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検索対象: 転落・追放と王国
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1. 転落・追放と王国

おろした。 男は車へ戻り、腰をおろした。運転手はモーターをかけた。車はゆっくりと勾配に近づい エンジンの覆いが空に跳ねあがり、つづいて河のほうへ垂れ落ち、車は急坂を降りはじめた。制 ころ 動機をかけつばなしで、車は転け落ち、少々ぬかるみを滑り、止ってはまた動きだす。音たてて あいのこ 板を跳ね返らせながら、車は桟橋に入り、黒白の混血児が相変らす物も言わす両側にならんでい る桟橋の端に達し、しすかに筏に落ちこんだ。筏は、車の前輪が来ると、舳を水にもぐらせたが、 直ちに浮きあがって、車の全重量を受けとめた。運転手は、後部の、ランタンが架かっている四 あいのこ 角な屋根の前まで、車を走らせた。たちまち、混血児は斜め板を桟橋に畳み返し、一飛びで渡し 王 舟に移ると同時に、ぬかるみの岸から舟を放した。筏はしつかりと河に抱きとられて、水面に浮 と 放び、ケープルに沿うて空中を走る長い線につながれて、しすかに岸を遠ざかった。大男の黒人は 追ようやく力を抜いて、竿をひっこめた。男と運転手は車から出て、筏の上に立ってじっと動か す、川上を見つめていた。こうした操作のあいだに声を出す者は誰もなかった。そして今もな お、銘々自分の持ち場に立って、言葉なくじっと動かすにいた。大男の黒人の一人がザラ紙に煙 草を巻いているのを除いては : はざま 男は、そこから河が発して自分たちのほうへ下ってくる、プラジルの大森林の狭間を見つめて いる。河はここでは数百メートルにひろがっていて、渡し舟の横腹に絹のようなどんよりした 水を打寄せ、二つに分れて舟を押し包み、それからふたたびのびのびと力強い一つの流れとなっ 261 おお こうばい

2. 転落・追放と王国

ひいじいさん じいさん 「私は違う。私の祖父は貴族だったが : : : 曽祖父もそうだった。その前はみんなそうだった。今 はわが国に貴族というものはない」 「ああ」と笑いながら黒人が言った。「わかる。誰でも皆貴族なんだ」 「いや、そうではない。貴族もないし、平民もないのだ」 相手は考えこんでいたが、やがて思いきって、 「誰も働かす、誰も苦しまないのか ? 」 「いや、何百万の人間が働き、苦しんでいる」 国 「それなら、それが民衆だ」 と 追「そういう意味なら、そのとおりだ。民衆というものはある。しかし、その主入は警官とか商入 落とかなんだ」 . 転あいのこ 混血児の愛想のいい顔は閉ざされてしまった。やがて彼はぶつぶつ言った。「フン、買ったり 警察さえついていりや、犬だって命令を下すさ」 売ったり。ヘン ! なんてきたならしい いきなり彼は笑いだしこ。 「あんたはものを売ったりしないか ? 」 「ほとんどしない。橋を造ったり、道を造ったりする」 ちそう 「それは結構。私は船のコッグだ。お望みなら、黒豆の料理をご馳走しよう」 「食べたいね」 276

