であった。学塾三年間三百円の元手は、月給五、七十円の正味手取の利益となる、洋学が「高利 貸と雖ども、これに三舎を譲る可き」官許の商売と化さんとするのを見たから、彼は、学問の 「私立」を、「学者は学者にて私に事を行ふ可き」事を、すすめたのである。 西洋者流は時流には乗ったが、自覚を欠いていた。彼等には、福沢に言わせれば、「独立の丹 心の発露」というものが見られない。彼等を、俄に咎める事も出来ないのは、彼等が、世間の気 風に酔って自ら知らないからであるが、この「無形無体の気風」に大事があると福沢は言う。 「に一個の人に就き、一場の事を見て、名状す可きものに非ざる」「所謂スビッリット」なるも のを看取する事が、文明の論を成す大切な前提である、そういう考えは、早くも「学問のすゝ め」のうちに現れているのである。ところで、洋学を学びながら、この「スビッリット」せ られ、今の洋学者流はどういう事になっているか。「恰も一身両頭あるが如く、私に在っては智 なり、官に在っては愚なり、これを散ずれば明なり、これを集めれば暗なり、政府は衆智の集る 所にして、一愚人の事を行ふものと云ふ可し、豈怪まざるを得んや」。そういう事になっている。 この「恰も一身両頭あるが如」き空想的な人間達には、「恰も一身にして二生を経るが如」き 吉実情に置かれているという自覚がない。従って、「其形影の互に反射するを見」るという事がな 沢い。彼等の人格は分裂しているのだ。そういう福沢の考えを見ていると、思想上の転向問題とい 福 うものが、極めて本質的に考えられている事がよくわかる。イデオロギイの衣替えでは、人間は わ転向出来ない。分裂するだけだ。 而も転向者等はこれに気附かない。最近の転向問題にも、同じ にわか
122 大きな偏向を経験しているという事ではあるまいか。政治の規模が驚くほど大きくなったのは、 時の勢いだとしても、これに伴う、政治の対象の非人間化や物質化も止むを得ないとは言えまい 。しかし、政治がかき集める莫大な事実の群が、 政治的リアリズムは事実を尊重する。それはよい ほんとうに人間的事実であるかどうかを反省してみる方が問題ではないのか。これほど事実を尊 これほど抽象的なドグマの相争う世界は、今日、政治世界を措いて他に 重する人々が寄り合い、 ない。横行しているのは、邪悪な贋リアリズムなのである。 ( 文藝春秋昭和三十五年十一月 )
% く暇はなかった。革命的思想は、各人各様に、ツアーとナロード の間に孤立する「インテリゲン チャ」というロシャ的地帯の上で生きられた。文学者に、世界語は、通用しない。 この思想の歴 てんせい 史像が、現実的な点睛をほどこされて完成するのは、文学史においてである。「悪霊」は、この 点睛の最も鋭いものの一つである。 ドストエフスキイの「プーシュキン講演」は、私が昔熟読したものだ。その時、彼は、贈られ た月桂樹の花輪を、プーシュキンの墓に供えた。その花びらの一片が、小さなガラスの小箱に保 存されているのをレーニングラードのドストエフスキイのミュゼーで見た。異国の文学者の感傷 などが問題ではない。 これは現代ソヴェット作家たちが、もし本物の作家たちなら、負っている 拒否出来ない重荷なのである。フルシチョフ氏は、七年後には、アメリカに追附くと言っている。 恐らく本当であろう。しかし、七年であろうが、七十年であろうが、文学者は、将来の目的から、 新しい作品のリアリティを引出すことは出来ないのである。 ( 朝日新聞昭和三十八年十一月三十日 ~ 十二月五日 )
みというものが徹底した将棋の神様が二人で将棋を差したら、どういう事になるだろうか。実は、 今、この原稿を書きながら、ふとそんな事を考えてみたのである。ところが、解らなくなった。 どう考えてみてもはっきりしないのが、不愉快になって来て、原稿が一向進まない。 丁度その時、銀座で、中谷宇吉郎に、久し振りでばったり出食わした。この種の愚問を持ち出 すには、一番適当な人物だとかねがね思っていたから、早速、聞いてみた。以下は、宇吉郎先生 の発言に始まるその時の一問一答である。 「仕切りが縦に三つしかない一番小さな盤で、君と僕とで歩一枚ずつ置いて勝負をしたらどうい う事になる」と先す中谷先生が一「ロう。 「先手必敗さ」 「仕切りをもう一つ殖やして四つにしたら : : : 」 「先手必勝だ」 「それ、見ろ、将棋の世界は人間同士の約束の世界に過ぎない」 「だけど、約束による必然性は動かせない」 「無論だ。だから、問題は約束の数になる。普通の将棋のように、約東の数を無闇に殖やせば、 約束の筋が読み切れなくなるのは当り前だ」 「自業自得だな」 「自業自得だ。科学者は、そういう世界は御免こうむる事にしてるんだ」
