言っ - みる会図書館


検索対象: 白河夜船
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1. 白河夜船

常が次のステップに向かって見せているいろんな「心残り」のイメージが春のかたち をしているのかもしれない。今夜もすでにワインを二本空けてしまって ( 水男と一緒 にだが ) 、視界がばんやりしてきた。 また朝になってゼロになるまで、無限に映るこの夜景のにじむ感じがこんなにも美 しいのを楽しんでいることができるなら、人の胸に必ずあるどうしようもない心残り いろど はその彩りにすぎなくても、全然かまわない気がした。 船「今から、春に会ってみないか。」 夜水男がふいにそう言った。 河「なに言ってんの ? 」 白 私は少しおかしな発声でそう言った。店中の人がちらっと私を見るくらいに、その くらいびつくりしたのだ。 「知り合いに、そういうことができる男がいるんだ。」 水男が笑って言った。 「うさんくさー 私も笑って言った。 「いや、結構面白いよ。そいつってコビトでね、昔、俺がもっとやばい商売をしてい 172

2. 白河夜船

ふいに言われて私はぎよ「とした。また、眠りかけていたのだ。横を見ると彼女は まゆ トーンもさっきとは全く亠ってき きびしい顔をしていた。ひそめた眉がかげり、声の っ 2 はり - し J 低 . かっ」。 私は答えに困った。やつばりおかしい子なんだ、と少しこわくな 0 た。彼女は立ち 上がり、私の正面に来るとま「すぐに私を見据えた。本当に不思議な目をしていた。 船私を見つめているのに、遠いところに焦点を結んでいるようなまなざしだ 0 た。私は 夜その瞳に見とれて、やはりなにも言葉を発することができなか。た。彼女は続けた。 アレヾイト 河「そして、アルバイトニ「一ースを買うの。その中から、ごく短期でいい ニオンでもいいわ。事務はだめ、眠 を見つけなさい。マネキンでも、ショーのコンパ 「てしまうから。とにかく立 0 て、手や足を動かす仕事を。そうしなさい。見ていら れないわ。このまま行くと、あなたがとり返しのつかないことにな 0 てしまいそうで、 こわいのよ。」 としした 私は黙って聞くしかなか「た。どう見ても歳下の彼女が、なんだかびどく歳上に見 えた。言 0 ていることも妙に私の心をついていて気味が悪か 0 た。彼女は真剣だった が、怒 0 ている口調ではなか 0 た。なんと言えばいいだろう。どこか必死で、もどか

3. 白河夜船

185 安だった。男も、もうほとんど家に寄りつかず、そのことももうどうでもいい気がし ていた。 「外はすごい雷よ。」 私は言った。帰るに帰れず、春に話しかけるより他なかったので、思わず話しかけ てしまったのだ。しかし春は意外に普通に答えを返した。 「やあねえ、雷嫌いよ。」 験春は眉をびそめた。春の、その表情はとてもエロティックで情けなく、 体みとれるような感じになった。 る「文ちゃん、助けてえ。」 たた あびかっと、稲光が光り、すぐに叩きつけるような激しい音がした。春が私にそんな ことを言ったのは初めてだったので、ぎよっとして見ると、春は私に向かって童女の ほほえ ように微笑んでいた。私は悟った。春もわかっているのだ。もう恋は終盤を迎え、私 と春は会うこともなくなる。そのことを、知っているのだと。 「近いわよ。」 私が言うと、春はもう一度、 「いやだあ。」 まゆ いつも一瞬、

4. 白河夜船

「わかった、君は疲れてるんだろう。よし、そうだな、今週はもう会えないけど、来 週なにかおいしいものでも食。へに行こう。そうだ、来週は花火大会じゃないか。川の ほうへ行こう、な ? 」 と一生懸命言った。耳をあてた肌が熱く、胸の鼓動が聞こえていた。 「混むわよ 涙をこばしながらも少し明るい気持ちになった私は、笑って言った。 船「川べりまで行かなくても、あの近辺にいればちょっとくらい見えるだろう。そうだ、 夜うなぎでも食べよう。」 河「うん、食。へましよう。」 「いい店知ってるか ? 」 「ええとね : あの通り沿いの大きい店は ? 」 「あそこはだめ、天ぶらとかさ、うなぎ以外のものを同時にやってるからな。邪道だ よ。もっと裏になかったつけ。」 「ああ、お寺の裏のほうに小さいお店があったわ。行ってみましよう。」 「うなぎっていうのはさ、とれたばっかりのを今、っていう感じが大事なんだよ。」 「ごはんの固さと、タレも重要よね。あっ、これは、うな重の場合。」

5. 白河夜船

私はたとえ眠っていても、それでも恋人の電話だけはわかる。 岩永さんからの電話のベルは音がはっきりと違って聞こえる。なぜだか私にはどう してもわかってしまうのだ。他のもろもろの音が外側から聞こえるのに対して、彼か らの電話はまるでヘッ。 トホンをしている時のように頭の内側に快く響く。そして私が 船起き上がって受話器を取ると、あの、ぎよっとするほど低い声で彼が私の名を呼ぶの 河「寺子 ? 」 うつ 私がそう、と答えるその声のあまりの空ろさに彼は少し笑って、いつでも同じよう 「また寝てたんでしよう。」 と言う。ふだんは全然敬語を交えないで話す彼がふいにそう言ってくれるその言い 方があまりにも好きで、聞く度に世界がふっと閉じるよ、つに田 5 う。シャッターが降り てくるように盲目になる。その響きの余韻を永遠のように味わう。 「そう、寝てたわ。」 よゝっこ 0

