したがって心がまえとしては、給料とか謝礼は役割に払われているのだとの自覚を持っ ことてある。自分が偉いから給料が払われているのてはなく、ある役割を遂行するという 約束があるから払われているのてある。つまり給科を受けとるからには、約束どおり役割 を遂行する気概が必要てある。これが私のいう「いばることをためらうことなかれ」とい う意味てある。 ふたつのいばり方 しかしながら、世間が容認しないいばり方があるのはまちかいない ひとつは越権行為に由来するものてある自分の役割を超えてある言動をとる場合がそ れてある。本来は部長が決断すべき事柄を課長が決定したり、本来は部長に報告すべきイ ンフォメーションを課長がにぎりつぶしたりというのがそれてある。これは役割意識の欠 如に由来する「いばり」てある。俗称出しやばりてある。これは組織を乱すいばり方てあ る。日本の学校現場ては永年にわたり、 越権行為型のいばりが支配していたと思う。 第二のいばりは特定の「ねばならぬ」にとらわれて、周りの人を自分の「ねばならぬ」 に服従させようとするいばり方てある。たとえば「児童中心主義の教育てあらねばならぬ」 と思い込んている教師は「生徒にーさせる」という態度は権威主義てあり管理主義てある、 179 職業生活におけるビリーフ
役割志向 理由のひとつ。 いくらおかしな人物とても、お互いに役割さえこなしていれば共存てき るからてある。たとえば集金係はせっせと集金してくる。会計係はその金を記録する。こ の二人がカラオケを歌うほどに仲がよくなくても、忘年会のとき離れてすわるほどに仲が わるくても、せっせと集金し、せっせと記録するという仕事の分担に忠実てあれば、一一人 の共存は可能てある。 すなわち人間関係に二種類ある。ひとつは酒を汲みかわす人間関係。これは個人として の感情交流が主になっている。もうひとつは感情抜きの役割と役割のつきあい。前者を personal relation 、後者を socialrelation という。結婚がスムーズにいっている場合とは、このふ たつがほどほどに共存している場合てある。ところがカップルによっては後者 ( 役割関係 ) が主軸になり、前者 ( 感情交流 ) が影をひそめているものがある。 これはたしかにたのしいとはいえないかーーー人によってはたのしいという人もいる 決して絶望的てはない。 職場の人間関係はソーシャル・リレーションが主軸になるのがふ つうてある。それと同じ原理を結婚にも適用てきると、 ししたいのてある 140
たとえばスチュワーデスが「お客さま、お煙草はサインが消えるまてお待ちいただけな いてしようか」というのは自分の責任 ( 任務 ) に忠実な瞬間てある。出すぎたことを言って 生意気を言っているわけてもない。教授が学生に「レポートは事務室 るわけてはない。 に提出のこと。拙宅に郵送しても採点しない」というのは教師としての権限を発揮してい るわけて、権威主義とか押しつけというわけてはない。 自分の役割を明確に打出さないから人になめられたり、何となく屈辱感におそわれたり、 後胼したり、自己嫌悪・自己弱小感に陥るのてある。 組織とは役割の束てある。各自が自分の役割に忠実になるから組織はスムーズに動くの てある。謙虚や遠慮を美徳のように田 5 っている人もいるが、役割に忠実てはないという意 味ては悪徳てある。 たとえばある学会て、ある若い司会者が先輩教授に気合い負けして司会者の役をはたさ ないことがあった。「ほかにも発言したい人がおられますのて : : : 」「あと何分くらいかカ りますか ? 」「これはどなたかへの質間てすか、単なる意見陳述てすか」など、この饒舌な 先輩教授に体当たりする方法はある。にこにこしていれば司会者がっとまるわけてはない。 いばれない人とは無責任な人、超自我の低い人、愛情乞食の人 ( 人にきらわれたら生きていけな いというビリーフの持ち主 ) のことてある。 178
