しなやかな思考カからしかアドリプは生まれない。そんな柔らか頭の森繁さんに、 思いがけなく頑固一徹な一面を見たのは、昭和六十二年秋の叙勲のときだった。 たまたま、森繁さんと私は同じ勲章をいただくことになった。叙勲当日、お会い できるものと楽しみにしていたが、名古屋で公演中のため顔を出さす、代わりに杏 子夫人が出席された。皇居での叙勲である。何をおいても式に出席したいと思うの がたいていの人間ではなかろうか。当然のことのように芝居を選んだ森繁さんの役 者魂を見せつけられた気がした。 その杏子夫人が先ごろ亡くなったとき、あの軽妙かっ毅然とした、独特のダンデ まイズムをかなぐり捨てて、涙ながらに出棺の挨拶をされた森繁さんを思い出す。長 味年月苦楽をともにしてきた夫婦の絆の尊さを、多くの人があらためて思ったことだ ろ、つ。 しいと思う女性が急増しているという。総理府 章結婚したくない、結婚しなくても、 と回答した女性は四三・七パーセントにすぎな 第の調査で、「結婚したほうがいいー 半数以上は結婚に魅力を感していないことになる。 彼女たちに、森繁さんの涙を見せてあげたかったとっくづく思う。
切に思って暮らしてきたことは、家内や息子、娘のためにも声を大にして言ってお たいていの人は似たようなものだろう。会社や家庭、地域、対人関係、趣味など に応して、現代人はいくつもの顔を使い分けている。多羅尾伴内の〃七つの顔んは、 むしろ少ないほうかもしれない 会社ではしかめつ面したコワモテの「課長」が、家に帰ればにこやかな夫、優し い父親の顔になる ( 日本人には逆のケースのはうが多そうだ ) 。同し人が、日曜に ろは地域の少年野球の指導者としてグラウンドで声を嗄らす。俳句をひねり、新聞に てそっと投稿するような趣味があるかと思うと、町内会長として盆踊りの先頭にも立 焼っている。 て 一つひとつの顔を一生懸命に演じていくところに、多様な刺激があり、生活の リも生まれるのだ。「大統領のように働いて、王様のように遊ぶ」という 第コマーシャルがあったが、このチェンジ・オプ・ペースは悪くない。反対に、似 7 たような刺激しかない一本調子の生活ほど、精神衛生によくないものはないので ある。
・もの、つ 生涯、身を立つるに懶く 騰々、天真に任す 波に乗じて日に新に化し 優游として年を窮むべし 。漢詩独特のカ こう書くと、もともと漢詩であるからリズミカルで、響きかいし て ッコよさに加え、「騰々」は「滔々」と、「優游」は「悠々」と音が通しているため、 焼勢いがあり、堂々とした様を思い浮かべる人が多いと思う。 て しかし、本当の意味はそうでないらしい。専門家でない私には詳しい説明はでき 章ないが、その分野の本を読むと、「騰々 , は〃うとうとみ〃ばんやり〃〃物にこだわ 第らず、自由なことみなどと解説されている。勢いのある馬のあとをとばとほとつい ていく馬、そんな意味合いを持っ漢字だという。「優游」のはうは、〃何もせすに遊 ぶみクほしいままにするみと訳せる。あれをしたいとか、これもしなけれはと焦り、
態は何一つ改善されない。それなら、あるものはあるものとして、そのまま受け入 れるほうがストレスは小さくてすむ。 「暑い暑い」と思っているときは心の中に暑さが居座り、私たちは気持ちまで暑さ に支配されている。だが、それを受け入れれば、体は同じように暑いかもしれない が、もう「イヤだイヤだ」と思わなくてすむ。海水浴の楽しさを思うこともできる し、スキーをする自分を想像してもかまわない。 心まで暑さに支配されずにすむの である。 人生をたくましく生きるために一番必要なのが、この〃受け入れる能力〃である。 受け入れる能力について、もう少しつづける。 味ガンを告知された患者さんの反応は、二つに分かれるという。苦しみながらも自 分はガンであるという事実を受け入れることのできる人と、どうしても受け入れら 章れす、絶望し、逃避的になる人。ガンという事実をしつかり受け入れ、治ろうとい 第う意志を持ち、積極的に治療に参加する患者さんのほうが、良好な結果を得ること か多い ものごとを拒ますに受け入れる素直さは、人をたくましくし、人生を豊かにする。
何かをするのが子どものためでは、子どもに負担がかかる。まして、ひとりつ子で それを全面的に受けては身が持たぬ。子どものためより自分のため。これが核家族の 母親の心得。 父のほうは、たぶん茂吉さんと反対だったろう。昔にしてはリべラルで、家父長感 覚がまったくなかった。とくに、ばくが中学にあがってからは、いつでも一人前の人 もう中学生 格として扱ってもらったように思う。成績が下がっても叱ったりしない。 なんだから、自分の成績をどうするかは自分で考えろ、ということ。 学校を休みだしたころには、二つの条件をつけられた。一つは、休みすぎて落第し ないこと。大きらいな軍事教練のある日はかり休んではだめ。もう一つは、学校へ行 くのなら時間割に合わせてすむが、学校を休んだらスケジュールは自分で決めねはな らぬ。そして、学校へ行くより、自分にとって納得できる一日を送ること。 これは中学生には、ちょっとこたえたなあ。まあ、今の自由化の時代で言うなら、 説 自己責任ということですけど。 解ちょっと冷たい気分だが、大家族でなくて核家族なら、これでもだいしようぶ。な にしろこちらはひとりつ子で、一人しかいないのだから。 ばくに競争心や闘争本能が欠落しているのは、ひとりつ子のゆえかもしれない。決
