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検索対象: <自己発見>の心理学
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1. <自己発見>の心理学

てあるにこしたことはない」という類のものてある。 イラショナル・ビリーフを修正する場合の第二のチェックポイントは「てある」てある。 「 : : : てある」と断定的な文章記述がある場合には、次のようなことを考えるとよい 第一は拡大解釈の度がすぎていないか、てある。アメリカのある大学に留学した人が「ア メリカの大学はだめてある」と言ったとする。たまたま自分のいた大学がだめだったから といって、アメリカの大学のすべてがだめのような言い方をするのは事実に則していない。 それゆえこう言った方がよい。「私が在学していた大学はだめてした。だからといってアメ リカの大学すべてがだめてあるといっているわけてはありません」と。 「私は語学が不得意てある」という表現も拡大解釈のしすぎてある。「今のところ私は語学 が不得意てす。だからといって今後永遠に不得意だというわけてはありません」と。 このあたりの感覚は統計学のアイデアを模倣するとよい。統計学ては「知能の高い者は 学力も高い」と断定しない。 知能の高い者は学力も高い場合が多いが、そうてない場合も 何パーセントくらいはありうる、といった具合に確率が高いだナ 。てあるといったような慎 重な言い方 ( 事実に則した考え方 ) を持っている。 「てある」に注意した方がよい第二のことは、解釈にすぎないものを事実のごとくに記述 する危険性てある。 人生哲学

2. <自己発見>の心理学

存在するのは五感て認識てきる経験の世界てあると主張する。神か無か経験か、どれが本 当か。誰も知らない。 こう考えると哲学というのは頼りないものてある。ところが頼りないものてはあるが、 それを自分なりに定めておかないと、ものも言えす行為もえらべないのてある。 たとえば私は筑波大学に転ずるまて一一十数年、東京理科大学て教育心理学を担当してい た。そして私の教育心理学はカウンセリングとかハプリック・スピーチとかリーダーシッ プ、あるいはリサーチの方法とか学習指導の原理や技法など、きわめてプラクティカルて あった。それは教師志望の学生には臨床性の高い知識を伝えておく方がよいとの私の判断 からてあった。 私のこの判断はある大前提 ( 哲学 ) に由来している。すなわち真の知識 (trueknowledge) というものは目前の問題を解くのに役に立っ知識てある、との大前提を持っているからて ある。かって大学紛争のとき ( 昭和四十年代 ) 大部分の大学が大学立法や機動隊の助けを借り て問題を解決した。たいていの大学に教育学、心理学、社会学、哲学の教授がいたと思う ロ題を解くのに殳に立たない が、これらの学問は大学紛争を解決する力にならなかった。門 学間は真の知識てはない。 こういう人生哲学を私は持っている。それゆえに私は、プラク ティカルな教育心理学を講じていたのてある。

3. <自己発見>の心理学

ところがその後、アメリカの大学に留学して知ったのてあるが、日本語ていう「英会話」 に相当する科目が、アメリカては「コミュニケーション・スキル」といって大学教育のな かて市民権を得ている。アメリカては術 ( スキル ) を軽視していない。 私にはもうひとつの経験がある。かって一般教養の教授だった頃、私の担当科目「人間 関係」に対して「大学もこんなことまて教えるようになったんてすかねえ」と、 大学が自動車学校と同じになったかのごとく慨嘆した教授がいた。私に言わせると物理学 や機械工学の理論に通じていても、車の運転がてきなければ生きるのにきわめて不便てあ スキル軽視のビリーフを検討するのが本節のねらいてある。 スキルも学問のうちである 学問とは知識体系のことてある。知識体系とは事実・技術・概念・理論・哲学が論理的 にワンセットにまとめあげられたフレイムのことてある。例を挙げて説明しよう。 「どうも最近の子どもは態度がわるい。老人に席を譲らないし、深夜音をたててオートバ この話をき、 イを走らせるし : : 」と市民が会話している。これは学問の話に入らない。 た学生が「こういう青年はどういう家庭教育を受けたかを調査し、それを卒業論文にしょ 学習生活におけるビリーフ