娘てある以上、母の私によくしてくれて当然という気持ちに姑はなる。それゆえ、嫁が少 してもよくしてくれないと不機嫌になる。姑も不幸てあるが、嫁も不快てある。これが始 めから「彼女は息子のガールフレンドてある」「息子の配偶者てあり、私の娘てはない 心のなかて思っていれば、過大な期待はしない。 したがって失望感も少ない。 ところが嫁 ( 娘 ) は私の欲するとおり行動すべきてあると思っている姑が少なくない。 それだけに期待 に応えてくれない嫁に対する憎しみが増大するのてある。 「私は親という役割にある、あなたは嫁 ( 娘 ) という役割にある。それゆえ、あなたは私に 仕えるべきてある」という役割意識が「嫁は娘てある」という文章記述には含まれている。 これは日本文化ゆえの現象てある。 アメリカては実子てあっても、自分の親に敬愛の念がなければ孝行はしない。 親子関係 を感情交流の観点からとらえているからてある。自分の子どもに不親切だった親は、老後 子どもに不親切にされてもやむを得ないという考えに由来している。日本は少しちがう。 親から不親切に扱われた子ども ( 例ー嫁 ) ても、親に孝行して返さなければならぬ役割 ( 義理 ) があると考える。この考えを姑が金科玉条とするとき不幸が生じるのてある。 現代のように知的レベルの高くなった女生に、「親、親たらずとも、子は子たるべし」と、 わがまま勝手な期待をしても、応えてくれるはずがない。 にもかかわらずそれを期待する 150
つまり結婚という人間関係はお互いに責任がある。そこは会社と同じてある。会社ては 上司がきらいだからといって辞表を出すのは稀てある。きらいても、自分の役割をお互い にはたしていれば共存てきる。それが職場の特徴てある。結婚も同じてある。きらってい てもお互いが役割をはたしている限り、人間関係は続くものてある。何の責任もはたさず、 ゴルフをしてテレビを見てビールを飲み、ときどき発する音声といえば「メシまだか ? 」 「風呂まだか ? 」ていどの役割のこなし方ては、多分配偶者がやがて去る時代てある。 それゆえ結婚しても恋愛時代のように楽しい思いがてきると思ったら大まちがいぞある。 次のような最低六つの責任をはたすことを期待されている。課長が新入社員に期待するの と同じて、期待された新入社員はいつも緊張状態にある。家庭にも社長や課長がいる。し たがって「言っていいこと、わるいこと」を頭のなかて識別した上て表現しないと家庭内 トラブルが起こる。 さて結婚すると最低六つの責任や義務をいつも頭に入れておくことてある。 1 決定に関する責任。大きな決断 ( 例ー転職、引越し ) をするときは、配偶者に相談するか、 諒承をとってからにすること。「おい、 俺は今日辞めたぞ ! 」と薮から棒に配偶者に伝える のは、役割意識が乏しい証拠てある。人生の共同経営者 ( 配偶者 ) に事前に告げておかない というのは、きわめて自己中心的てある。 120
いばるべきてはない 社員研修のおりに、 よく耳にするのは最近の管理職者は部下の機嫌とりに走り、その結 果疲れはて、部下からは頼りないと評され : : : という話てある。俺についてこい式のリ ダーがいないというのてある。 民主的な人柄てあらねばならぬという思いがつよいのて、強気に出るのは軍国主義、権 威主義と評されそうて、ついつい遠慮してしまうらしい。つまりいばるのはよくないと思 っている人が多い。これはまちがいてある。それをいうのが本章のねらいてある。 「いばる」」は何か まずいばるとは自分の役割に忠実になることてある。自分個人の人格が偉大だからいば るのてはなく、自分の役割を人に無視されたのては自分の存在理由がなくなるから、自分 の存在を主張しなければならぬ。それがいばるということてある。 すなわち、 い。はるし J よル又ー・ ~ 彳盟に忠実になることてある。役割に忠実になるとは、自分の権 限と責任を自覚し、それを打ち出す勇気を持っということてある。 177 職業生活におけるビリーフ
てある。たとえば第一一次世界大戦中のことてあるが、陸軍のある兵士が輸送船の船長に「船 頭 ! 早く船を出せ ! 」と要請した。「船長の俺に船頭とは何ごとか。貴官が謝らない限り 出港しない」と船長は立腹してみせた。他者に敬意を表してもらいたければ、ます自尊を 示すことてある。 依存・畏敬の対象 なぜ前述したような意味ていばる必要があるのか。民主的という美名のもとに、 こにこしているだけてはなぜいけないのか リーダー ( 親・上司・教師など ) は子ども・部下・生徒から見て依存の対象てあり畏敬の対 象だからてある。依存の対象、畏敬の対象がはっきりしているとき集団はまとまりやすい 烏合の衆にはなりにく い。「あなたがたが私のことを語り合っているところが教会てす」と か「寺をつくるな、君たちが念仏を唱えているところが寺てある」という教えはそのこと を示唆している。 自分個人が偉いからてはなく、自分の役割がその集団になくてはならぬものだから偉い のてある。つまり権限と責任の質と量が仲間より重くかっ多いから、その役割は敬意の対 象になるのてある。それゆえ、グループの長は忘年会のときには悠々と上座にすわればよ 181 職業生活におけるビリーフ
