おとな - みる会図書館


検索対象: <つきあい>の心理学
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1. <つきあい>の心理学

現実的状況判断 = おとな心、自由・従順 = こども心 次に、おとな心とは何か。 現実をよく観察して、いっていいことわるいこと、してよいことわるいことを判断する心で ある。幼児でもおとな心をもっている。人の顔色を見て動く幼児がそれである。小学生で教師 がいないと知ると掃除をさばる子がいる。おとな心を発動しているのである。しかしおとな心 とはずる賢い心だけではない。 泥棒が入ったと知るや一一〇番する。あれもおとな心である。葬儀の最中にくしやみが出そ うになってもがまんする。くしやみをしてもよい状況ではないとおとな心が判断するからであ る。ショッピングのときに、値段を比較し、商品の説明をきいてから買うのもおとな心であ る。 要するに、おとな心とは損得計算、状況判断、情報収集、現実性である。これは幼少期以 来、人に教えられたり、体験的に自ら育てたりしたものである。箱入り娘は人に教えられなか ったのでおとな心が乏しい。それゆえひとりでショッピングもできず、自力で配偶者の選択も できない。 しかし、おとな心しか発揮できない人はあまりにも現実的すぎて、精神的崇高性 ( 損得を越

2. <つきあい>の心理学

体験の場をつくらなければ集団生活を知りえない時代である。 グループに参加すれば父母との結びつきも徐々に弱まってくる。そして一人前になりやす グループにはひとつの教育機能があるからである。そしてグループの教育機能を意図的に 促進させる方法がグループワーグ、グループ・エンカウンター、集団学習、集団カウンセリン グ、学級会などである。 グループに参加することによって徐々に父母定着から解放されるといったが、解放されてど うなるのか。仲間とギブ・アンド・ティグ ( やりとり ) の関係を練習するようになる。おとな と子どものちがいは、。 キプ・アンド・ティクができるかどうかである。父母定着のつよい人間 はおとなになっても、人にしてもらうことばかり期待するから、仲間の世界に入りづらくな る。 おとなでも人とギブ・アンド・ティクができない人は、中一か中二に戻ったつもりで、もう 一度人の中に入るとよい。酒飲み、ゴルフ、マージャン、雑談、旅行 : : : なんでもよい。同世 代の人たちにまじりながら、おとなのつきあいとはどんなものかを体験学習するのである。意 外にこういうおとなが多いものである。 ある三十五歳の男性がそうであった。大学卒の公務員であるが、嫁さんがいない。何回見合

3. <つきあい>の心理学

ところが支持してくれると思ったが支持してくれず、よろこんでくれると思った父親がよ ろこんでくれないことがある。かみあわないのである。かみあうためには相手の心情 ( 期待 ) を感じとる敏感性が必要である。そのために、つきあいの場合には、少し頭を使って考える必 要がある。ふれあいの場合には、考える必要はないが、感じとる ( 以心伝心 ) 必要がある。 これのできない人を、本章ではワンパターン人間ということにする。俗にいう融通の利かな い人間である。例にあげたにせよ父親にせよ、それこそ根はいい人であるかもしれないが、 表現が不適切なのである。 なぜ不適切なワンパターンの反応を示すのか。自分の本当の気持に気づかないからである。 ではどうしたら気づくことができるか。それが本章の主題である。 1 ーー・親心・おとな心・子ども心 やさしさ十きびしさ = 親心 本当の自分の気持を発見する手がかりは、自分は今、親心・おとな心・子ども心のうち、ど の心が主になっているかと内省することである。もし、子ども心が今の瞬間自分を支配してい 133 ワンパターンの打破