3. 転落・追放と王国

144 とびら ンキで塗 0 た、砲弾型の小建造物の前で止 0 た。内部には室は一つきりで、明りは入口の扉から 老人 さしこむだけ、びかびか光る板の向うに、白ひけの老いたアラビア人が待ちかまえていた。 びん わん は極彩色の三つの小碗の上に、茶の瓶をかかけたり、おろしたりして、茶をいれているところだ にお はつか 0 た。二人が店の薄暗のなかでほかの何もまだ見分けがっかぬうちに、薄荷入りの茶の新鮮な匂 すず いが、入口に立っマルセルとジャニーヌを迎えた。や 0 と入口を踏みこむと、錫のお茶の瓶や茶 ふさ はかりざら 碗や回転する葉書立てとく 0 ついた秤皿などをつなぎ合せた綱が場所を塞いでいて、マルセルは さえぎ 、こ。月りを遮らないように少々離れ カウンターにもたれたままでいた。ジャニーヌは入口にしオ日 王た。このとき彼女は、年寄りの商人の後ろの薄暗に、二人のアラビア人がいて、彼らのほうを見 はほえ いた。その二人はこの店の奥をすっかり占領している、ふくれあがった 追て微笑んでいるのに気づ くびまぎ じゅうたんししゅう 赤と黒の絨毯、刺繍のある頸巻が壁にすらりと架かり、床は、かおりのい 落袋の上に坐っていた。 転 い種子のつま 0 た小箱と袋で混雑していた。カウンターの上は、きらきらする銅の皿のついた秤 えんすいけい と、刻みの消えた古い物差を中心に、円錐形にな 0 た白砂糖のかたまりが並び、その一つは、大 てつべん きな青い紙の襁褓を脱がされて、天辺を削りとられていた。部屋に漂う羊毛と香料の匂いが、茶 のかおりの後ろから来た。年寄りの商人が茶の瓶をカウンターに置いて、今日はと言 0 た。 やがて鞄をひら マルセルは、商売のときに使うあの低い声で、あわただしくしゃべっていた。 き、反物や頸巻を見せ、秤や物差を押しのけて、年よりの商人の前にその商品を陳列した。彼は 苛立ち、調子を高め、だらしなく笑 0 た。まるで、気に入られたいが自信のない女みたいな様子

4. 転落・追放と王国

すみ 台と垂直に、机とストーヴのあいだに、これをひろげた。隅に立てて書類棚に使っている、大ト ランクから、二枚の毛布を引っぱり出して、これを折畳み寝台の上に敷いた。それから、彼は立 ちどまり、することのないのに気づき、自分の寝台に腰かけた。もはやなすべきこと、準備すべ きことは何もなかった。この男を見ていなければならない。そこで彼は男を見ていた、この顔が ゅううつ 怒りに逆上したところを想像しようと努めながら。が、それは巧くいかなかった。憂鬱で同時に まな キラキラ光る眼ざしと動物的な口もとだけが目に映った。 「なせお前はそいつを殺したんだ ? 」その声はいかにも敵意に満ちていて、思わす自分でも驚い 国 王 と「あいつが逃けた。己はそれを追っかけた」 放男はふたたび目をダリュに上けた。その目は悲しい問いかけのようなものに満ちみちていた・ 追「これから己をどうしようというのか ? 」 「お前こわいのか ? 」 相手は身をこわばらせ、目をそむけた。 「後悔してるのか ? 」 いらだ 苛立ちがダリ アラビア人はロをあけて彼を見つめた。明らかに、男は意味がわからずにいた。 はさ ュをとらえた。同時に、ニつの寝台に挾まれた、自分の大きな図体を、ぎこちなく堅苦しく感じ 2 十′

5. 転落・追放と王国

「いや、わしはエル・アムールへ戻る。君は、この道連れをタンギーに連れてってくれ。警察が こいつを待っている」 友情のこもった微笑をちらりと浮べて、パルデュッシはダリュを見つめた。 「何を言ってるんだ」と教師が言った、「己をばかにする気か」 「いいや、これは命令だ」 ちゅうちょ 「命令 ? 己は、でも : : : 」ダリュは躊躇した。コルシカ生れのこの老人を困らせたくはなかっ 国たからだ。「とにかく、これは己の仕事じゃない」 王「おい、それはどういう意味だ ? 戦争になりや、みんなどんな仕事だってやる」 と「じゃあ、己は宣戦の布告を待っことにしよう」 放 バルデュッシはうなすいた。 追「結構。だが命令はもうここに来てる。それはお前にも関係があるんだ。事は起りかけてる。近 はんらん うわさ 近叛乱が起るという噂た。ある意味で、われわれは動員されているんだ」 ダリュは依怙地な態度を変えなかった。 「おい、よく聞け」と・ハルテュッシが言った。「お前はいい男だ。わしの言うことがわからなく しよう力い ては困る。小さいとはいえ一つの県という区域を哨戒するのに、エル・アムールに仲間は一ダー スしかいない。だからわしは戻るのだ。こいつをお前にまかせて、ぐすぐずせすに帰ってこい と、わしは言いつけられた。こいつをあそこに置いとくわけにはいかん。こいつの村はざわざわ おれ

