ブッダへの篤き思い 未知の国へ ミャンマー、あるいはビルマという国名を聞いて、私たち日本人が思い浮かべることは それほど多くはない。 もちろん、軍事政権とそれに立ち向かうアウン・サン・スー・チー女 史のことは誰でも知っている。年輩の方であれば、太平洋戦争末期にビルマからインド侵 攻を目指し無数の命が失われたインノ ヾール作戦のことを思い出すだろう。竹山道雄の小説 『ビルマの竪琴』をイメージする人もいるかもしれない。仏教に関心のある人なら、国中に 立ち並ぶ仏塔Ⅱパゴダを挙げるだろう。しかし、「そのはかには ? 」と尋ねると、多くの人 かロごもってしま、つ ミャンマーという国自体が長く鎖国政策をとってきたことも手伝って、この国に対する 日本人の知識は実に乏しい。取材を始めたばかりの頃の私たちにとっても、それは同じだ った。ますはこの未知の国の歴史や文化をよく知り、さらにそこに暮らす人々の心の内に まで近づかなければならない。苦労することは目に見えている。ミャンマー政府は外国メ ディアに対し、なかなか取材ビザをえないとも聞いていた。重くなる気分を何とか奮い 立たせ、私たちの取材の旅は始まった。 私たちは都合五回ミャンマーを訪ねたが、その最初は一九九六年の暮れ。撮影に先立っ ての現地調査と、翌年から始まるロケがスムーズに運ぶよう政府と交渉することが大きな 第一章黄金のパゴダの国ミャンマー
・マンダレー イ ラノヾカ・ン ワ・タンポー村 マグウェ 工 べン - プル : ・ヤ : / コン ~ 輪廻を生き爻々 村を探す ミャンマーでは、国民のおよそ八〇 % が今でも農村部に暮らしている。ャンゴンやマン ダレーなどの都会に暮らす人たちも、多くは地方の村々からやって来た人たちだ。パゴダ に強い愛着を持つ人々は、村で生まれ村で育った。村人たちの日々の生活の中に、この国 の人々を理解するための鍵があるに違いないと考えた私たちは、これから取材する村を探 して、バガンから南に広がるマグウェ管区のイラワジ河沿いにある村々を回った。 私たちが村探しをした辺りは、移動してきたビルマ族が定住を始めた地域の一つであ る。もともとは民族固有の精霊信仰を行っていたビルマ族はこの地で仏教を受け入れパゴ ダを造り始めた、いわばビルマ仏教のルーツとも言える場所なのである。しかも、ここに は稲作の村もあれば畑作の村もあり、ミャンマーの農村の形がおおむね揃っている。 この地域の村は、きれいな正方形をしたものが多い。上空から見ると、厳しい自然から 身を守るかのように、荒野の中にそこだけ緑に覆われた四角い村が点在している。ミャン しゅ マー人の学者によれば、この形は仏教の宇宙観を反映しているという。宇宙の中心には須 みせん 弥山という巨大な山があって、その項には仏教を守護する帝釈天が住んでいる。山の項は 東西南北四方に睨みを利かせるために正方形をしているが、村の形はそれを地上に写した ものだという。村の中は、碁盤の目のように整然と道が通っていて、切り出してきた細い 第ニ章輸廻と宇宙観 2
によれば、その僧院にはインド伝来の仏舎利があり、それには不田 5 議な力があって独りで かさ に嵩が増していくというのだ。どういう仕掛けで量が増えるのかは知らないか、これなら ば国中にパゴダⅡ仏舎利塔が溢れるのも納得がいく。 しかし、なぜミャンマーで古代インドの在家信仰の形であるパゴダ信仰がこれほど盛ん なのだろうか。隣のタイでは、仏塔は普通僧院に併設された施設でミャンマーほど特別な 意味はえられていない。