ーは畑の中に入っていく鰭のように手を拡げ、からだを濡らす、雨粒は光る鱗だ。 僕はドアを開けた。 風は地面全体が震えて音を出しているように鳴っている。がラスを通さすに見るトマトは赤で はなかった。陽が沈む時、一部の雲が帯びる独特のあのオレンジ色に近かった。真空のガラス箱 を走る、目を閉じても網膜に焼きつく白っぱいオレンジ色。 ーの後を追う。腕に触れるトマトの葉にはうっすらと毛が生えている。 ーがトマトをちぎる。ねえ、 ) ュウ、はら電球そっくりね、光ってるもの。僕は駆け寄り、 取り上げて空へ投げる。 丿丿ー伏せろよ、あれは爆弾だぞ、伏せろよ。 リリーは大声で笑い地面に一一人で倒れる。 海に潜ったみたい、 恐いくらい静かね。リュウ、あなたの息が聞こえるわよ、あたしのも。 プ ここから見上げるトマトもひっそりと呼吸している。僕達の息と混じり合い、茎の間を霧のよ 近 町うに移動していく。水を溜めた黒い土の中には、肌を刺す草の破片と休息している何万匹の小さ 透 な虫がいる。彼らの息遣いが地中深くからここまで届く。 あれ見て、きっと学校よ、プールが見えるわ。 限 灰色の建物は音と水分を吸い込んで僕達を引き寄せる。暗い中に浮かぶ校舎は、長い洞窟の果 てに見える金色の出口のようだ。泥で重くなった体を引き摺って、熟れ過ぎて落ちたトマトを踏 ひれ
る。胸に焦げ臭い匂いが詰まる。 雨が肌を刺す。冷蔵庫に凍りついて吊られ、皮を剥がれたあげく尖った鉄棒で突かれるように、 雨が肌を刺す。 ) 丿ーは地面の上で何か捜している。戦場で眼鏡を失くした近視の兵士のように、狂ったよう に捜し回っている。 何を捜しているのだろうか。 厚く垂れた雲、途切れることなく落ちてくる雨、虫達が休む草、灰色の基地全体、基地を映す 濡れた道路、そして波のように揺れている空気、巨大な炎を吐く飛行機がそれら全てを支配して つくりと滑走路を滑り始めた。地面が震えている。銀色の巨大な金属は徐々にスピードを増 す。ピッチの高い音で空気が燃えているように感しる。僕達のすぐ前で胴体の脇に付いたさらに 巨大な四機の筒が青い炎を吐いた。重油の匂いと共に突風が僕を吹き飛ばす。 顔が歪み、地面に叩きつけられる。霞んだ目で僕は必死で見ようとする。飛行機は白い腹が浮 いたかと田 5 うと、あっという間に雲の中に吸い込まれた。 ーが僕を見ている。歯の間に白い泡を溜めて、ロの中を噛んだらしく血が流れている。 わえリュウ、都市はどうなったの ?
飛行機は空中に静止しているように見えた。 トの天井から、ワイヤーで下げられた玩具のように、あの時、飛行機は止まっているよ うに見えた。恐ろしい勢いで離れていくのは僕達の方だと思った。僕の足元から拡がる地面や草 や線路の方が、下の方へ落ちていったのだと思った。 ねえ、あなたの都市はどうなったの ? ーは道路に印向けに寝そべりそう聞く。 ポケットから口紅を取り出し、着ている服を破って、からだに塗り始める。笑いながら腹や胸 や首に赤い線を描く。 僕は何もないただ重油の匂いだけが充ちた頭の中に気付く。都市なんかどこにもない 祭で踊り狂うアフリカの女みたいに口紅で顔に模様を描いたリリー ねえ、 ) ュウ、あたしを殺してよ。何か変なのよ、あなたに殺して欲しいのよ。 目に涙を溜めてー ) 丿ーが叫ぶ。僕達は放り出された。鉄条網にからだをぶつける。肩の肉に針 とただそ が食い込む。僕はからだに穴をあけたいと思っている。重油の匂いから解放されたい、 れだけを田 5 っている。そのことだけを考え続け周囲が全くわからなくなる。地面を這ってリ 限 が僕を呼ぶ。足をなげだし裸で地面に赤く縛られ、殺してくれと言い続けている。僕はリ 近づし 、こ。リリーは激しく身を震わせながら声をあげて泣き出す。
