求められ、自分の仕事を回顧して、当惑してしまった。人が批評家たる条件なぞ、上の空で数え 上げてみたところで、無意味である。空言を吐くまいとして、自分の仕事のささえとなった具体 的な確実な条件を求めて行くと、自分の批評家的気質と生活経験のほかには、何も見つかりはし しかも、両方とも明言し難い条件である。 私は、自分の批評的気質なり、また、そこからきわめて自然に生れてきた批評的方法なりの性 質を明言する術を持たないが、実際の仕事をする上で、じようずに書こうとする努力は払って来 たわけで、努力を重ねるにつれて、私は、自分の批評精神なり批評方法なりを、意識的にも無意 識的にも育成し、明瞭化して来たはずである。そこで、自分の仕事の具体例を顧みると、批評文 としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはな い事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、 と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態 度である、と言えそうだ。 そう言うと、あるいは逆説的一一「〕辞と取られるかも知れない。批評家と言えば、悪口にたけた人 評と一般に考えられているから。また、そう考えるのが、全く間違っているとも言えない。試みに 「大言海」で、批評という一言葉を引いてみると、「非ヲ摘ミテ評スルコト」とある。批評、批判の 批 批どいう一言葉の本来の義は、「手ヲ反シテ撃ツ」という事だそうである。してみると、グリチッ クという外来語に、批評、批判の字を当てたのは、ちとますかったという事にもなろうか。クリ
164 チッグという一一一一口葉には、非を難ずるという意味はあるまい。カントのような厳格な思想家は、ク リチックという言葉を厳格に使ったと考えてよさそうだが、普通「批判哲学」と言われている彼 の仕事は、人間理性の在るがままの形をつかむには、独断的態度はもちろん懐疑的態度もすてな ければならない、すててみれば、そこにおのずから批判的態度と呼ぶべきものが現れる、そうい しいたろう。 う姿をしている、と言っても、 ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るが ままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭 化しなければならす、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。カン トの批判は、そういう働きをしている。彼の開いたのは、近代的クリチックの大道であり、これ をあと戻りする理由は、どこにもない。批評、批判が、クリチッグの誤訳であろうとなかろうと。 批評文を書いた経験のある人たちならだれでも、悪口を一一一口う退屈を、非難否定の働きの非生産 性を、よく承知しているはすなのだ。承知していながら、一向やめないのは、自分の主張という というわけだろう。文学界で ものがあるからだろう。主張するためには、非難もやむを得ない、 も、論戦は相変らず盛んだが、大体において、非難的主張あるいは主張的非難の形を取っている のが普通である。そういうものが、みな無意味だと一一一一口うのではないが、論戦の盛行は、必ずしも 批評精神の旺盛を証するものではない。むしろその混乱を証する、という点に注意したいまでだ。 論戦に誘いこまれる批評家は、非難は非生産的な働きだろうが、主張する事は生産する事だと
いう独断に知らず識らずのうちに誘われているものだ。しかし、もし批評精神を、純粋な形で考 えるなら、それは、自己主張はおろか、どんな立場からの主張も、極度に抑制する精神であるは ずである。でも、そこに、批評的作品が現れ、批評的生産が行われるのは、主張の断念という果 敢な精神の活動によるのである。これは、頭で考えず、実行してみれば、だれにも合点のいくき わめて自然な批評道である。論戦は、批評的表現のほんの一形式に過ぎす、しかも、批評的生産 に関しては、ほとんど偶然を頼むほかはないほど困難な形式である。 批評的表現よ、、 ーしよいよ多様になる。文芸批評家が、美的な印象批評をしている時期は、もは や過ぎ去った。日に発達する自然科学なり人文科学なりが供給する学問的諸知識に無関心で、批 評活動なぞもうだれにも出来はしない 。この多岐にわたった知識に当然生半可な知識であろうし、 またこれに文句を附けられる人もあるまい。だが、いずれにしても学問的知識の援用によって、 今日の批評的表現が、複雑多様にな「ているのに間違いないなら、これは、批評精神の強さ、豊 かさの証とはなるまい 批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ 評生活的教養に属するものだ。学問の援用を必要としてはいるが、悪く援用すればたちまち死んで しまう、そのような生きた教養に属するものだ。従って、それは、いつも、人間の現に生きてい る個性的な印しをつかみ、これとの直接な取引きに関する一種の発言を基盤としている。そうい う風に、批評そのものと呼んでいいような、批評の純粋な形式というものを、心に描いてみるの