そして、その数も規模もミャンマーとは比較にならない 現存するミャンマーのパゴダの中で、もっとも古いものは六、七世紀頃の建立だとされ ている。ャンゴンから北へイラワジ河を二五〇キロほどさかのばった所にあるピエー市に 残る素朴なレンガ造りのパゴダである。シュエダゴン・パゴダの起源も場合によっては同 じく六世紀頃までさかのばる可能性がある。 現在ミャンマー総人口の六八 % を占める主要民族、ビルマ族が現在の中国甘粛省あたり から移り住んで来たのは九世紀頃だと考えられている。ビルマ族以前には、二つの有力な 民族が現在のミャンマーの地に住んでいた。一つは、中部ビルマを中心に紀元前一世紀頃 から栄え、中国の文献にもその名前が見えるピュー ( 驃 ) 族で、ピエー市のパゴダを築いた のは彼らである。もう一つは、五世紀頃からミャンマー南部で大きな勢力をもったモン族 で、シュエダゴン・ ハゴダは、このモン族によって築かれたものである。 この両者の残した遺跡からは、バラモン教や古い部派仏教が信仰されていたことを示す 碑文や彫刻が出土している。このことは、 かなり古い時代からインド文化がこの地に根付 いていたことをうかがわせる。東南アジアの仏教国の中でも、ミャンマーはインド仏教の 第一章黄金のパゴダの国ミャンマー
れた巨大な古代都市のようだった。 九世紀頃に現在のミャンマー中部に移住してきたビルマ族は、中国雲南地方に通じるイ ラワジ河と、インド・アッサム地方に通じるチンドウイン河が交わる交通の要衝バガンに 都を置き王朝を建てた。そのバガン王朝のアノーヤター王 ( 一〇四四、七七 ) は、一〇五七年、 南ビルマに一大勢力を誇っていたモン族の拠点都市タトンを制服し、ミャンマー最初の統 一国家を築く。タトン攻略の際、アノーヤター王は王族をはじめ多くの捕虜を連行し、モ ン族の文化をバガンに移植した。あわせて、僧侶や経典などとともにモン族の仏教ももた らされる。当時モン族はスリランカとの交易が盛んで、スリランカ系上座仏教を信仰して いた。後にミャンマーで上座仏教が広く信仰されるようになる起源はここにある。また忘 バガンの代表的な建物、アーナれてはならないのは、ヾ。・ ノコタの建築技術もこの時バガンに伝えられたということである。 ンダ寺院。 以後、ここに都が置かれた二五〇年の間、五〇〇〇とも六〇〇〇とも言われるパゴダや寺 院が築かれたのである。 私たちは、バガンを代表する仏教建築、アーナンダ寺院を訪ねた 一一世紀末、バガン王朝三代目のチャンシッター王が建てたもので、シュエダゴン・ ゴダのような天空へ鋭く伸びる円錐型の建造物とは随分趣の異なる建物だった。四方に入 り口が突き出た四角い建物で、一見するとヨーロッハの教会建築のような雰囲気がある。 これをパゴダと呼んでいいのかは分からないが、建物の一番上には仏舎利を納めた塔が載 っている。 この建物には、ブッダが満ち溢れている。 第一章黄金のパゴダの国ミャンマー
は、昔の勢いを取り戻しつつある。 ベトナムにおいては注目されることの少ない、 ベトナム系クメール人上座仏教徒「クマエ・クラ オみが、ポル日ポトの暴政によって壊滅状態にされたカンボジア仏教の再建に貢献したという事 実は、カンポジア仏教の歴史を考える上で、忘れることはできない。 インドネシア インドネシアの→ャワ島中部にあるボ 0 ブドウール遺跡は、世界遺産にも登録されて」る重要 な仏教遺跡である国民の八〇 % がムスリムであるインドネシアにイスラムの教えが伝えられる はるか以前、スマトラ島やジャワ島にはインドから大乗仏教が伝えられ、国王によって深く信奉 されていた。 