彼は、「アレキサンドロス伝」で、こんな事を言っている。「自分が書くのは歴史ではなく伝記で ある。著名な事蹟の中には、必ずしも徳や不徳は現れず、瑣細な行動や戯れの方が、幾千の屍を 作る戦や布陣や攻囲よりも、しばしば人の性格を明らかにする」と。しかし、当時は、歴史家と 伝記作家と言っても、その相違は五十歩百歩だっただろう。近年の著名な歴史的事件となると、 それはもう必ずしも徳や不徳を現さぬどころの段ではなくなった。人間の事蹟と呼び難いような 相を呈して来た事は周知のところだ。勢い、かっての五十歩百歩が甚だしい分業となって現れる という事になって、性格をよく現わす瑣末な行動の解釈は、もつばら文学者の受持ちになり、非 人間的と見える大行動の合理的説明は、歴史家の仕事となった。そして、一般の傾向として、知 らず識らずのうちに、一方は心理主義を、他方は唯物主義を固執するのも、専門的効果をあげる 為の便宜には勝てないからだ。分業も、 しいが、何から分れて分業に進んだかを反省していなけれ ば、分業は、少くとも人間生活を対象とする思想の上の仕事では、いずれろくな事にはならない。 当人達の人格上の分業が始まるからである。 歴史を鏡と呼ぶ発想は、鏡の発明とともに古いように想像される。歴史の鏡に映る見ず知らず クの幾多の人間達に、己れの姿を観ずる事が出来なければ、どうして歴史が、私達に親しかろう。 タ事実、映るのは、詰るところ自分の姿に他ならず、歴史を客観的に見るというような事は、実際 プには、誰の経験のうちにも存しない空言である。嫌った人も憎んだ人も、殺した人でさえ、思い これは、 出のうちに浮び上れば、、、 とんな摂理によるのか、思い出の主と手を結ばざるを得ない。
ヒットラーの狙いは共処にあった。「突撃隊」に、暴力団以上の性格 して効果的なものはない。 を持たせては事を誤る。だが、彼はその本心を誰にも明かさなかった。「突撃隊」が次第に成長 し、軍部との関係に危険を感するや、細心な計画により、陰謀者の処刑を口実とし、長年の同志 等を一挙に合法的に謀殺し去った。残る仕事、ドイツ国家の永遠の守りと己惚れて、往時の特権 を夢みていた軍人達の懐柔、それは容易な事であった。 ヒットラーは、首相として政権を握るまで、世界一の暴力団を従えた煽動政治家に過ぎなかっ 一切の公職は、彼に無縁であった。政治家 た。大臣はおろか、議員にさえなった事はなかった。 以前の彼も全く無職であった。彼の思想は、彼自身の回想を信ずるなら、ウィーンの浮浪者収容 所の三年の生活のうちに成ったものである。彼の人生観を要約する事は要らない。要約不可能な ほど簡単なのが、その特色だからだ。人性の根本は獣性にあり、人生の根本は闘争にある。これ は議論ではない。事実である。それだけだ。簡単だからと言って軽視出来ない。現代の教養人達 も亦事実だけを重んじているのだ。独裁制について神経過敏になっている彼等に、ヒットラーに 対抗出来るような確乎とした人生観があるかどうか、獸性とは全く何の関係もない精神性が厳と して実在するという哲学があるかどうかは甚だ疑わしいからである。ヒットラーが、その高等戦 術で、利用し成功したのも、まさに政治的教養人達の、この種の疑わしい性質であった。・ハロッ クの分析によれば、国家の復興を願う国民的運動により、ヒットラーが政権を握ったとい朝のは、 伝説に過ぎない。無論、大衆の煽動に、彼に抜かりがあったわけがなかったが、一番大事な鍵は、
122 大きな偏向を経験しているという事ではあるまいか。政治の規模が驚くほど大きくなったのは、 時の勢いだとしても、これに伴う、政治の対象の非人間化や物質化も止むを得ないとは言えまい 。しかし、政治がかき集める莫大な事実の群が、 政治的リアリズムは事実を尊重する。それはよい ほんとうに人間的事実であるかどうかを反省してみる方が問題ではないのか。これほど事実を尊 これほど抽象的なドグマの相争う世界は、今日、政治世界を措いて他に 重する人々が寄り合い、 ない。横行しているのは、邪悪な贋リアリズムなのである。 ( 文藝春秋昭和三十五年十一月 )
