陣に立った畑被告担任ラ ザラス弁護人の場合がある。ラザラス弁護人は、畑元帥がつねに天皇に忠実な非政治的な軍人で あり、検事側がいう侵略の共同謀議には少しも関与していなかったと述べ、最後に、こうつけ加 えた。 「検事側は天皇の名をしばしば使用しております。では、検事側は : : : 伝聞による代りに、なぜ 天皇を証人として出廷せしめ、以て本裁判所にたいして当然示すべき尊敬の念を示さなかったの でしようか」 法廷は、一瞬、凝然と呼吸をつめた。天皇の安泰、すなわち出廷阻止こそ、被告たちが身を捨 てて守ろうとする念願であり、弁護団の努力の焦点でもあるはずである。それを、いかに被告を 救うためとはいえ、わざわざ弁護側から喚問を要請するとは : 畑元帥も、よほど意外事と感じ、休憩時間に神崎弁護人を呼んで、「どういう意味か」とたず ねたが、じつは、神崎弁護人は、キーナン検事の東条説得工作にたずさわった関係で、天皇訴追 せず、の決定も聞いていた。

5. 東京裁判 下

「我ゆくもまたこの土にかへり来ん国に酬ゆることの足らねば」 ( 東条英機 ) 「七十有年事回顧悔恨長 在青山到処行楽涅槃郷」 ( 松井石根 ) 「うっし身の折ふし妻子恋ふといへどますらたけをは死におくれまじ」 ( 武藤章 ) 「ただ〃無みまたは″空〃」 ( 板垣征四郎 ) 「わが事もすべて了りぬいざさらばさらばここらではい左様なら」 ( 土肥原賢一 D 「おれがお前たちの道しるべになってやる」 ( 夫人に ) ( 木村兵太郎 ) 「別になにもないようですから、どうもありがとうございました」 ( 教誨師に ) ( 広田弘毅 ) 七人の家族は、ラジオの深夜の臨時ニュース、あるいは新聞記者の報せで処刑を知った。どの 家庭でも、遺影を飾り、祭壇を設けて冥福を祈った。 巣鴨では、重光元外相はじめ〃禁固組〃は、二十三日朝、看守兵がそれまで持っていた警棒を 持たず、「・フルー」棟の一隅にある七人専用の台所が閉鎖されているのをみて、異変を察知した。 黙々と殺され行くや霜の夜 哀悼の一句を詠んだ重光元外相は、東条大将の弁護人プルーエットが嘆いていた言葉を思いだ した。東条夫人勝子が、切に大将の遺骨引渡しを望んでいるが、マッカーサー総司令部は頑とし て応じない、 というのである。その後、・フルーエット弁護人は、東条夫人の名前でマッカーサー 元帥に嘆願書をだすといっていたが、どうなったであろうか : 220

6. 東京裁判 下

しかし、また、裁判というからには法にのっとらねばならない。はたして「いかに法をごまか して政治に従う」か、あるいは「政治を拒否して法を守る」かー・・・・武藤中将は、判決の今後に興 味がある、と思った。 平沼元首相、荒木大将、広田元首相も重光元外相の房室を訪ねてこもごも語りあったが、「お そらく全員有罪か」と予想は悲観的であった。翌日曜日、板張り運動場を歩くとき、重光元外相 とならんだ東条大将は、空をあおいで、いった。 「この青空を見るのは、これが見おさめかなア」 東条大将の声は屈託なげに明るかった。その声にふりかえった大島元駐独大使に、東条大将は 微笑したが、大使は後方に広田元首相の静かな姿を認めると、カニンガム弁護人の情報を思いだ して、眉をひそめた。 大島元駐独大使担任の 0 ・カニンガム弁護人は、終始、裁判の違法性を指摘する強硬論者の一 人で、「三国同盟」部門を担当した最終弁論でも、「一団の国が、敗戦国の指導者を裁くことがで きると考えるのは、途方もないうぬ・ほれである」と主張していた。判決待ちの休廷中に帰米した さいも、シアトルのアメリカ弁護士協会全国大会で、東京裁判の目的は「復讐と弁解と宣伝にす ぎない」と演説し、十月十六日、ウェッ・フ裁判長に解任された。 しかし、その直後、解任問題で判事たちと接触した産物らしい、次のような情報を大島元駐独 大使にもたらしていたのである。 2

7. 東京裁判 下

▽梅津Ⅱ「対ソ侵略計画の直接指導者」 ▽荒木Ⅱ「日本軍閥の膨張思想指導者」 ▽板垣Ⅱ「対ソ侵略の全事件の関係者」 ▽平沼Ⅱ「対ソ軍事プロック創設の従事者」 ▽南Ⅱ「日本帝国主義者一味の古い指導者」 ▽重光Ⅱ「日本の侵略的対外政策の先導者」 ▽広田Ⅱ「外交官の職業を侵略陰謀目的実現の手段とした、日本支配階級の最も有力な指導者」 ▽大島Ⅱ「三国同盟締結の陰謀参加者」 ▽橋本Ⅱ「ソ連邦の徹底した凶悪な敵」 ▽東郷Ⅱ「対ソ侵略の幹部的犯罪人」 このソ連検事の評言は、被告たちの渋面をさそった。「憎悪と雑言のみ」と重光元外相が嘆息 すれば、鈴木元企画院総裁も憮然とした。鈴木元総裁は、「極刑者は十人くらいの見込みだ」と いう〃情報〃を、戒能通孝弁護人から聞いたが、ソ連検事の主張がとおるものなら、それだけで 十人の極刑者はきまったようなものではないか。ソ連検事の人物評のうち、やや軟調子なのは平 沼元首相だけで、あとの十人は、まさに極刑に値する評価だからである。 つづく個人論告は、ソ連段階の " 酷論〃にくらべれば、むしろ、おだやかであった。一一年間の 審理を経て、さすがに検事側も起訴罪状に無理を認めたとみえ、多くの被告に訴困が除外される

