115 殳 3 フェルスター Friedrich W. Förster, 1869 ー 1966. ドイツの教育学者。ミュンヘン大学教授 ( 一九一 四ー一一〇 ) 。第一次大戦中からすでにスイスで倫理的平和主義運動を実践。ドイツ革命が勃発するや、 イエルン共和国政府 ( 首相・アイスナー ) のスイス駐在臨時公使に任命され、停戦・講和条件緩和のため の単独交渉を連合国との間に進めて、物議をかもした。ナチ時代アメリカに亡命。 九三 7 ゥパニシャッド Upanischad. 古代インドの哲学的文献の集成で、ヒンドウ教の聖典『ヴェーダ』の 一部を構成。 九四 2 ベルシアの二元論マニ教 ( 三世紀、ベルシア人マニを宗祖とし、キリスト教・仏教・ゾロアスター教 等の教義を混和してできた宗教 ) は「明暗教ーともいわれ、光明 ( 善・神・精神 ) と暗黒 ( 悪・悪魔・肉体 ) の二元論を説いている。 九四 3 隠れたる神 Deus absconditus. ルッター神学の用語。神は愛を啓示するときもごれを怒りの仮面のも とであらわすという意。この考え方はのちに、人の救済は神の意志によってあらかじめ決定されていると いうカルヴァンの「予定説」 ( P des ニ na ( 一 on ) につながっていく。 九四ギリシアの多神教アフロディテは美と恋の女神。ヘラは結婚・出産の女神。ディオニュソスは豊饒 と酒の神。アポロンはたくましい青年の神で、音楽・詩歌・予言・医術などを司る。 九四法もともと存在と事実を「支えるもの」という意味で、宇宙原理をはじめとして社会倫理、生活規 則のすべてを含む概念。 ダルマ
的な「正当化に過ぎない。 この点で丸めこまれるようなことがあってはならない。 のは、〔さきの山上の垂訓と同じく〕唯物論的な歴史解釈もまた、意のままにとび乗れる辻馬車で はなく、革命の担い手の前で〔都合よく〕停まってはくれないからである。 いやそればかりで とりわけ重要なのは、激情的な革命の後には旧態依然たる日常生活が現われて、信仰の 英雄、ことに信仰そのものがそこで姿を消してしまうか、 あるいはそれが、もっと致命的な ことにーー政治的な俗物や政治的な技術屋どものきまり文句の一部になってしまうということで ある。こうした発展が信仰の闘争の場合とくに急テンボで進むのは、この闘争を指導し、鼓舞し ているのが、たいてい、革命の預一言者という純粋の指導者だからである。すべての指導者装置の 例に洩れず、この場合も、「規律のために人間を空虚にし、非情化し、精神的にプロレタリア化 することが、革命成功の条件の一つとなるからである。こうして、信仰の闘争に参加した追随者 はひとたび勝利を収めるや、いとも簡単に平凡きわまるサラリーマンに堕落してしまう。 およそ政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、この倫理的パラ ドックスと、この。 ( ラドックスの圧力の下で自分自身がどうなるだろうかという卩冫 引題こ対する責 任を、片時も忘れてはならない。繰り返して言うが、彼はすべての暴力の中に身を潜めている悪
ならないという事実、を回避するわけにいかない。また、倫理的に善い目的は、どんな時に、ど の程度まで、倫理的に危険な手段と副作用を「正当化」できるかも、そこでは証明できない。 政治にとって決定的な手段は暴力である。倫理的に見て、この手段と目的との間の緊張関係が どんなに重大な問題を孕んでいるかは、御存じのように、革命的社会主義者たち ( チンマーワルド 派 ) が戦争の最中に宣言した原則からもお分かりいただけると思う。その原則を簡潔に公式化す いますぐ講和して革命が来な ればこうである。 「もう数年戦争が続いて革命が起こるのと、 いのと、どちらを選ぶかとなれば、われわれはもう数年戦争の方を選ぶ」。そこで一歩問題を進め 問いに対して、学問的修練をつん て、「ではその革命によって何が達成できるというのか」。この た社会主義者なら次のように答えたであろう , ーー「われわれの意味で本当に社会主義的といえる ような経済への移行はまったく問題にならない。封建的要素や君主制の遺物だけは払拭できても、 だとすれば彼らは、これつぼちの結果を 結局はプルジョア経済の復活に終わるであろう」。 得るために「もう数年戦争を ! 」の方を選んだことになる。もっとも、そうなれば、どんなに堅 固な社会主義的信念の持ち主でも、ここに至ってその目的ーーーこれほどまでの手段を必要とする とは言えそうである。そしてポルシエヴィズムでもスパノ の拒否に踏み切るかも知れない