の時、湿ったべンチに震えながらしがみついて自分に言い聞かせた。 いいかよく見ろ、まだ世界は俺の下にあるしゃないか。この地面の上に俺はいて、同し地面の 上には木や草や砂糖を巣へ運ぶ蟻や、転がるポールを追う女の子や、駆けていく子大がいる。 この地面は無数の家々と山と河と海を経て、あらゆる場所に通じている。その上に俺はいる。 恐がるな世界はまだ俺の下にあるんだぞ。 「その小説読んでリュウのこと考えたわ。あたしリュウもこれからどうするんだろうって考えた わ、その男のことはわからないのよ。だってまだ全部読んでないんだもの」 小さい頃走って転んだりすると、ヒリヒリする擦り傷ができて、その傷一面に強い匂いの染み 一る薬を塗ってもらうのが好きだった。こすれて血の滲んだ傷口には必す土や泥や草の汁やつぶれ カた虫がこびりついて、泡と共に染みる薬の痛さが好きだった。遊び終わって沈んでいく太陽を見 近ながら、顔をしかめて傷口にフーフー息を吹きかけていると、夕方の灰色の景色と自分が許し ヘロインと粘液で女と溶け合うのとは反対に、痛みによって 明合っているような安心感を覚えた。 周囲から際立ち、痛みによって自分が輝くように感した。そういう輝く自分は沈んでいく美しい オレンジの光とも仲良くできるのだと思った。あの時、僕の部屋でそのことを思い出した僕は、 我慢できない寒気を何とかしようとして、死んで絨毯に転がる蛾の羽を口の中に入れた。蛾は表 面が硬張り、腹からは緑色の汁が出て少し固まっていた。金色の鱗粉が指紋に沿って光り、目は
前の方の座席の連中は手を叩きながらロをあけて踊っている。音は会場全体に渦を巻いて空へ しく。ギターの男が右手を振り降ろすごとに耳がビリビリ震える。音はバラバラだが分厚 昇って、 く束になって地面を横切る。扇状の会場、ステージから最も遠い外周を僕は歩いている。夏一斉 くりだと思いながら。最後列の座席に沿って歩く。白い息で濁ったポ に嬋が鳴く午前中の林そっ ンドのナイロン袋を振って、ロを大きく開けて笑っている女の肩に腕を回し、ジミ・ クスを染め抜いたシャツを着て、地面をいろいろな履き物が鳴らす。革の草履、革紐で足首を ぐるぐる巻きつけたサンダル、拍車の付いた銀色のビニールプーツ、裸足、エナメルのハイヒー ハスケットシューズ、さまざまな色の口紅がマニキュアがアイシャドウが髪の毛が頬紅が 音に合わせて揺れ、巨大な一つのざわめきを作る。ビールが泡を吹いてこばれ、コーラの瓶が割 れる、ひっきりなしに煙草の煙が昇り、額にダイヤモンドを埋めた外人の女の首を汗が流れ、髭 の男が巻いていた青いスカーフを振って、椅子に立ち上がり肩を震わせる。帽子に羽を刺した女 が唾を吐く、女は縁が金色のサングラスをかけ大きく唇を開き、ロの中の頬の裏側の肉を歯で噛 んでいる。手は後ろに組み尻を振る。汚れた長いスカートが波のように揺れる。空気の震動を一 身に集めて反り返りまた前へのめる。 「おいリュウ、リュウしゃないか」 通路の隅の水飲み場の側で地面に黒いフェルトを敷き、手製の彫金細工や動物の牙や骨を下げ
からはまだあの匂いがっている。 僕は地面にしやがみ、島を待った。 鳥が舞い降りてきて、暖い光がここまで届けば、長く延びた僕の影が灰色の鳥と。ハイナップル を包むだろう。
102 ここからは鳥の目が見えない。僕は円い縁どりだけの鳥の目が好きだ。頭に冠のような赤い羽 をもっ灰色の鳥。 僕はまだ捨てていないハイナップルを島にやろうと考えた。 雲が東の方で切れて光が差してくる。空気は光に触れると白く濁る。一階のべランダの戸がが ラがラと開くと、鳥はすぐに飛び立った。 部屋に戻りパイナップルを持ってくる。 「あの、これ島にやろうと思うんだけど」 顔を出した優しそうな夫人にそう言うと、ポプラの根元を指差し、あそこに置いとくとよく突 つくわよ、と教えてくれた。 放り投げた。ハイナップルは地面に落ちて潰れ形がくすれたが、それでもゆっ くりと転がってポ プラの脇に止まった。ヾ ノイナップルが地面に落ちた音は、きのうのトイレでの私刑を思い出させ る。 アメリカ人の夫人はプードルを連れて散歩に出ようとしている。パイナップルを見て眩しいの か手を目の上にかざして僕を見上げ、鳥が喜ぶと思うわ、とうなすいて笑った。
