他方、敗者にも、罪の懺悔を利用して有利な状勢を買い取ろうという魂胆があるから、こういう はなはだ物質的な利害関心によって問題全体が不可避的に歪曲化されるという事実までが、そこ では見逃されてしまう。「卑俗」とはまさにこういう態度をこそ指す言葉で、それは「倫理」が 「独善」の手段として利用されたことの結果である。 それでは、倫理と政治との関係は本当はどうなっているのか。時おり言われてきたように、 の二つの間にはまったく関係がないのか。それとも逆に、政治行為には、他のすべての行為の場 合と同じ倫理が妥当すると見るのが正しいのか。この二つの主張の間には、よく、一方が正しい か、他方が正しいか、ようするに絶対的な二者択一の関係が存在すると信じられてきた。しかし、 この世のある一つの倫理に基づいて立てられた掟は、恋愛・商売・家族・役所のどの関係につい ても、従って、相手が細君・八百屋のおかみさん・息子・競争者・友人・被告と変わっても内容 的にはいつも同じだ、というのは果たして本当だろうか。政治が権力ーーーその背後には暴力が控 えているーーーというきわめて特殊な手段を用いて運営されるという事実は、政治に対する倫理的 要求にとって、本当にどうでもよいことだろうか。ポルシエヴィズムやスパルタクス団のイデオ ローグたちも、彼らが行使するこの政治手段のゆえに、軍国主義的独裁者とまったく同じ結果を
源泉とみなされているということ、これは確かに現代に特有な現象である。 たから、われわれにとって政治とは、国家相互の間であれ、あるいは国家の枠の中で、つまり 国家に含まれた人間集団相互の間でおこなわれる場合であれ、要するに権力の分け前にあずかり、 権力の配分関係に影響を及・ほそうとする努力である、といってよいであろう。 これは大体において、日常の用語法にも合致している。われわれがある問題について、これは 「政治的な」問題たといったり、ある閣僚や官僚を「政治的」官吏と呼んだり、この決定には 「政治的な」色がついているなどという場合、そこではつねに次の点が考えられている。つまり、 その問題にどう答えるかの決め手となり、あるいはその決定を制約し、当該公務員の活動範囲を 規定するものが、いずれも権力の配分・維持・変動に対する利害関心たということである。 政治をおこなう者は権力を求める。その場合、権力を別の目的 ( 高邁な目的または利己的な目的 ) のための手段として追求するか、それとも権力を「それ自体のために」、つまり権力自体がもたら す優越感を満喫するために追求するか、そのどちらかである。 レギティーム 国家も、歴史的にそれに先行する政治団体も、正当な ( 正当なものとみなされている、という意 味だが ) 暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である。だから、国家が
ま かっていながらなおかっ連中とっき合うというのは、それこそ生やさしいことではない。 た、「市場」の需要があればどんなことでも、また人生のありとあらゆる問題について即座に納得 のゆく意見を述べ、しかもその際、断じて浅薄に流れす、とりわけ品位のない自己暴露にも、そ れに伴う無慈悲な結果にも陥らないということ、これも決して生やさしいことではない。たから、 人間的に崩れてしまった下らぬジャーナリストがたくさんいても驚くに当たらない。驚くべきは むしろそれにもかかわらず、この人たちの間に、立派で本当に純粋な人がーーー局外者には容易に たくさんいるという事実の方である。 想像できないほど 職業政治家のタイ。フとしてのジャーナリストには、ともかくこれまで相当長い歴史があったが、 次の政党職員という形態が出てきたのは、やっと数十年、一部ではここ数年来のことである。政 党職員の地位が歴史的にどのように進化してきたか、これを理解するために、次に政党制度と政 党組織の考察に向かわなければならない。 カントン 地域と仕事の範囲の点で、地方的な小行政地区のレヴ = ルを越えたかなり大きな政治団体にお いて、権力者が定期的に選ばれるようになると、政治は必然的に利害関係者による運営という形 をとる。すなわち、政治生活 ( つまり政治権力への参加 ) にとくに関心をもっ比較的少数の人たち
る。 もちろん実際の服従で非常に強い動機となっているのは、恐怖と希望・ーー・魔力や権力者 の復讐に対する恐怖、あの世やこの世での報奨に対する希望ーーであり、また、それと並んでさ まざまな利害関心が考えられる。その点についてはすぐあとでふれるが、いずれにせよ、この服 従の「正当性」の根拠を問いつめていけば、結局は以上の三つの「純粋、型につき当たるわけで ある。しかもこの正当性の観念や、それが内的にどう基礎づけられるかは、支配の構造にとって きわめて重要な意味をもっている。もちろん純粋型は実際にはほとんど見当たらないし、これら 純粋型相互の間の変容・移行・結合の関係はおそろしくこみいったものである。が、その点に立 ち入ることは、今日の講演ではできない。それは「一般国家学」の問題である。 ここでとりわけわれわれの興味を惹くのは、三つの型の中の第二のもの、すなわち支配が指導 者の純粋に個人的な「カリスマ」に対する服従者の帰依に基づいている場合である。「天職、と いう考え方が最も鮮明な形で根を下ろしているのが、この第二の型だからである。預言者、戦争 指導者、教会や議会での傑出したデマゴーグがもつ「カリスマ、に対する帰依とは、とりもなお さずその個人が、内面的な意味で人々の指導者たる「天職を与えられている , と考えられ、人々 が習俗や法規によってではなく、指導者個人に対する信仰のゆえに、これに服従するという意味 ベルーフ
