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検索対象: 転落・追放と王国
150件見つかりました。

1. 転落・追放と王国

「ばかげたことをする」と憲兵はしすかに言 0 た。「わしだって、こんなことは好きじゃない・ 人間をふんじばるなんて仕事は、年期を積んだところで、誰も慣れるもんじゃない。むしろ恥ず かしくなる。だが、奴らおっ放しとくわけにはいかん」 「己はこいつを引渡したりなどしない」とダリュが繰返した。 「繰返して言うが、これは命令だ」 己は引渡したりしない」 「そうか。己の言った言葉を彼らに言ってやれ、 バルデ = ッシは明らかに想い悩んでいた。彼はアラビア人を眺めダリ = を眺めた。ようよう決 国 王心がついた。 「いや、わしは仲間に何も言うまい。お前がわれわれを裏切りたいのなら、勝手にしろ。わしは と 放密告はせん。わしは囚人を引渡すように命令を受けた、だからわしはそのとおりやる。さあこの 追紙に署名してくれ」 「むだだ。あんたがこいつを置いてったことを、己は否定はしない」 「わしに対して意地悪くするな。お前の言葉が正しいことは、わかっている。お前は土地の者だ し、一人前の男だ。とにかく署名がいる。それは規則だ」 かくびん ダリュは引出しをあけて、紫インクの小さな角瓶と、赤い色の木のペン軸と、書き方の手本を 書くのに使っていた、セルジャン・マジオール印のペン先とを、とり出して、署名した。憲兵は かばん 注意深く紙を折畳んで、鞄に入れた。それから戸口へ向った。 207

2. 転落・追放と王国

が、この満足が快楽のせいなのか成功のせいなのか、今ではもうわからない。また自慢話かとお っしやるかもしれない。それも否定しませんが、この点事実を自慢しても、得意がることにはな りません。 わたしの肉欲だけの話をすると、すべての場合、こいつはあまりにも烈しかったので、十分間 の情事のためでさえ、両親なんかどうでもいいといった気持になった、あとでひどく後悔するこ とになったとしても。いや、それどころじゃない、十分間の情事や、永続きしつこない情事だと 国いう確信がある場合は、なおさらそうでした。むろんこれでも原則はあった、たとえば友人の細 君は侵すべからすといったぐあいに ただ、そんな羽目に陥るときは、義理固く数日前に亭主と いや 追絶交する。こいつは肉欲と呼んではいけないのかもしれないですね。肉欲それ自体は厭らしいも 落のではないのですから。勝手を言わせてもらえば、こいつは欠点ですよ。一般の人とは違うもの を恋愛に見いだすという一種の先天的無能力で、この欠点がつまりは快適だったんですよ。忘却 という能力と結ひついて、こいつはわたしの自由に役立った。と同時に、この欠点がもたらすよ わがまま そよそしさとひどく我儘な素振りのおかけで、新しい成功の機会がめるというわけ。ロマンチ ックでないということが、かえってロマネスクなものを養い育てる栄養を与える。事実、女っ てものは、みんなが失敗したのに自分だけは成功したと思いこむナポレオンと共通点があります よ。 それに、こうした取引で、わたしは肉欲以外のもの、つまり遊び好ぎの気持を満足させました

3. 転落・追放と王国

説 にか「われわれ」にな 0 てしまい、彼の有罪性は、同時代人の有罪性となり、しまいには全人類 にその有罪性を認めさせることになる。これはカ、、、ユが他の作品や評論でもよくやる独得の内的 論理なのである。そこでクラマンスは、四回目に相手と会 0 たときにこんなふうに言っている。 「われわれはなんびとの無罪をも請け合えないのに、万人の有罪であることは確実に断言でき る。各人はすべて自分以外の者の罪を証言している。これがわたしの信念だし、ここにわたしの 希望があるんです。」 カミュは、グラマンスという人物を通して、彼自身について反省を加えながら、現代のプルジ ョアの、知識人たちの肖像を描いている。そして、他方、彼の『反抗的人間』に攻撃を加えた人 いっし たちに向って、一矢を報いているように思われる。一九五四年に書いた彼のノートの中に次のよ うな一節がある。「実存主義。彼らが自分を責めるときは、たしかに他の人々を打ち負かすため 解にそうするにちがいない。改悛した判事たち。」これはサルトルたちの『現代』誌に拠る知識人 たちのことを指しているのであろう。 クラマンスは、カ、、、ユ自身ではない。しかし、彼もまた現代に生きる人間として、歴史的状況 に押し流されて、楽園から遠いところに追いやられ、不可能とはわかっていても、純粋無垢な状 あこが 態に憧れて、どこかに真の自由と幸福を探し求め続けていたのである。 305 佐藤朔 むく

