見え - みる会図書館


検索対象: 白河夜船
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1. 白河夜船

: 考えても、わかるはずがなかった。ただわかるのは、あの時サラが大人だった とい、つことだけだ。私よりも、兄よりも、毬絵よりも、かわいそ、つなくらい、大人だ つ、一 0 酔っぱらってきた私の目には、今や、店の暗さは驚くほどひっそりと沈んでいた。 それでも、たとえば遠くのカウンターでお客と話をしている店の陰気な女の子よりも、 彼氏と二人で顔を寄せ合っている長い髪のすごい美人よりも、窓辺で雑誌を見ながら 人煙草を吸っている幼い顔立ちの女よりも、私の目に毬絵はくつきりとした輪郭に見え のた。なぜだろう、と私はそのことをばんやり思っていた。 夜「ねえ・・・・ : サラ、今、日本に来てない ? 」 夜毬絵が言った。 「なんでまた ? だって、あの人留学生だっただけでしよう ? 何年も前に。兄さん が死んだ時だって、来なかったのよ。」 私はびつくりして言った。私がサラの来日を、気を使って毬絵にかくしているわけ ではない、 とはっきりわかったのだろう。毬絵は表情をゆるめて、言った。 なぞ 「昨日、謎の電話があったの。」 「どういう ? 」 117

2. 白河夜船

夜 河 。へりへと向かう、だだっ広い大通りはすでに車両通行止めになっていた。人々は ゆかた 白皆、通りいつばいに広がり、川のほうへ、花火のほうへと歩いていた。浴衣を着て、 きおんまつり 子供に肩車をして、笑いさざめきながら幾度も空を見上げ、まるで祇園祭のように皆 が同じ方向へ流れていた。このような景色を見たことがなかったので、なんだか気持 ちが急いだ。見上げる空にいっ花火が開くかという期待感に満ちた人々の顔は、とて も明るく見えた。 「こりゃあ、やつばり川まで行かれないな。見てみな、ぎっしりだよ。」 がっかりした口調で彼が言う、その汗をかいている横顔を見上げる。 時だった。」 彼はけげんそうにそう告げた。 「 : : : やつばり。」 と言った私の目には、突然、涙がにじんだ。自分でもわけのわからない涙だった。 それより、と言って彼が花火とうなぎの企画のための待ち合わせ場所を告げる声を聞 きながらメモを取る手元も、部屋中も、熱くにじんでばんやりと明るく、光って見え

3. 白河夜船

ちだそうだからきっと彼に対しては離婚していいと中し出ているのだろう。病院に 行く度に妻は眠り続けていて、きっと彼は「まだ生きているんだ」と思うと本気でつ もことだと らくなり、多分、「死んでしまう」まで別れないのが自分なりのかっこ、 思っている。そして私のことを、誰にも話せない。それは、彼自身もうすっかりいろ んなことに疲れていて、もしけりがついてもすぐに私と一緒になろうとはとても思え ないから、そしてしおりの言ったとおり、このことにいつまで私がっきあってくれる 船のかが不安だから。ああ、結局いつも同じだ。堂々めぐりになる。そう、今、私にで 夜きることはなにも言わないことだけだ。今はただ、私の上にいる彼があまりにもずつ 河しりくるのにおびえる。一緒にいた一年半の間に、彼がどんどん歳をとってゆくのを 白どうしても止められなかった。私も疲れているのか、最中にこんなことをばんやりと 考えてばかりいて、ちっとも気持ちが良くない。部屋の暗さが心にしみ込んでくるよ うだった。薄いカーテンの向こうの夜景がずっと明るく輝き、夢幻のように遠く見え た。横を向く度に外を見ていた。屋外に吹き渡っているはずの、ごうごうと登たい風 のことを思っていた。 並んで眠りにつく時、ふいに彼が言った。

4. 白河夜船

ることや、目の前で笑うことなんかを。 そのことにサラはきっと、気づいたのだ。 「ええ、びとりだった。」 私は言った。うそをつく時のコツをす。へて言葉に込めて。 ールフレンドは大勢いたけど、本当の恋人はいなかったわ。」 「そう : : つまらないことをたずねてしまって、ごめんなさい。 : 日本へ来たら、 ・つれ 人気がゆるんでしまったのね。あなたと話すことができて、嬉しかったわ。あなたのお 旅 のかげで。」 夜サラは言った。もうそれは、やむにやまれずに無言電話をかけてしまったり、感傷 夜が苦しくて泣いてしまう彼女ではなく 、私の知っている落ち着いたサラだった。 「じゃあ、お元気で。もう、部屋に戻らなくてはいけないの。」 サラは一一一一口った。 「ええ : ・・ : それじゃあ。」 私は言った。すっかり目が覚めてしまった。窓の外の空は晴れと曇りの妙なグラデ ションで、部屋全体がもの哀しい感じに明るかった。変な天気だな、と思いながら、 私は告げた。 125

5. 白河夜船

「ねえ、研一、お金を返すって言ってきてない ? 」 私はたずねてみた。 「いや、全くー 冗談じゃないよな。俺は三万出してんだ。その金で女とハワイに行 ってやがるんだ。」 彼は結構本気で怒っているようだった。 「ハワイ ? 」 人「そう。高校生の彼女ができてな。」 旅 の「ふーん。で、帰ってきたの ? 彼は。」 夜「知らないよ。」 夜「そう。」 やつばり、気に入っている人にしかお金は返さないというつもりに違いない、 いながら私はうなずいた。 「なんで ? 芝美のところには連絡あったのか ? 」 田中くんは言ったが、 「ううん。」 と私は首を振った。せつかく返してくれると言っているのに、話をややこしくした 111 と

