めり込んでいく春の心象世界が見えた。男が去って以来、自分を立て直せなくなった 、自分の持てるものをす。へて出しつくす恋だっ 春のことがよくわかった。そのくらい たからだ。男もびどく魅力的だったけれども、私には春が、春には私がいたからあれ だけがんばれたのだ。男はそれを面白がったのか、息苦しく思ったのか、よくどちら かを家に呼んでおいて、もうひとりと逢ったりした。おしまいのほうでは、私と春を 二人家に置いて、ひと晩中帰らないなんてしよっちゅうだった。 験私は生来不器用で、料理も、ちょっとしたっくろいものも、小包のびもをしばるの 体も、段ボール箱を作るのも、や「との思いなのに比。へて、春はそういうのが得意で、 るて、つい、つ日 場面になる度に「不器用ねえ。」とか「親の顔が見たいわ。」とか言って遠慮 あなく私をののしった。その代わり私も春の胸のないのや、服のセンスのびどいのを平 気で指摘した。男は、良いものはほめ、悪いものは正直に悪いと言うような奴だった ので、女たちのコンプレックスにも拍車がかかったのだろう。 「あんたって本当に料理が下手クソね。冗談じゃないわよ。ママレンジじゃないんだ からさあ、うわー、まずそう ! 」 ある夜、私が八宝菜を作「ていたら春は言「た。男が昼間、私にかくれて春に逢「 165
る時に知り合ったんだけど、死んだ奴と話をさせてくれんの。催眠術みたいなんだけ ど、それが実にリアルなんだよ。」 水男が言った。 「やったことあるの ? そんなこと。」 私はたずねた。 「うん、俺、手違いで人を殺したことがあるんだ。」 験水男はさらりと言ったので、その後悔のものすごい深さがわかった。 体「けんかかなにか ? 」 る「いや、こわれた車を貸しちゃってね。」 あそして彼はそれ以上言いたくなさそうに話題を変えた。 : それで、会って話をしたら、うそでもすっきり 「後味が悪くてさ、頼んだんだ。 したね、やつばり。それに、俺、君と春って仲良かったって、やつばり田 5 うよ。間に 男が人ってなかったら、きっと君と春はうんと仲良くなれたよ。あの男も今はつまん ない奴になって、くだらない生活してるらしいけど、あの頃ははっとしてただろ。二 人共、その輝きに同じように反応してるからきっと似てるんだろうな、とは思ってい たんだ。」 173 やっ
常が次のステップに向かって見せているいろんな「心残り」のイメージが春のかたち をしているのかもしれない。今夜もすでにワインを二本空けてしまって ( 水男と一緒 にだが ) 、視界がばんやりしてきた。 また朝になってゼロになるまで、無限に映るこの夜景のにじむ感じがこんなにも美 しいのを楽しんでいることができるなら、人の胸に必ずあるどうしようもない心残り いろど はその彩りにすぎなくても、全然かまわない気がした。 船「今から、春に会ってみないか。」 夜水男がふいにそう言った。 河「なに言ってんの ? 」 白 私は少しおかしな発声でそう言った。店中の人がちらっと私を見るくらいに、その くらいびつくりしたのだ。 「知り合いに、そういうことができる男がいるんだ。」 水男が笑って言った。 「うさんくさー 私も笑って言った。 「いや、結構面白いよ。そいつってコビトでね、昔、俺がもっとやばい商売をしてい 172
は扱われ方によって色を変えるところがあるように思える。水男はいつも人を使うの が上手だった。私たちは乾杯をした。 「しかし、男を取り合った女に、どうして会いたいのかね。」 田中くんがそう言って首をかしげた。農い水割りの味でロがしびれるようだった私 験「本当はお互いを好きだったからみたい。」 体と正直に言った。 る「少しレズつけのある二人だったみたい。」 あ田中くんは、ははは、と大笑いして、 いい子だね、君は、と言った。私はその小さ な靴や、小さい手の形をばんやり見ながら、もし春に会えたらなにを話そうかと考え ていた。しかし、なにも思いっかなかった。 「さて、はじめようか」 一杯飲んだところで田中くんが言った。水男はロ数が少なかった。きっと前、自分 がここに来た時のことを思い出しているのだろう。 「はじめるって ? 」 177
「最近、やってないんだよ、これ。体力いるんだよ。高くつくよ。」 田中くんが言い、私を見た。 「いっ頃の人 ? 」 「少し前、二年くらい前から会ってない女の子。同じ男の人を取り合ってたの。」 私 . はどきどきしながら、一一一一口った。 「なにか、飲み物いただけます ? 」 船「うん、俺もほしいな、ポトルを人れるよ。」 夜「じゃあ、今夜は貸し切りだ。」 河田中くんは言って、はしごに登って高い棚からポトルを取ってきた。そして器用な 手つきで水割りを作りはじめた。 「この人、最近飲みすぎだからさ。」 水男が笑って言った。 「うんと濃く作ってやって。」 「おお、わかった。」 田中くんが笑い、私も笑った。いつも思う。水男は私を信じていて、きちんと大人 扱いする。そのことが、とほうもない安心を呼ぶのだ。きっといくつになっても、人 176