ていたーー・は大体こんなものであった。ところが一八六八年以降、始めは・ハ ーミンガムの、次し で全国の地方選挙で、「コーカス」システムが発達してきた。このシステムの生みの親は、非国教 会派のある牧師とジョセフ・チェイハレンで、そのきっかけは選挙権の民主化であった。大衆獲 得のためには、一見民主的な体裁をとった諸団体を母体にした巨大な装置を発足させ、都市の各 地区に選挙団体を設け、組織を絶えす動かし、一切を厳格に官僚制化することが必要になった。 こうして、有給の職員の数は増え、また地方の選挙委員会 これにはやがて全体で一〇パーセ ント程度の有権者が組織されていった から支部長が選ばれ、これが政党政治の正式の担い手 として各種の互選権をもつようになった。コーカス・システムの推進力は、とりわけ自治体行政 これはどこでも非常に豊かな物質的チャンスの源泉であった に強い関心をもった地方の 人たちで、資金もます彼らの手で調達された。議員の指図をもはやうけないこの新しいマシーン は、生誕早々からこれまでの実力者、とくに「院内幹事ーと一戦を交えなければならなかったが、 地方の関係者の支持を得てこの戦いに勝ち、院内幹事の方が折れてマシーンと妥協せざるをえな くなった。その結果、すべての権力は党の頂点に立っ少数者の手に、最後には一人の手に集中さ れることになった。事実イギリスの自由党では、グラッドストンが権力の座に登るのと結びつい
いちず 全体の方向を決める主眼点となっている。政治における一途で無条件的な理想主義は、無資産の ゆえにその社会の経済秩序の維持〔に利害関心をもっサークル〕の外に立った階層にだけ、とはい えないまでも、少なくとも主としてこの階層にみられる。異常な時期、したがって革命期にはと くにそうである。要するに私の言いたいのは、政治関係者、つまり指導者とその部下が、金権制 的でない方法で補充されるためには、政治の仕事に携わることによってその人に定期的かっ確実 な収入が得られるという、自明の前提が必要だということである。政治が「名誉職」としておこ なわれるということは、政治がいわゆる「自主独立の」〔誰の厄介にもならぬ〕人によって、つまり レンテ 資産家、ことに利子生活者によっておこなわれるということだが、他方、政治が無産者にもでき るためには、そこから報酬の得られることが必要である。政治によって生活する職業政治家は純 プフリュンデ 然たる「俸禄保有者」のこともあり、有給の「官吏ーのこともある。前者は、一定の仕事に対す わいろ る謝礼と手数料の形で収人を得ている場合であり ( チップや賄賂はこの種の収入の不規則で形式 的に非合法な変型に過ぎない ) 、後者は固定した現物給与か俸給、またはその両方を得ている場合 である。政治によって生活する職業政治家はまた「企業家」の性格をおびていることがある。昔 の傭兵隊長や官職の賃借人や買受人、あるいはアメリカのポスなどがそうで、このポスは自分の シュポルテルン
108 私権として所有されたものでないという二点で、封邑と原理的に異なった範疇と考えている。 なお、翻訳では「プフリンデ」を前後の文脈から考えて「俸給 , と訳した箇所もある。 ー・ハーは次の二つの特徴をもった人間団体を「アンシュタルトと呼 一八 9 アンシタルト Anstalt. ヴ = んでいる。 ④目的意思によって結成される「目的結社」と違って、所属者の意思表示と無関係に、純粋に客観的 な事実 ( 生まれ、家柄、時には特定の領域内に住んでいるという事実、あるいは特定の領域内でおこなわれ る特定の行動等 ) に基づいて、それへの参加ないし所属が義務づけられていること。 他方、そこでの人間関係と人々の行為は合理的に制定された法秩序によって律せられ、かっその法 秩序の遵守が強制装置 ( 機関 ) によって ( 実効的に ) 担保されていること。政治団体としての「国家 , はこの アンシュタルトの典型である。 一一 0 肥宮廷外顧問官 Räte von Haus aus•常時宮廷に出仕する顧問官でなく、宮廷外の自分の領地に住み、 その都度とくに召集されて会議に参加する顧問官。 一一六 4 役得。フフリンデ s を「 ( 。一言「 iind 。 . 一四ページの注 ( 封邑 Lehen. 俸禄 P ( 「 ( 一 nd 。 ) を参照。 一穴 7 公務員制度改正 Civil se 「 viceRef0 「 m. 合衆国では一八八三年のいわゆる「ペンドルトン法」以後数 次の改革を経て、従来の鑞官制 spoils system を改め、実績主義 Merit Sy em ーー・公開竸争試験による 選抜方式 - 。・、ーが採られるようになった。