4. 転落・追放と王国

われわれは憐れみの情についてしゃべりまくって止まるところを知らないありさま。ただ人はも なぎがら う無罪放免をしなくなったんです。死んでしまった罪のない者の亡骸の上には、裁判官どもがう ようよしている。あらゆる種類の、キリストやらアンチキリストやらの裁判官どもです ( もっと マルコンフォール もこれは苦難部屋で仲直りした同類ですが ) 。というわけは、単にキリスト教徒を苦しめるだけ では足りないので、他の連中も引入れたからです。デカルトがこの町で身を寄せていた家の一つ 精神病院ですよ、そうです、どこもここも錯乱と迫 が、今どうなっているかごそんじですか ? 落害だらけです。われわれももちろんそれに加わらざるを得ない。お気づきにな 0 たはすですが、 わたしはなにひとっ容赦しません。そしてあなたはあなたで、同じように考えているということ はわかっています。とすればわれわれは皆裁判官というわけですから、おたがいに人の前では罪 」り・つけ 人ということになる。皆がけちなやりかたでキリストだ、つぎつぎと自分では知らすに磔刑にさ れているキリストだ、ということになります。少なくともこのわたし、ク . ラマンスなる男が、出 口を、唯一の解決策を、要するに真理を見いださなかったとしたら、われわれはひとり残らすそ うなっているでしよう : いや、もうよしましよう。ご心配無用 ! それに、もうお別れです、ここがわたしの家ですか ら。孤独な生活、それに疲労が加わる、すると、仕方ないじゃありませんか、えてして自分を予 言者などと思いたくなるものです。結局それがわたしの姿なんです。石と濃霧と腐り果てた水と のが の荒野に逃れた、凡庸な時代向きの、むなしい予言者、この黴の生えた扉にうしろ向きにびたり 103 かび

5. 転落・追放と王国

コッグはダラストに近寄って、その腕を握った。 「聞いてくれ、あんたの言うことが気に入った。私もあんたに話がしたい。たぶんあんたも気に 入るだろう」 コッグは、入口の近く、竹藪の足もとの、濡れた木のべンチへ彼を連れていった。 「沿岸の港々に給油するために、沿岸航海する小型の油送船に乗って、私はイグアベの沖の、海 に出ていた。船火事が起った。私の責任ではない、もちろん。私は自分の仕事はよく心得てるー しや、運が悪かったんだ。 : ホートを水に降ろすことができた。夜になって、海は波がでてきた。 王波はポートを傾かせた。私は沈んだ。浮ひあがったときポートに頭をぶつけた。漂流した。夜は ひとすじ とまっくらで、波が高かった。それに泳ぎが下手なので、こわかった。突然遠くに一条の光が見え 放た。イグアベのイエス様の教会のドームがわかった。そのとき私は、もし助けてもらえれば、五 追十キロの石を頭にのせて行列に出ると、イエス様に誓った。あんたは信じないだろうが、波はお さまり、心も落着いた。 私はしすかこ泳、 。、しだ。うれしかった。こうして私は海岸にたどりつし た。明日私は約東を果すのだ」 彼はにわかに疑い深い様子でダラストを眺めた。 「あんたは笑わないな ? 」 「笑わない。約東したことは守らなくちゃいけない」 相手は彼の肩を叩いた。 277 へた