4. <自己発見>の心理学

原理—ーーー出来事そのものよりも、受けとめ方が大切 人間の悩みというのは、ある出来事そのものが原因てはなく、その出来事をどう受けと めるかが原因てある。 たとえば、ある学生が単位不足て卒業延期になった ( 出来事 ) 。そして落ち込んだ ( 結果 ) 。 するといかにも出来事そのもの (Activating even ( の頭文字をとって << という ) が落ち込ませた ( Consequence ーー結果の意・・・・ーーの頭文字をとって O という ) よ , フに見える。しかし本当はそ , フては ない。「大学は四年て卒業すべきてある」とか「卒業延期の人間は人生の失敗者てある」な どといった考え方、あるいは受けとり方、あるいはビリーフ ( Be 一一 ef の頭文字をとってという ) があるから落ち込んているのてある。 「留年を機会に英会話をものにしたらもとてはとれる」とか「留年すれば友だちもふえる」 あるいは「留年したおかげて都会生活があと一年楽しめる」と考える学生は多分それほど 落ち込まないはずてある。 ムにもそういう経験がある 三十代のとき、勤め先てひばしにされたことがある。私のほかにもひばしにされた人も いるがこの人たちは「ひばしに耐えることはてきない」とか「屈辱に耐えるのは男らしく 人生哲学

5. <自己発見>の心理学

さて私のこの体験から一般原理を引き出すと、世の中には「人に負けるべきてはない とい - フビリーフを持っている人が少なくないということてある。 たとえば、せつかく大学に入ったのに、人はもっとよい大学に入った、私もそういう大 学に入るべきてあったと思い、退学してしまう青年がいる。あるいは自分の容貌は人並み ムはもっとハン てはたい、ゆ - んに。、 ノーテイや研修会など人の集まるところに出たくない、不 サムてあるべきだったという具合に、人生を暗い気持ちて生きる結果になる。 こり、ハンサムてあれば人生は幸福になるか。私が影響を受けたイギリ 仮に一流大学 ( 入 、「神経症的な大学教授になるよりは、幸 スの自由主義教育家 << ・・ニイルがいうように いくと、アル中になった慢性の愛情飢 福な煙突掃除人になる方がずっとよい」。この筆法て どもたちに誕生祝いをしてもらう容貌はそこそこの母親の方が幸福てあ 餓の美人より、子 美人て、かっ子どもから誕生日のカードをもらう母親もいるのはたしかてある。てはそ うなる人とならない人の相異は何か。 ひとことていうと「 should 」がつよいか「 want 」かつよいかの差てある。 「一流大学を出なければならぬ」「ハンサムてなければならぬ」「子どもを優秀に育てねば ならぬ」「学業はトップてあらねばならない」という具合に「ねばならない」「べきてある」

6. <自己発見>の心理学

からといってその結婚はだめというわけてよよ、 ーオし」と文章記述 ( ビリーフ ) を修正した方が 得てある。なぜか。それが本節のねらいてある。 やさしいにこしたことはない まず第一 ) この世の中に「いっても、どこても、誰に対しても」愛を示し続け得る人 はほとんどいないからてある。それは「いっても、どこても、誰からも」フラストレーシ ョンを与えられることなしには生きられないのが人の世の常だからてある。フラストレー ションを与えられると、ふつうの人間なら怒りが出てきたり、落ち込んだり、自信喪失し 絶望的になったりするのはごく自然のことてある。そういうむ理状態のときに人に やさしくする、人を愛するというのは非常にしにくいことてある。 たとえば大学の入試に落ちた帰りの電車のなかて、高齢者に席をゆずる余裕のある青年 は稀てある。父が危篤状態のとき結婚式のテープルスピーチをにこやかにするのはかなり 至難てある。定職にありつけす世をはかなんているときに、中学時代のクラス会て愛想を ふりまくのは百万円てもくれるのてなければいやてある。要するに、ふつうの人間はフラ ストレーションがあると人にやさしさや愛情を示すだけの気力、体力、知カ ( 状況判断 ) が 乏しくなる。 リ 8