かってスリランカの仏教復興運動に影響をえた神智学協会が、二〇世紀の初頭、ジャワ島に も影響をえ始めていたという事実はあまり注目されていない。遅くとも一九一八年頃までに は、ボゴールの神智学協会支部において、ブッダの生誕、成道、入滅を記念するヴェーサカの行 事が行われていたことが知られている。一九三四年には、神智学の影響を受けたスリランカ上座 仏教の僧侶ナーラダ長老が、華人仏教徒の招聘に応じてジャワを訪間し、各地を訪れて仏教普及 のため講演会を開催している。現在のインドネシア上座仏教徒たちは、この年をもって仏教復興 の年としている。 インドネシアにおける上座仏教発展の契機を作ったのは、ビルマに赴いてビルマ僧として得度 を受け、一九五六年の仏暦二五〇〇年を記念してジャワ島のスマランに精舎を建設し、布教活動 を開始した華人仏教徒アシン・ジナラッキタである。彼は、一九五九年のヴェーサカに際し、上 座仏教国から高僧を招き、彼の精舎の中に国際結界 ( s 一 m こ n 「。「 n ぎ。 n もと名付けた戒壇を設け、イン 第七章東南アジア諸国の上座仏教 218
ウェイサーの像 ( ボバー山にて ) ホーホーアウンとして知られる ウェイサー る。 このほか、ウェイザーに対する信仰も見られる。大きなパゴダに行けば、ブッダや精霊の像と 並んで、ウェイザーの像が建てられており、多くの人がその前で拝んでいる。ウェイザーとは、 錬金術や占星術などの修行を積んで、空を飛ぶ、ものを見通す、未来を知るとい「た超能力を得 一丁を重んじるなど、精霊と比べれば仏教 た人物だと信じられている。現在ウェイザーは、瞑想イ彳 により深く帰依した神格として語られることもある。しかし、従来ウェイザーになるために必要 とされてきた錬金術や占星術などは、仏教教義とは関わらない世俗的知識であり、ウェイザー信 仰もやはり非仏的要素を持っ民間信仰の一つと言えるだろう。 仏教伝来の歴史 前述のマハーギーリ・ナッ兄妹の伝説は、バガン王朝の初期、上座仏教伝来以前の時代を舞台 としている。実際、ビルマ族のハガン王朝は、七世紀あたりに成立したが、初期には精霊信仰の ほか、アリ僧と呼ばれる僧侶を信仰していたと言われている。アリ僧とは王統史によれば、髪を 伸ばし藍色の僧衣を着て、占いをよくし、戦闘の訓練などをしていたとあり、大乗系仏教の流れ にま、このようなアリ僧か伝 を汲んでいたと考えられる。実は、ウェイザーとなるための術の一立ロ ( えてきたという説もあり、少なくともウェイザー信仰につながるような錬金術や占星術の知識 は、バガン時代から存在したと考えられている。ビルマ王朝が上座仏教を受け入れたのは一〇五 六年のことである。この年、先に上座仏教を取り入れていたモン族のタトン王国から、シン・ア ラハンという僧侶がバガンにやって来た。時の王アノーヤターはこの高僧に深く帰依し、アリ僧 を退けることになる。 ところで、この仏教受容に関しては、勅令によって一八世紀に編纂された『大王統史 ( マハーヤー ザウインジー ) 』に以下のように書かれている。 第三章徳を積む人々の暮らし 110