批評 私は、長年、批評文を書いて来たが、批評とは何かという事について、あまり頭脳を労した事 はないように田 5 う。これは、小説家が小きを、詩人が詩を定義する必要を別段感じていないのと 一般であろう。 文学者というものは、皆、やりたい仕事を、ます実地にやるのである。私も、批評というもの が書きたくて書き始めたのではない。書きたいものを書きたいように書いたら、それが、世間で 普通批評と呼ばれるものになった。それをあきもせず繰り返して来た。批評を書くという事は、 私には、いつも実際問題だったから、私としては、それで充分、という次第であった。しかし、 書きたいように書くと、批評文が出来上ってしまって、それは、詩とか小説とかの形を、どうし ても取ってくれない。 という事は、私自身に批評家気質と呼ぶべきものがあったという事であり、 この私の基本的な心的態度とは、どういう性質のものか、という問題は消えないだろう。 回顧すると、と一一一一口うが、この回顧するという一種の技術は、私にはまことに苦手なのであるが、 実は、ごく最近、ある人が来て、批評家として立ちたいが、これについて具体的な忠言を熱心に
は大事な事である。これは観念論ではない。批評家各自が、自分のうちに、批評の具体的な動機 を搜し求め、これを明瞭化しようと努力するという、その事にほかならないからだ。今日の批評 的表現が、その多様豊富な外観の下に隠している不毛性を教えてくれるのも、そういう反省だけ であろう。 ( 読売新聞昭和三十九年一月三日 )
ちに無関心をもたらすから、私には嫌いな作品というものもない事になる。嫌いという感情は不 毛である。侮蔑の行く道ま袋ト路・ , 。イ / たいつの間にか、そんな簡明な事になった。誤解して貰いた くはないが、これは私の告白で、主張ではない。し 、や、いつの間にか、主張するより告白する事 を好むようになったと一一一口えば済む事かも知れない 襾しよ、つとす 私が文学批評を書き始めた頃、歴史的或は社会的環境から、文学作品を説明し評イ る批評が盛んで、私の書くものは、勢い、印象批評、主観批評の部類とされていたが、共後、私 は、自分の批評の方法を、一度も修正しようと思った事はない。何も自分の立場が正しく、他人 の立場が間違っていると考えた為ではない。先す好き嫌いがなければ、芸術作品に近寄る事も出 来ない、という一見何でもない事柄が、意外に面倒な事と考えられ、この小さな事実が、美学と いうものを幾つもおびき寄せては、これを難破させる暗礁のように見え出し、言わばそれで手が ふさがって了ったが為である。 好き嫌いと言っても、ただ子供の好き嫌いで事が済まぬ以上、必す、直覚的な理解に細かく固 く結ばれて来るものだ。そして、この種の理解は、好きな物、嫌いな物というその実際にある物 「との取引を措いては決して育つものではあるまい。なるたけ、色々な物に出会うのに越した事は 君ない。私は、文学を離れて音楽ばかり聞いていた事もあったし、絵ばかり眺めていた事もある。 井文学批評を止めて、そういうものについて、あれこれ書いていた時期もかなり長い。 人はどう見ていたか知らないが、音楽を聞いても絵を見ても、自分としては、書くという目的
に変りはない以上、批評の対象を変えてみるという極めて自然な気まぐれに過ぎなかった。こち らの都合で、文学批評から遠ざかってみる事は出来たとしても、批評から遠ざかる事は出来なか ったまでの話だ。外部から強いられる理由による他、文芸批評に固執する理由は、私には、何処 を搜しても見附からなかったのである。そんな事をしているうちに、どうやら得心のいった事が ある。それは、詩を捨て、驚くほどの形式の自由を得て、手のつけようもなく紛糾している散文 という芸術にも、音楽が音楽であるより他はなく、絵が絵であるより他はないのと全く同じ意味 で、その固有の魅力の性質がある、という事だ。これは、感知による得心だから、説明に困る。 だから告白だ、と断った。理路整然たる告白的思想がある筈はない。