7. <自己発見>の心理学

ったのてすというのなら、万巻の書に書いてあることがまちがいないということをどうし て知っているのか。もし、私の人生体験からわかったのてすというのなら、自分の体験に 普遍生があるということがなぜいえるのか、を自間自答することてある。 多くの心理学者は統計的処理をして「 : : : てある確率が高い」と論証てきたときに「 : てあることがわかった」とい , フ。 要するに「知っている」「わかった」といっても、その意味を自覚していないと慢心に陥 る一」し J にた 6 る 考えるべき第一二のことは、この人生て何が善て何が悪か、つまり私たちはどう生きるべ きか、何をなすべきか、あるいはなすべきてないか。それを考えることてある。神の意志 に従って生きるべきだとか、目標達成の役に立つ行動をすべきてあるとか、自分個人にと って意味のある行動をとるのが善てあるとか、人をよろこばせるために自分を殺している ぶりつ子や若年寄は善とはいえないなど、人さまざまの価値観がある。なかには善悪のフ レイムそのものを持つな ( 例ー不思善悪 ) という考えの人もいる。 さて、自分はどうするか。人が結婚するから自分もする、人が大学に行くから俺も行く ていどの生き方てよいのか。こんな考え方てこれからもやっていくのか、などと考えるこ とてある。 人生哲学

8. <自己発見>の心理学

・こくぶ・やすたか 一九三〇年生まれ。東京教育大学、同大学院 を経て、ミシガン州立大学院修了。哲学博士。 現在、東京成徳大学教授。専攻はカウンセリ ング心理学。著書に、「 ^ つきあい〉の心理学」 『・〈自立〉の心理学、リーダーシップの心理学」 「チームワークの心理学」ー講談社現代新書ー をはしめ多数ある。 打ち破れない悩みの壁。はてしなく深い落ち込みの奈落・ーー・℃「ねばならぬ」の思い込みが自分自身を呪縛する。 ビリーフを探り出すこと、そして合理性の定規を当てること。陥穽の非合理性に 気づくことがプレイク・スルーのはしまり。解放のための「自己発見」のすすめ。 国分康孝一 幸福の条件・ーー・認められたいと願うのは自分の利益優先ゆえ、 生き方として高級ではないと思う人がいる。 地の塩としての生き方の方が高級だというわけである。 このような考え方には検討の余地がある。 この人生は自分のために用意されたものではない。 したがって世人は私に奉仕するために存在しているのではない。 それゆえ、自分のことは自分でするというのが、 この人生を生きるための常識である。 人は私を認めるために生きているのではない。人に認めてほしければ、 自分で人に認めてもらうよう何かをすることである。 自力で自分を幸福にする。そのことにひけめや恥かしさや自責の念を持っ必要はない。 本書より 自分がます幸福にならないと、人を幸福にするのはむつかしいからである。 現代新書既刊より生きることに悩みはっきものである。 日常さまざまの場面で、人は悩み、落ち込み、ゆきづまる。 本書の著者には『〈つきあい〉の心理学『〈自立〉の心理学』 『リーダーシップの心理学』『チームワークの心理学』があり、 複雑な人間関係のなかで、いかに自己の確立をはたし、より豊かな人生とするか、 著者自身の豊富なカウンセリング経験もましえ、具体的、平易に説く。 充実した人生を楽しむためには、ます″自分″について考えることが必要であろう。 鑪幹八郎『アイデン一一の心理学』、小川捷之『性格分析』は、主体としての「自己」を 把握するための好著。伊藤順康『自己変革の心理学』は、論理療法の格好の入門書。 都留簽大『「出会い」の心理学』では人間関係のトレーニングの実際を紹介する。 齋藤勇『自己表現上達法』は、対人心理学を軸に、人間関係の悩みの具体的解決策を探る。 石塚幸雄『自己実現の方法』は、自己認識と行動のためのガイドブック。これらも併続されたい。 定価〕本体 680 円 ( 税別 ) 4 I S B N 4 ー 0 6 ー 1 4 9 0 4 4 ー 3 C 0 2 1 1 ¥ 6 8 0 E ( 4 ) ・買自己発見〉。心理学 4 講談社現代新書 心理学 ~ 1 9 2 0 2 1 1 0 0 6 8 0 8 〈自己発見〉の心理学ー—目次より ・論理療法の人生哲学 ・「ノー」と言ってよいとき、わるいとき ・フラストレーション・トレランス ・「ねばならぬ」思考からの脱却 ・なおそうとするな、わかろうとせよ ・スキルも学問のうちである ・「それゆえに」の検討 ・愛は恒常ではない ・悟った顔はしない ・認められたい欲求はノーマルである 国分康孝 マークⅡアジアの「豊攘の渦」 カバーイラスト早川良雄 講 談 社 代 新 書 Y680 ☆☆☆☆ ー 044 ・