6. 白河夜船

「君はなに、相変らず不倫か ? 」 ふいに彼が笑って言った。 「そういう言い方って、ないでしよう。」私も笑ってそう言った。「そうよ。まだ別れ ていないわ。」 「少しはまじめに恋をしなさいよ。」全くかげりのない明るい口調だったので、かえ とし・つえ ってずっしりきた。「昔つから君、大人っほかったものね。歳上の人が好きなんだ 船ね。」 夜「そうね。」 河 私は徴笑んだ。 私は、自分でもこわいくらいまじめで、もしこの恋が終わったらと思うと手足が震 えてしまうくらいなのに。でも、いっ終わってもおかしくないような形でずっときて、 それでも私の気持ちは静かに燃え続けているのに。 「じゃあまたな、なにか集まりでもあったら呼んでくれ。」 地下鉄の駅の人口にさしかかると、そう言って彼は片手を上げ、薄暗い階段を地下 へ降りて行った。じりじりと照る陽の中でなんとなく名残惜しく、私はその背中を見 送っていた。私の心の中の明るいところがあの子の背中について行ってしまったよう

7. 白河夜船

がこちらを見上げて、笑っていた。 「ああ、びつくりした。」 私は言いながらも、毬絵が突然、そこにいることがまだ信じられず、夢を見ている ような気分だった。彼女は三カ月ほど前までこの家に住んでいたのだ。 「もっと、びつくりさせてあげる。」 と言「て彼女は足を指差した。暗がりの中、窓明かりで目をこらすと、毬絵が靴を 人はいていなかったので私は叫んだ。そうしている間にも雪混じりの風が室内に吹き込 旅 のんできていた。 夜「お人り、玄関にまわっておいで。」 夜私が言うと、毬絵はうなずいて庭のほうへ歩いて行。た。 「いったいどうしたの ? 」 タオルを渡して、部屋の暖房を強くしながら私はたずねた。玄関に人った彼女はび しょ濡れで、凍りそうに冷たい手をしていた。 しかし本人は寒いとも暖かいとも別に言わずに、真っ赤なほほをして言った。 「別になんでもないのよ。」 そして濡れた靴下を脱ぎ、すわって素足をストープにあてた。毬絵によくなついて

8. 白河夜船

「そうだな。面倒くさくなくて、 A 」一一 = ロった。 「お互いの親も喜ぶだろうしなあ。」 「毬絵と同じ家に住めたら、楽しい。」 私は言った。毬絵はうなずいて、微笑んだ。 「これから、いろんなことがあるんだろうなあ。」 人兄が、ひとり言のように言 0 た。今でも不思議に思う。どうして兄は、あんな少年 旅 の頃から人生のいろんなことを、なんとなくわかっていたのだろう。どうして、あた の かも常にプランを練り、ひと所にとどまらずに先へ先へ行くやり方を知っているよう 夜に見えたのだろう。 ずっと、 川沿いに歩いた。水音があまり強くごうごうと響いて、かえ 0 て静かに感 じられた。それでも三人は大声で話していたので、そういうたわいのないびと言ずつ が、妙に意味を持つように田 5 えた。 川がずっと先のほうへ続いていたタ方の光景を、よく思い出す。 兄が死んで、もう一年になるのだ。 いいね。」

9. 白河夜船

盟なんでしよう ? 」 サラは答えなかった。ただ、泣いているだけだった。そして、言った。 「お元気でいるかどうかを、知りたかっただけ。シ。 ハミの声を聞いたら、懐かしくて、 、、の家のことを、思い出して : : : 日本にいた時、楽しかったこと。」 「サラ、今、幸せなの ? 」 わたしはたずねた。 船「ええ、結婚しているわ。」 夜サラは電話の向こうで初めて、くすっと笑って言った。 河「大丈夫、不幸ではないわ、安心して。」 白「そう。よかった。」 私は言った。するとサラが、ふいに言った。 教えて。ヨシヒロは、死んだ時、ひとりだった ? ・ : つまり、本物の恋人 はいたのかしら。それだけ、知りたかったの。」 きっと、サラは感づいていたのだと私は知った。毬絵がボストンに行った時、すで にその瞳の色で、そして、兄のまなざしで。兄は毬絵を見る時いつも、不思議な目を していたから。しんと心を澄ませて、確かめるようだった。その人が生きて動いてい

10. 白河夜船

べたっとこなくてね、ちょうど良く優しい感じでね。女友達「ていいわよね。あなた がいて、しおりがいて、あの頃はいつも悩んでばっかりいたけど、そんなの子供の遊 びみたいなもので、今思うとお祭りみたい。毎日、泣いたり笑ったりしていた。そう、 しおりって本当にいい子で、人の話をうん、うんってうなずいて聞く時にいつも少し、 ほほえ 口元を微笑ませていたわ。そしてえくばができるの。でも、しおりは自殺しちゃった の。もうとっくに私の所を出てひとりで豪華な部屋に住んでいたんだけど、睡眠薬を : あの 船たくさん飲んで、その部屋の小さなシングルべッドの中で死んでしまった。 夜子は、仕事用の部屋にものすごく大きな、それこそ中世の貴族が眠「ちゃうようなふ てんがい 河かふかの、天蓋つきのべッドを持っていたくせにどうしてそっちで死ななかったのか しらね。友達でもそういうことは、わからないものね。どうせなら、そっちのほうが 天国に行けそうだもんねえって、しおりなら言いそうなんだけれど。私は、田舎から 飛んで出てきたしおりのお母さんからの電話でしおりの死を知った。初めてお会いし たんだけど、しおりによく似ていて、胸がいつばいになってしまって、しおりのして いた仕事のことを聞かれたんだけど、ついに答えられなかった。 思いを伝えようとすればするほど私の言葉は粉に やつはりうまく言えそうもない。