ウェイサーの像 ( ボバー山にて ) ホーホーアウンとして知られる ウェイサー る。 このほか、ウェイザーに対する信仰も見られる。大きなパゴダに行けば、ブッダや精霊の像と 並んで、ウェイザーの像が建てられており、多くの人がその前で拝んでいる。ウェイザーとは、 錬金術や占星術などの修行を積んで、空を飛ぶ、ものを見通す、未来を知るとい「た超能力を得 一丁を重んじるなど、精霊と比べれば仏教 た人物だと信じられている。現在ウェイザーは、瞑想イ彳 により深く帰依した神格として語られることもある。しかし、従来ウェイザーになるために必要 とされてきた錬金術や占星術などは、仏教教義とは関わらない世俗的知識であり、ウェイザー信 仰もやはり非仏的要素を持っ民間信仰の一つと言えるだろう。 仏教伝来の歴史 前述のマハーギーリ・ナッ兄妹の伝説は、バガン王朝の初期、上座仏教伝来以前の時代を舞台 としている。実際、ビルマ族のハガン王朝は、七世紀あたりに成立したが、初期には精霊信仰の ほか、アリ僧と呼ばれる僧侶を信仰していたと言われている。アリ僧とは王統史によれば、髪を 伸ばし藍色の僧衣を着て、占いをよくし、戦闘の訓練などをしていたとあり、大乗系仏教の流れ にま、このようなアリ僧か伝 を汲んでいたと考えられる。実は、ウェイザーとなるための術の一立ロ ( えてきたという説もあり、少なくともウェイザー信仰につながるような錬金術や占星術の知識 は、バガン時代から存在したと考えられている。ビルマ王朝が上座仏教を受け入れたのは一〇五 六年のことである。この年、先に上座仏教を取り入れていたモン族のタトン王国から、シン・ア ラハンという僧侶がバガンにやって来た。時の王アノーヤターはこの高僧に深く帰依し、アリ僧 を退けることになる。 ところで、この仏教受容に関しては、勅令によって一八世紀に編纂された『大王統史 ( マハーヤー ザウインジー ) 』に以下のように書かれている。 第三章徳を積む人々の暮らし 110
日常生活の中の仏教と民間信仰 アノーヤター王は上座仏教を受け入れたのだが、国内で布教に必要な経典が不足していた。シ ン・アラハンがタトン王国には経典があることを示唆したため、アノーヤター王はタトン攻略を 命じる。タトンにはウェイザーの死骸を食べて超能力を得た双子のインド系兄弟ピャツウイ、ビ ャッタがおり、二人はタトンの王に仕えていたが、王の不興を買って兄は処刑される。タトン側 は、彼の死骸を術を用いて地中に埋めたため、術の力によって難攻不落の都市となっていた。し かし双子の弟ビャッタがアノーヤターの側につき、この死骸を掘り出したため、タトンは術の効 力を失い、バガン側はタトン攻略に成功し経典を手にした、というものである 現在、このインド系兄弟は精霊として人々のよく知るところとなっている。この物語はすべて 史実というより口頭伝承が王統史編纂の段階で組み込まれたと考えるべきだろう。ただいすれに しても面白いのは、精霊の物語とウェイザーに関わる物語とが、経典入手という、より大きな仏 高僧とウェイサーの像 ( ャンゴ教伝来物語に織り込まれている点である。ピルマの王朝は上座仏教受容以来、仏教を王権の正統 ン都市居住民の自宅 ) 性原理として用いてきた。精霊信仰やウェイザー信仰もまた、王権と仏教の結び付きの中で、プ ツダを項点とする世界観に組み込まれていったと考えられるだろう。 現在の信仰のあり方 現在仏教徒たちに尋ねれば、その多くは、ブッダや人間が存在するように、精霊やウェイザー も存在すると答えるだろう。そして、精霊やウェイザーなどの神格はすべて仏教世界のものだと 疇、」理解している。前述のように村には僧院と精霊の祠があり、家の中に仏壇と精霊、のお供えが共 存し、パゴダには仏像とともに精霊やウェイザーの神格が祀られ、皆が順に拝んだりすることは その表れであろう。 年中行事や通過儀礼にも、仏教と精霊信仰がともに組み込まれている例は多々ある。最も顕著 な例の一つが得度式である。上座仏教においては、仏教徒男性は生涯に一度は仏門に入るのが理 111
日常生活の中の仏教と民間信仰 えない。その代わりに、出家者に布施を行うなどして功徳を積む。高い功徳を積めば、よりよい 来世に生まれ変わり、究極的にはいっか涅槃を目指すこともできるという考え方である。つま り、在家信者にとって出家者とは、ひとます功徳を積む対象としても重要だといえよう。 一方、在家信者が日々の営みを続ける上で、世俗的な願いはどうしても生じてくる。例えばも う少し金を手にしたい、昇進したい、試験に合格したい、医者が見離したような病いを治した もっと運勢を上昇させたいといったさまざまな祈願をかなえるために、もちろん僧侶も頼り にされるが、霊媒やガインの師が担ぎ出されることも多い。実際、僧侶や僧院への喜捨をよくす る一方で、精霊やウェイザーに頼っている在家信者は数多く存在する。彼らから見れば、精霊や ウェイザーに対して何か頼むというのは、ブッダや僧侶を裏切る行為というより、願い事にふさ わしい対象に頼っているだけなのである。 それぞれの信仰の専門家たちが活躍する姿は、 0 コダ建立の際にも見られる。ハゴダ建立は、 ミャンマーでは最も大きな功徳が積める積徳行為とされ、施主にとって一世一代の大事業であ る。