一方、今さら、何と当り前 な事を得心したものだと言われるかも知れないが、小説に宰領された今日の大散文時代にあって、 宣伝の為とか金銭の為とか或は学問の為とかいう目的があってならともかく、ただ散文を読む為 に読むのを楽しみ、書く為に書くのを好む者が、これについて、はっきりした自覚を持たねば適 うまい。誤解されなければ、これを審美的自覚と呼んでいいのだが、小説家も小説批評家も、音 楽や美術には、審美的という言葉をまだ許しながら、小説については、もうこの言葉を使うのに 漠然たる恐怖を覚えているように思われる。 井伏君の「貸間あり」には描写はないというような乱暴な一一一〕葉を使ったが、描写という一一 = ロ葉は、 所謂リアリズム小説の誕生以来、小説家の意識にずい分乱暴を働いて来たのである。ハイ・ファ イという言葉がある。一一一一〔うまでもなくハイ・フィデリティの略語で、原物再現の効率の高さを誇
ホテルは、旅行者で満員です。アメリカの旅行者は、ずい分多い。金と暇にまかせて、世界中を 歩き廻っている人達は、先すアメリカに一番多いでしよう。こういう人達は、世界中の名所は、 もう大概見物済みで、残っているのは、ソヴェット見物ぐらいのものでしよう。モスクワの観光 局が、クーポンを発行すれば、わんさと押掛けて来るのは当り前だ、と私は簡単に考えて置きま す。遊山はイデオロギイには関係がない。そういうアメリカから来た材木屋の爺さんと二人で、 私は朝飯を食べた。「家の女房は、ソヴェット嫌いでね、仕方がないから、アムステルダムに待 たせて置いた、私は遊山客だからね」と私の顔を見て笑った。爺さんは、キエフの街ば実に美し 、すい分方々の街を見て歩いたが、これは一流だ、と激賞すると、今度は、グーポン券を取り 出して、朝飯が高いと怒り出した、どうだ君は高いと思わないか、とお皿をガチャガチャやる。 、、かにも面白かった。 その様子が、私には 主張と宣伝とで、いつもいがみ合っている政治家より、こういう爺さんの方が、余程頼もしい 気がした。そう言ってやりたかったが、英語で、而倒な事は言えませんから、君は全く正しいと 言って置いた。好悪の表明は、無論、批評的判断ではないが、その代り、どれも例外なく現実的 な力を持っている。批評的判断に現実的な力を持たせる為には、大手腕が要る。従って、批評的 判断というものは、大体に於て空疎である。これは、私が、批評商売から得た教訓であります。 材木屋の爺さんは、主張宣伝などには目もくれす、直接な見聞交際から、勝手な事をしゃべり散 らして帰って行くでしよう。だが、彼が搬んで行くものは、人間的接触の確実な経験なのです。
葉は、どうも日本語になりにくい言葉だが、「現に暮しているところ」とでも訳したらよいので あろうか。彼はアメリカ文学界を羨望しているわけではない。彼が、「現に暮しているところ」 から物事を感じているのが、よく文に現れている。サルトルは、言わば、アメリカ文学界の風通 りのよさとフランス文壇の息苦しさとの対照の中に、ふと置かれた微妙な自分のシチュアシオン の一局面をはっきり捉えている。それが、私には面白かったのである。 これは批評というものの要諦であろう。週刊誌プームが、現代日本文化の一種の病気であると 考えるのは勝手であろうが、それが、ただ医者の見立てでは詰らない。自ら患者になって、はっ きりした病識を得てみなくては詰らない。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むし ろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体、何処が、どんな具合に痛いのか。 大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。それが、シチュ アシオンの感覚だと言っていい。私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事に している。例えば、戦前派だとか戦後派だとかいう医者の符牒を信用した事はない。 文学者はロ籠っている方がよいのだろう。私達はめいめい、戦争の経験を、戦前派としても戦 後派としてもしたわけではない。 こんな明らかな事実はないが、これを正直に語ろうとする者は、 皆、拙劣な不明瞭な表現を使用せざるを得ない筈で、この自問自答による個人的証言が、一般な 政治的証言の横行する中で、どんなにはかなく見えようとも、文学の塩は共処にしかあるまい もしそうでなければ、文学などという妙なものの、一体何処が面白いのだろうか。
四季 人形・ : 樅の木 : ・ 天の橋立 : ・ お月見 : ・ 季 スランプ : さくら・・ 批評・ : 見物人 : ・ 青年と老年 : ・ 花見 : ・ ネヴァ河 ソヴェットの旅 解説江藤淳 】 67 162 172 185 197