見ている一人の女の子がいる。赤い帽子を被って、追い越していく友達に肩を押されながら僕達 を見ている。先生に頭を押されて硫てて歩き出した。白いリュックを揺らして列に戻ろうと走 る。見えなくなるまでに一回だけまた振り向いて僕達を見た。 修学旅行かなあ、と呟くと、小学生が修学旅行するかよ、とメイルがガムを吐き捨てて笑う。 「おいメイル うさぎはどうしたんだ ? 」 「うさぎか、しばらく飼ってたけどな、何かいやだろう思い出してさ、もらってくれる人もいな 「俺、飼ってみようかなあ」 「何だ、もう遅いよ、俺、食ったんだ」 「食った ? 」 「いや近所の肉屋に頼んでさ、子供のうさぎって、肉これくらいしかないんだぜ。ケチャップか 用けてさ、ちょっと硬かったよ」 透 「食ったのか、そうか」 巨大なスピーカーからの立日はステージで動いている連中とは関係ないように聞こえる。 限 この地面の上に初めから音があって、それに合わせて化粧した猿が踊っているように見える。 汗だくのモコがやって来て、メイルの方をちょっと見て抱きついてくる。
み潰しながら僕達は畑を横断する。 校舎の屋根の下に入り、雨と風を避けると、空に浮いた飛行船の影に包まれているような感じ がした。静かすぎて寒気が襲ってきた。 広いグラウンドの端にプールがありそのまわりには花が植えられている。腐乱死体に吹き出た 発疹のように、増え続ける ~ 嵒細胞の血漿のように、花は咲いている。白い布のように揺れる壁を 背景に、地面に散ったり急に風で舞い上がったりして。 あたし寒いわ、死人になったみたい。 ーは震えて車に戻ろうと僕を引っ張る。窓から見る教室は僕達の消去を準備しているよう リリーは静けさから 規則正しく並んでいる机と椅子は、無名戦士の共同墓地を思わせる。 かれよ、つとしている。 ーが叫んでいる。 僕はグラウンドの対角線を全力で走り出した。後ろでリ 戻って来てお願いだから、行っちゃだめよ。 僕はプールを囲む金網に辿り着き、上ばり始める。見降ろす水面は、波と波紋が交錯し、ちょ うど番組が全て終了した後のテレビそっくりに、雷を反射して光り輝いている。 あなた何やってるのかわかってるの ? 戻ってらっしゃいよ、死ぬわよ、死んじゃうわよ。 ーがグラウンドの真ん中で叫ぶ。 体を両手で包み込み、足を捩るように交差させてリ
きっと地中に潜っているのよ、大きなトンネルよ、ここはきっと、星も見えないし地下水が落 ちてくるもの。冷んやりして、何かの裂け目よ、知らない生き物ばかりじゃないの。 無茶苦茶な蛇行と急停止をくり返し、どこを走っているのか一一人共全然わからない。 リリーは車を止めた。 ライトで全体を浮かび上がらせ、音をたててえている変電所の前で 太いコイルが渦を巻き張り巡らされた金網。切り立っ崖のような鉄塔を眺める。 きっとここ裁判所よ、 丿丿ーはそう一言って笑い始め、灯りに照らされて拡がった変電所を囲む 畑を見回す。風に揺れるトマト畑。 まるで海だわ。 トマトは雨に濡れて暗闇の中で唯一赤い。クリスマスに樅の木や窓辺に飾られる小さな電球の ように、トマトは点滅している。火花を散らしながら揺れる無数の赤い実は、まるで暗い深海に プ 泳ぐ発光する牙を持っ魚のようだ。 近 堋「あれ何なの ? 」 透 「トマトだろう、トマトには見えないなあ」 「まるで海だわ、行ったことのない外国の海よ。何か浮いてるのよ、その海に」 限 「きっと機雷さ、入っちゃいけないんだ、守ってるんだ。あれに触ると爆発して死んじゃうよ、 海を守ってるんだ」