ことがある ( 概念の記憶 ) 。 リレーション領域 例ー初対面の人との会話、異性との会話、上司との会話、それぞれ留意点を記憶してお かないと欠礼することがある ( 概念の記憶 ) 。 例ー自己開示するといっても、自分の何について開示すればよいのか、そのポイントは 記慮しておかないと自己開示したくても、その手がかりがなくて閉ロすることがある ( 事実の記憶 ) 。たとえば、私なら生育歴、感情、価値観、現在していること、これから たいことの五つの項目を記慮しておけと教える。こういうことについての自分を語 れば、それが自己開示てある。 . ( , イロ域 例ー上司、同僚そして自分の役割 ( 権限と責任 ) がそれぞれ何てあるかをきちんと記慮して おかないと、越権行為になったり、怠情と評されたりする ( 概念の記憶 ) 。 例ー周りの人々が自分の役割にどういう期待を寄せているかをきちんと胸におさめて ( 記 憶にとどめて ) 行動した方が人を失望させないてすむ ( 事実の記憶 ) 。 ④人間関係 ( 感情交流 ) 領域 例ーー誰と誰とは仲がよい ( あるいは不仲 ) ということを覚えておくとチームワークをつくる 104
上手ないばり方 ( 役割の維持と主張 ) とは相手に不央感を与えない役割主張のことてある。 その骨子は相手のナーシシズム ( プライド ) を傷つけないことてある。相手のナーシシズム を傷つけながらの自己主張をけんかという。本章て提唱するいばり方は「私は 5 と思いま す」式てあり ( 私メッセージともいう ) 、「あなたはーてす」式の非難型のものてはない。 効率的である いばるべきてはないというビリーフにとらわれると万事がスローになる。会議ばかり開 いて一向に何も決まらない。たとえばある会合て「いかがてしようか、おひとりずつ自己 紹介てもして、それから会議に入りましようかいカカいたしましようか」と司会者がて いねいに参加者に伺いをたてた。参加者はお互いに未知てあるからかしこまってじっと座 っているだけてある。司会者は「てはます一人三十秒ずつ自己紹介をして、それから会議 に入りましよう」と宣言するくらいの権限は持っている。つまらないことまていちいち人 の意見をきくのは時間のむだのように田 5 える。 職場や会議の場は集団心理療法てはない。現実的な問題を現実的に処理する場てある。 それゆえ、効率的 (efficient) かどうかは大事なことてある。 リーターが効率的に事をすすめようとした場合に、待ったがかかることがある。そのと 184
そういうサラリーマンに私も仕事の関係て接することがあるが、多くの場合「家庭は憩 いの港たるべきてある」とのビリーフを持っている。それゆえ、夕方帰宅しても電灯がっ いていないといやな気がする。幼児が泣くといらいらする。配偶者が台所にこもったまま て玄関に出迎えてくれないと、これてもわが家かと嘆きたくなる。要するに家庭はくつろ げる場所てあるべきだと思っているがゆえに、不决になるのてある。「家庭は憩いの港て あるにこしたことはない」とか「家庭は第二の職場てある」と考えた方が事実に則してい る。このことを一言いたし 、のてある。それが本節のねらいてある。 家庭は契約された場である いのか。それは役割と役割の関係が主軸になった人間関 なぜ家庭は憩いの港になりにく 係だからてある。恋愛は人柄と人柄がふれあう人間関係てある。生計をともにしていない し、相手の人生に責任がない。 相手が入院したからといって入院費を工面する義務はない。 町かどの花屋て二千円くらいの花を買って、ニッコリ病室に現われたら、相手は最高によ ろこんてくれる。結婚してしまうとそういうあそびの要素が少なくなり、万事シリアスに し」い A フ ) 、、ら一 なる。花を買う金があれば、ナ 1 スステーションへの土産代にした方がよい いの判断をする。 119 家庭生活におけるビリーフ