9. <自己発見>の心理学

ては興味と能力の相関関係は高くない。むしろ「下手の横好き」という諺の方が事実に近 いのてある。 それゆえ、喫茶店の経営が好きだからといって店が繁盛するかどうか、車が好きだから といって無事故て通せるか、英語が好きだからといって英語て講義てきるか、と自問自答 した方がよい。私は中学校教諭になりたくて教育実習をしたが、さつばり活気が出ず、生 徒は見向きもしてくれず、自分は教師の能力に欠けているのてはないかと思い出した。実 は私は教師になりたくて高等師範学校を選び ( 旧制高校にも合格したがそれを放棄し ) 、教育大学 ては教育学専攻を選んだ ( 心理学を専攻しようと思えばてきたが ) 。私はそれほどに教職には興味 があった。ところが思ったほどには能力がなかったのてある。 そこて転職する前に、はたして自分は能力があるかをたしかめるとよ い。私は運よく社 会人になる前に一一週間の教育実習て自己評価てきたのて好運てあった。能力の有無は実際 に仕事をさせてもらうのがいちばんまちがいない。アメリカの教授が学生に夏休みのアル 、ハイトをすすめる理由もそこにある。四年間の在学中に、四回職を体験すれば、自分の興 味と能力がはっきりするてあろうというのてある。 第二の留意点は、興味て仕事の領域を絞ってから ( 例ー人間対象か、もの対象か、抽象世界対象 か ) 、能力を考慮してレベルをえらぶ ( 例ーラインの長になるか、スタッフになるか ) のがよい。今 164

10. <自己発見>の心理学

ところが人間の興味や能力は状況に恵まれると次々と拡大・深化するのて、さらに転じ て第三の仕事て自己実現したくなるということが大いにあり得るのてある。 私がそうだった。大学院生の頃から刑務所のカウンセラー ( 非常勤 ) をしていた。そのうち、 自分のような仕事をする人をたくさん養成した方が有意義な人生になるのてはないか、そ して自分にはそういう能力が少しくらいはあるのてはないか。そう思ったのて大学教員 ( と いっても助手 ) に採用してもらった。ところがやがて、アメリカて本格的に勉強しないと人の 教育を担当てきないと思い出し、当時三十歳近くになっていたが助手を辞め、渡米し大学 院博士課程に入った。 こういうキャリアの展開は私だけてなく、これからはどんどんふえてくると思う。それ には職種がふえ選択しやすくなったこと、年金が転職しても継続てきるという社会経済的 条件も影響していると思う。 こだ問題となるのは、人生のテーマなしに次々と渡り鳥のように職をつまみ喰いして歩 、くだけてはキャリア (career) とはいわない。 むことてある。あてもなく転職を繰り返してし キャリアとはひとつの職業 ( 学校のようなもの ) を卒業して、次の職業 ( 学校 ) に、そしてまた 小↓中↓高校と進むように、転職の流れに一本の線 ( ラ 次の職業 ( 学校 ) にという具合に、 イフワーク ) が伏在していることをい - フ。 160