6. 転落・追放と王国

に、その使用法を見つけねばならぬおびただしい暇を与えられた。こうして彼は絵画に出逢った のである。 生れてはじめて彼は思いがけぬしかも倦むことを知らぬ熱意を見いだした。やがてその日々は 画を描くことに献けられた。相変らす努力もせすにその練習に頭角をあらわした。他の何一つと して彼の関心を呼ふものはないかに見えた。適齢期に結婚できたのもやっとのことである。絵画 はすっかり彼をのみこんでしまったのだ。人生の通例の出来事、普通の存在に対して、彼は愛想 のが のいい微笑しかとっておかなかったが、その微笑によってそういう煩いから脱れていた。さて、 ート・ハイが事故を起した。その結 その友人を尻にのせてラトーがあまり乱暴に運転したので、オ 果、ヨナはとうとう右手を包帯に縛られて、退屈しながら、はじめてここに恋に心を向けること と 放ができたのだ。このときにもまた、彼は、この大事故のうちに自己の星の善いしるしを見たがっ 追た。事故がなかったら、ルイズ・プーランを眺める暇は得られなかったろう。彼女はそれに値し たのだ。 ところがラトーの意見によれば、ルイズは眺められるに値しなかった。自分自身小柄でがっし あり りしているのに、彼は丈の高い女しか好まなかった・「あんな蟻みたいな女のどこがいいのか、己 はだ にはわからぬ」と彼は言っていた。ルイズは事実小柄で肌も毛も目も黒かったが、姿がよくて可 、っそうこの蟻 愛い顔をしていた。大ぎくて頑丈なョナは、彼女が働き者であればあるだけに、し さんに惚れこんでしまった。ルイズの天職は活動性にあった。彼女のこの性向は、ヨナの惰性的 おれ

7. 転落・追放と王国

落 たしには単に、おもしろいにしろ、うるさいにしろ、遊ひみたいなものです。いや、ま 0 たく世 の中にはどうにも理解できない努力だの信念だのがありますな。金のために死んだり、 ^ 地位》 しようよう を失 0 たためにやけにな 0 たり、家族の幸福のために従容と身を犠牲にしたり、奇妙な連中がい あぎ ますよ。わたしはこういう連中を、いつも呆れかえ 0 て、ちょっとばかりいぶかしけに眺めてい ました。わたしの友人に、断乎禁煙を決心して、意志のカでそれに成功した男がありますが、こ のほうがわたしにはす 0 と納得がいきました。ある朝、一、の男は新聞をひらいて最初の水素爆弾 が爆発したという記事を読み、その物凄い効果を知ると、すぐさま煙草屋に飛びこみましたが ね。 むろんわたしたってときには人生をまじめにとるふりをしたこともあります。でもたちまちわ たしには、まじめさそれ自体のくだらなさが見えてしま 0 て、・そうなるとただもうできるだけ巧 転みに自分の役を演じつづけるだけですよ。役に立つ人間の役、利ロ者や品行の正しい者の役、市 、ま、一、のへん 民の役、憤慨したり、寛容になったり、仲間になったり、教訓的になったり : で打切りましよう。あなたにはもうおわかりでしようが、わたしはここにいながらしかもここに いないオランダ人同然でした。自分がいちばん場所を大きく占めているそのときに、わたしは、 だたというわけです。わたしが正真正銘真剣で夢中になったのは、スポーツをしたとき 不在こっミ と、軍隊時代に自分らで慰めに上演した芝居に出演したときだけですよ。どちらの場合にも遊び の規則があ 0 て、まじめではないものを、まじめにと 0 て楽しむわけです。今でも大入り満員で ものすご

8. 転落・追放と王国

トナーを愛したもんです。この遊びには少なくとも無 よ。女のなかにある、ある種の遊びのパ 邪気な味がある。わたしは退屈が我慢できないし、人生には慰めしか認めない。どんなに輝かし い社交界でもじきにやりきれなくなる。だのに気に入った女といると退屈したことがない。白状 しにくいことだけど、可愛い踊り子と最初のあいびきをするためなら、アインシュタインとの十 あいびきが十回目だったら、アインシュタインと会いたくなる 回の会議を棒に振ってもいい。 」第ノレ」ろ′ ささい し、猛然と本でも読みたくなる。つまり、大問題の心配は、些細な放蕩の合間にやるだけです。 歩道で友人と激論中、すごい美人が道を横切ると、たちまち推理の糸が怪しくなる、こんなこと はざらでしたよ。 だから、遊びをやっていたわけですよ。女たちは、男があんまり早く目的を達しないほうが好 きなのです。このことは知っていました。女の言草を借りれば、まず手はじめに会話や心づかい 転が必要なのだ。弁護士だから口先はお手のものだし、軍隊でかけだしの俳優のまねごとをしてた から目に物を言わせるのは得意ときている。しよっちゅう役は変っても、脚本は同じ。不可解な 魅力を持った番組をあけると、たとえば〈はくにはなんだかわからない何かが》とか、 < 理由はな うんぬん だ もの ・ : 》とかは、古臭い演し物なのにいつも いけど女に惚れたくない、恋愛には飽きたんだ、云々 : ぎぎめ 効果があったし、 ^ いままでどんな女性もこんなふしぎな幸福は与えてくれなかった、おそらく、 いやきっと永続きはしないだろうけど ( 用心しすぎるってことはないから ) 、この幸福はなにもの せりふ にも変えがたい〉なんてのもあった。とりわけ、短い台詞を変えて使ってみたら効果はつねに満 落

