セットウャー ( 仏足跡 ) パゴダ ( ゥー・ウエブッラ長老提供 ) 第、■新印 パゴタと巡礼者の集まる宗教都市 ミャンマーの仏教徒が、バ ゴダ参りの巡礼ツアーで最も行きたがる場所の一つにバガンがあ る。現在も多くの巡礼者、参詣者を集め宗教機能を果たしている。 ミャンマー中央部の乾燥地帯に属するバガンは、一〇四四年に即位したアノーヤター王が、周 辺の灌漑用貯水池による豊かな農耕地を征服統合、内陸河川ルートの物資集散地とすることによ り経済的繁栄を促し、ピルマ族による最初の強大な帝国を築き上げていった地であった。 シン・アラハンなる高僧によって上座仏教に帰依することになったアノーヤター王は、モン族 の首都タトンを攻略しパ ーリ語三蔵を入手、上座部系の僧侶を招請した。タトンより連れて来ら れた建築家や彫刻師、画工たちが技術を教え、バガンに仏塔や窟院などの建立が開始された。 パゴダには、「ゼディー ( 仏塔 ) と「グー」 ( 窟院 ) の二つの様式があり、どちらもピルマ語で「バヤー と呼ばれている。ゼディは、内部に空間をもたない舎利埋葬のためのストウーバ式の仏塔を指 し、グーは内部に空間のある部屋 ( 洞窟 ) があり、中心部に舎利や仏像が安置されたものである。 窟院の内部 ( ( こま、装飾のために仏伝やジャータカ ( 前世物語 ) を主題とするテラコッタや釉瓦の浮き 彫りが飾られ、壁画が描かれてモン文字による説明が付けられた。 宮廷の儀式の際には「ピルマ人が歌い、モン人が歌い、ピュー人が歌う」と一一〇二年の碑文に記 されている。バガンには、インド人のポンナー ( バラモン司祭 ) も存在した。通商という点からも当 時のバガンは多様な民族を擁する国際的な宗教都市であったとみられる。 アノーヤター王は、スリランカへ使節を派遣し、三蔵を請来した。また、スリランカの王ヴィ ジャヤバーフは、一〇七四年、アノーヤター王に経典と僧侶をもたらすよう要請、王はそれに応 じるとともにスリランカにある仏歯を希望し、その複製を受け取っている。バガン王朝初期の仏 教は、ビルマ族がモン族の上座部系仏教を受容して繁栄を促したものであったが、次第にスリラ 第一章黄金のパゴダの国ミャンマー 4
日常生活の中の仏教と民間信仰 アノーヤター王は上座仏教を受け入れたのだが、国内で布教に必要な経典が不足していた。シ ン・アラハンがタトン王国には経典があることを示唆したため、アノーヤター王はタトン攻略を 命じる。タトンにはウェイザーの死骸を食べて超能力を得た双子のインド系兄弟ピャツウイ、ビ ャッタがおり、二人はタトンの王に仕えていたが、王の不興を買って兄は処刑される。タトン側 は、彼の死骸を術を用いて地中に埋めたため、術の力によって難攻不落の都市となっていた。し かし双子の弟ビャッタがアノーヤターの側につき、この死骸を掘り出したため、タトンは術の効 力を失い、バガン側はタトン攻略に成功し経典を手にした、というものである 現在、このインド系兄弟は精霊として人々のよく知るところとなっている。この物語はすべて 史実というより口頭伝承が王統史編纂の段階で組み込まれたと考えるべきだろう。ただいすれに しても面白いのは、精霊の物語とウェイザーに関わる物語とが、経典入手という、より大きな仏 高僧とウェイサーの像 ( ャンゴ教伝来物語に織り込まれている点である。ピルマの王朝は上座仏教受容以来、仏教を王権の正統 ン都市居住民の自宅 ) 性原理として用いてきた。精霊信仰やウェイザー信仰もまた、王権と仏教の結び付きの中で、プ ツダを項点とする世界観に組み込まれていったと考えられるだろう。 