ナックだった。店番をしているのは、確かにコビトだった。その全身のバランスの悪 さを除けば、なんの違和感もない人物だった。彼はしつかりした瞳で私を見つめた。 「君の恋人かい ? 」 コビトは突然水男にたずねた。 「うん、文ちゃんって言うんだ。」 私は軽く頭を下げて、初めましてと言った。 験「こちらは僕の友人で、コビトの田中くんだ。」 体水男が言うと、彼は笑って、 る「まあつまり、外人で言えば、スミスというようなものだよ。」 あ と言った。最高にうさんくさかったが、 そこにある知性が信頼を感じさせた。彼は カウンターから小さなドアをひょいと開けて出てくると、人口に歩いて行って重い アのカギをかけた。 「死んだ人に会いに来たんだろ ? 」 田中くんは言った。 「そう。たまには商売しろよ。」 水男が笑って言った。 175 ふみ ひとみ
水男の冷たさは、その名のとおり冷水のようだと私はあらためて思っていた。風が 強いのだろう、窓の下の静止したはずの美しい画像のあちこちで、木やなにかが揺れ ているのがわかった。車のライトは道路をゆるやかに埋めつくして流れていた。 「俺は君のほうがずっと、好きなタイプだったけど。鼻の低さとか、不器用さとか。」 欠けた花びんに慰めがある、というのと同じような口調だったので、そして私はそ ういう言い方が好きだったので、やはりこの人を好きだと思った。 船「じゃ、行ってみようかな。」 夜 私は言った。 河「面白そうだし。」 白「そうだよ。」 ワインを飲みながら水男が言った。 「すっきりしたり、楽しいことなら、うそでもなんでもやってみたらいいんだ。気が 済みや、なんだっていいんだ。」 174 水男に連れられて行ったそこは、どこにでもあるようなカウンターだけの地下のス
「そう、やつはりそうだったのか。」 窓の外に目を向けた。 夜景がすごかった。 十四階とはいえ、相当なものだ。たまには高い場所でごはんを食。へよう、と私が言 うと、高いって金 ? それとも地表からの高さ ? と水男がたずねた。私は笑いなが ここまで来たのだ。 ら、どっちも、と一一 = ロ、 験窓の外中が光る夜の粒々で、圧倒された。車の列は夜をふちどるネックレスだ 0 た。 体「水男はなんで、春だと思うの ? 」 る 私はたずねた。 あ「君たち、仲良かったから。」 水男は普通に言い、肉を切 0 て口に運んだ。私の手はその時少し止まった。泣きそ うになったからだ。 「春が、私になにか言いたいの ? 」 「俺にはわからないな。」 「そうね。」 私も食事に目を戻した。大したことではないのかもしれない。酒にまみれた私の日 171
春はその細いあごを抱えたひざにのせたまま、優雅に、そして強くうなずいた。 水男と二人、田中くんの店を出たのは夜明け近かった。歩きながら、私はたずねた。 「ねえ、実は私、どのくらい意識を失っていたの ? 」 「二時間近かったな。飲んで待ってたら、すっかり酔っちまったよ。」 人っ子ひとりいない路地裏には、水男の声が高らかに響いた。 船「そう、そんなに。」 夜春といたのはほんの短い間だったので、私は少し驚いた。それにしてもさつはりし 河た気分だった。月や星の光が、何年かぶりにと思えるくらいにくつきりと、洗われた 白ように明るく見えた。歩くことすら嬉しくて、自然と速足になった。春、天使の歌、 コビトの霊媒、春 : ・ 「いいんだよ、気分が晴れれば。」 ふいに水男がそう一言って、私の肩を抱いた。 「今は考えるな。」 私は黙ってうなずいた。 毎晩、飲みすぎていたのは偶然だったのだろうか。 188
たので、私は不機嫌だった。 「あんたみたいな変な服着た女にそんなこと言われる筋合いはないわ。黒のニットは 胸がもう少しある人に着てほしいわね。」 いため物をしている私の背中を、春がびじで強くこづき、私はもう少しで手をな。へ の中につくところだった。 「なにすんのよ ! 」 船私は大声で言った。いため物の激しい音と熱気にまみれて悲痛な声となった。 夜「よけいなお世話よ。」 河春は言った。 白「それもそうね。」 私は言って、火を止めた。部屋が静かになったので、二人の沈黙が急に浮いた。そ の時はもう、二人共、ひとりの少しエキセントリックな男、世の中のことをなめてか かっていて独自の生き方をしているように見えるびどい男の同じ体を、二人が共有し ていることがまともなのか、日常なのか、異常なのかわからなくなっていた。いろと も言われていないのに、男の部屋にいりびたっていることも、それが二人であること も。ただ私は春の陰気な発声と、ヒステリックにやせた体にイライラしていた。目の 166