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検索対象: ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)
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1. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

くものとなる。また親が自分たちにえたものがたとえ無駄であっても、親の無償の愛というも のが、かえってその背後に浮き彫りにされてくるのである。 このような報恩観の変化は、仏教の在り方の変容とも一脈通じている。結婚や結婚後の親の扶養 とも関わらない大学生時の一時出家では、かってのような通過儀礼の意味は薄れていく。それは確 かに新たな自分を発見し、自分が変わっていく場ではあるが、変わっていく先は親の世代が体験し たものではない。過去の世代の記憶を追体験するような循環的な通過儀礼はもはや崩れている。 そこで新たに現れてきたのは微細な通過儀礼が連続する修行である。瞑想修行を中心にその都度 新たな自分を発見していく作業となる。寺の暑季修練プログラムに参加し感銘を受けた者は 次の年にも再度参加し得度する。なかには沙弥の経験を含め三度四度と得度する者もいる。 さらに両親をこのような修行に導き、自己探求や仏教徒としての自覚へと導くことが要請され るのである。それが得度式という行為以上に両親への報恩となり、両親の功徳となることが主張 される。そして得度できない女性も修行を行い、 自ら涅槃を目指すことが推奨される。生活に埋 め込まれている仏教ではあるが、再度自覚的に理解されていくことが強調されるのである。 現在タイでは、親子の関係だけではなく、その関係を構築する報恩実践、さらにその実践を支 える仏教集団の在り方も変化しているのだ。以上の事例は現代タイの都市新中間層の一部に見ら れる信仰形態にすぎない。しかし冒頭で示したような性産業に組み込まれる人々が紡ぎ上げた親 子関係も、そのような変化の別の現れだと言えるのではないだろうか。現在、タイの仏教はさま ざまな領域で多様な変化を見せている。しかし他方で、仏教と呼ばれる語彙や知識や作法の集積 体 ( それは均一な実体のように見えながら、突き詰めると実体性はばやける ) が、親子関係を構築していくための 重要な資源であるという状況自体は、この多様性を通じて再生産されているのである。 ( 写真【荒川健一・松本栄一 ) 第六章仏教の救済と癒し 202

2. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

参考文献 * 水野弘元監修、ウ・ウェーブッラ・戸田忠訳註 『アビダンマッタサンガハ南方仏教哲学教義概説』アビダンマッタサンガハ刊行会、 1980 * 中村元訳『ブッダの真理の言葉感興のことば』岩波文庫、 1978 * 中村元訳『ブッダのことば一スッタニノヾーター』岩波文庫、 1958 * 水野弘元「原始仏教・アピダルマにおける心理学一心識論ー」講座仏教思想第 4 巻理想社、 197 う * 木村泰賢『小乗仏教思想論』明治書院、 1 男 7 年 らは思うままにならす、実体がなく、従って、私というものもない「無我」というブッダが示した 存在のありようを体得することであるという。 ニ種類の世界 ところで、ダンマバダやスッハニバータの本典は紀元前三世紀頃、注釈は五世紀頃に成立して いる。ブッダの超人性と実践徳目の提示は、ブッダの悟りとその教えを観念的にではなく実在的 にとらえ、それを明示的に説き直すというアビダンマ的思考を伴う経蔵の注釈書編纂の時点で生 じた二つの大きな展開とも言える。そのことは一般信者の仏教への帰依を容易にさせる要因とな ったように思われる。また、アビダンマッタサンガハは一一世紀頃に成立していて、須弥山世界 が、三一界の輪廻転生、さらにはそれを巡る際に積み上げていく功徳の行為と結び付いている様 子を示す記述を含んでいる。 言うまでもなく、ミャンマー人仏教徒は近代科学的な世界観を共有し、現在のミャンマー社会 に生きている。しかし今日においても注釈書を含む経典は、ブッダの教えとして僧伽により大切 に伝持されている。また在家信者のアビダンマ学習熱も盛んだ。一方で毎年雨安居明けの一〇月 の満月の日には、ブッダが三三天から降下されるのを燈明を灯してお迎えする祭りがほかの仏教 行事同様盛大に行われ、また先に挙げた十善業事はそのほかの教えとともに、基礎教育課程の時 点で子供たちにも触れる機会が持たれている。 そういう意味では、現在においても功徳と来世、ひいては三一界の輪廻転生と須弥山世界はっ ながっていて彼らの生に指針をえ続けているのであり、彼らは善根功徳を積む度に、目の前に ある世界だけではなく須弥山世界にも身を置いているということが言えるのかもしれない 第ニ章輪廻と宇宙観 8

3. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

日常生活の中の仏教と民間信仰 アノーヤター王は上座仏教を受け入れたのだが、国内で布教に必要な経典が不足していた。シ ン・アラハンがタトン王国には経典があることを示唆したため、アノーヤター王はタトン攻略を 命じる。タトンにはウェイザーの死骸を食べて超能力を得た双子のインド系兄弟ピャツウイ、ビ ャッタがおり、二人はタトンの王に仕えていたが、王の不興を買って兄は処刑される。タトン側 は、彼の死骸を術を用いて地中に埋めたため、術の力によって難攻不落の都市となっていた。し かし双子の弟ビャッタがアノーヤターの側につき、この死骸を掘り出したため、タトンは術の効 力を失い、バガン側はタトン攻略に成功し経典を手にした、というものである 現在、このインド系兄弟は精霊として人々のよく知るところとなっている。この物語はすべて 史実というより口頭伝承が王統史編纂の段階で組み込まれたと考えるべきだろう。ただいすれに しても面白いのは、精霊の物語とウェイザーに関わる物語とが、経典入手という、より大きな仏 高僧とウェイサーの像 ( ャンゴ教伝来物語に織り込まれている点である。ピルマの王朝は上座仏教受容以来、仏教を王権の正統 ン都市居住民の自宅 ) 性原理として用いてきた。精霊信仰やウェイザー信仰もまた、王権と仏教の結び付きの中で、プ ツダを項点とする世界観に組み込まれていったと考えられるだろう。 現在の信仰のあり方 現在仏教徒たちに尋ねれば、その多くは、ブッダや人間が存在するように、精霊やウェイザー も存在すると答えるだろう。そして、精霊やウェイザーなどの神格はすべて仏教世界のものだと 疇、」理解している。前述のように村には僧院と精霊の祠があり、家の中に仏壇と精霊、のお供えが共 存し、パゴダには仏像とともに精霊やウェイザーの神格が祀られ、皆が順に拝んだりすることは その表れであろう。 年中行事や通過儀礼にも、仏教と精霊信仰がともに組み込まれている例は多々ある。最も顕著 な例の一つが得度式である。上座仏教においては、仏教徒男性は生涯に一度は仏門に入るのが理 111

4. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

によれば、その僧院にはインド伝来の仏舎利があり、それには不田 5 議な力があって独りで かさ に嵩が増していくというのだ。どういう仕掛けで量が増えるのかは知らないか、これなら ば国中にパゴダⅡ仏舎利塔が溢れるのも納得がいく。 しかし、なぜミャンマーで古代インドの在家信仰の形であるパゴダ信仰がこれほど盛ん なのだろうか。隣のタイでは、仏塔は普通僧院に併設された施設でミャンマーほど特別な 意味はえられていない。そして、その数も規模もミャンマーとは比較にならない 現存するミャンマーのパゴダの中で、もっとも古いものは六、七世紀頃の建立だとされ ている。ャンゴンから北へイラワジ河を二五〇キロほどさかのばった所にあるピエー市に 残る素朴なレンガ造りのパゴダである。シュエダゴン・パゴダの起源も場合によっては同 じく六世紀頃までさかのばる可能性がある。 現在ミャンマー総人口の六八 % を占める主要民族、ビルマ族が現在の中国甘粛省あたり から移り住んで来たのは九世紀頃だと考えられている。ビルマ族以前には、二つの有力な 民族が現在のミャンマーの地に住んでいた。一つは、中部ビルマを中心に紀元前一世紀頃 から栄え、中国の文献にもその名前が見えるピュー ( 驃 ) 族で、ピエー市のパゴダを築いた のは彼らである。もう一つは、五世紀頃からミャンマー南部で大きな勢力をもったモン族 で、シュエダゴン・ ハゴダは、このモン族によって築かれたものである。 この両者の残した遺跡からは、バラモン教や古い部派仏教が信仰されていたことを示す 碑文や彫刻が出土している。このことは、 かなり古い時代からインド文化がこの地に根付 いていたことをうかがわせる。東南アジアの仏教国の中でも、ミャンマーはインド仏教の 第一章黄金のパゴダの国ミャンマー

5. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

一時出家僧たちの日常生活は、 朝の托鉢をのそくと比較的自由 である。 通過儀礼と人々の意識 次に、一時出家についてタイの人々がどのように受け取っているのかについて、簡単に見てい くことにしよ、つ 人々の受け取り方 タイ語では出家を経験した人を「コン・スック」、未経験者を「コン・ディップ」と呼ぶことが ある。それぞれ「熟した人」「生の人」と言うほどの意味である。この言葉の持つ重みは以前ほど ではなくなったと言われるが、そこにはタイ人の出家観がよく表現されている。すなわち、出家 によって人間は未熟な状態から一人前の状態になるというもので、まさに典型的な通過儀礼だと 言ってもいい。 一時出家の持っ通過儀礼としての意味を最も明確に表しているのが、出家者の年代である。正 確な統計は存在しないが、一般的に一一一口えば、第一のピークは二〇歳から後の数年、つまり正式に 比丘としての出家が認められる年齢である。前述したように、近代以前のタイでは比丘としての 出家は教育の仕上げをも意味しており、この時期の出家はそうした伝統を受け継いでいるものと 考えることもできる。 第二のピークは結婚前である。これも個人的に「熟した」「一人前の」状態になってから、社会 的にも一人前に結婚をする資格が生じるという考え方の現れである。女性から見れば、現在でも 結婚相手は出家経験者である方が望ましいし、男性にしても独身時代に済ませておくべきことを 済ませてから結婚する方が望ましいのである。 さらにタンプンとしての一時出家の一つの典型に、前述した親孝行のための出家があるが、こ れは母親の死に伴って行われることが多く、従って定まった時期はない。母親が早く死亡した場 合、子供は沙弥として出家することもある。また、高齢で死亡した場合、子供がすでに出家を経 験してしまっていれば、重ねて出家するということはしないのが普通である。もっとも、その時 なま 141

6. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

呼物家事の手伝いは現世、 こ前世どちらの家でも行 う。 ミョントン村に住むチョー・ス・死んでからの一年間は前世の家 マは前世を記憶する一人であの庭の木の上で過こした。その る。現世に生を受けてようやく時の自分か一体何であったのか 言葉を話し始めた頃、不思議なは分からない。事故死した子供 話をするようになったという。 の生まれ変わりだと気か付いた 以下は彼女が語った内容である。のは、ある日現世の祖母に連れ 前世で五歳になった頃、姉に抱られ前世の家の前をたまたま通 かれて外出した折に姉の腕からりかかった時で、祖母に以前自 滑り落ち、ちょうどそこを通り分はこの家に住んでいたことが かかった牛車にひかれ翌日死亡あると語った。間もなくその家 した。身体の上を重いものか通を訪ねた際、前世の家族以外は り過きたことを覚えているため知り得ない数々のことを言い当 に、現在でも事故の起きた村道てた。今は曇りの日に前世の出 か怖くて通ることかできない。 来事を思い出すことか多く、そ んな時は前世の父のもとを訪ね たくなる。 そんな彼女は五分と離れていな い現世の家と前世の家を何の違 和感もなく行き来し、ニつの家 族との生活を送っている。 生まれ変わリ

7. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

石井米雄夫 古蔀大堂 田一東南アジア諸国の上座仏教 これまで私たちは、上座仏教の現状を最大の上座仏教国であるミャンマーとタイの事例を中心 に、さまざまな角度から眺めてきた。この終章では、これら二つの国以外の諸国の状況を見るこ とによって、現代における上座仏教の全体の姿を浮かび上がらせようと思う。 現在、上座仏教は東南アジアの大陸部を中心とする一億一〇〇〇万人以上の人々に信奉されて いる。国別の内訳を見てみると、ますタイは国民の九五 % が上座仏教徒と言われ、一国としては 最大の仏教徒人口を持つ。タイの人口は一九九六年の推計 ( 以下同じ ) で六〇〇〇万人なので、その 比率でいけば仏教徒数は五七〇〇万人となる。これに次ぐ仏教国はミャンマーである。ミャンマ ーは連邦制をとる多民族国家で、人口の最大多数を占めるビルマ人、北東部のシャン人、南部の モン人がそれぞれ上座仏教を信奉しており、仏教徒の総計は三六〇〇万人を超える。タイ、ミャ ンマーに次ぐ上座仏教国はスリランカである。スリランカは厳密には東南アジアではなく、イン ドとともに南アジアに入る国である。スリランカの人口は一八〇〇万、その内六九 % が仏教徒と 言われているので、その数は一二五〇万人弱となる。カンボジアの仏教徒もミャンマーと同じ総 人口の八五 % を占めるが、現在カンポジアの人口は一〇〇〇万人と見られているので、およそ八 五〇万人が仏教徒と考えられる。居住地の高度によって民族が三つに分けられる山国ラオスで は、平地に住むラオ人の恐らく九〇 % 以上が仏教徒と見られる。その比率は全人口の五〇ないし 六〇 % と見られるので、推計人口を五〇〇万人とすると一三〇万ないし二七〇万人が仏教徒であ ると考えられる。 仏教徒が多数派を占める諸国の状況は以上の通りであるが、東南アジアには、このほかに仏教 第七章東南アジア諸国の上座仏教 204

8. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

現代の東南アジア宗教分布 フィリピン 0 0 0 0 0 0 0 0 225 0 マレーシア シンガホール ブルネイ 0 0 0 6 インドネシア 5 世紀〔大乗系〕 0 記載の世紀は仏教伝来時期を示す 皿皿鬮上座仏教 = 仏教・儒教・道教の 混交したもの イスラム教 - キリスト教 [ こここ ] そのほかの宗教 紀元前 5 世紀〔別説では紀元前 6 世紀〕頃、ブッダによって開かれた仏教はス リランカから東南アジア各地に伝播していった。上座仏教については、 1 1 世 紀ミャンマーにおいて国家的受容か始まり、 13 世紀に入るとタイ族国家の スコータイ王朝でも盛んになる。またカンボジアにおいても 13 世紀末まで には浸透したとの記述が残り、 14 世紀にはラオスにも伝播した。現在この地 域の仏教は、ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジア・ベトナム南部・一部イン ドネシアで信奉されているスリランカ系上座仏教と、ベトナム・シンガホー ルで信奉されている中国系大乗仏教のニつに大きく分けることができる。

9. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

ナッガドーと呼ば れる霊媒が儀式を ナッ信仰とは仏教伝来以前から、ミャンマーに存在している土俗司る。ナッガドー はナツの妻という の精霊信仰である。もともとは自然物に宿る精霊を祀ったことに 意味で、霊媒か男 始まる。現在ては、物質的欲望の実現と日常生活の守護を祈願す 性の場合には女装 る対象となっている。 する。 鮮やかに彩色されたナッ像に供物を捧げる。 精霊は木や土地などに宿るもののほかに三七 に分類されたものかある。 ナッ信仰 第三章徳を積む人々の暮らし 108 集へ商 まの売 つ礼に たの成スはるナこ 人気功状呪。ツこ 々持し態文精にで にちたにを霊対は 金を者陥唱かす村 を込は つえ憑るの まめナ て続依儀入 くてツ いけし式ロ っ次たかの た第ナ行巨 。にツわ木 トガれに

10. ブッダ大いなる旅路 2 (篤き信仰の風景・南伝仏教)

その歩みと社会的 林行大 田一タイの「森の寺」ー・ 「森の寺」の現在 タイではこの二〇年ほどの間に、村はすれの森に新たな寺を造る動きが目立つ。その動きは、 とりわけ全国の登録寺院の半数以上を占める東北地方で顕著である。寺と言っても、簡素な講堂 と個人用の庵があるばかりである。瞑想と厳格な持戒行に励む修行僧が止住するこの寺を、地元 の住民は「森の寺、 ( ワット・バー ) と呼ぶ。上座仏教の僧侶は日々の食事を正午前に二度とるが、「森 の寺」に止住する僧侶は一度のみである。彼らは、村や町の寺院で開催される祝祭的な仏教儀礼 に自ら参画することがない。僧侶の還俗後を考えて政府が準備する世俗教育とも無縁である。僧 侶には、隠居の身となって再出家した村の古老男性が多い。ほかの一般在俗信徒にとってもここ は瞑想と持戒のための静謐なる場であり、参集者はどこでも高齢女性が多い。人々は「森の寺」で の瞑想や持戒行を、身心を浄め、救済財となる功徳を獲得・増幅する行であると言う。功徳を得 るために、最近では莫大な金品を献じる布施行が盛んになっているが、そのような富める者の儀 礼主義を強く批判する。戒律を守り、森の静寂の中で清浄なる精神をもって瞑想に励むことこ そ、純粋な積徳行であると主張する。このような「森の寺」を持っ村々では、以前からある自村の ーン ) と呼ぶようになっている。 寺院を「村の寺ー ( ワット・バ 厳密に言えば、人々が今日「森の寺 , と呼ぶ寺院には、新旧の多様な形態が混在している。かっ ては人里離れた森にあったが、市街の外縁が拡大したために現在は街のそばに立地する森なき 「森の寺」もある。また、元来瞑想修行の場で知られたが、その後は経典学習に力を入れている寺 もある。高名な僧侶がいれば、在俗信徒から多額の寄進を受けてェアコン付きの僧房を持つ「森 タイの「森の寺」 145 一大単業顱こンア . 九セ、ノター助第