人間的な、あまりに人間的な病気 ヒステリーの話が出たついでに、この愛すべき病気についてもう少し述べてみよ う。ヒステリーというと、女性が手足を硬直させ、金切り声を上げる光景を想像す る人が多いと思う。有名なのは、映画「風と共に去りぬ」でスカーレットを演じた ビビアン・ ーだろ、つ。 ーティーの席でも、乗物の中でも突然わめき出し、そう なったが最後、もう誰にも手がつけられなかったという。 けいれん しかし、それだけがヒステリーの発作ではない。痙攣や感覚脱失、意識障害、記 憶喪失など、人によって多種多様な症状が観察できる。そこに共通しているのは、 発作によって心の葛藤から逃避し、自分の心的欲求を代償的に満足させている、と 、つことだ。 かのフロイト大先生は、ヒステリーを「疾病への逃げ込み , と定義した。病気に なることで、結果的に自分を防衛し、何らかの利益を得るのが特徴であるという。 たとえば、こんな例があった。 かって私が勉強していた慶応病院で、さる大会社の社長さんが脳梅毒で亡くなっ た。最も嘆き悲しんだのが奧さんでも息子さんでもなく、おメカケさんだったとい
あづさゆみ春になりなは草の庵をとくでて来ませ会ひたきものを この歌について、父の茂吉がこんなことを言っている。 「死に近き老法師の良寛が若い女人の貞心尼に対した心は真に純粋無礙であった。 予は此世に於ける性の分別の尊さを今更に思う」 同じ歌を、こう解釈しているのが唐木順三氏だ。 ろ 「この『あひたきもの』は良寛にして初めていえる無邪気な情熱である。七十三歳 ての良寛の子供のような心である」 焼 父も、唐木氏も、ともに良寛さんの純粋無礙や無邪気さに魅かれているようだ。 て ところで、いったい何を指して、無邪気とか天衣無縫と言うのだろうか。自分が 章感しるままに物を言い、したいように振る舞うことだと思っている人が多い。大き 第な誤解だと思う。天衣無縫は、好き勝手や自分勝手と同しではない。 意外に思われるかもしれないが、むしろ反対に、良寛さんは常に自分をコントロ ールしていた。ともすれは、〃勝手〃のほうへ流れようとするエゴイズムをセープ
ことできる。 けれど、不運にして天才に生まれてしまったとしたら、それでも天才であること を嘆かす、呪わす、「天才であって本当によかったーと思いたい そして強いストレスにいつもさらされることになるのは、自分自身を受け入れるこ とができす、絶えす自分に不平不満を抱く人たちである。 豆腐をなぜ、井泉水が達人の面影を持ち、自然にして自由な姿でいるというのか。 それは、煮られても、焼かれても、油の中に放り込まれても、熱いあんをかけられ ろ ても、不平不満を言うことはおろか、はたから見ても立派な料理となって人びとの 則に登場する度量を持ち合わせているからだ。 焼とはいえ、人間はこうはいかない。生きていくうえで不平不満のタネはっきない し、自分で自分がイヤになるはど情けない思いに駆られることだってある。しかし、 章なかには客観的にみて、どうしてそんなふうに考えてしまうのか、と思うような人 第もいる。むろん、それは私の職業が、そういう人に出会うことを前提としたもので あるからだが : 自己臭症とか自己臭恐怖症という言葉を、みなさんも聞いたことがあると思う。 一番不幸なのは、
った。こうなると老後といっても、もう〃後〃に甘んするわけにいかない。人生の 現役として、いかに豊かな老いを生きるかが、これからはますます問われる時代に なるだろう。 かくしやく 平均寿命をゆうに超えても、なお矍鑠として毎日を楽しみ、いきいきと暮らして いるお年寄りを、私もたくさん存じ上げている。その人たちは例外なく、溌剌とし た好奇心の持ち主だ。多彩な趣味を持ち、他人や社会へ強い関心を抱いている。そ れによって出合う多様な刺激が、心のク強〃や〃硬みを防いで、若々しさを維持す らるのである。 てあのきんさんぎんさんも、思えば大変な好奇心の持ち主である。普通なら百歳に なって、雑誌広告やテレビに出ようなどとは思わない。名古屋から東京へ出る のだって、面倒臭いだろう。 し 「百歳にもなって世間の笑い者になるなんて、物好きな」 もし、そんなふうに思う人がいたら、明らかに心の硬化が始まっている。 物好きに関しては、私も人後に落ちない。七十八歳といういい歳をして、子供の ように飛行機に夢中になっている。新しい機種が就航すれば、何をおいても乗りに
「そのはうが凉しくていいわよ」 文字どおり凉しい顔で言ったそうだ。 笑い話としても面白いのであちこちに書いたり、話したりしてきたが、この種の 逸話なら、わが家にはいくらでもある。 家内のスカートが超ミニに仕立て直されて戻ってきたときなど、そのわけを聞い て仰天した。スカートをはいたまま、前かがみになってハサミでジョキジョキやり、 真っ直ぐ立ってみたら超ミニになっていたのだという。 またあるときは、孫の新しいカバンを借りて海外へ出かけ、帰国するとこう言っ 「あなたのカバンこわれちゃったわよ。ダメなカバンね , そう、すべてが自分本位なのである。 飛行機の窓側の席にいて、太陽の光が差し込んでくると、隣の人が窓をのぞいて いようかいまいかおかまいなしにフラインドをしめてしまう。私のような小心者 にはまねのできるワザではない。隣の席でいま読書中の人も、そのうち窓のほうへ 目をやるかもしれない。私ならそう考え、どんなに眩しくてもジッと我慢する。