6. 転落・追放と王国

転 もしもし、ご迷惑じゃなければ、お手伝いしたいと思いますが。この酒場を切り回しているあ のり 0 ばなゴリラ氏には、あなたの言葉が通じますまい。なにしろ、オランダ語しか話さん男で 落すから。わたしに弁護させてくださらないかぎり、あなたの注文がジンだということも、主人に はわかりませんよ。さあ、通じましたよ、ああや 0 てうなすいているでしよ、あれはわたしの言 ゅうゆう 葉がわか 0 た証拠なんですな。ほら、はたしてあ 0 ち〈行きましたよ、手早いけれども悠々とし ていて慌てません。あなたは運が好い、主人のやっ、ぶつぶつ言わなか 0 たでしよう。給仕をす るのがいやなときは、ぶつぶつ文句を言うだけでおしまい、誰がなんと言 0 てもだめなんです。 自分の気持を支配する、これは高等動物の特権ですな。では失礼します、お役に立 0 て結構でし た。これはどうも恐縮です、お受けしましよう、お邪魔でなければ。あなたはすいぶん親切です な。ではひとつ、わたしの杯をあなたのそばに置きましよう。 そう、おっしやるとおり、あいつの無ロときたら、耳ががあんとなったみたいで、原始林にた しつよう ちこめた、重苦しい沈黙といったところですな。寡黙なあの男が文明諸国の言語に執拗に敵意を こ、 SJ 、つ・い一つ 9 示すのには、わたしもときどきびつくりするんですよ。アムステルダムのこのバ

7. 転落・追放と王国

106 どうもふせったままで恐縮です。大したことじゃありません。徴熱があるので、ジンを薬がわ りにしていますよ。一、うした発作は慣れつこなんです。たぶんわたしが法王だったころに感染し たマラリヤでしよう。いえ、半分はほんとうの話ですよ。あなたはこう考えているんでしよ、ち うそ ゃんとわかりますがね、 ^ こいつのしゃべることは、嘘かほんとうかどうもわからないとね。 といやまったくもっともな次第です。わたし自身でさえ : : : わたしの知合いで、人間を三種類に分 追類しているやつがいましたつけ。第一は嘘をつかざるを得ないくらいなら、隠しごとをいっさい 落持たないほうがいいと考えるやっ、次はなにも隠しごとがないよりも、嘘をつくほうがましだと 思うやっ、最後は嘘をつくのも、隠すのも両方好きなやつ。わたしがどの分類にいちばんあては まるか、それはお任せしますよ。 要するに、どうでもかまわないじゃありませんか ? 嘘だって結局は真実への道をめさしてい るわけでしよう ? 嘘にしろほんとうにしろ、わたしの話はすべて同じ目的に向い、同じ意味を 持っていないでしようか ? いすれにしても過去と現在のわたしについて深い意味があるとした ら、話の真偽など糞くらえです。ほんとうのことばかり言うやつより、かえって嘘つきのほうが くら しばしば正体をはっきり見せますからね。真実は光と同じで、目を眩ませる。逆に嘘のほうは美

