、い 心なんて 紙キレみたいに 破り捨てて 平気な人だった ! ほかの人にも 心かあることなんて 認めてなかった ・ : あの人は ひどい人だった : 心なんて 275
などと言うのである。 しかしその実、彼女はさんのことを熱愛しており、おまじないブックかなにかで読ん だ枕の下に彼の名前を百回書いた紙を人れて眠っていたり、ライバル封じのおまじないと して、私の名前を口紅で手鏡に書いて割ったり、いろいろ画策しているのである。 この人は、私がテストの当日、 「勉強した ? 」 ときいたら、 「昨日は『ザ・ベストテン』を見ちゃって全然、勉強できなかったのよ」 と言ったあの人と同種類の人なのである。 私はまぬけなので、勉強していないという彼女の発言をまにうけるのだが、いつも私だ けが赤点を取る。 ここでは << さんのことも彼女に相談したりなんかして、私はあとで自分の他人を疑わな い純真さに涙することになる。 もちろん、私は負ける。私はおまじないもしなかったし、情報は流しつばなしだったの だから。ひとっ慰めがあるとしたら、この「いい人ぶりたい人」に友情はなかった、とい うことである。私たちはクラスが同じ、あるいは職場で一緒、帰る方向が同じという、単 純接触による親しさが増した「知り合い」だったのであって、心の一部が触れ合って「友 人」になったわけではなかったのだから。 私も昔はその「単純接触が多かった人」を「友人」だと勘違いしていろいろ失敗をした。 297
・エッセイ 「恋」と「友情」についての一考察 「恋」と「友情」はどっちが大切か。 あるいは女 ( 男がからんだ場合の ) に「友情」はあるか。 これはもう人生の大命題であるらしく、女性誌でも時々、特集があるし、読者投稿欄で もしよっちゅう手紙を見かけるし、なんたって白樺派・武者小路実篤だって、高踏派・夏 目漱石だって論じている。 私はこの『麒麟館グラフィティー』を読んでいるあいだ中、武者小路のように「友情」 というものを考えていた。 恋がからんだ友情の中で一番、扱いにくいのは登場人物に「いい人ぶる人」がでてきた ときである。男の前でいい人ぶりたいのはわかるとしても、そういう人は女の前でもいし 人ぶりたいので ( というより、どうもいい人ぶらないと自分のアイデンティティーという ものが崩壊すると感じるらしいと私は推察する ) 、例えば私がその人に、 「あなたくんが好きでしょ ? 」 とかまをかけたりすると、彼女はあわてて首をふり、 「ううん。ちょっとあこがれていただけ ( あるいは尊敬しているだけ ) 」 などと言い、小首をかしげて、 「うーん。だけどあなたとさんとはお似合いよ。私、応援するわ」 島村洋子 9
: も、つ 人なんか 信じられん それじゃまるで いままで人を 信じたことが あるみたいな 言い方じゃない なんだとに 人なんか 信じたことない 人間のくせに
崟一第 菊子さんは 強かったら 最初から 宇佐美さんとは 結婚してなかった は、す . だろ - っし 純粋で やさしいけど そりや 強くてやさしい人なら一 - 問題ないけど やさしすぎて くなれない人も いるでしょ 9 ・ なんですよ それを 弱いって言えば それつきりだけど その弱さを 責めることなんて 僕にはできないんです 菊子さんの 弱さは いつだって 人を てこから 出てるんです
私だけが親しいと思っていて、私だけが悩みを打ち明けていたんだなあ、向こうは何ひ とっ私には知らせずにほくそ笑んでいたというのに。 しかし、神さまはこのばかものの方がかわいいと思っているのに決まっている。 要領のいいことがすなわち、幸福への近道、というわけではないのだから。 『麒麟館グラフィティー』のすごいところは本当の善人はでてきても、「善人ぶる人」が でてこないところである。そして、いわゆる悪人も「自分が悪人である」という認識を持 っているし悪いことをした人は「悪いことをしてしまった」と自覚しているところである。 自覚がある悪人はっきつめてみると、悪人ではない。 「悪いことをしてしまった」と思った瞬間、それは善へと昇華しているのだから。 「恋」と「友情」の物語でよくあるのは、最初に「友情」があって、そこに「恋」がカか わってくる、というものである。 しかしこの『麒麟館グラフィティ 1 』では、「恋」がはじめにあるのである。 中心になる女性ふたり ( つまり妙と菊子 ) は、お互いを認識するまでに、ひとりの男 ( っ まり秀次 ) に恋をしていた。 どうびようあいあわ どちらもその男とは、対自分との関係がうまくいっていなかったから、「同病相哀れむ」 という形で親しくなったというわけでもない 菊子は妙のことを頼もしい人だ、すてきた、と思っているし、妙も菊子の純粋さが美し いと思っている。つまりお互い、相手の中に「その人ならではの価値」というものを認め、 そして愛しているのである。
いつも つらかった 私が泣いて 叫ぶ声なんか 聞こえない あの人の 怒声 なにを言ってるのか すら聞こうとしない あの人の 怒り : 0 ' 立スをゞ 殴りとばし 謝らせ それでも 止まらない 菊子 276
絶対 宇佐美よ ! こ捨アわ とてパざ はて一わ あトざ つの つの て道 でも : 買って行ったのは みんな 女の人だったって」一 - お店の人が ここに菊子が いるのを 知ってるって ことだもん 証拠が ないんじゃ : そんなの そのへんの だれかに頼みや ル」、フにでも なるじゃな、 736
スローステップ全 4 巻陽あたり良好 ! 全 3 巻 美少女エース・中里美夏と 3 人の恋する男たち。 かすみ、勇作、伸、高志、誠。思舂期の少女 マウンドとリングをさわやかな風か吹き抜ける ! 一人と少年四人。ひだまり下宿館の恋と友情ー さわやかな 青春コメテン一 あだち充 小学館文庫で読むリあだち大ル全巻絶賛発売中 /. 工ッセイ : ①剣幸 ②佐々木守 ③園岡新太郎 ④山崎哲 青学園 グラフィティー 物あたり良好 ! 工ッセイ : ①森田正光 ②久保田千太郎 ③荻野目洋子
女同士、相手の中に「その人ならではの価値」を見つけ、それを何より大切に思ったら、 その友情はより長続きすると私は思うが、いかがだろう。 女を殴る男、というのについてはここでは書かない 夫に殴られて片方の聴力を失った妻、というのに知り合いがあるからでもあるが、そん か なのと暮らすくらいだったら私は、やたら人に咬みつく犬と暮らした方がましだと思って いる。しかし暴力をふるうほどのエネルギーで人と接することができるだけましだ、とい う気もしている。 怒りもしない、泣きもしない、笑いもしない、ただパソコンのディスプレイに向かって 無表情で過ごしている男、というよりは、コミュニケートのしかいかあるとも思う。 よい男と幸福な結婚生活を送る確率と、一生つきあえる大切な女友だちを得る確率とは、 どちらが高いのだろう。 どちらもただの運ではなく、かなりの努力が必要なことは確かである。 なぐ 島村洋子作家。大阪府生まれ。帝塚山学院短大卒。証券会社勤務を経て、 五年、「独楽」でコバルト・ノベル大賞を受賞し作家テピュー。主 著に「ひみつの花園」「好きで、たまらない」「ポルノ」ほかの作品 がある。趣味は、華道、天体観測 9 一