精霊の像 ( ホバー山にて ) ビャッタの妻である鬼女とその 息子たちの像 土佐桂子神莇第 田一日常生活の中の仏教と民間信仰 日常生活に息づくさまざまな精震たち ミャンマーは多民族国家であり、人口の約六割を占めるビルマ族をはじめ、シャン族、モン族 などは、古くから上座仏教を受け入れてきた。歴史的にとらえるとすれば、各民族が築いてきた 信仰の上に、仏教を組み込んでいったと言えるだろう。確かに、現在の仏教徒たちの日常生活を 眺めると、教義から見れば直接仏教とは関わらないような民間信仰を見いだすことができる。こ うした民間信仰にはどのようなものがあるのか、それが仏教とどのように共存しているのか、ま た仏教徒たちは信仰についてどのように把握しているのかなどについて、ビルマ族を中心に迫っ てみよ、つと田 5 、つ 村に足を踏み入れると、大樹に綱が巻かれたり、鳥かごのような小さな祠が吊り下げられてい るのに出合う。古い樹にはヨウカゾー・ナッと呼ばれる霊が宿ると信じられているのである。 のはすれには祠が建てられ、村の守護霊 ( ュワーサウン・ナッ ) が奉られている。仏教徒の家に入って いくと正面に仏壇があり、軒の角にはココナツが吊り下げられたり、家の隅にココナツを入れた 木枠が設けられたりする。これはマハーギーリ・ナッと呼ばれる家の守護霊に捧げられたものだ。 マハーギーリ・ナッとは、ダガウン国の王に騙されて火あぶりにされたカ自慢の鍛冶屋とその美 しい妹の精霊である。この兄妹は処刑された樹に取りついて周りの人や動物を殺したので、ダガ ウン国王は樹を切り河に流したところバガン王国に流れ着き、そこで精霊として奉られるように なったと言われている。このように人々は自然物に宿る霊のほか、非業の最期を遂げた伝説上の 人物が死後奉られるようになった霊などを広くナッと呼んで、日々の暮らしの中で信仰してい 日常生活の中の仏教と民間信仰
実践に宗教的喜びを見い出す。持戒の修行生活を送る「出家者、とその生活を支える「在家者」とい う二重構造は、今日、東南アジアの各地に広まっている大寺派上座仏教に共通して見られる特徴 である。 上座仏教の存続は戒律を守る僧の集団、すなわちサンガの存在にかかっている。持戒が乱れ、 あるいはこれが衰微する時、サンガは衰退し、従って仏教もまた衰える。ブッダゴーサは、この 関係を「戒律は仏教のいのち」であるという言葉で説明している。 歴代の国王の手厚い保護の下に発展してきたスリランカ仏教は、一六世紀の初頭以降、ポルト ガル、オランダなど、ヨーロッパ・キリスト教諸国の進出によって大きな打撃を受ける。一七五 〇年、こうした仏教の衰退を憂えた時のキャンデイ国王は当時、シャム ( タイ ) で仏教が隆盛を極 めているという話を聞き、シャムの都アユタヤに使節を送り、シャム国王に対し、スリランカ仏 教サンガを復興させるためタイ僧を派遣してほしいと要請した。 ーリ長老を長とするタイ仏教 スリランカ国王の要請を受けたシャム国王は、一七五三年、ウバ サンガをキャンディに送った。タイの僧侶たちは、新たに設けられた結界においてスリランカの 僧たちの再得度を行った。これにより、滅亡に近かったスリランカ仏教サンガにようやく復興の 兆しが芽生えたのである。これが今日スリランカ仏教最大の宗派となったシャム派成立の由来で ある。 シャム派はやがて、上層カーストであるゴイガマ以外の出家を認めない方針をとるようにな る。そこでゴイガマ以外のカースト出身者で出家を希望する者が、今度はビルマのアマラブーラ に赴いて得度を受け、帰国後アマラブーラ派を結成してシャム派に対抗した。その後アマラブー ラ派に不満を持った僧の一部が、ビルマのペグー ( ハンサヴァティ ) にあったモン人サンガの流れを 汲むカルャーニ結界で再得度を受け、ラーマンニヤ派を立てた。こうして、スリランカ仏教には 第七章東南アジア諸国の上座仏教 206