現在の信仰のあり方 現在仏教徒たちに尋ねれば、その多くは、ブッダや人間が存在するように、精霊やウェイザー も存在すると答えるだろう。そして、精霊やウェイザーなどの神格はすべて仏教世界のものだと 疇、」理解している。前述のように村には僧院と精霊の祠があり、家の中に仏壇と精霊、のお供えが共 存し、パゴダには仏像とともに精霊やウェイザーの神格が祀られ、皆が順に拝んだりすることは その表れであろう。 年中行事や通過儀礼にも、仏教と精霊信仰がともに組み込まれている例は多々ある。最も顕著 な例の一つが得度式である。上座仏教においては、仏教徒男性は生涯に一度は仏門に入るのが理 111
前一一四七ー前ニ〇七頃ソーナ、ウッタラ両長老によりスヴァンナ・プーミに仏教伝わ七 5 一一世紀 る。 ー九世紀 アノーヤター王の指導の下、ビルマ族国家バガン朝成立。 一〇四四 一〇五六 上座仏教伝来。アノーヤター王、シン・アラ八ン僧により上座 仏教に帰依。 アノーヤター王、バーリ語一切経の入手を目的に、南部ビルマ 一〇五七 のタトン遠征。タトン伝来の上座仏教の影響により、土着信仰 や大乗仏教の勢力弱まる。 バガン王朝アノラウタ王、シュエジゴン・八ゴダ起工。ミャン マーに建塔時代始まる。 アノーヤター王、スリランカより仏歯の複製受け取る。 マ八ー・ボティ寺建立。 、バーリ語著作が行われる。 バガンを中心に仏教教学が栄え ミャンマー上座部サンガの分裂。 モン族僧チャパタ、スリランカより帰国。スリランカ仏教の公 布によりタトン系仏教弱まる。 アヴァー朝以降、仏伝を題材とする文学が盛んになる。 元の侵攻を四度にわたって受ける。 バガン朝滅亡。 シャン族、ピンヤ王朝建国。 シャン族、サガイン王朝建国。 スリランカ大寺派の授戒様式の伝来。ピルマ上座仏教の基礎と なる。 ダンマゼーティー王、インドのブッダガャーに使節派遣。 ダンマゼーティー王、スリランカに仏僧派遣。 ダンマゼーティー王による仏教改革。 一〇五九 一〇七四 一ニ世紀 一五世紀後半 一四七ニ 一四七五 一四七六 ミャンマー年表 一三ー一六世紀 ミャンマー・タイ仏教略史年表 出来事 226 一三ー一五世紀 一三世紀末 一四 5 一ハ世紀 一三四七 一四世紀後半 一四三ハ タイ年表 ー一三世紀 出来事 ド八ーラ八ティ時代、インド・サールナート系の仏像が造られ る。 スリウイジャヤ国支配下のタイ南部チャイヤーを中心に大乗仏 教美術が栄える。 大乗仏教とヒンドウー教美術、アンコール朝美術の影響を受け たロップリー期美術が栄える。宝冠仏や青銅製諸仏が多産され る。 スリランカ美術の影響を受けたスコータイ期美術が栄える。 アンコール朝に対してタイ族が反乱。スコータイ王朝を建国。 スコータイ王朝、ワット・チャムローン建立。 第 3 代ラーマカムヘン王の時代、マレー半島経由てスリランカ 系大寺派上座仏教林住部の伝統が伝来 ( 世紀前半の説もあ り ) 。同王、スコータイ城西部のサバーン・ヒン寺を林住部の大 長老のために建立寄進。 タイの国民美術の時代と言われるアユタヤ期美術か栄える。特 に体全体に装飾を施した宝冠仏が多産される。 大正法王と呼ばれる篤信の仏教徒であったリタイ王即位。仏教 保護政策をとりスリランカ仏教が普及。 ラーマテイボティ—世によりアユタヤが建設され、アユタヤ朝 始まる。 スコータイ王朝リタイ王、トライプームという仏教宇宙論を著 す。この頃、スリランカ仏教が普及。タイ国美術史の古典期に 相当するスコータイ様式の仏教美術が全盛となる。 アユタヤ朝、クメール族アンコール朝を滅ほす。これにより八 ラモン司祭か多数流入。 スコータイ王朝、アユタヤ朝に併合される。