「十三階段への道」 ( ニュールンベルク裁判 ) という実写映画が評判を呼んでいるので、機会が あったので見た。近頃は刺戟物に慣れて、鈍磨した観客の神経を掻き立てている必要がある為か、 残酷な映画がしきりに工夫されて作られる。 残虐性は今や現代人の快楽の重要な要素になった、と論する映画批評家の文章も何処かで読ん だ事がある。しかし、「ニュールンベルグ裁判」には、大ていの事には驚かぬ映画ファンも驚し た様子だ。理由は明瞭なようである。それはマイグから流れ出す一つの声にあった、「この映画 のすべては事実に基づくものである。事実以外の何ものも語られていない」という声にあった。 観客は画面に感情を移し入れる事が出来ない。破壊と死とは命ある共感を拒絶していた。殺人 工場で焼き殺された幾百万の人間の骨の山を、誰に正視する事が出来たであろうか。カメラが代 ってその役目を果したようである。御蔭で、カメラと化した私達の眼は、悪夢のような光景から 離れる事が出来ない。私達は事実を見ていたわけではない。が、これは夢ではない、事実である、 と語る強烈な精神の裡には、たしかにいたようである。 ヒットラーと亜魔
「おたあさん、今日浄願寺の森で、モズが啼いとりましたよ。もう秋じゃ」 このせりふ一つ で、急に見物は舞台に秋を感ずる。それを、弟の奴、フグロが啼いとりましたよ、とやって了った。 妙な事だが、と言って、考えてみれば少しも妙な事ではないのだが、見物にはモズでもフグロ でもどっちだって構わないのである。事実、見物はフクロが啼いとりましたでは笑わなかった。 せりふとい、つものはそ、つい , つものらし い。「もう秋じゃ」というこなしがあればよい菊池寛の ような写実のせりふでも、写実主義は台本の上にあるだけなので、とばけていれば何の事なくす んだのに、あッモズだと訂正したからどッと来た。 これが切っかけで、「父帰る」という芝居の幕は下り、「父帰る」をやる文士劇の幕が開いて了 ったのである。見物は大喜びで、こんどは何を笑ってやろうかと身構えて了った。この辺りから 賢一郎の深刻なせりふがつづくのだが、こうなれば見物にはもう深刻なせりふほど可笑しいもの はない。芝居が進んで、父親が登場し、父親から賢一郎と呼ばれて、「賢一郎は、二十年前、築 港で死んどる」と恨みをこめて発言すると、何がおかしいのか、未だゲラゲラ笑われるのには驚 いた。私はこの時はど、芝居というものの不思議さを、身にしみて味った事はない。 この状態は 長くつづいた。 見物が再び「父帰る」という芝居のうちに、這入り込んで来るのには、ずい分長い時間がかか った。この間の状態とは何だろう。私達素人役者の失敗によって、たまたまかもし出されたこの 特別な状態とは何だろう。なるほど見物は芝居を見ることを止めたが、決して我れに還ったので
幻 0 ターナショナル」のメン・ハーであり、「インターナショナル」の運動で、マルクスやエンゲルス と大衝突をした人物です。・ハクーニンの伝記というものは、実に面白いもので、いかにもロシャ の天才という印象を受けるのですが、マルクスに気に入らなかったのは、まさにこのロシャ的な ものであった。・ハクーニンは、ニヒリストと称する大学生達を組織すれば革命には充分だ、と豪 語していた。マルグスには、そんな空想的な野人は、「インターナショナル」という合理的合法 的組織をたたき壊す為にやって来たとしか思えなかった。・、 ノクーニンは・ハクーニンで、剰余価値 だとかプロレタリアートの意識だとかと理窟ばかりこね廻しているドイツの学者などに、革命な んか出来るものかと思っていた。マルグスは、革命がプロレタリアートのいないロシャに起る可 能性なそ、生涯、夢にも考えなかった。