凵な形態の政治的支配ーー伝統的支配、合法的支配、カリスマ的支配ーーについても当てはまる。 どんな支配機構も、継続的な行政をおこなおうとすれば、次の二つの条件が必要である。一つ はそこでの人々の行為が、おのれの権力の正当性を主張する支配者に対して、あらかじめ服従す るよう方向づけられていること。第二に、支配者はいざという時には物理的暴力を行使しなけれ ばならないが、これを実行するために必要な物財が、上に述べた服従を通して、支配者の手に掌 握されていること。ようするに人的な行政スタッフと物的な行政手段の二つが必要である。 行政スタッフは、政治的支配機構が存在しているという事実をーー政治以外のどの機構 ( 経営 ) でもそうだがーーー外に向かって表示するものである。もちろん彼らも、いま述べた正当性の観念 だけで権力者への服従に釘づけされているのではない。そうではなく物質的な報酬と社会的名誉 レーエン * という、個人的関心をそそる二つの手段が服従の動機となっている。封臣における封邑、家産官 プフリュンデ * 僚の俸禄、近代の国家公務員における俸給・ー、、・それに騎士の名誉、身分的特権、官吏たること の名誉を含めた広い意味での報酬と、それらを失うことへの不安。これが行政スタッフと権力者 との連帯関係を支える究極的・決定的な基礎である。カリスマ的指導者の支配の場合でもそうで、 戦士には従軍の名誉と戦利品があり、デマゴ 1 グの追随者には「スポイルズ」、つまり官職の独占
なのか。この問題、つまり、この世の非合理性の経験が、 き、あるものは永遠に解釈できない こう すべての宗教発展の原動力であった。インドの「業」の教説・ベルシアの二元論・原罪説・予定 説・隠れたる神も、すべてこの経験から出てきた。この世がデーモンに支配されていること。そ して政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性とに関係をもった者は悪魔のカ と契約を結ぶものであること。さらに善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、 人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。これらのことは古 代のキリスト教徒でも非常によく知っていた。これが見抜けないような人間は、政治のイロハも わきまえない未熟児である。 宗教倫理は、われわれ人間が、それそれ別の法則に従った・いろいろの生活秩序の中にはめこ キリシアの多神教はアフロディテにもへ まれているという事実を、いろいろと理屈づけてきた。・ ラにも、ディオニュソスにもアポロンにも、同じように供物を捧げたが、これらの神々同士が ヒンドウ教の生活秩序では一つ一つの職業が法という よく争っていたことは知っていた。 特別な倫理的な掟の対象となり、もろもろの職業がカーストに従って永遠に遮断されるとともに、 いったんそこへ生まれた者は、来世に生まれ変わる以外、逃れようが 全体が厳格な上下関係 ダルマ *
100 アコスミツツュ 魔の力と関係を結ぶのである。無差別の人間愛と慈悲の心に溢れた偉大な達人たちは、ナザレの 聖フラン、 チェスコ インドの王城の出であれ〕、暴力という政治の 生まれであれ、アッシジの生まれ〔 彼らの王国は「この世のものにあらずーではあったが、それでいて彼 手段を用いはしなかった。 , らは昔も今もこの世に影響を与え続けている。〔トルストイの描く〕プラトン・カラタエフやドス トエフスキーの描く聖者の姿は、今なお、この人類愛に生きた達人たちの最も見事な再現である。 自分の魂の救済と他人の魂の救済を願う者は、これを政治という方法によって求めはしない。政 治には、それとはまったく別の課題、つまり暴力によってのみ解決できるような課題がある。政 治の守護神やデーモンは、愛の神、いや教会に表現されたキリスト教徒の神とも、いっ解決不可 能な闘いとなって爆発するかも知れないような、そんな内的な緊張関係の中で生きているのであ る。教会支配の時代に生きた人々でも、このことを知っていた。フィレンツ = に対しては、再三 インターディクト * 再四、秘蹟授与停止の措置がとられーー、・この措置は当時の人々とその魂の救済にとって、のちの カント派の倫理的判断に対する「冷厳な承認」 ( フイヒテの言葉 ) などよりも、はるかにのつびきな らぬ重圧を意味したが、それでも市民たちは教会国家への反抗に立ち上がった。この点にふれな がら、マキアヴェリは 私の思い違いでなければ、『フィレンツェ史』のある見事な一節〔第三