8. 東京裁判 下

が早い。市ヶ谷は夜の闇につつまれかかっていた。坂を下り、正門にさしかかると、薄闇の中に 白い花のようにひらめくものが見えた。重光元外相が眠をこらすと、広田元首相の次男正雄と二 人の令嬢が立ち、ハンカチをふっている。広田元首相も気づいた。 ( おお ) と、声にならぬ叫び をあげるように、はっと口をあけた広田元首相は、席を立っと向い側の荒木被告の前に立ち、そ の肩ごしにのりだして窓をつかみ、必死に帽子をふった。その様子は、静かなる広田君の平常か らは想像できぬほど、「気も狂わんばかり」であった 十一月十二日朝、 晴天であった。市ヶ谷台の菊は満開となり、冷たいが澄んだ大気をとおして、遠く白い富士の 峰が望見できた。 法廷は、午前八時からざわめきはじめた。記者席には映画カメラ、マイク、ライトが並び、ス ピグラを構えて調子をためす米人力メラマンもいた。が数人、法廷内の隅々を覗きこんで歩 いた。椅子の下、テー・フルの裏、記者席も傍聴席も、判事席も、そして証言台もチェックした。 巣鴨は、変りのない朝を迎えた。相変らず、目覚し時計の代りのように、鈴木元企画院総裁の 「ウェー、 ウェ 1 」というかけ声がひびき、松井大将の渋い観音経読誦が廊下を渡りすぎた。被 告たちは、全員が極刑にたいする覚悟を定めているようであった。八十一一歳の平沼元首相は、深 夜、しばしばうなされて悲鳴をあげていたが、前夜はなにごともなく、平静な表情で・ハスにのり こんだ。 と重光元外相は記述する。

9. 東京裁判 下

れた。判決が宣告される日まで不用だからである。 被告たちは廊下でハダカにされ、レントゲン撮影や肛門検査を経て第一棟二階に移監された。 もつばら級被告用で、一階、三階は空室のままであった。階段に近い第一号室に重光元外相、 次に平沼元首相、南大将、佐藤、岡中将とつづき、中央に東条大将を中心に東郷、木戸、嶋田、 松井、板垣、鈴木といった " 大物〃視される被告がならび、畑、小磯、土肥原、広田被告が奥に わりあてられた。 「審理中はアルファベット順に監房がならんでいた。そこで、さてはまん中にねらいをつけた者 をならべた、これは、やられるな、という気がしたね」 とっさに木戸元内大臣が感得した印象であり、むろん、他の被告たちも同種の感想にひたりか けたが、被告たちは、待っていたようにはこばれたタ食に関心をうばわれた。スープ、ステーキ、 果物までついている。 「立派な洋食で、絶えて久しき対面」だ、と重光元外相が眼を輝かせれば、小磯元首相も「シャ 決モをしめるまえによく肉をつけるようなものか」と苦笑しながらも、満足の舌つづみをうった。 判日本食は日本人コックに調理されるので、万一にも刃物、毒物が輸入されることを恐れ、自殺防 章止のために米軍兵食にきりかえたのだが、とにかく、うまい食事は結構である。 ←「朝食日ジ = ース、半熟卵一一ヶ、メンチ肉、パター付白パオレジ一ヶ、 = ーヒ 1 。昼食ⅱ 豚カッ二ケ、じゃが芋、『セロリ、 オレンジ、リンゴ、サクランボウ』のサラダ、白パン、紅茶。 巧 3

10. 東京裁判 下

そこで、神崎弁護人は、弁論書にあえて天皇うんぬんを挿入した。いわば、安全を承知で投じ た《フラフ〃 ( はったり ) の一石であったわけである。 畑元帥に事情は説明できず、元帥も、確信をあらわにした弁護人の「大丈夫です」の一言にう なずいただけであったが、意外な弁護方法はほかにもみうけられた。 橋本被告担任の林逸郎弁護人は、はっきりと鈴木、重光、白鳥被告らの名前をあげて、日本の 昭和政治のゆがみをもたらした責任者と指摘し、とりわけ木戸被告については、検事側論告に匹 敵する批判を集中した。 さらに、検事論告に対抗して、荒木、広田、板垣、ト / 磯、松井、南、あるいは免訴となった大 川周明被告の弁護もこころみ、また高柳弁護人の弁論にたいして、「大東亜共栄圏の思想を理解 せず」と反対するなど、異例の弁論を展開した。 いわゆる「国家弁護」思想による弁論たが、同時に〃反文官、親陸軍〃色をあらわにして、や やエキセントリックのきらいがあり、同じく、「国家弁護」方式を守った・フルーエット弁護人に よる東条弁論のほうが、「勇者の風あり」 ( 重光元外相 ) と、被告たちの評判はよかった。 四月十三日、草野豹一郎、岡本敏男両弁護人による「個人責任論」が法廷に提出された。被告 の責任にかんする検事論告について、日本およびスイス、中国、英、米、ドイツなどの刑法、陸 ハクワース、リストその他の各国 海軍刑法の条文ならびに判例、定説と認められているケニー 国際法学者の学説、国際法、慣例などを引用して、国家行為と個人責任との関係を論じたもので