合理主義を抜きにしては、絶対主義国家の成立も革命もまず考えられない。諸君が一六世紀から 一七八九年にいたるフランス高等法院の抗弁書やフランスの三部会における建白書に目を通され るなら、随所にこの法律家精神を見出されるであろう。また諸君がフランス国民公会のメン・ ( ー プロレタリアは 平等な選挙権で選ばれたというのに を職業別に調べてごらんになれば、 ただ一人、・フルジョア企業家もごくわすかで、各種の法律家が多数を占めていたことに気づかれ るはすである。これら法律家なしには、当時の急進的知識人と彼らの計画に生命を吹き込んだあ の独特の精神も、考えられなかったに違いない。近代的な弁護士と民主制とはこのとき以来完全 に結びつくが、ここでわれわれのいう弁護士、つまり独立の身分としての弁護士は、これまた西 洋にしか存在しないもので、中世以来の訴訟の合理化の影響下で発達したゲルマンの・形式主義 的な訴訟手続きにおける「代弁人」から成長したものである。 アドヴ十カーテン 政党が登場して以後の西洋の政治の中で、弁護士が重要な意味をもったのは決して偶然では 。政党による政治の運営とは、とりもなおさす利害関係者が政治を運営するということ これが何を意味するかは、そのうちにお話しするがーーである。そして事件を利害関係者に有利 なように処理することこそ、まさにヴ = テラン弁護士の腕というものである。その点で弁護士は ザッへ
114 六三 7 ウエプスター Dan 一 e 一 Webs ( er , 1782 ー 1852. タイラー ( 第一〇代 ) およびテーラー ( 第一二代 ) の両大 統領の下で国務長官を勤め、連邦の優位と奴隷制撤廃を主張して上記カルフーンらと論争。雄弁をもって 知らる。 べ ーベル August Bebel, 1840 ー 1913. ドイツ社会民主党および第二インターの創設者。党の大先輩と して終始指導的地位にあった。著書に『婦人論』。 耄ジンメル Georg Simmel, 1858 ー 19 一 8. ドイツの哲学者・社会学者。生の哲学の重要な代表者の一人。 文化哲学・「形式社会学」に貢献。 ープクネヒト、・ルクセンプルク スパルタクス団 Spartakus ・ Bund. ドイツ共産党の前身。・リ らによって第一次大戦中結成されたドイツ社会民主党最左翼の非合法グループ。一九一八年一一月の革命 ( ドイツ革命 ) で重要な役割を演じたが、一九一九年一月五日から一四日にいたる武装蜂起 ( 「スパルタクス 週間」 ) は多数派社会民主党政府の軍隊に弾圧された。 九一 5 チンマーワルド派の社会主義者チンマーワルド Z 一 mmerwa 一 d はスイスの避暑地。一九一五年九月、 ここで一一カ国、三八名の社会主義者が相会し、戦争反対の国際的な意思表示をおこなった。たたしその 構成は雑多で、多数派が第二インターの復活と「革命より平和を」主張したのに対し、レーニンらの左派 は第三インターの創設と戦争の革命への転化を主張して対立し、これがのちに第二ないし第一一半インター とコミンテルン ( 第三インター ) の二つの方向に分裂していったことは周知の通り。
ストよりはるか以前のチャンドラグプタ時代の作といわれる ) に典型的に現われている。これに 比べればマキアヴェリの『君主論』などたわいのないものである。さきのフェルスター教授が日 コンシリア・エヴァンゲリカ * ごろから親しんでいるカトリックの倫理では、周知のように「福音的勧告」が聖なる生命 カリスマ の恩寵をうけた人間たちのための特別な倫理となっている。カトリックの倫理では、一滴の血も 流さずまたどんな営利も許されない修道士と並んで、篤信の騎士と市民がいて、騎士には血を流 すことが、市民には営利を求めることが、許されていた。倫理にランクを設け、救済の教義の有 機的体系の中に組み入れるという点では、インドほど徹底していないが、これはキリスト教信仰 の前提からも避けられないことであり、また当然のことであった。原罪によるこの世の堕落とい きようせい う前提に立てば、暴力行使をーー罪と、魂を危殆に陥れる異端者に対する匡正手段としてーー倫 しかし、純粋に心情倫理的で無差別的な山 理の中に位置づけることは比較的容易であった。 上の垂訓の要請と、その上に立った絶対的要請としての自然法とは、革命的な力をいつまでも持 ち続け、社会的動揺の時代になるとほとんど例外なく、不可抗的な勢いで姿を現わして来た。と くにそれは徹底的平和主義の諸教派を生み出し、その中の一つはペンシルヴァニアで対外的暴力 をもたぬ国づくりの実験をおこなった。 がこの実験は独立戦争が起こった時、この戦争の理 ゼクテ