4. <つきあい>の心理学

なぜ人の気に入られようとするのか。人に好かれないと自力では生きていけないと思い込ん でいるからである。思い込んでいるだけである。実際は自力で生きていけるのである。たしか に子どもは自力で生きられない。親に見捨てられては生きていけない。それゆえ親の愛をつな ぎとめるために、親の気に入られようとする。「よい子」は、その例である。 おとなは少し事情がちがってくる。子どもとちがっておとなは、人に見捨てられても生きる のに困らない。自力で苦境を乗り越えることができる。 できないと信じ込んでいるとすれば、それは幼少期の条件づけの結果である。けっして現在 の事実ではない。むかしがそうだったから現在もそうであろう、そうであるにちがいない、と 思っているだけである。 「人に好かれねばならぬ」というビリーフの第二のおかしさは、人間がいつでもどこでも誰か らでも好かれることは不可能だからである。人気俳優ですらすべての人に好かれているわけで討 また、世界中どこに行っても好かれている再 もないし、いつまでも好かれているわけではない。 学 わけではない。 生 ありえないことを求めるのは、木によって魚を求める愚である。たしかに人に好かれること 人 しかし「人に好かれねばならぬ」とカむほどのことではな は心地よいことはまちがいない。

5. <つきあい>の心理学

むこともある。義と愛とどちらが大事かとイエスに問うた人間がいるが、私は道徳律の奴隷に なるのと、ふれあいのある不良教師になるのとどちらが大事かと問いたい。私の答えは後者を とれである。 あやまちをおかさないカタブツになるよりは、あやまちをおかしてもよいから人とふれあい のもてる人間であれといいたいのである。 自分が目分の主人公になる げだっ ではどうすれば融通の利かない道徳家の心境から解脱できるか。 自分は今やおとなである、ということを絶えず自分にいいきかせることである。おとなであ るから子どものように人に気がねすることはない。責任さえ甘受する覚悟であれば、自分のし たいようにすればよい。子どもは責任を廿受する能力がないから、親の与えた道徳律の奴隷に 解 の ならざるをえないのである。 ら 融通の利かない道徳家の心境から解脱する第二の方法は、それをなしとげた人を模倣するこ とである。詩人、文学者、俳優、僧侶、サイコセラビストなど誰でもよい。その人たちの思想過 と行動をつぶさに模倣することである。私が学生たちに今東光『極道辻説法』 ( 集英社 ) をすす

6. <つきあい>の心理学

としたら、鬼に金棒である。 ところがおとな心も出せず、親心も出せず、ただ出せるのは子ども心だけというワンパター ン人間もいる。詩人がその一例である。あそび好きの人間もそうである。金と女にだらしない 人間もそうである。ただし、これは子ども心のなかでも「自由な子ども心」を出す場合であ る。 「よい子」の子ども心 ( 従順・素直 ) しか出せない人間は、人に服従することしかしないから、 人に支配・利用されるばかりである。自分の心を誰も考慮してくれない。本人がいつもイエス というものだから、まわりの人間もそれを当然の如く思い、わがままに振舞う。そのしわよせ を全部自分が引きうけるハメにおちこむ。支配ー服従というつきあいはあるが、ふれあいはな 相手の期待を把握する こういうわけで、親心・おとな心・子ども心というものは、結局、状況に応じて自由に出し 入れするのでなければ、親友ができないことになる。この場合、自由に出し入れするには何が 必要か。現実の状況を的確に把握することである。的確に把握しないと三つの心のなかのどれ

7. <つきあい>の心理学

なぜ、人の欲求を絶えず満たすことはむつかしいのか。相手がどんな欲求をもっているかの 推察が当たらないことがあるからである。当の本人自身、自分が何を願っているのかわからな いことがある。仮に相手の欲求がよみとれたとしても、それを満たしてやれないことがある。 時間がない、金がない、体力がない、心配ごとがある、立場上できない、他の誰かに気がねし て、などがその例である。 つきつめていえば、相互に愛がないままに人生のある瞬間を共有せざるをえないことがあ る。砂を噛む思いに堪えねばならないことがある。煮え湯を呑まなければならぬことがある。 しかし、それでもおとなは生きる力をもっている。 にもかかわらず、人に拒否されたら自分の人生は台なしである、まっ暗である、生きる価値 へ がない、生きられない、などと落ち込むのはなぜか。思うに幼少期の体験から脱脚していない あ からである。肉体はおとなになったが、心理的には幼少期にとどまっているからである。幼少れ ら 期の条件づけを今でも引きずって歩いているからである。 要約するとこうなる。人との出会い、人との心のふれあいの原理は二つに集約される。 あ 「自分のホンネに気づけ」 っ 「気づいたらそれを表現せよ」