しかしこの大事業は、単に資金、労働力、設計技師といった現実的な条件が満たされたから 、 0 ヾ といって必すしも成功するとは考えられなし ノゴダ建立は、工事の進み具合に従って、杭打ち 著名なウェイサーの絵写真 ( ボ儀礼、礎石配置儀礼、奉納品胎蔵儀礼、傘蓋奉納儀礼、入魂儀礼を順次行わねばならない。そし ーミンガウンとして知られるウ て、工事や儀礼が順調に進んでいくためには、外部からの加護の力が必要とされるのである。そ ェイサー ) のために、普通は儀礼祭司としてガインの師が務め、ウェイザーの加護を引き出すことが望まし いと考えられている。しかし僧侶や霊媒たちも、それぞれの必要に応じて関わっている。例えば 品杭打ち儀礼、奉納品胎蔵儀礼、入魂儀礼などには、多数の僧侶が招かれて読経を行う。またパゴ 、—-* 、 8 ダが建立される土地の精霊に対して、ナッガドーが招かれ、祭りが催される。ハゴダ建立にはこ のように、さまざまな神格から加護を引き出すことが必然となっているのである。 115
社会変化の中の新たな動き ここまで見たように、民間信仰は一般的な仏教徒の日常生活の中に入り込んでいると言えるだ ろう。ただし、より教義に近い仏教を求めて、民間信仰の要素を排除していこうとする動きもも ちろん存在している。このような人々は、仏教徒として拝むべきはブッダと僧侶だけで、精霊、 ウェイザーの存在そのものは否定しなくとも、積極的な帰依は必要ないという態度をとる。自宅 著名な僧侶やウェイサー、精での精霊へのココナツの捧げものや礼拝をきつばりと止めてしまうこともある。この背景には、 霊、パゴダなどの絵写真 ( プロ 一九五〇年代のウー・ヌ政権時代の仏教政策によって、瞑想センターが奨励され、経典学習や読 マイド ) が町中で売られている ( ャンゴンにて ) こうした傾向はミャンマーのみ 経のための機会が増えたという流れが挙げられるかもしれない ならす、広くスリランカ、タイなどでも指摘されている。つまり、在家信者が、これまで出家者 のものとされてきた瞑想修行や仏典研究に触れることで、従来の慣習的な仏教の在り方に批判的 な目を向けるようになるのである。そこから精霊やウェイザーへの信仰を、仏教信仰から明確に 切り離すという立場も生じると考えられる。 一方では逆の動きもある。九〇年代現政権の経済開放政策の下で都市居住民の職場や生活環境 は大きく変化した。そのなかで、商売や昇進の願いをかけて、精霊信仰に熱心になるもの、ウェ イザーの加護に頼る人々も多々見られる。村落で見られる精霊への帰依に比べて儀礼が派手にな り、儀礼にかかる金額も増え、むしろ精霊信仰が都市化した形で活発に行われているという報告 もある。またウェイザー信仰の場合、七〇年代末から公務員、軍人などの帰依者が増えたため、 ガインが弾圧され活動は沈滞化した。しかし現政権の下では、宗教雑誌の流行に支えられて、超 自然的な力を獲得したとされる人物が次々に紹介され、新たな形で再び隆盛を見せているのであ ( 写真【筆者 ) る。 第三章徳を積む人々の暮らし 114
想とされ、ミャンマーでは多くの男性が少年時代に沙弥 ( 見習僧 ) を経験する。王族だったブッダ に倣い、少年は王子の服装をする。少年を中心に村人は行列を組んで村を回りながら守護霊の祠 に立ち寄り、そこで拝む。都市部では、著名なパゴダに奉られたボーポージー ( おじいさん ) という ・ノ精霊の前で拝む。その後僧院に戻り剃髪するのである。守護霊へのお参りは、加護をお願いする ためとか、挨拶のためとか、さまざまな説明がされるが、省略されることはますない。すなわ 精霊の像 ( ャンゴン都市居住民ち、たとえ僧侶になるための儀礼であっても、精霊への参拝は必要なのである。 の自宅 ) 一方、宗教の専門家という観点から見れば、僧侶、すなわち出家信者は、在家信者に比べて仏 教に深く帰依し、ブッダの教えを最も厳密に守る人々と言えるだろう。これと同様に、精霊やウ ェイザーに仕える専門家もそれぞれ存在する。精霊に特に帰依しているのがナッガドー ( 精霊の妻 の意 ) と呼ばれる霊媒である。彼らは特定の精霊と「結婚。し、その精霊が憑依することにより、お 告げをしたり、相談者の祈願に関わったりする。ウェイザーに深く帰依する人々は、通常ガイン と呼ばれる集団に一度は所属し、錬金術、占星術、薬草学など、集団が伝える知識を獲得し、ウ ェイザーの加護を引き出し、自らもウェイザーとなる修行を積む。彼らは活動の種類によって、 ガイン・サヤー ( ガインの師 ) 、セイ・サヤー ( 治療師 ) などと呼ばれるが、いずれも病気を治したり祈願 成就を祈る。 この中で宗教的社会的に最も大きな尊敬を受けるのは、もちろん僧侶である。仏教徒が成長し ていく際には、沙弥として僧院に入ったり、女の子も僧院学校で勉強を学んだりする。僧侶はま す初めに、文字や経典を教え、ブッダの教えを分かりやすく導いてくれる先生として立ち現れ る。しかし、僧侶は単なる教師という存在にとどまらない。上座仏教社会では、出家と在家の役 割も区別ははっきりしている。出家者は理想的には涅槃到達を目指すものとされ、経典を学び、 瞑目 5 修行を行う。一方、在家信者は日々の暮らしに追われ、通常は出家者ほど深い信仰生活は行 第三章徳を積む人々の暮らし