本居宣長に、「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉がある。 ( 国歌八論斥非再評の評 ) こ こで姿というのは、言葉の姿の事で、言葉は真似し難いが、意味は真似し易いと言うのである。 普通の意見とは逆のようで、普通なら、ロ真似はやさしいが、心は知り難いと言うところだろう。 普通の意見に別段間違ったところもなさそうであるが、意見が世に行われるという事は、意見が 世人に反省されているという事とは違う。むしろ反省されないから行われるので、便利で実用的 で、少くともそれで事がすむという意見なら、世に行われる充分な理由を持つだろう。本当は何 を言っているのだか知らずに、意見を言うという事は、私達には極めて普通な事である。言葉と いうものは恐ろしい。恐ろしいと知るのには熟考を要する。宣長は言葉の性質について深く考え を廻らした学者だったから、言葉の問題につき、無反省に尤もらしい説をなす者に腹を立てた。 そんな事を豪そうに言うのなら、本当の事を言ってやろう、言葉こそ第一なのだ、意は二の次で ある、と。 宣長の言葉はそういう言葉である。或る人が宣長に当てつけて、近頃世の才子どもがを学ぶ 一「ロ葉
いるのである。 何故かというと、この自負は、新しい心理学が与えてくれる自我の不在証明に、しがみ附いて いるだけだからだ。フロイトは、「夢判断」で、人間の心という「冥府」を動かそうとしたのだ が、「冥府」を覗くには、「強い自我」が要るとは警告しなかった。恐らく、そんな事は、彼には 自明な事だったし、科学者としてそんな忠告の必要も認めなかったのである。彼は恐るべき仕事 の為に、自己を「抑制」した。彼はこの仕事の為の心の準備を自慢するような馬鹿ではなかった から、抑制は自分には体質的に容易であった、と言うに止めたのである。この言葉は心理学では ない。彼の良心と意志とを語っている。フロイディスムはこのフロイトという人間を欠いている。 彼が自伝で語った「抑制」は無視され、彼の学説の「抑圧」という言葉だけが流行したと言って 反省が「冥府」までとどかないから、要もない「天上の神々」を作り出す。意識が意識を反省 する事に甘んじていては、自我が生れて来るもう一つの自我という基盤は眼に入らぬ。意識は、 様々な仮面を被る。新しい心理学が試みた仮面の破壊作業が、もし、一層真面目な内的経験に人 人を誘う力を蔵していないのなら、それは全く無意味な仕事だ。フロイディスムに、命があるか ないかは、その点に、ただその点だけにかかっているように思われる。だが、現代の心理的文学 が、最も明瞭に示すところは、内的経験への侮蔑なのである。大した事なそ一つもない、みんな 心理の問題に還元出来る、と言っているのだ。
ひょう 囲なると、「野分」は、はっきりと京中を吹き抜ける「颱」となるところが、気持ちがよい の枠は外されて了う。社会の枠さえとれて了う。合戦は自然と直かにからみ合って行われる。私 は自分の好みを言うので、説を成そうと思うのではなしカ : 、、「平家」の語る無常観というよく言 われる言い方を好まない。「平家」の人々は、みな力いつばい生きては死ぬ行動人等であって、 昔から「平家」に聞き入る人々の感動も、その疑うべくもない鮮かな姿が、肉声に乗って伝って 来るところにあったであろうと考えている 「平家」は、曖昧な感慨を知らぬとは言うまい。だが、どんな種類の述懐も、行きついて、空し くなる所は一つだ。無常な人間と常住の自然とのはっきりした出会いに行きつく。これを「平 家」ほど、大きな、鋭い形で現わした文学は後にも先にもあるまい これは「平家」によって守 られた整然たる秩序だったとさえ言えよう。また共処に、日本人なら誰も身体で知っていた、深 い安堵があると言えよう。それこそまさしく聞くものを、新しい生活に誘う「平家」の力だった のではあるまいか。「平家」の命の長さの秘密は、その辺りにあるのではあるまいか 「平家」の名文という言葉は惑わしい。例えば、「海道下り」は名文だという。だがあの紋切型 の文句の羅列を、長い間生かして来たものは、もう今はない検校の肉声であった。逆に、肉声を 以って、自在にこれを生かす為には、読んで退屈な紋切型の文体が適していたとも言えるだろう。 決して易しい問題ではない。古典の姿とは皆そういうものだ。これに近づくのには、迂路しか決 して見附かるものではない。