8. <つきあい>の心理学

三つの心の出し入れ 要はこの三つの心を状況に応じて自由に出し入れできることである。ワンパターンからの脱 脚とは、このことである。 たとえば親心ばかり出して、おとな心と子ども心を出さないパターンの人は、人からは「親 切で面倒見はよいが、こわい親方」と評される。しかし本人はおとな心 ( 現実性 ) が足りない ので、いつも損をしたりだまされたりして、清貧に甘んじざるをえないはめに追いこまれる。 その上、子ども心が少ないので、人とふざけるとか冗談をいうとかのゆとりがない。 親心が豊かだから弟子や部下が敬服はしてくれるが、冗談をいったりあそびに誘ってくれた りはしない。結局孤高を守らざるをえなくなる。まわりの人間にすれば、つきあいもふれあい ももちにくい人間ということになる。弟子や部下や同僚が親心を求めているときに親心で対応 をすればよいのだが、いつも親心でしか人に接しないから、親切なわりには人に好かれないと い、つことになる。 たとえば学校の教師を妻に持っ亭主がいる。彼がいうのに、どうしても女房の一点が好きに なれない。「お風呂わかして ! 」「お掃除して ! 」といってくれたらよいのだが「お風呂わかし ましようね」「お掃除しましようね」というのが気に食わんというのである。これは学校で生

9. <つきあい>の心理学

もよい。同世代の仲間の文化からみれば、異質な子どもに映るからである。 こういう子どもは、おとなになって結婚してもやはり母を求め、母が唯一の憩いになる。そ れゆえ妻から見れば「大きな子ども」である。依存の対象になる夫ではない。妻が心理的にお となであれば、夫に対して母の役割を演ずるから、夫は妻にも母を求めるようになる。こうし てこの男は人生で心のふれあう仲間をもたない不幸を味わうことになる。母や妻にべったりの 男である。 母にべったりの青年はガールフレンドができない。ほしいくせにできない。それはガールフ レンドをもっことに罪障感 ( 罪意識 ) をもっからである。つまり、母を捨てる申しわけなさで ある。この申しわけなさが邪魔して、ガールフレンドに自分の心を与えることができないので ある。 カールフレンドがほしいくせにあるていど以上は進まない。 ある性交不能の青年がいた。・ 「この青年は私には気がない」と女性は誤解して去っていく。彼は女性に対して性感情をもっ たとたん、母の顔が心に浮かぶという。こんなこと ( 性行為 ) をしては母に申しわけないと思 うから、体のほうが動かないのである。彼は自分の問題をひとことでいえば「成長したくな い、おとなになりたくない」ということだとしめくくった。私は百パーセントこのまとめ方に 182

10. <つきあい>の心理学

徒に何かさせるときのいい方である。つまり親心に基づくいい方である。亭主はいかにも自分 が生徒扱いされている感じがして、おもしろくないのである。 このように、親心しか出せないワンパターンも困るが、親心を出さないワンパターンも困 る。上司のなかには自分の部下の功績をわがもの顔に語る人がいる。部下に花をもたせないの は親心が足りない、部下がなついてこないのは当然である。授業中騒がしくてもこれを制止で きない教師も親心が欠如している。それゆえ生徒になめられるのである。 ところが一方では、人をいたわるとか、人に注意・訓戒するなどの親心は乏しいが、損得に 関しては動きの速い人間がいる。無駄使いもせず ( 自由放棄 ) 、冗談もいわず、人と酒を飲むこ ともたいして楽しまない人間がそれである。つまりおとな心がずばぬけて大きい人である。俗 に目から鼻にぬける人物といわれている。 これは人が警戒する。下手すると利用されるのではないか、だまされるのではないかと、心 したがって親友ができない。はげしい商売の世界を生きぬくことはできるが、ふ を許さない。 れあいとは縁遠い人物である。 あねごはだ し力し、いたわる心 ( 親心 ) の出せる人間がおとな心も豊富にもっていると〃姉御肌〃にな る。これは人がよりついてくる。そしてふれあいがおこってくる。しかも、子ども心も出せる 139 ワンパターンの打破