8. 転落・追放と王国

264 家、家のなかにちらりと見えたキモノ姿。運転手は一人の日本人に話しかけた。相手はよごれた 作業服を着て、プラジル風の麦藁帽子をかぶっていた。それから車は動きだした。 「あと四十キロだと言った」 「あそこはどこだっけ、東京かな ? 」 「いや、レジストロ。この国の日本人はみんなあそこへ集まる」 「なせだ」 「わからない。でもやつらは黄色人種だからね。ダラストさん」 国 森は少し明るくなった。道は滑るが楽になった。車は砂の上を滑る。ドアから、湿って生あた と 追たかい、びりつとする風が入ってくる。 落「匂うね」と鼻をくんくんさせて運転手が言った。「海だ。もうじきイグアベだ」 「ガソリンは足りるな」とダラストが言った。 そしてまたしすかに眠りこんだ。 夜明けにダラストは寝台の上に坐り、今しがた目ざめた部屋の様子を、驚ぎの目で眺めた。大 壁は半分の高さまで、褐色の石灰で新しく塗り直されていた。もっと上の部分はすっと昔に白く 塗られたままで、黄ばんだかさぶたのくすが天井まで蔽っている。一列六つの寝台が、二列向き 合っている。ダラストは、自分の列の端の寝台が一つだけ乱れているのを見た。その寝床はから

9. 転落・追放と王国

している。奴らはこいつを奪い返そうとしていたのだ。明日じゅうにお前はこいつをタンギーに 連れていかねばならん。お前ほどの猛者なら、二十キロの道のりは何でもない。それで仕事は終 りだ。お前はまた自分の生徒に会えるし、結構な暮しがつづけられるというわけだ」 ひ・つめ 壁の後ろで、馬の荒い鼻息が聞え、蹄を踏み鳴らすのが聞えた。・ タリュは窓のそとを眺めてい た。天気はすっかりよくなった。雪の高原の上に陽の光がひろがっていた。雪がすっかり溶け や ると、ふたたび太陽が支配し、またしても石の野を灼くだろう。さらに、何日も何日も、変らぬ せぎりよう 空は、人間を想い起させる何ものもない寂のひろがりの上に、その乾いた光を浴びせるだろ 国 と 追 バルデュッシのほうに向き直って彼は言った、 「いったいあいつは何をしたんだ ? 」そして、 落憲兵が口を開くより先に、「フランス語をしゃべるのか ? 」とたすねた。 「いや、ひと言も。ひと月も前からあいつを探していたのに、仲間のやつらがかくまっていたの だ。あいつは従弟を殺したのさ」 「われわれに反抗してるのか ? 」 「わしはそうは思わん。でも結局のところはわかりつこない」 「なせ殺したんだ ? 」 「家のなかのごたごただろう。片つばが片つばに小麦か何か借りていたらしい。そこははっきり しない。要するに、あいつは鎌て従弟を斬り殺したというわけだ。ほら、羊みたいに、グイとば 204 かま

10. 転落・追放と王国

人のような気がしましたからね。 おやじ わたしは良家の生れですけど、有名な家柄ではありません ( 親父は軍人でした ) 。しかし、自 慢しゃなく白状すると、朝なんか、自分が王者の子であり、燃える孵兌こと ) であるような気が したものです。ですけどね、これは、誰よりも賢明であったという確信とは違いますよ。こんな 確信は、どんな馬鹿でも持っているつまらんものですからね。そうじゃなくて、言いにくいこと だけれど、恩恵に充たされていることからくる選民意識なんです。みんなのなかから、自分ひと 落りが選ばれて、つねに確実な成功を収めているという意識。つまり、これですよ、わたしのつつ ましさの実体は。こういった成功が才能だけに起因するとは思いませんが、一個人のなかにこれ ほどさまざまで極端な能力が結合されていることが、単に偶然の結果だとは信じられなかった。 だからこそわたしは、幸福に暮しながら、この幸福はなにかしら至上命令で認められているのだ 転と、ほんやり感じていたのです。わたしには宗教がないと言えば、この確信が異常なものだとい うことがよくおわかりでしよう。異常だろうとなかろうと、この確信があればこそ、わたしは久 ひしよう しいあいだ日常の歩みから飛躍していて、長年のあいだ、文字どおり飛翔していたようなもので いや、こい す。実は、今でも内心この時代がなっかしいんですよ。この飛翔は例の夜まで : つは別問題だし、どうでもいい。それに、どうも話が大けさになりましたね。さて、わたしが万 事につけて気楽だったのはほんとうですが、同時になにごとにも満足していなかったのです。な 引にかひとつの楽しみがあると、すぐ別の楽しみがほしくなる。そこで、歓楽から歓楽へと飛ひ移