118 たのは、この戦争の結果 ( 敗戦の事実 ) をあたかも「神の審判」のように受けとり、自虐的な「負 目の感情」の中で、ひたすらに「至福千年」の理想を夢み、「革命という名誉ある名に値しない血 カーニヴァル なまぐさい謝肉祭」にわれを忘れて陶酔し切っているかにみえる一部の前衛的な学生や知識人の、 善意ではあるが独りよがりな「ロマンティシズム」であった。しかも、彼の親しい先輩・友人・ 知人・教え子たちが最も多く参加し、どこよりも「知識人革命」の色彩の濃厚だったのが、ここ 、ユンヘンのレーテ運動なのである ( このあたりのことについては、かって簡単にふれたことが ある。拙著『知識人と政治』岩波新書 ) 。この講演が、「抽象的な思想原論」や、ただの知識とし しうまでもない。 て語られる類の「政治原論」でありえなかったことは、、 さてヴェ ーによれば、政治の本質的属性は権力であり、政治とは「国家相互の間であれ、 国家内部においてであれ、権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及・ほそうとする努 力である」。政治をおこなう者は、権力それ自体のためであれ、他の目的のための手段としてであ れ、権力を追求せざるをえない。政治はどこまでも政治であって「倫理」ではない。その意味で 政治一般に対するセンチメンタルで無差別的な道徳的批判は、百害あって一利もない。しかし一 め
たとえばアルトホフ時代のプロイセン文部省 もちろん専門訓練をうけた局長や参事官の方が のように 自分の専門に関する本来の技術的問題にかけては、大臣など比べものにならぬくら い精通していた。その点イギリスでも変わりなかった。だから、彼らの方が日常的な問題につい ては大臣より実権をもっていたし、このこと自体、決して理屈に合わぬことではなかった。大臣 というものはあくまで政治的権力状況の代表者である。そこでの政治的権力機関を代表し、部下 の専門官僚の提案を検討し、彼らにしかるべき政治的な指示を与えること、これが大臣の任務た ったのである。 民間の経済経営でも事情はまったく同じである。政治における「国民」に相当する本来の「主 権者」はここでは「株主総会」であるが、それは経営の実際面では、専門官僚に統治された国民 と同じく無力である。同様に、経営の政策を動かすお歴々、つまり「重役会」にしても、銀行に 頭を抑えられていて、業務上の指示を与えたり経営の実務担当者を選んだりするたけで、経営を 技術面で管理する力はもっていない。今日の革命国家の構造も、この点ではなんら根本的な変革 を意味しない。その革命国家ではズ・フの素人たちが、機関銃をおさえたおかげで行政権まで手に 入れたが、その彼らにしても、どうせ内心では、専門的に訓練された官僚たちを命令執行の頭脳
党となり、票集めのチャンス如何で実質的な綱領を変更するようになっている。スペインでは、 ごく最近まで、上から仕組まれた「選挙」の形で、二大政党が慣習上決められた順番に従って交 互に政権を取り、部下に官職を当てがってきた。スペインの植民地における政争は、それがいわ ゆる「革命」であれ、あるいは「選挙」であれ、要するにそこでのお目当てが、国家という米櫃 であることに変わりはなく、勝った方がこれで飯にありつこうというわけである。スイスの政党 は比例配分の方法で官職を平和裡に分け合っているが、ドイツの「革命的憲法草案、たとえば ーデン州の第一次草案などは、このスイス方式を閣僚レヴェルにまで拡大しようとしたもので、 国家とその官職を給与機関扱いしたものであった。とりわけこれに熱心だったのはカトリックの 中央党で、 ーデン州では、能力抜きの・宗派別による官職の比例配分をわざわざ綱領の一つに 掲げたほどである。官吏制度の普及によって官職の数が増え、生活の点でとくに安定したポスト として、それへの就職希望者が増えてくると、どの政党でもこの傾向が顕著になり、政党はその 党員にとって、生計を立てるという目的のための手段にますますなってくる。 ところがこういう傾向に対立しているのが、近代的な官吏制度の発達である。長期間にわたる 準備教育によってエキスパートとして専門的に鍛えられ、高度の精神労働者になった近代的な官 こめびつ
た彼らは、みずからの正当性をーー・それがどこまで正しいかは別としてーー・・被治者の意思に求め ている。そして少なくともその限りでは、革命による収奪は達成された。もっとも、これまでの と一」ろが , - 。、ーー少なくとも外見上 うまくいったからといって、だから革命の前途は明るい、資 本主義的経済経営内部での収奪の方も大丈夫だ、と本当にいえるかどうか、これは別問題である。 経済経営における管理と政治的管理気〕との間には多分に類似点がありながら、根本的にはま 0 たく違った法則に従っているからである。しかしこのあたりの問題に対する意見は今日は述べな ここでは、われわれの考察のために必要な純粋に概念的な点だけを確認しておくことにする。 近代国家とは、ある領域の内部で、支配手段としての正当な物理的暴力行使の独占に成功し たアンシュタルト的な支配団体であるということ。そしてこの独占の目的を達成するため、そこ での物的な運営手段は国家の指導者の手に集められ、その反面、かってこれらの手段を固有の権 利として掌握していた自立的で身分的な役職者は根こそぎ収奪され、後者に代わって国家みずか らが、その頂点に位置するようになったということ。以上のことを確認するにとどめる。 さてこの政治的収奪過程ーーーこの過程は成果のちがいこそあれ、地上のすべての国でおこなわ れたーーの中で、第二の意味での「職業政治家。が、さし当たっては君主に奉仕するという形で