と言った方がよい。ゴーゴリとかトルストイとかいう大作家を、遂に、断食で死なせたり、のた れ死をさせたりしたのも、それが為だ インテリゲンチャに、最も強く作用した外来思想は、ソシアリズムであった。と言っていいカ ロシャの悲劇に登場する最初のソシアリスト、 ・ヘリンスキイがロにしたのは、「ロシャは社会で 。ない」という科白であった。「解放された民衆は、議会などには決して行かない。大急ぎで、 酒屋に飛び込んで飲み出すだろう。窓を毀し、旦那どもの首を吊し上げるだろう」。彼も亦プー シュキンのように言えた筈なのです、「私を、ロシャで、ソシアリストにしたのは悪魔の仕業で ソシアリズ ある」と。孤独なソシアリストなどというものは意味を成さぬと言ってはならない。 ムなどという一一「〕葉は、世界語にすぎませぬ。それは、どういう現実の条件の下で生きられるかだ けが問題なのです。ロシャには、ソシアリズムを研究によって学問化する道も、政治的実践によ って訓練する道もなかった。急進的なソシアリストに残されたたった一つの活路は、あの・ハクー ニンが歩いた道でした。ロシャの革命思想としてのソシアリズムは、アレグサンドル二世暗殺執 旅行委員会という形に、行き着かざるを得なかったのです。この委員会の地下運動は執拗につづけ られて、遂に七回目の加害が成功する。次は、アレクサンドル三世の暗殺計画である。レーニン ヴ の兄は、これに加って処刑された。一九一七年の大革命で、レーニンが、兄の敵を討ったのは、 誰も知る事です。 周知のように、く ノクーニンは、当時のロシャの革命的勢力の代表者であり、マルグスの「イン
188 のは、二十年前の作者自身であり、その苛烈な革命心理の分析も、作者の青年期の体験に基づい ていたことを、だれ一人知るものはなかったのである。ちなみに、・ハ クーニンのシ・ヘリア流刑は、 このよく偽装された最初のネチャアエフ事件と本物のネチャアエフ事件との間に起った。 トストエフスキイの任務は、秘密印刷物の配布にあったが、無論、これは当時、死刑を賭けね ば出来ることではなかった。ノ。 彼よ、これを実行に移そうとする直前、ベトラシェフスキイ会員と して捕えられた。彼が銃刑を免れたのは、ニコライ一世の気まぐれによったのではない。彼が仲 いんめつ 間とともに証拠湮滅に成功し、決して口を割らなかったがためだ。これは容易なことではなかっ ただろうが、文学者ドストエフスキイにとって、むつかしいことは、それから先にあった。 オムスクの徒刑囚の生活が、ドストエフスキイの思想に、大きな転機をもたらしたについては 疑う余地はない。獄中生活は、彼に何を与え、ために、彼の思想はどう転回したか。これは伝記 作者の好奇心をそそる問題だったから、私もいろいろと考えたことがある。しかし、この大作家 の内省や創造の世界をのぞき込むわナこま、 。。しかないのだから、明答が得られたわけもない トエフスキイには、イデオロギイ上の転向作家に見られるような簡明な性質は少しもない。 私が、再び同じ想いを新たにしているのは、前に書いたように、たまたま、二つの監獄小説を、 重ね合せるようにして読んだがためである。二つは、もちろん、大変趣の違った作品であるが、 その中心点は重なって見える。少くとも重ね合して見ることも出来るようだ。アレグサンドル二 世は、「死の家の記録」を読んで泣いた。フルシチョフは、「イワン・デニーソヴィチの一日」に
どう始末したらよいか。幸いにして、制作の漠然たる内的動機の偏重は、ローマン派文学の凋落 とともに、既に時代遅れのものになっている。反省による個性の分析的な処理を、今や何がさま たげるか。そこで、作品は適当に批判的に、適当に人道的に、歴史社会の要望に答えるとともに、 常識を驚かす新風も備え、と一一「〕うように、薬の効能書でも書くような頭の廻転が見られるように なった。これは、あまり注意されない現代知識人の奇妙な自負であるが、この自負は、一体、ど んな土台の上に立っているのだろう。 精神分析学というものが今日、どんな分派に分れ、どんな事をやっているかは、専門家にしか わからない事だろうが、幾多の反対論にもかかわらず、その学説の大要は、抗し難いカで、現代 人の教養のうちに滲透し、そこに根を下して了った事は争えない。 この影響力は、私の常識にと っては、学説の部分的な真偽より、よほど大事な事のように思われる。何故かというと、私は私 なりに、この影響下にさらされて来たからだ。最近、フロイトの「自伝」の翻訳が出たので、読 んでみた。これは、努めて感情を避けて、自分の学説の歴史を記述したものだが、鮮かに現れて 史いたのは、彼の並はずれて頑強な、陰気な人柄であった。それは何処から現れ出たものだろうか。 じゅそ これは難かしい問題だ。しかし、理性的意識の優越と支配とに対する彼の呪詛が、一般に或は実 歴際に、人々の心の上にどう作用したかという事も亦かなり陰気な不透明な性質のもののように思 われる。