むしろ、アメリカで起るであろうと考えていました。 「破壊のパッションは、即ち創造のパッションである」とは、・ハグーニンの有名なモットーです。 、クーニンにしてみれば、これ 合理主義者マルグスには狂人のたわ言と見えたかも知れないが、ノ はロシャの現実によって鍛錬された最上の革命理論だと言うでしよう。これは決して狂気ではな 、インテリゲンチャの現実的な怒りであり、嘆きである、これを最も早く、又深く見抜いたの は、ドストエフスキイというロシャ作家でした。まあ、このような事情については、私は、七八 くわ 年前書いた事があるし、精しくお話する暇もない。ただ、ここで申し上げて置きたいのは、レー ニンの革命が、どうして・ハクーニンの革命精神と無縁な事がありましようか、そういう当り前な 事実なのです。レーニンは、ロシャの現実に即して事を行ったロシャ人である。レーニンという
ちに無関心をもたらすから、私には嫌いな作品というものもない事になる。嫌いという感情は不 毛である。侮蔑の行く道ま袋ト路・ , 。イ / たいつの間にか、そんな簡明な事になった。誤解して貰いた くはないが、これは私の告白で、主張ではない。し 、や、いつの間にか、主張するより告白する事 を好むようになったと一一一口えば済む事かも知れない 襾しよ、つとす 私が文学批評を書き始めた頃、歴史的或は社会的環境から、文学作品を説明し評イ る批評が盛んで、私の書くものは、勢い、印象批評、主観批評の部類とされていたが、共後、私 は、自分の批評の方法を、一度も修正しようと思った事はない。何も自分の立場が正しく、他人 の立場が間違っていると考えた為ではない。先す好き嫌いがなければ、芸術作品に近寄る事も出 来ない、という一見何でもない事柄が、意外に面倒な事と考えられ、この小さな事実が、美学と いうものを幾つもおびき寄せては、これを難破させる暗礁のように見え出し、言わばそれで手が ふさがって了ったが為である。 好き嫌いと言っても、ただ子供の好き嫌いで事が済まぬ以上、必す、直覚的な理解に細かく固 く結ばれて来るものだ。そして、この種の理解は、好きな物、嫌いな物というその実際にある物 「との取引を措いては決して育つものではあるまい。なるたけ、色々な物に出会うのに越した事は 君ない。私は、文学を離れて音楽ばかり聞いていた事もあったし、絵ばかり眺めていた事もある。 井文学批評を止めて、そういうものについて、あれこれ書いていた時期もかなり長い。 人はどう見ていたか知らないが、音楽を聞いても絵を見ても、自分としては、書くという目的
いない。巨獣の欲望の必然の運動は難攻不落であり、民衆の集団的な言動は、事の自然な成行き と同じ性質のものである以上、正義を教える程容易な事があろうか。この種の教育者の仕事は、 必す成功する。彼は、その口実を見抜かれる心配はない。彼の意見は民衆の意見だからだ。 もし、ソクラテスが、プロバガンダという一一一一口葉を知っていたら、教育とプロバガンダの混同は、 ソフィストにあっては必至のものだと言ったであろう。言うまでもなく、ソクラテスは、この世 に本当の意味で教育というものがあるとすれば、自己教育しかない、或はその事に気づかせるあ れこれの道しかない事を確信していた。もし彼が今日生きていたら、現代のソフィスト達が説教 している事、例えばマテリアリズムというものを、弁証法とか何とか的とか一一一一口う一言葉で改良した らヒューマニズムになるというような詭弁を見逃すわけはない。事実を見定めずにレトリックに 頼るソフィストの習慣は、アテナイの昔から変っていない、と彼は言うだろう。 イデオロギイは空言でも美辞でもない、その基底には、歴史の必然による要請がある、と現代 けいがん のソフィスト達は、ロをそろえて言うだろうが、ソグラテスの炯眼をごまかすわけにはいくまい 嘘をつかない方がよい、基底には、君自身が隠し持っている卑屈な根性がある。君達の自己欺瞞 がつづき、君達のイデオロギイが正義の面を被っていられるのも、敵対するイデオロギイを持っ た集団が君達の眼前にある間だ。みんな一緒に、同じイデオロギイを持って暮さねばならぬ時が 来たら、君達は、極く詰らぬ瑣事から互いに争い出すに決っている。そうなってみて、君達は初 めて気がつくだろう。歴史的社会という一一 = ロ葉は、一匹の巨獣という一言葉より遙かに曖昧な比喩だ
