あんた自分で 言ったこと なんだから 責任持ちな さいよね ふん ! なれるもんなら なってみろっ てんだ ナしたいそんな お手軽に 美人に ゆりちゃんが 美人になったら 嫌いになる , お話し中 すみませんが ゆりさんに お客さま ですけど 夜分に レフも 撮影で メイクを担当した 木ってもんです へ ? ノ、罅
東直己 ・エッセイしみじみ思い出す 幼稚園の頃、当然私は幼稚たったが、ふと、「死ぬというのはどういうことだろう」と考 えた。もちろん、幼稚だから、きちんとは考えられなかったのだが、それでも、なにかこ う、眩暈のような感覚があった。 なにしろ、自分が死ぬ、ということについて考えるのだ。なにをどう整理して、頭の中 に筋道をつけていいのか、そのことすらわからないまま、私は呆然とその「どうなるのだ ろう」という考えに、ズルズルと引きずられて行った。 「死んだら、自分はいなくなる」 これですでに、大変なことだ。自分がいなくなる、というのはどういうことか、自分で しん は全く見当もっかない。頭の芯から揺すぶられるようで、こう考えると再起不能になる、 というような感じがした。 「死んだら、天国に行って、そこで幸せに暮らす」 これなら、なんとかなりそうだ。しかし、「幸せに暮らす」と思った途端、「それが永遠 に続く」ということにぶちあたり、また頭の芯から揺すぶられる。「永遠」とはなんだろ 328
正直者の皮 かぶって自分さえ 救われれば カミさんの 苦しみは どうたって いってのか 何が女房を 裏切りたく オしナ 自分が楽に なりたいだけ たろフか
「自分みたいなプス 何やったって」って いじければ 確実に いじけた顔に なるのよ カクジツに よ おしゃれは 「場数」よ いつばい恥かいて 自分に似合った物 見つけりや 楽しいのは これからよ 5 あたしも 服が片づか ないしね
覚えてないこと まで責任 持てないから このごろ ゆりへの毒舌に ねえんだな そりや そ , つでしょ 自分の 知らないことを 相手が覚えてる し J ナよるし」 そーれで あいっ とりあえず お酒を自粛する とか言ってたわ 多少は 行儀よく なっちゃうわよ うと弟を 溺愛しちゃう 兄より・は 、いんじゃないのと 言っといたけど 0 なんで酔うと ゆりちゃんのとこへ 行っちゃうのかか 自分でわかんない らしいのよね 0 0 0 。 0 0 0 0 0 0 0 0 / ア
本気で すまないと 思ってるんなら 一生思ってろ そのほうが カミさんを 大事にできる 正直に話せば カミさんは 傷つかないとでも 思ってんのか 人間を なめんじゃ ア 0 うしろめご、 たの耐えられ ないだの それでも 善人ぶり たきや おまえは でき心でも カミさんは ならく 奈落の底だ 自分の女房が 力の限り頑張って 産むのはだれの子 たと思ってんだ それくら、 自分で 引き受けろ ひとりで やれ " 】 し 0 おまえの 子だぞ
そう感じて しるこし J 」 絶対に気づかれ たくはなくて : ・ 「お母さん」って 言葉の意味が あたしには わからなくて 手を握られても 髪をなでられても ゾクゾクと 居心地が悪いの 何度か自分から 親子らしさの 努力をしたけど 結局ただの まねごとだし でも 0 3 母さんは いつまでも 勝手な女で 憎み倒すだけじゃ 自分がみじめ すぎるし 、ヾ 4 二 0 0 0 0 0 い ) 。 : 残ってるのは 他人のふりだけ 0 0 、、い卩 / ハ ( は一れいい 0 ほ , ルし J に 0 楽 これが一番 0
う。永遠にそこにいる、ということは、どういうことだろう。心の底から、寂しくなった。 「死んだら、生まれ変わる」 これなら、なんとかなるか、と思った。しかし、これもまた、「永遠」問題を避けては通 れない。生まれ変わった後に、当然また死ぬ。するとまた生まれ変わるわけで、それを「永 遠」に続けるのか。ここでまた、「永遠」とはなんだろう、と眩暈が襲ってくる。 私はくたびれ果てて、こう考えた。 「、も一つ、 死ねばそれで終わりだ。いなくなるんだ。きれいさつばり」 これは非常にさばさばした考えだが、また振り出しに戻って、「自分がいなくなる、とい うのはどういうことか」という問題が頭の芯を揺さぶる。 幼稚園の頃から、小学校の半ばあたりまで、私はいつも、日中不意に、あるいは寝る時 薄暗い天井を見上げて、「死ぬとはどういうことか」ということをあれこれ考え、時にはし くしく泣いた そして、ある日、「これではダメだ」と思ったのだ。この問題は、とても今の自分ひとり もっと大人になって、改めて考えることにしよう。つまり、問題の先送 の手に負えない。 り、一時保留という方針を決めたわけだ。こう考えた。「僕よりずっと大人の、有名人に全 てを託そう。その人が生きているうちは、僕はなにしろその人よりも遙かに年下だから、 死なない。で、その人が死んだ時、改めてじっくりと、自分の死について考えよう」 329
私は、現在四四歳。つまり、右のような結論に達したのは、今から三〇数年前だ。私は、 当時の大スターに自分の生死問題を託したのである。そのスターとは、坂本九であった。 で、坂本九に問題を預けて以後、私の人生は、やや過ごしやすくなった。 そして、坂本九氏は、飛行機事故で、亡くなった。思いがけない、早すぎる死であった。 私は衝撃を受けたが、すでに二〇代終わりのいい大人だったし、息子が二人いて生活と格 闘していたし、少しはものが考えられるようになっていたので、なんとかその衝撃を乗り 切って、今に至っている。 吉村明美氏の作品を読むと、私はこのことを思い出す。自分の死について考え、混乱し、 それをなんとか自分で乗り切らなければならない、と努力して、とりあえず坂本九氏に助 けを求めた ( もちろん、先方は私のことなど全く知らないが ) 、あの経緯を、ありありと思 い出す。 生きていく、というのは、事実として、辛いものである。まっすぐに、「生きている」と いうことを見つめると、辛い。しかしまた、その辛さになんとかオトシマエをつけながら、 乗り越えて生き続ける時、そこに「人生も捨てたもんじゃないな」という素敵なあれこれ が存在しているのも、また事実だ。人生の生き辛さを感じつつ、生き続けるところに、人 生の楽しさもまた浮かび上がって来るだろう。笑ったり、泣いたり、傷ついたり、励まさ れたり、そしてどうしようもない経緯でダメになり、思いがけない巡り合わせでにな 330
追いカー るぞ もし 6 た あんな : ・ どしたの ? 何あわて てんの か見お らてま : なえ 彼女に 死なれた あとの スミレを 知らないから あいつは 自分の目を つぶそうと したんだよリ