れた巨大な古代都市のようだった。 九世紀頃に現在のミャンマー中部に移住してきたビルマ族は、中国雲南地方に通じるイ ラワジ河と、インド・アッサム地方に通じるチンドウイン河が交わる交通の要衝バガンに 都を置き王朝を建てた。そのバガン王朝のアノーヤター王 ( 一〇四四、七七 ) は、一〇五七年、 南ビルマに一大勢力を誇っていたモン族の拠点都市タトンを制服し、ミャンマー最初の統 一国家を築く。タトン攻略の際、アノーヤター王は王族をはじめ多くの捕虜を連行し、モ ン族の文化をバガンに移植した。あわせて、僧侶や経典などとともにモン族の仏教ももた らされる。当時モン族はスリランカとの交易が盛んで、スリランカ系上座仏教を信仰して いた。後にミャンマーで上座仏教が広く信仰されるようになる起源はここにある。また忘 バガンの代表的な建物、アーナれてはならないのは、ヾ。・ ノコタの建築技術もこの時バガンに伝えられたということである。 ンダ寺院。 以後、ここに都が置かれた二五〇年の間、五〇〇〇とも六〇〇〇とも言われるパゴダや寺 院が築かれたのである。 私たちは、バガンを代表する仏教建築、アーナンダ寺院を訪ねた 一一世紀末、バガン王朝三代目のチャンシッター王が建てたもので、シュエダゴン・ ゴダのような天空へ鋭く伸びる円錐型の建造物とは随分趣の異なる建物だった。四方に入 り口が突き出た四角い建物で、一見するとヨーロッハの教会建築のような雰囲気がある。 これをパゴダと呼んでいいのかは分からないが、建物の一番上には仏舎利を納めた塔が載 っている。 この建物には、ブッダが満ち溢れている。 第一章黄金のパゴダの国ミャンマー
ウェイサーの像 ( ボバー山にて ) ホーホーアウンとして知られる ウェイサー る。 このほか、ウェイザーに対する信仰も見られる。大きなパゴダに行けば、ブッダや精霊の像と 並んで、ウェイザーの像が建てられており、多くの人がその前で拝んでいる。ウェイザーとは、 錬金術や占星術などの修行を積んで、空を飛ぶ、ものを見通す、未来を知るとい「た超能力を得 一丁を重んじるなど、精霊と比べれば仏教 た人物だと信じられている。現在ウェイザーは、瞑想イ彳 により深く帰依した神格として語られることもある。しかし、従来ウェイザーになるために必要 とされてきた錬金術や占星術などは、仏教教義とは関わらない世俗的知識であり、ウェイザー信 仰もやはり非仏的要素を持っ民間信仰の一つと言えるだろう。 仏教伝来の歴史 前述のマハーギーリ・ナッ兄妹の伝説は、バガン王朝の初期、上座仏教伝来以前の時代を舞台 としている。実際、ビルマ族のハガン王朝は、七世紀あたりに成立したが、初期には精霊信仰の ほか、アリ僧と呼ばれる僧侶を信仰していたと言われている。アリ僧とは王統史によれば、髪を 伸ばし藍色の僧衣を着て、占いをよくし、戦闘の訓練などをしていたとあり、大乗系仏教の流れ にま、このようなアリ僧か伝 を汲んでいたと考えられる。実は、ウェイザーとなるための術の一立ロ ( えてきたという説もあり、少なくともウェイザー信仰につながるような錬金術や占星術の知識 は、バガン時代から存在したと考えられている。ビルマ王朝が上座仏教を受け入れたのは一〇五 六年のことである。この年、先に上座仏教を取り入れていたモン族のタトン王国から、シン・ア ラハンという僧侶がバガンにやって来た。時の王アノーヤターはこの高僧に深く帰依し、アリ僧 を退けることになる。 ところで、この仏教受容に関しては、勅令によって一八世紀に編纂された『大王統史 ( マハーヤー ザウインジー ) 』に以下のように書かれている。 第三章徳を積む人々の暮らし 110