家に帰って、家族のものから、映画の印象を問われた。私は見ない方がいいと答えただけであ った。もし映画の印象を問われたら、見てごらんと一一一口うか、見ない方がいいよと言うかどちらか 、他に言葉はない、それがあの映画の特色だ、実はそんな事を考えながら家に帰って来たので ある。私は一種名状出来ぬ気持ちで映画館を出た。早く這入ったから知らなかったが、出て来る えんえん と、次の映写時間を待つ人々の蜿蜒と続く列を見た。小春日和の土曜であった。あの世にも不快 な光景に見入る為に、この人達は、貴重な土曜日の楽しみを犠牲にしようとしている。それほど 私達の平和は不安なのか。或は、それほど私達の平和は贅沢なのか。だが、そんな事は空疎で無 用な質問に思えた。実際、名状し難い私の気持ちに、人々の長蛇の列は、何か異様な姿で映じ、 私はただその意識で一杯であった。 私の心にはまだマイグの声が鳴っていた。「事実以外の何ものも語られてはいない」ーーーその 中に、久し振りで見たヒットラーの写真があった。あのぬらりとした仮面のような顔があった。 チョビ髭も附け髭に似ている。頭も頭蓋骨にべったりと貼り附けた鬘のようだ。ドストエフスキ イは、スタフローギンという悪魔を構想した時、その仮面のような顔附きを想像し、これを精細 に描いて見せるのを忘れなかった。彼の仮面に似た素顔は、彼の仮面に似た心をそのまま語って いる。彼は骨の髄まで仮面である。悪魔は仮面を脱いで、正体を現したという普通な言葉は、小 悪魔にしか当てはまらない。 ドストエフスキイはそう見抜いていた。これは深い思想である。 しかし、一体事実とは何だろう、あの一切が後の祭りの事実とは。私は幻のなかにいるよう
である。どんな解釈も平気で甘受している当の事実に眼を向けた方がよい。解釈などでは変り得 ない恒常的な人間事実はあるのだ。変り者という平凡な言葉の方が、この事実を指すのに適して いる、と私は考えたまでだ。教養は、社会の通念に、だらしなく屈するものだが、実社会で訓練 された生活的智慧は、社会の通念に、殊更反抗はしよ、 オしが、これに対するしつかりした疑念は秘 めているものだ。変り者はエゴイストではなしネ 、。上会の通念と変った言動を持つだけだ。世人が これを許すのは、教養や観念によってではない、附き合いによってである。附き合ってみて、世 人は知るのだ。自己に忠実に生きている人間を軽蔑する理由が何処にあるか、と。そこで、世人 は、体裁上、変り者という微妙な言葉を発明したのである。 誰も彼も、個人という統一した形で生きている。これを疑うものはないのだし、一方、生命と 一一一一口おうと心と言おうと、それはどうでもよいが、もっと大きな或る名附け難い実体のうちに、私 達が在るのを誰でも感じている。この万人に共有な実体は、各人の内的経験を通じ、各人各様に 現れざるを得ないし、逆に、この実体自身の側からすれば、その全的経験を、出来る限り各人各 様にして欲しいと言っているだろう。私はこの仮定に何の不自然も不合理も認める事が出来ない 世人の智慧が変り者を許す場合に感じているものは、同じ極めて自然な生の法則である。人格主 義が纏う人為的な特権と、人格が形成される必然とは別の事だ。現代の思い上った教養だけが両 者を混同する。 フロイディスムはフロイトの思想の否定的な或は形式的な側面を借りて、現代の教養に深く作