9. 転落・追放と王国

し、少なくとも無力だから。友情は、したいと思うことができない。ひょっとすると、つまり、 友情ってやつは、こうしたいと思う気持が足りないんじゃないのかな ? ひょっとすると、われ われは、人生の愛しかたが足りないんじゃないのかな ? われわれの感情を呼び醒ますものは、 死だけなんだと気づいたことがありますか ? 死に別れたばかりの友入を、われわれはどんなに 愛することか、ね、違いますか ? 口に泥をつめこまれて、もうしやべれなくなった先生たち さんじ を、われわれはどんなに尊敬することか ! そのときになって讃辞が、その先生たちがおそらく 一生期待していた讃辞が、きわめて自然に口をついて出てくる。でもね、なせわれわれがいつも 国 と死者に対して正当であり、寛大であるのか、おわかりですか ? 理由は簡単 ! 死者に対して 追 は、義務がないからですよ。死者はわれわれを解放してくれる、こちらは勝手気ままに時間を使 めかけ 落 一杯飲んだり、可愛らしい妾と会ったりする合間に、つまりひまなときに、讃辞を片づけて しまう。死者がなんらかの義務を負わせるとしたら、記憶に対してだけど、われわれの記憶力は しいや、友人のなかでわれわれが愛するのは、死んで間もない死者、停ましい死者のことで あり、自分の感動であり、つまりは自分自身なんですよー わたしの友人で、こちらからはしよっちゅう避けていた男がいました。いささか退屈で、教訓 じみたやつだったからです。しかし、心配ご無用、臨終のときは会いに行ってやりました。つまり 一日を無駄にしなかったわけです。友人はわたしの両手を握り、わたしに満足して死にました。 いつもわたしにうるさくつきまとっていながら、どうにもならなかった女が、うまく若死にしま

10. 転落・追放と王国

落 いや、話に夢中になりすぎました、弁護台に立っているみたいです ! 失礼しました。この町 を、そして事物の中心を、知っていただきたいというのが、わたしの習慣で、職業で、また欲望 でもあるのです。なせなら、われわれはいま事物の中心にいるのですから。同心円を描くアムス テルダムの運河が、地獄の輪にそっくりだということに、気づいておられますか ? むろん、悪 夢に充ちたプルジョアの地獄です。外部からきた人間が、この地獄の輪の中心に近づくにつれ て、人生と、従って人生の罪悪とは、 いっそう深く、暗くなります。現にわれわれのいるとこる は、最も中心の輪のなかなんですよ。この輪は : 。おや、ごそんじなんですね ? やれやれ、 ますます分類しにくくなりましたな、あなたという方は。それじゃおわかりでしよう、われわれ はず が大陸の端れにいるにもかかわらず、事物の中心はここなのだと言い得るわけが。感受性の強い かんいん 人なら、こういう奇怪な話を理解できます。いずれにしても、新聞の読者や姦淫常習者は、ここ すみずみ 転で行きどまりです。彼らはヨーロッパの隅々からやってきて、内海のほとりに、色あせた砂浜に 立ち止る。サイレンに耳をすまし、霧を透かしてむなしく船影を求め、やがてふたたび運河を渡 り、雨のなかを立ち去ってゆく。冷えきった身体で、彼らは「メキシコ・シティ ー」に現われて は、各国語でジンを注文する。わたしは、そこで彼らを待ちかまえているというわけです。 ではまた、明日お目にかかります。いや、帰り途ですか、もうおわかりになりますよ。その 橋のたもとでお別れします。夜は、決して橋を渡らないことにしているんです。これはある誓い の結果なんですがね。まあ考えてごらんなさい、誰かが身投けしたとする。採る道はニつに一 からだ みち