林行夫 ( はやしゆきお ) 矢野秀武 ( やのひでたけ ) 一九一一九年、東京都生まれ。神田外語大学学長。京都大学名誉教授。専門はタイ史。主な著書に「上座部仏教の政 治社会学ーー国教の構造」 ( 創文社 ) 、「タイ仏教入門』 ( めこん ) 、「メコン」共著 ( めこん ) 、「インドシナ文明の世界」 ( 講談社 ) 、「東南アジア世界の形成』共著 ( 講談社 ) がある。 一九三四年、北海道生まれ。大阪外国語大学非常勤講師、大谷大学非常勤講師、光華女子短期大学非常勤講師、天 理大学非常勤講師、 ( 社 ) 日本ミャンマー友好協会理事。専門は東南アジア仏教史。主な著書に「ビルマ仏教」 ( 法 藏館 ) 、「原始仏曲 ( 6 』共著 ( 講談社 ) がある。 一九六三年、新潟県生まれ。愛国学園大学講師。専門は文化人類学。主な論文に「上座仏教徒社会における宗教実 践とジェンダーの構築」がある。 一九五七年、愛知県生まれ。神戸大学助教授。専門は文化人類学。主な著書に「視覚の一九世紀ーー人間・技術・ 文明」 ( 思文閣出版 ) がある。 一九五五年、大阪府生まれ。京都大学助教授。専門は文化人類学、東南アジア民族誌学。主な著書に「講座仏教 の受容と変容 2 ・東南アジア編」共著 ( 佼成出版社 ) 、『実践宗教の人類学ーー上座部仏教の世界』共著 ( 京都大学 学術出版会 ) がある。 一九五ハ年、大阪府生まれ。大阪外国語大学非常勤講師。専門はビルマ古典文学。主な論文に「アッタカターが物 語る仏教世界ーータンマバタを中心に」 (C 講座仏教の受容と変容 2 東南アジア編」佼成出版社 ) がある。 一九六六年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程。専門は宗教学、宗教人類学 ( タイ ) 。主な論文に「都市のタ イ上座部仏教」 ( 「宗教研究』日本宗教学会 ) がある。 一九五九年、千葉県生まれ。名桜大学助教授。専門は仏教学。主な著書に一。タイ、自由と情熱の仏教徒たち』 ( 三修 社 ) 、『タイを歩く』 ( >-OD 出版局 ) 『講座仏教の受容と変容 2 ・東南アジア編』共著 ( 佼成出版社 ) がある。 取材記 ZIY 「ブッダ」プロジェクト太田宏一 ( ディレクター ) 宮田章 ( ディレクター ) 高橋美和 ( たかはしみわ ) 土佐桂子 ( とさけいこ ) 原田正美 ( はらだまさみ ) 池田正隆 ( いけだまさたか ) 執筆者略歴 ( 五〇音順 ) 石井米雄 ( いしいよねお ) 山田均 ( やまだひとし ) 229
宗であった。 おわりに 過去一三〇〇年にわたり大乗仏教の諸派の教えを守り続けてきた我が国では、東南アジア諸国 で広く行われている上座仏教は卑しい小乗の教えであるとして、一部の研究者を除くと一般には ほとんど顧みられることがなかった。しかしこれまで見てきたように、スリランカから伝えられ た上座仏教は、東南アジア各国において現在もなお多くの人々の心の支えとして生き続けてい る。本書においては、ミャンマー ( ビルマ ) 、タイの仏教を中心に、信仰の実態のさまざまな姿を 探ってきた。この章で見てきたように上座仏教は、このはかスリランカ、カンポジア、ラオスに おいて広く信奉され、ベトナム、マレーシアにおいてはそれぞれカンポジア、タイの国境付近に おいて盛んであることが分かった。またインドネシアでは三〇数年前に起こった政変を契機とし て、上座仏教徒の数が一挙に増大するという現象が見られた。いずれの国においても上座仏教は 生きた宗教として、多くの人々の精神生活のよりどころとしての生命を脈々と保ち続けている。 今後、社会的状況が変わっても、上座仏教はその変化に対応して生き続けてゆくに違いない 東南アジア諸国の上座仏教 221