6. 白河夜船

のどこかでいつも気にかけています。 先日も、あなたにあてた手紙の下書きを見つけ、宿題をやってもらったことなんか を懐かしく思い出していました。」 私が黙ると、電話の向こうからかすかなざわめきが聞こえてきた。後ろを人が通っ てゆくような、がやがやした音。そして、また、しんと静かになった。それから、涙 おえっ をしやくり上げる嗚咽の音が少しずつボリ、ームを上げて耳にせまってきた。私はぎ 人よっとして、 旅 「サラ ? 」 の 夜 と言った。サラは泣いていた とかすかに、確かにサラの声が言った。 「サラ、日本に来ているの ? 」 やった、話ができる、と思いながら私はたずねた。 「ええ、でも、会えないの。」 サラは一一 = ロった。 「誰か、男の人と来ているの ? 部屋でかけることはできないの ? そこは、ホテル 123

7. 白河夜船

128 深く沈み込み、まわりを見回した。 サラどころではなく、外人だらけだった。といってもスーツ姿のビジネスマンが主 で、高い天井にまるで音楽のように、すらすらの英語が飛びかっていて、私はますま すぼんやりした。 やがて、透明なドアの向こうから、研一がやってくるのが見えた。 「ほら、金。」 船彼はすわる席の前に立っと、封筒を差し出した。私は黙って受けとった。ありがと 夜、つと一一 = ロ、つわけ・にもいカオ p 河「今、時間あるか ? 」 「ええ 、別に平気よ。」 「じゃ、お茶をおごろう。」 そう言って研一は私の向かい側に腰かけた。 お茶を飲みながら、彼は笑って言った。 「しつかし、人のうわさとは恐ろしいものだ。ハワイなんて、行ってみてえもんだ 「じゃあ、五十万近く、なにに使ったの ? 話したくなければいいけど。」

8. 白河夜船

盟なんでしよう ? 」 サラは答えなかった。ただ、泣いているだけだった。そして、言った。 「お元気でいるかどうかを、知りたかっただけ。シ。 ハミの声を聞いたら、懐かしくて、 、、の家のことを、思い出して : : : 日本にいた時、楽しかったこと。」 「サラ、今、幸せなの ? 」 わたしはたずねた。 船「ええ、結婚しているわ。」 夜サラは電話の向こうで初めて、くすっと笑って言った。 河「大丈夫、不幸ではないわ、安心して。」 白「そう。よかった。」 私は言った。するとサラが、ふいに言った。 教えて。ヨシヒロは、死んだ時、ひとりだった ? ・ : つまり、本物の恋人 はいたのかしら。それだけ、知りたかったの。」 きっと、サラは感づいていたのだと私は知った。毬絵がボストンに行った時、すで にその瞳の色で、そして、兄のまなざしで。兄は毬絵を見る時いつも、不思議な目を していたから。しんと心を澄ませて、確かめるようだった。その人が生きて動いてい

9. 白河夜船

「なに ? 仕事中なの ? 」 かっこう 里いシャツにコットンのパンツとい、つ、 全く私服にしか見えない恰好の彼は、手ぶ らで封筒をひとっ持っているだけだった。 「そうだよー。届け物に行く最中なんだ。君は相変らず、なんだかびまそうだねー。」 語尾を優しい感じにのはすのが彼の話し方の特徴だった。青空の下で彼はにこにこ 笑っていた。 船「うん、ひま。なにもしていないの。」 夜私は言った。 河「優雅だなあ。」 白「そう。ねえ、駅に行くんでしよう ? 向こうの角まで一緒に行きましよう。」 私たちは歩き出した。 町並みの形に切りとられた青い空が、奇妙にくつきりと光っていて、私はさっきか らずっと自分が異国にいるような気がしていた。真昼の街やその陽ざしは、時々、記 憶ゃいろいろなことを混乱させる。夏の最中ではますますそうだ。腕がじりじりと焼 けていくのがわかるようだった。 「暑いな。」

10. 白河夜船

「おまえ、その頃には、わけのわからない人生の垢が積もって、服も真珠も自分にと って、今よりも美しく見えなくなるに決まっているんだ。間題はその垢だ。一カ所に とどまってはだめなんだ、いつも、いつも、遠くを見ているように生きなくては。」 「お兄ちゃん、いつでも家にいるじゃない。」 私は言った。 「おまえ本当はわかってるくせに、意地悪な奴だな。体のことじゃないんだ。それに 人今、まだ俺たちは子供だから、家にいるんだ。そのうちに、どこまででも行けるよう 旅 になるよ。」 の 夜兄は笑った。その時、毬絵がばんやりと、 夜「私は、やつはりお金持ちの人がいいな。」 と一一 = ロった。 「おまえら、全然、人の話聞いてないな。」 兄は苦笑した。 「芳裕の言うことって、なんとなくわかるわ、でも私、やつばり玉の輿だな。だって、 あちこち行くの好きじゃないし、別れたくない友達もたくさんいるし : : : 。」 三つ歳上の毬絵はその頃、もう充分、大人っぽく見えた。彼女はいつも思ったこと としうえ やっ